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第231回
2019年10月23日 放送予定
portrait
自民党
繁本 護
衆議院議員
最新インタビュー
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第230回
2018年08月30日 放送
自民党 国光 あやの 衆議院議員

幕の内弁当とはまさに永田町の先生達で、それこそ様々な人たちが集まる人種のルツボですが。。。

こんな女性がよくぞいたもの成りと、感動に包まれました。

山口県の離島・周防大島町で生まれ、会社員のお父様の関係で各地で育った国光議員は、医師を目指すようになります。

医学生時代から、離島、過疎地や発展途上の国での現場医療を体験し、内科医となり救急医療などで活躍します。

そして、厚生労働省に入省。民主党政権時代の総理の答弁書などの原稿作成の仕事などをします。その頃から、日本の医療制度に大いに疑問を持ち

出馬を考えるようになったと言います。

現場と行政の医療を知る、国光議員の手腕に超期待します♡

 

●動画より文字おこし

自民党(茨城6区)  1期目 2019年 7月 24日 収録時点

 

[国光議員は議員である前に医師だそうですね]― はい、そうですね。元々は内科医なんですけれど。[内科医!]― 医療現場で働いていたのですが、一念発起して国会議員にならせて頂いております。[どちらの病院にお勤めだったのですか?]― いくつかですね、病院は異動しているんですけれど。東京都内のいくつか救急の病院でも。[恐いですね、いろいろな方が運ばれて来そうですね]― そうですね、交通事故から、今でしたら熱中症とか食中毒だとかですね。地元の茨城県のつくば市、土浦市、石岡市あたりなんですけど、地元の病院でもいくつか救急で働かせて頂いています。[選挙も出て医師であって、いろんな方を見ていらっしゃって。腹が据わっていますね]― いえ、(笑)そんなことはないです。[普通の人がわっ!とびっくりしてしまうところを全く動じないでしょうね]― あ、それは慣れますね。血を見てびっくりというのは初めぐらいで、慣れて場数を踏むと。[特に男の人なんか、血がちょっと出るだけで大騒ぎですよね]― 女性の方が強いですね。[出産とかもありますしね]― 女性の看護師さんなんか全然平気ですからね。[慣れもあるんですか?]― 初めはびっくりしちゃうんですけど、場数でなんとか。(笑)[永田町にいらっしゃると、この人、健康診断をした方がいいという方がたくさんいらっしゃるんじゃないんですか?]― いっぱいいますよね、ほとんどそうなんじゃないんですか。(笑)[それでもね、国会議員と言う方は非常に特殊で、何かに突き動かされているところがあるから、気合で行っちゃってますよね]― そうですね、気合だわ!みたいなね。それで少々体調が悪かろうが、何かが悪かろうが乗り越えているんですね。[それは医師としてどうなんですか?]― でもやっぱりね、自分の健康管理から率先してやって頂きたいなと。検診を受けましょうとか、ガン検診を受けたかとか言っている方に限って、先生は受けたんですか?と聞くと、俺、5年ぐらい受けてなくてとか。(笑)[それはどうしてですか?忙しいから]― ご覧になっている皆さまもお忙しかったら、自分のいろんな検診を受けに行くとか、健康管理は難しくなるかもしれないですけど。国会議員のみなさんはお忙しくていらっしゃるので。[私なんか勇気が無くて行けない時がありますね。絶対に引っかかるから、今回はやめようかなとか]― そういうのあります、あります。[先生が脅かす場合もあるじゃないですか、そうするとびびっちゃってだめなんです]― 優しい先生に当たれば大丈夫なんで。(笑)

 

●幸せ度数年表(クリックで拡大)

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[1979年生まれですね。どちらでお生まれなんですか?]― 私、元々は山口県なんです。小さな小さな島なんですけど。ちょっと有名になった島で、去年タンカーがぶつかった、あるいは大分のお爺ちゃんがボランティアに来て子どもを救出した。さらに逃走犯が隠れていたという島があって。山口県の周防大島という小さい島なんですけれど。[有名になったんですね!本当に島育ちということで。人口はどれぐらいでしょうか?]― 人口は今では一万ちょっとしかいないんですけれど。元々うちの家が代々農家をやって、みかんがよく獲れる島なんですね。みかん農家だったんですね、そこで生まれて。母親がたまたま薬剤師をやっていて、父も転勤族のサラリーマンだったりで。結局、小っちゃい頃にその島を出てしまっているんですが。[何歳ぐらいの時に?]― 小学校上がる前くらいですね。親戚は島におりますけど、島からは出てしまったんですが。当時の島は医師不足でして、お医者さんがいなくて。なかなか苦労していた経験だとか、祖父が心筋梗塞になりかけた時、救急搬送する病院がなくて苦労して。[都会に住んでいる方はわからない悩みですよね]― そういうことを見る中で、医師になりたいなとか。お医者さんが不足している医師不足をなんとかしたいと、おさな心に思いました。[小学校からはどちらで]― 転勤族だったので、父親がサラリーマンだったので。[何系のサラリーマンですか?]― 建築系なんですよ。転勤が多くて。[では日本各地に行かれて]― はい、そうですね。[一番思い出の場所はありますか?]― 広島ですかね。中高過ごしたのが広島なので。将来は医者になりないと思っていて、それでなんとか。[そして医学部に入学ということですね。それはどちらの?] ― 長崎大学の医学部ですね。高校生から医者になりたいと思う中で、「遠き落日」という野口英世の映画があって。野口先生がアフリカ熱帯病の研究をされて亡くなったという話で、情熱をかけて発展途上国のために尽くしましたという話に感動して医者になりたい思い、長崎大学が熱帯病の研究をよくされていたので、それで長崎大の医学部に。医者がいない所で病気で苦しむ、途上国の熱帯病とか。日本の国内だったら、僻地、離島だとかで医療活動をしたいなと思って長崎大学に入りました。[そして6年間、勉強されて]― 実際、僻地や途上国で医療活動をずっとやっていまして。[それは卒業されてからですか?] ― いえ、医学部在学中からです。[想像を絶するような過酷な環境で、医療活動をされたということですね]― そうですね、風呂、お手洗いとかもないし、水をバシャンと浴びてお風呂を済ますみたいな。電気もありませんとか。そういう所に結構、長くいました。[若かったから行けたんでしょうね]― そうですね。今、なかなか大変かもしれないですね。[免疫力があったから。先生自身が病気になってしまいますよね]― マラリヤにはなりましたね。マラリアにもなりましたし、寄生虫関係の病気にもなってしまって。でも日本で言うところの風邪ひいた、なみたいな感じで、マラリアで熱出たなみたいな。その内治るよ、みたいな。[知っていると、知らない人よりはですが]― まあ、度胸はね、知っていると付きますけど。[そして、医師として現場で働くということですね。病院にいかれて、救急医療とかの現場ですね]― 日本では医師免許を取ると日本国内の病院で臨床の研修をしなきゃいけないとか、義務があるので。まさにこの辺りの病院で、いくつか臨床をやらせて頂き、医者として働かせて頂きました。(窓の外の赤坂の景色を指さして)[すごい現場にいらっしゃいますね!選挙なんかへでもないでしょう!病人を相手するわけではないんですから]― そうですね。当直だとかね、途上国の生活には慣れていたので。(笑)夜討ち朝駆けも大丈夫です、みたいな。(笑)[恐いものは無いでしょう?]― いえいえ、たくさんありますけどね。[おばけとかですか?]― おばけは恐いですね。[恐いものがなさそうですね]― いやいや、意外と心霊スポットとかはだめですけど。(笑)[その後にお役人になるんですね。ご紹介頂いた大西議員からも、厚生労働省で当時の民主党の総理の答弁書を作っていたという風に聞いたのですが。当時の総理はどなたですか?]― 当時は3人いましたよね。鳩山由紀夫さん、その次に菅直人さん、それから野田佳彦さん、3人総理がおられて。厚労省って今でもそうですけど、年金2千万円問題、働き方改革もそうですけど、民主党政権の時からそうですけど、厚労省はよくご質問も頂いたりする所でしたので。総理が答える答弁書を作らせて頂いていましたね。[総理が国会で答弁する厚生労働省所管の答弁書を書いていたということですよね]― 自民党の政権も同じく、役人がたたき台は作るんですけれど、後はご本人が自分の言葉で言われたりされるので。[骨子は変わっていないということですよね]― たまに全部書き換えろと言われる時もあったりするんですけど。その時に一番、答弁を書いたのは東日本大震災の頃、災害対策危機管理を担当していたんですよ。一晩で本会議でご質問いただく答弁書を10問近く書いていたんですよ。その頃に民主党政権という政権が震災に対してなかなか難しいなというところを、非常に危機感を覚えて、悩み苦しんでいた時なので「幸せ度数年表」も非常に下がっちゃっているんですけれど。(「幸せ度数年表」を指さして)[裏で支えている人がそうおっしゃっているんですから、本当に素の意見なんでしょうね]― そうなんですよね。例えば医療チームを派遣する時に、どこから優先的に医療チームを派遣しますかという時に、民主党政権さんの中で意見がかなり割れて、結局何も進まないとか。結構、よく見受けられたことが。[週刊誌、マスコミ等々では言われていた話ですが、こうやって裏の話であるということは本当だったということですよね]― そうですね。[烏合の衆だとかずっと言われていましたから]― 政権で素晴らしいところもあるんですが、意見が最後まとまらない、合意形成できないというところが非常に辛かったですよね。担当させて頂いていても。その頃から、最後は政治のリーダーシップが本当に大事なんだというのを非常に感じまして。それで自分自身も政治を志すようになったのはこの頃からですね。[ちょっと話が前後しちゃうんですけど、どうして医師で医療機関の現場にいたのに厚生労働省にお入りになったのですか?]― そこがまさに今に至る原点なんですけど、ずっと現場が大好きで現場志向で活動していたんですよね。病院もそうですし、僻地、離島、途上国とずっとそうだったんですけど。例えばアフリカの途上国で医療支援を頑張ってやっても、いくら頑張ってもHIVはなくならないし。マラリヤも減らないし、何でだろう、と真剣に学生時代、ずっと考えていたら、やっぱりそれはその背景に貧困という問題があるとか。貧困と政治的な不安定さがすざましいのがあるなと。仕組み、政策から変えていきたいなと学生時代から思い始めていたんですね。[日本にはなくとも途上国にはある病気ってありますもんね] ― そうですね。背景にはいろんな社会構造があって。日本国内では、この東京ではお医者さんがたくさんいらっしゃるけれど、今日も視聴者の方、地方の方もいらっしゃると思うんですが、自分の周りにお産が出来る病院がないとか。離島とかでお医者さんが一人もいないとか。そういう格差ってなんだろうかというのをすごく思っていて。はじめ、現場で頑張ってそれを解決していこうと思っていたんですけど、限界を感じてですね。これは政策からやらなきゃいけないんじゃないかと。医師不足だったら、医師が偏在しているんだったらそれを変えていく。政策に携わりたいと思って厚生労働省に行ったんですよね。[そういうことが原点にあるわけですよね。立派ですね!]― いえ、そんなことないですけど。(笑)[私なんか、目先の事しか考えないで今まで生きてきましたから。本当に素晴らしいと思います!本当に国光議員のような方が増えて欲しいと心から思いますね]― ありがとうございます。[その間に、なんと、結婚、出産されているんですよ。こんな方とどなたが結婚されたのですか?]― 職場結婚だったんです。[ご主人も医師ですか?]― ではなくてですね、厚労省に入った時に公務員同士で。国家公務員、霞が関の住人になるとすごく忙しくてですね、私は私で、主人も主人で忙しくて。なかなか結婚生活をマネージメントするのが大変でしたけど、なんとかそれをね、働き方改革じゃないですけど、いろんな保育園、シッターさん、いろんなご支援を頂きながらなんとかやって。[ちょっと前だったら、シッターさんなんて使うということでさえ有り得ない、という時代の日本でしたからね]― あらゆる育児リソースを使いまくってきましたから。(笑)だいたい何でもわかりますよ、みたいな。[公務員の時に結婚、出産されたのですね。そして公務員だけで終わらず、厚生労働省で終わらず、今度はついに医療制度改革をしようということですね。一番の思いは何だったのですか?]― 例えば医師不足の話をしましたけれど、法律を立案して最後、国会で審議頂くわけなんですけど。なかなか上手くわかって頂けない時だとか。逆に国会議員の先生方が今まで積み上げてきたことを、割とこうだ!とリーダーシップで決断なさるのを目の当たりにしてきて、最後に決めるのは政治だなと思いまして。[そこに行きつくわけですね]― ひとつ具体的に言うと今、消費税の話がありますけれども、医療だとか社会保障、子育てもそうですけど。保育園を作るとか待機児童とかもそうですけれど、結局お金がいるんですね。財源がいるわけなんです。役人の時に切実に思ったんですけど、本当にお金がないんですね、日本の国って。必要な医師不足対策のお金だとか、保育園を作るお金が本当に無くて。それだったら財源を消費税なのか法人税なのか、所得税なのか。はたまたみなさんの保険料を上げて収入として頂いて社会保障に回すのか、財源の調達をどうすればいいのというあたりが、結局突き詰めると問題の根幹になると思ったんです。それを決めるのはひとりの役人には限界だと思って、自分もその一員になりないと思って。[やっぱり政治家]― マクロの話となると、所詮、公務員は公務員に過ぎませんから、大きな政治決断をされるのは国会ですので。自分もその一員として働いて、みなさまのために尽くしていきたいと思っています。[若い時、一定の時期、政治で何も変わらないよと常套句でありましたし、そう思っている人もたくさんいらっしゃると思うんですけど。やはり年数を重ねていくこと、政治状況で、政治家によってこの世の中が変わってしまうという事が今、目の当たりになって。政権が変わったということもありますが]― 政権や時のリーダーによって、その考えで、ずっと変わらないものもあるんですけど、右から左、上から下に振れて変わることがあるので。そういうことをしっかり決断できるような政治家を目指していきたいと思います。

 

●最近の政治トピックス

 

[先ほど検診の話がありましたが、国光さんが受ける検診はどういうのですか?]― 検診は大きくふたつあって、ガン検診とガン以外のいろんなメタボ検診、血圧や血糖、尿酸がどうなっているかとか、ふたつあります。意外と検診を受けてらっしゃる率は低いんですよね。[日本は特に低いと言いますよね]― そうなんです。何パーセントぐらいだと思いますか?[20から30]― それに近い感じで。日本って検診を受ける率が低いということで。さっき美和さんがおっしゃった、受けて結果を見るのが恐いとか、忙しくて行く時間が無かったとかいう理由が大きいんですけれど。[忙しいというのは嘘だと思いますね。嫌なんだと思いますね。だって、2,3時間で出来ちゃうじゃないですか]― 何とか受けてもらえるといいなと思って、一生懸命に取り組みをしています。[先生はガンとガン以外のをやっているということですか]― ガン検診と普通の健康診断、メタボ検診とか両方を。[国会議員はどうやって検診を受けているんですか?]― みなさん、働いていらっしゃる方は職場に検診カーが来て下さったり、職場で提携している医療機関があると思うんですけど、国会に検診車が来てくれるんですよ。私もつい一か月前に受けたばっかりなんですけど。国会議員でも全員受けないので、全員受けてくれるようにPRしたいところなんですけど。特に女性のガンの検診が45パーセントぐらいしか受診率がないんですね。乳がん、子宮ガンですね。身近な例で言うと、小林真央ちゃんが乳ガンでお亡くなりになったり。あの後、少し受診率が伸びたんですけど。目標は50パーセントに上げたいところなんですが、まだ40パーセント前半だったりして。[すごく嫌ですよ、いつも泣きながらやっていますよ]― 結構、乳がん検診はマンモグラフィーと言ってね、押さえつけたら痛いと。[おっぱいがおせんべいみたいになって]― 最近、あんまり痛くない技術が出来てきたんですよ。なるべく患者さんにとって優しい医療機器を開発するというのも一生懸命取り組んでいるんですけど。マンモグラフィーって泣きそうになるぐらい痛いというイメージがあると思うんですけど、最近ね、だんだん痛くなくなってきているんですね。[肉体の痛みよりも精神の痛みの方が辛いです]― 実際にガンになっちゃうと、その後がね。遅く見つかっちゃうと、末期なっちゃって、小林真央ちゃんみたいな例もねあるので。何んとか早めに見つけて早めに治療できるような。特に乳がんと言う病気は早く見つけたら亡くなる病気じゃないと言われているんですよ、今の医学では。ガンの治療は進歩していて、早く見つけたら大丈夫な病気、筆頭株が乳がんで。[それは嬉しい話ですよ]― うちの母もつい半年前に乳がんが見つかったんですけど、早期だったのでもう放射線治療でなんとかという感じで。[この間病院に行って聞いたんですけど、これからは日本人の女性でも乳がんは6人にひとりなる病気だそうで。アメリカは6人にひとり必ずなる病気だそうです]― そうですね。[今、医療制度改革をやられているということですが、具体的なものを何かお話頂けますか]― さっきのガン検診の受診率の向上とか、あとは自分が政治家を志した原点と言うか、医師不足対策。医師がトータルの数として少ないというよりは、東京では非常に多くて。例えば東京都港区が一番多くて、人工あたりの指数が非常に多くて。逆に秋田とか、私の地元の茨城とかはワースト1,2ぐらいの。人口当たりですよ、人口で割り算して、非常に格差があるのが一番の問題なので。これをなるべく人口当たり、どの診療科もどこに住んでらっしゃっても病院にアクセス出来るという風な形でお医者さんの数をなんとか均等なものにしていきたいと。[地方格差ってそんな所に出ていたんですね。なかなか表には出てこない話だと思うんですけど]― そうなんですね。[お医者さんの友達いるんですけど、みなさんアルバイトでいろんな所を転々とされている人が多いじゃないですか。私なんか見ると、A病院のA先生がそこにいるという意識があったんですけど、そうではなくて、B病院にも行ってらっしゃる。そういうのが多くて結構驚いたんですけど]― 大学に属しながらいろんな病院に派遣されて、A病院に行って大学に帰って、その後B病院に行ってというパターンもありますし。複数の病院をローテーションされるドクターがいらっしゃいます。[格差というのはどうやったら無くなるんですか?先生も人の子じゃないですか。私は東京で働きたいと言ったらそれで終わっちゃう、一極集中じゃないですか。それをどうやって均等にしていくのでしょうか]― それはなかなか本当に難しい問題なんですが。それで半世紀以上、格差が無くならないままになっているんですけれど。私としては何とかですね、今、医師ってどこで勤務しても自由になっているんですが、医者を一人育てるのにかなりの税金が投入されているんですね。1億円近いお金がかかったりしているんです、医学教育に。[一人あたりですか?]― そうです。国民の命を預かる立場のプロフェッショナル、専門職なので、なるべく医師不足地域に。ずっと行ってというとなかなか辛いところがあるでしょうから。例えば港区にキャリアがある方でも1年ぐらいはどこかの離島に行かれて医師として働かれて戻ってくる。ローテーション的なスピンをいろいろ作って、瞬間風速で見たらどの地域でも不足なくお医者さんがいるよねという風な形がいいなと思っています。[なかなか、離島で同じ先生がいるというのは理想的にはそうですけど、なかなか難しい]― ドクターコトーみたいなね。いらっしゃればいいんですけど。[現実は無理と言うことですね]― いらっしゃるはいらっしゃるんですが、数はやっぱりそうですね。ご結婚されてお子様が出来て、一番よく言われるのが子どもさんの教育で、やっぱり都会の方に戻りたいとか、行きたいという要望が出る場合をたくさん見聞きしてきたので。そういうところを補い合えるような、現実的に医師不足に地域に定期的にお医者さんがローテーションでも行って頂けるような仕組みを作っていきたいと思って今、一生懸命に頑張っています。[永田町でそういうことを発信していて、政府与党の反応というか。国光さんは役人でもあったわけなんですけど、どうですか?国会議員になってからそういう事を発言していくとどうですか?]― 各国会議員さんも北は北海道、南は沖縄まで、お医者さんがいなくて困るという課題を地元から頂くことがほとんどなので。東京や一部に地域以外は。総論は本当に賛成して頂けます。あとは現実的に、学校の先生だったら公務員じゃないですか。僻地の田舎の学校に赴任してと県の教育委員会から言われたらそれは業務命令として行かなきゃいけないですよね。お医者さんは公務員じゃないから命令が出来ないんですよ。基本的には国光という医師が医師不足の地域で働くということに関して、命令として行かせるということがなかなか出来ない。だから今、お願いベースなんです。お願いベースで医師の善意と、ちょっとテクニカルな話なんですけどお医者さんに奨学金を出して、学習資金をあげるから卒業して9年間は医師不足地域に勤務してね、そういう風なそんな条件付きな感じで医師不足対策をしているんですが。上手くいくレベルまで行っていないんですよ。[プライドが高い方が多いから(笑)俺はここじゃないとだめだとか、こだわりがきっとあるでしょうから(笑)]― 熱い方が多いんですけど、プロフェッショナルな人が多いから。(笑)そこをでも何とか、合意形成を図って、結果的には国民の皆さんが困らない、お産難民にならない、介護難民にならない、そういう社会にしたいと思っていますね。[医療の現場にもいらっしゃって、役所にもいらっしゃって、全部代弁してくれますね。お願いします!]― ありがとうございます。[頼もしいです、なかなかこういう方はいらっしゃらないです。本当に現場を知っていて厚労省で苦労されて]― 頑張っていきたいと思います。

 

●今だから言えるあの日のあの出来事

 

この番組をご覧になっている方の中にも、将来政治を志している方もいらっしゃると思うんです。私もそういう一人だったので。親は政治家でもないし、普通のサラリーマン。特に二世、三世でもないんですけれども、今何とか働かせて頂いているんですが。きっかけをどうすればいいか、よくお尋ねに来られる方がいらっしゃるんです。よく紹介している話で、裏話なんですけど。私はお医者さんをやった後に厚労省に勤めていたんですが、その時にちょうど民主党政権なって。震災の頃、本当にこれでいいのかこの国は、と思う事が非常に多かったんです。この国を憂いた時期がありまして、そこが今に至る原点なんですけど。私は今、自民党の議員なんですが、当時野党だった自民党が、野党だから誰も人が寄り付かないんですよ。[人と言うのは、役人が行かないということですね]― 役人も全然行かないですね。[野党と言うのはそうなんですね]― そうなっちゃいますね。私はそれは良くないと思うんですけど、日本はそういうような与党が強い国になってしまっているんですが。当時、国家公務員だったにもかかわらず、野党である自民党さんに政策や政治を勉強させてほしいと門をたたいて。当時野党だった自民党が社会人向けに政治大学院というのを開講していたんですね。言っても、そんなに人はいないんですよ。そこに通っていたんですよ、夜な夜な。私は当時、厚労省の役人だったんですけど。[どうして通われたのですか?]― いったい政治はどうあるべきか、ということを本当に考えまして。月に1,2回ぐらいだったんですけど、夜7時から9時ぐらいまで会合をして。当時、下野されていた安倍総理が講師としていらっしゃるんですよ。[自民党は野党の時に政治塾を開いていたということですね]― ええ、今もありますけどね。今はたくさんいらっしゃっているけれど、当時の野党だった自民党で、ぜんぜん人がいないし。まさか公務員で来るのは私ぐらいしかいないわけで。「勇気あるね、君」と当時、下野されていた安倍総理に言われたぐらいで。(笑)その時に安倍総理やいろんな方のお話を伺って。その時に政治のリーダーシップや政治を歴史を含めて勉強させて頂いて、自分自身も非常に勉強になった。かつ、自分自身はそれを狙っていたわけではないんですけど、当時に私を覚えて下さった方が前回の衆議員選挙で、昔、厚労大臣をやっていた丹羽雄哉先生という方が後継がいないと。お子様もいないし、秘書も出ないし、地元の議員も誰も出られないというのがあって。その時に国光がいいんじゃないかと。[出たい方はいっぱいいたと思いますよ。目にかなった方が居なかったということだと思います]― いえいえ。[それで茨城6区なんですね]― その時は厚労省で診療報酬とか医療の仕事をやっていたんですが、突然ご連絡を頂いて。自民党本部からお電話があって。[そのお勉強会に丹羽さんがいらっしゃったことはあったんですか?]― いらっしゃったことはありました。丹羽先生は当選12回の大ベテランなので、私のごときぺいぺいは、そんなに覚えてらっしゃらないわけですけど。丹羽先生ご自身が、今後の日本は社会保障だと。しっかり出来る方がいいと。女性がいいとか、いろんな条件が合いまして、偶然かけることの十みたいな。そんな形で当然、電話がかかってきて、どうかと。[それは塾が終わってからですか?]― 民主党政権の時の政治塾が終わってからです。何を申し上げたいかというと、何のチャンスでも一期一会だと思うんです。あと、よこしまな事を考えずに、常に自分の思いに正直にいかれると、私みたいな例がいいかわかりませんが、将来のステップが上手くつかめる場合があるんじゃないかなと。[それは芸能界でもそうかもしれないし、普通の会社員でもそうかもしれないし。日常生活でもそうかもしれないですね。どこに自分とってプラスになるチャンス、道が開けるとか、幸せなものが落ちているかわからないですね]― 今、偉い方であっても、今、立場が無い方であっても、あるいは失敗されている方であっても、成功されている方でも、みなさんそれぞれ、大事にされた方が良い。そういうことかなと思っているんです。その人から学ぶこともお互いにあるだろうし、将来、どう転ぶかわからないということかなあと。自分自身が政治家としてチャンスを頂いたきっかけがそうだったので。[そういうチャンスがないと、いくらいろんな政策の事がわかっていても、芽が出ないと言ったら失礼ですけど、政治家とは縁が無かったという人がごまんといますからね]― そうですね。政治家を目指される方は多いです。私の所に一ヶ月に何人も来ます、ご相談に。素晴らしい能力、人柄の方もいらっしゃるんですけど、なかなかチャンスがないんですよね。[萩本金一さんが、お笑いをやりたいという人にやらせたくないと言うけど、まさにそれですね。代弁していいますけど。(笑)周りからおみこしに乗せてもらうというのも、大事な部分かなというのも正直言ってありますよね]― いろんな人のご縁を大事にしていくことかなと思いますね。[先ほどおっしゃってましたけど、政権与党の民主党の総理の答弁書を書いている人が政治塾に来ているわけですから。それは政治家としても、重鎮であろうともなかなかやり難いことだと思いますね]― そうですね。でも上下関係としてね、政権にお仕えする立場として意思に従いますけど、個人として、仕事と個人は別で。個人としてあるべき政策というのはこれでいいんだろうか、というのは常に思っていました。組織人としては従うけれども、これでいいんだろうかという純粋な気持ちは大切にした方がいいのかなと思ったりして。[茨城6区には、丹羽先生の後継人ということですが、今まで茨城に縁はなかったんですか?]― 茨城で医者をやっていたことがあって。茨城は医師不足、ワースト2のスーパー医師不足県で、若い頃、当直をしによく行っていまして、今の地元の病院に。[よくご存知なんですね、医療の環境を]― わかりますね。[自民党のすごさというのは、何が上手いって、候補者の立て方が上手い。必ずゆかりというか、パッと見てわからなくても、だから茨城6区なんだと後で納得できることがたくさんあるんです。さすが、人事が昨日今日じゃないなという感じがしますね。今日は楽しかったです。ありがとうございました!国光先生の趣味ってなんですか?]― いやいや。私、こう見えて武闘派なんですよ、柔道、剣道を。中学校、高校で柔道、剣道をやってまして、大学に入ってもやりたかったんだけど女子柔道部が無かった。だから残念ながら大学ではボランティアしか出来なかったんですけど。今でも好きで、柔道の試合を見たり、自分もすると、人が変わるような。(笑)[大丈夫ですか、骨折とかしちゃわないですか?日頃、運動不足だったりすると]― この間もやり過ぎてねんざしちゃったんですけど。(笑)特技は体落としです。(笑)私の頃は田村亮子さん、漫画のYAWARAちゃんの世代なんです。[文武両道ですね!同じ24時間で柔道もやって医師免許も取れるんですか!]― いやいや、心技体で、集中力で、気合だー!で。(笑)[今日はありがとうございました。どうでしたか、こういう番組は]― 本当に楽しく、ありがとうございました![これからも期待しております。きっとニュース番組などにも登場されると思うので、注目していきたいと思います]

 
 
 
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