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滋賀出身、実家は「よろず屋」さんを営み幼い頃から「三方良し」の精神が血の中まで入り込んでいる小寺議員は永田町には珍しいタイプの議員さん。

ご自身「ブックボックス」という本屋さんを営んでいたことから、取り扱っていたスーパーファミコンについては「すごく詳しい」とのことです。

農業政策に力を入れる小寺議員ですが、地元からの要望に応じてなんでも動くことが仕事だと言います。小寺議員ですと、うまくまとめてくれそう。

今も時間があると家族で経営しているコンビニ「ファミマ」でレジを打つそうです。

 

(動画より文字おこし)

自民党(滋賀4区)  1期目 2019年 10月 17日 収録時点

[私、今日初めてお会いするんですけれども、ホームページの写真よりお若いから。実際にお会いするとお若くて、私、間違えちゃったかと思って。(笑)] ― ありがとうございます。セサミ飲んでいますんで。(会場から笑い)[セサミンを飲んで歩いているんですね。さすが、近江商人。つかみが違いますね。(笑)]

●「幸せ度数年表」(クリックで拡大)

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[滋賀県生まれ、育ちということですね。三方よし、生まれた時から商売が身についていらっしゃるんですか?] ― 親父が商売をしていました。親父は養豚から精肉行から、タバコから食料品の販売、そんなことをやっていました。昔のコンビニみたいな感じです。コンビニの無い時代だったんで、よろずやというか。[ご近所の方がいっぱい買いに来るお店ですね] ― そうです。[生鮮食品から乾物まで何でもあるんですね] ― そうです。小学校の時から、店番をしていましたからね。[いらっしゃい!と] ― やっていました![それでは、選挙に出るのは何でもないことですね] ― いやいや。[会社員の家庭に育った方、公務員の家庭に育った方は、「いらっしゃい」というのが言ったことがないので出ないと言いますよね] ― 僕なんか、「毎度ありがとうございます」と言うのは何でもないです。[寝言で言っちゃうくらい。(笑)] ― はい。(笑) [そして、柔道でインターハイ出場ですね] ― 今はね、こんなに太っているんですけれど、当時は軽量級で。60キロ級で滋賀県で優勝させて頂きました。[優勝したのですか!] ― そして全国大会へ。古い話で、昭和53年、1978年に会津若松に行かせて頂きました。近畿大会では、野村選手が全国三連覇していますが、そのお師匠さんが天理高校で対戦する間柄だったので。もちろん、向こうの方が強かったですが。小学校三年生から高校三年生まで、ずっと柔道をやっていました。[柔道に明け暮れた18年だったのですね] ― そうです。今から思ったら残念でした。もっと遊んだら良かったと思いました。[大人になってからでも遊べますからね。ちょっと語弊があるかもしれませんが。(笑) そして、同志社大学に行かれたのですね] ― はい、決して同志社大学に行きたかったわけではないんです。出来れば東京に行きたかったんですけど、東京の学校に全部断られて、関西の学校しか受からなかったので。それなりに楽しくやらせてもらいました。途中、留学したこともあったし、いろんなことをして留年もして、卒業したのが25か26か。[何をされていたのですか?] ― ドイツ語がわからいないというのもありましたし、(笑) 途中、一年間アメリカに行かせてもらって。親不孝者でしたね、怒られました。[小寺議員の世代で関西の大学というと、フィーリングカップル5vs5が人気の時ですね] ― あ、知っている人がたくさん出ていました![毎日放送でしたっけ?] ― 朝日放送ちゃうかな。やすしきよしが司会してたやつ。[そう!大学生同士がカップルになって。私なんか憧れましたよ] ― 先輩が出ていましたよ。[そして、書店を開業されたのですか?] ― そうです。大学を出ると同時に、3月に大学を卒業して、その4月に本屋さんを始めました。[それはどうしてですか?] ― 留年している間が結構あって、ドイツ語の授業しか行く所がない。暇だったんですよ。おやじとしゃべっていて、商売屋だったんで、何かせなあかんやろ、何する?という話になって。乾物屋とか食料品店はいやや。何やったらするんだと言われて、本屋ならいいかな、本が好きだったんで。[ちなみに何書店さんですか?] ― ブックボックスという名前でやらせて頂きまして。結構、手広く40過ぎまでやっていたんです。イメージ的には普通の町の本屋さんというよりは、ロードサイド、郊外型みたいな。[TUTAYAみたいな感じですね] ― そう、後のTUTAYAみたいな、レンタルビデオ、ゲームソフト。それからトレーディングカードとか、CDとかDVDを販売していましたんで。団塊ジュニアの人たち、スーパーファミコン世代の人たちとめっちゃ話が合います。それとAVの草創期からずっとやってましたんで、そのあたりの女優さんから一定の時期までは。(会場、大爆笑)[初めてですよ、この番組でAVが登場したのは。画期的ですね、ある意味。それもさらりと、商品の一部として説明するために今、お話下さったのですね!] ― そうなんです。そういう取り扱いもして、わりと繁盛させてもらっていました。[今の有権者とばっちり合うじゃないですか] ― そうですね。今の国会の先生で僕と一回りぐらい年の下の方でしたら、スーパーファミコンの話はめっちゃ合います。中古のファミコンのソフトを買ったり売ったり、遊戯王のカードを売ったり買ったりとか。子供のお年玉を巻き上げていました。(会場から笑い)[地元で悪いおじさんだったんですね。(笑)] ― 正月とか来ると、ペキペキに折った五千円札を持って小学校の4年生ぐらいの子が、遊戯王の高いを買いに来おるんですよ。止めといたらどうや、言うて。[でも、そこは商人ですからね] ― 涙ながらに売りました!すみません。(会場から笑い)[さすがですね!たくましいですね、やはりね。TUTAYAとかが出てきた時に、自分のところもそうしたいと思ったのですか?] ― やっぱり複合化というか、小さな町だったので、単独では伸ばしていくのはしんどいかなと思ったんで。最初はレンタルをやって、次はゲームソフトやってCDやってみたいな感じで多角化しましてね。後は新品と中古、今はそれが主流になっているんですけど。だけど2000年を境にこういう業界もどんどん落ちて。CDなんかみじんもありませんので。[本屋さんって、ロードサイドのお店であっても、本の匂い、かびの匂い、何とも言えないですね] ― 今でもその思い入れがあってね。やっぱりネットでは本は買わないんですよ。便利だとわかっていても。赤坂に暮らして、近くの文教堂に行くようにしています。何のご縁もありませんけど、本は本屋で買わんとね。やっぱりどんどんすたれていきますので。[一ツ木通りの金松堂も明治から続いています。六代目かな。じゃあ、本のカバーを掛けられるのですか?] ― もちろん、もちろん![私、子どもの時にあれが好きで、集めて取っておきましたよ] ― レンタルビデオのパッケージのケースを作ったり、何でもやりました。アイスクリクリームをスプンですくうのも出来ますしね。カラオケ屋もやったことがありますしね。[本当にたくましいですね!逆に永田町の悠然と構える感じは物足りないんじゃないんですか?] ― いやいや。巡り巡って、今こんなことになっています。[そして結婚されて。結婚はどちらで、ご地元の方ですか?] ― 愛知県の一宮市という所から頂きまして。[奥様も一緒に手伝われて] ― 途中からは手伝わざる得なくなって、こんなはずじゃなかったと言って。[家族になると手伝わざる得なくなりますよね。そして八日市JC理事長に] ― PTAとか地域のありとあらゆることが回ってきたんで。そういうことは比較的喜んでやっていましたね。[大昔、講演に行ったことがあるんです。「たねや」さんがいるJCに] ― ばっちりです、そこJCです![本当ですか?] ― [私が行ったのは覚えてないですよね] ― たぶん、彼はもっと下なんで。彼はゆくゆく日本青年会議所の副会頭までいくんですけど。最初の理事に取り立てたのは僕が理事長の時だったんで。今は大社長になられましてね。[私は講演に呼ばれたので行ったんですけど、すごい方々がいてびっくりしました。名だたる企業の三代目、四代目の方がいらっしゃって、さすがだなあと思いました。そしてPTA会長をされて、そしてここで政治の道に。県議に初当選されるのですね。これはどうしてですか?] ― これはね、おやじの同級生の方が議会の議長をされていまして。政治の世界でありがちなんですけど、自民党で県会議員のベテランの方がおられたんです。指示する派としない派に分かれて、定数2の選挙区で自民1、民主1みたいな形だったわけですよ。今から思えば、このベテランの方を倒すために、反面の議長さんに担がれて選挙に出たら、たまたま通ってしまったという。[言うならば、自民党の内部でいろいろもめて] ― そうですね、非主流派から担ぎ出されて、落ちた人から見れば、一泡吹かせようという勢いだったのが、本当に通ってしまったという。そんなことやったと、後でわかりました。その時はわかりませんでした。[与党と野党の戦いも大変ですが、地方議会というのは内輪の戦いで、本当に根深いものがありますよね] ― それが後々まで、後を引きましたね。[引きましたか?] ― 引きました、引きました。[必ず、こちらに来て下さる県議出身の方はいろんな事があったとおっしゃいますよね] ― (笑) [それがここらへんですね。(「幸せ度数年表」の落ち込んだ所を指さし)46歳から48歳ですね。落ち込んでいますね] ― 落ち込んでいます。これがね、青春の挫折とは言いませんけど、人生最大の挫折でしたね。自分がよもや落選するとは思いもよりませんでした。[最初は落選してもいいやと出るんですが、バッチを付けた後はね] ― バッチを付けた後の落選するのはしんどいです。今でも思い出しますのは、日曜日が投票日なんで、落選した翌日が長女の高校の入学式で。[その時、お父さんは無職なんですね] ― 両親揃って行くことにしていましたから。行っても私、ボーっとしていましたけど。長男も高校2年生ぐらいでしたし、次女が小学校高学年くらいで。子供らには非常に辛い思いをさせましたね。自分自身も辛かったけど、後々家内に言われましたけど、家族に迷惑をかけるなと、厳しく言われました。と言いつつ、次も落選するんですけど。[全部で何回落選したんですか?] ― 二回です。立て続けに。落選中に市町村が合併したんですよ。八日市市が合併して1市6町で東近江市という町になって、古い市長さんが辞められる時に、平成21年なんですけど。ちょうど10年前。いつも地元で言っているんですけど、あれから10年。自民党が政権を手放したのも10年前。自分が辛い時期で立て続けに選挙を失敗した時も10年前でこの市長選挙の時には長男は大学に行っていましたし。子供、全員私立だったんで。[どうやってやりくりしたんですか?] ― 必死でしたね。家内と二人で、商売はしていましたけど、春秋、学費を払うのをどうしようと思うくらい。今から思うとどうやって回したのかなと思うくらい。市長選で失敗して、4桁のお金を使って。今から思えばこれが人生の底やったかなと。[県議会に復帰した時は本当に嬉しかったというか、やれやれというか] ― 当時は民主党政権で、県議会に復帰する時も自民党は野党でしたし。滋賀県は今度参議になられた嘉田さんが県知事で、もったいない県政ということでピークの時でしたから、自民党で出る人が誰もいなかったんです。またお話が来て、家内にやってもいいかと言ったら、子どもらは絶対にやめてくれと言いましたね。家族の前で土下座しました、板の間で。でも最後、家内がね、やりたいようにやれと言ってくれて。[その時は本屋はどうしたんですか?] ― 意外と土地があったりして、事業は移管して他の方にやって頂いて、自分自身はどんどん手を引いて。商売自体はほとんどやらないような形に、当時はしていました。と言いつつ、今コンビニを経営しているんですけど。[さすがですね!商売スピリッツを忘れてはいけないと] ― 落選中は僕、ファミリーマートをやっていまして、夜勤とかその当時、ずっとやっていました。[そういうところが素晴らしいですよね!] ― 僕、今もやっていますよ。ちょっと、今のレジに付いて行きかねていますけど。[今、コンビニ大問題じゃないですか、働き方改革で] ― ほんまそうですわ。2年前の10月に当選して11月からこっちに来て。その年末年始、二日間夜勤が入っていました。正月、人がいないから。12時から朝の8時まで。初詣の人、来るでしょ。中には知った人がいるじゃないですか。先生、何してんの?人がいないからと。[これからはそうじゃないとね。昔は恥ずかしいという思いがあったかもしれないけど、逆に素晴らしいですよね] ― 当選してすぐ、スケジュール、グーグルカレンダーにチキンと書いてあるわけですよ。12月23日、24日ファミチキを必死に売らなあかんわけですよ。何百と売るんですから。[ノルマがあるんですか?] ― ノルマはないですけど、予約もあって、何時に何パックを何個と来るから。その二日間は朝から晩まで、厨房で永遠にファミチキを揚げているんです。[本当ですか?それ作っていませんか?秘書さん] ― 「その通りです」(秘書さん) 「グーグル見てびっくりです。クリスマスの帯で取ってあったんで、家族と過ごすのかと勘違いしていました。事情聴いてビックリしました」[たいしたもんですいね!現代版、二宮金次郎みたいですよ。それは誇れることですよ] ― 別に恥ずかしいとか、恥ずかしくないじゃなくて、根っから、生まれてからこのペースですんで。[私が恥ずかしいとか言ったのは間違えた捉え方なんですよ、その通りなんですよ。素晴らしい!] ― 特にうちの店は店の立地が独特の地域でありましてね。いわゆる派遣労働者の方々がまわりに住んでおられたり、県営住宅とかいろいろあって、母子家庭の方とか、こういう仕事をしていると出会う事のない方々と日常、触れ合える環境におりますので。社会の実態とか実情というのが誰よりも、実態はこんなもんやというのがわかります。[視察に行かなくてもいいんですね。そして滋賀4区から出馬することになって。みなさん、滋賀4区覚えてますよね。武藤貴也さん、この番組にも138回に登場して頂いて。すごく武闘派と言うか、バシバシ発言されてすごく期待していたんですよ。ちょっとした金銭問題から、プライベートのことでまで言われてしまい、バッチを外して。その後に出られたのが小寺議員] ― 彼は地方議員の先生方と、よそから来たというのもあって、なかなか関係が上手いこと築けずに孤立していたわけですね。僕ともう一人甲賀市の県会議員、その方と僕が実質、彼を支えたり彼の選挙の責任者。だから初当選の時は僕が選対本部長をしていましたし、二回目の当選の時は他の先生は逃げたので、僕が総括責任者で、今言った、甲賀市の先生が選対本部長で、二人でやっていましたから。彼自身は僕に対して恩義を感じていてもらいましたし、僕は他の先生方と彼のためにどうしてやるかなと考える役割でずっときてましたんで。ツイッターで炎上した時は、みんな気を付けなあかんぞ、いろんな発言をするならという話だったんですけど。それから二週間ぐらい後、盆明けくらいだったと思いますけど、息子と二人で焼き肉を食べている時に京都新聞の記者さんから電話がかかってきて。先生ご存知ですか。明日、武藤さん週刊文春にごっつい出るらしいですよと。そっからですよ。そっから次々出て、あれよあれよ言う間に。私はその時に、離党するなと。離党すると選挙区と我々の縁が切れるから、東京には東京の事情があるけど、離党だけはやめとけと。さんざん言ったんですけど、当時の谷垣幹事長に言われて、東京の方で離党会見をされたんで。そこから地元の人たちと疎遠になったし、本人も離党してから表に出て来なくなったんで、それから困ったなあという話になったんですね。[武藤議員は辞職されたんでしたか?] ― いや、彼の場合は北海道出身で滋賀とは縁もゆかりもない中で、当時の県会議員が8名ほど集まってどうする、この後と。衆議院はいつ解散するかわからないから、支部長を早急に決めなきゃならないだろと話でいろいろ話した中で、じゃあおまえ行けと。僕ですか?みたいな。[そういう時に落下傘だから地元でかばってくれないというのが、落下傘で。落下傘じゃなくても人それぞれで。何期目かでしたからね、これからという時で] ― 二期目で当時30代。今でも40過ぎですから。[今は何をされているんですか?] ― この春に県会議員の選挙に一度出たりして、無所属で。落選したんですけど。今は滋賀県から東京の方に帰っていると噂を聞いていますけど。[またくマスコミって恐ろしいですね、話題にもならないと言うか。永田町って出世するスパンも非常に短いですけれども、坂を転げ落ちるのも早い。恐ろしい所ですね] ― 恐ろしい所です。ほんまにそう思います。[まさかの自分の出馬、という感じになったわけですね] ― なりましたね、ビックリしました。[武藤さん、若いしね。これからを期待されていた。こう言っては失礼ですけど、当分空くわけがないというポストですからね。盤石だと思ってましたからね] ― そうです。今後30年は彼がいるんだから、性格がどうとか、態度がどうとか言ったって、彼を育てて彼を通じて我々が地域の望むようなことを実現していこうという形で僕らは支えていたんですよ。[何があるか、わからないですね!] ― わからないです。よもや、こんな年でこんな所に来るとは思いもよりませんでした。[それでまたね、ファミチキを揚げて。あれは自分で揚げるんですね] ― そうです。美味しいですよ。(笑) [みなさんもよく、食べてらっしゃるんじゃないんですか。クリスマスはぜひ、ファミチキを。(笑)]

 

●最近の政治トピックス

 

[県会議員から国会議員になり、今もファミリーマートで汗をかいているという小寺議員の政策というのは] ― ここで言うとリアリティーがないんですけど。田舎にこだわっていますので、地方にこだわって。地方がどうしたら良くなるかを一番テーマに思っています。289選挙区があって、代議士は選挙区を代表して出て来るので、自分の選挙区のことを誰よりも思い、そこの人たちの願いや希望を叶えてあげるというのが今の自分の役割かなと思って。そのことに全力で取り組んでいます。具体的には大きな政策でいうと、農業分野に関心があって、地域の農業をどうするか。東北や北海道は米中心の農業をしている。西日本に行けば行くほど、野菜とか畜産、牛とかね。その間の我々の所は非常に中途半端な地域と言いますか、農業で飯を食っていないんだけど、農業がなくなると地域が崩壊しますんで。農業が儲からない地域で、みんなで寄り合ってやっている農業の地域をどう守って、次の世代に渡すのかということが、自分自身の最大のテーマです。[バッチを付けた人が農業は大事だから継続してや、と言っても農業をやっている人は無理だよ、健康的にも経済的にも無理だよ、と言った場合にさてどうするかですよね] ― 基本的には規模を拡大して競争力を付けようとか。米の消費がどんどん減ってますから、米ではない野菜とか他の作物を作って収入を取ってトータル収支を合わせて、何とか次の世代にわかり易い形で、これからの時代ですのでITを使って、一定の技術でスマート農業のような形で。水の管理とかトラクターも全部自動で動いてそれに適した圃場にしましょうと、そういうことをこれから取り組んだりするんですけど。そういう形で近代化した農業を地方でもやって、次の世代に儲かる形で引き継いでもらおうと。[それは国から資金を投入しないと頂かないと無理な話ですね] ― そうなんです。そういう方面で多額の予算がいりますので。僕なんか商売人ですから、商売の関係の方から言うと、金利の減免とか制度融資とかがあっても、何かを建てる時、何かが壊れた時に国が補助金をくれたり、そうした支援は無いわけです。でも農業はビニールハウスが壊れたり何かあった時は全部、国が面倒をみてくれるんで、一般の方からすればなんや、農業だけという声が、圧力が強いので。その辺をどう理解してもらうのか。農家の方々には頼るだけじゃなくて自立した形で自分たちがしっかり稼げるように取り組んでいかなあきませんよと、いつも重ねて言っています。[そうは言っても、都市集中型とか今の家族の在り方から言っても、なかなかこれから農業が飛躍するとは言い難いですからね] ― だけどこれは林業も一緒なんですけど、人口は世界では増えていますからカロリーベース37とか38とかの食料自給率ですけど。自分たちの食べる物は自分たちが作った物できちんとある程度まかないきれるという形でなければ、いずれ将来は足りない、輸入が出来ない日が必ず来ます。[どうなっちゃうんでしょうか。それはずっと言われている話じゃないですか日本は] ― その時にもう一遍、米を作り直すかといっても、一定の基盤は守っておかないと、その時になって急にと言うのは出来ませんので。一定の規模をどう維持しながら継続させるかということを考えていかないといけないんじゃないかと思っています。[根本的なことも考えなきゃいけませんが、今、災害とかいろんなことが起きてくるから] ― 今日も午前中、太田主計局長のところに三連発で要望に行ってきたんですけど。今日は気象庁からの要望に幹事長から行って来いと言われて、行ってきました。観測船が80億円もするんですけど、これを作り直さないといけない。気象庁の予算は二百数十億しかないんですね。昨今の台風でも、台風のコースを予測する、本来ならこっちに来るのにあっちに行くというのは、水の温度を測らないとわからない。観測船を出して海中の温度を観測することによって地風の進路を予測する。その予算がありませんという話です。[それは来年の予算に反映するということですね。そういう陳情と言はなくて、何というのですか?] ― 要望です。[そうですね、議員さんですから要望ですね。要望とか、上手そうですね。商売をやってらっしゃるから、何てことはないですよね] ― いやー、相手が賢い。[言いくるめられちゃう?] ― 聞いたら、ああそうやな、と思ってしまう。[私は、永田町の超エリートに商売人の方が勝つと思います] ― いやー、(笑) [手練手管と言うんですか、それは上手いと思います] ― 僕は直ぐに官僚の話に、なるほど!と。(笑) [でもその素直さが、これは小寺議員のためにいっちょ脱いでやるかと、気風のいい役人がいればいいんですけどね] ― でもね、結局どこでも一緒。義理と人情、日ごろの付き合い。[義理と人情、日ごろの付き合い、そうですね、わかりますよ!] ― 二階幹事長が言うてはりますんで、GNPと。[Gは義理、Nは人情、Pは何でしょう?] ― プレゼント!(笑) [さすが二階さんです。昔、二階幹事長にインタビューに行ったら、秘書さんが出て来て、「二階は口下手なんでしゃべらせないで下さい」と。(笑) 政治家でそういう方もいるんだと微笑ましく思いました。確かにそうですよね。不断はそうですよね、ちょっと手土産を持って来てくれたとか、物じゃなくても自分のことを気にかけてくれだなという気持ちってあるなすよね] ― あります、あります。そういう心づかいを我々、二階さんに見習わなあかんなと感じます。別にあちこちに物を持って行くわけじゃないですよ。[わかりますよ、ちょっともらったんだけど食べない?という気持ちですよね。永田町のトップと接していても、そういう思いうが常にあるんですね] ― あります。どこに行っても変わらんなというのはすごく思いますね。僕なんか農林系なので、米とかを送ってきたら、地元で採れた米なんです、食べて下さいと配るんです。[すごいですね、小寺議員はどこに行っても生活出来ますね] ― 本当に?(笑) [全く知らない所に行っても、生きていけると思いますね] ― そうでしょうか。[最後まで生き残る方だと思います]

 

●今だから言えるあの日のあの出来事

 

[裏話的なことをお話頂いているんですが、たくさんあるんじゃないんですか?] ― これはインターネットで放送されるんでしたっけ? [そうです!] ― 家の家内が見るかどうかで、話の内容が。(会場、大爆笑)[大丈夫ですよ、たぶんご覧にならないと思います] ― 「みわちゃんねる」に出るというのは、家はグーグルカレンダーを家族も共有していますので、家内からは当然のようにしょうもないことを言うなとか、いらんことを言うなというラインは来たんです。[グーグルカレンダーというのは家族で共有されているんですか?] ― もともと事務所で共有してたんですけど。今までは滋賀県でうろうろしていたんで、今どこ?とか、今日ごはん食べるのみたいなのがあっても、今どこやと言うてられるんですけど、東京にいて同じように何してる?みたいなのが来るんで、勘弁してくれと。地元を回っていても、今日メシ食うんかとかいろいろ来るんで。もうメシは食わないということにしてありますんで。[今日来て下さっている皆さんのお家と一緒ですね。(笑)] ― (会場から笑い)それで別に隠し立てすることもないんで、秘書も一緒ですから。嘘をつこうと思ったら、違うスケジュールを入れたらいいだけなんで。[本当にまずいことをしている議員ってこういうことは絶対に言わないです。(笑)] ― 今だから言えるというのは、アメリカへね、交換留学でミシガン州に行かせて頂いたことがあって。[何年ぐらいですか?] ― 一年だけです。良い思い出がたくさんありましてね、女性ともそれなりに。[若い時ですよね] ― 23,4ぐらいの時に。1983~4年にかけて。こんなこと言ったらあれですけどね、ずいぶんモテたんですよ、これが! [わかりますよ!] ― 背の高い女の子に好かれて。176センチぐらいの身長の女の子に肩からおぶさるようにされて。[何と呼ばれていたのですか?] ― ヒロ!と呼ばれていました。結婚するぐらいの勢いでしたね、当時は。[ジェニーさんですか?] ― スージーでしたね。(会場、笑い)スザンヌ・プティーさん。恋愛していましたね~。 [いい時代でしたね。(笑)] ― 良い時代でしたね。そして姉妹都市というのがずっと続いていまして、10月29日くらいに、その時のことを知っている、私のアメリカの母と言われる方が来るんです。[それではスージーの今がわかるんですね!] ― それはわかりません。 [それは楽しみですね!] ― 楽しみです。そんなことがあったと家内としゃべったこともあって。若い頃はそのことでどんだけ言われたか。[言われましたか。過去の事じゃないんですか?] ― 言われました。女の人はね、いらんことを言ったらあきませんよ、皆さん。[イラっとした時、そういうことを言いたいんですよね、女の人って。スッキリするんですよね] ― 勘弁してな。あの時どうやった、あの時あんたはこう言ゆうた、私はこれを食べたかったのにそれを食べさせてくれんへんかったとかね。それ何十年前の話や。[女性は忘れないですよね。ハンバーグを食べた瞬間にスージーのことを思っていると言われますよ。(笑)] ― それくらいかな、ほんまに。[他に何もないんですか?毒々しい事とか。でもありますよね、地元で支部長をなかなか公認してくれなかったとか] ― あー、そうです。それはね、そんなことここで言うたら、えらいことになります。[でも確執はもう取れているんじゃないんですか。バッチを付けているわけですし] ― なんで二階派に入ったかということになるんですけど。参議院議員選挙があって、当然、公認申請は出していたんですけど。きちんと支部の会議を開いてね。だけど、支部長代行だけで支部長にはなれなくて、日常の活動状況を見てからやという話で。[日常の生活を見てからだと言われるんですか?県議をやってまでも] ― 政治活動を見てからだと、支部長としての。それで参議院の選挙で活動はするんですけど、いわゆる交付金がありませんので自分の身銭を切って。[支部長じゃないと交付金が出ないんですね。そうすると生活が保障されない。事務所を借りるのもビラを作るのも自費じゃないといけない] ― 自分は県会議員をしていましたから、政務活動費は政務活動費として使わなあかんのですけれど、使える範囲でトータルで見ながらでしたけど、自分の会社での報酬とか県議の報酬をやりくりしながら、一年ぐらいやっていました。それはしんどかったですね。それで谷垣幹事長が自転車でこけられて、二階幹事長に代わって。夏の参議院選挙の時に小鎗隆史さんが参議院で当選されるんですが。その時に伊吹文明先生と京都、滋賀でご縁があって、それで来て頂いたときに、こんなことで困っていると言ったら、いっぺん東京に出て来いよという話で。東京に行ったらこれから幹事長のところに行こうと言って、幹事長室に連れて行って頂いたんです。二階先生がそこにおられて、みかん食え、と言って。みかん食ってたら、武田を呼べと言って。今の防災担当大臣がダーッと出て来て。[武田良太さんですね] ― 古屋先生が当時は選対委員長だったので、選対委員長いるやろ、ちょっと紹介して来いと言って。武田先生と選対委員長室でご挨拶をしたら、武田先生がちょっと待っとけと言って。二ヶ月ぐらい経ったら電話がかかってきて、上京して来いと言ったら、すべてが整っていました。支部長にならせて頂いてお礼のご挨拶に行ったら、伊吹先生が、「君、わかっているやろな」と。[何がわかってるんですか?] ― 君は当選したら、うちに来るんだよと。[それは当然ですよね、それはね] ― 義理と人情ですから。わかりました、お世話になりますと。[そういうことがあったんですね。それで二階派として胸を張っているということなんですね。それは早業とというか、地元のいろんな確執を上からポンと押さえてくれたんということですね。みんな右向けよと。その方が地元のためだよ、ということをおっしゃって下さったということでしょうね] ― おかげで、今は楽しくやらせて頂いています。[自民党の昔の一面というか、いい意味の一面ですね。だってずっと決まらない場合もあるじゃないですか。ずっと確執だけ大きくなってしまうことも。それは素晴らしいですね!] ― われわれ若手を先輩方は可愛がって下さって、いろんなことを教えて下さいますし。今すぐ、集合!と言って、30分以内に誰がそこに早く行くかという。[早く行かないといけないんですか?(笑)] ― 防災訓練みたいな。[伊吹さんなんかは、自民党では派閥では、座布団の座り方の位置を教えるところだと。やはり本当なんですね] ― 本当です。挨拶の仕方から、振る舞いと言うか、態度と言うか。[高校生や社会人になってすぐの方に言う話ではなく、社会人としてご立派な方に教えるというのは、どういうことなのですかね] ― 一つはね、僕は気は若いんですけど人生経験は重ねていますから、来年60ですからね。先輩方で、30から40で当選三回という方がたくさんおいでになる。経歴も立派だし、頭もいいし弁も立つけれど、社会的な常識として、こういうことはどうやろなと、我々が見ても感じるところはりますので。そういう方々含めて、われわれにも伊吹先生とか二階幹事長はそういう面をきちんと指導されています。[小寺議員にはそんなに教えることはないと思うんですけど、政治しか知らなくて、それがコンプレックスだという若手の方、結構いらっしゃいますものね] ― 今の若い先生方は社会経験の少なさとか、この世界ではプロですけど、一般で本当に10万円、20万円稼ぐのがね、どんなに大変なのかおわかりの方がどれくらいいるかのというのが、やっぱり。それは与野党問わず、経験が無いということはそういうことだと思います。[小寺議員のファミリーマートで働かしてもいいですね、研修会で。(笑)] ― それは厳しいですよ。[(笑) どういうところが厳しいんですか?] ― それは、給料が出ませんので。(笑) [掃除系がうるさいんですか?声出しがうるさいんですか?] ― そういうのは意外と適当なんで。(笑) わりと接客はちゃんとせんと、というのはありますよね。[マニュアルというのは全部決まっているんじゃないんですか?] ― ありますけどね、読んでる人いませんね。人が足りませんのでね。来たらすぐ、働いてもわんと。[教えている暇はないよと] ― もう、オン・ザ・ジョブです。[次回の「みわちゃんねる」に、二階派の議員さんを紹介して下さいましたが、派閥の話をずっとされていましたものね。そういういきさつがあるから、派閥あっての自分というのがあるんでしょうね] ― 非常に勉強できる、多種多様な、いろんな方がおられて。いい派閥ですよ、他の派閥のことを知らんので申し訳ないんですけど。一番いいちゃうかなと思っていますけど。[一時期はね、自民党が野党時代とかその前とか、派閥政治が批判された時もありましたけどね。それで違う面に行ってしまって。座布団の座る位置も必要なんじゃないか、それも道徳なんじゃないかという運気というのも今非常にありますものね] ― 永田町のお作法を勉強させてもらっています。[それは重要ですね。テレビ業界にはテレビ業界の作法というのがありますしね] ― そうですね、それは本当に思います。[お若いからビックリしました] ― セサミンのおかげで。(笑) [ポスターとかホームページより実物の方が全然若いです] ― そのギャップを狙っているわけではないんですけれど。(笑) [今年もファミチキを売って下さい] ― 頑張ります! [クリスマスになったら思い出します] ― 暮れに選挙がないことを願っています。(会場、笑い)[大丈夫だと思いますけど。ありがとうございました!]

 
 
 
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    2019年07月11日 放送
    無題
    自民党 吉川 有美 参議院議員

    「忍者になりたかった」と本気で語る吉川議員は三重出身で、忍者議連に所属しています。 大学生の頃から環境問題に目覚め民間会社に就職。 その後、三井住友銀行に入行しその経験を生かし、中小零細企業の支援策に全力で取り組む毎日で […]

     
     
  • 第227回
    2019年04月25日 放送
    無題
    自民党 太田 房江 参議院議員

    「ノックととおるのはざまで」を出版された 太田房江さん。 そのタイトルはもちろん、初の女性府知事だった太田氏の前は横山ノック氏で、その後は橋下徹さんだったからです。 著書では、今まであまり公にされていなかった 「最初の結 […]

     
     
  • 第226回
    2019年02月01日 放送
    無題
    自民党 北村 経夫 参議院議員

    元産経新聞政治部最年少部長から国会議員の転身。 記者時代は小沢一郎氏の番記者を二年間務めました。 明治生まれだったおばあ様は宗教の教祖で、さまざまな信者さんが出入りをしていた家だったとか。   「第二の開国」と […]

     
     
  • 第225回
    2019年01月18日 放送
    無題
    自民党 井原 巧 参議院議員

    愛媛県会議員と四国中央市長時代を合わせて、なんと!5回も無投票選挙で当選の経験を持ちます。 市長時代は三セクの社長となり、地元のお茶を使って仕上げる銘菓「霧の森大福」を売り出しました。 銘菓は大ヒットとなり、財政を立て直 […]

     
     
  • 第224回
    2018年12月26日 放送
    sakai
    自民党 酒井 庸行 参議院議員

      押し出しの強い議員さんの世界にあって、控えめな中にも優しさが溢れでる酒井議員。 内閣府・政務官時代の話、日本経済の話、今までの選挙の話。 日本大学芸術学部出身の酒井議員は、実は舞台監督などの芸術家志望でした […]

     
     
  • 第223回
    2018年11月08日 放送
    鈴木バスト
    自民党 鈴木 淳司 衆議院議員

     鈴木議員は瀬戸市議会議員から国政に。議員経験27年のベテランです。前回の選挙、地元の愛知7の選挙区では山尾志桜里氏に834票で惜しくも敗れましたが、比例当選でバッジをつけました。 経済産業副大臣の経験から、中小企業の問 […]