次回のお客様
第228回
2019年07月01日 放送予定
g7013040
自民党
二之湯 武史
参議院議員
最新インタビュー
無題
第227回
2019年04月25日 放送
自民党 太田 房江 参議院議員

「ノックととおるのはざまで」を出版された
太田房江さん。
そのタイトルはもちろん、初の女性府知事だった太田氏の前は横山ノック氏で、その後は橋下徹さんだったからです。
著書では、今まであまり公にされていなかった
「最初の結婚」話なども。
インタビューでは「東大卒、三井物産の同級生。
こりゃええわ〜」と当時のことを大阪のおばちゃんならではのトークで振り返ります(笑)

 

(動画より文字おこし)

自民党(全国比例区) 1期目 2019年 1月 23日 収録時点

[ご無沙汰しております。「みわちゃんねる」二回目のご出演ということで。前回は2014年7月16日です] ― ついに今年は決戦の時がまいりまして、久しぶりに張り切っております。[7月ですね。今年は選挙イヤーということで、統一地方選が始まっておりまして。その後にいよいよ参議院選ということで。選挙区が変わられたということで] ― 今までは全国比例区ということで。前回は全国区だったんですけど、ふるさとに戻ると言いますか、府知事をやった場所である大阪選挙区から、頑張ります![逆に大阪選挙区じゃなかったという方が、あれっという感じがあるんですけど。全国比例区だったんですね] ― 一時期、民間企業に勤めておりましたので、実は政治家に5年ぶりに戻っているんで。大阪選挙区から出たかった気持ちは、その時も正直あったんですけれど。[2013年の時ですね] ― 現職は常にいろんな情報を持って動けますけれど、2013年の選挙の時は戦略も無く。(笑)[民間企業にいらしたのが2008年から2013年、会社さんにいらっしゃったということですね] ― ですから政治的な発言も出来ませんし、政治的な動きもコンプライアンスとかいろいろございますので難しかったので。全国比例区から出られたことでさえ、奇跡だなと本当に思っています。[大阪選挙区から出られるということは、議員さんからアプローチがあったのですか?] ― 私は清和政策研究会という派閥に属しているんですけど、一番人数が多い大きな派閥ですけれど。[どなたか一番偉いんですか?] ― 一番偉いのは総理です。(笑) 今、細田先生が会長ということで、細田派ということになります。参議院議員もたいへん多くて、その参議院議員だけで清風会、清い風の会というのを作っていますが。そのトップが世耕経済産業大臣なので、私はそのもとで自分の意思を伝えさせて頂いて。今度、2019年の選挙は何とか大阪で戦いたいという意思を伝えた上で、いろいろな中で決めて頂いたと思っています。[みなさんもね、大阪府知事の印象が大変強いと思うんですけど。太田議員というと土俵の女人禁制のイメージがね、いろんなニュースで強いと思うんですけど。(知事時代に土俵に上がることを女性ゆえに拒まれた経験)やっと大阪選挙区に戻られて] ― そういう意味では嬉しいですし、全国区だったので全国いろんな所に行ったんですけど。[お顔は知られていますものね] ― 知って頂いているのもそうですけど、何で大阪のおばちゃんがここにおんのやという感じが伝わってきて。やっぱり私は全国の方から見ると大阪のおばちゃんなんだなあって。[それはそうですよ、8年間府知事ですから] ― そういう感じが非常に強く伝わってきたんで、この際、よし!という感じで。(軽く拳を握るしぐさ)

 

●幸せ度数年表(クリックで拡大)

50979305_2221496207915568_3581976727426957312_n

 

 

 

 

 

 

 

 

[こちらのご著書なんですけど最近出版されたということで。「ノックととおるのはざまで」太田房江著。先ほど拝読させて頂きましたけれども、読んだ後にすぐに著者に会えるというのは幸せな感じですね] ― (笑)それほど言って頂くようなものではないんですけども。大阪選挙区から出るにあたって、自分の実像と言うのか、身の丈の太田房江を少しみなさんにわかって頂ければなあと思って。まあちょっと、カミングアウトとも言われていますけど。(笑) [私も知らない事が多かったのでびっくりしました] ― ありがとうございます。[みなさん、ノックととおるって、どなたかわかりますか?横山ノックさんと橋下徹さんの間の府知事だったということで、このタイトル。ノックさんも強烈でしたよね] ― ノックさん、強烈でした。[みなさん、タレントの頃のノックさんからご存知だと思うんですけど。私、20代の時にパリのお城付きのゴルフ場に行ったことがあるんですよ。そうしたらいきなりノックさんが出てきて、視察でいらっしゃって。ビックリしました。(笑)パリでノックさん!組み合わせが凄いですよね] ― たぶんね、関西国際空港の二期工事をやっていたんで、シャルルドゴール空港を視察に行かれたんじゃないかと思うんですけど。そうですか!パリでノック![パリの古城でいきなりノックさんが出てきたという。では、新しいご本を元に幸せ度数年表をいってみたいと思います。これ実は2014年に出演して頂いた時のままの幸せ度数年表を使いたいと思います。そしてこの新しいご本にもとづいてお話を聞いていきたいと思います。みなさんですね、府知事をやられていたということで、凄いお家に生まれたと絶対に思うでしょ。普通のお家に生まれたんですよね。本当ですか?] ― 普通、普通。[本当ですか!?] ― 本当ですよ!この本に書いてある![お父様は国鉄マン] ― 父が国鉄の職員で夫が町工場を。夫の父、義父はもともと大阪府役所の職員、それから脱サラをして町工場をはじめた人なんですね。[お父様、国鉄マンだったので薄給だったと書いてあったんですけど] ― ものすごく薄給だったんですよ。転勤も多くて。今はJRすごいですよ。当時は分割民営化される前ですからね。組合が強いし、職員数がたくさんいたせいですかね。私は父親の口座を見て、こんな中で育ててくれたんだなあって。今も思いだすと涙が出てきますね。[普通のお家に育ったということなんですけど、なんと京大に落ちて東大行くという。それ、すごいですよね!] ― 大阪府知事になった時に秘書課にその同じ時の京大の試験に受かった人がいっぱいいまして、あんな易しい試験、なんで落ちたの?と言われましたけど。(笑) [トップは太田府知事で、それを支える秘書の方が京大に受かった方で] ― ええ、それで結構、打ち解けました。[その年代の数学が難しかったんですね] ― そうですね、私にはね。他の人に聞いたら全然、易しかったと。[それで東大に行かれて、ボーイフレンドができて、それによって学部も変えたという] ― はい、何でも男性で決めてきた人生なんです。私ね、こう見えても。(笑)[そう見えますか!?鉄の女という感じですよね。それが意外と私たちとみなさんと同じで、目先の人間関係で変わってしまったという] ― 法学部に行こうか、経済学部に行こうか迷ったんですけど。経済学部にボーフレンドがいたので、経済学部に行っちゃった。それですぐ、フラれちゃったんですよね。並んで授業を受けたいなあと思ったんですけど、すぐフラれちゃったんで、一緒に授業を受けることもなく。だから国家公務員試験に受かったのかもしれないですね。[そして通産省に入られる。入った時に女性は少なかったんですか?] ― ほとんどいないに等しいんで。キャリアという意味で言うと、10年間女性がいなくて、私の上は川口頼子さんというね。10年空いて私、それで今、世間をいろいろと賑わしている北海道知事を今、やっている高橋はるみさん。1975年に入っているんですが、1975年から85年の10年間にはいわゆるキャリアの女性は4人しかいない。[そこで今言われた先輩方からいろんな格言を教わってきたらしいですね] ― 当時はね、男の頭で考え、犬のように働き、レディーのごとく振る舞え。それはアメリカの女性が書いた本を翻訳した方がおられたんですけど。とにかく働けと、だけどレディーのように優雅にきちっとしろと。そして麻雀もやれ、お酒も飲め。当時はタバコものめだったかもしれないけど。でも今はダメですよ。[そういう風に言われて通産省で育ったのですね。今だったら女性対女性のパワハラですよ] ― そういうことになりうますかね。あんまりそういうことを考えたことがなかったんだけど。指導と言うよりも、私はいい意味でいろんなことを教わったなと思っているんですけど。今、それと同じことを言ったら確かにパワハラ。[お酒を飲みなさい。麻雀をしなさい、男性と同じように働きなさい、そして子供は三人産みなさい。すごいですね!] ― すごいですね![男のように考え、犬のように働き、レディーのように振る舞え。すごいですね。そういうことを言われてきたのですね] ― それがパワハラにならなかった時代なんですね。教育だったと思うんですけど。今そんなことを言ったら、誰も入る人はいないよね。[恐ろしい省庁ですね。(笑)] ― でもね、きついというよりは、気持よく働かせてもらったなと。[結構、甘やかされていたとご著書に書いてありましたが] ― 今思えば、男性に比べて甘やかされていたな、もっとしごいてもらえればもうちょっと立派になったなって、思いますね。(笑) [そうはおっしゃっても、バリバリ働いてらしたと思いますよ。謙遜されていますけど] ― 経産省も女性の職員がずいぶん増えましたけど今も聞くと、回る部署がね、そんなに劇的には変わっていないなと。例えば私は住宅産業課長をやったことはあるけれども、鉄鋼業務課長とか自動車課長とか、その当時のいわゆる花形産業の課長は望んでもたぶん、やらせてもらえなかったと思いますね。今はだいぶん変わってきましたけど、やっぱり今言ったようなポストは無理だろうなと。[そしてこの著書で明らかになったんですけど、なんと結婚を二回してらっしゃったんですね] ― そうです。[前回出演された時にはおっしゃっていなかったですね] ― そうです。今の主人とは別居しているという噂もあるんですが、ちゃんと一緒です。(笑) [大阪府知事になったのも、ご主人が大阪だったということですね、一番最初のきっかけは] ― それもおおいにあったと思います。そのご縁を頂いてから、まず大阪で勤務をした時に阪神淡路大震災、1995年の起こったんですけれども。それもやっぱり、夫が大阪なのでということでということで大阪に移って。そこでAPECが開催されて、そして大きな震災があって。私にとっては真剣に働いた時間でした。その時に大阪の経済界をはじめとしていろいろとネットワークが広がりまして。その後、一回岡山県の副知事で出たんですけど。通産省に帰ってきたとたんに、ノックさんのいわゆるセクハラ事件が起こってしまったんですね。[あの時、ノックさんはいろいろ言われていたじゃないですか。その後から議員さんたち、毛布とかあると絶対に手を出していますものね] ― そうですか。(笑) セクハラとかパワハラとか、そういうことに対する、それをきっかけというと語弊がありますけれど、新しい時代に向かって21世紀という社会が出来てきたという。[でも、ノックさんは中ではとても好かれていたという] ― 私も意外だったんですけど、ノックさんも参議院議員だったんですね。とてもよく勉強されたそうです。[二院クラブという、今で言うニューウエーブみたいな感じで、政府に対抗していこうという会でしたよね] ― はい。ノックさんはよく勉強されていて、頑張っておられたんで、充分に大阪府政をご存知だったと思うんですけど、すべて「君たちがいいなら僕はいいよ」という言葉で部下をほめて使うのが非常に上手な方だったそうです。[著書にも書いてありましたけど、お笑いをやっていたということで、人の気持ちをつかむのが上手いということですかね] ― 私が知事になって挨拶をしたら、「やっぱりお役人はあかんなあ、おもろないわ」と。(笑) ノックさんはね、壇上に上がるでしょ、マイクのコードが無いのに突っかかって転ぶ振りをする。そこでグーッとつかんでね、あーっと言った時に「みなさん、こんばんは。横山ノックです」とこうおっしゃる。私なんかはザワザワしたのをなかなかおさめられないんですけど、ノックさんはキューッと人の心をつかんで、それから重要なことをしゃべるから、聞いている人の頭に残っちゃう。[太田さんの後の知事の橋下さんも、心をつかむのが上手かったということですよね] ― 私は一緒に選挙やっていません。私が辞めて、3選目を断念した後に橋下徹さんが出て来られて、知事になられたわけですけど。最後の一週間、1月末から2月の始め、来ているんですよ、すぐそこに橋下さんが。今思うと、松井知事が府議会議員でいらしたので、そこに職員をどんどん呼んで勉強してるの。すごいなあー、と思って見ていたら、最初の日の引継ぎをやって議会から現れた時に言った言葉が、「君たちは倒産会社の就業員だ」とおっしゃっているわけね。一週間の間に勉強すべきことを勉強して自分でシナリオを作って、集約してその言葉にしたんですよね。[テレビにも出ているから、ワンワード、ワンセンテンスで人の心をつかんでしまうという] ― 一日目から人の心をつかんだと。えらい違いやなと、思いました。[太田房江さんは日本初の女性大阪府知事で、二期やられて。三期目出なかったのはどうしてなんですか?いろいろなことが言われていますけど] ― 私は参議院議員で大阪選挙区ということで、みなさんの生の声を聞いて歩いていますけど、そういう努力が足りなかったことが根本だなって。そう思いますね。私、正直に言うと、知事をやっている時はちょっと焦燥感にかられたんですよ。880万人の府民、いろんな方がいらして、いくら行っても会いきる、語り合いきるということが出来ない。朝から晩まで26ヶ所行けば、全部回れたんですけど。[朝から晩まで市役所を回って26ヶ所、それで一日が終わってしまいますよね] ― それを重荷に思っちゃった。そうじゃなくて、どんどん歩くことが私の楽しみなんだと、ならなかったことが私は根本だと思っています。[そこを真面目に考えちゃった訳ですね。副知事時代は飲み歩きで、いろんな所を回っていたという。やはりトップになると根本的に真面目な所が出ちゃうですね] ― トップになると、こっちに行ってあっちに行かないということが出来ない。だからまんべんなく回らないといけない。そうなると、秘書課に作ってもらった予定通りに回らなきゃいけないんですけど、それをやっているとノックさんみたいになると言ったら、ノックさんに申し訳ないんだけど、その通りに動いていて血圧がめちゃくちゃ上がって。それはセクハラ事件とこれは関係ないですよ。ある時職員さんが、太田知事、えらいですね、一日に26カ所も行って。正直に言うとお手洗いに行く時間もないし、昼ごはんも食べる時間もないような日程だったんですけど。それをこなしている内に、ノックさんは血圧が上がったと。それを見てきた秘書課の私たちとしては、同じことをやっている太田知事はえらいと思うけど、それを4年続けたらどうなるかというのは伝えざる得ないと言われた。でもそれが元気に変わるくらいでないと、本当の知事じゃないなと思いました。[国会でもずっと重鎮でやっている方は元気ですからね] ― よく同期で話すんですけど、国会議員ってめちゃ動き回っているんですけど、過労死ってないよねと。みんな元気ですよ。とにかく、動けば動くほど、みんな元気になっている。私はマグロ病と言っているんですけど、マグロってずーっと動いていないと死んじゃう。みんな、マグロ病。[話していればいるほど、林真理子さんにそっくりですね] ― (笑)話し方も結構似ていますね。[姉妹みたいですね!] ― 顔も似ているんですけど、若い頃、向こうから近づいて来られて、「太田さん、他人とは思えないわ」と言われて。[林真理子さんのエッセイで読んだことがありますね] ― 文春に書いてあったんですよね。時々テレビに出ていらっしゃっる話し方を聞いていると、なんか似てるなと思って。すごい方だなあと思って見ています。

 

●最近の政治トピックス

 

[2025年大阪万博開催決定、おめでとうございます!] ― 本当にね!私はパブリック・ビューイングという所にいたんですけど、あんなに差が出るとは思っていなかったです。[戦っていたのはどこでしたか?] ― アゼルバイジャンのバクーとロシアのエカテリンブルグ。[その競合に勝つとは思っていなかった?] ― 勝つとは思っていました。だけどたぶん、接戦になるだろうなと思っていて。びっくりしましたね。あれは知事や市長さんの頑張りもあるけど、総理と世耕大臣ですよ。[元府知事の功績もあるんじゃないんですか?] ― (笑) 回りましたよ、いっぱい、大使館を。夏の暑い時に何十カ所も回りました。[1970年代の活気を大阪に取り戻したいというね] ― 美和さんはご存じないと思うんですけど、前の万博の時の地域ごとのGDPを見ると、東京都大阪とほとんど並んでいます。[えー!!本当ですか?] ― 第一の都市、第二の都市、ほとんど差がない、そういう位置づけだったんです。それが、万博をやった後に大不況になったんですね。オリンピック、パラリンピックもそうですけれど、大きなイベントをやるとね、需要がそこでがーっと固まるでしょ。工事だってそれをめがけてやる訳だから、その後、パタッと止まっちゃう訳ですよ、動きが。その後にGDPがガクッと落ちちゃう訳。同じことが起こったんですよね。[オリンピックが昭和39年、大阪万博が昭和45年ですね] ― 私ももう一回比べてみようと思っていますが、オリンピックをやった後、1964年でしょ。1970年大阪万博ですから、6年しか空いていない。オリンピックをやった時は大阪の万博はもうわかっていたと思うんですね。だから打撃の受け方は大阪の方が大きかったと思います。[そうですか。その後、不況に苦しんだ訳ですね] ― 不況に苦しんで、いわゆる共産府政も誕生しました。そこで価値観がガラッと変わってしまいましたんで。[東京もその頃、美濃部さんが都政でしたね] ― 黒田府政というのがありましてね、大阪も8年間、共産党の方が知事だったんですよ。もちろんいいこともあって、福祉重視で進まれたんですけど。いわゆる公共工事とか、大型プロジェクトは姿を消したんですね。それで停滞が始まって、本社機能がどんどん東京に移るようになって。それからの脱却口が見つからない状態が20年以上続いたということかな。[だから大阪の方は東京と比べるというのはそのGTPが昔は同じやったで!というのがあるんですね] ― 昔、同じやったで、そういう気持ちが非常に強い。街の華やかさも、東京と同じぐらい華やかだったんですね。広島や西の方から見て見ているとふたつ大きなスターがあって、大阪と向こうに大きな東京があるという印象は小さい時から思っていましたね。[その大阪ですけど、昨年は地震とか水害で心を痛められたと思うんですけど。これですね。G20大阪サミット(ポスターを持つ)] ― これ実は知事の時に一回、失敗していまして。すみません!洞爺湖に行っちゃったんですけど。(笑) 今だから言ってもいいよね。[教えて下さい!] ― その時は大阪城でサミットをやろうと思っていたんです。あそこはお堀がずっと囲っていてね、警備に最適ですよ。当時の府警本部長に絶対に大阪城だと言って。そして大阪市長と一緒に頑張って、取ろうと思っていたら、京都がちょろっと横から出て来られて。(笑) 京都の歴史は大阪より古いんやと。前の戦いは応仁の乱ですから、京都とは。ぜひ、京都でと、知事がおっしゃり始めまして。こういうことをやっちゃいけませんね。関西で内輪もめをやっている内に、漁夫の利で洞爺湖が。[でも、洞爺湖サミットは成功しましたよね] ― 成功しました。今回のサミットも2025年の万博も関西がひとつになってやらないといけないなと、思いますね。[京都はそういう時にね、プライドがありますからね。(笑)] ― みんな、一緒にやりましょうね!(カメラに向かって笑いかける)[これは楽しみですね。選挙の前ですけど。選挙の直前ですね] ― これを力にするようでないと、だめですね。一生懸命やりたいと思いますし、ここでなんらかの外交問題の解決を含めて、大きな成果が出れば私たちにも風が吹くかな。(笑) [こんなにお顔が知られていて、参議院選挙で厳しいことがあるのかなと思いますけどね] ― 何をおっしゃいますか!大変なんです。[前の選挙も意外と厳しかったという風に] ― (笑) 意外とじゃないですよ。ここだけはあまり言いたくないですよ。(笑) いろんな原因があるんですけど、選挙に出ているということでさえも、前回はわかって頂けなかったんですね。今回出ますから!!(カメラに向かって大きな声で)(笑) 大阪から出ます!!これをまず、わかって頂いて、やる気あるやん、このおばちゃんと思ってもらわないと、なかなかね。みなさんご存知のように、大阪には維新の会という素晴らしい党がございまして。ちょこっと大阪を離れるとその間にいろんなことが起こってるんで、私が教えてもらいたいんですけど。1月はずっと大阪におりました。ここ2.3日、国会が始まったのでこっちにいます。大阪都構想に関する法定協議会が大変、もめているというのはネットなんかで見ているんです。たいへんなことになっているかなと。早くおさめて、大阪がひとつにならないと大阪関西万博、スタートして成功に向けて走り出さなきゃならない時ですから。ぜひ、早くおさめて頂きたいと思っております。[大阪に戻られる訳ですから、市町村20何カ所ですか?] ― 全部で43市町村。[全部回る訳ですよね] ― もう、一周はしたつもりですけれども、これからもずーっと回り続けて。10キロぐらい痩せる選挙になればいいなと。(笑) [気質はわかってらっしゃるし、半分は大阪人ですから回り易いですよね] ― でもね、知事の時代はね、テレビのニュースなんか見ますと、恐い顔でばっかり映っているんですよ。そこだけ取って一日中流されると、恐いおばちゃんになっちゃうんですね。だからね、最近、太田さん、顔変わったねと言われる。[国会議員になって自然体になられた感じがしますね。これが私よ、見てという感じがしますね] ― トップにはトップの辛さがあって、周りが全部敵に見えてくるみたいなね。そういうところがありましたけど、国会議員と言うのはいいことかどうか別として、派閥があり、党がある訳ですよね。その中で共有する場が少しずつ出来てくると、なんか自然体に戻れる時間がね、だんだん多くなってくるという気はしました。[今聞いていて、国会議員はグループとか派閥とかありますけれど、家柄の良さというのが。不思議なところなんですよね。他の社会では有り得ない、逆行した考え方ですよね] ― 私もね、経済産業省出身で、先輩で何人か国会議員がいるんですけどね、働いている間はすごい家の人とは思っていなかったのね。ところがめっちゃ名家だったのね。[普段だったら接点がないような人がたくさんいらっしゃいますからね] ― 今とても仲良くして頂いている同期の方も、大野伴睦さんの孫とかね。[前の「みわちゃんねる」で太田さんが大野伴睦さんのお孫さんを紹介して下さったんですよ。大野伴睦さんと言ったら自民党を作り上げた方で、党の駆け引きが一番上手かった方ですからね] ― タイプは全然違いますけど、やっぱりね、政治的な勘は鋭いですね。同期なので今も席が隣同士なんですね。よくいろんな事を教えて下さるの。[例えばどんなことですか?] ― 内緒だけど。(笑) 「あれは言い過ぎだ」とか「ここは気を付けろ」とか、議場でそっとね。本当に有難いです。[岐阜鳥羽駅におじいさんの銅像があるとか、家にライオンの彫像があった家なんですよ。普通じゃないんですよ] ― 普通じゃないんだけど、でも本人は本当に腰が低くて。今回の選挙でも岐阜県を何周もされています。見習わなきゃいけません。[一緒に選挙ですか?] ― 一緒に選挙です。いろいろ教えてもらいながら一生懸命に頑張っています。

 

●今だから言えるあの日のあの出来事

[前回から、太田房江さんのお話を聞かせて頂いて、女性参画というか男女平等をテーマとしてやられていますよね。今回の統一地方選でも女性の候補者がいない所があるそうですね] ― それはあると思いますね。全国に1700ぐらいの自治体がありますけれども、今でも女性議員が いない割合がかなりの自治体であるんですね。女性は平均で2割を切る議員数なんですね。これは国会も地方議員も。[安倍政権は今回、候補者男女均等法でしたっけ] ― 「政治分野における男女共同参画均等法」というのがたぶん、正しい名前だったと思います。[候補者男女均等法というのは略語なんですね] ― そう言った方が分かり易いですけどね。「均等」という言葉を入れるのがめっちゃ、大変でしたよ。[クオーター制とかいう、議員に対して女性が何人いなくちゃいけないとか、諸外国ではあるみたいですけど。日本はまだとても追いつけないですよね] ― クオーター制という言葉は、私はあんまり、口を通じて出てこないぐらいに難しさを感じてきましたね。[女性は結婚とか子育てとかいろいろなことがありますよね] ― 若い時は子育て、年をとってからは介護がありますよね。この本にも書きましたけど、不妊治療までしたんですが子供には恵まれなかった。親は大切にしなきゃなと思って、89歳の母親を介護をしているというか、施設で看て頂きながら淋しい思いをしないようにと思って心を砕いているつもりなんですが。男性の場合は例えば介護なんかでも奥さんにまかせっきりとかね、そういう人がいっぱいおられます。気持ちの上では本当に女房に悪いんだよなと言ってらっしゃるけど、女性と全然、荷重が違いますね。[この十年で国会もずいぶん変わって、妊娠して議場に行くのが誇らしいというか、うらやましというか何て言っていいかわからないんですけど] ― お腹が大きくて、自民党の前の道を歩いている姿に昔だったら驚くかもしれないですけど、議員バッチが付いていたら。今は結構、普通に。[普通と言うよりも、やや優勢なんじゃないんですか(笑)] ― 男性の皆さんもすごく優しいまなざしで、それを見ておられるという感じで。[いいことだと思うんですけど、変わりましたよね!] ― 変わった!そう言われると変わった!10年前では有り得ないことです。[バッチを付けた者、妊娠するべからず、と誰も言っていないですけど、みなさんそう思っていたと思いますね] ― そうだと思いますね。[不妊治療は林真理子さんと一緒にやられていたんですって] ― そうなんです。あそこの病院がいい、ここの病院がいいと言ってね。(笑) [あの有名な九州のセントなんとか病院?] ― え!それも書いたっけ?[いえ、書いていないです] ― 私はそこに行ったんですよ。彼女は違う所ですけれども。[九州まで交通費をかけて] ― 高校時代の友人がね、ある大学の医学部で。彼がいいよと教えてくれたから。東京でやった方が本当は良かったのに、わざわざ通ったんですね。[お友達も心配して言って下さったと思うんですけど。林真理子さんは44歳で第一子を授かって] ― 岡山県で副知事をやっていた時にテレビを付けたらワイドショーをやっていて、林真理子(44)第一子妊娠!と書いてあって。え!なんで!裏切っちゃだめじゃない!という感じだったんです。(笑) [盟友が先に妊娠してしまったという。(笑)] ― 私の勤務地が岡山だから、なかなかうまく調整が出来なくて。ちょっとね、一緒に頑張っている人が先にゴールインしちゃうとね、ちょっとね、焦っちゃうというかね。(笑) [女性同士、結婚も出産も、少し競っちゃいますからね] ― そういうことが若干あったのは事実ですね。言っちゃうと怒られちゃうかもしれないけど、あの時の画面は鮮烈に覚えていて。あー、どうしよう!と思っちゃって。それから週に3回くらいは大阪に帰るようにしたんですけど。(笑) でも結局、恵まれず。産まれなかったことが、政治家への後押しになったところがありますね。[今の44歳じゃないですから。当時の40代の不妊治療ですからね] ― 今は40代に入っても普通ですけどね。35歳ぐらいから10年ぐらいやりましたよね。辛いですよね、仕事との両立という意味ではね。今は20年ぐらいやっている人もいるでしょうし。お金はかかるは、精神的な負担は大きいは。政治家としても何とかしなきゃいけないなと、そう思います。今、出生率が1.8の希望出生率に向けて大きく動かなきゃいけない時でも、1.5をうろちょろしている訳ですよね。これを伸ばすためにはね、治療してでも子供が欲しいという方々を少し助けてあげる、支援するということが出来ないといけないんですけれど。これもさっきのクオーター制と同じように、なかなか。例えば保険でやれないだろうかとか、そういう思い切った議論がなかなかしづらい。[特にね、太田さんがいらっしゃる自民党はね、産んで当然、育てて当然と考える方がたくさんいらっしゃった党ですから。そこを内側から管轄していくのは大変ですね] ― そうですね、意識改革の一種ですから。意識改革と言うのは聞こえはいいんですけど、なかなか進まないから意識改革って言っているんですよね。

先ほども10年で景色が変わったと申し上げましたけれども、隠れてする努力はみなさん賞賛しますけれど、それを表に出してこれだけ苦労しているんだから助けてよ、というのはまだ少し弱いなって。だから我々のような女性議員がそれを先頭に立ってやらないといけないなと。若い女性がどんどん政治の世界にね、入ってきてもらえるように力を尽くさなきゃいけないなと、今、本当に思っていますし。次の選挙でもそのことをしっかり訴えていきたいと思います。[頑張って下さい。注目しています!] ― はい、有難うございます!

 
 
 
今までのお客様
  • 第226回
    2019年02月01日 放送
    無題
    自民党 北村 経夫 参議院議員

    元産経新聞政治部最年少部長から国会議員の転身。 記者時代は小沢一郎氏の番記者を二年間務めました。 明治生まれだったおばあ様は宗教の教祖で、さまざまな信者さんが出入りをしていた家だったとか。   「第二の開国」と […]

     
     
  • 第225回
    2019年01月18日 放送
    無題
    自民党 井原 巧 参議院議員

    愛媛県会議員と四国中央市長時代を合わせて、なんと!5回も無投票選挙で当選の経験を持ちます。 市長時代は三セクの社長となり、地元のお茶を使って仕上げる銘菓「霧の森大福」を売り出しました。 銘菓は大ヒットとなり、財政を立て直 […]

     
     
  • 第224回
    2018年12月26日 放送
    sakai
    自民党 酒井 庸行 参議院議員

      押し出しの強い議員さんの世界にあって、控えめな中にも優しさが溢れでる酒井議員。 内閣府・政務官時代の話、日本経済の話、今までの選挙の話。 日本大学芸術学部出身の酒井議員は、実は舞台監督などの芸術家志望でした […]

     
     
  • 第223回
    2018年11月08日 放送
    鈴木バスト
    自民党 鈴木 淳司 衆議院議員

     鈴木議員は瀬戸市議会議員から国政に。議員経験27年のベテランです。前回の選挙、地元の愛知7の選挙区では山尾志桜里氏に834票で惜しくも敗れましたが、比例当選でバッジをつけました。 経済産業副大臣の経験から、中小企業の問 […]

     
     
  • 第222回
    2018年10月03日 放送
    無題

    衆議院選挙10回を経験する、樽床議員の人生はまさにジェットコースターのよう。 落選3回、民主党代表選にも出馬し、総務大臣も歴任し、情勢により様々な政党に所属し、いまは無所属。 松下政経塾の話、一貫した政策の話、2017年 […]

     
     
  • 第221回
    2018年09月05日 放送
    無題
    無所属 本村 賢太郎 衆議院議員

    現在「無所属の会」の会派に所属するもとむら議員。 自由党から民主党、希望の党。 時の政治情勢により様々な党に所属をしましたが、もとむら議員の主義主張はどの時代も変わらずです。 そして現在は、野党を一つにするために無所属と […]

     
     
  • 第220回
    2018年07月25日 放送
    無題.png1
    立憲民主党 早稲田 ゆき 衆議院議員

    早稲田大学卒業の早稲田ゆきさん。 旧姓は「よつや」さんでしたので、「四谷行き」と言われたそうです。 大学を卒業して銀行にお勤め、結婚して家に入り家庭教師やタウン誌の記者をしていました。 そして2004年以来、鎌倉市議会議 […]

     
     
  • 第219回
    2018年06月21日 放送
    森山バスト
    立憲民主党 森山 浩行 衆議院議員

    第7回のみわちゃんねるに出演頂き、2回目の登場です。 その間5年の落選生活「長かったー」と振り返ります。 当日は弊社お取引先の「関西テレビ」、モリモリ議員にとっては 古巣の後輩にあたる方々もかけつけ、和やかなムードに包ま […]

     
     
  • 第218回
    2018年05月22日 放送
    無題
    希望の党 稲富 修二 衆議院議員

    6人の子供を抱えながら政治活動する、稲富議員。 東京大学法学部から丸紅に入社。 政治への夢が大きくなり、松下政経塾へ入塾。 初めてバッジを付けたのは激戦区だった福岡11区から。 その後現在の福岡2区となり、5年の浪人生活 […]

     
     
  • 第217回
    2018年05月03日 放送
    野田議員バスト
    民進党 野田 国義 参議院議員

    日本有数のお茶どころ八女市の市長を4期つとめ上げました。 初出馬の時は34歳という全国最年少市長だったことから「八女のクリントン」などと呼ばれました。 学生時代から、木曜クラブ(かつての自民党田中派)で砂防会館などに出入 […]