あきもと 司
ac14
第61回
2013年02月06日 放送

自民党 あきもと 司 衆議院議員

(以下、動画より文字おこし)

自民党 参議院議員 1期 その後、衆議院議員(東京第15区)1期目(2013年2月6日収録時点)

[ご無沙汰しています]―ずいぶんご無沙汰しています。[昔の「みわちゃんねる」でよく突撃取材をさせていただいて。最年少参議員だった]―懐かしいですね。[こんなに若い方がいらっしゃるんだって、当時から思っていたんですが。今回も話題の選挙区ということで。結構盛り上がりました]―全然話題だと思ってなかったんですけど。[東京15区?]―そう。突然話題の選挙区になっちゃいましたね。[選挙区で勝ったのが、柿沢未途さん。そして小沢ガールズを制して見事復活、議席を得た]―結果的には。やっぱり小選挙区頑張らないといけないので(笑)。[「落下傘」かと思ったら、地元なんですね]―そう、確かによく間違えられる。でも私の先祖代々はずっと江東区でお世話になっていて。ただ、うちの親父だけがサラリーマンで転勤族だったので、私が一緒に引っ張られて全国に行っちゃった。[もともと東京15区が地元]―秋元家発祥の地です。江戸時代から。[何をやられてた家なんですか?]―宮大工。[手先が器用?]―かもしれません(笑)。

●幸せ度数年表

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第61回あきもと司

[1971年に江東区で?]―生まれは足立区なんです。[家は代々江東区で宮大工。お父さんは何系のサラリーマン?]―「不二家」のサラリーマン。[それはおいしいですね(笑)]―私は食べたことないけど(笑)。お菓子の開発をやっていたらしいです。キャラクターを初めてお菓子にしたのが「不二家」だったらしく、ちょうど、どんどん会社が発展していく時期に社員だった。[生まれた時は(幸せ度数年表が)20%。書いて結構悩んでましたね]―要するに私の考え方は、全体を見ていただければわかるんですが、大器晩成型だと(笑)。常に上昇志向でいくので、常に今が一番いい。あとはどんどん上がるしかないというのが私の基本的な考え方なので、生まれた時はちょっとね…。[幼少時代はどんな感じ?]―親から聞くとやんちゃだったらしいです。じっとしていなかった。[政治家の秘書になったのが学生の時という異例の速さ]―たまたま縁があって。当時私は大東文化大学の学生で、学校の近くに練馬区と豊島区という選挙区があったんです。私は練馬区に住んでいたので、そこに、今は残念ながら落選されていますが、小林興起前衆議院議員の選挙があって。ちょうど2期目の選挙だったと思います。たまたま学生ベンチャーをやっていたので…。[どんなベンチャーを?]―いわゆる人材の請負業。色々な工場や工事現場にどうしても人手が欲しい、という時はガラ運びや掃除をする学生を送り込んで。いわゆる建設土木作業補助員ですね。その取引先の社長さんが、当時の小林さんの支援者だったので、「ちょっと選挙を手伝ってくれないか」と。「いいですよ」と手伝ったのがきっかけで。残念ながらその時落選されたんです、日本新党ブームで。自民党も野党になった。あの時でもう終わるのかな、と思ったんだけど、ご本人が「やる」というので、そこからお手伝いをし始めた。[最初に付いた議員さんが小林興起さんって、濃いですね(笑)]―濃いですね、今思うと。本当にエネルギッシュな方でしたから。[そして参議院初当選。32歳、最年少当選者(拍手)。当時話題でした]―全国区でしたからね。竹中平蔵さんが自民党の目玉候補でしたから、当然竹中さんがトップで。[小泉政権の中でした]―そうです、小泉政権の中だから竹中さんが参議院に出てこれたんですが、実は自民党としてはあまり勝てなかったんです。52席、負けた選挙だった。[その中でも当選された]―比例でしたからね。[全国区って大変じゃないですか?]―当時はいけいけドンドンでやりましたが、今考えるとやっぱり無謀なことをしたと。[例えば?]―現職だと色々な手があるのでしょうが、秘書からの転身なもので、秘書時代に作った人脈の中で色々な手を借りながらやっていったんですが、まず交通費も大変なんです。[党からは出ない?]―公認料は出ますが、足りない。団体推薦を頂きましたが、とてもとても団体推薦だけじゃ勝てるという時代じゃなくなったので、自分で39県にオリジナル後援会を作ったんですよ。[どうやって?]―あるきっかけで親しくなった人を訪ねて、そこから拡げていくんです。東京で色々な会合に出た時に、全国から集まった人と名刺交換をする。名刺交換した時に、「今度お宅の県に行きますよ」と言うと、「まあ、じゃあ来て下さいよ」とみんな必ず言うんです。社交辞令や、どうせ来ないだろうと思われているんですが、私は本当に行っちゃう(笑)。そうすると、本当に来たのか、という驚きから入って、「せっかく来たんだから」と始まって、そういう縁で。当時は秘書でしたから、「親分のことを宜しく」と言いながら、輪を作っていって。ある時、衆議院選挙の選挙区は地元しかないけど、この全国の輪はどうしたらいいのか、勿体ないな、という思いがあって、「よし、これは自分で活用させてもらおう」と。色々言われましたけど、出馬することになって。[もともと自分が出るから作った輪じゃなかった]―それは当然秘書ですからね。最初から自分のを作るためだったらいやらしい(笑)。親分の政治活動をしっかりと支える、という意味で縁を作っていった結果が、自分の選挙の時の後援会に化けてくれて、それを伝って一回目の選挙は成功した、と。[こういう賢い秘書さんがいると、先生もうかうかしていられないですね]―いやいや、別に寝首をかいたわけではなくて(笑)、当時参議院でしたから、本人が活躍するまで参議院からバックアップできる、と、そういう側面もあったんですよ。[そして、防衛政務官。これもまたかなり若い時期に]―そもそも政務官は与党にとって義務教育過程ですから、政務官をやって役所というものを知って、行政を肌で知る、という事ですね。当時は当選した同期の仲間が大体政務官になっていたので、その一環でならせて頂いて、しっかり行政の中に溶け込んで「なるほど」という事を自分なりに感じた、と。[(幸せ度数が)ちょっと下がっていますが?]―実は大変な時だった。私が政務官になった時は、ねじれ国会のスタートだったんです。安倍さんの一期目の内閣で入閣させてもらったんですが、一週間後、安倍さんが辞任されて…。任命した人が辞任されたのでクビなのかな、と思ったんですけど、福田内閣が引き継がれてそのまま私も残った、と。でもマインドが下がったのはそこではなくて、その時に色んな事故が起きたんです。例えば海上自衛隊の船と民間の漁船の衝突事故や、何よりもアフガニスタンに対して出していた補給支援艦の法律の期限がこの年の暮れには切れてしまう、という事があって。実はここから通年国会がスタートで、与野党ねじれをおこしていますから、その法案が通らないことで、辛い辛い政務官だったな、と。[そして双子ちゃんが誕生]―そう、いよいよ待望の子供が誕生して。男の子の双子です。[写真によると、二人ともキャラが違う感じ]―キャラが全く違う。本当に双子なのか、と思うほど違うんですが、でも双子なんですよね。(自分も含めて)家に同じ顔が三つある感じ(笑)。[そして(幸せ度数が)ガツンと下がっていますが、落選…]―参議院選挙二期目ですね。22歳からずっと突っ走ってきたので、初めて色んな事を振り返って、政治以外の事を初めてできた期間かもしれませんね。[例えば?]―大学で非常勤講師として週に一回授業を持って、大学生たちに政治学と経済学を教える、という経験をさせてもらったし、この期間、自民党も野党時代だったので、「落選中だけど野党」という非常に複雑な状況の中で色々…。[「落選の野党」ってどうしようもないですね]―どうしようもないですね(笑)。この世に存在しなくてもいい、という感じで。もう自民党は終わりだと言っていましたね、当時は。この時はマインドも下がっていますが、実は私としては色々と勉強させてもらったので、そんなにね…。確かに家族は大変、収入は落ちているし活動費は変わらない。秘書もそのまま残しましたから、自分で稼がなければならないわけです。[学生時代に培った企業魂があるから慣れたものでしょう]―いや、それは色んな会社に支えて頂いて、何とか事務所を維持できたわけです。[2013年に41歳で当選。おめでとうございます]―ありがとうございます。[よく東京15区で、縁のあるところが空いていた。それも強運ですよね]―自民党が野党になった、という事と、野党になったことで自民党も世代交代を含めて生まれ変わらなくちゃいけない、と、空席地区を全て公募にした。私がたまたま年齢が若かったこともあって、「頑張ってみないか」と。[よくあんな激戦区で]―テレビを観ると激戦区なんでしょうが、街を歩いていてもそんな感じは…。[小沢ガールズの田中美絵子さんは?]―私には前々から持論があって、小選挙区というのはどうしても党対党の闘いなんです、結果的に。だから、野党第一党として選挙をやるのに与党の候補者がいなければ闘いにならない、誰かしら民主党が出てくれないといけないな、と。[「みんなの党」じゃダメ?]―「みんなの党」じゃやっぱり駄目です。[逆に田中さんがいたことで更に良くなった?]―良くなったかどうかは別として、私としては政策を訴えやすくなった。与党を叩けますから。そういう意味では闘いやすかった。

●最近の政治トピックス

-今、問題になっているのが、いわゆる同意人事。政府委員ですよね、51人空席なんです。これはやはり民主党政権が後半失敗した、大きな注目すべき点だと思う。基本的に行政が執行されるためには政府委員がいて、政府委員が最終的に判断を下す。その政府委員が51人も空席になっているという事は異常なんです。衆・参でしっかり話し合いをして国会承認して決めていかなければいけないのに、残念ながら衆・参ねじれをおこしているままで与党が放置しちゃった、と。早く同意人事のルールを決め直さなくては、というのが新聞でもだいぶ話題になっているんですが、それを今、議論をしている立場ですから、トピックスといえば、そこですね。

●今だから言えるあの日のあの出来事

-やっぱり政治の転機といえば、自分自身が参議院に出て行った事ですかね。秘書から議員になる、という時は、当然自分が仕えている親分がいるわけだから、全く親分の事を裏切ろうなんて思っていないわけです。自分の立場の仕事をしながら親分を支えようと。そしたら仕えている親分も伸びていく。だから、こちらも自分のステージを築きながら共に伸びていかないといけない。そうすることが全体としてパワーアップするんだ、という思いがある。しかし、周りの目も含めて、寝首をかいたんじゃないか、と時折言われることもあって。私も今、自分の秘書がいますから、秘書が「私も出ます」と言った瞬間に、すぐ快く思うか、というと…。あの頃は「親の心子知らず」で、おやじとしては「何だ」という気持ちになったんでしょうね。こちらの良かれと思う気持ちとはズレが生じて、実は当時、しばらくの間大変でした。あまり会話をしない時期があったり。[辛いですね]―そう、お互いね(笑)。周りがハラハラしたり。しかしおやじさんが偉かったのは、「じゃあやろう」と決めた瞬間に、私が(自民党の)公認をとるまで本当に親身になってくれまして。こんな一秘書が、自民党の公認候補になかなかなれないのに、そこは本当にバックアップしてくれて、自分の事の様に一生懸命やってくれて。選挙中も応援団として支えてくれたんです。まさにそこが私の政治家としてのスタート。本当に応援して頂きましたから、そこは大変感謝しているんです。

●質問コーナー

Q: 対中国の防衛について何かコメントを。

A: こういう事はなかなか二国間で解決できない壁があるんです。だから、様々な外交チャンネルを使って、そういう国とどう向き合うか、という事が大切。日本の同盟国はアメリカですから、アメリカと日本の信頼関係をもう一度構築し直して、対中国に対する戦略をどう練り直すか、です。残念ながら日本一国だけでは解決できないと思う。解決させようとするとどちらかが折れないといけないし、突き詰めれば、偶発的な事から大きな事につながりかねない。様々な外交チャンネルをどう使っていくか、それで中国に対して、どう考えを改めてもらうか。そもそも今回の事件がおきた真相が、単なる軍部の暴走なのか、中国政府も意識して日本に対する挑発行為をしてきたのかわからないので、もっともっと情報を集める努力はしていかないといけない。日本はより外交力を高めていく、まずはそこに全力で力を注ぐしかないと思いますね。[民主党政権で基盤が緩んだから、そこを中国が狙ってきた、と思っていたが]-日本が一国で体を張って立ち向かっていけるか。中国は核を持っていますが、日本は持っていません。防衛費も、日本は5兆円弱、中国は7兆円。日本はアメリカとの同盟関係を駆使して初めて外交戦略に打って出るのが基本でしたが、民主党政権時代、普天間基地の問題も含めて日米関係がぎくしゃくしたと、世界中からとられてしまった。日本とアメリカの関係が崩れた、と。[そこをつけ込まれた]-安倍総理が来週ワシントンに入りますから、日米関係の強化や信頼関係を取り戻したことをどうPRできるか。日本としては、日本の安全保障をアメリカなしでは考えられない、というのが現実です。[安倍内閣、一期目と今と違う?]-安倍さん自身が非常に変わられたと思います。どん底を見て復活されたので、色んな意味で逞しくなって強くなった。発言も、今までも自信に満ちていましたが、更にレベルアップしていますよね。その自信が全体に伝わると元気につながるし、やっぱり一国の総理が元気じゃなきゃ、国が元気にならない。近年稀な、元気な総理大臣だと思います。[この辺りのお店の人たちはみんなアベノミクス期待しています]-だから責任重いですけどね(笑)。実態経済をちゃんとそこに持って行かないといけないので。[アベノミクスがまだ始動していない段階から、(支持率が)上がって]-景気の「気」は「気分」の「気」ですから。これ大事なんです。[一人一人の「気」が実態になる]-はい。円安が先行しているので、ちょっと不安ですけど。[「アベノミクス」はマスコミ先行?官邸が出した?]-安倍さんが自分で「アベノミクス」とは言っていないと思う。大体こういうものは周りが作り上げるんです。[「三本の矢」は?]-それは言ったんでしょうね、毛利元就公の例に倣って。[期待されると、ある意味批判より辛い]-そう。期待してガツンと落ちた瞬間、もう這い上がれないですから。小渕政権は、小渕総理自身は立派だったけど、残念ながらマスコミの評価が悪くて「冷めたピザ」と言われて。低い支持率からスタートしたけど、だんだん上がってきたんですよね。安倍内閣も、今いい形で7割近い支持率を頂いているので、我々はしっかりそれを支えながら、今年こそは日本を元気にしていかないといけないですね。

●今後の政治に対する意気込み

今回我々自民党も含めて、だいぶ若返りました。これから日本が大きく変わっていく。 本当のグローバルな中で耐えられる、そういった政治家を作っていくためには、我々 若手が今まで以上に実務経験も積んだ形で頑張っていかなくちゃいけない。まだ30代、40代なんて失敗のうちじゃない、どんどんやり続ける。今年はがむしゃらにやる、というのが私の意気込みです。

●質問コーナー

Q:あきもと先生のオリジナル選挙必勝法は?

A:必勝法は、なかなかあるようでない世界だと思う。ただ、結局は「Face to face」。常に地域との連携をしながら、顔の見える政治活動をしていくことが大事かな、と。そうしないと伝わらないですよ。そこは古いタイプの政治をやっていきます(笑)。これからのネット選挙では、自分が「Face to face」で伝えることをネットで伝えて、「あきもとに会いたいな」、といかに思わせるか。そういった手段として私はネットを使っていきたいと思うんです。