あべ 俊子
あべ
第115回
2014年04月23日 放送

自民党 あべ 俊子 衆議院議員

医療福祉のエキスパート、あべ俊子議員の登場でした。岡山3区という平沼赳夫王国で、過去三回、比例復活で議席を保つ力強いゾンビ議員?です。そんな選挙戦をくぐり抜けてきたあべ俊子議員にインタビューしたいとずっと思ってきました。初めてお会いする議員は、見た目の可愛らしさとは、また一味違うハンサムウーマン!!歯に衣着せぬ物言いと、真面目さ、堅実さがたまらなく魅力的でした。

(以下動画より文字お越し)

自民党 (岡山3区)比例中国ブロック 3期目 (2014年4月23日収録)

(現在は自民党の国対副委員長、それと呼び出し太郎ならぬ呼び出し花子…議事進行係、2回目?)―2回目というか、二日間やって外務省の大臣政務官になってしまったのでおりて、それでまた戻ったのが、普通はあれはセレブの役で、(笑)例えば国会議員の息子とか嫁とか孫とかだが、私は全然セレブでもない、かつあまり若くないが、普通は若い方が…声量が必要なので。(場をしめる為にやる?)―緊急上程と言って、法案で急に上がって来るものに対して動議を出しこれを採決すべきだとか、これを省略して議長が決めても良いのではないかとか、そういう事を議事進行係がやる係。(でも事前に議会運営委員会で決まるのでは?)―決まるが、ちょっとプロセスを端折ったりとか、これを緊急で出したいとかいう事があった時に出番なので。仰る様に最近は「緊急上程はやめろ」と言われて…嫌われ役。(もう議事進行係は慣れた?)―だいたい言われた通りにやれば良いが、フッと忘れる時もあって(笑)(マイクもある?)―あるんです。議長がこう言った瞬間に、例えば大臣が立礼をした瞬間に入れるとかちゃんと決まっているが、時々フッと忘れると伊吹議長がチロッとこちらを見る。(帝国議会からの慣例らしい)―参議院ではございません。衆議院だけ。(今も無い?)―その様でございます。

●幸せ度数年表

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第115回阿部俊子

(お生まれは?)―宮城県の石巻という所で、東日本大震災で生家は流された。(ご両親が住んでいた?)―ところが岡山に引っ越していて、生家を流されたが命拾いした。(石巻を訪れた事があるが、独特で良い所)―そうですね、海岸の近い所で。実は小野寺防衛大臣と小学校が一緒。ところが私の方が年が一つ上なので「先輩」とか言って…一つしか違わないのだから呼ぶなという感じ。中学までしかそこは居りませんでして、中学校から私学に入ってしまって高校、短大と行き、私は元々栄養士の資格を持っているが…(私学の中学高校は石巻ではない?)―仙台。ずっと看護師に成りたくて、ナイチンゲールに憧れていて…(そういう気持ちが芽生えるのはすごい)―その時は発展途上国、第三世界と言われている所のアフリカ、インドの特に児童労働をやっている…小学生とかが学校も行けずに働かせられているというのをずっと見ていて、これは私はナースになってそういう所に行って仕事をしようと思った。(どうしてそういう接点があったのか?)―それは色々な本とか雑誌とか教科書とか…ミッションスクールだったので、宣教師の先生もいらして色々なお話を聞いてやはりナースが良いと思って…ただ親戚に看護師がいなかったので反対をされ、一応短大を出てから行けと言われ、実は父は会社を経営していたので私は長女だったので後継ぎだった。(何系の会社?)―色々総合的にやっていた。ガソリンスタンドから建材関係から生コンとか。そしたら会社が潰れ…(何歳の時?)―24位の時。そうするとしがらみが無くなって「これで私の人生は」と言って看護学校に入った。看護学校に入ったら、今度は社会経験があるので看護の世界を見てビックリした。老人ホームに行ったらプライバシーがあまり無かった、その当時は。お風呂に入るのに真っ裸になったままストレッチャーというので運ばれて、六人部屋でカーテンもせずにオムツ交換をされていて、人生こんなに一生懸命生きて来て最後これで終わるのかとショックを…(身につまされる。待機児童ならぬ待機老人になるのではと)―必ずなる、今の状態だったら。今だったら待っている間に死んでしまう。入れない…数百人、数千人という世界。それでその時に思ったのが、自分が入りたい老人ホームを作ろうと思った。その時に、小賢しいから全部計算をしてベッド何床、何坪、土地は何処と決めて全部お金も計算した。幾らかかる、何億という計算をして、「よし、これだ」と思って。それでその看護学校に入った時にあんまり私がペラペラ喋るからうるさくて注意を受けて「あなたは将来何をしたいの?」と言われて「私は老人ホームを作ります」と申し上げた。そしたら先生が「あなた何を仰ってるの、そんな事出来る訳がないじゃないの、幾らかかると思っているの?」。「はい、何億でございます」。「あなた何を言っているの?」。「先生、志のある所にはお金はついて参ります」。(拍手)「学生が夢を持っているのに教師がその様な夢を挫く様な事を言っても良いのでしょうか?」。そしたら凄く怒られて(笑)…「あなたが教師に成ったら同じ事を言ってやる」と言われた。それで老人ホームの経営をしようと思ったら老人看護学とかそういう経営学が日本にあまり無くて、では留学しようという事で留学をした…アメリカに留学をした。(アメリカはそういう事では先進国?)―そうですね。その時第三世界のアジア、アフリカでナースをやるというのも捨てていなくて、その時に言われたのが「まず修士を持っていなくてはいけない」「英語はマストである」というのがあって、二つ追いかけながらやはりアメリカに行こうという風に考えて行った。その時付き合っていた男性と別れて行った。(そうじゃないと夢は追えない)―そうなんですね。それで行って勉強をしていたら突然看護学校の恩師が「阿部さん、日本にいつ帰ってらっしゃるかしら?」。「一時帰国はいつ頃します」と言ったら「そう?じゃ学校に寄って」と言われた。そしたらそこにたまたま居たのが某大手の不動産会社の方で「僕達は老人ホームを作りたいと思っている。アメリカの方法を使いたいのでバイリンガルで老人ホームを作りたい人は居ないかと訊いたら阿部さんが居る、と」。それで日本に帰って来てナーシングホームのプロジェクトチームのリーダーをやったのが32歳。(声をかけてくれたのはどなた?)―その看護学校が三井系の看護学校だったので、看護学校の先生。(最初に夢を語って否定された方?)―そう、山田先生という(笑)…まだご存命なので。それで会社に入って老人ホームのプロジェクトをやっていたら「やはりお年寄には朝起きたらこうして差し上げたい」とか「皆それぞれ好きな音楽があるから皆で民謡じゃダメだよね」とか色々やっていうちに、人が足りないとか、その時は介護保険が無かったが点数ではこれだけしか国からお金が出ないとか、そうすると個人の負担になってしまうとか、寝る前に顔にクリームを塗るだけではなくてアイクリームを塗ってあげなくてはいけないのではないかとか。それは人がかかるとかお金がかかるとか言われて、自分のやりたい事がドンドン出来なくなって、もうすごく腹が立ってトイレに1時間位籠って泣いていた事がある、やりたい事が出来なくて。やはり会社としては経営が成り立たなくてはいけない、私としてはベストのケアをして差し上げたい。(ジレンマをどうやって整合性を取っていった?)―その時に思ったのは「やはり何と言ってもベストケアをする壁は経済の壁と政治の壁だ」と思った。その時に「よし政治家を目指そう」と思った。(何歳の時?)―32。それでその時に色々な方にご相談申し上げ、やはり「市民の声が上げられる政治家に成りたい」というので最初は市会議員を目指していた。そして周りに相談したら「君はバックグラウンドは分かり易いけど、周りが信用してくれるにはまず一回大学の先生くらいやっておいた方が良いかもね」と言われて…(それで大学の先生をやっていた)―そう、それで気が緩んではいけないので「私は将来政治に出る」という事を周りにワーッと喋った。(生徒さんはじめ同僚の先生達にもお話をされていた)―そうです。そしたら日本看護協会という所から、「どうも30代後半位で政治に興味がある人はいないか」という話があって、周りが皆で「阿部だ阿部だ」と言って…阿部は40過ぎていたが「阿部だ阿部だ」と。「阿部さん紹介しておいたから」と何人かから連絡が入って「有難う」と言って、それで日本看護協会長に会ったら「あなた政治にお出になる気はございませんか?」と言われて「望むところでございます」。で、その時に「落選したら誰が責任取るのでしょうか」とか色々な事を聞いた。「一週間お時間を頂きます」と、決断をして、実は参議院の全国比例に出るつもりだった。(初当選は2005年の郵政解散の時だが実は?)―参議院に出た…その後。大学を2005年の郵政解散の時に…大学を8年勤めていたが辞めて全国を土佐回りして準備をしていた…「出ます、出ます、2年後出ます」と言っていた。それで「郵政解散」というのがテレビで流れて、公募が千人も来て「凄いわね」と言って、そしたら日本看護協会と連盟が「看護からも出すか」という話になって「誰がいるんだ」「阿部がいる」という話になって8月位から電話がかかって来て「阿部さん、履歴書出してもいいかしら?」と言われて「はいどうぞ」と言って…(それは日本看護協会?)―そう…(自民党というのは決まっていなかった?)―最初から自民党。政権与党でないといけないと思っていた。日本看護連盟というところは政権与党でなければいけないと思ってずっと自民党だった、途中から。(この頃は自民党は逆風だったが)―そうですね、2005年の郵政の時は郵政の小泉風が吹いていたが、その公募が来て履歴書を出しても連絡などは来ないだろうと思った、千人も来て。テレビでも片山さつきさんとか佐藤ゆかりさんとかビシバシ出ていて「こんな凄い人が出ているんだ!」と思って「履歴書出してもまあ来ないわね」と思っていたら突然最後の方に電話が来て面接をするという事になった。たまたまその時は高知県の四万十に居て…全国廻って「参議院出るから宜しく」と言っていたから。四万十の方で皆で皿鉢料理を食べながらお酒を飲んで踊っているところで電話がかかって来て「阿部さん、帰って来い明日の朝一番で」と。当時幹事長代理の安倍晋三さんと「面接が入った」と。「そうですか」…「でも面接だけかも知れないから入る確率は2割も無いだろう」「ただ面接は受けておいた方がいいよ」「分かりました」と言って朝の飛行機に乗って…スッピンで歩いていたので途中でコンビニに寄ってパウダーとか買って「スーツではないけど」「いいよ」と。朝10時半…10時面接だったのか、タクシーで看護連盟の人と待ち合わせして「こうやって言うんだ」「あぁそうですか、分かりました」と言って。で、面接をして…そしたらカメラが一杯構えていた、自民党に。その時に空いていた議席が岡山3区という平沼赳夫さんという大物の政治家の所だった(笑)。そこで面接が「やー、誰だあいつは~?」みたいな感じで入って、面接をちょっとして、「公認が決まったら誰に連絡しますか」と言われて「じゃあこちらに」と言って…(岡山3区は全くの想定外?)―前の晩に言われていたのは、「空いているのは二つ」と…岡山3区と北海道の10区かな。(北海道10区は誰?)―前の私の同期が居た所だが、今公明党が取った…(同期はどなた?)―飯島かおる(?)という人で面白い人…(離島で先生をやっていた)―そうです。東京都の離島で、小さい島で教育委員長をやっていて、それが北海道の大きい島に移るというジョークが面白かったみたいで…(飯島さんは北海道に行って、元々宮城県石巻出身の阿部さんが)―もうそこしか残ってなかった…(残り物に福がある)―福ではなく皆が断った、怖い所だから。(平沼さんと戦えない)―そうでしょ?皆断ったが、「二つ残っているが今日はどうも一個しかない」みたいな感じで「そうですか」と言って。(盤石に看護団体を回っていたのが奏功した?)―いやそうでもなくて(笑)。岡山3区には千人位しかいない、会員が。(岡山3区、今聞いても無謀)―そうですね。東京で挨拶周りする時も、「決まった」と言われて準備始めて挨拶周りしたら「男だったら絶対行かない」とか言われて「あそうですか…」と。当選すると実はあまり思ってなかった。(ダメ元で)―ダメ元。練習になるからと。そしたら途中で、「比例復活の票が取れるぞ」と言われて「あそうなんですか」と言ってビックリという感じ。(2005年から阿部俊子議員は3期連続当選)(拍手)(しかも全部比例復活)―そうなんですよ。まだまだ刺客の役割を…(2009年の選挙で受かった少人数のうちの一人?)―あれはすごくて、二回目の選挙の時は自民党は逆風だった。逆風で皆「かなりマズイ」と言った時に突然公示の前の日に私が比例の一番に上がってしまった。(中国ブロックで第一位。自分で上げたのでは?)―自分で上げたのではない。周りが上げた「阿部上げろ」と。(どうして?)―そこがまた難しいところ…あまり言ってはいけないところ。幹部が多分決めるんでしょうから。(色々ある。俺だって一位になりたいと皆思う)―選挙から終わって帰って来た時に「やっぱりお前は魔女だった」と言われた(笑)。(阿部俊子議員に初めてお会いするが本当に不思議だと思っていた。片山さんの様に中央で目立っていた訳ではないのに着実に受かって来た)―ひとつにはメディアに殆ど出ていない、私は。(わざと?)―全部断っていた。あまり目立っても良い事が無いので。(この番組は大丈夫(笑))―今回は鈴木貴子さんに言われたから「そりゃ断れないよね」という。昨日も飲み会行ったから(笑)。(何処に行っても平沼さんはこうして来たよと百万回は言われる)―最初の頃はすごく言われた。「誰が呼んだんだ」とか「おまえ何しに来た」とか、地元で。最近はそんな事言う人はいなくなった。(三期もやっていると)―「君苦労したね」と言うが、苦労したかどうかはそこしか行った事がないから分からない。(本当に不思議に思っていた。2009年に受かったのは何人?)―10人。(10人の中の一人!皆意外な人が受かっている。メディアで見ていた人は皆落ちていた)―静かに淡々と。(この頃は看護婦さんと呼ばれていた頃?今は看護士)―そうです。うちの祖父に「そんな看護士になんかなるんじゃない」と反対された。(どうして?)―親戚に居ないし、「もっと違う職業があるだろう」と言って…だから短大行って普通の看護学校に入った。(バッヂをつけてから自分のやりたい事に関わっている?理想の老人ホームを作ろうという)―それもさる事ながら、その時に感じたのは、施設だけ良くなっても地域全体が強くならないとダメだろうという事はすごく思った。高齢者看護に関しても出来るし、その前8年間大学にいたが、更には厚生労働の色々な審議会みたいなので委員もさせて頂いていたが論文何本書いても何も変わらない、いくら意見を言っても全然変わらない。でも議員で何か言うと全部変わってしまう。そこは凄い。(そういうのを目の当たりにされているという事)―そうですね。議員立法もかなり作っているし…(看護士に関して?)―それだけではなくて色々な…やはり政治は弱者の為のものだから本当に困った方が何をしないといけないのかという事が地元を周っていると分かる。更には色々な所に行ってお話を聞くと「ここなんだな問題は」というのが分かるとそこのところを一緒に変えていく。(ご結婚されている?)―してます。40位…遅い。すると思っていなかった…たまたま。(出会いは?)―留学中に。(ご主人はまさかバッヂをつけると思っていなかった?)―本人は「僕が付けるべきだった」と言っていた。(笑)「君より僕の方が向いている」と。(考え方のコピーがいる様で良い)―でも…野球の話と政治の話は家でしてはダメ。避けて通る。(ご主人は何をされている?)―うちの夫はビジネスマン。(畑は違うが思想は一緒?)―違う。(家では色々喋らない?)―あっちは色々言うけどこっちは「そうね」と(笑)。(どんなご夫婦?)―あっちがよく喋る。私は黙って聞いている。(政治家は外で喋って疲れるから家では寡黙でいたい)―(笑)そうそう。(男と女が逆転。阿部俊子さんの方が男っぽい方を担っている)―うちの主人はおばさんっぽい。(年取るとおばさんとおじさんの顔が同じになる)―そう、逆転しちゃう。(年取ると人間が中性化していく)―社会的役割を演じないといけないと思うから何か一生懸命女らしくとか男らしくしているが、年取るとそうではない部分が全部出てきてしまうから。うちのおじさん買い物も細かい…「あっちの方が10円安かった」とか言って。(笑)「10円払うからここで買って」と言う。下三桁までは細かい、そこから先は飛んじゃう。四桁以上はもう訳分からない。(笑)主婦っぽい。(安倍さんと面接されて岡山3区と公認が決まりそれで送られて行った)―それで自民党は選挙を今度こそというグループを当時の武部さん…幹事長がつくられて、次の選挙どうやって戦うかという講座もずっとやる。選挙の基本は三つだと言われていて、まず、街頭、個別訪問、ミニ集会。これを着実にやれと言われていて、これは今だにやっている…根が真面目なので。(女性議員の方が男っぽいが細かいからそういう事はキッチリやる)―女性は真面目だから手を抜かない。キッチリやる。言われた事はキッチリやる。選挙もそう…男性に「じゃあ皆さんに宜しくお願いします」と言うと「分かった」と全然分かってないが、女性に「じゃあ皆さんに宜しく」と言ったら必ず言う。真面目なんですよ。この間もケネディ米国大使が来て女性議員との囲む会があったが「もう少し女性議員を増やせ」みたいな事を小池百合子さんが言ったら…(1割未満?)―そう8%…「どう思いますか石破幹事長は女性議員の事を」と言ったら「いや女性議員の方がハッキリしている。男性は色々言うがイエスかノーかサッパリ分からない。女性はハッキリそうだと言った後に理路整然とこうこうこうだからこう思うと言うのが女性議員の特長だ」という事を言われた。成る程そうかと思った。だからあまり遊びがない。男性議員に何か頼むと「分かった分かった」と本当に分かったかやってくれるか分からないが女性はその場で「ダメ。それ私反対」とか「分かった。それならやるわ」とか「いつまでにやるからそれでいい?」とかそういう風な言い方をしてくれる。(女性はまだまだやりたい人は少ない?)―今の選挙制度だと引いてしまうと思う。家庭を大切にしたかったらなかなか出来る事ではないので、余程相手の支援がない限り。先生(佐野)もされていたからよく分かると思う。

●最近の政治トピックス

社会保障。医療、年金、福祉。年金は若者は貰えるだろうか。(貰えると誰も思っていない)―そうですよね…消費税も上がったが、消費税を上げる時に色々な方に言われたのは「上げる時に福袋ではダメだ。上がるけど何が出て来るか分からないでは困る。上がったら自分の生活費にどう影響があるかしっかりと分かる様に説明しなくてはいけない」と言われた、色々な経済学者の方々に。そういう中でやはり大切なのは世代間格差。ジェネレータアカウントと言われている…今の70代位が今まで払った所謂税金と保険料と合わせてだいたい7倍とか8倍貰えるのに比して、今の20代は2倍行くか行かないか。ここのところの格差を一体どうしていくのか。我々は一生懸命日本の為に頑張った高齢者をしっかり支えなくてはいけない、という事と同時に、じゃあ若者は希望を持っていけるのかという事を整理しなくてはいけない。そうすると今女性が活用される、特に日本は生産労働人口が減っている、減っている中で日本が豊かさを保つ為には労働力を確保する。それはすなわち女性、シニア、外国人を入れるかどうか、ここがポイントになる。そうした時に鍵になるのが正規雇用と非正規雇用。ここの壁をどう考えていくのか、特に非正規雇用は女性が多い。更には、女性は長生きである。男性は早く死ぬから年金があまり高くなくても影響がないが、所謂所得の低い殆どが女性。そうするとそこの女性の所謂所得を上げていく為に、更にはワーキングプアを解決する為に、やはり社会保障を見直していくという事が私は今必要だと思っている。そこが大きな課題。(具体的な提案は?)―今配偶者控除の議論が出ている。ところが自由民主党は「配偶者控除を守る」と書いた。我々は嘘はつけない。所謂良妻賢母、自民党は良妻賢母を信じている。ですから…良妻賢母とは何であるのか、昔の良妻賢母は確かに家に居た、今の良妻賢母は非常に社会の不安定な中で、いつリストラされるか分からない夫を支え2本の大黒柱が立っているのが良妻賢母。本当に男性達は打ちひしがれて「僕はこれから先生きていけるのだろうか」。若い女性は結構お金がかかりそうな女が多い、かつ若い女性は主婦を希望している人も結構いる。主婦を希望するという事はご主人の年収が600万以上位ないと無理。(それ以下だと大変な生活?)―大変な生活。そうすると結婚適齢期の男性のそれだけの所得の働いている人は1割も居ない。1割も居ない男性を殆どの女性が追いかけてもミスマッチが起きてしまう。(有効な男性に10人位女性がぶら下がっている)―そうです。そうすると男性は「僕も安心して働きたい、正規雇用になれるかどうか分からない」と言った時に「大丈夫、私が居るわ」と言ってあげるのが良妻賢母、これからの。ですから私達は配偶者控除を守りつつ配偶者控除の進化版を作りましょう、と。それを今検討している。(103万とか130万にすぐなってしまうから仕事を頼めない)―特に年末になった時に働き○○してしまって、「この忙しい時にやめてよ」という感じ。(働く意欲を失くす税制)―中途半場に働くと負担が一回増えてしまう。そうすると「それはちょっと損ではないか」と。もう少し働いた甲斐がある様なカーブにしていかないと。そことやはりセットで見なくてはいけないのが、税と社会保障…全体の。特に正規雇用と非正規雇用。「この子を正規雇用で雇うか、非正規雇用にするか」という壁が、雇用者が負担するベネフィットの部分で、例えばうちが雇用保険を払わなくてはいけなくなるとか、医療保険払わなくてはいけなくなるとか、そこの部分をもう少しシームレスにして「あなた何時間?30時間?いいわよ」「25時間?いいわよ」と言って何時間であっても「いいよ」と言って多様な働き方が可能になるような雇用者負担と個人の負担とをバランス良く見直していかなくてはならない。(様々な会社があるのを一本化していかなくてはならないのは難しい)―色々な意見があるし、色々な立場の方がいらっしゃるので。ただ大切なのは、日本における日本の雇用をしっかり守っていくという事なので…(外国人に奪われないという事?)―そうではなくて、日本が豊かであり続ける為に社会保障を豊かにしていくだけでは片手落ちで、一番の社会保障は雇用の確保。仕事をしっかりしていくという事が社会保障の根幹だから、そこのところをもっと整理をしていく必要があると思う。(これ(テーブルにある阿部議員持参の資料)は何ですか?)―「日本を百人の村で見ました」みたいなのがあっても良いかなと…仕事をしている人は百人のうち49人で、そのうちのパートをしている人が7人で、即ち働いている人達の16%位がパートで働いている、というもの。(先輩後輩の女性に接してみて、働きたくない人が多い)―そうですか、周りにいる人が多分違う(笑)。私の周りには働きたくてしょうがない人ばかり。(是非うちに紹介してください(笑))―そうですか…(皆さんお金が無いと言いつつ働かない)―周りはお友達は主婦が多い?(主婦も主婦ではない人も)―そうですか…(でも女性の大黒柱は良い。女性は外に居た方が楽しそう)―子育て中は、仕事をしている主婦が子育てしている母親の方がストレスが少ない。(24時間赤ちゃんと一緒だと大変)―そう、大変です。ご主人も話を聞いてくれなかったりとか、遅かったりとか、家事を殆どしなかったり、ゴミも出さなかったりとかするとドンドンストレスが、一人で居る時間が長いが故に頭がこんなに「妄想(孟宗)竹」みたいになって。やっぱりちょっとした気遣いで女性も主婦もストレスが解消できるのに。本当に困っていると思う。確実に数字が出ていて、働きたい人が一杯いる…できれば家で働きたいとか、所謂「テレワーク」という制度を作っている…例えば自宅で電話したりとか、ネットを使ったりとかでやれるものを増やしたら良い、という話とか。あと、残業したくない、出来ない…子供の為に。それをどうやっていくかとか、例えば「育児休暇」を男性ももう少し取ってくれないといけないので、特に出産したばかりの奥さんの傍にもう少しご主人が居てくれないと「お風呂の入れ方位覚えてよ」という感じ?そういう事とかも含めてやはり女性の働き方を変えるには、まず男の働き方を変えてもらおうという提案を今しているところ。

●今だから言える、あの日のあの出来事

安倍晋三幹事長代理と面接をした時に…面接をした時間は多分5分も無かったと思う…それで「決まったらどうしますか?」と言われて…「ではこちらに」「失礼します」と戻って行って…ある日本看護連盟の事務所まで戻った…「今日予定キャンセルされたから一緒に行くわ」と言って…それで「どう?」「いや、無いでしょ」と言ったら30分もしないうちに電話がかかって来て「公認です」「え~っ!」、「自民党に戻って来てください」と言われてすぐ戻った。そしたら「事務所を借りる時はコンビニの空いている所が良い」と、「駐車場もあるし水回りもあるしトイレもあるし目立つ所にあるから」と言われて「そうですか、分かりました」と言った。それで「インタビューされたら郵政民営化に云々と言いなさい」と言われ「そうですか」と。1分位その説明をされた後に「じゃ、ブラ下がりの練習しましょう」と言われ「ブラ下がりって何ですか?」と言ったら「皆がこうマイク持って立ってやるんだ」と言われて「座ってやったらブラ下がりと言わないんですか?」と言ったら誰も返事してくれない(笑)。「じゃ武部幹事長と練習してください」と自民党の職員に言われて「分かりました」と言って…武部幹事長の部屋に行って「失礼します、阿部と申します」「岡山3区決まりましたから」「宜しくお願いします」と言って「じゃ、ちょっと言ってみて」「阿部俊子と申します」「あ、声はちっちゃくていい」「分かりました。郵政民営化に何とかかんとか」と言って「はい、それでいいよ」と、そこで多分1分もしないうちに「はい、では行きましょう」と言って会見室に行って、「阿部俊子さんといって日本看護協会の副会長をやっておりました」と言って…「あなたは何で今回の選挙に?」「郵政民営化に関して国民に信を問いたいと思いまして」「相手は平沼さんですが怖くありませんか?」「大丈夫でございます」と…とにかく言えと言われているので。そこで「打ち切り」とおしまい。そしたら12時のNHKのテレビに出てしまって、岡山看護協会は、電話が来て「日本看護協会の副会長だった阿部俊子という女が平沼赳夫さんの所に出るらしいが聞いているか」「寝耳に水です」と言ったらそのまま新聞に「寝耳に水」と出てしまった。更には新幹線のテロップに「平沼赳夫氏の選挙区に日本看護協会の副会長だった阿部俊子が出馬」と出て、友達から電話がジャンジャンかかって来て、更には自民党を歩いていたらメディアの人達が「ワーッ」と言って「あの人は誰だ」みたいな。私が居たのだがどう考えてもスーツも着てない変なおばちゃんで、横に居たのが南野知恵子さんという法務大臣をやった人で、「南野先生鞍替えですか?」と言われ…参議院なので鞍替えたのかという話だが…そしたら南野先生が「鞍がいっぱいあるといいわね」なんて言って(笑)、流石政治家と思った。…という風な事だった。その後も物凄くメディアに追いかけられて、どこに行ってもメディアに追いかけられて…「好きな食べ物を言え」とか週刊誌から何からドンドン書かれた。(それ位注目されていた2005年の郵政選挙だった)―そう、その時は知名度が無いから「とにかく片っ端から出ろ」と言われて片っ端から全部出て、色々な事も答えつつ、手を振りながらやっている間に「どうも入るかも知れない」「え~っ!」と(笑)。(入るかも知れないとどれ位で分かった?)―四日位?(こういう大型選挙だと四日前で分かる)―後から飯島秘書官…小泉純一郎さんの秘書…あの人に会ったら絶対に聞いてやろうと思ったのが、「あんな恐ろしい選挙区に私を下して…比例復活は1/10の三万票取らなくてはならない…三万票取れると思ったんですか?」と訊いた。六万取れたが。「お前看護連盟があるんだから何処に行ったって取れるだろう。実は迷った、亀井静香の所にするか、平沼赳夫の所にするか迷った」と言われて…あそこはホリエモンが出ちゃったので「どっちが良かったかサッパリ分からない」(笑)。(亀井さんにインタビューした時に東ちづるさんが出ると言われて「自分はもう選挙止めようと思った」と言っていた、絶対受からないからと(笑)。女性は怖い)―当選した後は全部テレビお断り。目立って言う事は何も無いと。目立って良い事は本当に何も無いので。目立っても票が増える訳ではないとい事は自民党でキッチリ言われる。必ず票に繋がるとは限らないのと逆に票が下がったりするから…(安倍さんも「笑っていいとも」に出た時も賛否両論だった)―地道にやっているのが一番良い。(インタビューの時も誰も受かると思っていなかったのに)―「よくやるねお前」みたいな感じ。(平沼さんも今は復活されているがその頃は病気される前でイケイケの時、保守王国に打って出た)―皆に同情されて、自民党の中で一番恐ろしい選挙区の人と言われていて「田中眞紀子の所か平沼赳夫の所か」と言われていた(笑)。(田中眞紀子さんの所は誰が出ている?)―長島さん…山古志村の村長。(その人もずっと受かっている?)―彼は本当に真面目に帰っている。一週間に2~3回帰る時がある、新潟に。(自民党はそういう配置がうまい)―そんな事はない、あまり面倒見てくれる所ではない、自民党って。「頑張れよ、勝手に頑張れ」みたいな。(自民党がそんな事言ったら他のところは野放し)―民主党はしっかりしている。組織できっちりポスター貼ってくれるし、我々から見ると羨ましいと思う。(もし落選されていたら供託金とかは自民党が払ってくれる?)―自民党が払ってくれないでしょ?…分からない、そんな事聞いた事がない。(みんなの党は供託金を払ったという事で渡辺喜美さんもお金を借りたという事になっているが…そういう事は言われる?)―そういう細かい事は言われない。(バックボーンがあるから阿部俊子さんには言わない)―言われた人もいるみたい、出た人で…「いくらかかるよね」なんて。「あそうですか」みたいな。

●質問コーナー

Q:社会保障のご専門という事で。消費税を社会保障に充てるという事で、8%から10%に上げても足りないと思う。社会保障に対する経済成長、雇用が無いと日本はドンドン衰退していくと思う。三本の矢が成功するという実感が無いがその辺はどうか。A:やはり仰る通り、社会保障のコアの部分は、雇用の創出、更には景気回復。本気度はこれから試される時だと私は思っている。骨太方針に何が入るか、更に年末に向けての税調の中で何が議論されるのか、というのが多分世界中が見ているので、それも含めて出て来るのではないかと思っている。消費税は10%でも焼石に水。そこはしっかり切り込みをやっていかなければいけないし、ミニマムスタンダードとしての最低保障の医療・福祉を固持しつつ、しかしながら持続可能性を持たせて若い方の負担にならない、かつ自分達が「若い人達が希望を持っていける」というものを作り出していかなくてはいけないと思っている。宜しくお願いします。

Q:老人ホームを作る時に反対にあったりしても、留学をして勉強したり諦めずにやって来られたが、これから自分が起業するにあたり、どんな事が起きようとも諦めずにやっていくにはどんな心構えが必要かアドバイスを。

A:諦めても諦めなくても一日は一日、楽しくても不満ばかりでも一日は一日。今やらなきゃいつやる、あなたがやらなきゃ誰がやる、という事なのだと私は思っている。

Q:基本的には自分で全て?

A:いいえ、志を持って情報発信していると必ずついてくる。この事をやらなくてはいけないのだという焦点さえ絞っておけば情報が寄って来る、人が寄って来る。それは必ず結実する。不可能は自分の中にしかない。(物言いが宗教家(笑)心に刺さる、素晴らしい)

Q:有難うございます。

A:頑張りましょう。(クリスチャン?)―プロテスタント。うちの夫がカソリックで喧嘩になる。どちらが本当の宗教かと言って(笑)。(麻生さんもそうだし)―あの方はカソリック。(他にも一杯いる)―北村先生もそう。何人かいらっしゃる。(キリスト教の会に行くと自民党の人が多い)―そうですか。宗教は突き詰めると最後は一緒なので。