たきなみ 宏文
たきなみ
第126回
2014年07月23日 放送

自民党 たきなみ 宏文 参議院議員

小中高と福井で育った「在郷」(本人談)⇒東大法学部⇒財務省という、ため息の出るような経歴の滝波議員。弁舌さわやかで解りやすく、地元福井の新幹線誘致のお話から税制まで「プロ目線」で語ってくれました。解りやすく語ってくれるというのは、賢い人の最大の特徴ですね。。。そして、財務官僚時代、第一次安倍内閣の年金問題の裏舞台も、「今だから言える話」のコーナーでしてくれました。

(動画より文字おこし)

自民党(福井県選挙区) 1期目 2014年 7月 23日 収録時点

[元大阪府知事の太田房江議員からのご紹介です。どういうご関係なんですか?] ― 役所でいうと隣の通産省のご出身になるんですけど。[通産省は財務省の並びですね] ― 年次的にも政治家としても大先輩ですから。同じこの間の7月の選挙で初当選で、参議院では同期になる訳ですね。今言ったみたいに仰ぎ見る方で、大丈夫かなあと最初の頃思ったんですけど。フランクにいろいろ話して下さって、今は仲良くして頂いています。しっかり太田先生からも勉強しながら育っていきたいと思います。[参議院ということで、福井県出身、福井県選抜、福井県公認、福井の支部長ということですよね。全部、福井ということですね] ― 後でまたお話しますけど、18の春に高校を出るまでずっと地元の、在郷、街の子じゃなくて田舎の子。自分でもそうだと思いますし、福井県でも山の方に住んでいまして。[福井の物がいろいろありますけど、すごいですね!(後ろの数々のポスターを指して)] ― コシヒカリというのを皆さん、よく間違えていらっしゃるんですが、福井で作った米なんです。本当にそうです!福井の農産試験所が作って、コシヒカリが出来て、元祖コシヒカリは福井なんですけど。生産量が全然違って、特に関東は新潟に近いですから新潟の米と。先般、自民党の青年局で台湾にみんなで行った時に、台湾のバスガイドの方が「コシヒカリは新潟の米です」と言うので、「違います!福井の米です!」と言ったら新潟の先生から「生産は新潟です」と言われたりしましたけど、間違いなく元祖は福井のコシヒカリです。[そうだったのですか!ブランディングに負けちゃったのですね。新潟の方がちょっと上手かったのですね] ― その辺り、福井が何とかしなきゃいけないところで、今、こうやってPRさせてもらっています。あとは恐竜ですね。福井県は世界三大と言われる恐竜博物館がありまして。あとは中国とカナダと言われているんですが。福井県の人口は80万人ですけれども、昨年度は恐竜博物館に70万人超えの人たちが来て頂いて。どこかで小さな頃、恐竜は通る訳ですから。中京からも関西からも、まだちょっと関東はまだなんですが、来てもらいたいなあと思っていて頑張っているんですけど。先般、恐竜議連というのを私が作りまして。(笑) 正確に言うと、「恐竜学研究環境整備促進議連」長い名前なんですけど。(笑) 子供たちが自然科学に興味を持つ大事なコンテンツということで。日本では8割以上、福井県で恐竜の化石が出ているんですね。私が小さい頃に遊んでいた山奥の方の地層がちょうどいいんでしょうね。手取層というのがあって、そこからたくさん出ていて。[さすがに小さい頃に掘ると恐竜の化石が出てきたなんてことは] ― 恐竜は無かったですけど、貝の化石とかシダの化石とかは道のちょっと奥の山に行って、川でカンカンと叩くと出てきたりとかしたことはありました。そんな風に生まれ育って。そこを通る「中部縦貫自動車道」を早く開通させて、岐阜の山につなぐ。そうすると「天空の城みつけました」(霧に包まれた山城のポスターを指して)兵庫の竹田城が有名なんですが、家の地元の越前小野城というのも、朝日の盆地の中に浮かび上がる、天空の大野城というのをアピールをやっています。あと「レインボーライン」というのは(三方五胡の写真のポスターを指して)福井県の南の方、若狭地域の方で舞鶴若狭自動車道というのがこの二十日に通ったばっかりなんで。兵庫の方から来て琵琶湖の方に抜けれる、循環も出来るようになった。それでこのきれいな三方五胡も見て欲しいなと。[恋人の聖地と書いてあります。恋人と行くと結ばれるというパワースポットなんですか?] ― そうなんです。きれいな所なんです。さっきのお米もそうですけど、魚も美味しい所です。そして当然、カニも。食の国、福井。そして恐竜王国、福井。あと、幸福の県、幸福度がずっとナンバーワンで。東洋新聞社とか、法政大学のとか、決して田舎者が自分たちの満足で主観的にじゃなくて。(笑) 客観的に住む広さが広いとか、いろいろな施設の一人あたりの整備度が高いとか、そういうもので高いランキングを頂いています。変わったところで、社長の排出率が、帝国データ―バンクで統計を取られてから、ずっと人口あたり一位で。創業気質というか、そのようなものもありますし。あと、共働き率が全国一位。福井はみんなでそれぞれ仕事をしてやりましょうという気質で。いろいろ面白い部分があるんですが、さっきおっしゃったようにPRべたで、なかなか場所すらどこかわかってもらえないところがあるので。そういったところも頑張ってアピールしていきたと思います。[ソウルフードはソースかつ丼。(福井のPRボードを見て)ソースかつ丼、群馬もそうですよね] ― と言うんですけど、一応、福井県ではソースかつ丼を一番初めに作った人は、福井の人が早稲田で作って。福井にヨーロッパ軒というのがあるんですが、そこが元祖だと言う風に言っております。(笑)

●幸せ度数年表

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第126回滝波宏文

 

[1971年生まれ、福井県にて育つ。在郷の方ですから] ― 福井県の山の方、北越と言いますけれど、そういう地域で。それこそ恐竜の化石が出るような所ですから。[小中高といたわけですか?] ― はいそうです。そのまんま。[そして上京して、県人会の寮に入った] ― そうですね、福井県の県人寮で。幸せ度数年表のグラフのライン、平均は同じなんですけど、中学校高校となると振れ幅が少し、いろんなことがあります。そして上京するとさらに振れましたね。[自分は何者かとか、東京に合うのかとか] ― やっぱり言葉が辛かったですから。[今みたいに開き直る時期ではないかもしれませんね。かっこ悪いとか、恥ずかしいとかいう思いが先だったかもしれないですよね] ― でも寮にいると、外は慣れない東京弁でも寮に戻ると、ふるさと訛りが懐かしいという世界の中で徐々に慣れながら入っていくことが出来たので。本当に寮は自分にとって大事な存在ですし。毎年の寮祭がすごく楽しくてですね、年に一回御神輿を担いで。場所が吉祥寺と西荻の間なんですけど、練り歩いて、協賛のお店に行って○○米屋の繁栄にむかってわっしょいコールとやったりして。11月の寒い頃なんで、途中でひっかけながらですね。最後、善福寺公園の池にみんなで飛び込んで。(笑) というのが大好きで。寮祭のために4年間いたところがあったんですけど。(笑) [東大の法学部ですよね、一浪もしないで入ったんですか?] ― はい、そこはおかげさまで。寮は混成部隊なんですね。福井県内のいろんな地域の人たちが来るので、さっき池に飛び込む話をしたんですけど。その時も出身高校集まれ、うちだったら大野高校集まれと。有名なところでは高志高校とか藤島高校とか。それぞれ集まれってやって、高校別に飛び込んで。あと今度、大学別に飛び込んで。最後にみんなで飛び込めで、どろどろになって遊んでいたんですけど。(笑) [そういう話を忘れかけていました] ― 楽しかったですね。残念ながら最近はそれをちょっと危ないという話があって。池にガラスでもあったらとか。ちょっと周辺の方からうるさいとあったみたいなんで。(笑) 今はやってないみたいですけど。当時はそんなことで、毎年毎年楽しくやっていました。[どんなお家で育たれたのですか?こんなに優秀で弁舌さわやかで] ― 私の実家ということですか?田舎の家ですね、古いだけがとりえみたいな。(笑) [家系図があるんですか?] ― 私で13代目になるんで。本家がとなりにあって、そっちは33代なので。(笑) [33代、何が続いているのですか?] ― 地元の郷士というか。大野城を作ったのが金森長近という方で、織田家の武将だったんですけど。その後、移築して飛騨高山の都市設計をした金森長近が最初に作ったのが大野の京都の碁盤の目の小京都なんですけど、そこに城を作って。本家の方は金森長近が来た時に土地を提供しろと言われて提供した。それでちょっと引っ込んでそのままずっといたという、そういう風に伝わっています。[生業はなにをされていたんですか?] ― 農地解放とかで土地はなくなってしまったので、家の親は両親とも学校の先生、英語の先生で。教育者家系というか、そんな感じの中で。広々した田舎で田んぼに囲まれて育ちました。[そして大蔵省入省。寮に入って遊んでたと言うけど、すごく勉強していたんですよ、ねえ。浪人しないで国家公務員一種に受かったんですか?] ― はい、おかげさまで。大学三年の時に地元の国会議員で衆議院議長をなさった福田一先生、まさに高校、東京大学の先輩なんですけど。就職活動をどうしようかなと思っていた時に地元の縁で会わせてもらって。会ったらすごく叱咤激励されて、おまえ何を悩んでいるんだ!一年あったら何でもできるだろ!という感じで言われて。この人、すごいなと。こんな人と同じような世界に行きたいなと思って。司法試験とか民間企業とかじゃなくて、政策を作る道に行きたいと思って役所を回って。内定を取れましたとご報告に行ったら喜んで下さって、入省の時の保証人になって頂いて。[入省に保証人がいるんですか] ― 今でもたぶん同じだと思うんですけど、二人立てて。一人は親、私は父親なんですけど、あと一人はだれでもいいと言われたんで。[地元選出の議長さんに] ― じゃあというんでお願いしたら、ええよと言って下さって。そんなご縁が当時、ありました。[ネットの書き込みに「恵まれたエリートの話だからな」と来ているんですけど、そうじゃないんですよね。この方だって普通の道に行く可能性もあったわけだし、頑張ったから今があるわけで] ― 政治家は落ちたらただの人、猿以下だと言われていますから。(笑) [前々回の「みわちゃんねる」に出演頂いた、大野泰正さんのおじいさんの大野伴睦さんの名言ですよ] ― 大野伴睦先生の番頭頭が福田一先生だったんです。ちょうど山を越えて越美北線と越美南線でつなげて美濃と越前をつなげようという壮大な計画があって。残念ながらつながらずに終っちゃっているんですけど。そういう意味で福田一先生と大野伴睦先生は特別なつながりがあって。そのお孫さんの大野泰正さんと同期になれたのは、ある意味ご縁を感じます。[ここからがすごいんですよ!シカゴ大学に留学、入省された方は税金で留学させてくれるんですよね。言い方は悪いんですけど、それぐらい国で育てないとね] ― 振れ幅がここのあたりひどくなっているんですけど、大蔵省に入ってから大変で。夜中、ずっと仕事をして午前様で終電で帰る、そんな感じになるわけです。辛くて慣れるのが大変だったんですけど。[ホテル大蔵って言いますものね] ― そうなんです。霊安室と俗に言いますけど、地下に一人一人寝る部屋があって、仮眠室なんですけど。そこに行って寝れるのは実は幸せで。何故かと言うと入ったら出て来れなくなっちゃう、環境がいいので。本当に忙しい時は課のソファーに横になって仮眠をして、朝、皆さんが入って来たので起きるという感じだったんですね。[シャワーとかあるんですか?] ― シャワーもあります。地下に大きなお風呂もあったと思います。[あまりきれいな所ではなさそうですね。(笑)] ― きれいな所ではないです。(笑) 留学して少し自由になったかなと思ったんですけど、今言ったみたいに、単なるど田舎の出身なので、また親に対する反発もあってあんまり英語を勉強していなかったので、結構苦しんで。夢の中でうなされて、英語が出てこない。それはそれで結構、アップダウンがあったんですが。おかげさまで、同級生で後に妻になる人を見つけましたから。(笑) [30歳で結婚ですね。官邸スタッフ、そして法務省刑事局出向これも大変な仕事ですね] ― そうですね。でも検事さんと仕事出来るのってなかなかないことなんで。例えば国税庁で査察というのがあるんですけど、検事さん、訴追して下さい!とお願いする立場になるので。対等に仕事をするというのがあまりない職種の方々なんですけど、出向で行かせてもらったんで今でも検事の方とか仲良くさせてもらってますし。ヒローとかのドラマにもありますように、皆さんしっかりされています。[検事さん、会ったこともないし近所にもいないから] ― その中の一人がこの間、衆議員選挙で受かられた、岡山の山下貴司先生という方が。[まだ出演して頂いてないです。そういう方はこんな平場の番組に出ない。(笑)] ― いえ、機会があればご紹介しますけど。[そして、官邸スタッフの時に結婚された。どなたと結婚されたのですか?] ― シカゴ大の同級生と結婚して。[奥さんはシカゴ大の同級生、日本人なんですか?] ― 実はその時は日本人じゃなくて台湾国籍だったんですけど、今は帰化して、中途採用で金融庁で働いているんですけど。金融関係の外資とかを。最初は日系の銀行だったんですけど。[そして長男が誕生] ― この頃は一番良かった時期、ふり幅が安定しているんですけど、今度は主計局に、予算を作るところで大変なところだったんですよ。すごくこき使われると言ったらあれですけど、忙しい時期で。一番大変だったのが、第一次安倍政権、平成19年頃ですけど、年金の担当で。[消えた年金、どうなっちゃったんだろう?] ― まさにその担当、それも関わっていたんで。[私が生きている内には解決しますと言ったやつね] ― それを言ったのは民主党の方で、民主党が高い球を投げて。これは非現実的だなあと思っていたところで、だいぶんやって吹かして政権を持って行ったけれども、結局、彼らは言ったことを全部やりきれてない。[役人を敵にまわすとこうなっちゃうんですよね] ― てなことで大変だったわけです。人事の室長になって、ここまでは振れ幅が大変だったんですけど、海外赴任をさせてもらって、アメリカの大学なんですけど、スタンフォード大学の研究所に行かしてもらって。[何を研究したんですか?] ― ちょうどリーマンショックの後だったので、日米の金融危機対応、公的資金注入の政治過程を比較するみたいな研究をさせてもらって。思うのは入省したころ、時期的に住専問題とかで日本の金融危機が始まる頃だったんですね。あの頃、忘れられないのは、入省して最初の帰省の時に、東京駅からかなり仕事をされている感じの年配のご夫婦が座られて、最初は若造が横に座ったから、みかんでも食えやみたいな感じで和気あいあいとだったんですけど、話がどういう仕事をしてるの、大蔵省だとわかった瞬間にすごく怒られて。俺の会社が潰れても金を入れてくれないのに、なんで金融機関だったら税金を入れるんだと。[公的資金注入、毎日がその話でしたよね] ― 私は半分泣きながら、経済の基盤と言うのはあるんだから、血脈だからという話をしたのを今でも覚えているんですけど。リーマンショックが終わった後に金融危機が起きたら公的資金を注入するのが当たり前だと、世界の常識だと変わってきた。そういう経験もあって、そこの研究をしっかりしたいなと思ったし。この頃思ったのが、政策って人気で決めるもんじゃないと。10年、20年後振り返った時に、あの時にいろんな選択があったけど賢い現実的な責任のある政策を打ったねと評価をしてもらうことが大事だと思うし、[私たち国民はわからないし、わからなくていいんですよ。一歩二歩、先を行ってもらえれば]― いやいや、そういうもんじゃなくて、理解してもらえるように頑張るのが政治家の仕事なんですけれど。そうしないと結局、損をする、困るのが社会でありコミュニティー全体が浮沈を受けてしまうということになるので。そういうものを頑張りたいなと思ってそういう研究をしていて。その頃長女も生まれたんで、この頃はちょっといい時期で。[3.11の時はどこにいらしたのですか?]― 3.11の時はスタンフォードにいました。ちょうど地元の元市長が訪問しに来てくれて、その日サンフランシスコに送った直後に、大変なことになっていると、向こうでもすごいニュースになっていて。福島の事故なんかも伝えられたので。今、エネルギー関係の事をかなり頑張ってやっているんですけど、エネルギーのことを考える大きなきっかけにもなりました。[リーマンショックと3.11で銀座なんか、真っ暗でしたよ、本当に。この10年、「みわちゃんねる」に財務省出身の方はたくさん出て下さっているんですけど。みなさん、大きいお金とか、帳簿上の国を動かすお金には鋭く、それは当たり前ですけど、本当にみなさん自分のお金には無防備ですよね]― (笑)それはどういう意味ですか?[悪いんじゃないくて、可愛いなということ。奥さんがいないとみんな、暮らせないと思いますよ。それぐらいいい加減と言うか、お金の事を全然気にしてないから]― 今はまさに個人商店を開いたばかりなので大変です。[そして、どうして政治に出ようと思ったんですか?]― ひとつは、前任の松村龍二先生という方。福井県の参議院って3年ごとに交代する時にひとつの方は党人派から出て。[党人派というのは?]― 例えば、県議から上がるとか、地元から上がるとか。松村龍二先生もその前の方も福井県の高校を出て東京に出て役所に入って、戻ってきて地元のために仕事をするというキャリアパスを歩んできた方がつながっていて。松村龍二先生もとなりの勝山高校というところで、私の母の里なんですけど、同じ在郷の方なんですが。松村先生から自分は次に出ないからおまえどうや、という話があって。もうひとつ、スタンフォードに行っていた時に、いわゆるシリコンバレーと言われるグーグルとかアップルのある地域で世界的にも注目されている地域なんで、福井の地元の財界の人がこんなやつが福井からアメリカに行っているの面白いね、ちょっと話をしてみてくれと、講演会みたいので講演をいくつかやっていく内により多くの人に話を聞いてもらえるみたいになって。不思議なことに霞が関にいるよりもアメリカにいた方が福井が近かったという。こんなことがあって、福井に経済がわかる政治家がもっといた方がいいから、帰って来ないかという声が流れてきたわけですけど。ただ、残念ながら、結構もめましてですね。[党員投票の所、幸せ度数年表、下がっていますよ]― 正直、私は負けると言われていて。公認がもらえる前段階に退路を断って財務省を辞めて地元に帰って、出ますという風にやって。下馬評では負けると言われていたんですが、おかげさまで何とか公認を頂いて今回、当選することが出来たところですね。[どなたを負かしたのですか?]― 元県議の方と大学の理事長の方と、三つ巴で。[それは財務省が強いですよ!] ― 見てもらうとわかるように(「幸せ度数年表」を指して)社会人として多くの人に出会う重要な20年間、地元に居なかったんで、ほとんど「滝波?誰?」みたいなところでやっていたわけです。[それでいいんですよ。ずっと地元から出ると大変ですよ。小さい時から知っているから、あれは何とかでと、地域の人はみんな言うんですよ] ― 今回選挙で有難いと思ったのは、地元の高校、歩いて10分のところに行ったわけですけど、そこで山岳部にいたんですね。一緒に山を登った友達が、おまえ一緒に山登ったな、やってやるわ!と言って、いろんなグループを作ってくれて。イメージカラー、私は赤を使っていたんですけど、日の丸の赤、燃える赤とやっていたんですけど、赤シャツを着て、たきなみFCと言ってファンクラブなのかフットボールクラブなのかわからないんですけど。(笑)そういうのを作ってくれて。そういう地元のつながり、久々に大同窓会をやってくれたりとかして紡いでいって。[でも嬉しいですね。同級生って妬みとか、ライバルとかいろいろあるけど、同級生が頑張っているというのは励みになりますからね]― そうですね。年代的にそれぞれ中堅ぐらいになって、社会の事どうしようという風な時期になってきて、20代、30代はがむしゃらに走っていて交流も出来ないようなところがあったと思うんですけど。それが社会のためにという時期が。今回、ふるさとに戻ることが出来て良かったと思っています。[どうですか、バッチを付けた時と霞が関にいた時と。永田町と霞が関はどう違いますか?] ― さっき福田一先生の話もしましたけど、良い政策を打って良い社会を作るというのは同じなんだと思います。そういう意味できちんとした政策、さっき言ったみたいに10年後20年後振り返ってですね、評価されるような、歴史の検証に耐えられるようなものをちゃんとやっていきたい。そこは全く同じなんですけど、組織というのと政治家と全然違うのが。[個人商店と大企業ということですね] ― まさにおっしゃる通りです。大企業に居ると根回しして合意を取って行かなきゃいけないから、100いいと思っていることが外に出る時に20ぐらいになったりするんですけど。

でも今は個人商店なので、自分が思ったこと、こうだと思うことをそのまま100言える。本当にこれは有難いことで、特にですね、ふるさとの福井のためにと思うことを言える。当然、福井なんてちっぽけなものですから、我が国日本というのがしっかりした政策でいい社会でないと、福井なんか壊れちゃうわけですよ。だからやっぱり、いいふるさと福井を作り、日本を作るということが一番、地元の自分たちのために大事だと思うから。そこについては思うことをしっかり全部言えるということは、責任も伴いますけれど有難いなと思います。

 

●最近の政治トピックス

 

[これは何ですか?平成27年春 北陸新幹線金沢開業] (日本地図のボードがアップになる)― 新幹線です。来年の春に北陸新幹線が金沢まで来ます。今、リニア新幹線が話題になるかもしれませんが、新幹線の世界では北陸新幹線、北海道新幹線、九州の長崎ルート、この三つを整備新幹線と言っていて。これをやっていくのは決まっているんですけど。金沢まで新幹線が来る、金沢駅がきれいで、金沢は10年以上前から準備をしているんですが、残念ながら福井にはとなりの県なんですけど。これを何とか前倒しをして早期開業に向けていかなきゃいないということで、自民党と公明党に新幹線のプロジェクトチームというのがあるんですが、おかげさまで私、そこに入れて頂いて今頑張っているんですけど。[早くなりそうなんですか?]― ええ、去年の秋には火も起きていない状態でしたけど、年末に座長の町村先生、元官房長官、外務大臣の町村先生なんですけど。決議書を取って行きましょうと第一次申し入れをして。その頃から比べて今、この夏に第二次申し入れをしましたけれども。政治与党のワーキンググループがもうすぐ出来る、だいぶん盛り上がっていて。何でそれが今盛り上がっているかというと、3.11。国土強靭化というのがテーマになっています。3.11が訴えかけれることというのは、いかに国民が国家が生き残っていくかということを真剣に考えなきゃいけない。となった時に、3.11の時も太平洋側がだめだ、通じなくなった時に、いろんな物資を秋田港とか新潟港から陸揚げして、そして日本海側の交通網、もしくは横断を使って物資を届けたという話があります。南海トラフト巨大地震が来たら太平洋側が使えなくなる。その時に日本海側のバックアップの機能、北海道にしても長崎にしてもそれぞれの航空便に対するバックアップ機能と言うのがすごく大事になってくると思うので。そういう観点で、今でも残念ながら公共事業が全部無駄だとかそういうことをおっしゃる方、民主党なんかにもたくさんいらっしゃると思うんですけど、決してそうじゃなくてですね。実は財政をやっていた者としては、なんで日本の財政赤字が積み上がっちゃったか、社会保障の世界で。[社会保障を厚くし過ぎちゃったんですか?]― 厚くしていいんですけど、受益と負担がバランスしなきゃいけないんです。北欧みたいに高福祉だったら負担も高負担にしておかないといけない。日本の場合は福祉のレベルは中福祉レベルちゃんとあるわけですね。国民皆保険制度、社会保険国民皆年金。アメリカなんて公的年金はほとんどないんで、低負担で低福祉でバランスしているんですけど、日本の場合、中福祉で負担は低なんですね。このギャップがずっと積み上がって財政赤字になった。だから財政の世界から言うと、受益と負担のバランスが取れることが社会保障で大事なんですけど。なぜか公共事業ばかり無駄だ、無駄だという風になってしまって、そのイメージがどうしても変えられない。だけど今、申し上げたように「3.11とか笹子トンネルの天井が落下したとか、そういうところで何を政府がやらなければいけないかと考えた時にこの国土強靭化は大事だし、そういう意味での新幹線、中部循環自動車道というのがありますけれど、福井から名古屋の方に抜けて行く道になるんですが。政府しか出来ないいろんな国家戦略、国が国民が生き残るための重点投資というのをちゃんとやっていかなきゃいけないかなと頑張っているので。[国家プロジェクトが前倒しになることがあるんですね]― そこはですね、何を苦しんでいるかというと、やっぱり財源問題って難しいんですよ。これも相当工夫をしなきゃいけないと思っていて、単にこの財政状況でよこせ、よこせ、国費使えというんじゃなくて。新幹線のいいところというのは、九州新幹線がそうなんですけどJR九州の経営を九州新幹線はすごく上げているわけですね。国のお金、地方の県のお金だけじゃなくて、国で作ってJR九州に貸し出して貸付料をもらう、民間の投資ももらうんです。官民共同のいいプロジェクトなわけです。それによってJR九州は三島、三つの島、北海道、四国、九州はなかなか、東海、東日本、西日本のJRに比べて経営が大変だねと心配されている中で、九州新幹線によって地域もすごく活性化してきた、その中で官民の成長に向けたいいプロジェクトなんだということを考えていて。財政についても、JR九州の株式の売却益を使うとか、そういうことを含めていろんな工夫をして早期開業に向けて年末しっかり出来るように頑張っております。[民主党が北欧モデルにした介護とか福祉の悪いイメージが残っていて。北欧をモデルにしちゃうと若い人が働くと税金を取られちゃうから、ある程度国で決められた仕事をして国からお金をもらうような]― 福祉も社会保障も生活保護の問題もあったりしますけれど、日本でも。日本は資本主義の国なので。高福祉だけだと、いいねとなると思うんですけど、高負担というところを本当に受け入れるのかどうか。日本は経済大国として資源もない中で経済力で頑張っている。アメリカみたいな市場原理主義の世界とは違う。そこは安倍総理も瑞穂の国の資本主義ということをおっしゃっているんですが。日本なりの資本主義があるにしても市場の力をしっかり使いながら、でも政府は政府としてやらなければいけないことをきちんとやっていくということを制度にしていく。中福祉低負担、これを中、中で合わせるのか、低、低で合わせるのか、中と低に合わせるのか。どこかできちんと整理をしていかないといけないと思います。[今、法人税の話でもめているというか、安倍さんは法人税を下げると言っている、税調はそんなことないと言っている。財務省は困ると]― マスコミって図柄をいろいろ作りたがるから。(笑)実態としては法人税率を下げて行くことによって国際競争力を確保して、同じコミュニティーの中でも走らせたら足が速い子もいるし、遅い子もいる。だけど足が遅かったらだめだということじゃなくて、同じコミュニティーの社会の仲間なんだから、それはちゃんとサポートしなきゃいけない。障がい者の方にしても同じ社会の中に生まれた同朋なんだから。そういう意味で稼げる人間にちゃんと稼いでもらうという部分の競争力で法人税率がかなり足かせになっている。だから税率を下げなきゃならない。それがひとつあるんだと思いますし。[稼げる人間が海外に流出しちゃうということですか?超富裕層の取締りをやっている]― 稼いだ人にはちゃんと払ってもらわなきゃいけないというのがあって、日本で企業で黒字会社で法人税を納めているのが3割しかいないんですね。だけど、法人としてこの社会に住んでいる以上は何らかの社会サービスを得ているわけで。他の国でも税率を下げる時には課税ベース、納める人の幅を広げるということは必ずやって、それで財政の規律を何とか守るところがあって。日本でも税率は下げるけれど、課税ベースをちゃんと広げる。地方とか中小企業とか、いろんな公的なものの配慮というのはきちんとしていかなきゃいけない。だけれども、税率だけ下げて安くなりました、納める人が出てきませんといったら、財政赤字になる国ですから、爆発する可能性があるのでさせないように、しっかり現実的な、さっきも言いましたが、将来振り返って理解されるような結論をこの年末にするということなんだと思います。[法人税を1パーセント下げると何千億か減るんでしょ。それで携帯に税金をかけようとか、犬にかけようとか。いろんなホットな話題がこの国にありますね。役人ってどの時代も、取ってやろうというのがね]― たぶん、さっきから言っているように、受益と負担の比率のバランスが日本は今ひとつ上手くいってなくて。なんかね、国庫が自分たちと違う世界に一つあるようなイメージになっているじゃないですか。だけど国って単にボックスになっている通過点だけで、税金で払ってそれに対して公共サービスを得ているわけですね。その部分を自分たちが受けるサービスよりも少ない負担しかしないで、将来世代にツケ先送りしているというのが今の日本の実体であるのは間違いないので。サービスを得るのであれば、それなりの負担をみんなでする形を上手くやっていかないと。まさにリーマンショックの頃、ヨーロッパの方で財政危機が起きたんですけど、その時にギリシャとかいろいろ問題になりまして。あの時にPIGSとそれらの国々の事を言ったんですね。ポルトガルでしょ、イタリア、ギリシャ、グリースですね、スペイン。要は別称なんですよ。ピッグはぶたのことですね。イメージとしては財政赤字を作っている国と言うのはようするに、食べるだけ食べて自分たちの事をちゃんと負担を出来ない規律のない人間なんだということがその言葉に入っているで。一般に使われる言葉だったんで、どこかの政府の紙にも使っていたら、別称の言葉を使ってはいけないという意見が来て。今はPIGSという言葉は使っていないですね。気を付けなければいけないのが、ギリシャという国よりも日本の方がGDPに対する財政赤字の量が多いんですよ。日本は200パーセント越えで、ギリシャは160とか170ぐらいです。とういうことは日本はその点においてはPIGSだと思われているんですね。勤勉、正直、感謝を信条にしていて、世界から尊敬される、大事な気持ちなんだと思うんですけど。その日本人のあるべき姿がですね、我が国の形として、特に政策の世界で保たれているのかというところをきちんと見直していきたい。これが取り戻されれば、日本人と取引したい、なぜなら勤勉で正直で感謝で信頼にたえるんだとう風なところにちゃんといくはずだろうなという思いをもって。(滝波議員のリーフレットがアップに)これも地元の高校の先輩で雑誌の「ニュートン」ありますけど、最初の編集長、最初に作られた方、竹内均先生という物理学者なんですけど。私が中学校の頃に竹内先生が地元に帰って後援されて、勤勉、正直、感謝とおっしゃったのが、良い言葉やなと思って。それ以来、この言葉を信条としています。[日本の借金、子供たちにツケを残さないとみんな言うんですが、いつ返すんですか?] ― とにかく減らしていかなきゃいけないし。[でも、期限がないんでしょう?] ― ひとつひとつの国債は短い物だったら1年から、長い物で30年債もあると思うんですけれど。それは持っている人に返さなきゃいけないんですね。[積算するとすごくあるんでしょう?] ― 1千兆円と言われておりまして。日本のGDPの倍以上あるわけですよ。普通の家計だったら、とうの昔に潰れている。普通の企業でも潰れているわけだけど。[一般会計予算の90兆よりも多いんですね] ― ずっと多いですね。[どうやって返していくんですか?返せないのに、国の借金の話になると政治家が出てきて「子供たちにツケを残さない」という。どうするの?有り得ないでしょう] ― それはさっき言ったように社会保障のところで、受益と負担をしっかりとバランスさせる。中福祉、中負担にすると、傷口の止血になるだけですね。いままであったものはそのまんま新たな財政赤字出てこないというところに、何とか持っていかないといけないだろうなということだと思います。間違いなくわかることは、もし財政危機が起きてしまったらどんなに大変なことになるか。よくね、トライアンドエラーでね、やってみてだめだったら変えればいいじゃないかという話がありますけど、社会の仕組みはそういうもんじゃないと思います。そういう意味では民主党の3年3ヶ月で失ってしまったことというのはすごく大きいと思いますし。さっきも言ったけれども、人気があって耳触りがいいからそれがいいとやった時に、将来10年、20年先に振り返って良かったのかということで。社会全体がみんなで困っちゃうんじゃないかなと、そういう思いで頑張りたいなと。政策でも言うことは言っていかなければと思っております。

 

●今だから言えるあの日のあの出来事

 

安倍第一次政権の時に年金の記録問題でね、大騒ぎになった時に、一番きつかった時期です。その頃に、今回、主計局長になりましたけれども田中一穂さん、安倍総理の総理秘書官をやっていた方が、私が役所に入った1年生、2年生の時に同じ課でお仕えした上司だったんですけど。当時、田中総理秘書官の方から私の所に電話がかかってきて、「滝波君、これ何とかしろよ」と言われるんですけど。[何を何とかするのですか?] ― 年金記録問題がひどい状態になっていて、安倍政権が批判されて大変だと、何とかしろと。なんとか頑張りますと言うんだけど、総理秘書官から一主査のところに電話がかかってきて、主査とは課長補佐のことですかね。あ、やばいな、と思ったのが当時ありました。[どうしようもないから、課長補佐に電話をかけるんですね] ― 逆にお電話を頂いて意気に感じる部分も当然ありましたけれども。あの時に思ったのは、民主党の方の批判というのがなかなか出来ないだろうと。ある程度の時間をかけないといけない部分もあるだろうし。5千万件の消えた年金については、3千万件までは突合が来てきるんですけど、2千万件は残っている。2千万件は亡くなった方のものとか、どうしようもない世界があるわけです。私が覚えているのが、その時に何で国が管理していないんだという話があったんですけど、ずっと政治の世界を見ていればわかる話なんですけど、それをさせなかったのは野党なんですね。要するに、国が個人の情報を全部管理しているのは情報管理社会で統制社会はだめだと、いう議論が社会党とかずっとあって。今、マイナンバー制が出てきていますけど、あれなんかすごいことで、よくそこまで皆さんが、一昔前だったら、なんでおれの情報を黙って持って行くんだ!と言って怒るような話を、その当時になんで国が管理してないんだ!に、コロッと変わったわけですね。制度の建付けを変えて行った部分もあって。いろんな限界を現実的に進めるという時にエキセントリックに言ってもしょうがないなと。建設的にいかなきゃいけないなという思いも、当時したりしました。なので今回の党員投票(福井県の参議院選挙に立候補する時)の時も、「おまえは本当に自民党なのか!」言われましたけれど。「何をいっているんですか、私が一番苦労して頑張ったのはまさに、安倍第一次内閣です。その時に民主党と対峙して頑張ったんですよ」と。いう風なこともあって、これが功を奏したのか、今回なんとか公認をもらって上げて頂いたところです。[今は国会議員として年金問題に取り組んでいるのですか?]  ― そうですね、社会保障は重要な話だと思うんですけど、まず、地元の関係という事もあって。新幹線もそうですけれど、エネルギー。福井県は日本で一番原発立地のある所でもあります。エネルギーについても10年後、20年後振り返って、あの時にいろんな選択肢があったけれど堅実で現実的な賢い選択をしたなと言う風な形になっていかなきゃいけないということで。いろんな形で訴えて、この4月にエネルギー基本計画というのが出来ましたけど、それにあたっても部会とかでしっかり発言をして、エネルギーとかそっちの方で頑張っているところですね。