みのり川 信英
ac13
第62回
2013年02月13日 放送

自民党 みのり川 信英 衆議院議員

(動画より文字おこし)

自民党(秋田3区)3期目(2013年2月13日収録時点)

[この日のために「みわちゃんねる」続けてたと言ってもいい(笑)。国会議員の中で誰がタイプかと言ったら、みのり川さんなんです]―…(テレながら)もう帰りましょうか?(笑)[再選おめでとうございます。みのり川さんが永田町にいない間、どんなに寂しかったことか]―そんなこと(笑)。[ずっと秋田にいらした]―ほとんど秋田に。東京には数えるくらいしか来なかった。[どんな活動をされていた?]―落選の日、次は必ずやる、と思っていたので、次の日から町に立って活動していましたよ。[秋田3区は、ベットタウンのような、駅があって何十万人の人が乗り降りする、という所ではないですよね?]―駅はあるけど人がいない(笑)。[都市型の議員の方とやり方が全然違う?]―全然違う。こちらの方は、皆さん「駅立ち」をするって言うんですね。「駅立ち」、意味がわからないですから(笑)。[朝食を食べている時間に一軒一軒回るイメージ?]―それもやる。朝ごはんの時が一番居る時間なんですよね。朝立つっていうと、交通量の多い道路の交差点。そういう所に立って、駅に立っている時と同じようなことをやるんです。

●幸せ度数年表

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みのり川信英

[1964年誕生。秋田で生まれた。]―高校までずっと秋田。[全然なまりがない]―いやいや、なまりますよ~。もともとそっち(秋田)だからね。これ(今の標準語)が作っている仮の私ですから。[慶応大学…]―法学部政治学科。[同級生で有名人はいる?]―同級生ではないけど、私が入ったゼミの先生が国分良成先生と言って、今、防衛大学の学長。彼のゼミの一期生なんです。[どんなゼミ?]―中国の勉強。現代中国論という。当時は1980年代だったので、中国の経済も良くなかったろうし国も閉じてたから、色々な文献を読んだり勉強したりして。[秋田はいい所だってツイッターで来てますよ]―いいですよ~。でも今、雪が多くて大変なんです。昔は3年続いて大雪にはならない、って言われていたけど、今年3年目なの。本当に大変で、つい先週政府からも視察に来てもらって。[1985年、21歳で初海外。どちらに?]―シンガポールを経由してヨーロッパに。[留学?]―いや、大学3年の夏休みにバックパッキングで。当時出始めた「地球の歩き方」という本を持ってでかけたわけです。ちょうど85年というのは、「プラザ合意」といって円高が始まる頃なんです。240~250円だったと思う。色々経験して考え方も変わったし、面白かったですね。[そして、秋田銀行へ入行された]―バブルの前で、我々の頃は就職は意外に楽だったんです。証券会社とか広告代理店とか。[地元でいずれは政治家になろうと思ったから秋田銀行に]―当時、亡くなった父が県議会から国会に初めて挑戦して落選したんです。で、私も色々考えたわけです。東京でチャラチャラサラリーマンをしてちゃいかんのかな、と。地元に帰ろうかな、と思って。当時色々なお話があって、秋田銀行さんからもいただいたので、帰ってきたんです。[お父様は4期衆議院議員を務められた。そして2003年に亡くなってしまわれた]―平成15年の4月に亡くなって、その年の11月が選挙だったんです。で、初当選した、と。[お父様4期も務められて、偉大過ぎるからなかなか大変だったんじゃないですか?]―大臣にこれからなっていくぞ、という4期目から5期目の脂がのってきた頃に身体の調子が悪くなって、多分本人は悔しかったんだろうな、と思う。[秋田銀行を辞めて、選挙に出られた]―辞めてから結構時間があるんです。その間にアメリカに留学したり、帰ってきてからは父の秘書をやったり。[お父様の秘書はどれくらいやられた?]―10年くらいはやったんじゃないかな、私設と公設という形で。[そして、2003年の11月が初当選?]―11月9日が投票日。[小泉政権時代]―そうです、小泉さんが2001年に総理になられて、自民党の総裁選挙が終わって、もう一度信を問う、ということでやったのが、2003年の選挙。[2003年初当選で、2期やられた]―そうです。[そして、2009年のまさかの落選]―まさかでもなかった、あれは。自民党というだけで、もう…。[でも地方はまだ…。東京は大惨敗でしたけど]―地方も今はテレビやインターネットもあるから、情報は変わらない。だから影響はすごくあって。[どうですか?初めて落選して。回ってて反応は?]―罵声こそなかったけど、やっぱりムードが違うな、という感じがしましたね。比例も、もうちょっとで…という感じだったんですけど、色々と足りなくて。[何番目くらい?]―比例?次点なんですよ。惜しかったと言えば惜しかった。しょうがない。[でも落選中に同じ秋田県の石井浩郎さんが(初当選)。心強いですね、味方もできて]―彼の選挙が、ちょうど私の落選中の2010年。あの時は盛り上がりましたね。[自民党もあまり良くない時期だった]―そう、まだ完全に復活もしていなくて、秋田県のほうもまだちょっと元気がなかったので、彼が来たのは大きかった。

●最近の政治トピックス

[自民党が野党時代は落選されてて、また与党に帰ってきて政権のところにいる、という感じですが、どうですか、雰囲気は?]―第一次安倍政権のときに「ねじれ」は経験していますから、今も参議院はねじれているし、自分的には状況はあまり変わっていないんです。だけど3年4カ月の間というのは天変地異というか、全く変わっているわけです。「俺たちが野党の時は大変だった」という話を、その3年4か月の間守って下さった先生から色々聞いているんですけど。[人数少なかったですからね。今は新人が119人]―倍増です。[その中で大先輩]―「大」はつかないでしょ(笑)。まぁでも国会がどう動いているか、とか、中のことはわかっているから。[委員会等々はどこに所属を?]―議員運営委員会の理事をやらせてもらっています。[大変?]―大変なんですよ、結構。基本的には本会議を運営していく、というのが議員運営委員会なんですが、その他諸々あって。例えば、先日あった北朝鮮の核実験。これについて、国会として抗議なりの決議をしましょう、と、段取りをして各党と調整していくのが我々の仕事。こういうのは時間をあまりかけられない。できるだけ早いうちに反論したいので、ここ(スタジオ)に来る直前まで色々と…。[それも議運がやる?]―そうですね。安倍総理が非難するのは政府としてだけど、我々は国会としてだから。政府と国会は違うので…。[国会として]―国会、というより衆議院として。参議院は参議院でまた同じようにやる事になると思います。それと、国会対策委員会の副委員長ですね。いわゆる裏方、というか。[他にトピックスは?]―やっぱり第二次安倍政権。今のところ円は安くなるわ株は上がるわ、なかなかいいんじゃないか、と。まだ何もやってなくてこれからなんですけどね。[どうして、何もやってないのに世論調査が「評価大」に?]―これは期待値ですね。期待値は大事だけど、実際やってみて「何だ」ということになると困るんで。でも今回は色々な意味で慎重にしながらも、政策としては大胆なことをやっているな、という気がする。[みのり川さん、派閥は?]―私は入っていないです、無派閥。一番大きい派閥は無派閥(笑)。[自民党も変わりましたね(笑)。最初の安倍さんより今の安倍さんのほうが非常に力強い、という話も聞きますが]―それは皆さんが思っていらっしゃるんじゃないですかね。答弁なんかを観てても、違いは我々よりも国民の皆さんが感じていらっしゃるから、世論調査のこういう数字が出てくるんじゃないかな、と思いますね。

●今だから言えるあの日のあの出来事

―今だから…まだ言えないな。現役なんだもん、ネタ元が。そもそもあまり隠し事がない、このままって感じ。つまらないでしょ?(笑)[じゃあ今までの政治生活の中で、一番「もう政治家やだな」と思った時は?]―あー、それはね…入ったときに、最初は無所属だったから、色んな派閥の先輩から声をかけられるんですね。こっちの先輩あっちの先輩にご飯に連れていって頂いたり、「選挙の事で何かあったら言って来い」と力強い言葉を頂いたり。[恩を売るんですね]―そう。そのうち「派閥に入れ」って話が。[勉強会に出ろ、から始まって]―入ったらもう抜け出せなくなる、みたいな。…今だから言える話、ひとつしましょうか。[はい、どうぞ。待ってました!]―郵政解散のとき。あの直前に、前の日の晩だったと記憶しているんですが、反対をしている方たちの会があって、まちがってそこに行っちゃったんです。[みのり川さんは反対派だと思っていた]―いや、慎重派だったけど、反対とは言わなかった。ある先輩に「暑気払いがあるから来てよ」って言われて。その先輩まだいますから言えませんが(笑)。暑気払いと信じて行ったわけですよ。そしたら反対の先輩たちがズラーッと並んでで、「オレ、まちがった…」と。[一瞬でわかった?]―一瞬でわかりました。[次の日に反対議員のほうにみのり川さんの名前が]―もうそっちになっちゃってるわけですよ。当時の国対委員長の中川秀直先生から、「昨日、あそこにいたのか」と朝電話が入って。「色々ポカを致しました」と。微妙な時期だったから。[自民党ってそういう所がウザいようで、そこに優しさがありますね]―自民党は他の党よりもずっと、人と人との関係が濃いんだと思う。それが良さでありウザさであり(笑)。

●質問コーナー

Q: 消費税を増税したら、また経済がガクッとくるのではないか、と不安がありますが、どうお考えですか?

A: それは大事なポイントだと思うんです。消費税を上げる、というのは、目的ではなくひとつの手段。けれども、それをやる前提として経済が全然ダメなのではどうにもならない。前回3%から5%に上げた時も、消費がすごく冷え込んだんです。同じ轍を踏まないために、しっかりやっていく、ということです。数字だけではダメだと思う。景気が良くなるまでのタイムラグって結構あるんです。やっぱり国民の皆さんに実感してもらわないと、数字がいいだけでは厳しいな、と思っているし、それでは理解をして頂けないと思う。特に中小企業の場合は、法律で(消費税を)上げる、となっても、「お客さんからは取れないよ」という話もあるわけですよね。この辺は民主党さんもよく言ってくれるんだけど、そういう部分はきめ細かくやっていく必要があると思うし、決して上げることが目的でやっているのではない、という事をしっかりと皆さんに理解してもらわなければならんな、と。大事な点だと思います。[先日来て頂いた秋元さんも、期待されると非常に身がしまるというか、野党時代よりも、より大変だとおっしゃっていました]―自民党はずっと与党をやっていたわけです。だからその間は、本当はずっと引き締まっていたはずなんですが、やっぱりずっとやっているとどこか緩んでタガが外れるんでしょうね。それを国民はしっかり見ていらっしゃった、という事なのかな、と。今回も当選してインタビューされた時に、当選して嬉しいよりも、今やらなくちゃいけないことに対する責任感が先に来た。だから、にこにこしている場合じゃないんだよ、という気持ちが出ちゃったみたいで、観ていた人に「嬉しそうじゃなかったね」って(笑)。

●今後の政治に対する意気込み

[ぜひTPPを…どうなんでしょうか?]―TPP…私、秋田ですからねぇ。これは選挙の時も言ったんですが、関税撤廃をする、という事が前提であればダメだよ、という話を、安倍さんも言っていました。これが何故ダメなのか。外国に対して国が持っている主権である関税自主権、これと、日本に来た外国人が罪を犯しても、これを裁けないという治外法権。そして、外国から来るものに課税が自由にできない。この治外法権と関税自主権というのは、日本が世界の中で独立する、という意味では極めて大きな意味を持っていたと思うんですよ。時代は変わりましたが、そういうものをなし崩し的に、というのはどうなのかな、百歩譲って関税自主権を完全に放棄することにしましょう、というのであれば、これはTPPではなくて、WTOでやるべきなんですね。TPPは環太平洋、十数か国。枠組みとしてはそんなに大きくない。WTOがもっともっと機能していくべきだと思っているんです。[WTOに任せていられないので、TPP主導でいくしかない?]―そういう議論になっているんですが…。[ご地元の、農業に携わっている有権者の皆さんも全容をわかっているわけではない。煽ってしまう?]―本屋に行くと、TPPに参加したら国が滅びる、という本か、参加しないと国が滅びる、という本か、どっちかなの。アベノミクスもそう。本は売れなきゃいかんから、ある程度極端な話があってもいいんだけど、じゃあ真実はどこにあるんだ、と言ったら、中間のどこかにあるんでしょうね。それがどこにあるか、ということなんだけど。誤解を恐れずに言えば、農業をやっている方の中でも、TPPはいいよ、と言っている人だって実はいるんです。もちろん逆に都市に住んでいる方でも、食べ物の安全を考えた時に、これは良くない、という方もいる。片方がどっちかの意見を持っている人に対して、「賛成だから悪者だ」という考えは良くないと思う。こういう議論は、色々な意見をちゃんと聞かなきゃだめなんです。[わかりやすいですから、一般市民は]―そう、悪者にする、というのは、やりやすい。でも、まあやっぱり、国民的な理解や議論は、もうちょっとしていくべきだと思います。