下地 幹郎
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第12回
2011年12月21日 放送

国民新党 下地 幹郎 衆議院議員

(動画より文字おこし)

国民新党 沖縄1区 4期目(2011年12月21日収録時点)

[「日曜討論(NHK)」に出られてる方がこのような(番組に)…有り難うございます]―「日曜討論より緊張してますよ(笑)。[「国民新党の総会が紛糾してしまった」と新聞に。下地さんが引き金に?]―僕が悪いんです、何でも僕が悪いんです。反省してます。[この経緯を教えてもらえますか?]―新党構想というのがあって。亀井さんが、「自民党でも駄目、民主党でも駄目だから、新しい党を作って日本を変えよう」と。そういう事って必然的に起こるじゃないですか。今、永田町ではもう起こっているんですよ。それを伝えようとしたんですけど、ちょっと説明不足で…。[どなたが?]―私が。塩崎さんのパーティーで、「早く国民新党を解散して、新しい党を作るぞ~!」と…。[言っちゃったんですか]―言っちゃったんです(笑)。[たくさんマスコミの方とか番記者の方とか来てて、すぐ書かれて、それを見た国民新党の森田高さんが怒って]―彼の気持ちはよくわかりますよ(笑)。もう、すぐ謝りました。

●幸せ度数年表

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第12回下地幹郎

[ここ(名前の部分)、本当は皆さん普通に名前を書かれるんですけど「ミッキー」って]―遊んでいい、って言うから。[「ミッキー」っていう感じ。太陽みたいな方ですよね]―いやいや、顔が赤いんでね(笑)。[(幸せ度数が)ずっと50点]―僕はものすごくチャレンジするタイプなものですから、失敗も多いわけです。それでまたチャレンジする。だからいつも、プラスになって戻って、うまくいったらまた戻って。こんな人生ばっかり送っているんで。だから僕、いつでも50点。自分の人生をあんまり卑下しちゃいけないんですけど、均してみると50点ですね。[どんな高校生だったんですか?]―高校生の時は、野球。県大会で決勝戦までいったりしてね、強かった。[どちらの高校ですか?]―(沖縄県)宮古島の、宮古島高校。野球、詳しいですか?延長16回までいったんですよ。延長16回でツーアウトで、ランナーが二塁。バッター、下地幹郎。[カッコいい]―カッコいいですよね。これでサヨナラ(ホームラン)打てばヒーローになるし。で、監督が僕を呼ぶんです。「幹郎、バントしろ」って。ツーアウト二塁でバントはないだろって(笑)。「監督、本当ですか?」と言ったら「バントしろ。オレはお前の事を一番知ってる」って言うんですよ。[打てるわけがない、と]―そう(笑)。「お前は打てないんだから、バントでピッチャーのミスを誘え」と。お前やらなかったら絶対許さんからな、と監督が脅すものだから。みじめですよね、ツーアウト二塁でバントなんて。でも、バントしたの。ピッチャーが暴投してサヨナラ勝ち。[えー?すごーい!(拍手)]―だけど僕は喜びませんよ。こんな屈辱はありませんから。サヨナラ勝ちしたけど喜びませんでした。だからその時にもう野球はやめたの。もうこれで終わった、と。ツーアウト二塁でバントさせられるような選手なんて、もう人生終わりだ、と。[屈辱ですよね、血気盛んな高校生なのに。その後大学に進まれて]―その時から政治家になろうという気持ちはいっぱいありましたね。[お父様が市長だった。どちらの市長さんだったんですか?]―宮古島市の市長。2期だけやったんです。今から20年前ですかね。[今は、プロ野球の誘致とか…]―そうなんです、父の時にオリックスが来たんです。あの頃イチローもオリックスも有名じゃないから「何でこんなの引っ張ってくるんだ」と思ったら、どんどん人気が出てきてね。[今では世界的なキャンプのメッカで]―気候がいいですからね。それであとはもう、政治家になるためにどうしたらいいのかばっかり考える人生を送っていましたね。[何歳からですか?]―20歳の頃から。僕の政治の師である、山中先生という鹿児島出身の方がいるんですが、この方が脳梗塞で倒れた。で、リハビリのために石垣島に来て、船に乗るんですよ。船に乗ると揺れるんですよね。これがものすごくリハビリにいい。7時間から8時間、毎日船に乗るわけ。先生もただ乗っているだけでは意味がないので、釣りをしていたの。先生が釣り糸を巻いたら横で僕が餌をつけて「先生行きますよ」と投げて、先生が魚を釣ると僕が外して。魚が釣れないと「お前の餌の付け方が悪い」と怒られて。これ10年やったんですよ、選挙に出るまで。[でも不満があったんじゃないですか?釣り糸の餌の替えだけで、本当に政治家になれるのか…]―でも、尊敬してるから。身体が不自由なんだけど、どんどん元気になられて。[リハビリには揺れがいいんですね?]―絶対リハビリには船に乗ること。どんなに凪ぎでも揺れるから。リハビリには船![政治に出るきっかけとなった年は]―初めての選挙は1996年ですね。国会議員の秘書もやらない、二代目でもない、県会議員・市会議員でもない、というのであの頃当選したのは4人でした。[今いらっしゃいますか?]―今、残っているのは…いないですね、僕だけ。[当時33歳。自民党から出られた]―そうです。立候補が33歳で、当選が35歳。2年間選挙運動をして。2年間死に物狂いで動きましたね。[それから落選というのは…]―1回あります。3回目に落選して、次に小泉選挙で勝ったんですよ。[2003年から2005年が浪人だった。どうでしたか?]―浪人は大変ですけど勉強になりますね。みんな、潮が引くようにいなくなるじゃないですか。あれはまた何とも言えない。その人たちにまたアプローチしていって、一人一人戻ってくるのが楽しみなんです。[それはまた、人生の醍醐味って感じですね]―醍醐味ですね。この時、政治家だから寄ってきた人と、そうじゃない人ってわかるんですよね。1回は落選してみるといいかもしれないですね。[ずっと鈴木宗男さんにも…]―そうです、お世話になっています。沖縄のことは、鈴木宗男さんに良くやっていただきましたね。細かいところまで気を使われて。対馬丸という沈んだ船の引き上げの問題とか…学童疎開船で、一千人を超える子供が亡くなったんですが、その記念館をつくるとか、そういう歴史的なものにもよく頑張って頂きましたね。何と言いますか、全国の弱いところだとか隠れたものを引っ張り上げる、そういう作業をやる政治家の中では一番なんじゃないですかね。[そして自民党を辞められた。どうして?]―考え方が違ったんですね。今、普天間基地の辺野古移設という大きな問題がありますが、僕はあの頃から出来ない、と言っていた。無理だよ、と。[でも自民党は出来る、と]―そう。(移設は)出来ないから、大きな基地が2つあるから1つにしちゃえ、嘉手納基地の中に入れちゃえ、と。そういうことをずっと主張してきたんですけど、「党の方針と違う」と。出来ないことを認めて変えることが大事じゃないか、と強く言っていたら「君はもう除名だ」と言われて。[どなたに言われたんですか?]―当時は、野中さんとかね。[野中さん、引退されたじゃないですか]―あの頃はものすごい権力者でしたから。[「君はもういらない」と…そういうことは言わないですね]―言われましたよ(苦笑)。で、どっちを選ぶか、と言われた。辺野古の移設を選ぶのか、それとも辞めるのか、と。しかし政策を変えて嘘ついても意味ないし、それじゃ「辞めます」と。[今、民主党でも自民党でも、党の政策と全部一致している方はいない。皆さんそれぞれじゃないですか。ただ基地の問題は譲れなかった、ということですね]―譲れないですね。16年になるのに今でも出来ないでしょ?自民党政権でやっていても出来ないんです。[国民新党では基地についてどんな活動を?]―辺野古、というのを早くやめましょう、と。あれをやめない限り次の案が出せないんです。それをやめたら、嘉手納統合であったり県外・国外であったり、色んな案が出てくるので。色んな案を言えるような環境作りは、これをやめることだ、と強く言ってるんですね。決断できないと駄目なんです。決断というのは、前進の決断もあるけど、負の遺産だったものもドーンとやめるみたいな。その両方がなきゃいけない。[決断力、政治家は問われますね]―消費税に関しては不退転というけど、こういう問題も不退転でやらなきゃね。…どうも、生意気なことを言いました(笑)。

 

●最近の政治トピックス

 

今やっているのは3つ。郵政、亀井さんが言っている新党構想、沖縄の問題。この3つが今の私の政治課題なんですけど、特に大事なトピックスと言えば…「今の政治の流れでいいのか」ということをいつも考えているわけです。政権交代以来、自民党が議会で法案を通さないよ、と言うと、子ども手当にしても、高校生の授業料無料化にしても、民主党は自分たちの政策をおろしちゃう。「議会の調整で、これを修正します」とか何とかってやるんだよね。それが一番許せない。[公約が公約じゃなくなっちゃう]―そう。衆議院に通す、参議院に行く、自民党に邪魔されて否決される。これをちゃんと証拠を残しておくことが大事なんです。自分たちの公約通り2年半やろううとした、しかし全部邪魔された、これでいいんですか?国民が選んだ政策をずっと邪魔されていいんですか?と問うべきなのにそれをやらないで「じゃあこれはおろします」、「これは金額を少なくします」と。[政治的に、悪いのは自民党、ともっていったほうが通しやすいのに]―悪いというよりも、考え方が違うところを明確にしたほうがいい。それが出来ないで結局は公約違反だと言われちゃっている。僕に言わせると自爆だと思いますね。もっと頑張ればいいんですよ。[どういうところが駄目なんですか?]―やっぱり決断しないから。[決断する人がいない。でも菅さんが色々決断されてたじゃないですか]―菅さんはねえ、決断したというよりも、あれは決断じゃなくて…何て言うんだろうなあ…言いにくいねえ、ちょっとね(苦笑)。決断というのはちゃんとした戦略があって…思いつきと思われないようにしないといけないんですよ。そこが菅さんの場合には少し厳しかったかな、と思いますけどね。[今はどうして駄目?野田さんが決断力がない、ということなんですか?]―野田さんは今、消費税に不退転の決意をもって取り組んでいるけど、消費税を今上げると、間違いなく経済は悪くなるから。円高でもあるし、厳しくなることはわかっているわけですよね。消費税ってみんなに税金がかかるから、経済が落ち込むと消費税って上がらない。経済が良くなると消費税って倍増するんですよ。車2台買った、テレビ3台買った、となるとね。[家を買った、とかね]―そうそう。だから最初は景気を良くして、元気が出るとわかってから消費税に入らなきゃいけない。消費税を上げる前に景気でしょ?景気を良くするためにはどうしてもお金が必要なんです。そのためには色んな無駄を省かなければいけない。お金を生み出すために、今まで赤字国債とか建設国債だけで出していたけど、無利子非課税国債という新しい財源を狙うとか、国債を持たせている日銀からお金を取るとか、そういう事を色々おやりになって財源をつくって、さっき言った景気対策をする。ここでは公務員改革みたいに痛みを伴うので、その前にやらなきゃいけないのは議員の定数を減らすこと。それも出来なくて順番間違って、すぐ消費税というのは、理解されないだけではなくて…この国、大変になると思うんです。[もっと悪くなっちゃうんですか?私たち]―悪くなっちゃう。だから消費税を上げたいというのなら、「来年に入ったら、補正(予算)を組みます。年に2回から3回は必ず組んで、景気対策もやりながら消費税を上げていく時間を待ちます」とかね。もっと説得力のある話をしていかなきゃ駄目なんじゃないかな、と連立与党として私たちは訴えているわけです。[連立与党として、影響力がまだそんなに大きくないんじゃないですか?]―うーん、小さいね。[もうちょっと頑張ってくれないと]―まあ、しかし…小さいんだけど…(苦笑)。[定数是正なんて言ったら、少数政党が一番大変じゃないですか?]―今回は、少数政党にとってもちゃんと選挙制度で頑張れるような、そういう制度を作りたいと提案しています。民主党は「比例をすぐ80人切りたい」とか言ってくるんです。僕らからすると小選挙区を切りなさい、まず数をドーンと減らしなさい、と。300のうちから150ぐらいまで選挙区を減らしなさい、と言うと、150人が怒るでしょ?怒るからやらないわけです。比例は誰も怒らないから、比例だけ切ろうとする。そうするとバランスが悪くなる。そういう喧嘩を今しているので。どこかで決断をして、選挙区も100ぐらい減らす、比例もまず80ぐらい減らす。[大変なことでしょうね、簡単に言えるけど]―大変ですね。でもこれをやらないで消費税というわけにはいかないでしょう。消費税中心にして政界再編成中心にして、全部がもうトピックスみたいに。絡み合って政治が動いているという感じですね。

 

●今だから言える、あの日のあの出来事

 

―先程山中先生の話をしましたが。与那国島という所に行ったんです。ちょうど2月頃で、消費税の…あの時は売上税ですね、相当論議をしている時に民宿に先生といたら、電話がかかってきた。[どなたからですか?]―総理官邸から。[誰だろ?当時…]中曽根康弘先生。電話を取ったら「総理官邸からです。秘書の○○です。山中先生いらっしゃいますか?中曽根総理が代わりたいと言っております」と。僕も「総理官邸」と受話器から聞いたのは初めてなもので、「そそそそ、総理…かかかかか、官邸です」とか言って先生につなごうとしたら…山中先生というのは変わった人なんで、「中曽根が出てから代われ」って言うんですよ。オレは先に出ない、と。「中曽根が出てからオレに代われ」と言うんです。[大変な先生に付いていましたね(笑)]―なので私が秘書官に、「山中先生は、総理が受話器に出てから代われ、と言っていますから、(総理に)代わってください」と言ったら、「えっ!?」というわけですよ。「(そうじゃなきゃ)出ないと言ってますよ」と言ったら「わかりました!」と総理の所に行って。中曽根先生が出て「山中くんか?」と言うから「しばらくお待ちください!」と言って…ほんとはあの時「下地幹郎です!」って言っとけばよかった(笑)。先生に代わったら、あの中曽根さんに「お前は税のことはわからないんだから、オレが3月に帰るまで静かにしとけ。黙って答弁しときゃいいんだよ」って、バチーンと切って。[それで先生は?]―「バカだあいつは」とか言うもんだから…。[(爆笑)!]―当時の総理大臣にねえ、すごいなあと思って。偉くなったら総理大臣にもあんなこと言えるんだなあ、と思って、今頑張っているんです。[原動力ですね。昭和の大物政治家のやりとりって貴重。礼儀とかも入っていますから勉強になりますよね]―ああいう政治家がいなくなっちゃったんです。政治家が軽くなった。

 

●質問コーナー

 

Q : 今日、橋下徹大阪市長がいらっしゃったということで、下地幹郎衆議院議員もお話されたということですが、いかがでしたか?

 

A : 僕はお話したというよりもお迎えさせて頂いて、亀井代表がお会いして。亀井代表が「あなたは革命児だ。人気のあるうちに日本を変えろ」と。人気のあるうち、というのもすごいと思いませんか(笑)。 横に田中康夫さんがいて「オレも(前は)そうだった。今はこうだ」って(笑)。政治家にも旬はありますよね。こういう熱い時に国を変える話をしたほうがいい、っていう亀井代表の仰っている事は正しいですよ。彼のチャレンジはすごいよね。県知事した人が市長になって、日本を動かそうとしてるんですから。素晴らしい。僕ね、鳩山政権の時に沖縄の普天間の問題で…彼らのジェット機の音がうるさいんですよ。最高裁の判決でも負けたりしてるんで…。 関西空港の稼働率が30%。沖合だから遠いでしょ? 全然音が住民地域にいかないんで、橋下さんにお願いしにいったんです。[いつですか?]―3年前ですかね。そうしたら彼は受けてくれたの。「政府が本気で、沖縄の人だけに負担させるわけにいかない、関西空港にやってくれと言うんだったら、私はやる」って。[で、どうだったんです?]―政府が本気で言わなかったから、出来なかったの。だから本当はあの時鳩山さんが橋下さんと話をして、知事に「お願いします」と言えば、私は変わったと思う。橋下さんは本当に熱い思いで「私は今の沖縄の過剰な負担を何とかしたいと思っているので、やれと言われればやる」と。やれと言うならば、政府で決めて自分にボールを投げてくれ、という話をした経験があるものだから、帰り際に「下地さん、沖縄問題頑張ろうね」と握手してくれて。[政治家が惚れる政治家]―いやー、素晴らしいですよね。そういうことが出来る人なんですよ、あの人は。

 

Q : 本当に大切なのは、どうして日本国内にアメリカの基地があるの? という事を国民に考えて頂くことだと思います。

 

A : そうですね。(自分たちの)横に基地がなかったり米軍の方々がいないと、基地問題ってなかなか自分のことのように考えられないんですよね。沖縄で日曜日新聞を読むと、必ずアメリカの基地の人が酔っぱらってぶつかったとか、日常茶飯事でこういう問題がおこるじゃないですか。そういう風な事と66年間一緒に暮らしている人たちの気持ちというのは、なかなか分かりにくいところがある。しかし沖縄の基地がちゃんとしてないと、日本の安全保障がちゃんと守られない。国家に貢献しているわけです。でもそれがあまりにも重すぎるんですよね。だからその重すぎる部分だけをちゃんと減らして頂ければ…沖縄から基地をゼロにして沖縄は何もしない、と言っているわけではないので。バランスが崩れている所を直してもらいたい、と思っているんですが、それが出来ていないんですよね。これを僕らが頑張ってやりたい、と。

 

●今後の政治に対する意気込み

 

―まずは、郵政法案を与野党一緒になって解決をする、ということが一点。国民新党の役割なのでそれをやりたい。それが終わったら、国民新党は…また余計な事を言ったら怒られるから。[どうぞ、言ってください]―国民新党の、今までの郵政の役割をきちっと終わらせたら、その次のステップはこの国の将来をどうするか。その時にはやはり、先ほど申し上げた政党の政界再編成では駄目。これ、という人を選ばないと。この人だったら決断力があってやってくれる、という人を決めて、日本を変える力を作っていく、というのを今後やってみたいな、と。[永田町にいたら、大体誰がどんな人だってご承知じゃないですか?]―だけど小泉さんがあれだけ発信力のある人だって思ってなかったけど、やらせてみると面白かった。化ける、みたいな。小渕恵三さんも「あの人、総理大臣できないよな~」って思っていたけれども、なられるとあの優しいキャラクターで「ブッチホン」みたいなことやって、どんどん人気があがってきたじゃないですか。[ビートたけしさんにも「“海の家のラーメン”だった。けっこうおいしかったよ」みたいに言われて]―そうそう。そういう感じの化ける人が、必ずこの中にもい。[今、700人の中に]―700人にこだわらなくても、別でもいる、と。[地方の首長とかね]―そう。そういう人がトップになって国会議員も集まって…今まで政界を変えるといったら、国会で議員だけの集まりで変えてたけど、みんなから公募する、みたいに。そうやって、なんか新しい力があればいいな、と。それをやってみたいです。[ぜひ!頑張ってください]

 

●質問コーナー

 

Q:「ゆうちょ」の資産が80兆円ぐらい減った、そのお金はどこにいったんですか?

 

A:郵政が三事業一体で運営もなかなか難しくなる、と思われた方々が、ゆうちょにお金を預けなくなっちゃった。その方たちが他の銀行に行ったことは事実です。ゆうちょは弱い所にあって小さく役割を果たすのが仕事なので、これからまたちゃんとして、「郵便局いいんじゃないの?」という声が出てきたら、また少し増えてくるのではないかと思います。[さすがに低迷してる?]―そうですね。今の仕組みがちょっとわかりにくくて。「ゆうちょ」も「かんぽ」も全部局長さんがいて、一緒じゃないんです。普通は4ヶ所あったら「お前4ヶ所ひとりでやれよな」って言うけど、全部分けちゃってるから。「ハガキ出したいんですけど」って持っていくと「こっち銀行ですから隣に行きなさい」なんて言われるから。[まるで役所ですね]―役所みたい。これが民営化って言ったらおかしいよね。みんなできるようにしたいと思っています。