中山 泰秀
arc27
第101回
2013年12月11日 放送

自民党 中山 泰秀 衆議院議員

弁舌さわやか、イケメンです。見た目と同じ、内容も超硬派。
「広島に国連の本部を作るのが政治家としての使命」と言い切る、やっちゃんです。

(以下動画文字おこし)

自民党 (大阪4区)比例近畿ブロック 3期目

(前の「みわちゃんねる」に2006年に出て頂いて小泉チルドレンが一期生でいてその時の二期生)―先週の萩生田さんと同期当選、同期落選。すべて共通。(お父さんも大臣)―最初は郵政大臣、竹下内閣で。その後総務庁長官、建設大臣、国土庁長官。自分も秘書官で一緒について勉強させて頂いた。(おばあちゃまが日本初の女性大臣)―第一号という事で。大阪という土壌は常に政治の新しい最先端を有権者が考えて作り出している地域だと思う。日本で初めての女性大臣も実は大阪の地が産んだ。大臣になったのは池田内閣なので昭和35年になる。初当選した時は婦人参政権が認められて二度目の選挙。それで初当選して国会に行った時は当時はまだ女性用のお手洗いが本会議場に無かった。祖母の話を聞いていると「なんだ女か、女は後だ」と、列を並んでいる男性の間に入っていても後ろに回されて、本会議のベル本鈴が鳴ったらもう焦って議席まで走ったというのが言い伝わっている。今と違う。(今は女性議員であれば多少の票の上積みのメリットは無いとは言えない)―それは美和ちゃんみたいに美しかったら余計に票が下駄の上に乗っかる。(そう言ってくれる様にお願いした(笑))―101回目のプロポーズですからね(笑)。計算して僕をこの機会に呼んだのではなくて?(勿論違う)―(笑)(昨年12月16日の選挙では結構苦戦された)―丁度一年前だが、大阪維新の会の逆風が吹いていた。(やはり強かったか)―いまだに大阪では自民党は野党。自分の頭の中のマインドセットは去年の自民党が野党時代と全く変わっていない。東京に来て一年経った今税調などやっているが段々変わってきたなと。野党感覚が抜けていたらダメだと、もっとほっぺたを抓れとういう風に思う。例えば自動車税なんかでも、批判めいていたらごめんなさい…「軽自動車の税を上げる」と、これから会議をやる前に時事通信が伝えているニュースを見ながら党本部に行って、それで議論した後に結果を言われても「さっき報道で見た」と思うのがまず一つ。自動車税を自動車税で下げた分穴の開いた処を埋めるというのは皆運転免許離れして、若い人が免許取らないでしょ?ドンドン先細り。人口も高齢化で減少化。だったら取れるのは何だと言ったら携帯電話。携帯保有税という税を課して…(自分で考えた?)―僕自身のアイデアでこれを税調で言った。そしたら6割が拍手、2割が苦笑い。既に某携帯電話の役員にも話したしやりますよ。(携帯だと幅広く薄く課税できる)―仰る通り。IPhone 5Sを持っているがスクエアとか千円でやっている。アプリでダウンロードして結局ただ。あれで決済ができてしまう。ところがネットに繋がっているから決済を計上するのがシンガポールであげていたりとか違う無税の様な所であげていたらどうやって将来国税が補足されるか。ビットマネーで1ビット800円位になっているでしょ?中国がすごく投資していて、この会話は10年後当たり前になっている可能性がある。「カレンシー」。貨幣とか紙幣を使わないコインなんかを使わない時代が来ると全部これで会社の決済もできてしまうから、これにどうやってこの内で動かすお金の税を課す…徴税をするのかなと。租税回避などを考える人は携帯電話の中に入ってくる可能性があると思うので…あとは犯罪抑止。ちゃんと捕捉できる、電話のオーナーが。お嬢さんとか、ご覧の皆さん、子供を育てていたら最近皆スマホでしょ?スマホの世界というのは永田町では真剣に考えられていない。この後携帯議員連盟というのを作ろうと思っている。それで青少年の健全育成も含めて携帯とどう付き合うのかというのをちゃんと考えていくべきではないかと思う。(やっちゃんがやるべき。他にいない)―ですかね(笑)賛同者求む。時間が無い、議員としての。政治家というのはアーティストと一緒で、「芸術家」という名刺を作れば…今日から皆写真家でも名刺をを作って配れば「写真家」と認識される。僕たちも「政治家」と名刺を作ればその日から政治家。だけど議員と政治家は違う。政治家である前に良い人間でありたいと思う。良い人間で政治家がたまたま選挙に出て席を取って民主主義の世界で、シャッフルされて税でいわゆる飯を食わせてもらう、歳費をもらう。今議員をやって、議員のうち1年は消化したからあと3年の命、議員として。その間に何するか。次はもうないと思いながらやっている。大阪のど真ん中なので…北区も入っている。都島区、城東区、東成区、福島区…ど真ん中。そういう所で育って来て、戦前含めて祖父さんから三代目。皆「楽しているだろうな」と世襲イメージで。だけど全然違う。それは幸せ度数年表で…。

●幸せ度数年表

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中山さん

(大阪弁が出ない)―出そうと思えば無茶苦茶出る。(分けようと思えば分けられる?)―これは不思議なもので、政治家というのは演説の時には逆に標準語で出来るだけ喋れと。その中で、ただし1%3%位はちょっと地元の意識をもっと強調するための大阪弁でも何でも混ぜて…その方がかえって大阪が印象づく。一応今遊説局長。子供の時から落語が好きで落語を聴いて育っている。お笑いもそうやし落語もそう。子供の頃から半ズボンを穿いてスーツを着せられお袋の手を握りながら近くの小学校で親父の立会演説会とか。親父が選挙の時に子供ながらにすごく切迫した戦いをしていると。立会演説会に行くと共産党から自民党まで全部来てやっている、ガンガン。子供ながらに見てこれが政治だと肌で感じて育っている。(小さい時本当に可愛かった)―有難うございます。8ミリとか一杯残っている。(動画にアップしてください)―今それを編集をしようかと思っている。コンテンツが一杯残っていてフィルムだとカビが生えたり腐ったりする。(DVDにした方が良い)―そうしようかなと思って。(それでずっと大阪で育った?)―はい、中学校三年間だけが東京の区立九段中学という公立の学校に行っていた。父が今もう無い九段宿舎という処に住んでいた時にたまたま中学校三年間だけ移り住もうという事になった。(九段中学は官僚のご子息が多いのでレベルが高く先生のレベルも高い)―有難うございます。安藤優子さんとか先輩がいる。意外なところでは小林興起さんとか。高校はフランスに三年いた。15歳、中学校三年の時にうちの親父にこう言った「ある時必ず政治家になったら日本は必ずアメリカと渡りをつけないといけないでしょ、その時にアメリカ人に「お前どこか留学してたか」と言われて「私はアメリカの大学に行っていました」「おおそうか、日本人の少年がおれの庭で勉強したのか」と言われると悔しい、心の中で嫉妬心が湧くように「ヨーロッパで」」…アメリカのオリジンはヨーロッパなので、ヨーロッパで高校の勉強をやったと言ったら、当時姉くらいは西海岸とか流行っていた時代だったので、そういう話をして自分で学校を見つけてきてお袋に聞いたら「親父に相談しろ」と。親父に聞いたら「お前も江戸時代だったら元服やから自分で考えろ、男の人生は自分で決めなさい」と言われて「じゃ行く!」と。厳しかったので親が。もう逃げるようにヨーロッパへ行った。(当時のヨーロッパはどうだったか)―フランス国内でもテロがあったりして。(フランスのどちらか)―フランスのアルザス、東北地方。ストラスブールの町から87キロ南に行ってコルマール、コルマールから36キロ西に行ってキンツハイムというすごく小っちゃい村に3年間住んだ。寮に住んだ。今この位だとマイナス9度10度位、毎日。自転車に乗って買い物に行く、6キロ離れた村まで。目を閉じたらまつ毛が全部凍っているという。ストーブみたいなのがずっとあって学校の中はすごく温か。僕らが居た処はレジスタンスの元修道院だった。ナチスドイツと或は人が行ったり来たり、国境線が変わって。戦争が激しかったので。そこでずっと3年間。(フランスで一番ショックな事は?)―差別を受けた事。誰か多分日本人の悪い子がいて、フランス語で「バカ」と言われたが、多分何かを盗ったのだと思う、その店で。僕は日本人でそんな事知らないが買い物をしてレジに来ると他のお客さんを全部優先する。売ってくれない。それで最後にバーンバーンと投げて。お金を払って「袋をください」と言ったら「お前にやる袋は無い、売る袋はあってもやる袋は無い」と言うので自分で袋を買って入れてトコトコ帰った記憶がある。あの時は寂しかった、ちょっと。(ヨーロッパは保守的でさもありなんと言う事か)―仰る通り。そういった体験がやはり良い、差別反対とか色々運動は日本でも歴史的にあるが、差別された感覚というのをヨーロッパで味わえたというのは。あとは若かったので高校の時にオーストリアに3ヵ月間スキー学校にも行った。そこへアジア人三人で行ったら全員白人で、いつもバイキングが飯の時間に来る。銀の大きなお盆にソーセージとか一杯のっている。僕らの処に来ると千切れたソーセージとかザワークラフトがちょっとだけ残っているだけ。皆デカいから「あいつらめっちゃ食うなぁ」と笑いながら食べていた。最終日、白人の背の高い男が来て「今日はお前らから食え。俺たちお前らを差別していた。悪かったな」と(笑)。「何でもいいから食おう、半分食ってやれ」と白人の飯が減る様に一杯食べたりして。結構そういう意味では若いから感受性も強かったけど受け身があった。そういう気づかない無神経の余裕という鈍感力というか、今風に言うと。それが逆に今の政治家として活きている様な気がする。(友情もあった)―面白かった。カロリーメイトを定規で計ってカミソリで。4本しか無いのを3ヵ月で割って食べた、お腹が空いたから。育ち盛りでしょ。楽しかった。(本当に楽しかった事は?)―とにかく「スタンドバイミー」の世界。自然が多い。空は真っ暗で星は綺麗だし6キロ先の教会の鐘の音が澄んだ冬の空気で滅茶苦茶聞こえるし、2キロ先のタバコ屋の火が見える様なその位澄み切っていたので。それで皆でUFO呼んだりとか…日本人の仲間とかと。(喋れる様になったか)―最初に行く時はキャンディーズの「アンドゥトワ踊りましょうか」という歌で「アンドゥトワ」を知っていた。「ボンジュール」というのが何処の挨拶か知らなかった。それで行って1年目で聴く耳ができた。2年目は聴いて反応ができた。3年目は会話になっていた。そんな感じ。だけど勉強をもっと真面目にやっておけばという思いは常にいまだにある。(ガールフレンドはできたか)―いい事聞きますね。純粋だったからその時まだ。耳元で「ジュテーム」と言われた時はドキっとした。あの経験はいまだにここに「ジュテーム」と憑りつかれた。それは忘れられない思い出。ドキっとした。連絡は当時ネットが無かったから分からない。(帰って来てどちらの大学に?)―成城大学。お坊ちゃま。ヨーロッパの学校は教職員免許を取ると戻れるので「よしフランスに戻るぞ」と言って学校の単位を3年で全部取ってしまったので4年生は暇。ゼミと教職を取った。そうすると、申請したら母校でできると。フランスでやれると思って学生課に言ったら「お前本当にそう思っているのか、うちの高校でやれ」と言われて成城学園の高校で…丁度映画で真田広之さんの「高校教師」という映画がやっている時に教育実習に行って社会科を教えた。(大学を出て就職は?)―電通というところ。電通に入る時に身元保証人というのが要る、今は知らないが。当時身元保証人は誰にしようかと親父も悩んでくれて、なってくれたのが読売のナベツネさんだった。ナベツネさんの処にお願いに行き目の前で「分かった」と言って「渡辺恒雄」と書いてくれた。ナベツネの大ファン。スポーツ新聞でナベツネが悪く書かれると秘かに味方をしている。育ててくれて色々な事を教えてくれて一緒にハワイも昔行かせて頂いた、電通の前に。祖母が大野伴睦の大野派だった。大野派の番記者がナベツネさんだった。当時父が厚生大臣の秘書官をやっていて、親父、お袋、三代色々教えて頂いて立派な方だと尊敬している。メディアなど、ウィキペディアを見ると嘘ばかり書いてあるし、嘘7、8割ではないか。「面と向かって顔を出せ」と、そういう人は。(電通はどちらに配属されたか)―テレビのCX、スポット1部という処。(うちも広告代理店で「笑っていいとも」をやっている、もう無くなってしまうが)―素晴らしい。ここが実際「笑っていいとも」にうって変る場所になる(笑)。サングラスかけてもらって(笑)。(電通で有名、ヒラタクちゃんと一緒に)―平井卓也大先輩。(合コンなどは?)―合コンもやった。当時はバブルの名残りがあったので大学時代とかアルバイトがすごく楽しくてADをやっていた。東芝EMIの下請会社でフィッツロイという今でも渋谷にあるがそこでバイトをやっていて、カラオケのビデオにも出たりとか…浜省の「ワンアンドオンリー」というライブツアーがあってキャンペーンのライブ会場で最初に横断幕に写る少年で出た。(いまだにある?)―ビデオにある、どこか探せば。浜省ファンがくれた。当時プロダクションの社長が「今度丁度いいからオーバーオールと何か持って来い」と、何するのかなと思ったら浜省に憧れて浜省を下で支える少年の役をやれと。殆どはバックサイドだった。ライブ会場へ行ったりとかカラオケのビデオを撮ったりとかキャスティングをやったり本当に色々な事をやった。給料も良かったし。一泊二日で○万円貰えた。羽振りが良いので友達が「紹介してくれ」と言う。紹介すると、もった奴で3ヵ月。「灯油買って来い」と言われてユーミンか何かのを作る時に寒い所で…ジェットの、葬儀場にある様な暖を取る道具の灯油を買って来いと言ったらそのまま行方不明になってしまったりとか(笑)「なんでお前…」と思うが。でも楽しかった。人生楽しまないと。苦しい時も後から思うと良い思い出になる。(電通は何年間勤めたか)―短かった、1年位。当時父の秘書が辞めたりとか24で初めて選挙に出ているから。初出馬が24、被選挙権は25と思われる方が多いが、選挙期間中に誕生日を迎えて投票日までに25になっていれば法律的には大丈夫。文字通り全国最年少で43143票頂いたが落選…橋本総理の時、衆議院最初の小選挙区、大阪5区で。父と自分と別々の選挙区で出ていた。親子鷹と大阪のスポーツ紙に書かれたりした。24の時は別にリッチではなかったし、大学までは親父は面倒をみてくれたが、卒業したら当たり前だが一銭もくれないから自分で勿論やるしかないが、流石に選挙となるとまとまったお金が必要になるのではないかと当時思って、電話回線を引くと当時10万位だったしアルバイトの電話のおねえちゃんいたとしてもその人に給料が発生するのだと思って、そうすると流石に用立てないと無理だと思って、ある時に親父と晩飯で一緒になった時に親父に頼んだら「泰秀、戦うのはお前だけか?お前もいる、わしもいる」と。自分で何とかしろと言う事だと。お袋は大分味方をしてくれたがそれでも親父は動かなかった。逆にそれが今の自分自身が開拓する一番の理由になったし、最初の選挙の時は掘っ立て小屋みたいな処から…たまたま地元の有名な資産家のガールフレンドがやっていた喫茶店が別れて居なくなったからと「お前に居抜きでそこを貸してやろう」と。「有難うございます」と言ったら「お前の祖父さんに世話になった」と。たまたまそこにおしぼりを運んでいた業者の人が「中山さんここ内装手伝ってあげる」と内装屋さんを連れて来て、その人はボランティアでやってくれたりとか、皆がボランティアで来てくださって、その時たまたまボランティアで来たお嬢さんがいて、本当は父の方に紹介されて(父の)選挙事務所につめる予定だったのが父は手一杯で「せがれの処に行って電話番を」と言われて来たのが今うちの女房。襷かけていて女の子にちょっかい出したり声をかけたらそんな不細工な事は無いので…横山ノックならぬ中山ノックになっちゃう(笑)。そうならない様に一生懸命自分なりに自分の心の癒しの女性だと思って。選挙事務所に帰って「ただいま」と言うとその子がいるかなと心の中で思ってそれを拠り所にしていた、何となく。声のひとつもかけず何も聞かずに選挙事務所から去って8年間結婚するまで時間があった。8年のうち大阪の町は狭いので2回位偶然会った。3度目の時にたまたま父の叙勲の祝賀会を大阪でやっていて、当時自分は秘書で、始まる前に「80人分飯が出ません」と1500人着席の会で。「冗談じゃない!」とホテルに怒ったりしてやり取りしているうちに受付で手伝ってくれた女性のうちの一人がたまたまうちの女房で、大林組に7年勤めていた。久しぶりに会ってビビッと「久しぶりですね」と言ったら「久しぶり」、「結婚した?」と聞いたら「いいえ」「ほな結婚しようか」とそこで言った。4人女性がいたので4人のうち3人は「やっぱり政治家の息子ってちょっとおかしいんちゃう?」と思うが女性としては「私も言われてみたい」と思う心も出て来る。それで女性の心を3対1に分断した。彼女を孤立化させながら「どうどう?」と迫った。それで初めてのデートはその年の2月26日、世で言われる2.26事件。それでデートをして9月12日には入籍した。デートした次の日にダイヤモンド屋さんに行って指輪を自分の当時の限界で買って、風呂入る時以外パジャマのポケットにまで入れて寝ていた。彼女から電話があったらすぐに渡しに行こうと思って。それで結婚したのが今の女房。当選前、24で初めて出て落選して、初当選33だが、その間に衆議院2回落選して、それと地方の補欠選挙があってそれも落選して、それで3度目の正直で衆議院で当選して今3期10年。(今までに何回出て何回落選したか)―細かいのも入れて24から25で1回落選、その後比例だけで出ろと言われて自分が戦った相手を応援しろと言われて卑屈未練の味わいをした、2回目。29で補欠選挙でこれは自民党の地方議員のかたが入札妨害で逮捕された後自民党の公認が誰も出なくて、民主党が不戦勝しちゃうと、それで「せがれがいるじゃないか」と言われ、自分の選挙区支部長の辞表を出して親父の都島区という所に立候補しに行った。それが3~4週間か6週間前。それで落選。それに落選したお陰で次衆議院に突然出た。初当選する時も比例復活。それは当選として4回、この間民主党が3年3ヵ月政権交代を取った時は落選した。3回当選して4回落ちている。世襲とか三代目とか皆楽だと言うが、自分の場合は鳩山ファミリーとも違うし言い方は悪いかも分からないがど田舎の田んぼと畑と動物しかいないなんて冗談で言う先生がいるが「あ、そう」と思う。うちは野良猫もいれば、だけどアスファルトであぜ道も無ければJAの人から昔「中山先生の所には田んぼも畑もありませんから」と一言言われた位、中川昭一さんが生きていた時代、紋切り型で切って来るという切られ方はどんどんやってもらって結構だが「違いますよ」と。一人ひとり人間個性が違うのだから見て貰うのが一番かなと思っている。(三期目という事で後輩が沢山来て議場でもかなり後ろの方?)―まぁ小選挙区比例代表並列制の悪い部分と言ってしまえばそうかも知れないが、一つはシーソーみたいにギッタンバッタンする、もう一つは自分みたいなゾンビ議員と言われるのが出て来る。自分は小選挙区比例並列制は矛盾が多すぎると思う、日本に合っていない。中選挙区に戻すべき。それは誰かが声をあげなくてはダメだし、常に1年生議員のチルドレンがどちらにシーソー来ても居る。天下りの問題を指摘するならば天下り問題は他にもあって、司法立法行政と三権分立で分かれているが、立法府に行政天下りが来るのは世襲批判と同じ様に批判の対象にされるべきではないかと思う。族議員というのは昔の田中角栄さんみたいに、例えばゼネコンに道路予算をつけて「お前らこうやれ、何とか組はどうだ」と献金を貰って金脈政治が批判されたのは族議員と言われた。今は役所のOBが立法府に来て元いた役所と手を結ぶというパターンも今の族議員だと思う。だから自民党の中を見ても、他の党でもそう…世襲もそうだが、役人から見て一番怖いのは世襲。親父の時の事を覚えていて全部分かっているから。過去に何があったか分からないというのが一番怖い。(世襲議員のネガティブキャンペーンをしているのは役人)―もしかしたらそうかも知れない。中には立派な人はいるし、中にはユニークな人もいるし、携帯税論議しましょうと、税目もいつも減らせと税率下げる事ばかり言っていても仕方ないから新しいものを作ろうとしたら生み出せない環境が凝り固まった思考の人ばかりになってきていてフレキシビリティに欠けると凄く思う。ハマコー先生とか親父とか、小沢一郎さんとか渡部恒三さん羽田孜さん…名前を言ったら誰でも分かっている様な同期の人たちがいて、その人たちの膝の上で胡坐の上で僕たち育てて貰って、今永田町へこうやって実際自分がバッヂを付けさせて頂いて来ていると個性が無い奴が多いなと。全く個性が無いのではないか。小泉チルドレンの事をバカにする人がいたが、そうはまた同時に思わない。結構個性豊かな人もいるしハングリー精神がある人で復活して来るし。同時に自衛官の官舎が民主党政権下で値上げが決まって来年の4月1日から倍になるという話があって、東北の東日本大震災であれだけ頑張ってくれたと言われた対象が自衛官、一番信頼を得た人たち、その人たちを国民は称賛の拍手で出迎えているのに頑張った人たちの宿舎を上げるというのはおかしい。それを体を張ってでも「ふざけんなー」ドーンとちゃぶ台引っくり返す様な先輩が昔なら自民党には居たと思う。だけど皆おとなしくなってしまって面白くない。(面白くないけどIQは上がっている)―仰る通りでIQはインテリジェンスクゥオーシェントと言うがIQが良いだけで政治家が務まるかと言うと無理。IQと同時にパーソナリティ、人間性…みわちゃんみたいに賢くて美人で笑顔がある…これパーソナリティのPQ。もう一つはSQ。IQ高くてもPQ高くても運が無いとダメ。運はスピリチュアルだからスピリチュアルクゥオーシェント、SQ。IQ、PQ、SQ全部揃って初めて政治家だと思う。(ビジネスにも言える。政治家だけではない)―本当にそう。政治家というのは究極の人たらしだと思う。どんな野党の人でもどんな与党の人でも個性はそれなりに近づけばあるが、それを厚化粧で隠すなと言いたい。落ちた時も充実した人生を、落ちた時に本当の友が見えるという感じ。そんなもの。忘れられない悔しい思い出は、これだけは許せないというある政治マターがあって、それに強くコミットしていた話だったので、内閣委員会当時国会でこれを質問して貰おうと思って先輩とか、当時小泉チルドレンの当選している連中にお願いで内閣委員会の名簿を見て歩いた、3人位。そうしたら面倒くさそうに会わなかった奴が一人、チルドレンの。もう一人はお願いしたけど完全に無視した奴。「ちゃんとやっておきますから」みたいな事を言って全然最後何もしてくれなかった。すぐ動いてくれたのは平井卓也さんただ一人。「やっちゃん、お前それだけ苦労してこれだけ分かっているんだったら俺すぐ質問するから」と連絡する間も無く即日すぐ質問してくれた。やはりその時に男気というか、政治家は義理人情だという部分はすごく思った。バッヂついて今帰って来てその二人は顔を合わせると向こうは笑顔で…覚えられていると思っているかも知れないが。God Father ⅠⅡⅢ観て勉強してくれと。マイケル・コルリオーネの判断はちゃんとしないと。刺しはしませんけど(笑)。God Father ⅠⅡⅢは男にとってはあの世界というのはバーチャルにエクセサイズするべき。実際の社会の縮図みたいなもの。精神ヤクザな人も多いのではないか政治家って。人生ギャンブルみたいな人ばっかり、選挙でどうなるか分からない。だけどそこへ情熱かけられるだけバカなんだと思う。(だからこそ一つの事一つの約束が大事)―そう、プラス国の事を思っている。そこが一番。子供たちの時代をどうするかと。自分自身は子供が大人になった時に戦争を回避する為にどういう方策を作るかと、それだけ。折れ線グラフを書けと言われたが生まれただけでも幸せだからずっと幸せだと。苦しい時というのは後から思えば笑顔になるし、ずっと自分は幸せです、と。不満は出来るだけ言わない。

●質問コーナー①

Q:車が趣味と書いてあったが?
A:学生時代にある先輩がポルシェに乗っていてすごく羨ましいなと。ドライブに乗せて
貰って峠に行った。峠で停まって「何するのかな」と思ったら「一回運転してみろ」
と。「イヤイヤ~」「いいから運転してみろ」「じゃあ」と言って運転させて貰ったらもうこんなに凄い車があるのかと思った。特に小学校1年のスーパーカーブームで、スーパーカー消しゴムでボクシーのボールペンでパチパチやっていた時代だったので、スーパーカーの後ろにホチキスで滑りを良くしたりやっていたがスーパーカーに対する憧れがすごくあったから、学生の時にそれを運転させて貰ってすごいインパクトで、その日に家に帰って親父に「お父ちゃまポルシェ買って」と言った(笑)。親父は何て言ったかというと「お前アホか、そんなものは自分で稼いでから自分で買いなさい」と言われた。至極真っ当な意見。「お父ちゃん分かった。俺が社会人になって自分で稼いで自分でポルシェ買っても文句言えへんか」と言ったら「わしゃ資本主義者、自由主義者だ。何も言わん好きにしなさい」と言われて22で社会人1ヵ月目に分かったのは何とローンが組めるという事。それで当時としては鬼ローンで頭金を300万突っ込んで500万ローンを組んで835万のポルシェ・カレラRSの中古車をオートキャロットという今は無い中古車屋だが目白通りの。そこへ自分で買いに行って…それが最初の僕のはじまり。22で自分で初めてポルシェを買った。本当は学生時代「35で乗れたらいいな、人生最高だろうな」と思ったがローンで短縮できた。ある時考えた、スポーツカーと言うがよく白髪で将来フェラーリに乗ったらカッコイイと言うが、スポーツができる年の間にスポーツカーに乗った方が良いと。お爺ちゃんになってスポーツカーに乗っても何の道具に使うのだという話になる。後はレースをやっているので、A級ライセンスを持っているので古屋大臣・国家公安委員長とはレース仲間というか、筑波サーキットで世界初の国会議員だけのレースをやったりとか、モータースポーツ振興法という法律を実は今法文を作って、モナコとかグランプリであるが公道レースが出来る様に国家公安委員長と練り各党に根回しを実はしている。今度の国会に上程させて頂けたら有難いと思っている。モータースポーツというものをこよなく愛している、と小学生時代、三原じゅん子さんの大ファンだったが…ゴーゴーチアガールとか手を震わせながらプレイボーイとか買いに行った(笑)。(参議院と衆議院で最高にイイ)―しかもモータースポーツでいつも横に居る、と。(なかなかお会い出来る機会は少ない?)―三原さんと結構意外とある。電話でもお話しさせて頂いたり。今女性局長で、三原さんと色々これからモータースポーツを盛り上げようと。古屋大臣の元でご指導に則ってやろうと思っている。自動車産業が日本の牽引力なのに自動車を否定するというのはあまり良くなくて別に誰が何に乗ってようが全然気にしないし、新車買った人に「よく買った」(拍手)と、納税した人にも「よく納税した」(拍手)と、ついでに寄付を恵まれない子たちにしてくださいと言ってススメ上手になった方が経済が回るのではないか。アベノミクスを引っ張るのは、今「ゴールド」という新しい雑誌が出ているが、僕らバブル世代が今度の牽引力になるだろうと言われている。(ゴールドは女性誌?)―女性誌。企画が良い。僕らの世代がもっと頑張って…当時ジュリアナがあってゴールドがあって金魚という店もあった。ゴールドとジュリアナの間に金魚というディスコがあった。金魚のVIPによく加藤茶さんと東国原さんが来ていたのを見ていた。「すごいな、芸能人は違うな」と。世俗的な話題になったので言うと、キングギドラというラッパーが大好きで、パブリックエネミーというのは高一の時にクラブチッタ川崎に来て、夏にヨーロッパから帰って来た時わざわざそのライブに行っているが、そこへたまたま来ていた同じ年のかた達が今のキングギドラのメンバー。違う角度から同じライブを観ていて大人になってFMの番組を神戸でやらせてもらっているが、たまたまその時によくかける曲でメッセージ性がすごく政治で、本物のラッパーだなと思う。すごく歌詞が良い。イデオロギーの考え方は色々あるが。日本でも若い人たちを鼓舞したりとか、ラッパーでも僕らの世代でああやって頑張っている人がいる。政治家の演説は言ってみればラップ。ライブでいつも生。ラッパーと一回対談したいなと、ライブを一緒にやりたいと思う。日本人てファッションから入るのも入口だと思うが、洋物音楽も含めて中の本質的な部分を同時にそこから広げていってもらうと更に浮足だった政治ファンにならなくて済むのかなと思う。(日本では政治というと構えてしまうがもっとラフに軽く、ただ命を預かる行政はしっかりしてくれ、と)―あとは陰謀説陰謀論が結構あるが、検証というのが大事なのでネットだけで陰謀説陰謀論を説いているのではなく、のぞくきっかけというか、本当にオフ会などで「これどうなの、ああなの」とか言ってもらえたら自分らも行くし、見ている部分というのはある、少なからず。そういうのをちゃんと歴史を伝承しておかないとインターネットはパンドラの箱なので。(SNS:オフ会に行くのか?)―オフ会に一回行った。共産党の笠井亮先生をラジオに呼んだら広島に国連を誘致するのが自分の政治家としての夢だが、その広島の国連誘致の話も話したら、あるサイトを見たら「中山泰秀ついに共産党以下に落ちた」と書かれていた。「なんだ!住所と電話番号を入れるから会いましょう」と言ったら2時間半、東京駅前の居酒屋を予約してくれて、集まった人は元共産党員、全員。共産党に辟易して辞めた人たちの集団だった。あと共産党オタク。何か分からないがオフ会で自己紹介の時急に自分のカバンをバッと開けて札束をばら撒く人とか、凄いオフ会だなと(笑)。本当に不思議だと思った。世の中色々な人がいるなと思った。

●最近の政治トピックス

やはり安倍政権として一番頑張ったのはNSCと秘密保全の話だが、両方ともプロジェクトチームのメンバーで最初から入っていたので議論を見ていた。今思うのは、まずは我々民主主義なので、民主主義における秘密というのは公開が前提だというのは絶対。国民の知る権利、マスコミが媒介になっているがこれは絶対妨げてはいけない。これは大前提だと思う。それが一つ。あともう一つは、例えばオバマと安倍さんが会談をした、中国が攻めて来たらどうするという仮に話をしたとする、それを会談の1時間前にバッと話したら中国に手のうちを明かす事になってしまう。だから一定期間、20年なら20年、35年なら35年は保全しましょう、秘密にして、と言うならばそれは仕方がない、それは国民のリスクになるから。主権者たる国民と政府がそれを約束して公開しましょうと言う法律であるべきだと思う。役人が、自分たちが明かされては具合の悪いものを畳み込む様な事にもし法律がなるなら、それはダメだと思うのがもう一つ。あとは総理が何故こんなに急いだのかをよく聞かれるが、皆さん一人ひとりが総理の立場になってもらって今年の正月に何があったか…アルジェリアでテロが起きて日本人が亡くなれた。政府専用機で棺桶に入ったご遺体を搬送して来た羽田空港の模様というのは皆さん覚えていらっしゃると思うが、一国の総理としてその責任を感じられたと思う。今度のお正月に同じ様な事が起きない様に、もし起きたとしても最悪な事態を情報をちゃんと共有できる同盟国との間で、というものを前提として一つのけじめだと総理は思っていらっしゃるのではないかと思う。だから踏み切った。ちなみにこの法律というのは、出来たから100点満点ではない。何故100点満点ではないか…もしかしたら35点位だと思う。アメリカでもフリーダム オブ インフォメーション アクトというのがあって情報自由法と言われる、同じ様な年限を切って公開をするという秘密の管理の仕組みがある。アメリカでもこの間スノーデンとか、海軍の敷地内で銃乱射事件があってクリアランス…身体検査のチェックを終了した人がスパイになったり情報を盗ったり銃を乱射していたりする訳で、アメリカですらそんな法律があってもクリアランスが100%ではない。という事はアメリカでも80点位のレベルだと思う。パッチワーク法…常にパッチワークで継ぎはぎで法律を作り上げてバージョンを変えていかなくてはいけないという事だと思う。それを日本でも言ってみれば今35点だとしても今年の正月は0点だった訳で、それが35点になった。これはイデオロギーの左右を問わず色々な国民の視点を大事にして取り込んで皆で100点を目指そうというのが一番大事だと思う。(採決で決まったら手直しはできるか?)―できる。やらないとダメだと思う。一番残念なのは、国民主権で選ばれた政治家が、政治家が漏洩した時にその政治家に重罪を課す為の法律を作ろうとしているが大丈夫かなと。政治家からばかり漏れている訳ではなくて、昔はレフチェンコ事件…ロシアのKGBのスパイが当時の労働大臣の石田博英とか内閣のいわゆる情報の人たちとかにKGBのエージェントとして新聞社の幹部もいたがそういう人たちをエージェントにしてKGBが情報を盗っていた。ところがいつも漏れるのは政治家だと政治家が言っている程バカな事はなくて、役人だって漏らすではないかと。今度の秘密保全法で一番欠落している部分は、知識は対象になっていない。究極の秘密は皆さん何だと思いますか?究極の秘密とは、例えばこの部屋が秘密結社のロッジだとして、皆さんが秘密結社のメンバーだとして、同じ体験を共にする事が究極の秘密。それは紙にも書かれていない、刻印された訳でもない、脳の知識。この知識を外で漏洩したとしても逮捕されない。もし自分が賢くて特定秘密の書類を見て全部覚えて外で言ってもパニッシュメントを受けない。おかしいでしょう?同時にこの部屋が何処かの役所の高級官僚の仲間だけが集まる部屋だったら皆で相談して知識の交換で謀議謀略をする事だって出来る。頭だけで連携して恣意的に何かやろうと思えば出来る訳。これを防ぐ事には実はなっていない。立法府の議員が漏らす事ばかり言って国会議員を10年逮捕するという法律を作るというのはチョット待てと、役人の知識にもかけましょうと。ちゃんとそうやってパニッシュメントを与えないといざ恣意的に何か起きた時にクーデターだってあり得る。それをどうやって抑えるかというのを皆で知恵を出さなくてはいけないから人間というのは神様と違って嘘をつくと思うので、その嘘をつく存在であるものをどうやって人の力でチェック出来る機構を作るかというのは相当難しい。だから100点に近づけなくてはいけない。だけど0点より今の35点の方が国民の生命と財産とそれからリスクヘッジはできているという事、そこは信頼してもらいたい。(どこかの省庁の官僚主導で安倍さんが人気のあるうちにこれをやるというのが俗説ではないか)―だと思う。それもあるし民意に元づいて立法府で当然それはやべきなのでアメリカから情報を取るというのが一番日本の日米関係にとってモデルだと思う。例えばCIAから情報を取るのにアメリカにある法律をそのまま日本語に訳して日本に持って来て日本の法文にうまくチャンネルをカチャカチャと合わせて、それで日本で法律を作っておけば最初からアメリカと同じレベルの法律になれていたはず。それをどうして独自で出そうとしたのかというのは違うと思う。自分は既にあるところに全部アメリカのフリーダム オブ インフォメーション アクトを日本語に訳させてそれをある内閣の補佐官に手渡した。この1月位に既に。「この通りやったら良いと思う」と。アメリカなんていうのは外国籍の人にまで情報公開請求権を与えているから、多民族国家なので。そこまで公開を前提にしておかないと民主主義というのは国民から信頼されなくなるというのが一番怖いと思う。もし今回支持率が下がった原因がどこか自分が聞かれたらそこだと思う。民主主義というそもそも良い制度…この世の中のどこを見ても歴史的にも。だけど民主主義誤作動が起きる。その原因を政治家側が作ってしまってはいかんと。何処かの機関が強くなってしまって民主主義を恐怖で囲い込んでしまう様な事が起きるリスクがあったらいかんと、そういう事が一番心配だと思う。よく右翼の人は、左翼の人が自分らが逮捕されるからとか転覆させるとか革命起こそうとしているとか、それもそうだと思うが、防衛費、防衛の秘密と普段の治安の秘密と分けて考える時間というのももうちょっと考えていかなければいけない。ミサイル情報など皆欲しくない。それを盗りに来るのはスパイでしょうからそれは捕まえれば良い訳だから。一部の人たちがもし故意にエリートの人たちが何かを持って恣意的に運用運営する様な事があってはいけない。僕の国会の質問の議事録を見てください。ちゃんとそこのところを訊いているので、委員会で。是非ご覧ください。なかなか他の議員が訊いてないところしか訊いてないので。パッチワーク法は右・左の論理だけでは片付けられない。自分などは究極の保守なのでそういう自分から見て落ち着いて考えた方が良いという事だと思う。(そう考えているのは自民党内でも多い?)―多いでしょうね。村上誠一郎さんという9期連続で当選して大臣までされた方が退席をされるのを、あの人が左翼だとかそんな話ではない。あの人は別に左翼ではないし。では何故あの人は退席なさったのかというものを軽く見てはいけないのではないかと。他の政党が反対して来るのだったらそれは戦って然るべきだが、仲間で一人そういう方がいてご自身の意見を持たれていたというのは、小選挙区であそこまで出来るというのはなかなか腹の座った人でしょう。逆に彼の意見を真摯に聞くべきだと。聞いてそうかと思ったら野党の訊く前に味方の話で手直し修正をしてみても良いのではないか、それがチームだと思う。中選挙区時代うちの親父などは日中条約に本会議場に出て反対した5人のうちのひとり。林大幹、源田実、玉置和郎、浜田幸一、中山正暉この5人だけ、本会議場で反対したのは。石原慎太郎さんでも日中条約に賛成している。そんなの歴史を見たら分かる訳なので。僕らが知らない世代だと思っていたらそれは大間違い。今の中国の様子などを見ていたらこれだけ日本に軍事的圧力をかけてきて防空識別圏なんて訳の分からない事を言ってきていて、自民党が日中条約を結んだあの時に何で自由主義国の台湾を一方的に切って自由主義国の日本が共産主義国と条約を結んだのかと。そのつけが30年後の今出て来ているのが今の防空識別圏でもあると思う。その責任を今辞めたり天国に行った国会議員たちに問えない。これから我々がどう紐解くのかという事をよくアメリカの腰つきも睨みながらちゃんとやっていかないとダメだと思うし、冷戦構造というのはベルリンの壁が崩壊してペレストロイカでソビエトがロシアになっても変わらなく存在していた。自分が1年生議員の時、2年生になる時に派閥にいて「一言だけいわせてくれ、もう帰って来れないかも分からないから一言言っておきたい」と。その話をしたらある元総理のかたが「お前は若いのに古い考え方をしている、もう冷戦なんか終わったんだ」と言った、誰とは言わないが(笑)。僕はその時に「平和ボケしてはいかんと。国会議員と言うのは軍事を抜いた政治は楽器を抜いた音楽だ」と言った。常々そう思って生きて来たのでちゃんと軍事問題を考えてやっておかないと、最後は政治と言っても自民党が法案で賛成と言った時に共産党が座っていると共産党が賛成と言った時に自民党が座っているのが健全な民主主義だと思う、政治の右・左で言うと。日中条約の時は親父が言っていたが、議席が全員が立ったからおかしいと思ったと。後世の人が見て、これだけたった5人が反対した人がいるというのが逆に後々歴史検証した時に「なるほど」と脳ミソで噛みしめる様な、そういう政治家でなくてはいかんと思う。フワフワした政治ではダメだし自民党だけではなくて各党皆フワフワしていると思う、ハッキリ言って。本当にそう思う。シビアではない。駅前に立って演説するのもいいけどそれで引っ張れて同情で一票貰ったところで駅前にいる政治家が何の役に立っているか。うるさいだけでしょう。ガードの下で喋っていてㇷと思った。「公の為に皆さんこんな事します」と言うが、では国会に行きなさいと。落ちている人が言ったら「あんた自分の胸にバッヂつけてくれと言っているの?」と。そう思って斜めに構える世間が増えてきている時代。みすぼらしい、貧乏にする政治家はやめて欲しいと思う。やはり自分で飯食って自分で所得を得て家族を守って正々堂々としていたら良い。悪い事をしていたのだったら仕方が無いがやはり誇りを持って職業に専念した方が良い。

●今だから言えるあの日のあの出来事

うちの親父が小渕総理大臣から命令を受けて北朝鮮に交渉に行った時にカバン持ちで記録係で一緒に同行した。あの当時は親父は裏切ったとか何とかでいまだにインターネットで批判されている記事が残ったりするが、全く実はそんな事はなくて、逆に一回も親父は一人で行った事がない。全部政府高官と一緒に行っている。帰って来たら案の定親父は後ろから刃で切られている。自分は政治家秘書としてそれは許せんと思っていたから5秒以上親父を悪く言ったテレビ、1行以上悪く書いた新聞、当時はまだビデオの時代で、テレビインビデオを持って紙袋を二重にして入れて、録って来た記録ビデオを全部そのプロデューサーとかに見せた。とことんやった。親の仇はしっかり取らせて貰うと思う位で。自民党本部でも一回その録ったビデオを見せろと言われて、だいたい行った事もない奴が見て来た様な話をしているのはおかしい話で。(そもそもお父様はどういう風に切られたのか、政治的には)―北朝鮮に別に寝返っていなにのに寝返った寝返ったとばかり言われた。それはもう右翼は来るわ、脅しばかりかけられるわ、有刺鉄線張られるわ、放火はされるわもう色々な事があった。自分も子供の時に誘拐未遂にあったり波乱万丈。自分もライフル銃の弾を送られて来たり、初めての選挙の時に。(誘拐されたのは?)―僕と姉。覚えている。(知らない人が)家にまで来てお手伝いさんに「お父さんとお母さんが選挙事務所で呼んでます」と言われ、自分は子供の時に旧陸軍の小学校にいた。「お姉ちゃんもそんなフリルのついたスカートはダメだ」とか厳しい事を弟のくせに言って、それで時間稼ぎしたから助かったみたいな話だった。世界初北朝鮮地下鉄映像って誰がカメラを回したかというと僕。これがNHKとか安藤優子さんのフジテレビでは「スクープです!」とやられたが。まだ実は公開していない映像がある。よど号犯とも会って来た。よど号犯との映像はフル録画している。色々な事がそれを見れば国民に明らかにされると思う。それを盗みに来た人たちもいた。誰とは言わない、何処の組織とは言わないが。皆が見ているコンスピラシーとか陰謀というのはXファイルではないがモルダーの気持ちはすごく分かる。何でかと言ったら本物の政治に触れて来ているから。ポッと出て来る落下傘もいいしチルドレンも立派な人は立派だが、世襲も実はそういう知識を携えて来ている奴がいるぞ、中にはと。普段アホを演じているかも分らない、車好きだとか何だとか。仕事は絶対真面目、人一倍。そんじょそこらの政治家に負けないでギャンギャンやるがそれはオンオフで分けているのは自分自身の人生の為でもある、そこだけは。そうでないとこんなバカみたいな牛乳瓶の底みたいなメガネをかけてやってる奴は面白くないと思っているから。それは趣味の範囲。それを許して頂いて、百歩。だけどそういうシビアな話を是非どこかでちゃんと検証して貰いたい。その為の証拠、それは。(局に持ち込んでは?)―いやいや、良いのだが時期があるでしょうし…拉致特の筆頭理事をやっている、与党の。当時拉致事件を解決する為に初めて相手に拉致を認めさせたのが与党三党訪朝団のうちの父が1件1件、一人ひとり7件10名、名前を読み上げて相手に認めさせたのが最初。そういうのも全然逆に評価されたりとか真実と違う事が全部出てくる…面白いなと思う、日本のこのメディアというのは。そこへリークさせているのは誰かと、リークした奴がまた怖い。スパイは既にいるから。霞が関にもいる。秘密漏洩するのは国会議員ばかりではない。もっとシビアにリアルな現実の話を聞いて頂く様な機会を設けて欲しいしネットで色々反対、賛成運動があってもその中に外国の人がどれだけ日本人のフリをして煽っているのかとかネットなどは特にそれがあるし、そういうところをチョッと捻ったら分かる様な事をもっと皆捻るべきではないかと生意気ながら思う。「その映像を自分が公開したら「実は当局がこれは秘密指定のものです」と言って後から逮捕しませんか?」と国会で質問している。後追い認定というのがあるのかと。「ありません」と答えていた。でも本当にそう思いますか、皆さん?同行取材なんか出来ない、もしかしたら。そういう部分が懸念があるのだったらそこをさっき言ったパッチワークで直していくのも大事だし、とにかく政治には裏があるというのはいい意味でも悪い意味でもあるし、歴史もあるし、そこには人の心とか感情もあるし、表で見ていてももうひと捻りの奥を見ると犯人と真犯人とやっている事とやられている事は逆だとか色々あると思うので。こういう事を言うとまた何処からか全然別件で変な事件でわざと仕掛けられたりするのだと思うが、冒頭言った様に自分は選挙区大阪のど真ん中でどうなるか分からなくて今出せるものは政治家として男気しかないから本当に今思っている事感じている事を言った方が国民の為になると。分かってくれる人は分かってくれる。勇気がいる、いつ逮捕されるか分からない、いつ殺されるか分からない。このネットだって誰が見ているか分からない。当局がみていて「中山がまた言った。今度は何かしてやろう」とか。本当に怖い、そういう意味では。そういう戦いを選挙区以外の戦いもやっているという事も理解して欲しい。永田町と世界の見えない政治力と戦っているというのも一つだし、霞が関と戦っているかも分からない。

●質問コーナー②

Q: ねじれを解消した今、百年の計として国家のあるべき姿とは?
A: それに対して憲法改正と答える人も多いと思うが、自分は結構リアリストな部分もあるので、あるシミュレーションをして第三次世界大戦のリスクは必ずあると。僕らが60になる時あと17年後位にそのリスクはやって来ると思っている。それを如何に逆算してそうならない様に今から調整するかというのが自分の一番の政治テーマである。そうでないと自分たちの子供の時代が靖国に眠る御霊が増えたら嫌な事。これをどうやって調整するかというのをしっかりやっていかなければいけない。その為にはさっきもチラッと触れたが最終戦争というのはどう起こるかというと、次は海の戦争になると思う。潜水艦からミサイルが飛んで来るというのが必ず起きると思っていて何処と何処と言うとアメリカと中国の戦いになると思う。その時日本はどうなるかと言ったら地政学的に中国大陸から離れられない。だから結局中国の範囲に入ってしまうと思う。オバマと習近平が話して習近平が「西太平洋をよこせ」と言っているが正にそのシチュエーションが将来起こるだろうと、近い将来。防空識別圏なんて忘れられる日が来る。西太平洋が下手をすれば中国の軍艦が往来する様な時代が来ると思う。その時にどうするのかと言ったらやはりアメリカは米中戦争がもし開戦したら北京にミサイルを打つかと言ったら打たないと思う。日本の知能というか技術力と中国の人海戦術が一緒になる事を恐れるアメリカは日本に打って来ると思う。そうならない様にどうするか。アメリカにそれを判断させない為にどうするかというのが大事だと思う。皆笑う、これを話すと。覚えておいて欲しいがウォー プラン オレンジ、オレンジ計画という本も出ているが、昔セオドア・ルーズベルトの時代の1900年の最初に、当時のアメリカ海軍大学校には世界地図を7色に塗って日本がたまたまオレンジ色だった。そのオレンジ色の国といかにして戦争を始めて終焉を迎えさせるかというのを、常にそれをバージョンアップさせながら知っている人は100人位、実際携わっている人は30人位でずっと戦争計画を練っていた。それが真珠湾攻撃から始まった第二次世界大戦だった。それで最後はレインボー計画という言葉に変わって第三次世界大戦になって他の国も関わってきたからそうなった訳だが、戦争が起こる50年前に戦争がもう計画されていたという事。今から20年と自分は言っているが、おそらく次の第三次世界大戦というのはもう計画も前例を踏襲してされているならばそれをどうやってリスクヘッジさせるか、回避させるかというのが一番のテーマ。それに資する一つの道具というのは安倍大臣、安倍内閣で政務官をしている時にニューヨークへ行ったら国連の本部というのは南北アメリカの国連本部はニューヨークにある、ヨーロッパ本部というのはスイスのジュネーブにある、アジアを見たらインドとチャイナとブリックスの中でも人口も経済力も成長著しい国が二つあるが、国連本部は東京の青山学院大学の前にある国連大学、それからバンコクに一つ国連図書館と千人位の会議場があって、それ位しかない。日本は唯一の被爆国で尚且つ国連の分担金を真面目に払っていてこの日本の広島に国連の本部機能を作って、ファシリティから外交官の住まいから全部広島に作りましょうと。ニジェールというアフリカの国に行った時に小学校6年のお嬢さんが作文を読んでくれて…日本の事を調べて、彼女が何て言ったかというと、アフリカのニジュールで小学校6年の子が「広島、長崎」と…僕はその言葉を聞いて涙が出る思いだったが、あれだけ沢山の命を落としそれで勝ち得たネーミングライツだと思っている。このネーミングライツを活かすのが一番良いと。国連の本部があれば将来どうやって戦争回避できるかと。スイスは面白い国だと思う。永世中立国。日米同盟を基軸に大事にアメリカと握手しながら中国が攻め入った時は永世中立国を将来子供たちが今生まれた子が20になる時に彼らが選択してくれれば良い。その為に国連本部があれば永世中立になる可能性が高くなるだろうと思う。中国は理事国で絶対反対するかも知れないがそれでも日本はやるべき。自分がもし外務大臣だったら国連のニューヨークでもヨーロッパでも日本に国連本部を作らせてくれと。平和を議論するのはニューヨークでも今はいいが、将来は広島でやりましょうよと言ってやったら核を持たない国が核を監視するのは一番相応しい。核を持たない被爆国が核問題、平和問題を語るのに一番相応しいし、それは全てを牽制できるパワーになるし、北朝鮮、中国が日本を攻めて来たら、日本に対する攻撃は世界に対する攻撃だと言える。国連の本部を作るまでが自分の時代かなと思う。それを将来永世中立にするかどうかは次世代が考えてくれればいいと。自分はそこまでの作業をやってのけたいというのが政治家としての目標。その為に議席を頂いていると思っている。