中川 郁子
arc8
第82回
2013年07月17日 放送

自民党 中川 郁子 衆議院議員

(以下、動画より文字おこし)

自民党 北海道11区 1期目

国会議員になってアッと言う間の7ヵ月。北海道で想像していたのと実際の永田町は
全然違った。「議員」と「奥さん」ではどちらが大変かを男性に聞かれることが多いが、
「奥さん」の方が大変なので奥様に感謝してください、と言っている。地方でも国会でも
議員の奥さんは大変だと思う。(自分は)24歳の時から議員の妻として選挙を経験して
きた。

●幸せ度数年表

(ダブルクリックで拡大)

第82回中川郁子

新潟に生まれ、父の転勤で東京にきた。中学から大学まで聖心女子。
19歳で夫(故中川昭一元衆議院議員)に出会う。夫の高校・大学の同級生が共通の
友人で、その友人の紹介。大学を卒業して三菱商事に入社し1年勤める。
プロポーズされて結婚。当時銀行員でロンドン・ニューヨークに転勤になるので
ついて来て欲しいと言われた。
義父が中川一郎議員なので、夫が将来政治家になるつもりがあるのか聞いたら、父も
まだ若いし、弟もいるのでと言われ安心した。
社宅に住むと思ったら実家に同居だった。朝から記者や秘書の食事の支度をする
義母の手伝いをした。
夫は、明治時代の男の人かと思うほど厳しかった。爪を綺麗にしているのを見て
「母はそういう事はしなかった」と言われた。沈黙が怖くてペラペラよく喋るのを
見て「黙っていれば教養がなくても分からない」と言われ、もう会うことは無い、と
思ったのが最初に夫に会った19歳の時。二人だけのデートは少なく、常に友達が一緒。
新婚旅行にも友達がついて来た。甘いデートや新婚生活は無かった。
家で義父を待っていると、記者が様々な政界情報を教えてくれるので好奇心旺盛な
自分はよく聞いていた。
総裁選に出ることになった義父。全国の支持者から家に電話がくるので、政治家は
随分大変だと思った。総裁選の党員投票を作ったのも義父。今とは違い、ヘリコプター
まで飛ばして派手にやっていた。落選した義父を家族で支えようという事だったが、
義父が亡くなる。後継者は義弟かと思ったが、義弟は商社マンを貫くという事で夫に
なった。夫は銀行にあと1ヵ月で5年となる前に退職金を貰わずに退職し、二人で
帯広市に引っ越した。父の仏壇とわずかな家財道具だけを持って行った。
義父は本当に優しい方で、外では厳ついイメージだったが、トウモロコシやじゃがいもの
美味しい食べ方を教えてくれた。
夫も外に向かって強いイメージだが家では優しい父親だった。
東京しか知らず、自分の親戚や友人もいない帯広は全てが発見だった。地域興しを
しようとしている同世代(20代)の人々との出会いがあった。地域ボランティアに
参加して友達づくりを始め、妊娠して子供を通じての友達作りをした。
夫は義父が亡くなった同じ年83年12月に初めて選挙があった。マイナス20度の寒さ
との闘いだった。夫は8期連続で9期目に落選した。
身内の死を経験した事がなかったが初めて中川昭一の死を知る事になった、という
女性の方たちから手紙を頂いた。
夫は、57歳で父を亡くし、自分はその年齢を超えられるかと50歳代を過ごしていたが、
58歳になったら夫は元気になってくれると思っていた。夫は56歳で亡くなったが、
58歳の誕生日は家族で盛大にお祝いをした。生きていたらもうすぐ7月19日で還暦に
なる。
まだ議員になる前の永岡桂子先生にお会いしている。夫が亡くなった日に駆けつけて
くださり、ガッツポーズで「女は強いんです!」と言ってくださった。
家族、伴侶を亡くすと10年間は正常にものを考えられないと、医学的に証明されて
いると聞いているが、まだ10年経っていない。永岡先生はご主人を亡くして僅かな
時間に出馬を決意されたのは大変な事だったと思う。
自分は夫を亡くした後帯広畜産大学で研究生として勉強を始めた。夫の一周忌の時に
金美玲さんに「あなたがやりなさい」と言われた。金美玲さんも59歳から現在の様な
お仕事を始められた。50歳からでも何かできると思い、色々考えた上で一昨年6月、
十勝の自民党の公募に手を挙げた。
夫が亡くなった瞬間から自分で全てを決めなくてはならないという当たり前の事に
気づき、子供たちの足手まといにならないためにも仕事を持つことかと思い決めた。
夫の後援会の意見も半々だった。世襲批判もあったが、何故妻なのかという批判も
あった。夫は26年の議員生活があり大臣経験もあったが、同じ様にはならないので
やめた方が良いという忠告も頂いた。
夫が歩いてきた道、30年前、30歳で議員になった夫。ここに座って大臣として答弁
していたのかと最初は思いがよぎっては涙が溢れそうになったが、自分には託された
ものがある、振り返ってばかりいられないと思った。自民党以外の素晴らしい先輩
からも声をかけて頂いた事が有難く、議員生活に活かし地域にも反映していきたい。
志帥会に所属。気配りと哲学をもった先輩議員の方々がいる。1期生同期の宮崎謙介
議員はムードメーカー。同期の女性は他に金子めぐみ議員。

●最近の政治トピックス

農林水産委員をしている。新しい農業政策を作っていく。9月以降、「日本型直接
支払」という制度をつくる。
地元の帯広では、米作りはゼロ、畑作4品(小麦・ビート・豆類・馬鈴薯)と酪農畜産、野菜を作っている。4品を回して畑を移動させるので今の時期は黄金色の小麦や青々したビートなどでパッチワークの様な素晴らしい田園風景が広がっている。
TPPに関しては、重要5品目を守らないと地域経済が崩壊してしまう。有権者の注目は
TPP。燃油の高騰、飼料も上がって農家経営が厳しくなり、その手当もやっていくが、
関税を完全撤廃することはないと約束。内閣支持率は全国で60%代のところ、24.3%と
厳しい。約束を守る一方で、農政を法案化して通す事が大切。「日本型直接支払」と「担い手法案」を通して食糧の安全保障はしっかり国がやっていく。単なる制度ではなく、法律を作る。その上で日本はしっかり主張していく。
水制度改革議員連盟に属している。残念ながら参議院で廃案になってしまった「水循環基本法」を一からやり直し。夫が作った水の安全保障の委員会も党内で無くなってしまっている。
「水循環基本法」の法案を通す事で次の段階にやっと進める。1期生で水の研究会もやっている。外国資本による水の買収問題と、水のインフラ等の輸出による日本の再建が夫の
夢だった。タイの洪水後の水インフラは韓国企業が独占した。日本の政府の後押しがあれば、
日本の企業もできた。「水ビジネスが日本を救う」と言う夫がやりたかった事。技術も
ドンドン進歩しているので「今でしょ!」と思う。夫は途上国支援に、北海道の牛乳を
濃縮して送ろうと考えたが、現地では水が不衛生なので年寄りや子供が病気になって
しまうというところで夫は水の問題にはまり込んだ。

●今だから言えるあの日のあの出来事

夫を亡くし励ましの手紙やメールを頂いた中に、マスコミ報道を信じてしまった為に
夫の仕事が正当に評価されなかったが、実際はそうではなかった事を知った、という
内容が多かった。夫にはマスコミとの葛藤が沢山あった。
今回TBSに自民党がハッキリ言えたのは、高い支持率があったとは言え凄い事だと思う。
夫の2009年の選挙の時に、最終日までローマでの映像が流されていたのは選挙妨害
だったと思う。お酒ではなく、薬の飲み合わせ(腰痛と風邪の薬)の影響。IMFのストロスカーン理事の秘書に素晴らしいと言われた事は報道されず、ネガティブキャンペーンを
張られる事については、きちんとルールを作ってほしい。きちんと抗議をし、仲間を守る
政党であってほしい。

●質問コーナー

Q:引き継いだご主人のお仕事と違うところは?
A:夫は女性を応援する政策にはあまり興味が向いていなかったが、子育てや介護など
女性の一生を応援する政治スタンスを忘れないでいたい。
Q:家庭の中でご主人と言い合う場面があったか。
A:通った法案が何で通ったのかと訝る夫に、「自分が賛成したのでしょ?」問うた
事がある。議員は全ての法案に精通している訳ではないという事。
Q:義父の故・中川一郎さんから教わったトウモロコシの美味しい食べ方は?
A:まず、大きな鍋に火をかけてからトウモロコシを取りに行く。歯にくっつかない
食べ方は、下の歯をうまく使って食べる。
Q:ジャガイモは?
A:塩茹でしたジャガイモにバターや醤油ではなく、塩辛をのせる。これはご飯に
塩辛より美味しい。