中泉 松司
無題
第143回
2015年01月28日 放送

自民党 中泉 松司 参議院議員

今年最初のみわちゃんねるはお正月らしく、中泉参議員の随行で秋田の「なまはげ」がゲストに来てくれました。 「なまはげ」の怖く見せる演出の仕方などを、こっそり教えていただき大変勉強になりました。ギャ~ギャ~泣く子をなだめつつ、「なまはげ」にも、「もうここまでにしなさい」と威厳を演出するのは家長の役割だそうです。 日本古来のすごい風習です!! 中泉議員は、4代続く地方議員の家系ですが、実家の農業を手伝ったり、清掃会社に勤めてお掃除を仕事にしていたことも。意外な経歴です。 その他、安倍政権での農協改革について、議員の立場、農家の立場から語ってくれました。

(動画より文字おこし)

自民党 (秋田県) 1期目 (2015年1月28日収録時点)

[今年初めての「みわちゃんねる」なんですけれども] ― お呼び頂きまして有難うございます。[年末年始をはさんで一か月以上ぶりですね。この番組もね。その一か月の間に、イスラム国過激派のテロ問題とか、この番組に出てくれた、中山泰秀副大臣が大活躍というか、大変な責任を負っていますよね] ― 中山先生も自分も青年局所属なんですけど、党の青年局の方で、凄くご指導頂いていた人ですし、普段凄く明るい人ですものね。[責任感が強い方ですし、本当に重責だろうなという気はしますよね] ― 私ら若い者から見ると、中山先生で良かったなと思う部分ありますけど。[どういうところですか?] ― 先程おっしゃったように、責任感が強い人ですから。そういう意味では頑張って頂きたいなあと思いますけれども。ただまあ、はっきりとしたことが伝わり難い状況が続いていますけれども。今日も本会議で代表質問があったんですが。[昨日から国会が始まりましたけど、参議院の代表質疑があったんですね] ― 昨日、衆議院で今日、参議院でありまして、その最中にも世耕副官房長官がばたばたメモを入れたりして、途中で菅官房長官、岸田外務大臣も退席されて。本会議というと、どうしてもしきたりがあって、議長が制止して退出の許可を取って認めて退出するというしがらみがあるんですけど、そういうことがありながらもばたばたと今日も、先程の時点でも動いていましたので。[今日もNHKのニュースを見ていましたけれども、気もそぞろという感じじゃないですか?] ― これは政党政局にすべき話じゃもちろんないですけれど、後藤さんの救出ということを最優先に考えて、出来る限りのことをするべきだと思います。ただ、相手があることですし、交渉する関係もあるでしょうから、われわれ一議員がどうこう言うというよりは、政府の方でしっかりと責任を持ってやってもらいたいと思います。[イスラム国が言っている24時間までにあと数時間ということですよね] ― あと4時間、5時間、10時50分とかだと思います。[そういう時って、国会議員の方に全部連絡がいくとか、そういうことはないんですか?] ― それはないんですけど、みんな注目はしていますし。[個々でみなさん、情報を得るということですか] ― たとえば、そういうことがまったくない段階で予定を組んでいて、今日は自民党の青年局でこの時間くらいから、安倍総理をお招きしてお話をして頂きながら夕食を食べる企画があったんですが、もちろんそれも取りやめ。[青年局というのは45歳までの若い国会議員が入る、衆議院、参議院含めて] ― 刻々と状況が動いているので。[こんな緊迫して人の命がかかっている時に、赤坂で青年局の飲み会なんて格好のネタになっちゃいますからね] ― まあ、配慮した上で、今日はこちら呼んで頂いたので。[フェイスブックにも書いて頂いて有難うございます。日本も本当に国際社会になったなと、いやな意味で思っちゃいますよね] ― そのいやな意味でというのは?[今まではテロなんかは対岸の火事みたいな感じだったじゃないですか、日本人は] ― まあ、そうですね。北朝鮮の問題があって、初めて事実としてあったのかと認識されたくらいでしょうから、その時代から比べるとかなり隔世の感はあるんでしょうね。

[今日はこんなにたくさん持って来て頂いて有難うございます] (テーブルの上の品々を指さし)[ご地元は、選挙区はどちらですか?] ― 秋田県です。[秋田県って、私の好きな御法川さんのところですね] ― あ、御法川先生、好きですか。[私、ファンなんです] ― 有難うございます。年々髪も薄くなってきているんで。[あの方が好きだというと、ファザコンかと思われちゃうんですけど。年もあまり変わらないんですけど] ― いい男です。[ダンディですよね] ― 秋田県というとあとは、この辺になまはげもいるんですけど。(後のポスターを指さし)ウオーなんてくるんですかね。[先生の方から呼び込んで頂いて] ― はい、なまはげさん![なまはげさん、そうぞ!] ― (会場になまはげが登場する。会場から大きな拍手が起こる)[今日は凄いじゃないですか。初めてですよ!こんな凄いゲストを連れてきて頂いたのは] ― 有難うございます。(笑) [本当に「みわちゃんねる」新春第一弾にふさわしいんですけれど。なまはげって何なんですか?] ― なまはげというのはですね、形式的に言うと、秋田って日本一、重要無形文化財がるんですけれど、17あるのかな。だんとつ一位なんです。その無形文化財のひとつなんですけど。秋田弁でいうと「なぐごはいないか」泣く子はいないかと言って年末に各家々をまわって、無常息災であったり、健康であったり様々を願うために、泣く子はいないかとおどしてまわって、そういう風習ですよね。[年に一回、ニュースでやっていますよね] ― これはスタンダードなまはげですけど、もっと怖いお面のなまはげもいまして。これは極めてスタンダードな、なまはげです。[へー、近くで見ると、凄い年季が入っているというか、神々しいものを感じますよね] ― 中に入っている人などいないので、なまはげは神々しいものなんです。(笑) [噛んでもらうといいとか、お獅みたいのはないんですか?] ― そういうのはないです。(会場から笑い)秋田県の男鹿半島の風習なんですけれど。男鹿半島の温泉郷で自然豊かな所がありまして、若手の人たちがなまはげの格好をしてと言ったらあれですけど、あ、今、言葉を間違えました。なまはげが太鼓を叩いて、なまはげ太鼓というのがあるんですよ。温泉客のみなさんが無料で見られるので。温泉郷のなかにあって、子どもたちをそこに連れていくと、子どもたちは予想通り凄く泣いてくれて。ギャーっと痙攣するぐらい泣く子もたまにいますので。大丈夫かなと心配するぐらい。[小さい頃、これを見たら怖いですよね。私は小さい時はチンドン屋がだめでしたね] ― 同じ理屈だと思います。[なまはげさん、ぜひ最後までいて下さい。最後に撮影会がございますので] (拍手に見送られ、なまはげが退場する)[いやー、かっこいいですね] ― 意外と実物、いいでしょ。[神々しい感じです] ― 品川と有楽町に秋田県のアンテナショップがありまして、有楽町のアンテナショップは物品だけなんですけど、品川の方はイベントとかも結構やっているので。[結構、収益あるでしょう?] ― いやー、かなり苦労していますよ。沖縄だとか、北海道だとかそういう所もアンテナシィップはなかなか堅調でしょうけど、やっぱりまだまだ知名度が足りない部分があるんで、今日を機会にみなさんにも知って頂いて。[アンテナショップから持って来て頂いたものですね](テーブルの上の品々を指して)[ありがとうございます!]

 

 

●幸せ度数年表

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中泉 幸せ度数

[1979年生まれということで、生まれもやはり秋田県なんですか?] ― 生まれも秋田県です。秋田県秋田市の北のはずれの田舎ですね。農家なんですけど。私で4代目です政治家は。農業やりながらですけどね。国会議員とかそういうのじゃまったく無くてですね、ひいじいちゃんも昔、秋田市じゃなくて合併する前、村だった時の村会議員をやって、じいちゃんも昭和の合併後の市会議員をやって。うちの親父も市会議員をやって、県会議員をやって。[4代目にしてついに国政にみたいな感じですね] ― それを目指してやっていた訳でもなんでもなくてですね。[農家は何を作っているんですか?] ― 基本は米です。お米がやっぱりメインですね。お米と大豆とか。今の農業の効率化の中で法人化まではいっていないんですけど、集落営農組織というのを作っていまして、そこで農業をやっています。あと梨とかぶどうとか、果樹も作っていまして、それはうちの母親が一生懸命頑張っているんですけど。農家の長男なんですが、姉が三人いるという。(笑) [待望の男の子だったんですんね] ― 当時はそうだったんだと思います。[お母さん、40代で産んだんですか?] ― うちの母が32歳の時の子どもです。[学校はどちらに] ― 普通に地元の小中学校で育っていまして、別に私立にいったとかそういうこともなくて。ただその辺の野を走りながら、野球少年をしながら頑張っていたんですけれども。小中学校は野球を頑張っていたんですが、最後の大会でグンと落ちているんですけど。[野球は何かでだめだったんですか?] ― はい、たまたまですね、小学校、中学校ともになんですけど、ひとつ上の憧れいてた先輩が、早稲田に行ってその後、ドラフト一位でヤクルト行って。[誰ですか?] ― 鎌田祐哉さん。ヤクルトから楽天に行って最後、台湾リーグでMVPを取ってそれをもって一昨年、引退したんですけど。同い年の幼馴染で一緒に野球をやっていたのが、青学のエースになって今ヤクルトで、小さいピッチャーなんですけど、石川雅規という左のピッチャーがいるんですけど。(会場の反応に)あ、知っていてくれるんですか。幼馴染、同級生で、一緒に野球やっていたんです。その隣の小学校には阪神にドラフト一位で行った、藤田太陽さん。同い年で友達なんですけど、その辺の小学校、中学校でプロ野球選手が二人も三人もいるという。[プロ野球選手って、米俵の一粒っていうじゃないですか。やっぱり、リトルリーグの時から違うんですか?] ― ひとつ上の先輩は身長も高かったですし、手の大きさも違いましたから、当時からこういう人がプロの世界で活躍するんだなって。方や石川という俺の同級生は今も168センチ位しかないんですけど、小学校6年生で138センチしかなくて。中学校でも150何センチしかなくて、高校に入って165センチを初めて超えた奴なんで。体系的にこいつはプロに行くなという感じはまったくなかったんですけど、彼の自分より身長の高い奴に負けたくなという、意気込みと姿勢と気持ちで努力をして、オリンピックにも出ましたし、今もまだ現役で活躍しています。昨シーズンンも10勝上げましから。まあ、いい刺激になっていますけど。彼と一緒に野球やってですね。[みんなから、マツジと呼ばれているんですか?] ― そうですね。[代々政治家ですから、やはりお父様達も選挙に出るということで、この名前を付けられたんでしょうね] ― 最初に選挙に出たうちのひいじいちゃんというのは漢字違いの、中泉まつじというんです。[ジョージ・ブッシュと同じだよね] ― (中泉議員、大笑いをする)あー、そうですか。[日本のエスタブリッシュメントですよ] ― ケネディーとかそうですか。[みんな同じ名前] ― 初めて言われましたね。これから使えますね。家の父親が松之助といって。[行司みたいですね] ― だから、ナカマツと言われていました。ナカマツの家って屋号みたいに言われていました。自分の子供も政治家にするつもりはまったくないんですけれど、松を付けるのが筋かなあと思って松をとっているんですけど、まだ5歳なんですけどね。[ここは何ですか?お父さんの選挙で落ちていますけど] ― 部活最後の試合で失敗して。石川がピッチャーやっていて、自分が最後、逆転のチャンスを潰してしまい負けたんです。これで落ち込みまして。最後の逆転のチャンスにピッチャーゴロでゲッツーになってしまい、ダブルプレーになって、その後に三塁打を次のバッターが打ってくれて。もし自分がダブルプレーになってなければそれで、勝っていたなみたいな試合がありまして。[そういうのって、今でも夢を見るんでしょうね] ― そうですね。若干見ます。思い出しますし。それで失敗をして、高校受験ではそういう失敗をしたくないなあと思って、一生懸命頑張ったら目標の学校、公立なんですけど、地元の進学校といわれる学校に受かりまして凄く幸せだったんですけど、その年に家の父親の県議会議員の選挙があったんです。自分は将来の可能性も選択肢も広げたいし、いろんな経験もしたいし、将来の可能性を広げていくとすれば、高い目標を設定して受験を頑張ろうという思いだったんですけど、たまたま父親の選挙があった時に重なっていたもので、受験を受かったよと話をした時に、父親の支援者の方々から、秋田で一番の進学校に受かって、この後大学も法学部かなんか行って、国会議員の秘書でもやって親父の後を継いで、これで万々歳だ、みたいなことを周りの人は言うわけですよ。嬉しかったんでしょうし、自分の父親の選挙の弾みにもなると思ってくれたんでしょうけど。でもその時に、自分は父親の後を継ぐために高校を受かった訳ではないし、自分の可能性を広げたい、実力も試したかったですし。いろいろな思いがあってやったのに、何で俺、会ったこともないような、ろくに関わりもない人からそんなこと言われるのかと。[まあ、そうは言わず、当時はですよね。ティーンエージャーは余計なことで悩むから] ― まあ、本当に中二病みたいな話なんですが。何で自分のこの先の進路を他人に決められなきゃいけないんだろうと。凄く喜んでくれてはいたんですけどね。[今思うと、有り難いことでしょうけどね] ― 今思い返すと、それを過ぎて来なきゃ今がないんだろうなあと思います。[お父さん落選した訳じゃないんですよね。凄いナイーブですね、こんなことで] ― なんかですね、それで凄くやる気を失って。多感だったんでしょうね。[困っちゃいますね。多感だったんですね。大丈夫ですか、今。松司さんを精神的に参らそうと思っている人がいっぱいいる訳ですよ。そういう人の罠にすぐかかっちゃいますよ] ― うんでも、意外と、政治家も8年やって。8年やったら、だいたいのことには動じなくなりましたね。[そして、大学生活は東京八王子ですか。中央大学法学部?] ― いえ、違うんです。そのころも若干反発していまして。法学部に行ったらみんなが言う通りだと思ったんで。商学部に行ったんですけど。それも、今考えるとなんですが、その時そう思ったんですよね。しょうがないんです。それなりに充実していたから。[若さってそうですね。忘れていましたよ、私なんか](会場から笑いが起こる)大学も受験を失敗して浪人したりもしたんですけど、それなりに学生生活は充実していまして。秋田を離れて東京で生活してみて、姉と一緒だったんで吉祥寺に住んでいたんです。[中大にしては都会ですよ] ― みんな、大学の近くの田んぼが見える所に住んでいるのが多いんですけど。[イモ大と私なんかは言っていて] ― (笑) 全国の中央大学出身のみなさん![すみません。中大は地元だから、講演に良く呼ばれて行っていて] ― あ、中大ですか?(観客の方に)[吉祥寺に住んでいる人なんかいないですよね。みんな、そこいらで原チャリで行くんですから] ― 田舎に住んでいたものですから、東京に漠然とした憧れも持っていて、住んでいるのが吉祥寺というのもあったんですけれど。遊ぶと楽しい所じゃないですか。施設も充実しているし。遊ぶには楽しくて、あー夢の東京と思わなかった訳ではないんですけど、ただ、一か月も生活したら普通の生活になってしまう訳で。空気も汚いし、人もごみごみしているし、何なんだろうここ、と思っている時にそれこそ大学が八王子にあったからなんですけど、吉祥寺から学校に通う訳じゃないですか。通っている途中で、調布を過ぎたあたりから、だんだん緑が自然が豊かになってきて、田んぼとかも見えてくるんですよね。自分が農家の息子だというコンプレックスが東京に出て来る時にあったんですけれど、正直言って。今は全然そんなのはなくて、誇りを持っていい仕事だなあと思うんですが。やっぱり、それこそナイーブだったので、いろいろ思うところがあって。実際、電車から田んぼが見えたりすると、あーいいもんだなあ、と思うようになってですね。そういえば、小さい頃、親父と田んぼの手伝いをしている時に田んぼに落ちたなあと、一人で電車でニヤニヤしている時があってですね、これは何なんだろうなあと凄く思って、その時に、俺はやっぱりふるさとが好きなんだなあと、きちんと思いまして。そこからは結構早くてですね、ふるさとのことを、秋田のことを出来る仕事って何だろうと思った時に、自分、世襲だなんだと言われる、四代目という境遇もどうなのかなと思っていたんですけど、逆にその境遇をうらやましがる政治を志す人もいるわけじゃないですか。実際、自分がふるさとのことをしたいな、何とかしたいなと思った時に、あ、自分はこの境遇、この立場というものを開き直って最大限活用すれば、一生懸命頑張れば、もしかしたら、めちゃめちゃ早い段階で、政治家に挑戦する権利が頂けて、もしかして、25歳で選挙に出る権利をもらって、26、27歳で選挙に出て戦後最年少の県会議員になったりるすと、そっから仕事を一生懸命に頑張れば、ベテランと言われる年まで仕事が出来れば、その時には凄い恩返しが出来るんじゃないかと考えて。[お父様の代からずっと自民党なんですか?] ― 四代続けて自民党ですね。こてっこての自民党ですね。はい。そういうことを考えて、よし、大学を卒業したら政治の道に入ろうと思って政治の道に入ってですね、秋田県って広いなあと思いながら運転手からスタートして。この参議院選は自分が仕えていた先生の選挙で。(落ち込んだグラフを指さし)23歳で志を持って入って、楽しい面白いなあと思ったら落選して、しかもコテンパンにやられてしまいまして。まだ政権交代前なんですけど。 ― 3年ぐらい前は小泉旋風が吹きまくっていたんですけど、この頃は年金未納問題とかですね、民主党が政権交代の現実味をおびてきた頃なんですね。で、負けまして。政治の道を志そうと思って頑張ろうと思ったら、一年経ったら負けてしまって無職になりまして。事務所が無くなったもんですから。[事務所が解散されちゃったんですか。その先生は政治はやめてしまったんですか?] ― 自宅に戻って、事務所もたたんで全部整理してから、まわりのみなさんから声をかけて頂いたらしくですね、今は地元の能代市の市長をやられています。今、3期目ですね。能代市にはバスケットが強くて有名な能代工業、スラムダンクの山王工業のモデルになっている学校があるんですけど。それで何にもすることが無いもんですから、どうしようと思って。飯を食っていかなきゃいけないですし。ということで、家の父親の農業を本腰入れて一緒にやろうと言ってもらって、じゃあ頑張りますということで。トラクターに乗ったり、田植え機に乗ったり、コンバインを運転したり、仕事を1年したんですが。実際、自分が家の農業を手伝ったところで、新しい事業に挑戦している訳でもなく、今家でやっている農業を自分が手伝っている訳じゃないですか。月に3万円とか5万円、労働の対価として貰うんですが、それって我が家の収入が増えている訳でもなんでもなく、何も家にも貢献出来ていないし、何も新しいものも生み出せていない。じゃあ、農業を本腰を入れてこうやって収入を得るためには、という思いもあったんですけど、その時に家に迷惑をかけている感が。別に儲かるわけでもないのに自分が貰うっていうのは。どうしよう、農業じゃ食っていけないと思って。[それで、清掃員ですよ、みなさん!清掃って何を清掃されるんですか?] ― 一番最初、トイレ掃除のやり方から教えて貰って。大学の大先輩が社長をやっていて、秘書時代から面識があって。たまたま、農業をやっていてどうしようこれからと行き詰まった時に、社長さんに大学の同窓会であったら、君、何しているんだと。今は農業やっているんですけど、こうこうこういう事情で行き詰まっていますと言ったら、トイレ掃除からでよければ、本当にトイレ掃除からでいいのであれば、うちに来て仕事をしていいよって言われて。じゃ、お願いします!と言って。一番最初はトイレ掃除のやり方から教えてもらって、ポリッシャーという床磨き器、回転してるやつ。下にやると右に行って、上にやると左に行くんですよ。素人が扱うと大変なことになるんですけど、そういうものの使い方を教えてもらったりですね。高校の掃除もしましたし、ゴルフ場のお風呂掃除もしましたし。あとは、フェリーが港に来るんですけれど、一時間で出て行くんです。一時間の間にフェリーの客室のベッドメイクをわーっとみんなでるんですよ。[何年ぐらいやっていたんですか?] ― 選挙に出るまでですから、一年半、二年ぐらいですかね。選挙に出ると決めたんで、辞めさせてもらったんですけど。あと何ですかね、病院のベットメイクもやりましたし、ユースパルのベッドメイクもやりましたし。[お掃除は徳が積めると言いますから、いいことだらけでしょうね] ― そこで性根を叩き直されたというか、政治家としての心意気みたいなものを。ゴルフ場でお掃除をしていると、ゴルフ場ってお金持ちの方々が来るじゃないですか。自分が秘書時代にものすごくお付き合いのあった首長さんであたり、議員さんであったり、お会いするんですけど、秘書時代に名刺交換すると「いやー、お宅の先生にもお世話になっているし、お宅の親父さんにもお世話になっているし、いやー、どうも、どうも」言っていた人が、会社の方針で、すれ違う人にはきちんと挨拶するようにとのことで、「おはようございます」「お疲れ様です」と言うんですけど、見向きもしないですよね。(笑)当然ですけど。(笑) [まさか、松司さんがここにいるとは思わない] ― そういうことではなくて、自分を見ていないとかそういうことではなくて、こういう人たちって俺らみたいな立場の人を見ないんだなと思って。中には尊敬できる人がいて、首長さんだったんですけど。「お疲れ様です」と言ったら立ち止まってくれて、「お疲れ様、ご苦労さんだね」と言って、「あ、君、中泉君じゃないか!こんなところで何しているんだ!」と言う人もいて、「そうか、大変だな」と言われて。そんな優しさに接したら泣いちゃいますもんね。

気持ちの部分ですごく大切なことを教わったというか。未だに、お掃除のおばちゃんには絶対、声をかけるようにしています。[私も声をかけたいと思うんですけど、上から目線ぽくていやらしいかなと思って、やめちゃう場合があるんですよ] ― お疲れ様とかだったら、いいんじゃないですかね。なんか「ご苦労さん!」みたいだったら、ちょっとあれですけど。(笑) そういう気持ちが大事と言うか。これは政治家という話じゃなくて、人として大切だと思ったので。[バーニングプロの周防さんという会長に若い頃にお世話になったことがあって、芸能界のドンと言われているんですけど、未だに掃除しているらしいですよ。みんな掃除のおじちゃんだろうと思うと周防さんだったと、そういう逸話がありますからね] ― いろんな大切なことを教わりました。きちんと教わりきれた訳ではないし、まだまだ未熟ですけど。たかだか二年、掃除の仕事をして、何がわかったんだと言われればそれまでですけど。その時に仲良くなったパートのおばちゃんとか、現場をいっぱい回ったんで、自分の選挙の選挙カーが回て行った時、仕事さぼって来ますもんね。(笑) [みなさん選挙前にお掃除、パフォーマンスでやりますけど、本当に職員として働いていた方はいらっしゃらないでしょうね] ― 選挙に出る時に売りになるから清掃員やろうという感じじゃなくて、自分が選挙に出た時に対立候補の陣営さんからは、清掃員をネタにしてるとかですね。[いやね!選挙の世界って。そんなことまで言うんだ!] ― 清掃作業員をネタにして同情をかっているとか、いっぱいありましたけど。正直、その頃そんなこと考えている余裕はなくて、人間としてもう一度叩き直して欲しいという感じだったんで。[県議は何年やられたんですか?] ― 県議は27歳と時平成19年から。結果的にはこの頃に(幸せ同数年表を指さし)描いていた思いが実現したんですけど。[とんとん拍子に参議院に出たんですね] ― とんとん拍子と言っても、ここに書こうかと思ったんですけど、大震災があったりですね。特に二回目の選挙の直前だったので、選挙どころじゃないぞ、という話もありましたし。まあいろいろありましたけど、6年県会議員をやらせて頂いて。途中でみなさんから声をかけて頂いて。挑戦しないかと。ということで打診があったので、参議院選に挑戦して、という感じです。[幸せ度数年表、歴代で一番長かったですね。最長です。有難うございました]

 

●最近の政治トピックス

 

[安倍さんが本丸にしている中に農業改革というのがありますよね。どういう立場でいらっしゃるんですか?] ― 今日もここに来る前に五時半では終わっていなくって。[すみません] ― 農協改革のPTを今日もやっていて、明日もやるし明後日もやるしなんですけど。一言でいったら、凄く揉めていまして。[安倍さんのやり方としては、今まであった農業のやり方で農協を通して流通に出すというやり方を廃止するということなんですか?] ― 農協改革というといろいろな見方があると思うんですけど、基本的に農協さん自身も政府の規制改革会議も様々な立場があって。みんながそこは共通だよねというのがあって、農協法というのは昭和22年に出来て、29年に農協の中央会制度というのが出来たんですよね。29年に中央会制度が出来たというのは、12.000の各個別のJAさん、経営が厳しくなったとところがたんさん出てきたと。そこで中央会制度というのを作って、経営改善だとか、業務の指導とか監査を受けて効率化をはかるところは一緒にはかって一生懸命にやってきた訳ですよ。それが60年経って今どうなっているかというと、12.000あった農協が700を切るところまで、たぶん694とかなんですけど。[そんなに減っているということ] ― 減っているというのは合併をして。淘汰されたとかそういうのではなくて。香川県は一県一JA。秋田県はまだ15あるんですけど。千葉でも11、12あったりとか。一県一JAというところも出てきているんですね。その中で、今まで60年かけてやってきたことで中央会制度が機能して700を切るところまできましたよねと。これで、当初考えた一定の役割は果たしましたよねと。一定の役割を果たしたというこの状況を鑑みて、新たな時代に進むために、農業所得の向上を図る上で、新たな時代にあった農協の制度を考えましょう、という話なんです。基本的には。政府だろうが、規制改革会議だろうが、農協さんだろうが、農家だろうが、みんなそこに関しては共通の認識でいれると思うんですよ。あとは中身の部分でどういう話が出来るかなんで。そこの部分で今ちょっと、農業所得の向上とはあまり関係ないと思われるところが焦点になっちゃっているので、そこは凄く不幸なことだなあと思います。[この間の佐賀知事選挙もそこが焦点になってしまって、トップダウンで推した人が負けてしまったという] ― ちょっとテクニカルな話、統一地方選挙がこの春あるんですけど、そのタイミングもあったんだろうなあと思いますね。[地元の農家のみなさんに安倍さんの意思をお伝えして、反対とか出ているんですか?] ― 私見ですけど、残念ながら焦点になってしまっているのが、農業の所得と関係ない、中央の監査機能のあり方とか、生活に直結している、田舎は特になんですけど組合員と準組合員の利用制限の問題だとか。そういうところというのは、農業所得を向上させるというのに、直接は結び付かないんですね。理屈を立てれば間接的に結びつくとは言えるんでしょうけど。本来話さなければいけない、生産資機材のコストの低下のために農協としてどういうことが関われるかとか、これから農産品を輸出していくことに力を入れなければいけないけれど、その目標はどう設定するかとか。それは自己改革案といって、農協が出して頂いたやつに、生産資機材は絶対にホームセンターに負けないようにするとか、今後、農産品の輸出額を10倍に増やすとか、そういう話は出して来ているんですよね。出してきているんだけど、そこに焦点をあてないで、一番ネタになっている監査とか準組合員の話だとか特化してしまって、感情的になってお互い揉めているので。もっと別に詰めるべき話があるのになと、個人的には思います。[農家の方が潤ったりよか、お金持ちになったりすると農業回帰すると言うじゃないですか。農協があったからいけないということではないんですか?] ― 見方はたくさんあると思うし、694まで減ったと言っても、694もある訳で、そこにそれぞれの組合長という人がいて経営をしている訳ですよね。パーツを切り取ると非常に不真面目な方もいるかもしれないし、非常に経営の能力のない方もいるかもしれないし。[そんなに農協によって違うんですか?] ― 違うと思います。違って当然だし。今は逆に中央会というのが統制をし過ぎていて、自由度がないとか、やりたいようにやる自由度を奪っているとか。あんまり私はそうは思っていなくて。そこはもう人の問題であったり、地域性の問題だったりするところもあると思うんです。総理のお膝元の山口県なんて、あんまり経営能力に評価が高い訳ではないですから、そういう風なことを見られているのかなと思わないではないですけど。それぞれの農協さんでやっていることがあるので、それがじゃあ今回の改革によって、改革と言われる議論によって、自由度が増して、それが農業所得の向上、農家の向上につながっていくのかというと、それは直接はリンクしないよね。悪いところは悪い、いいところはいい、頑張っているところ、頑張っていないところがあるのは、企業でも同じで。農協という全国の組織をひとくくりにして、農協は頑張っていないという話ではないじゃないですか。[農協の方も、敏感というか、今まで聖域だったからそのことに触れるとデモとか、TPPの時とか、かなりありましたよね] ― 農協さんとか農業関係者さんが懸念しているのは、今回の改革で、監査の話だとかに手を付けていくことが、日本の市場を海外に開放していくことにつながるんじゃないか、そこの入り口がここなんじゃないかと思って、実際、警戒されているというのはあると思うんですけど。今すべき話は、農協で農産品の輸出を10倍に増やしますというけれど、10倍どうやって増やすの?現実的に可能なの?とかですよ、そういう話をもっとすればいいなあと思いながら、みんな議論が感情的になり過ぎているもんですから。農林水産委員もやらせてもらっているので、きちんとそこは冷静な議論が出来たらなあと。

 

●今だから言えるあの日のあの出来事

参議院選挙が一昨年の7月だったんですけれど、7月4日がスタートで22日が投票日だったんです。4日というのが子どもの誕生日だったんですね。子どもが4歳になって物心が付いてきて、ようやくお父さんを認識していろんなことをしゃべれて凄く楽しい時期で。秋田県は広いですからね。ずっと秋田県を泊まり歩きでずっと会えなかったんですけど。[優しい話ですね(笑)] ― あの日、辛い思いをさせたなと。今はもっと辛い思いをさせていますけどね。ほとんど会わないですから。単身状態なんで。[たまに帰って来てくれるからいいんですよ。バッチを付けて] (会場に笑い声)― じゃ、バッチ外れたらだめです。[そのためにも、次の選挙も死守した方がいいですね(笑)] ― はい、頑張ります。(笑)