中西 祐介
中西バスト
第147回
2015年03月11日 放送

自民党 中西 祐介 参議院議員

 

船乗りのお父様の家に生まれた中西議員。

UFJ銀行に就職し、東京の本郷支店で勤務。その後松下政経塾に入り政治家への修行。

2010年に参議院選初当選。小泉進次郎氏とは「最年少の会」結成。

ODA問題、エネルギー問題に奔走中です!

(動画より文字おこし)

自民党 徳島県 1期目(2015年3月11日収録時点)

●幸せ度数年表

中西年表

 

 

 

 

 

 

 

 

[何年生まれでしたっけ?] ― 昭和54年生まれです。[今、中西さんより下の人はどれぐらいいらっしゃるのですか?] ― 増えましたね。[鈴木宗男さんのお嬢様とかね] ― 彼女が一番下なんじゃないんですか。衆参問わずですね。[どちらでお生まれになったんですか?] ― 四国の徳島県の阿南という所で。[どんな議員さんがいらした所ですか?] ― 後藤田正晴が高校の先輩ですね。後は三木武夫さんという昔の総理も徳島ですけれどね。多いですね。(幸せ度数年表の落ち込みを指さし)[下がっているのは御巣鷹山の事故] ― 基本的に幸せいっぱいなんですが、この御巣鷹山の事故の時に6歳だったんですね。私の父親が船乗りで、海外に行って荷積みをして帰って来る時に会いに行ったんですが、その時に御巣鷹山の事故にあった123便に乗る予定だったんですね。たまたま、当時、飛行機は良く乗っていたので、たまには新幹線で帰ろうかという話を母親がした時に、神戸のポートタワーから高速船が出ていて、その時に泣いていたじいさん、ばあさんの声が忘れられないですね。[たまたまお財布に入っていたんですけど、川上慶子のチケットのコピーです。お守りです] ― 看護婦さんになられた方ですよね。あの子が生き残った姿を見て、僕も生きているから頑張らなきゃいけないなと思ったんですよ。ちょっと年上だったですね。当時12歳ぐらい。[きれいなお姉さんが頑張って生きたということでね。欲しい方は私に言ってください。コピーします。どこかに行った時にこれを持っていれば大丈夫だということで、都市伝説みたいなもので] ― それは貴重な物ですね。[湾岸戦争とありますけれど。お父様が船乗りというのはどういうことなんですか?] ― 船乗りというのは日本からタンカーで水をいっぱい積んで、ペルシャ湾で水を下ろして石油を積んで帰って来るとか、鉄鉱石を積みにオーストラリアに行って帰って来るとか。10カ月乗って2カ月休みとか。[どういう所に所属されているんですか?] ― 今でいう、日本郵船さんとか商船三井さんとかですね。石原裕次郎さんのお父さんがいらした山下汽船の船に乗っていて。[憧れの職業ですよね!だって、お父さん、すごいお土産を持って来るでしょう?今はドンキに行けば海外の物だって買えるけど、当時は売っていないから。どんなお土産を買って来てくれたんですか?] ― 小さかったので、各港のキーホルダーを買ってきてもらうのが嬉しかったですね。それで父親が湾岸戦争に行ったんです。ペルシャ湾を航行中にミサイルが飛ぶ下を帰って来て。竹下総理から巻物のお礼状を頂いてですね、我が国のために命を尽くしてよく勤務して頂いたと。[そして阪神震災、関西地区ですからね] ― 身近ですから。徳島から兵庫というのは淡路島を介して、親戚とか知り合いがたくさんいる地域なんですね。そういう所で目の当たりにしたというのが、原体験ですよね。日本というのは災害の国だと。エネルギーが足りない国なんだというのが私の原点なのかもいしれないですね。[この野球部というのは?] ― 高校時代に野球ばっかりやっていまして。未だに甲子園に行けてない。(笑) 野球に没頭した時期ですね。この時期があったから、今のいろんな事が絶えられる。[厳しかったんですか?坊主ですか] ― もちろん坊主で。[私生活なんかないですよね。どこを守っていたんですか?] ― サードです。[甲子園に行けなったんですか] ― 最初の秋の大会は準優勝だったんですけどね。行けなかった。[そしてこれは何ですか?] ― グライダーで全国制覇です。[グライダーをやっていたんですか?] ― 野球はやり切ったんで、高校でやめて大学からグライダーをやろうと思って。またゼロからスタートでグライダーを始めて4年の時に全国大会8連覇をして。[危ないですよね、危険を伴っていますよね。たまにお亡くなりになる方もいらっしゃいますよね] ― そうですね。事故るとそうなりますよね。[大学を出て銀行へ。どちらの銀行ですか?] ― 当時のUFJ銀行。一期生ですかね。UFJにいる間に三菱銀行と合併になりまして。[どれぐらいお勤めになっていたんですか?] ― 4年間です。[何を担当されていたんですか?] ― 法人営業ですね。都内で自転車で会社を回りながらですね、営業したり、あるいは財務分析をやったり。半沢直樹の世界ですよね。[大学は慶応なんですよね。勉強したんですか?] ― 勉強もしましたけど推薦で入りました。[法学部に入られて。その頃から政治家を目指していたんですか?] ― そうですね。[政治家で元銀行員は多いですね。大塚拓さんはじめね] ― 銀行の先輩でもありますね。[銀行にいらした時はビッグバンとか言われていた時期ですか?] ― ちょっと前ですね。入ったのはそのちょっと前ですね。入ったのは2003年です。[北海道の大手銀行が倒産してからの話なんですね。小泉政権の後期ですね] ― 厳しい時代だったですね。貸し渋り、貸し剥がし。某大手スーパー、某大手商社とか。[お金を数えるのは上手いんですか?] ― 上手いですよ。同期の女の子に負けなかったですから。[新券は数えづらいんですよね] ― 新券は伸びますからね。[現場でお仕事をされていたんですね。忘れられない出来ごととかありますか?] ― 当時厳しかったものですから、同じ支店の中で経営が息詰まるような会社があって。[どこの支店ですか?] ― 本郷支店です。本郷三丁目の交差点ですね。東京ドームの近くとか、東大の回りの医療機器メーカーとか、出版関係とかですね、そういう所と取引がありましたね。小さくても素晴らしい会社ってたくさんあるんですね。[参議員議院に何歳で当選ですか?] ― 30歳ですね。[次の選挙はいつですか?] ― 来年の夏です。[どうでしたか、この6年間は?] ― 早いですよ。当選した時は野党時代でしたから。民主党政権が2009年の9月に出来て、公募の公認が決まったのは2010年の4月ですから。[同期は三原じゅんこさんとか石井浩郎さんとか。公募は大変だったんですか?] ― 野党時代ですから、徳島で候補者を立てるところが大変だったですね。そういう中で若手にチャンスをということで、出馬の機会を頂いて。なかなか実績とかないと情けないことも多いですが。[実績がないと言っても、お若いのだからしょうがないですよ。社会人経験は何年されたんですか?] ― 銀行で4年と松下政経塾で3年。[松下政経塾は今もあるんですよね。この番組に出て下さった原口先生や逢沢先生に電化製品を売りに行った話を聞くんですけど] ― 僕らの時は現場の研修を大事にしていましたね。現場で物事を学びなさいと。机上の空論ではなくてですね。営林実習といって、熊野の営林組合に入って2週間、間伐から植林からそういう研修もあれば、製造研修と言ってパナホームの製造ラインに乗って一日中、さび止めを塗ったりとかですね、いろいろ現場の研修をさせて頂きました。僕の政経塾の同期が宮川典子さん、この番組に出た事ありますよね。[宮川さんも復活してよかったですね!] ― 大学も彼女と一緒ですし、年も一緒なので。派閥も一緒になるとはね。[当選されましたが、薄氷を踏む投票数だったんですか?] ― そうだったですね。当選が出たのが11時45分位だったですね。[その頃は民主党が強かったんですね。政権与党ですからね。バッチをつけて5年が経ったということですね。今は環境エネルギー政策、ODAの団長?] ― ずっとODAの理事もさせて頂いていて。[ODA最近はあまり話題にならないですけど、どうなんですか?] ― 安倍さんが外交の大きな戦力としてフル活用されていますけどね。[この間のISの問題も発端はそうですよね] ― 発端があれかどうかは別の問題ですけど、外交は大事ですね。[外交を中枢で見ていかかですか?] ― 当選してから17カ国、地域に派遣させて頂いたんですね。去年は4カ国行かせて頂いたんですが、日本ほど世界の国から求められている国はないですね。それはお金もそうですが、お金は中国の方が多いですから。お金という事よりも、日本人の力というか、日本人の文化ですよね。世界の中で、こういう歴史があって資源がない中で、戦争に敗れた国が、世界で一番安心で安全で文化が高い国はないですから。憧れの国にしか出来ないことがたくさんあるんだろうなと思いますね。[ODAのどのようなお仕事をされているんですか?] ― 今まで日本がODAの政策を打ってきて、例えば地域に浄化槽を整備したその結果を検証しに行く、アフリカとか去年の中米もそうですけどね。あるいは食料の栄養問題を解決させるために、医療研究のブロジェクトがどれ位進んでいるかとか、状況を把握しに行くということですね。[外務省は長年の経験があるから頼もしいですか?] ― そうですね。ODAを担当するのは外務省だけじゃないんですよね。JICAというのもあるし。何より印象的なのは青年海外協力隊、ご存じだと思うんですけど、ボランティアなんですよね。渡航費と最低限のお金をもらいながら行くんですけど、日本の若い世代、僕らの世代も含めて頑張る姿が、日本人もあれだけ頑張っているんだから自分達も頑張ろうという力になっている、外交というのは本当に多面的なところがありますよね。[私は別の番組で鈴木宗男さんと対談をしているんです。キルギスの人質事件の時に外務省から機密費を出して、3億円。高かったけど、それで解放したと宗男さんは言っているんです。機密費ってまだあるんですか?] ― どうでしょうね。中枢に入らないと解らないでしょうけど。[予算書に載って無いから、外務省から見たら今もないんですよね。でも、ゴーを出したのは自分だと宗男さんがおっしゃるんですよ。そうやって使われていたのが、10年経っていろんなことがわかりますよね]

 

●最近の政治トピックス

 

[エネルギー問題に取り組まれているんですか?] ― 二回の大きな災害を僕らは経験して、阪神大震災、東日本大震災、こうゆうある種、国が大きく変わるような事態の時に、それをプラスの側面を考えることも大事だということで、エネルギーがこれだけ枯渇するという状況を初めて経験するような時代ですよね。原発が止まる、石油の依存度が高まる、コストが上がる、こういう中で世界で一番エネルギー消費がいい国へ。少ない電力でより効果的なエネルギーの使い方があるだろうということで、環境部会で去年、部会長代理として総理に提言を持って行かせて頂いて。LED照明のような高効率の電力体制をどう作るかということ。こういう電球もまだ蛍光灯で、LEDの技術を推進する世界的な基準がまだないんで、その規格の基準をまず日本が作るいろんな環境整備があります。地元の阿南市で日亜化学工業というのがあって、そこがLEDの会社で中村さんというノーベル賞を受賞された先生も阿南の日亜化学で開発されたという。LEDのような低エネルギーで照明を作れるような技術ですね。あるいは畜エネ、エネファームとかありますよね。エネルギーを蓄積できる技術を普及させるようなすべを。さらには再生可能エネルギーですね。太陽光とか風力とか様々な再生可能エネルギーを普及させるためにそうしたらいいか。当時の政権の時に太陽光の展開を大々的にやりましたけど、じゃあ今、時間が経ってみて持続可能性があったかというと、そうじゃなかったりすることも多い訳で、ベストミックスを考えるというのは、そういう切り口でエネルギーのことも考えなきゃいけない。[今のエネルギーに変わる主流になるエネルギーって本当に出来るものなのですか?出来ないと不安ですよね。それを委員会でやってらっしゃる?] ― 党の環境部会ですね。[それは自民党が絶対に大成したい案件のひとつでしょうね。第三のエネルギーが主流になれば生活が大きく変わりますものね] ― 最近のトピックスでいう意味で言うと、集団的自衛権を含めた安全保障の議論が予算が通過した後で議論になると思うんですけど。さっきの私の父親の話じゃないんですが、日本の国だけ何もしなければ安全なのか。さっきのお話の通り、今そういう国際環境じゃなくなっているということも事実なんですね。ですから日本が積極的に世界の安全のために寄与するためにはという観点ですね、もっとその議論を深めなきゃならないないというのはありますよね。[短絡的な話でいうと、自分の子どもを戦争に行かすというのは一番解り易いネガティブキャンペーンかもしれないけど、巻き込まれちゃった時に私たちだけ対応策がないというのはね。いかがなものか、というのはありますよね。そういう危機が目前かもしれないですね] ― 日本ほど安全な国はないとうのは事実だし、我が国の中で、あるいは領海の中で紛争が起きる、テロが起きるという可能性は世界のどの国よりも低いというのは事実だと思います。安倍総理がおっしゃる通りです。ただやっぱり世界の中で見るとそういう環境にないのも事実なんで、海外に駐留する日本人の安全、エネルギーの運搬の安全の保証、様々な意味での安全の保証を検討しなければいけないですね。[若手同士でこの話もするのですか?それとも部会で縦割りになっているんですか?] ― 自民党は平場と言うんですけれど、どんな肩書きがある議員も一年生議員も共に切磋琢磨出来るのが部会でありますので、部会とか様々な会合の中でそういう議論はしていますね。[中西先生はとてもお若いですけれど、そういう方も臆することなく意見が言えるんですか?] ― そうです。臆することなく。[根回しとかは必要なんですか?] ― いやいや、その場はないですよ。[そういう部会には麻生さんは出ていないんですよね] ― 基本的に閣僚のみなさんは出られないですね。[同期とか同世代で自分が思っていることとか、いろいろな話はされますよね。プロの国会議員の間でもいろんなお話もされるんですか?] ― 派閥みたいな所もあれば、議員連盟みたいな所もあれば、いろんな所がありますね。[これはなんですか?](中西議員の後に藍染の大きなのれんを指して) ― ジャパンブルーってありますよね。サッカーのユニホーム。ジャパンブルーはまさに藍染の色で徳島は藍の産地なんですね。江戸時代に吉野川という大河で作られた。[こうやって飾っていると重みがありますよね。伝統工芸というんですか。凄いですね] ― 画面を見ても映えますよね。[こちらは阿波踊りですね](阿波踊りの女性のポスターを指して)― 毎年8月は阿波踊りです。こちらは美波町で、亀が写っているんですね。NHKでウエルカメというドラマをやっていましたけど、亀が日の出に向かって海に出て行っているところですね。あとはお遍路さん、今年で1200年です。[菅さんが行ったところね。(笑)今も計画しているらしいですよ] ― 1200年の歴史ですね。

 

●今だから言えるあの日のあの出来事

 

当選した日ですね、2010年の7月11日。僕は野党時代に出馬をしました。松下政経塾に3月までいまして、まだその夏の公認候補が決まっていないと。[松下政経塾は銀行を退職してから行かれたんですね] ― 政経塾を卒業した時に徳島で候補者を決めるというタイミングがちょうど4月だったんですね。夏の選挙ですから全国でも候補者がほぼ決まっている中で、僕は最後のタイミングで当時の谷垣総裁から公認を頂いて選挙をしました。地盤、看板、かばんとよく言われますけれども、すべて無い状況で。もちろん名前は売れていません。政経塾を卒業したばっかりの30歳の人間ですからね。家の親も普通の船乗りの家ですからサラリーマン家庭ですよ。[お父様は引退されたんですか?] ― まだ乗ってますよ。で、お金も無いし。当時16万しかなくって。本当にお金の無い中でいろんなお力添えを頂いて。そこから本当に二か月半でしたから、毎朝辻立ち、街頭演説をして、日中はごあいさつ回りに行かせて頂いて。[中央からいっぱい応援団が来るんですね。谷垣さんはじめ] ― 当時、自民党は野党だったので、たくさん来たのは民主党だったんですね。民主党の鳩山総理や菅さんや前原さん、細野さんも含め、たくさん応援に相手候補には来られました。その中で走り回って握手をしてという選挙戦だったですね。[どれぐらいの差で受かったんですか?] ― 5800票ですね。[国政選挙でその差は!] ― 投票率0.4ポイントの差で。出口調査で負けていたんですよ。1%無いぐらいの差で負けていて。[勝敗のポイントはどこなんですか?] ― ひとつは僕にしか訴えられないことを訴えました。僕は30歳であとの候補者は50歳以上だったですね。徳島生まれ徳島育ちも私だけだったし。松下政経塾、銀行員生活で国の財政、国家経営を考えるためには私に託してほしいと。50年後のために仕事をしたいということをお話をさせて頂いたですね。当選をした日が7月11日で、11時45分くらいに最後の差後で当確が出ました。集まって頂いた500人ぐらいが本当に抱き合って。今でも皆さんにおっしゃって頂きますが、感動的な当選だったと。で、万歳をしている間に、7月12日が誕生日なんです。万歳をしている間に誕生日になったという。(笑) [なんて幸せ者なんですか!] ― という忘れられないあの日の出来事です。[素晴らしい人生で忘れられない日ですね。きれいですね、さわやかですね。もっとどろどろした話はないんですか?] ― (笑) まだ人生経験が短いですから。[今の話し方とか小泉進次郎さんに似てますよね] ― 僕の選挙の時も応援に来てくれました。同じ野球部で、内野をやっていて一番を打っていた、そういう共通項から同世代の仲間がほしいんだという訴えをしてくれましたよね。本当に思います。世代で考えなきゃいけないことがたくさんある中に今、あるんだろうなあと、いうことですね。[年代の代弁者がいることは当然のことですからね。これからの抱負はなんですか?何年先を見据えて考えていますか?] ― ひとつは80歳、2060年になりますけれども、日本の状態を見届けて自分の天命をまっとうするのかという。[それはそうですよね、国に関わっていればね。あの法案は正しかったかというのはありますよね] ― ですからそういう目線でやりたいですね。[いいですね、素晴らしい。中曽根さんにあったことはりますか?] ― ありますよ。[どういう方なんですか?] ― 大勲位の方ですね。お元気ですね。頭の回転が速いというか。政経塾の時に勉強させて頂いたことがありました。背骨に日本が入っているという名言がありましたけど、本当に毅然としていらっしゃる。そういう姿勢で国政に取り組まなければならないなあと。[昔、風見鶏と言われたとしても、長生きをして政治に影響力があるということは凄いことなんですよね。政治家というのは永田町で長生きもしなくちゃいけないし、寿命としても長生きする人が勝ちなんですよね。スキャンダルとかで淘汰されていく訳ですから残っている人って凄いですよね。生命力がね] ― 麻生大臣にしても本当にお元気ですね。谷垣さんもそうですし。

 

●質問コーナー

 

Q1;今日は3.11なんで震災のことに触れなきゃいけないんですけど、古来より政が乱れると天変地異が起きるということで、阪神淡路の自身の時は村山政権だったですね。四年前、3.11の時は菅政権でしたね。お二人とも社会党だったり、市民運動出身でどちらかというと反体制というか国家を転覆させようというぐらいの方たちがトップに立ったじゃないですか。それを選んだ国民も責任があると思うんですけど、今国会が、金とかスキャンダルの場になっていると思うんですけど。徳あるリーダーが上に行く仕組みを、有権者もそうですし、政治家たる方もそういうところを目指して頂きたいと思うんですが。ご自身が気を付けてらっしゃるところ、政治信条とかありましたら教えて頂きたいと思います。

 

A1;ひとつは歴史をしっかり勉強しなくきゃいけないんじゃないか、という事を痛感します。目先の形はたくさんありますし、選挙の度にその時のトレンドに応じたこともしなきゃいけない。だけど、二回の大災害を経験した時に、ひとつは災害が起きうる国だということと、エネルギーはそもそも現状としては無いことが隠せない国であるということですよね。ですから日本のいろんな側面の中で、そういうのが露見する時期は日本が危機の時期が多いわけですから。そういうことに立脚した上で、国づくりを考えなきゃいけない。そのためには歴史をしっかり学ぶということだと思いますね。

 

[ファーストクラスのキャビンアテンダントが言っていましたけど、エコノミーとかビジネスクラスはエコノミー書を読んでいるんですって。ファーストクラスは歴史書を読んでいるんですって。納得しますよね。ファーストクラスに乗る人はビジネス書?今さらなんですか?って感じですよね(笑)]

 

Q2;松下政経塾に入ろうと思ったということで、銀行員って安定していていい暮らしをしていたと思うんですけど、将来も見えている。それを辞めてまで政治家になろうと思ったのは、生半可な話じゃないと思うんですけど、どこでどういう気持ちで政治家を目指そうとなっていったんですか?

 

A2;もともと、中学校ぐらいから政治家になりたいなという思いはありました。銀行員の時に年間90社ぐらい担当を持つわけですね。各会社さん、いろんな努力をしてらっしゃる。中には経営者が本当に従業員の家族を含めた経営をなさるわけです。その時に企業もひとつの経営体ならば、国もひとつの経営だといった本に巡り合ったんです。松下幸之助さんの本で。ちょうど政経塾の一期生、野田総理や逢沢一郎さんに語った本で、まさにそうだという思いにいたり。これほど経済が混乱をしているというのも政治の要因があるわけで、国家経営に携わりたいという、人生を賭けるなら、という思いで銀行を辞めてという。当時僕は政経塾を知らなかったです。たまたまUFJの北千住の寮に入った10人の同期の内の一人が同じ地元の阿南出身で。導入研修で、プレゼンとかやったりした時に、「おまえは政治家になった方がいい」と。その時に松下幸之助の本を頂いて。その方は銀行にいらっしゃいます。システムの責任者をやってらっしゃいます。

 

Q3;グライダーの話で、佐野さんが興味がないのかスルーしてしまいしたけど、もっと掘り下げてほしかったです。

 

A3;グライダーはエンジンがない飛行機なんですね。大気って常に動いているんですよ。本当に鳥と一緒に飛びますからね。学生の時にやっていたのはエンジンのない飛行機ですから、早く飛んで帰ってくるスピード競技なんですね。スピードを競うためには高度を稼がなきゃいけない。だから自分で見えない上昇気流を掴んで、上昇気流の中で旋回をしながら上昇して、高度エネルギーを速度エネルギーに変えていくと。それを旋回点まで行って、旋回点と自分の翼を真に撮って帰ってくる。回ったぞと、証明して帰って来る。最近はGPSを使うんですけど、当時は普及していなかったので。現像も自分でやるんですよ。その場にやれるキッドがあって。(笑) 有難うございます。聞いて頂いて。(笑)

[そのほうが中西祐介の素を見られるからいいですよね。(笑) ]