丸川 珠代
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第70回
2013年04月17日 放送

自民党 丸川 珠代 参議院議員

自民党 東京都 2期目

(以下、動画より文字おこし)

●幸せ度数年表

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第70回丸川珠代

 

神戸に生まれる。←幸せ度数100%アナウンサーになるためにイントネーションの訓練を積んだ。外科から耳鼻科医になった母と妹との母子家庭。母は家系で皮膚が硬くなるので、患者さんの耳の下を触診して、もし癌が発見できなかったら恐ろしい、と医師を辞め93歳の祖母を看ている。東大を出て社会に出てからが勉強だった。教育に厳しい母だったので、東大なら東京に出ても良いと言われた。地方では長男が家を継いで次男三男が東京に出て仕事を探し、都市として発展してきた一方、ふるさとを想う人たちでもあった。23歳、テレ朝に一番最初に内定をもらった。カメラに向かって喋ったり、人前で話す事は自然にできる訳ではなかったが、「TVタックル」ではキャラクターを作っていたのでああいうふうにできた。ビートたけしさんもテレビではどんな事を言ったら面白いかをもう一人の自分が見ている様な感覚があると言っていたが、自分にもレベルは違うがその感覚がある。就職当時はフジテレビがナンバーワンだったが今はテレ朝がナンバーワンになっている。テレ朝の時は言葉を間違えてはいけないというプレッシャーが凄かったが、当選してからは更に大きな責任を感じた。昼のニュースでもDVDを毎日録って間の取り方などを見ていた。マニアックになり過ぎていたが、退いて見るのも大事だと後で分かった。自分のDVDを見るのは苦手。2007年の安倍内閣の時に当選。法律を微に入り細に入り調査して関係者や役所、反対の意見の人に聴いて政府に質問をするという事を真面目にやっているとキリが無く大変な仕事。テレ朝に居た時から6~7年位、メディア関係者との勉強会に出ていた時に、安倍さんを直に見ていてが、国防、外交の事をリアルに考えている人は他にいないと思った。テレ朝でも色々な経験をさせて頂いた。取材としては第三者として身を引いていなければならなかった。「朝生」で色々な党の方々を見たが、安倍さんはストレートで偽善が無い方。安倍さんに「一緒にやろう」と声をかけて頂き、もう第三者でいなくても良いかと考えた。↗結婚。大塚拓も極めてストレートで不器用な位裏表がない。外交防衛分野においては特に頑張っている。家で夫と「我々はどうするべきか」という事を話し合えることはとても有難かった。家にいつ夫が帰って来たのか、自分もいつ出て行ったかも相手は分からない。↘夫が落選。人生に必要だった事かと思う。41歳で出産。レアケースだったと肝に命じなければいけない。医療が進んでいたから無時産めた。夫は子供が自分に似ている事をこんなに喜ぶとは知らなかった。夫も甲斐甲斐しくオムツ替えなどしたりしてこういうふうにお父さんになっていくのだと思った。この子はこういう環境を選んで生まれて来たんだよね、と思わないと育てられない。親と接触する時間が少ないので、帰るとずっと抱っこしている。現在は厚生労働省の政務官を勤めている。まずは6月まで安倍内閣で3年4か月分を取り返す作業をする。この6年間ずっと民主党さんのやっている事を「ちょっと考え直してください。待ってください。うちがやった方が良いと思う」という事を分かってもらおうとしていた。やっとこっちの仕事ができる様になったところで一息。自公民の三党合意した事が沢山あったが、1個ずつ丁寧にやっていかなくてはならない。自公になっても約束した事は守らなければならないし民主党さんにも意見を聴かないと参議院通らないのですごく丁寧な作業が必要とされているので一生懸命。朝6時か6時半に永田町に行き、答弁のレクを聴いて部会に出、国会に出る。子育ては大変でブログも更新できていない。

●最近の政治トピックス

安倍内閣の支持率が上がっていて74%。3年4か月停滞していた経済がようやく上向きになって一息つけそうだという気持ちを持って頂いていると思うが、大事なのはこの経済が最低でも1年続くというのが大事。デフレ脱却は最終的に給料が上がらないといけない。給料が上がって物を買うようになる事。総理が丁寧に経営者の人たちに「どうしたら給料が上がるか」を聴いて考えたから、「じゃあ応えましょう」と少しずつ上げてくれる企業が出てきた。ただ、まだ大企業の一部に留まっているので中小企業が給料上げられるところまでもっていくのが安倍内閣の仕事。厚生労働相は失業率、有効求人倍率が仕事。求人はいったん増えたが2月は平になってしまったので順調に伸びていく世の中にしていかなくてはいけない。一人ひとりの原動力があって始めて日本が元気になってくると思う。鶏と卵かも知れないが、頑張ったらもっと良い仕事、もっと良いポジションに付けるかも知れない、と道筋を作る事も大事。今、自分が一生懸命やろうとしているのは、キャリアアップする様な道筋を作るための職業訓練をもっと受け易くする事など。それが厚労省の仕事。18歳の人たちに若者向けハローワークとして、企業の人事担当や人材ビジネスの経験者がジョブサポーターとしてマンツーマンで対応している。今までは毎回窓口の担当者が変わっていたが、ジョブサポーターが丁寧にどういう事をやりたいか、どういう事が向いているかなど提案もしてくれる。団塊世代の退職した方たちにも応援して頂きたい。政治が安定する事が経済にどれだけ大事か。3年4か月身にしみたので、日本を元気にする為に政治の安定をください。

●今だから言えるあの日のあの出来事

6年前の7月26日に当選して翌月、8月27日の事。議員会館にはまだ秘書さんが一人しか居ない時、やっと冷蔵庫が入って麦茶が飲める様になった状態の時、冷蔵庫の上にあったテレビを見ていた秘書が「先生!安倍総理が辞任される!」と慌てて言って来た。安倍総理に言われて入ったのに、と大変なショックでこれから先どうやって行ったら良いのかと思った。1年坊主の自分がとても総理に聴けないので自分で何とかしなければ、と思い石原伸晃氏にどういう委員会に入ったら良いか、国会でどういう風に勉強したら良いのか、質問の組み立てなどについても、こういう方に聴きたいと言って人を紹介して頂いた。自民党は応援できる人かどうかを精査する。参議院選挙の東京は4人区だったが、5人に増えるにあたって自民党は与党として2人出さなくてはならないと思った。本当は2人で当選しようという2番手だったにも拘わらず逆の形になったという事で皆にもとてもガッカリする事だったが、そんな中でどなたに指導を仰ぐかという時に石原伸晃さんだった。

●質問コーナー

Q:ネット選挙解禁となるが、対策は?
A:自分たちが選挙中に何をしているか、どこでどうやっているかを知ってもらう為にネットで伝える。どこまでどう使うかは、まだ難しい面が一杯あると思う。動画はある意味真実を伝えると思う。自分も撮らなくてはと思うが、動画を作るのも大変。編集によってNY時代は大きな器械に大きなテープを入れてテープをキュルキュルュル、ポンと指で操作してズレないように編集するのが大変だったが、今はデジタルでピピッと編集できる。映画や長編ものはテープのカンを手で回していたらカンが落ちてしまい、テープを手でくくっていた時代に比べるとデジタル編集は魔法の様。色々な編集技術で音もつけたり、お金をかける事で編集というマジックもあるが、画質の良さではなく、その瞬間、生で伝えられる良さを活かして動画をアップできたらと思う。政務官をやりながら委員会にも出なくてはいけない。0増5減の法律の問題も勉強しなくてはならないし、自分が今何をしているかを写す暇がない。時間の使い方が下手かも知れない。

Q:衆議院の定数是正の問題もあるが、参議院のそもそもの意味とは?
A:参議院があることで、もう一度考え直せる。ねじれがあったから「ちょっと待てこれで良いのか」と考えられた事が一杯あった。民主党政権のままでやっていたら、その時は良かれと思っていたかも知れないが、後で物凄い借金をしていたかも知れない。一歩とめて考えられるのが良識の府だという事。参議院は決算の仕事がある。昔は予算を作るまでに決算が上がっていなかった。予算の概算要求は8月にやるが、その前にできていないので前年に何をやっていたのか総括できないままだった。どうやってお金を使ってきたかを見て初めて予算にその反省が活かせるし、無駄撲滅のためにも参議院はずっと言い続けてきた。できればもっときちんと予算に反映させてくださいと言ってきた。

Q:今後の選挙のテーマは憲法改正ですか?
A:憲法も含めてになると思うが、どちらかと言うと景気ではないか。第1、第2の矢は必ず効くと思ったが、効果はいつか切れるので、その前に経済成長戦略がどれだけ実現できるかがポイント。これをやるならこの景気が続きそうだと皆さんに思ってもらえるかというところ。「特区」は地域経済の疲弊に当てはめていたが、東京は国際競争に勝たなくてはならない。ニューヨーク、ロンドンは街として、国とは別に浮き上がった場所として国際競争を互いに闘っている状況にある。」東京が街として闘える環境を整える事で日本全部に元気が行きわたるのではないか。東京特区のルール作りをどうするか。空港、人材の活かし方など。人材はあらゆる分野で日本の課題。建設業界も人材の問題として、復興に職人が足りない。職人の育成を若い時から選択肢にする事を考えないといけない。

Q:党首討論などの話題に復興があまり出ていなかったが?
A:被災地の先生方にいつも質問されるのは、被災地の医療を立て直してほしいという事、特に福島県で。もう一つは、被災地の声をすくい上げるのがまだまだ機動的ではない、という事。元々福島の浜通りは医者の少ない地域で、それに加えて原子力発電の事故の事があって、少しずつでも戻れる地域を増やしながらどうやって街づくりをするのかを一生懸命考えなくてはいけない。病院を作る事で人が帰って来る。一方、病院を作る事で医者に来てもらわなくてはならないが、強制的に医者を呼ぶ事はできない。有志の医者が行ってくれるが、被災者の方がたにとっては「いつかいなくなる先生」と痛切に言われるので、街づくりと医療を一体でできる様にしたい。医療の主体は県なので、それをしっかり色々な方向から支援したい。医学部の定員を増やす事をやってきた。

●その他

カンペが懐かしい。カンペを見ないでカメラを見ろと怒られた。カンペが間違えていたのにそのまま読んで、自分が怒られた。「旧」という文字が離れて書かれていたので「旧連立政権」を「1日連立政権」と読んだ事もあった。