前原 誠司
前原バスト
第206回
2017年03月29日 放送

民進党 前原 誠司 衆議院議員

民主党の歴史。結党から、政権奪取、そして党名変更までの足跡で、その中枢をになって来た前原議員に、「民主党」を振り返って頂きました。

総括の中での、民主時代の三つの反省点や、ニセメール問題・八ッ場ダムについて述べる前原氏が実に印象的。

安倍総理とは同期の8期目。前原氏が総理になった時の経済政策なども披露して頂きました。

そして、民主政権時代閣僚だった前原氏が大臣を辞任しようと、内ポケットに「辞表」の紙を忍ばせた事が二回ありました。

その時のエピソードと、今だったらどうする!という興味深いお話しも。

最後は、今後政権を再び取り戻す意気込み。

ご本人の言う「イケイケ時代」とは、ひと味もふた味も違う、氏の言葉には力強さの中に優しさがありました。

 

他には、学生時代のさまざまなアルバイトの話し、ご家族の話し、森友学園証人喚問裏話、

好物と言われているあのお菓子についても真相が明らかになりました。

必見です!

一度大きな山を越えられなかった、悔しさ、矜持、寛容・・・新たな前原氏を作っている感じがしました。

 

辻元清美さんのようにわたしも「新生!前原誠司」に抱きつきたくなりました。

その時は腰を引けない様お願いしたいものです。笑

 

「会いに行ける国会議員」は赤坂プラスのスタジオで、2011年10月からスタートしました。

長い間、ありがとうございました!!

また別の形で、つながりましょう☆

 

動画より文字おこし

民進党 (京都2区)  8期目 (2017年3月29日 収録時点)

[このスタジオでの収録が最終回ということなんですが] ― 光栄ですね![こちらこそ!前原誠司さんに来て頂けるとは、皆さん、思わなかったですよね。この番組の第一回目から来て下さっている方もいまして。この番組の共産党政権時代はその方は欠席されていたんですけど、ちょっと趣旨に合わないということで。(笑)] ― この番組に共産党政権があったんですか?[ええ、長い間、ずっと共産党の方が出て。でも、野党共闘ですよね] ― そこは限定的でいいんじゃないんですか。(笑) [前原さんは総理になる方ですので、総括と言っては何なんですが、民主党時代の最初から最後までいらっしゃった訳ですよね。今、8期目ということですが、安倍総理と同期ということですね] ― そうなんですね。古い議員会館で、第一議員会館601が私で安倍総理が602だったんです。お隣同士で。通行証の貸し借りとか、あるいはそれこそ、お砂糖を借りたりとか、本当に近所付き合いを。[本当ですか?味噌醤油を貸し借りする仲ということですね] ― 本当にそういう感じですね。あと、一回生の頃は夜、あんまり時間が詰まっていませんので、一緒に飲みに行ったりとか。秘書さん同士で飲みに行ったりとか。[そういう時代もあったんですね。今そういうことがあったら、どれだけ騒がれるか] ― いやー、(笑) 向こうが忙しいですから。[8期で、民主党の最初から最後までいて今、民進党と名前も変わってしまっている訳ですけれども。振り返っていかがですか?もし反省点がおありにあるとしたら、何かございますか?] ― いっぱいあると思いますね。まず私が国会議員になった時の政党は日本新党なんです。細川さんの。保守の新たな自民党に代わりうる受け皿というのが、日本新党の大きなキャッチフレーズだったので。私はそういう立ち位置でずっと意識してやってきましたし。さきほど共産党の話もありましたけど、ど真ん中の無党派層、そしてこれだけ中国の軍事力の増強とか、北朝鮮が無謀な核実験、ミサイル発射を繰り返す中で外交安全保障政策というのは極めて限られていると私は思うんですね。したがって、政権交代があっても外交安全政策はあまり変わらない。しかし内政において、もちろん、自由競争と資本主義、それは肯定しながらも、言ってみれば小泉さんの時のような、新自由主義というか競争原理をより強めるやり方か、今我々が目指している、セイフティーネットをしっかり張って、教育とか、社会保障とか、あるいは再チャレンジとか。こういうものの受け皿を作りたいところからスタートして、民進党はそういう方向を目指すべきだと思っているのですが。反省点としてはいくつもありますけど。[反省点とか最初から言ってしまって申し訳ないですね、私、] ― いやいや、反省点と言うのは、まず政策で言うと、あるべき国家像が定まっていない中での目玉の政策というのがあった。例えば、高校の無償化とか子供手当の増額とか。農家の個別所得補償とか、あるいは高速道路無料化とか。こういうものが、どういう社会像の中でこれが必要なのか、ということがなかったということがひとつ。二つ目には財源でつまずいたということと。あとはこれは自民党を見習わなきゃならないことだと、喧嘩はする中でいろいろと権力闘争もある、しかし自分たちの土台まで潰さない。民主党は潰しちゃいましたからね。[自民党はそれが上手いですからね。それをまた宣伝効果にしてしまうという底力を持っていますからね。それが結党から端数がいかない党には出来なかったということでしょうか] ― そうですね、政策実現、それも大事なんですけど。政権を継続させながら、政策実現を徐々にやる感覚ですね。地盤を壊してまで、言ってみれば、三歩進んで二歩下がる位のもので。でも一歩前進している、そしてその前進の中で権力基盤を固めて物事をやっていくという知恵が民主党には足りなかった。もちろん私にも足りなかったという気はしますね。[そうことはマスコミからずっとそれは言われていた訳じゃないですか。皆さんがそれを聞いている訳なので、一人一人がそういう気持ちでいればまとまるものではないんでしょうかね] ― 野党から、そういう自民党のある意味での手練手管のうまさというものを見てるのと、実際に自分たちが政権を握って、じゃあそれが出来たのかというと。これは経験を積まないと。安倍さんが二回目を上手くやっておられるのは、一回目はお友達内閣と言われて、そして学級崩壊状態だと言われておりましたけれども。今回は本当に上手くいやっておられると思うのは、菅さんを官房長官にしてですね、そして各派閥のリーダーを要職に付けて、全員野球型の結束が出来るような仕組みにして。そして言ってみれば謀反を起こす芽を摘むというか、取り込みながらそして、政権運営を上手くやられているという気が私にはしますね。我々も4年余り政権に立ちましたけれども、私は望んでいる訳ではありませんけれど、自民党政権、安倍政権についていろいろな問題が出てきた時に、その受け皿はどこなのかといった時に、まずは受け皿となるような努力を今、積んでおくことが大事なんじゃないかなという気がしますね。[今は待ちの体制というか、そういう意識も持ってらっしゃる] ― 待ちじゃないですね、準備。失敗の経験をもとに準備をする。次はどうすれば上手くやれるか。政策ですよね、国家像、全体像の中で政策をまとめていく。後は人間同士ですから、好き嫌いはあるかもしれない。そんなのも乗り越えて、飲み込んで、みんなでしっかりチームワーク良くやるという。そういった失敗を糧にみんなが思いを持たなければいけないのではないかなという気がしますね。[結束のために夜とか食事に行ったりされるんですか?] ― それは毎晩のように仲間やあるいは、政治主導と言って役人と喧嘩しているんじゃないかと言われましたけど。私はそうじゃなかったんですけども、役人のかたとも飲みに行ったりとか。そういうものは毎晩のように繰り返していますね。(笑) [大変ですね。(笑) ] ― はい、ウエイトコントロールが大変ですね。[みなさん、前原さんが党首になった時、ジャニーズ系の総理が誕生すると言われたんですよね。俳優さんみたいなお顔をしてらっしゃいますよね] ― いえいえ、とんでもないです。もう54歳ですから。[辻元清美さんが抱き着きたくなるのもわかりますよね~(笑) ] ― よく覚えておられますよね。[あの写真は印象的でしたからね。辻元清美さんが天真爛漫にワーッといく器をお持ちなんだなと女性として思いました] ― あれは妻に怒られたんですよ。(会場から笑い声)[何と怒られたんですか?(笑)] ― 怒られたというのは、私も画像を見ても思いましたし、当時を思い起こすんですけど、腰が引けているんですよ。凄い腰が引けていて。(会場から笑い声が上がる)[顔が笑ってなかったですものね] ― がぶっといくのもおかしいし。それで腰が引けていたら、帰って妻に失礼だと。女性に対して失礼だと。(笑)

●幸せ度数年表

(クリックで拡大)

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[1962年生まれということですね。どちらも方でお生まれですか?] ― 京都です。[お父様が早くに亡くなられたのですよね] ― 中二の時に。[そして母子家庭ということで、勉強されて、京都大学に] ― 一浪しましたけど。[お母様が一浪しかしちゃいけないと言われたのですか?] ― 浪人もはじめは厳しかったんですけど、一年だけは予備校の費用を出してやると言われて。[奨学金で行かれたのですか?] ― 中学、高校と奨学金。これは返さなければいけない奨学金。大学も4年間、奨学金を頂きました。全部返さなきゃいけない。[そのころから政治的なものに芽生えたということですか?] ― 全く。[そうですか。いつからですか?] ― 一浪して大学に入ったんですけれど、浪人している時に駿台予備校京都校に通っていまして。今でもそうなんですけど、ずーっと根を詰めると現実逃避したくなるんですね。近くの本屋に行って立ち読みしていたんです。受験とまったく関係ない。そこで出会った本が私の恩師に後でなってもらえる高坂正尭先生という国際政治学者の「国際政治」という新書で。パラパラめくりながら、面白いなと思って買って帰って。この人に学びたいと思って見たら、一回目の受験に落ちた京都大学の法学部だったんで。一年目が漠とした気持ちで受けて、二年目はこの先生に習いたいという思いで受けて。国際政治の授業は2年生から受けて、ゼミも当然、高坂先生で。国際政治に関わる仕事に就きたいというひとつの選択肢が政治家だったんですね。[それで大学を出られて松下政経塾に入られるということですね] ― はい、松下政経塾に。[その頃は決まっていたということですね] ― ここが落ち込んでいるのは、(幸せ度数年表の落ち込みを指して)大学に残りたかったんです。[研究者になりたかったんですか?] ― 研究者というよりは高坂正尭先生が好きだったんですね。高坂先生の元でもうちょっと国際政治を勉強したいということで。京都大学法学部というのは専門の15科目の試験の平均点数が8割以上あれば、大学院の試験がパスされて行けるんですね。それを着実にやってはいたんですけど、高坂先生が、おまえは学者になるほど頭が良くないし、勉強もしないと。[高いレベルで言っているんですよね] ― いえ、結婚式でも言っていたので、本当にそうだと思います。(笑) どちらかというと政治家向きだと。そういうことを言われて、自分が理事をしている松下政経塾に行ってみろと。それで推薦状を書いて頂いた。それで松下政経塾に行くということになったわけですね。[同期はどういう方がいらっしゃるんですか?] ― 玄葉光一郎さん、8期生。一つ上の先輩が山井和則さん。[みなさん、民主党ですね] ― 民主党以外も言った方がいいですね。(笑) たとえば7期はさいたま市の市長をされている清水勇人さんとか。5期だと総務大臣をされている高市早苗さん。伊藤達也さん、今、内閣府大臣補佐官をされている。4期だと原口一博さん。[原口一博さんはこの番組の第二回に出演して下さって、松下政経塾で最初は営業をやらされたという話をされていました] ― 私は営業ではなく労働実習で、新日鉄君津製鉄所の三交代勤務を二か月間やらせて頂きました。[どういうことをやられたのですか?] ― 専門的な知識が無いわけですから、まず幸之助さんの教えに従ってひたすら掃除ですよ。職場の掃除を徹底的にやって。まあ、気難しい人たちばっかりおられるわけですよ。足手まといの奴が来たなという感じですよ。とにかくやることは、トイレ掃除、部屋の掃除をやって。一週間ぐらいしたら、手伝えということを言って下さって。三交代というのは、朝の勤務、夕方の勤務、夜の勤務を交代にしていくんですね。私は受け入れられたなあと思ったのは、夜の勤務が終わった時に一緒に飲みに行こうと連れて行って頂いて。それで、朝の9時くらいからビールを飲んで、そして居酒屋に連れて行ってもらって。そして休みの日には鬼怒川温泉に一泊でみんなで行こうということで、連れて行ってもらったりとか。ふれあいがありましたね。[前原さん、お酒は得意なんですか?] ― 強くはないですけど、好きですね。[アルバイトを結構されていたと聞いたんですけど] ― 大学の時はアルバイトざんまいでしたね。[どんなアルバイトをされていたんですか?] ― オーソドックスに塾の講師、家庭教師。ここがベースなんですけれど。たとえば、車を買いたい、スキーに行きたい、そうすると中央市場の鮮魚のアルバイトをかなりやりまして。朝4時に起きて4時半に出発して、5時に着いて。5時15分から競りなんですね。私がお世話になった仲卸のお店が競り落とした物を店に持ち帰って、そうすると5時半ぐらいから、お客さんの料理屋の店主とか魚屋さんが来られるわけですよ。それで、買うとおっしゃった物をその人の車まで運ぶという仕事をやっていて。そこから大学に行くわけですよ。[そこから勉強に行くわけですね] ― 勉強というと聞こえがいいんですけど、そんなに勉強してないんですけど。とにかく友達に、「おまえは魚臭い」と言われましたよ。(笑) 魚の匂いが凄いんですね。そういう時期とか、京都に、からふね屋という24時間営業の喫茶店が大学の近くにあって。10時から朝の8時まで行くとかなりお金になるのでそれをやったりとか。もっとおもしろいバイトでいうと、京阪バスというのが三条京阪という所から比叡山まで行っているんですね。途中で非常に道の狭い所を通るので添乗員というのがいるんですよ。つまりはバスと車の離合するために、笛を吹いてバックさせたり。あと、サルがよく出るんです。サルを追い出したりとか。アルバイトはいろいろやりましたね。[お母様に負担をかけたくないというのがきっとあったんでしょうね] ― ですから奨学金は4年間すべて母に渡して、自分の生活費はアルバイトで稼ぎ、プラスアルファの所はさらなるバイトをするという生活でしたね。[そして京都府議会議員に当選されます。この時は無所属だったんですか?] ― 無所属です。全くの無所属で28歳。[最年少ですよね] ― はい、その時には最年少です。佐野さんはおいくつで当選されましたか?[私も28歳の時です] ― あ、同じだ。僕も28歳で、生まれ育った地域で出て。9か月で1万軒歩いたんです。[みなさん、凄いですね!] ― 1万軒歩いて出た票が9678票。私の原体験は、歩いた数だけ票につながる。月曜日から土曜日まで一時間半、毎朝、月曜日はここ、火曜日はここと街頭してあとは延々に歩くわけです。[地方議会をやっていると、こういうところが強いですね] ― 左京というところなんですけど、車で通ってポスターが貼ってなかったら秘書に怒りますね。(笑) ここはポスター貼らしてもらえるのにと。[そして衆議院議員に出て、結婚。衆議院議員の時は何党でしたっけ?] ― 日本新党です。31歳ですね。結婚が33歳。[どこで知り合われたのですか?] ― 私は本当に運が良くて、28歳で京都府議選に出た時も無所属だったんですけれど、例えば、裏千家の家元とか、当時、京都商工会議所の会頭というのはワコールを作られた塚本幸一さん、それから京セラの稲盛さん。こういった方々が松下政経塾の理事をされていて、高坂先生と同じで。塚本幸一さんに言われた言葉をそのまま言うと、「おまえがどこの馬の骨かわからんけれど、おれは松下さんに世話になった。だから応援してやる」ということで応援をして頂いて。塚本さんは亡くなられたんですね。今も息子さんには可愛がって頂いて。京セラの稲盛さんにも可愛がって頂いて、今も東京後援会の会長をして頂いているんですけど。盛和塾という経営者の塾をされていて、何人か東京の盛和塾のメンバーをご紹介頂いて。その方のもとで働いていたのが今の家内なんです。たまたまその方と京都駅でばったり会って、話が盛り上がって、東京に着いてからも飲みに行こうということで。会社に残っている方が何人か呼ばれて、その中に妻がいたと。[若かりし時代ですよ、バンキシャなんか付いていない時代ですよ] -まったく付いていない。表参道に今はないんですけど、デプレという喫茶店があって、デプレで初めて妻と会いました。[思い出ですね~] ― 今も仲良くしているので、思い出ではないんですけど。(笑) [ご家族は何人ですか?] ― 二人だけなんですよ。仲が良すぎて二人しかいないんです。(笑) [今、8期目ということで、メール問題でがっと下がっていますね] ― 人生で一番落ち込んだ時期ですね。[民主党の党首をされていた時でしたね] ― 43歳の時です。[今は森友学園が大騒ぎになっていますけど、それ以上の熱烈ぶりというのがありましたよね] ― 小泉さんが強かったですし、幹事長が武部勤さんだったですね。そこに降ってわいた問題だったですけど、永田寿康さん。結果的に彼が議員辞職をして、そして亡くなったということを考えると思い出しても辛い。[今、森友学園問題とかありますけれど、百戦錬磨じゃないですか。前原誠司さんは] ― 今だから申し上げる訳ではないんですけど、メール問題の時も、本当に大丈夫かということを永田さんにも、当時国対委員長して下さっていた野田さんにも申し上げて。まあ、そこを切り離す冷たさがなかったという。それも経験ですし、今回の森友問題でも自分自身が痛い経験をしているんで、いろんな方向から慎重にやった方がいいというのはアドバイスはさせて頂いていますね。[どういう場で民進党の方に言われるんですか?] ― それは国対委員長とか幹事長とか。野田幹事長とこの話をするのはこの問題は辛いですね。野田幹事長は当時、国対委員長でしたから。一番良く分かっておられるので、幹事長には阿吽の呼吸で。国対委員長とか、質問する人に対しては慎重にやった方がいいと、この問題については。まあ、枝野さんも福山さんも証人喚問の時は素晴らしかったと思いますね。枝野さんは100点満点じゃないですか。詳しくない人が見ていても、どこが問題なのかというのが質問でわかったと。一部ネットでは出来レースじゃなかったかという位、上手く引き出したというか。枝野さん、私、長い付き合いですけど当然、同期なんで。あの質問の前はかなり緊張していましたね。あの枝野幸男が緊張していましたね。[枝野さん、弁護士ですよ。前原誠司さんも百戦錬磨ですけど] ― いや、彼の方が百戦錬磨です。彼がやはり相当緊張していまいたから。[歴史に残るというか、分岐点になりますよね。多くの議員、党員を背負っているような質問でしたからね。そして政権交代の時は上がっていますね] ― はい、47歳。国土交通大臣、外務大臣、政調会長。[党首を辞めてから政権交代だったのですね] ― 43歳から47歳まで4年間、党首をやったということですね。[そして政権交代、鳩山さん、菅さん、野田さんが続くということで。この間はいろいろ大臣をやられていますけれども、いかがでしたか?気持ち的には] ― 今私がここでぽっくり亡くなった時に、一番自分の政治家の人生で充実していたのは、そうですね、国土交通大臣の一年間だと思いますね、政権交代直後ですから。八ッ場ダムは止まらなかったんですけれど。[前原さんといえば八ッ場ダムですけど] ― 今でも言われるんですけどね。八ッ場ダムは止まらなかったですけど、あの時83の大型ダムが本体工事前、着工していないダムがあって。4.0年、

50年前に計画されてまだ出来ていない訳ですよ。だから全ていったん凍結して、今の時代にあった物差しを作ろうということで有識者会議を作って、今でもこの有識者会議はあるんです。83の内、74か75まで検証が終わって25ぐらいのダムの中止にはなったんですけど。八ッ場が止まらなかったので、噓つきとか言われることになって。後は日本航空の再生の話がありましたし、羽田の国際化とか。後はインバウンドが今増えていますけど、ビザの緩和、見直しとか。オープンスカイ、98の日本の空港をすべて国際空港にしようと、協定を結んだり。そういうものに取り組んだりとか。まあ、あの一年間は本当に楽しくて仕方がなかったですね。[やりがいがあると言うことですね] ― やりがいがありますし、私、田中角栄さん、好きなんです。田中角栄さんの本を読んでいて、待てば海路の日和ありというのは嘘だと。角栄さんの場合は総理になったらなんですけど、そういうポジションに付いたら、一気呵成にやれと。というのが田中角栄さんの金言のひとつであって。先ほど名前の出てきた辻元清美さんが副大臣で、政務三役、6人で集まって、これをやろうなと、我々のチームで。分担はこれということで、羽田の国際化をやるとか、ダムの見直しをやるとか。それからオープンスカイをやるとか、インバウンドを増やすとか。港の選択集中をやるとか。そのようなことをみんなで決めて、いいチームでしたね。[そこは反省点と言ったら申し訳ないんですけど、ありますか?] ― あります。ひとつは八ッ場ダムを中止と言ったことですよね。凍結と言っておけば、傷は浅かったですね。私が関わった訳ではないですけど、ハンコを押した、署名したマニュフェストに川辺川ダムと八ッ場ダムが中止と書いてあったんです。それを思わず言ってしまったというのが、大きな反省。トランプもそうですけど、マニュフェストに書いてあることでも、大臣というポジションに立てば慎重にやらなければいけない。[そうだからと言って、えーいとやってはいけない] ― そうです。本当に大きな勉強を八ッ場ではさせてもらったと。一歩ひいて必ず予防線を張った形を取らなければいけない、ということを学ばせてもらったのが八ッ場でしたし。後は結局、民主党政権の失敗というのは、親小沢対反小沢だったじゃないですか。あまりこういうのは皆さんの前で言うべきではないかもしれませんが、反小沢が政権の中枢とか役職に就いていて、小沢さんのグループはあまり就いていなかったんですね。小沢さんは幹事長でしたけど。そういう人たちの声をちゃんと聞いて差し上げればね、先ほどの話じゃないけれど、とげとげしくならなかったという風に思いますし。[それは前原さんがとげとげしかったんですか?民主党の体制派がとげとげしかったんですか?] ― いや、私の反省ですから。例えば、いっぱい陳情が来る訳ですよ。国土交通大臣と言うのは。もちろん、ルールは曲げてはだめですよ。ルールを曲げてはだめだけど、ギリギリどうなのかなあ、という陳情も来る訳じゃないですか。[そういうのが上手いのが自民党なんですよね] ― そこをもう少しね。[やってくれてないけど、やったように見せかけるというのが上手い。あ、すみません(笑)] ― そういうのを含めてね、愛情を持って、親身になって、そしてその人の顔が立つような。断るにしても。そういう、やはり愛情ですよね。愛情が足りなかったし。[前原さん、そこまでそんなに思っちゃったら、顔はいいし、心はいいし。ニュー前原誠司でニュー安倍晋三の次、行って下さいよ、本当に!] ― 反省って、本当にたくさんありますよ。慎重に物事を進めるということを政権与党の時には。頭を何回もぶつけながらね、学んだということですし、これを次に生かさない手はないなと。[生かされますよね。ここまでみなさん、反省されている訳ですから] ― あれだけ期待をされて、なんだということで、今でも批判を受けている訳ですから。[民主党が考えた最悪のシナリオになってしまった訳ですからね。一回でだめになってしまったというね] ― ですから、次にチャンスがあれば、これを生かさなきゃいけないという風に思いますね。

 

●最新の政治トピックス

 

[前原さんが次に政権を取って総理になった場合、まずはどうしていきたいか、伺いたいと思います] ― この本、(「分断社会ニッポン」朝日新聞出版がアップで映る)井出栄策先生と佐藤優さん、元外交官と三人で一年半、毎月一回、18回ぐらい。三人プラス役人、金融マンとか学者さんとか入れて。六時半からお弁当を食べて、七時ぐらいから議論を始めて、十時か十時半まで。18回ぐらいやってまとめた本なんですけど。井出先生から気づきを頂いたのは、バブルが崩壊してから日本は貧しくなったと、貧しくなって相対的貧困率も高くなり、そして同時にですね、我々、国民から税金とか社会保障費を預かっている訳じゃないですか。ショッキングな気付きを頂いたのは、再分配政策が日本は上手くいってないんですよ。例えば、再分配政策をする前の貧困率は13.5なんですけど、日本は再分配した後に12.6にしかなっていないんです。ほとんど改善していない。例えば、ドイツだったら、8.1から3.3に改善して、イギリスだったら11位から4に改善するんです。なぜだろうと、最大の理由は高齢者に対する給付が手厚くて、現役世代に対する給付が圧倒的に低いのが日本なんですね。かと言って、高齢者に対しても下がり続ける年金とか。介護従事者の給料が平均の三分の二とか。いろんな問題点がある訳ですね。現役世代に対する給与、家族向け支出とか、再就職の職業訓練とか、いろんなものに手厚くし、高齢者にもそこそこ手厚くするということになると、お金がいる訳ですね。民主党政権で16.8兆円どころじゃない。これについて、今までは削る、削るばかりで来た。それを国民負担率を上げてでも、今の国民がそれぞれの世代で感じている問題点を解決するために、税負担を上げさせて頂くけれども、教育を無償化するよとか。マクロ経済スライドと言って、年金は2040年まで下がり続けるんですね。これを例えば、基礎年金だけはもうちょっと上乗せして、基礎年金だけはマクロ経済スライドから外して下がらない年金の仕組みを作ろうとか。あるいは先ほど申し上げた、介護従事者、保育士の給与は平均の三分の二しかない。これを上げていこうとか。こういうような様々な問題に対して、負担をお願いしてでもしっかりと手厚くする。自公政権はどちらかと言うと、自己責任型の冷たい政府。削る、削るという方ばっかりに行って、ともすれば借金を増やすと言っているけれども、我々は負担増をお願いすることを逃げずに、負担増が皆さん方の現物給付につながって、負担減につながる。そしてそれぞれの世代の方々の問題点がなくなるというような、どちらかというと少し大きな政府。そして、高福祉。こういう社会というものを我々は目指すべきではないかということを是非、民進党政権ではやりたいと思います。[前原誠司さんを紹介して下さった方は民進党の宮崎武志さんなんですけど、おっしゃっていたのは、安倍さんも戦後レジウムの脱却をずっとやっていて失敗した訳なんですけど、次にご本人の主義じゃなかったけど、経済政策に入ったところから人気が高まったというのがありますものね。やはり経済が疲弊していますからね、今ね] ― 疲弊していますし、先ほども申し上げたように、税金の使い道で失敗しているんですね、再分配政策が。これを見直していくということが大事だと思いますね。[それを見直せば、だいぶん変わるんですか?活性化出来るものなのでしょうか?] ― 1800兆円、金融資産があるんですね。85パーセントは50歳以上が持っているんです。若い人たちは持っていないんです。50歳以上の方が85パーセント持っていて、その方々が使わないんです。今長寿化が進んできて、年金が下がってきていて、みんな自己防衛で貯めて。そうすると消費が高まらない。アベノミクスというのは、企業は45パーセント経常収支は増えたんですね。利益は増えたんですね。しかし、名目の賃金はほとんど変わっていないんですよ。実質賃金は4年間下がっていて。去年、ちょっと上がりましたけど。賃金は上がらずに円安にして、輸入物価を上げてインフレにしようとしている訳ですから。実質賃金はむしろ減っているというのがアベノミクスですから。消費が高まらない訳ですね。経済の6割は消費ですから。貯蓄が動いたりとか、生活者が安心感を持って消費に回せるとか。アベノミクスというのはトリクルダウンを狙ったわけですね。企業が儲かれば賃金が上がるだろうと。トリクルダウンを狙ったんですが、しかしそれが上手くいっていないんですけれども。我々としては違うアプローチで経済も活性化させる。[いつ頃、政権交代を狙っていらっしゃいますか?] ― 次の選挙で目指さないと、次の次でいいと思ったら、またその次以降になっちゃいますんで。常に真剣勝負で、小選挙区というのは何が起きるかわかりませんから。[ずっと小選挙区でも強いですよね、京都で] ― 今度はなかなか大変だと思いますよ。今の党の支持率とか含めて。[前回の党首選にも出られまして、対抗馬で出られた前原さんにとって、現、蓮舫さんの政権は?] ― 私の出た最大の理由は今皆さんにお伝えした、自民党、公明党に代わる社会像、国家像、私は高福祉、皆負担、皆が負担すると書きます。私はオール・フォー・オール、みんながみんなを支えあう。みんなが応分の負担をして、みんなが受益者になる。これをとにかく民進党の柱にしたい、その思いで私は出させて頂いたので。蓮舫さんに私は負けましたけど、蓮舫さんから調査会を代表の直属で作ってぜひ、我々の党の柱になるようにまとめてくれと言ってますんで、秋をめどにまとめる作業を今、井出先生としています。[まとまりはあるといくことですね] ― 今の体制ですか?まあ、一度決まった人はやっぱり支えるということをやっていかないと、いつまでたってもカルチャーが抜けないということは、反省をしていないということになりますから。

 

●今だから言えるあの日のあの出来事

 

ふたつありまして。大臣の時に、国土交通大臣と外務大臣。実は私、二回辞表を書いたんです。一回目は小沢幹事長が政府に政策を全部任せるとおっしゃっていたにもかかわらず、年末の予算編成の時、党の様々な業界団体の要望をまとめて、これをやれと無理やり押し付けてこられて。高速道路の料金体系を変えろというのが入っていて。小沢さんらしいんですけど、各大臣、サインしろと。私は断ったんです。これについては飲めないということで。もし書けと言うのであればと言って、内ポケットに忍ばせていたのは辞表。それで鳩山さんの所に行って、これを飲めとおっしゃるんだったら、私は辞表を出しますと言ったら、「いや、前原さんの好きにやっていいから」と言われて。[それでそうしたんですか?] ― 党の言うことは聞かなかったんです。ただ、さらに対立が深まった訳で。それで、そこの部分はサインは誰がしたかというと、平野官房長官がサインをしていました。あともう一回は外務大臣の時。外国人献金で本当に辞表を出したんですけれど、その前にめぐりあわせとは本当に不思議だなと思うのが、TPPをアメリカがやると。菅さんはTPPを凄く嫌がったんですね。TPPをやると所信表明演説で言いながら、嫌がって。私を呼んで、日米FTAの交渉をしてくれんかということを言って来て。いや、私が聞いている範囲だと米韓FTAを最後に二カ国の協定はアメリカは議会を通すのが大変だと。共通のプラットホームを作って、それにすべてを入れ込んでいくというマルチの仕組み、それがいわゆるTPPなんですけど。それでやると言ってますよと言って報告したにも関わらず、いや、日米FTAをやれと言われて。そして私、また辞表を。それだったら出来ませんということで。この間、3月の初旬にワシントンに行って来て、その時にUSTRの次席だったカトラー女史がいるんですね。カトラーとその話になって、前原、覚えているかと。俺は覚えているよと。今トランプがTPPから日米FTAになって、これはおかしな話だなあと、アトラー女史としていました。政策でこれをやれと言われて、それは私の責任で出来ないと、二回、辞表を持って。[今でしたら、内容が違ってもそういう局面でどうですか?] ― いや~、青かったなあと思いますね。[辞表は持って行かないと] ― そこはちょっとね、直線過ぎましたよね。[オールオアナッシングみたいな感じですよね] ― そこはもうちょっと幅を持たせるべきでしたね。[でも、そこが魅力ですよね。突き進んでいくという気持ちが] ― それで頭をいろんな所にぶつけている訳ですよ。もうぶつけないようにしないと。またぶつけたらアホかと言われます。[そういう辛酸をなめてきた前原誠司さんがもう一回、政権を取った時が凄く楽しみですね] ― みんながぶつけてますから。(笑) みんな、傷だらけですから。(笑)

 

Q1;この番組に第一回から来ておりまして、直接、国会議員の方に質問できるという貴重な機会を頂いています。先ほど、大きな政府、高福祉的なことをおっしゃっていましたけど、民主主義政治はどうしても財政赤字になりやすい。皆さんに票を入れてもらうために耳障りがいい政策を言わざるを負えない。それで財政赤字が膨らんでいる。与党が合法的な買収をして、税金をいろんな形で買収をして票を取っているように思います。このままで行くと将来にどんどんつけを回す。人に優しい政治、再分配も上手く機能すればいいんですけれど、このまま行くと日本が破たんするのではという危惧を持っているんですね。出来る限り、小さな政府、自助努力の精神、そして起業家の排出。やはり世界をリードしていくような、そういうようなビジョンと言うのが必要じゃないかなと思っているんですけれど。トランプ大統領が打ち出しているようなアメリカファーストという形でトランプ革命が始まっていますけれど、日本も自助努力の精神を見直していかなきゃと思っているんですが、その辺、お考えはいかがでしょうか。

 

前原議員;一昨日、29年度予算が成立をしました。97兆4547億円という、過去最高なんですね。税収見込みがいくらか。58兆円。つまりは約40兆円の歳入欠陥があると。国債発行をしてまた借金をすると。40兆と言っても歳出の方に国債費がありますのでそれが歳出ですので、それが四分の一ですので、それを引いた分でも持続可能じゃないですよね。もう、国債が一千兆円を超えて。なんでもっているかというと、海外の保有が10パーセント、他は国内で消化されている、しかも今、400兆円以上を日銀が持ってくれているということで、変に安定してしまっているので、本当にゆでガエルのような状況だと思いますけれども。こんなものは続かないというのはわかっている訳ですから、無駄は削る。しかし、削るだけだはなかなか財源は見いだせないし。そして先ほど申し上げた、若い人達が結婚も出来ない、理想の子供の数も持てない。先進国に比べて家族向け支出が圧倒的に少ない、老後の不安もある。こういったものにしっかりとやろうと思うのであれば、堂々とその分についての負担をお願いして、そして安心を取り戻すという政策をしっかりと打ち出して。小さな政府と少し大きな政府の中で国民に選んでもらって、どれが一番いいのかという政策論争を国民にお見せするということが大事かなと思います。有難うございます。

 

[では、西山会長お願いします]

 

西山会長;経団連の理事を10年、幹事を4年。私は政権交代の小沢さんの時に経団連の中で民主党擁護の大演説をぶったんです。それから私は今日に至るまで経団連の中で、あいつは民主党だと見られています。(「本当に申し訳ないです」前原議員が深々と頭を下げる)いいも悪いも、自分はそういう意味では民進党は大好きです。特に前原さん、小沢さんは対立の関係にあったにも関わらず、両方とも大好きでした。今も。(前原議員「私、小沢先生とは親しくさせて頂いています」)私事ですが、この間、私のおふくろが101歳で身まかりました。京王プラザで515人呼んで司会を佐野美和さんがやりました。その時、小沢さんからも弔電を頂きました。いろいろご苦労されてますようですが、甘利元大臣も来てくれたんですよ。それから海江田さんも来てくれました。伊藤公介さんも。日本の経済の話です。経済のことでは不動産の規制を、全部取っ払えとは言いませんが、いい加減に言うと半分、不動産の規制を取っ払ったらいっぺんに景気は回復します。何兆円も、これがひとつ。その証拠にはですね、太陽光があっという間に、3年、4年の世の中に普及しました。あれがなぜ普及したかというと、税法なんですよ。グリーン投資減税と言いまして、ご存知でしょうけれど、何億円で買っても申請をして通れば、原価1円になる。1円に対しての売電は何百パーセントにもなるという税制なんですね。それで太陽光があれだけ一気に日本の国内に出来たんですが、税制が中止になってしまいました。そして投資家が全部、引き上げちゃいました。今その投資家は右往左往しいてますよ。不動産にいく人、それからコインランドリーにいく人、あれに行く人、これに行くひと、右往左往しています。この税制改正によって一気に世の中を良くする道と言うのはいくらでもあるといます。そのことがひとつ。その他ではいろいろ、細かいことは限りなくたくさんありますが、取りあえずひとつ、不動産の規制改革は今の民進党によってどの程度出来るのか。そこをはっきりお聞かせ頂きたいです。そうすると世の中の投資家のお金が何千億と一気に向かいます。その辺どうでしょうか?

 

前原議員;一年間、国土交通大臣をやらせて頂いて、まず住宅から言いますと、一年間に100万戸新規着工件数があったのが、68万戸まで落ちていたんですね。これを何とか上げなきゃいけないとうことで、いろんなことをやりました。例えば、住宅版エコポイントとか、生前贈与の非課税枠の拡大。1500万円まで非課税にするとか。様々なことをやらせて頂いて、90万戸まで戻るということになりました。わが政権だけではないんですけれど、特別な地域を決めて、指定して、空中権の売買をする、容積率の緩和、見直しを行うというようなことをやり続けました。例えば、自民党政権の時に決めて民主党政権で出来た物なんですけど、東京駅。三階か四階ですよね。あそこは物凄く高いビルが作れるんですけど、空中権を売って他の所に付け足すことが出来て。私の記憶が正しければ、数百億円を売ったお金で建設費用に回したということがありましたし。特別地域を決めて、容積率を緩和し、そして売買が出来るようにするということは今もあります。もうひとつ私がやりましたのはリートですね。リートというのは不動産を証券化するんですけど、建て替えが出来なかったんです。今あるビルの証券化は出来たんですけど、古いビルを建て替えをして、新たなビルにして商品価値を高めて。その一連のことまでリートで出来ないかということで、特定不動産事業法の改正ということをやりました。このようにわれわれの時も、今、会長がおっしゃったように不動産をどう上手く動かすか、あるいは活用することが大きな経済の起爆剤になることが間違いないと思いますので、まあ、さらにそういったものをいろいろ考えられていると思いますけれども、さらにそういった観点からしっかり取り組んでいきたいと思っています。

 

西山会長;規制が強過ぎるんです。ばっさり半分にしたら、例えば容積率100パーセントのところは200パーセントに、あるいは調整区域を半分に減額させるとか。そういうことによって、一気に景気が良くなる、回復すると思います。

 

[安倍内閣はそういうことをやらないのでしょうか?] ― いや、ある程度やられていると

思いますよ。大都市圏に限って特別地域を決めて、そこに限定されていますので、もう少

しそこの範囲を広くするということをしていいかもしれませんね。有難うございます。

[他に質問はございませんか?]

 

Q3;ウィキペディアを見ると無類のハイチュウ好きと出て来るんですよ。本当ですか?

森永ハイチュウが大好きだと書いてあるんですよ。

 

前原議員;これはですね。そうでもないんです。(会場から笑いが起こる)ただですね、思い当たる節はあるんです。新幹線でワゴンサービスってあるじゃないですか。ある時期に期間限定のハイチュウをワゴンサービスで売っていたんですね。それを全て買った記憶はあるんです。たぶん、それを見てた人がウィキペディアに載せて。私、いろんな地域に行く度にハイチュウを貰うんです。ハイチュウの全セット入りみないなのを貰ったりします。

Q3;ウィキペディアによると、12個全部をむいてかたまりしてかぶりつくと書いてあります。

 

前原議員;それは全く嘘ですね。ウィキペディアって定期的に見ておかないと、ひどいことをいっぱい書いてある。(笑) ただ、ハイチュウは好きですよ。でも、無類のと言われるとどうかなあと、ちょっとクエッションマークですけど。(笑)