務台 俊介
mutai
第140回
2014年11月19日 放送

自民党 務台 俊介 衆議院議員

第140回

務台 俊介 衆議院議員

自民党 長野 2区 1期目(2014年 11月 19日収録時点)

 

.松本深志高校では、作家で元長野県知事の田中康夫さんと同級生。東京大学法学部在籍中は、麻雀に明け暮れ留年を経験。卒業後は旧自治省に入省、地方分権のエキスパート。2009年衆議院選挙初出馬、落選。神奈川大学法学部、自治行政学科教授。2012年12月衆議院選挙、初当選。 旧自治省では、三位一体改革、そして消費税が5%になる際には、その内1%を地方消費税・独立税源とした立役者です。上から言われた政策ではなく、地方の事を考慮し若手の自分たちで考えボトムアップしたもので、その時の上司や大蔵省との戦い等を披露してくれました。代議士となった1年11ヶ月の間に、2つの案件を法制化。1つは、国民の祝日「山の日」を制定。もう1つは「消防団を中核とした地域防災力充実強化に関する法律」消防団の処遇・装備の充実地位向上が図られます。選挙が終わったら、引き続き「子供の元気!農山漁村で育むPT」の法制化、そして、地方創世の一貫で、バイオマス発電の法制化を急務。農業をしながらバイオマスでエネルギーを生産販売することで、都心で働いている者より多い収益を得るという、循環を理念とした、環境にも絶大なビジネスモデルを考えています。一刻も早く長野をはじめ、各地で実現して頂きたいですね!!

●幸せ度数年表

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第140回務台俊介

 

 

〔1956年生まれ、どちらでお生まれですか〕- 長野県大町市、アルプスの麓に子の頃住んでいました。黒部の太陽で黒四ダムを造り始めた時に、大町小学校に私の父親が赴任して、幼少期をここで過ごしました。当時、家にお風呂なんてないから共同風呂ですよね。雪が降る中、観音橋という高瀬川に架かっている橋をとことこ、とことこ歩いてお風呂に行って戻ってきて、風邪をひかないようにみんなで暖かくって。いいですね、ワンスアポンアタイムという感じで、そういう時代がありました。〔受験勉強厳しかったでしょうね。この時代、そして文教地区の長野ですから〕- 受験勉強はいやですよね。女の子に興味があるこ頃なのに断ち切って、すべてを断ち切って、無事、東大に入れました。この頃はひょっとして自分は優秀じゃないかと思いましたけど。この頃が絶頂期ですね。〔神童と言われませんでしたか〕― いえいえ、勉強しないで楽々いい成績取る人は神童、僕は勉強するから普通なんです。目標を立てるとそこに向かってやるでしょ。そうすると人付き合いとか、異性関係とか断っちゃうんですね。ストイックなんですよ。〔それは大人なってビジネスにおいてそうするという方はいらっしゃいますけど、当時高校生で長野にいてそれをするところが、その自己規制は凄いですよね〕- ところがね、東大に入って開放感に満ち溢れちゃって、マージャンにはまって留年したんですよ。それで国家公務員上級試験を受けたということです。〔東大に合格されてから、もう国家公務員になろうと思っていらしたんですか〕― いえ、考えていません。四年生になって就職しなければならなくなって、みんなどうすうんだ?という感じでたいして考えていないですね。〔東大でドロップアウトする人は勉強方法が違うっていいますけど〕― でもね、そんな人が人生のいろんな体験をしていいんですよ。僕らの前後に孫正義さんいました。あと、坂本弁護士、オウムの犠牲者ですけど、いろんな人がいましたよ。優秀な方は香川俊介さんとか、財務省の事務次官された方、エネルギー庁長官の上田君とかね。僕は偉くならない前に辞めちゃったから。しかも、落選ですよ。[何省にいらしたんですか] ― 自治省、今の総務省です。地方自治体が仕事をし易い環境を整えるのが仕事です。自治体が仕事をし易い公務員制度とか財政制度とか税の制度とかを用意して、こういう枠組みの中で創意工夫に基づいたお仕事されたらどうですか。というのが仕事なんです。国の組織の中に地方自治を面倒見る役所があるということは、国全体として同じ方向に行きましょうね、という気持ちはあるんですよ。大きな方向として国家の意志としてこういう方向で地方自治を進行しましょうねということなんです。[省が思ったことが通達になるんですよね] ― それが微妙なところで、国家の意志として出し過ぎると中央集権になってしまうから、それを改めるために、地方分権の改革とかしてきたんです。自治省にいた時にそういう仕事をやりました。地方分権委員会の参事官もやったし、三位一体改革の時も切り込み隊長みたいに、補助金の整理合理化もやったし。その時は苦労しましたね。地方も行きましたよ。広島県、群馬県、茨城県それぞれ地方勤務しました。群馬県に居た時結婚出来て、子供も産れたんですよ。これは良かったですね。[奥様とは群馬県で知り合ったんですか?] ― 女房になってくれた人は高校の後輩だったんです。お見合いですけどね。なかなか忙しくてね、そんなにモテる方じゃないんで。女性と知り合う機会がなくて、僅かに引っ掛かった女性に子供を産んでいただいたということで感謝しています。[この肩の怪我というのは?] ― 恥ずかしいんですが、群馬県に行った時に伊香保温泉で当時、記者クラブの人と慰労会をやったんですよね。相手が朝日新聞の記者の方で国体の選手で120キロあるんですよ。僕も中学の時まで柔道やったことがあるもんだから、浴衣掛けで柔道の技らしきものをかけたら返されて、大外刈りで方から落ちてね、その場で肩鎖関節が脱臼で地元の病院に救急車で運ばれて麻酔手術を受けたんだけど、その麻酔が良くなくて肝臓に負担があって、劇症肝炎になってしまってね。三カ月入院ですよ。その時群馬県庁の予算査定の課長をやっていたものですから、課長がいなくても予算が出来てしまったという、私にとっては非常に不本意なことでした。この肩の怪我というのは、ただい痛いだけじゃなくて、県庁にはすごい迷惑をかけたと。本来ならそこでね、おまえ自治省に帰れと言われるところ、当時、清水一郎さんという優しい知事さんがいらっしゃってかばってくれたということです。これはちょっと恥ずかしい話なんですよね。生兵法は大怪我の基ですね。戻ってから自治省の課長補佐、課長をやって地方分権とか、地方消費税を私の時に創設したんですよ。私の時。もっと偉い人が政治的に動いたんだけれども、私の場合は理論的に当時の大蔵省とやりあって。大蔵省の幹部の方も「務台君はやり過ぎだから、ブラックリストに入っているから、あなたこんなことやっていると霞が関で偉くなれないかもしれないね」というような適切なアドバイスを頂きました。でもやり抜いたんですよ。そういうことがありました。当時、財務省は一番強かったですよ。国民福祉税を作ろうと言っていた時の財務省ですから。小沢一郎さんという人が幹事長で。我々は地方財源をなんとかしなきゃいけないということで、消費税が5パーセントに引き上げられる時に、1パーセントだけ地方消費税を独立財源として作ったのが役人時代の思い出深い仕事です。[それは大蔵省と戦ったということですか?] ― 当時、税の問題は政治が決めるというよりも、役所同士で話し合って両方で調整つけて持ってきてくれと、だったら俺たちがオーケー出すよという感じだったんですよ。それはあの時は政治が担わなかったですね。役所同士でやって来いという話だった。当時、村山総理の時でしたかね。何とか、地方消費税が創立たんですよ。[自民党が弱い時ですよね。連立の時だからうまく丸め込めたんですね] ― 鋭い!そうなんですよ。政治が不安定になった時になんか出来るんですよ。常に安定していると既存の制度が固まっちゃうんですよ。政治的に動きがあって、何か隠れていたものが浮かび上がってくるという気がしますね。当時、「地方消費税を創設する時は上から言われてやったんじゃないんですよ。あの時は僕らのレベルの課長補佐がみんな集まって、これから消費税が引き上げられるかもしれない、そうなると地方が持っている独自の税金なくなっちゃうんですよ。消費税というのは税率が上がれば上がる程、小さい税が全部吸収されちゃうんですよ。ゴーデスみたいなもんですよ。ゴーデスって知っています?ゴーデス細胞って知らない?全部吸収しちゃう細胞があるんですよ。欲張り小僧みたいな感じでね。だから、消費税入れた時に、電気税、ガス税とか無くなったんですよ。料理飲食等消費税とかね。今度上げる時は軽油引き取りを失くすとかね、自動車取得税をどうするんだとか、議論で個別間接税を下手すりゃ取り込んじゃうの。その時に消費税だけだと、国税じゃないですか。地方消費税を作らないと地方の税源が無くなってしまうからということで、俺たちが頑張らねばならないんじゃないか、将来、20年後、30年後を考える若手が奮起しなければいけないんじゃないかということで、当時奮起してやったんですよ。あの時は革命みたいなもんでしたね。当時の自治省の偉い人達は、特に税をやっていない人達は無意味な戦争仕掛けてどうすんだと。大蔵省怒っているぞ。地方交付税がちゃんと付かないかもしれないぞ。お前ら責任とれるのか、と言われて、敵は本能寺だった。我々青年将校はしっかりスクラム組んでやったんですよ。自分が組織の中で偉くなろうというんじゃなくて、今これをやらないと地方がおかしくなっちゃうという気持ちでやったんですよ。そういう火の玉的なことをやったりね。それがやりがいのある仕事のひとつです。消費税は竹下さんの時は国税として入れて、二度目消費税を上げた時は地方税として地方消費税を創設するということを考えなきゃいかんということで、下からボトムアップだったんですよ。その経緯を本にまでしてね。「地方消費税の理論と実際」理論的なことをきっちり書きました。地方消費税の理論は難しいんですよ。当時きちっと理解して説明するのは大変でした。[議員を丸め込むなんて簡単だったんですね。それが今はバッチをつけてらっしゃるんですよね] ― あのころは議員が相手じゃなくて、やっぱり役所同士なんですね。

 

[ロンドン勤務をされているんですね] ― 私は一回も外国経験がなかったんですよ。さすがに五十近くなって、このまま終わったんじゃやり残してことがあると思って。[どうしてそれまで行かれなかったんですか?] ― それは旧自治省のキャリアップシステムに課題があって、当時は外国に行くと遊びに行くようにみんな思うんですよ。「地方自治体で課長やるのを犠牲にして外国なんか行くと偉くなれないぞ」とみんな、言うんですよ。当時の自治省には留学した人の集まりがあって、内外クラブと言うんだけど。留学経験者は奇人変人が多いなという噂が立ったりしておまえもそのグループに入るつもりかと言われたりして。人の育て方がすごく保守的なんですよ。行きたかったけれど我慢していた。さすがに我慢しきれなくなって。たまたまロンドンに自治体国際化協会という所のポストが空いてそこに行きました。3年位、いるつもりいたんですけどね。

 

そうしたら選挙。[ロンドンにいる時に出馬を決めたんですね] ― ロンドンにいたから、地元の事わからないでしょ。だからいいことしか入って来ないんですよ。身一つで来ればみんな支えるとかね、名簿も看板も全部揃っていると。身一つで来ればいいと、行ったらなかなか厳しかったですね。当時麻生さんの時で、だんだん支持率が下がって来て、役所を辞めて来たのに大丈夫か?と思って。[この年齢で海外に行かれるのは珍しいですよね] ― そんなことないですよ。昔みたいに若く管理職になれないようになっているので、定年までいる人が多いから。昔は50歳で次官ですよ。今は60歳で次官です。昔は50歳で次官をやって議員になる人もいたんですよ。奥野清助先生っていたでしょ。今は100歳超えていますけど、あの方は48か49で次官ですよ。辞めてから国会議員になって大臣にまでなっているんですよ。今は役人で次官までやって国会議員になる人はまれにしかいないね。[次官になる道はなかったんですか?] ― あったかもしれないね。でもね、私は思い入れが強いんですよ。見て下さい、このアルプス!こういう元で育ってね、50歳近くなってこれから自分の人生どういうふうに過ごそうかと思う様になるんですよ。あと10年位、役所にいて為し得ることと、あるいは自分が生まれた故郷に戻って貢献できること比較してどっちがいいかと思った時期があるんですよ。そうしたら、落選ですよ。何てゆうのか夜目遠目でね。自分の願望もあったかもしれないし、半ば、話半分という気持ちを自分で騙しながら、自分の気持ちを高めていったということでしたね。[公募だったんですか?] ― あの時は自民党の関係者が、自民党の候補者は地元の人がいい、しっかり仕事の出来そうな人がいいという気持ちが強くて、その声が自民党の県連に行ってそれで選んでくれんですね。私が出た時の現職が強いんですよ。郵政選挙の時もダントツに勝った人だから。そういう人に歯向かう人はいない。もし地元に居て知っていたらやらなかったかも知れない。知らぬが仏ってそのことだね。でも知らない方がいいこともあるってことですよね。三年三カ月、落選中、どうやって食って行くかということですよ。[どうやって生活したんですか?] - 大学の先生になったんですよ。神奈川大学の教授に公募でなって、地方自治を教えて。今も教授のままなんですよ。休職していますけれどね。神奈川大学で教えて、残りの時間は地元に戻って選挙活動して、孤高をしのいだんです。楽しかったですよ。ゼミの子供たちをゼミの合宿で地元に連れていくんですよ。

 

山間地の村に学生を連れて行くと地元も喜ぶんですよ。子供たちもこういう所で生活が行われているんだと。地域も元気になるし、学生も目から鱗ですよ。[地方自治ってどういうことを教えるんですか?] ― 各論ですね。例えば、県会議員と国会議員と市町村議員と何が違うかとか、動き方の違いとか。地方の財政制度の中でこういう制度を入れた時はどんな議論があったかとか。県会議員の行動パターンはどうかとか、国会議員の行動パターンはどうかとか。国政選挙の時に県会議員の先生はどういう風に協力するのかしないのか、国会議員はどう動くのか、県会議員が動かないとしたら、どういう理由で動かないかとか。人間臭い話をするんですよ。そうすると結構受けるの。(笑)生々しくて今は差しさわりがあるから言えないけどね。ものすごい確執がある話をすると、みんな「へ!?」みたいな顔してね。(笑) とても議事録に書けないけどね。面白い話がいっぱいある訳ですよ。私が身を持って体験した話を言う訳ですから。国会議員として勉強したのは県庁の時とはレベルが違う地元密着型だね。[いつも同じことを言うんですけど、とんでもない、努力していない人が文句言ってくるんですよ] - それは違うんで、その人はそう言ってくるだけの事情があるんですよ。我々はね、そういう声を一つひとつ聞かなくちゃいけない。この議員バッチの意味を知っていますか?加藤紘一先生という、前の自民党の幹事長の先生が教えてくれたんですよ。このバッチの意味は、地元にいる時は有権者の声を録音する、集音器だというんですよ。永田町に行ったら、この集音器を拡声器に変えて、必要なことを言う。それが正しいかじゃなくて、こういう声がありますと、それにこたえるためにどういう制度を作らなければならないか考えるのが国会議員の仕事。議員バッチは有権者の人に説教する道具じゃないんですよ。聞く道具なんですと教えられて、凄いな、と思いました。[こういう人が本当に説教したらシャレにならないから(笑)] ― いや、説教しがちなんですよ。例えば、「仰る通りですが、実はね…」と言うのはダメ。こう言うと相手は打ち負かされたような気分になっちゃって。[国会議員、優秀な方、優秀じゃない方、いろいろいて、こういう風に切り返せる方は少ないですよ。後は切り返せないで、聞いて終わっちゃって受け止めて苦しくなってもうダメだみたいな。] ―  国会議員にそんなのいないでしょ?[いますって。誰とは言わないけど] ― 足掛け5年くらいかけて国会議員になったんですよ。[選挙費用で700億使うんですよ!] ― それは民主主義のコストとしてそんなに高いとは思わない。でも、貴重な税金ですからね、そんなに頻繁にやらない方がいいと思いますよ。国民一人当たり500円位でしょ。[私達は500円を持って選挙に行くイメージをですね] ― それが高いかどうかね。この間、地元で700億円かけて選挙やるよりは、一人に一万円を配った方がいいっていうんですよね。「恐れ入りますが、一万円配ったら1兆2千億になりますよ!」と言ったら、「あ、そうか!」だって。ロットが大きくなると、わからないよね。[そういう話がすぐに出来るというのが、役人ですよね。かっこいいですよね] ― いや、今のは凄い皮肉だね(笑)  [そんなことない、本当に思っているんですよ] ― 有難うございます。[そして、学校の先生だったお父様が亡くなったんですよね] ― 良かったのが、当選を見極めて亡くなって。[2年足らずのバッチを付けた活動なんですが、どうですか?] ― 私としては精一杯、活動させて頂きましてね。実は消防団の処遇改善とか、活動し易くするため法律を去年の臨時国会で作ること出来たんですよ。「消防団を中心とした地域防災の充実強化に関する法律」井上さん(井上貴博衆議院議員)たちと一緒にやってね。私が事務局長で法律を書きました。[井上さんが現場で務台さんが上ってかんじですよね(笑)] ― 井上さんはお相撲さんですけどね。(笑) 私は井上さんと体型が似てると言われているので、親近感を感じます。(笑) もう一つね、5月に議員立法で「山の日」を国民の祝日にする祝日法の改正を実現したんです。そのことをこうやって本にまとめたんですよ。(今「山の日」制定)再来年の8月11日から国民の祝日で休日になります。[丸川先生も入っていますね] ― あと江藤征四郎先生、谷垣禎一先生が中心となって、超党派で出来たんですよ。祝日を増やしたんですよ!一億二千万人に影響があるんですよ。〔でも、祝日が多すぎるって、飲食店なんか大変、祝日を恨んでいますよ〕 ― これ以上増やすことは難しいと思います。特定の日です。ハッピーマンデーにはしないんです。今、祝日が多いっておっしゃったんですけど、確かにその通りなんですけど、日本人は有給休暇を取らないんですよね。平均で年間に八日、九日しかとらないんです。結果的に実質、休む日はまだまだ、先進国の方が多いんです。本当は有給休暇とってもらえばいいんですけど、取らないんです。山の日は最後かもしれないね。16番目の祝日。海の日があって山の日がないのはおかしいということもあったんで。

 

[8月11日はお盆の前で休みやすいですね] ― そうんなんです。年間で祝日のない月が6月と8月。6月に入れようっていう話が最初あったんだけど、そうしたら経済界からクレームがついたんですよ。新入社員採って、ゴールデンウイークがあけてようやく働いてもらおうと思ったら、また元に戻っちゃうと。やめてくれと。面白いですね、その理屈。じゃ、入れるんなら8月しかないと。8月が夏休みでだいぶ休みを取っているから、お盆の前あたりがいいんじゃないかということで、8月11日か12日としたんですけれど、実は8月12日は群馬県で御巣鷹山に日航機が墜落した日で、生々しいんですね。23年も前だからもういいじゃないかという意見もあったですけれど、群馬県の関係者から強い反対がありましてね。遠慮して8月11日。それが結果的にはすごい良かったんですよ。八は山の裾野、

 

11は木でしょ、山と木がきれいに揃った。後付けになるけど、槍ヶ岳に初めて登ったお坊さんで播隆上人という人がいるんですよ。この人が天保年間に登ったんですけど、笠ヶ岳という山が岐阜にあって、そこから槍ヶ岳を見た時に、槍ヶ岳に仏様が現れたというんですよ。これは今でゆう、ブロッケン現象。笠ヶ岳から槍ヶ岳のブロッケン現象を播隆上人が見たのが8月11日。私の先祖が1835年、天保6年、播隆上人と一緒に槍ヶ岳に登っているんですよ。六代前の先祖が。そのことがうちの家の古文書に書いてあってね。古い農家なので。話が長くなりましたけど、消防団の新法と山の日の祝日法を一期目で法律を成立させたんです。(場内大拍手) だから、打率が二打数二安打。この臨時国会でもうひとつ、都会の子供を農山村で一週間滞在して、公教育の一環として、生きる力を育んでもらおう、そして結果として農山村が元気になるというのを用意して、野党もほぼオッケーを取っていたんだけど、この会期が解散になったんで、国会提出まで至らずに終わってしまいました。次の国会で私が当選させて頂ければ、まずこの法律を議員立法として提出して、農山村を元気にして、都市と農山村のお互いの気持ちの共感を育もうということをやりたいと思っています。もう三打席目のバッターボックスに立っているんですよ。これをやりたくてしょうがないんですよ。だから、何としても当選しないと。

 

 

 

●最近の政治トピックス

 

 

 

僕はね、地域再生を実行するための具体的なプロジェクトを考えていきたいと思っています。今、地方創生に一番効果的なのはバイオマス発電です。再生可能エネルギーの一種で、地域にある森林資源を材木として活用しつつ、森林資源の余ったのをチップ化して、植物性の原料として、それで発電するんですよ。山が元気になったうえに、発電して売れるんです。それで、地域にお金が落ちるんですよ。発電所がそこにあるんだから。日本の電力供給システムは非常に中央集権的で、私の田舎は中部電力ですし、関東は東京電力でしょ。大都市の発電会社に長野県だけで2000億円、中部電力に電気代を払っているんですね。長野県にバイオマスということで半分落ちれば、1000億ですよ。林業にも入るし、発電業者にも入るし。バイオマス発電と言うのは市町村の小さい単位で作るのが主流です。この間、デンマークとオーストリアに見に行ってきたんだけど、5000キロワットくらいの小規模のものが多いです。それも、地域の人達が出資したりしてね。協同組合でやっていたりして。デンマークなんかね、わら発伝ですから。パンの材料、麦でしょ。麦のわらが大量に余っている。これを刈り取って入れていく。これはストロー発電。農家の人はストローを売れる、なおかつ、農家の人がストロー発電に出資している。電気は発電会社が買ってくれる。農業だけで生きているというよりも、発電収入があって、農業が永続的に営める。オーストリアも同じですよ。[なぜ、日本はやっていないんですか?] ― 日本は電力の拠点集中をやってきた。だから、大企業でないと出来ない。個々の家庭は大都市にお金を払って供給してもらう。でもその結果、地元にある資源が使われないままで来てしまった。山林は荒れ果ててしまっている。稲を刈ると、稲を燃やすんですよ。ヨーロッパだったら、稲わらを発電所の中で燃やすんですよ。今はただ燃やして煙をたてて、空気を汚しているだけなんだから。循環という概念がないんですよ。これだけ素晴らしい日本がエネルギーに関しては、循環の思想がない。

 

すべて無駄なくまわる。こういうことをすると、地域が元気になるし、若い人の雇用が生まれる、若者が戻ってくる。地域にお金が回るからお金が外に行かないんですよ。バイオマス発電みたいな地域の資源を使って、地域にお金を還元するということが大事だなと思って、再生可能エネルギーのプロジェクトチームを作って、僕はバイオマスと水力の主査を拝命して、そういうのもやろうとしています。地域を元気にするための各論のプロジェクトをどんどん作っていきたい。[立法していくんですか?] ― いずれ立法することになるかもしれない。[どんな法律になるんですか?] ― バイオマス発電の推進に関する基本法とかね

 

。[買取価格はどうなるんですか?] ― 大きいほど割安になるんですよ。小規模なほど買取価格を高くする、そうしたら小規模でも採算が合う。電気だけじゃだめだから、熱供給もやる。長野県なんか寒い所、熱供給いいんですよ。そういう風にセットでやると採算が取れる。熱供給やるとなると、あまりデカいと熱供給しきれしきれないから、出来るだけまとまりのある範囲内で、町村単位ぐらいの所でひとつ作るとか。これは分散型なんですよ。これはもっと早く気がついてやっとかなきゃならなかった。[何がきっかけで気がついたんですか?] ― 日本は原発と火力でやって行けば、電力会社に任せといたらいいという発想でやってきたから。エネルギー庁も再生可能エネルギーに大きく踏み込むような議論は残念ながらしてこなかった。日本国民もそんなことやらなくていいんじゃないかという感じでいた。でもね原発事故が起きて、これからどうするかということを考えると、地方創とセットでエネルギ―問題を考えていくことがすごく大事だと思いますよ。これは政治家の責任ですよ。[だからね、商品券を配ると小手先のことではダメですよね] ― それも大事ですよ。エネルギー転換なんて、一朝一夕には出来ないから、10年、20年かけてやるんだけど、当面の足元の景気を良くするにはどうするか。今だってアイディアが出ているんですよ。補正予算を組むでしょ。安倍総理も三兆円規模だと言っていたでしょ。地方自治体がその地域の商店街で使うプレミアム商品券を出すような場合には補助できるとかね。こういう仕組みは出て来るとおもいますよ。今食べるパンと長期的にどうやって生きていくか、両方必要です。

 

 

 

  • 今だから言えるあの日のあの出来事

 

 

 

これはさっきも言ったけど肩を脱臼して、死にかけたんですから。麻酔薬が体に合わなかったんだな。それでね、劇症肝炎でGOT、GTPが1500とか行ってね。絶対安静になっちゃって。あれは本当に死ぬ思いでしたね。そんなことがあったんで、その後は慎重に生きていこうと思いましてけど、そうは行っていないですね。もっと激しくガンガン行っちゃって。(笑) 役人は役人の時で面白かった、ひとつの仕事を突き詰めてね。政治家は政治家でダイナミックにガンガン出来るんですよ。代議士になって思ったんですけど、国家公務員の人ってすごいんですよ。これはどうかと質問するとすぐ、きちんとした答えを持って来てくれる。知らない事があったり、これ足りないんじゃないとというと、真摯に対応してくれるんだよね。役人の時は言われたことを積み上げる仕事で、今は言う立場に立って、自分で組み合わせて実現するということが出来るんですよ。代議士はぺいぺいの一期生でも、これやるぞと思ったら出来ちゃうんですよ。一人ふたりが火の玉のようになって動いたら出来るんです。諦める必要はまったくない。期数を重ねないと出来ないなんて言うのは嘘だね。やろうと思えば出来る。同志を集めてやれば出来るんですね。一人でやろうと思うと無理がいくけど、4、5人集まれば出来ちゃうんですよ。[今、派閥は入っていらっしゃるんですか?為公会?麻生さんのところですか?] ― ええ、ええ。(笑) [麻生さんも、この方を頼りにしてらっしゃいますよね] ― 麻生先生は、麻生先生が総務大臣された時に僕が総務の調整課長という課長をやっていて、三位一体の時のレクを麻生さんに毎晩、毎晩やっていたんですね。[漢字にはルビをふってね。(笑)] ― ふらない、ふらない。(笑) ああゆう人は細かいことは気にしないで、そういう育ち方をしているんだから。僕らみたいに貧乏性で細かい事ばかり気にしてやってきた人とは違うんですよ、レベルが。麻生さん言ってますよ。「おまえら俺が東大に入ったら入れねえだろ。ちゃんと立身出世出来る様に、おまえらが入れるように残してやったんだから」とそれを素直になるほどと聞いているんですよ。

 

 

 

●質問コーナー

 

[今回の選挙の争点は消費税先送りということですが、一年半後には必ず上がるという前提になっていますよね。減税か増税かだったらわかるんですけれども、増税ありきの解散はなんか腑に落ちないところがあるんですけれど] ― 私はね、安倍総理の会見を聞いていて、退路を断ったな、という感じなんですよ。消費税引き上げまで二年半ありますよね。その間に必ず日本経済を元気にするんだと。それをあえて言ったという事は、それを実現するつもりがあるんで、力を下さいということなんですよ。[自民党としてはそうで、でも対抗馬で減税を掲げる勢力もあっていいんじゃないかと] ― 私も地元の有権者と話しをしますが、消費税は上げないといけないという人が大半です。それは社会保障費が115兆円もあるんだからね。どんどん増えている訳で。それを消費税なしで乗り切るのは難しい。もし、消費税を上げないとなると、社会保険費をがんがん上げるんだから。こっちの逆進性の方が大きいですよ。となるとしょうがないなとみんな思っています。ただ、タイミングの問題だということで、慎重な人が多いなっていう感じです。頭では増税が必要だという事はわかっている。でもその前にやることがあるだろう、ってことですよね。でも、そんなに大きな無駄が出て来るといった状況ではないと思いますね。[振り返ると、日本はいつ頃から悪かったのですか?いつ私達はこの借金を背負っていたのですか?] ― オイルショック以降ですよね。それには背景があって人口構造の変化ですね。人口ボーナスという話がありますよね。働く世代が多い時は良かった。第三次ベビーブームが起きる予定だったから。それがね、人口ボーナスが外れたら、人口オーナスというけど、経済成長と人口動態がある程度一致していないと。人口動態に合わせた社会保障のやり方をもっと早めに考えなきゃいけなかった。見過ごしているうちに、政治的な混乱もあったりしてね。苦しいことを先送りに出来ない時代になっている。そういう意味では政治家が国民の皆さまにきちんと話をして、現状を認識して貰って、一発逆転大ホームランはないんだって話をしていかなきゃいけないと思いますよ。これね、私が書き溜めた本です。これ防災の本ね。これは3.11の防災の本。それからこれ地域を元気にするためのいろんな私のアイディアが書いてあるんです。

 

ここに書いてあることを少しずつ、法律にしたり、予算にしたりしているんですよ。思いつきじゃないんですよ。10年間ぐらい考えて来たことを具体化したい。[今まで熟考した中で、一番通したい政策はなんですか?] ― さっきも言った様に、バイオマスをしっかり定着させたいんだけど、まだまだ、原料を供給することから、関係者が多いんでしょ。オーストリアに行くとバイオマスの素晴らしさがわかります。オーストリアは林業関係の若い人の給料が高いんですから。ものすごい人気なんですよ。林業で働いている人達がいい給料なんですよ。経済的にもバックボーンがないと、意気込みだけじゃ出来ない。こういうインターネットテレビで若い人が連なっているよりも、若い人が山に入って林業をやる。その方が健全だと思いますよ。「ウッドジョブ」という映画を観ましたか?「ウッドジョブ」いいですよ。[霞が関のお役人についてどう思われますか?] ― もっと働き方を変えていかないと。現場を知らない霞が関の職員は多いから。忙しすぎて、現場にいけない。あんまり仕事で拘束しないで、自由にいろんなとこに行ける仕組みにしないと可哀想ですよ。公務員は這いつくばって働け、みたいなことを言い出した時に、官僚のレベルが下がっちゃうね。是非、私の後輩を暖かい目で見てあげて下さい。