北村 経夫
無題
第226回
2019年02月01日 放送

自民党 北村 経夫 参議院議員

元産経新聞政治部最年少部長から国会議員の転身。

記者時代は小沢一郎氏の番記者を二年間務めました。

明治生まれだったおばあ様は宗教の教祖で、さまざまな信者さんが出入りをしていた家だったとか。

 

「第二の開国」と言われる外国人労働者受け入れの法案や「働き方改革」についても、

経済産業省政務官の経験と、今やブラック企業と言われる「新聞社」勤務の経験を生かした声を反映してくれています。

(動画より文字おこし)

自民党(全国比例区) 1期目 2018年 12月 18日 収録時点

 

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[北村議員といえば新聞記者さんだった参議院議員ということで、産経新聞に入社して政治部に配属されたということなんですね。他に新聞記者出身の議員さんはどんな方がいらっしゃるでしょうか?] ― 額賀先生は産経新聞、私のOBです。[額賀福志郎議員、新聞記者という感じはしないですね] ― もっと前は森喜朗総理。[同じ産経新聞で] ― ええ、日本工業新聞というところで。[あと、自民党で星野つよし議員] ― はい、私の部下でした。昔は星野と呼び捨てでしたけど、今は星野先生と呼んでいます。[先生と言い合う、独特の社会ですからね。あと、石原さんもそうでしたよね] ― 石原伸晃さんですね。日本テレビですね。[お辞めになりましたけど、中川さんも。あ、テレビ東京でしたね。お父様が日本経済新聞でしたね] ― 青山繁晴さんは共同通信ですね。[1955年に総理大臣輩出の地、田布施町生まれ] ― 山口県田布施町で。[伊藤博文さんから始まって] ― 伊藤博文さんは隣町なんです。同じ田布施は岸信介総理、佐藤栄作総理、兄弟宰相、同じ町です。[山口県というとプライドが高い感じがしますけどね] ― そうですかね。隣の町、光市という所ですけど、共産党の宮本顕治さん。左右、両方、輩出です。[そして、浪人されて上京して中央大学に入ったということですね。そしてアメリカのペンシルベニア大学の大学院に。何をお勉強されたのですか?] ― 国際関係論、交際政治を。[その頃から政治家志望だったのですか?] ― ええ、興味は持っていました。[それはどんな影響からでしょうか?] ― それは同じ町に岸信介総理、佐藤栄作総理、身近にそういう方がおられたということですね。[そういう偉人は、今よりもっと重みがありましたからね] ― ありましたね。みなさんも旅行に行かれたり、住まれたら感じられるんだと思いますが、アメリカに行って感じたのは、日本人とは何か。自分自身が日本人だと初めて意識するのが外国に行ってだと思うんですけど。ですから、アメリカに行った時にそれを感じたということと。ちょうど79年から80年はカーター大統領からレーガン大統領に代わる時で。[いい時代ですね] ― いい時代で、保守回帰なんですよ、共和党のレーガン大統領というのは。その時にアメリカの時代の変わり目がありましたね。[それを肌で感じてきて] ― それと政治家に対するリスペクトする姿勢というのを目の当たりにしたんで。そういう意味で、アメリカに行ったことで影響を受けました。[その前後で日本ではロッキード事件とか、政治家の権威が地に落ちた感じの時期でしたよね。それがアメリカに行くと、政治家をリスペクトしてちゃんとした対話が出来る人間関係が出来ているということですね] ― 国家というのがね、国旗掲揚というのがありますよね。日本では学校で卒業式とか入学式とかぐらいでして。[それをやらない先生もいらっしゃる] ― そういう意味で日本人ということを意識したのはここの時期です。トランプ大統領も同じ大学なんです、ペンシルベニア大学。[当時はトランプ大統領はイケメンの実業家としてね、私も憧れましたよ。政治に目覚めてアメリカから帰ってきて、産経新聞社に入社ということですね。初めて配属されたのが政治部なんですか?] ― そうなんです。その前にちょっと外信部に、外国のニュースを扱うところなんですけど。[今と違って、新聞も抜いたとか抜かれたとか、そういう世界の時代だったんじゃないですか?] ― それはそうですね、ありましたね。特に政治部、社会部もそうですけど。[ネットのない時代ですからね。みなさん、タバコをパカパカ吸ってという感じがありますよね] ― 私も吸っていましたけれど。3年前にやめました。[身体に悪いことばっかりしてきたんでしょうね。(笑)] ― そうですね。(笑) [そして政治部長になられたということですよね。最年少だったんですね] ― 当時ですね。[安倍官房長官、カルロス・ゴーン氏とありますが] ― 安倍総理が最初の総理になる直前でした。[小泉総理の時ですね。若い総理にみなさんが期待している時でしたね] ― カルロス・ゴーンさんは日産を立て直したカリスマ経営者として騒がれた時期でした。インタビューを申し込んでもなかなか受けてもらえなかったですけど。その年の正月の紙面で、安倍官房長官、カルロス・ゴーン氏と三人の鼎談をやりました。カルロス・ゴーン氏は当時はすごい方でした。オーラがありましたね。[あの時のゴーンさんを思い出すと、今の事件は結構ショックですね] ― そうですね。[そして、お父様が亡くなられて。そして選挙期間中お母様が亡くなられて] ― 一生懸命に応援してくれていましたんで。特に母は選挙期間中でしたんで、それを隠してやりましたね。[それは辛いですね。なぜ、産経新聞の記者さんから政治家になられたのでしょうか?] ― 先程申し上げたように、大学時代からそういう意識があったので。安倍総理が二回目の総理になられる前の選挙ですから、その時にお声掛けを頂いたという。[公募という形を取られたのですか?] ― もちろんそうですね。ぎりぎりだったもんで、声をかけて頂いたんで決断したという。[政治の舞台裏を全部知ってらっしゃるじゃないですか。ずっと永田町を取材していた訳ですよね、記者クラブにいらっしゃった訳ですよね。違う対岸の中心に行くというのは勇気がいりますよね。全く関係のない所から入るのと、舞台裏が全部ご存知の方が入られるのと違いますよね] ― 取材はずっとやってきましたけど、選挙というのは実際にやってみると、やっぱり違うものだと感じました。それはやっぱり厳しいものがありますよ。それはわかっていたから、勇気はいりましたね。大変だろうなというのは。[そして、次がいよいよ選挙ということですよね] ― 来年ということですか?第一次公認は頂いています。[参議院は公認を得るのが選挙みたいなものですから、それからももちろん、大変でしょうけれども。まずはそこの第一関門というのは大変なんですよね] ― 現職ということもありましたんで、優先されますので。[この五年間を振り返りましてどうですか?一番印象的なことは何ですか] ― ここにも書きましたけど、経済産業大臣政務官、政府の側に立つ、この責任というのは重いものがあって。政府の側に入ると制約もいろいろありますし、外国との交渉もありましたし、いろいろな会議にも出ましたんでね。政府と言うのはこうやって動いていっているのだなと感じることはありましたね。[どうやって動くんですか?] ― 国会は立法府、審議して法案を成立させる最後のところですよね。その前にいろいろ政策を決めるのは、各役所ですよね。経済産業省だからエネルギーから中小企業の政策とかですね、幅広く所管がありますけれど。そういうのを一から政策を作っていく訳ですよね。それから、これから十年後、二十年後の政策も立案する訳ですよ。審議会にいろんな著名な識者を呼んで、役所との間で。今の第四次産業革命と言われる、新しいIoTとかAIとか。どういう日本の産業政策を作っていくか。その中で少しでもその片隅に身を置けたというのは、たいへん貴重な経験でしたね。[直近のこともありますし、五年後、十年後の法案というのがどんどん出て来るんですね] ― 政策がね。この国をどういう国にするかというのは、そこから始まるのですからね。貴重な体験でした。今、自由民主党副幹事長、党務という政府とは違う仕事がいっぱいあります。[ちょっと人間関係がドロドロしたりするんですか?] ― そうですね、やっぱり選挙と言うのがありますから。それと国会運営をどうするか。[それだけ一人一人が国民の代弁者として、いろんなものを背負っている人が永田町で対決する訳ですからね。同じ党こそ大変ですよね、振り分けとか] ― 昔と違うのは、昔はもっと権力闘争というのが。どこでもありますけど、政治というのは権力闘争というのはありますよね、当然。派閥というのが昔、ありまして。今もあるんですけど、昔は派閥間の争いというのはすさまじかったですからね。[中選挙区でしたからね] ― 中選挙区でしたから、そうです。その派閥の闘争を勝ち抜いて自由民主党の総裁になり、総理大臣になる訳ですからね。直結していましたから、それはすごい権力闘争を真に当たりにしました。[それがなくなってきたのですか?] ― 総裁選がありましたけど、石破茂先生ひとりということもあったし。それは昔とは全然、激しさが違います。[権力闘争の真っただ中の山口県民から見て、今はゆるいじゃないですか。つまらないんじゃないんですか?] ― だけど、そこに身を置く者とすれば、あんまり権力闘争が激しいとなかなか大変だなという感じはしますよね。[お金が動いたりして、そういうことで小選挙区になったんですからね] ― ちょっとやり過ぎたという感じですよね。それにバブルもありましたけど、企業の方も金を持っていましたよね。バブルが崩壊するまではね。[政治家もいろいろ動かされたりとかね] ― まあでも、そういうのを取材してきたのは事実です。[汚い世界だなと思ったことはないんですか?] ― 汚い?これが権力闘争なのかと、すごいなという感じ。[それをわかっていて、政界に入られた訳ですからね。それは他の方と違う決断ですよね] ― そうですね、でも良かったと思いますよ。[政策的な事ではないところで、議員さんはやられたりするじゃないですか、マスメディアで。そういうのに思う所があるんじゃないんですか?] ― 参議院の私よりも下の期の人に、メディアとの付き合い方をちょっと講義したことがあるんですけど。[どういう風に講義したのですか?] ― それは、あんまり言うとあれですけど。(笑) 一番は正直に言うことですよね。今の時代は逃げ隠れしないという。

取材する方というのは、外堀を埋めてやる訳だから。[それをみなさん、小出しに出したりとか、そういう感じですから] ― そうそう。[自民党が低迷していた時は、自民党のすごく年配の方はそういうのが全く分からなくて、一時期はマスコミの餌食になっていましたからね] ― そうでしたね。[今の方はこなれていますからね。良くわかっていらっしゃるんでしょうけどね] ― 受け答えが上手くなっていますね、みなさんね。[スポーツ選手もそうですからね] ― スポーツ選手は橋下聖子先生。今、議員会長で、僕は特別補佐をやっているんですけど。あの方がおっしゃっていましたけども、今のアスリート、オリンピック選手、メダルをたくさん取るようになりましたけど。その出発点は、競技力よりも人間力というのを重視した。やっぱり人間力がないと、人間がちゃんとしていないと実力が発揮できないんだと。[昔はスポーツばっかり教えていた] ― オリンピックに行って楽しければいい、というのがあったじゃないですか。その前に人間としてちゃんと力を付けようと。受け答えもトレーニングするらしいですよ。負けた時に反省するのは当たり前だと。それはそうですよね。勝った時に反省する、そこがポイント、昔と違うという。負けたら敗因というのがありますよね。それはみんな分析しますよね。勝った時になぜ勝てたか、でも目標の成績をなぜ残せなかったか。そこをきちんと分析すればより強くなっていくという。[そういう時代なんですね] ― そういう話を聞くと、本当に勉強になることが多いですよ、今のアスリートのみなさんに。[スポーツも政治も選挙も似たような] ― まあ、運動ということで。(笑) [メディアの使われ方も似たようなところがありますね] ― 記者の世界もそうなんですよ。政治部と運動部の記者というのは共通点、同じような取材の仕方をします。人を見るという、運動部もそうです。[スポーツも人、政治も人ということで]

 

●最近の政治トピックス

 

[どの委員会に所属されているのですか?] ― 経済産業委員会と拉致問題特別委員会に入っていますけど。[そうですか。拉致問題も停滞しているような感じがあるんで。裏でいろいろ動いているんでしょうかね] ― やっていると思います。[歯がゆいですよね。今はどんな政策に力を入れていらっしゃるんですか?] ― お話したいことはいくつかあるんですけど、ひとつは日本の安全保障。最近ファーウエイという中国の通信機行大手メーカーのCFOの女性が逮捕されて、大きなニュースになっていますけれど。これも日本を巡る、世界を巡る中国の存在が脅威になっている、その象徴なんだろうと思いまして。昔からそうですけれど、外交安保に関心を持って今、取り組んでいます。[岸信介さんもずっとそうでしたし] ― そうですね、日米安保条約の改定ですね。[その意識と言うのは子供の頃からずっとお持ちだったのでしょね] ― ありましたね。安倍総理は同じ学年なんですね。私は昭和30年、総理は29年。5歳の時に日米安保というのがありました。先程お話した私の田舎、田布施町。岸総理の家がある所ですから、デモ隊が来たんですね。[山口県の岸さんの家までデモ隊が!] ― 私は田布施町で、安倍総理は東京の岸邸で60年安保を迎えられたんです。私はその当時5歳でしたが、何となく緊迫感があったんですよ。その時の事は今でも覚えていますね、町の緊迫感を。[当時から外交も、アメリカとの付き合い方も変わりましたね] ― 日本が大国になったということです。[その中で私たちはどのような方向に行ったらよいのでしょうか?] ― 日米関係が基本でしょうね。同盟関係ですから。[同盟関係とは言えない感じがするのですけど] ― どういうことですか?[下に見られているというか] ― あー、まさに60年安保の頃はそうでしたよね。敗戦国だったので。この間G7とかG20とかありましたよね。調整役をやっているのは安倍総理なんです。日本の総理ですよね。トランプは晋三、お前が言うことでいいからまとめてくれ、と言われるぐらいになっています。その意味では60年安保の時から全然、地位が違いますよね。それは国力が付いているということです。と同時に、これからの付き合い方、アメリカという国が国力が弱くなってきているというのが大きな問題で。方や中国という国が世界第二位の経済大国になっていますよね。これから気を付けておかなくちゃいけないのは、2049年というのが中国共産党が建国百年ということなんですね。毛沢東が政権を取ってから。この時までに世界のトップの最強国になろうという国家目標があるんです。それと2025年、メードインチャイナ2025という国家戦略があるんですね。これはIT大国になるという。[2025年はすぐですね] ― それに向けて中国のIT産業はトップレベルになっている。その流れで、先ほど言ったファーウエイの幹部が逮捕されるということになっているんですね。[何があったんでしょう。報道されていない何かがあるのでしょうか] ― 国連決議に基づくイランへの制裁をファーウエイという会社が違反して取引をしているという、そういう容疑ですけれども。トランプ政権は中国がそのまま行くと、アメリカを追い越して世界を制覇するんじゃないかと、支配するんじゃないかと。その危機感ですよね。中国はサイバーの世界もそうですし、宇宙に力を入れているんですね。まだ一般の方はそこまで感じられないんでしょうけれども、今言った2025年はすぐですよね。ちょうど大阪万博の年です。国家戦略としてあるんです。[中国は目標が凄いですよね。日本はそういう目標を掲げることをあまりしないですよね。あの国民の数で目標を立てて、全員が進んでいくという。凄いことですね] ― この問題ともう一つは、この間の国会で出入国管理法の改正が行われまして、移民政策への転換じゃないかと言われていますけれども。いろいろご批判を頂いています。これは今の技能実習制度、外国から来て技術を学びながら働く人が多いんですけど、最低賃金、待遇の問題、自殺者もいたという。その点は野党の言われる通りです。きちんと改めていかなきゃいけないと思うんですね。一方で人口減少ですよね、働き手がいないという。私が申し上げたいのは、労働力不足を補うというのもあるんですけど。あるアメリカの有名なIT企業、財団を持っている方で、あえて名前を言いませんけれど、その方が日本に来てこの法改正を何て言ったか。これは第二の開国だと言ったんですね。つまり外国人が入って来やすくなる。明治維新から150年ですけれど、外国の人材を受け入れることが出来るようになるんですね。その人が言ったのは、これから一兆円投資すると、日本は変わるんだという。そういう面もあるんだということですね、この法案は。本当に投資するかはわかりませんが、それ位、日本に期待しているということです。[メリット、デメリットあるけど、そうなっていくんでしょうね。そういう流れなんですね] ― ただ私は移民については、日本は単一民族できた社会というものがありますよね。そこが壊れないように、永住出来るような永住特定技能というんですけど、ハードルを上げて審査も含めて厳しくやるべきだと思います。10月にドイツに行ってきたんですけど、ドイツは科学技術がもの凄く進んでいますよね。その調査と、どう人材を育成するかという調査をしに行ったんですけど。日本より進んでいるところもいっぱいあります。一方でドイツは移民政策をとっていますから、メルケル政権は。何百万という移民がイスラムの国から来て。今までドイツ人が職に就いていた仕事を取ってしまっているという。社会の分断というのが起きていますよね。メルケル首相もその結果、選挙で敗れ次の代表選には出ないという。事実上の引退と言わざる得ない状況になっている。あれを見ると、外国人を受け入れるのは相当慎重にやらなきゃいけないなと思います。[大陸でもそういう風に思われるのですから、島で分断された日本はなかなか大変な意識改革をしないと、日本人が付いていけないですね] ― そうです。[第二の開国そいうのはインパクトのあり言葉ですね] ― そういう風な目で見ている外国の方もおられるという事ですよね。[日本人も危機感を持っていないと、のうのうと暮らしちゃいけないということですね] ― やっぱり人口減少というのは深刻ですね。

 

●今だから言えるあの日のあの出来事

 

私は新聞記者を長くやっていましてね、まさにブラック企業ですよね。休むことはあまりなかったです。(笑) マスコミはそうですよね。[本当にブラック企業ですよね。(笑)] ― どうやってプライベートの時間を作るかという。[プライベートの時間はあったのですか?] ― あまりなかったんですけれど、私は36歳で結婚したんですけれど。[当時にしては遅いですね] ― そうです。小沢一郎さんの番記者を2年半やりましたけど。[自民党時代ですか?] ― 小沢さんが自民党幹事長になる前からなってからの二年半です。[小沢さんに一番脂がのっている時] ― 35歳の時に、「北村君、結婚してない。君はホモか?」と言われまして。単刀直入に物を言われる方ですので。その時は結婚するのを決めていたんですけど。その頃はなかなか忙しいからプライベートの時間が作れなかったんですけれども、家内の家族と正式に会食すると決まっていたんですね。たまたま国会が緊迫して夜、遅くまである時で。まだ下の方ですから、キャップにちょっと出てきますと言って、夕方出て行って2時間ちょっと外に出ていたんですよ。会食で、私の父も相手の父も酒飲みなんで、中華料理ですけど私もついつい調子に乗って飲んだんです、紹興酒を。2時間の間に紹興酒を1本近く空けたんです。それで帰ってきて、それでも国会は続いていたんで。何食わぬ顔で帰ってきたんですけど、ベロベロに酔っぱらって、それをどうごまかすかで。(笑)その時は責任者でもあったので、キャップから何をしているんだと。いろいろありましたけど、乗り切ったんですけれども。その時、まじめの中にもそういう自分があるんだなと。(笑) めでたくその一年後に結婚したんですけど。[どうやって知り合ったのですか?] ― 紹介ですね。すぐ子供ができて、二人娘がいますけど。[やはりお嬢様は政治家志望なんですか?] ― いや、全然。新聞記者じゃなくて出版社にいますけど。新聞記者にはなりたくないと言っていました。[ブラック企業ですからね。(笑)] ― まあ、それはどこも同じですよね。[新聞記者をされていて、今は働き方改革を。そんなの違うよ、と言いたくならないですか?] ― 言いたくなりますね。中小企業の経営者の方から一番怒られますよね。つまり、働く人もいない、働く時間が限られる。徹夜をしてでも製品を納めたりする訳でしょ。[どうするんでしょね。すごく矛盾がある気がしてならないですね。自民党さんが政権与党として働き方改革を先導して世界レベルに合わせようとしているのはわかるのですが、本音はどうなのかというのがあるんですね] ― そうおっしゃる方が多いですよ。[中小企業のことを一番わかっているのが自民党じゃないですか] ― そうですね、日本の企業の99.7パーセントは中小企業、小規模事業者ですから。これ以上言うと、進めている側におりますんで、あまり言えないです。時代が変わったんだという意識を持たないといけないですね。経営者の皆さんも徐々に変わっていく、発想を変えるというか。先程の話で何が言いたかったかというと、上司に恵まれたということを言いたかったです。[その方はまだ会社にいらっしゃるのですか?] ― はい、会長をされています。

[今日は有難うございました。取材を受ける側になられて] ― やっぱり緊張します。[何百人、何千人とインタビューされている方ですからね。来年の選挙、ぜひ頑張って下さいね] ― 有難うございます。