原口 一博
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第2回
2011年10月12日 放送

民主党 原口 一博 衆議院議員

第2回 (2011年10月11日収録)
原口 一博 衆議院議員
民主党 5期目
[この十年、メディアに出続けられてどうですか?] ― この二ヶ月だけメディアに出るのを自粛したんですよね。政権交代後の自分を見つめ直したいと思ったのと、あんまりテレビばっかり出ていると総理になれないと仲間が言うものですから。でも、ちゃんと、たとえ厳しくとも国民の皆さんと対話をしないと、ということで一昨日から解禁しました。[生放送がいいとおっしゃっていましたね。録画でつままれるのがいやだと] ― 録画だと真意が伝わり難いです。
●幸せ度数年表

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原口

[小さい時はどんなお子さんだったんですか?] ― 結構神経質で、肺炎になって死にそうになったり。父親が結構モテモテ男で、私は堅いばっかりなんですけど(笑)あの頃はあんまり父を好きじゃなかった。[今、お父様は?] ― 元気で、応援してくれています。[頭が良くて利発なお子さんだったんでしょうね] ― 神経質だったんですね。なんで生まれてきたんだろうなんてことを小さい頃から考えるような子だったですね。佐賀ですからお隣が長崎で被爆者の方がたくさんおられて、それが僕が政治に向かう原点なんですね。東大で心理学と法学と社会学を学びまして。東大の教養学部が駒場にあるんでけど、学校に行けなくなって詩ばっかり書いていたりした時期が、詩を書かなければ生きていけないというような時代があったんですね。心理学の言葉でいうと政治家はドミナントタイプというか、自分を割と抑えて外交的に外向きのキャラクターになっていますけど、実はわりと大人しい子だったんだろうなあと思います。[卒業されて直ぐに松下政経塾の4期生ということで、野田総理の三つ下ということですよね。やはり政治家を志して入塾されてということですか?] ― いえ違います。大学に残ることがほぼ決まっていたので、政経塾をちょっとだけ見たら戻ろうと思っていたんですよ。あの当時は僕は政治家なんかをどう思っていたかというと、油ぎったブルドックみたいな、あんまりいい印象なくて。二代目、三代目しか政治家になれないというので、ちょっとだけチャレンジしたら学校に戻ろうと思っていたんです。政経塾は学問を教える訳でもなく、一次試験も二次試験も三次試験も全部体力テストなんです。月に三百万、当時のナショナルの電気製品を売って来なさいと。それが川崎なんですよ。川崎というのは東芝さんの本社があるところなんですよ。鉄砲玉です(笑) 東芝さんすみませんでした!どこの大学を出ているとかは関係ない。とにかく、社会の第一線で頑張っている人達の汗をわかりなさい、というのが幸之助さんの教えでした。最初の二週間、何も売れなくて、入ったところがたまたま佐賀出身のお米屋さんだったんですよ。{あなた九州人でしょ}って言われて、九州人ってなんでわかるんだろうと思って。なんか売り方が鼻先にこれ買え、これ買えって。「あなた、全然売れないでしょう?」って。「パンフレットなんていらないから、自分を売って歩きなさい」と。それがホントに有難くて、それから三百万売れました。二ヶ月で帰ったんです。[六百万売れたということですか?] ― そうです。その後も、僕は現地現場主義だから、当時高度経済成長の終わり頃で、なんでホームレスの人がいるんだろうと思って、ホームレスの人と日比谷で一週間ぐらい暮らしたんですよ。そうしたら幸之助さん怒っているわけですよ。「何しに行ったんや?」と。これだけ社会が豊かになっても、そこで弾かれた人達がいらっしゃるだと言ったら、幸之助さんは「しゃあないで。働く意志の薄弱や」と。それ、おかしいでしょ!こういう方々が増えれば社会は不安定になる、と言ったんです。

今でも覚えているけれど、「いや、そうだ。君が言うのがホントや。わし、間違っとる。自分の時は人の袖を持ってでも生きようとする人しか生きられない、そういう時代だった。だけど、君の時代は違うんだ。君が言う方が正しいんだ」と言って、研究の時間とサポートをしてくれたんです。[その頃から論客だったんですね。普通、神様みたいな松下幸之助さんに言えないですよね] ― いえ、彼は自分を神格化するなと。自分について何か知っていることを述べよと言って、みんなが褒めたんですけど、彼は帰ると、彼は怒って帰ったんです。[どうしてですか?] ― だって、みんなが褒めたら自分が良くならない、それが松下さんの87歳の時です。[野田総理も逢沢一郎さんも六百万円売っていたんですね] ― いや、彼らの頃は自転車屋じゃなかったかな(笑) 逢沢先輩と同室でしたから。松下政経塾を卒業して、県会議員を二期やらせて頂いて、無所属だったんですけど衆議院に出て、500票差で落ちて。それも政経塾の先輩が急に日本新党で出て来て、共倒れしたんですよ。[許せなかったでしょ?] ― いや、自分が許せなかったですよ。その時は先輩を恨んだんですよ、「あなたがいなければ」という気持ちでやっていると、やっぱり人間って、濁った気持ちが顔に出るんですよ。その先輩だって僕がいなければ当選した訳ですよ。今は市長さんになられて、僕と本当に仲がいいですけれども。その時は自分の至らなさをその先輩に転嫁しましたね。結果、選挙ってあるオーラが必要だから、濁ったオーラを配ると落っこちるんですね。落ちた時に、もう辞めてやると嫁さんに言ったら、あなたみたいなぐずぐずが将来、40とか50になって、絶対あの時辞めなきゃよかったと、今辞めたら厄介で、今日限りさよならさせてもらいますと。それでまあ、去られたらまずいんで。[内助の功ですね。結婚されていて良かったですね。] ― ほんとですよ。普通そういうことを言わない人なんだけど、20年にいっぺん位そういうことを言うんですね。3年8カ月浪人しましてね。むちゃくちゃ長かったですね。しかも自民党でないと政治家でないという、全員自民党さんの国会議員のところでしたから、このまま終わるのかなあという不安もよぎりましたね。[一番最初から出られた時は何党からですか?] ― 全部、無所属です。一回だけ県議の時に自民党に入ったんですけどね。何か合わなくて出て。[どこが合わないんですか?] ― 昔の自民党は内向きで暗いんですよ。昔は僕はいやだったのは、時効だから今は言うけど、学校の先生の試験があるでしょ。そうすると、前の日に県議の控え室に誰がどうなっているか役所の人が言いに来る訳ですよ。要するに、口利きしている訳ですよ。僕はそれがいやで。県会議員に出る時も、何百万、何千万というお金を持って来られて。それを全部断って。その政治がいやだったですね。27歳の県会議員選挙の時、三百万で選挙したんですよ。国政選挙は千五百万でやりました。みんなカンパなんですよ。配るお金なんてないし。そういう政治を変えようと思って。

松下政経塾自体が今、ずいぶん衆議院議員、参議院議員、地方議員、首長もいますだけども、もう一つの選択可能な政党を作ろうというのが幸之助さんの思いだったんです。彼が亡くなった日は民主党の結党の日と同じ4月27日なんですけど、大阪は大雨で、ちょうどあの時はリクルート事件でその時の総理がもう辞めるとかという時で、僕らにとってはその雨は涙雨でしたね。ここからこんな年月が経っていますけど、財政赤字は拡大しているし、幸之助さんがまだ生きていたらどやされると思うんですよね。[そう思って活動されているということですよね] ― そうですね。[そして政権交代がありまして、その後も総務大臣とか内閣府特命担当、地域主権担当大臣とかやられましたね。どうでしたか] ― その時にやれたことはたくさんあって、地域主権改革、これは地域に主権を与えるというのではなくて、主権者が地域を改革するという意味なんです。つまり、国家主権、国民主権、国を強く

するためにも、自分の地域のことがおろそかになったら、国も強くならなし、自分の地域の歴史を知らずして、国の歴史を学ぶことはありません。だから地域から改革していこうと。自らの責任において自らの地域を作っていく。例えば、大阪の知事がぼったくりと言いましたけど、直轄事業負担金というのがあって、その七割は道路に使われているのかわからないけど、三割は天下りに使われている、こんなものを根本から変えていこうという改革をやってきたんです。[大臣の時の話なんですけれど、野党として政官の癒着とかを説いてこられました。ご自分が大臣になられてどう変わられましたか?]

― 総務省の人達にはこの半年間に今まで隠してきたこと、不都合な真実を全部表にして下さい。と言ったんです。随意契約や官製談合、天下りなど。天下りというのは巧妙に組織化されていました。誰かが何かを言わなくても、五代連続同じポストに行くことが決まっている。五代連続天下りポストと言うんですけれど、全部やめさせました。それでもまだあると思います。[菅元総理は役人に従わなかったから、辞めさせられたという人がいますけれども] ― それは違います。僕らが政権交代後、中央政府に求めたことはものすごく高いレベルなんです。そのレベルに達しない、あるいは能力がない、長い間、中央にお金を集めて地方に分配するということをもっぱらやって来た人達が出来なかったんです。それに引きずられて、これは僕らの反省だけど、ゾンビの映画があるじゃないですか。ゾンビに噛まれたらゾンビになるみたいな。古い政治に権力を取って巻かれる部分と言うのがいくつか出て来た。それは変えないといけないと思っています。今、増税論議とかしているけれども、強い役所に巻かれていれば、この人達はいい人ですと、役所の人が言って歩いてくれる訳ですから。それじゃあ、だめなんです。政権交代した意味が無い。今日も今、TPP、環太平洋パートナーシップ協定をアメリカが求めるのに応じてそのまま受けていいんですか?と昨日、僕は野田総理といろいろ外交戦略の話を15分位しました。厳しい道というのは長いものに巻かれないことでしょ。という話をいたしました。[今、野田総理、ぐるぐる巻かれているんじゃないですか] ― そのために政経塾があるんだと。[野田総理とは同じ釜のめしを食った仲ですからね。お二人はね(笑)]

 

  • 最近の政治トピックス

内政外交、上げてみたいと思います。2012先進国のリーダーが交代期を迎えます。例えばロシア。統一ロシアの大統領候補に、前の大統領で今の首相のプーチンさんが選ばれるですね。プーチンさんは非常に柔道もお好きで、日本びいき。今回、彼が統一ロシアの大統領候補になったことを凄く喜んでいるんです。その中で、北方領土の問題も、彼が大統領だった時にいくつも提案してきた。それに沿ってシベリアの共同開発出来るし。日米の強化を図るチャンスなんですね。[私達にメリットがあるんですか?] ― あります。平和と安定。今、ウオール街でデモが起きているでしょ。何でデモが起きるか。私は「平和」という本で何を書いたかというと、富の作り方自体、エネルギーの作り方を変えようよと。今までは、大規模、独占、集中、排除。原発なんて典型的なものですね。太陽の核分裂そのものをエネルギーとするんです。これは誰かが一手にエネルギーを売るって話なんです。それを小規模、分散、協同、そして協力のパラダイムに変えていこうというのが僕の考えなんです。そうすると何が起きるかというと、エジプトに行かれたことはありますか。ピラミッドを作った人達はどういう人か。ファラオ、ナイル川を大規模に管理した人が王と、ファラオと呼ばれたんですね。日本だってそうですよね。地産池消でたくさんの米を作れた人が権力者と呼ばれた。その構図がある限りにおいては、貧富の格差はどんどん広がるんです。今は情報化社会でしょ。もっともっと、ボタンひとつで金融で莫大な富を生む者が増えてくる。誰かが富を独占すれば、アメリカのデモもそうだし、日本だって、よく報道はされないけれども、日本でもデモが起きていますね。それは何に対するデモかというと、格差に対するデモなんです。僕らはそれをエネルギーの作り方を変える。地産池消で地域を富ます、絆を作る、そういうふうに変えようとしているんです。総務大臣の時に未来を作るヒューチャースクールというのを提案したんです。みんなが学校で今の情報通信機器を使ってノートを共有しようよ、感動を共有しようよ。問題の解き方を共有しよう、大きな志を共有しよう仕組み作りをしているんです。これでもう二年になったんですけど、この間、そのノートを使っている学校に行って来ました。子供たちが随分変わりました。いきいきとしていた。今までは答えが一つしかない、なんとか大学に入る為にはこの答えしかないと教えられてきた人達は排他的なんです。だって、誰かを落とすことが自分が受かることでしょ。[大丈夫ですか?ゆとり教育で失敗していますよね] ― これはゆとり教育じゃなくてこれはソリューション教育。解決方法の教育というんです。答えがひとつしかないという教育を受けた人は排他的です。解決方法はみんなの知恵を集めるから、みんなの絆を大事にする。この番組も同じですよね。情報を共有ですから。[TPPについて今日テレビでお話しされていましたよね] ― これはね、貿易自由化の話じゃないんです。ブロック化の話であって、ルールにおける競争の話なんです。競争は悪いわけじゃないですよ。だけども、日米構造協議でアメリカと何回もまとめてきましたね。競争に馴染まない命の分野のものとか、食糧の分野とか、そこまで一緒に競争の中に放り込んでいいんですか?じゃ、逆にいいとゆうのだったら、もっと周到に準備していなくちゃ。準備もしていない、しかもアメリカの場合は州政府と連保政府とふたつありますから、連保政府でオッケーになっても州政府が違うと言えば、日米構造協議で日本側がアンフェアーだと感じて来た、そこのところが乗り越えることが出来ないんですよ。今日の新聞で医療は例外だと言っているけど、そんな根拠、どこにもありません。[今日はどういう結論で終わったんですか?] ― いや(笑)途中でこの場に来てしまいました。昨日、野田総理に言ったんですが、この協議は後手を踏んでる。仕切り直すべきだと。1980年代世界の十大銀行のほとんどが日本の銀行だったんですよ。ところがそこでルールを変えられたんです。自己資本ルールといって、ビス規制が変わったわけです。世界に展開していた日本の銀行がそこでビジネス出来なくなる訳です。それが何かというとバブルなんです。世界に行っていたお金が日本に戻って来た。そしてバブルがはじけて、潰れなくてよかった会社が潰れ、そして失業しなくてよかった人たちが失業した。だからよく、政治は関係ない、誰がやっても同じだという人がいるけど、それこそ危険なんです。間違った人がやれば、自分たちの職業や暮らしに直結するんです。[それは大臣レベルの問題なんですか?] ― 大臣レベルの話ではありません。日本すべてで考えなきゃいけないレベルです。1980年代の政治って何をやっていたかというと、内向きで、リゾート法だなんだといって、浮かれちゃっていたんです。そして世界に展開する日本の政治家はあまりいなかった。日本は面積でいうと小さいけれど、物凄く国力を持った国なんです。そういう国はルールにおいてもちゃんと主導権を握らなきゃいけない。それが政治家の役目なんです。

 

  • 今だから言えるあの日のあの出来事

アメリカとの関係で言うと、ジャパンハンドラーズといって日本を属国みたいに思っている人がいない訳じゃないですけど、そこの声ばっかりがアメリカの要求として言われるんだけど、日本の文化とか伝統とか日米の絆を大事にしようという親日派の人も多くて、僕の友達が去年の今頃アメリカに呼んでくれたんです。クリントンさんとかパウエルさんとお会いしたりして話をしました。クリントンさんとパウエルさんの間にいた人が日本語で僕に「変な日本人」とか「すっげー、大臣だったの、すっげー」言ってきたんですよ。「誰に日本語教わったの」と聞いたら、「スマップから聞いた」というんですよ。でも実は日本のガールフレンドに教わったみたい。この間日本に来て言ってたから。UCLA南アリフォルニア大学のサンフランシスコ校の医学部に世界の先進的な白血病医療センターがあるんですよ。そのチャリティーでみんなが来ていて。その日本語を話す人はウィル・アイ・アムといって今アメリカですごい人気の歌い手の方なんです。そのチャリティーの会はみんなが少しづつ話していくんですけれども、僕もスピーチさせてもらって。ニール・ヤングさんも来ていました。世界60ヵ国から4万人が集まっているんです。こんなアイディアある、あんなアイディアがあるといって、みんなが喜んでいるんです。この間亡くなったスティーブ・ジョブスさんの関係の方やビルゲイツさんの関係の方も来ていました。日本でもそういうのね、いろんなレベルであるんですけど、メイディア全体に出て来るのはトーンが少し抑えられていたりして、あれも出来ない、これも出来ないとか。国会のチャンネル観てもあれも出来ないじゃないか、これも出来ないんじゃないかと出来ない合戦しているみたいで。それを変えるいい機会だったなあと思います。

 

  • 質問コーナー

Q1 今、増税の論議があると思うんですが、是非、景気対策をして頂いて増税しなくても復興出来るようにお願いしたいのですが。例えば、60年位の建設国債の発行とか、そういうのはいかがなんでしょうか。

A1 政府は一世代で完結すると言って10年っておかしいですよね。一世代は30年ですよ。しかも1000年に一度のことが起きていてそれを10年でやれるか、それはやれません。野田さんが財務大臣の時、僕は総務大臣で、なんで今までの、目先の増税路線の財政再建が失敗して来たかを総括しようとしているんです。僕が政権から去ってみると、そっちの声の方が大きくなりましたね。今日の新聞に僕が理論的支柱としている神野直彦先生が書かれていて、その隣に元の財務大臣の藤井さんの話があったんです。藤井さんは今はそんなに高い成長は望めないから、税も構造改革して組み込んでおかないと健全財政にならないんだと。僕はその前提が違っていると思うんです。例えば、年金基金。120兆円あるんですよ。じゃあそれが、成長点、企業のチャレンジに使われているか、国債に回っているんですよ。そこが問題なんです。まずは経済の規制改革なんです。「下町ロケット」という直木賞を取った本ありますよね。技術はある、じゃ技術を支える資本があるか?ない。アメリカでなんであんなに先に行く人達がいるかというと、日本は大陸法だから、ここに線があって一歩でも出たらお上からおこられる。欧米はやってみて法律を作り替えりゃいいじゃないか。ということだから。この間亡くなった、スティーブ・ジョブスさんの会社だって、このユーストリームだって、本来著作権どおのこうおの言っていたら出来ないはずなんです。そこの違いを変えていくのが、僕らの政権交代の大きな意義のひとつなんです。頑張りますので。

 

Q2 公務員の給与の平均が800万円、人件費と福利厚生費を入れると一千万を超えています。人件費で一千万なんてちょっとした中小企業の社長でも取っていません。

 

A2 公務員の共済を含めて二割削減という道筋を僕が大臣の時に示したんです。そのためには、一人ひとりの給与を下げるとゆうよりか、大臣の時に何をやったかというと、出先の新しく入る人を八割カットしたんです。ところがね、今年の人員の要求をみると、出先をもう一回、残すんじゃないかという、要求なんですよ。出先機関をなくして、公務員給与全体を20%減らせば、それだけで1兆2千億?ます。

 

  • 今後の政治に対する意気込み

世界を柔和なるものに引き継ぐためには、エネルギーから金融から富の作り方から教育から、根本から変える必要があります。そのために僕らは緑の分権改革、地域で一人、二キロワットのきれいなエネルギーを僕らが責任を持ってやれる国になれば、なにも遠くまで行って資源を奪わなくていいんです。去年の今頃、中国船がぶつかってきましたね。僕は主権三法という、国家主権を守るための法律を作って、今各党の政調の審査に伏していますけれども、それだって本来だったら、民族とか宗教とか国家とか言語とかを越えた、もっと大きな連帯が欲しい。だけれども、それが出来ないのはなぜか。奪い合う仕組みがあるから。資源を持つ所と持たない所、資金を持つ所と持たない所。それを根本から変えたと思っているんですよ。前はこんなこと言っても。お前が言っていることは絵空事だと言われたんですよ。だけど今だと、例えばエネルギーだと、スマートブリッドでどこにどれだけ最適なものがあるか、みんなが選んで融通することが出来るようになりましたね。[周りの環境が整ったということですか?] ― 周りの環境が整って来たし、整う様に努力するのが僕らの仕事ですから。[それは何年後に実現するんですか?] ― 2015年までに光の道を全部、と言っているんですが、僕が大臣を辞めてからこれが2、3年伸びているみたいですね。ドジョウの後に頑張って、総理になったら(笑) 野田さんごめんね、ドジョウなんて言って(笑) 今度、佐賀の酒、持って行きます。昨日会ったら、お腹の辺りを触って、すり減ってきましたみたいな意味の事を言っていました。凄い緊張なのでしょうね。飲んでいますか?と聞いたら、首を横に振っていました。以前、細野さんの応援に二人で行って、帰りの新幹線でワンカップを14本空けました。野田さんが9本です。その時、この人と飲んじゃいかんなあと思いましたよ(笑)