古賀 之士
古賀バスト2
第212回
2017年11月13日 放送

民進党 古賀 之士 参議院議員

長きにわたり「ズームイン朝!」で全国的に知られている、古賀さん。

多くの人が狙うたった一つの席をあけ渡し、政治の世界に飛び込みました。

その陰には、苦労されたお父様の話、ある友情の話、自分にできる事の使命感がありました。

番組でそこの所は初公開?、熱く語っていただいております。

またFBSのアナウンサーになるきっかけとなった、「一本の電話」のエピソードも運命を感じさせてくれます。

そして、キャスターとして伝える側だった立場から決める立場に変わった今の気持ちを吐露してくださいました。

かつて古賀さんとテレビの思い出がたくさんある方も、画像のアップをお楽しみにしてください。

 

(動画より文字起こし)

民進党(福岡県)1期目 2017年 11月 13日 収録時点

[お話しするとザ・キャスターという感じですね]― 昔の仕事のクセが残っているんですかね。[福岡放送、FBSご出身で。「ズームイン朝」に何年出られていたのですか?]― 「ズームイン朝」は11年くらいですかね。[全国的に出られていたということですよね]― お陰さまで。当時は徳光さん、福留さんの時代でしたね。[あと、ウィッキーさんが出ていませんでしたか?]― そうです、そうです。視聴率もあの頃は15パーセントぐらい。瞬間では20パーセントを超えるくらい。[今、そんな番組はないですね。10パーセントはなかなかいかないですよね。ニュース情報番組をされていたのですね]― それこそ今につながるんですけど、選挙番組ですとか。[報道特番をやられて。それがバッチを付けて] ― こうなるとは本人も驚いています。[正直に言っていかがですか?「ミヤネ屋」になりたかったかもしれない、なりたくなかったかもしれませんけど]― 今までは政治の世界を渦の外から拝見していた部分があるのですが、実際中に飛び込んでみると見える景色がやっぱり変わってきますね。[違うものですか?]― 違いますね。[TBSでも杉尾さんが今、ちょっと嫌な言い方をしますけど、かばん持ちみたいな感じで歩いてらっしゃいますよね。テレビキャスターのアンカーマンが一兵卒として頑張っているということが、清々しく思いますけどね]― 逆に新鮮な気持ちで新しい一歩を踏み出せるチャンスを頂いたということはありがたいという気持ちで、頑張らせて頂こうと思っています。[なんで古賀キャスターがここにいるんだと言われる方もいるでしょうね]― はい、それもこれからお話を進めさせて頂き、年表などを見ながらわかって頂けると思います。[そして今日はたくさん古賀グッズを持ってきて頂きました]― 実はほとんどが議員会館の中に飾られているものなので、お越し頂ければご覧いただいたり、触ったり出来ます。[今日は会社の後輩の方も来て下さっています]― かつてのですね。有り難いです。(深々と頭を下げる)[うちは広告代理店、コマーシャル会社なので、FBSさんとずっとお取引があって。大人気の局じゃないですか。広告をなかなか出してくれないんですよ。フタです!フタです!(笑)]― そうなんですか?!嬉しいですね。(笑)かつての職場がそうやって活況を呈しているというは、本当に嬉しいです。「めんたいワイド」という番組を20年やらせて頂いたんですけど、その番組も今、私がいなくなった後も大変好調で、本当にOBとして嬉しいです。[今日はバットとかを思って来て頂いたんですね。これも議員会館に飾ってあるのですか?] ― はい、議員会館にお越し頂ければ。仰々しくケースにと思われれる方もいらっしゃると思いますが、私はソフトバンクホークスの大ファンで、個人的には王貞治会長の大ファンで。当選祝いに頂いた王さん直筆のバットです。[これは「めんたいワイド」をやっている時には頂けなかったのですね!] ― そうですね、プレスの方は100人、200人いらっしゃいますので、直接は申し上げにくい部分もありましたね。ですけどお陰様で、初当選した際にはすぐに翌日事務所には大きなお花を頂きましたし、このバットまで頂きましたので。大事に、議員会館でも一番いい場所に飾らせて頂いています。[こんな貴重な物を一瞬でも「みわちゃんねる」に持ってきて頂いてありがとうございます!本当に光栄です。王さんのパワーをみなさん、もらいましょう。(笑) 急に話は変わるのですが、昨日はトランプさんが国連で演説されて、急に横田めぐみさんのことをおっしゃいましたよね。今って、いろんな言葉狩りとか、立場で物が言えなかったりするじゃないですか。ですから、よくぞ言ってくれたと、胸がすっきりなんですけど] ― 逆にトランプさんがどういう形で、どういう思いでお知りになって、このタイミングでおっしゃったのかということも、きちんとリテラシーする必要があるかと思います。ご存知のように北朝鮮の拉致の問題、もう40年、あまりにも長いですよね。40年の間のご家族の思いを考えると、トランプさんが言って下さった通りですね、1日も早く家族に会えるよう私もお手伝いさせて頂こうと思っています。今、収録中なので外していますけど、私はこのバッチを付けています。(「救う会」のブルーリボンバッチを胸元から取り出す)[国会議員のみなさんは全員付けていらっしゃるんじゃないんですか?] ― 付けている方といない方がやはりいらっしゃいますけど。北朝鮮の拉致問題に関してはお手伝いをしっかりさせて頂きたい思いです。[そして解散総選挙が。古賀先生は参議院ですから、直接・・・] ― (急に古賀議員が噴出してしまう)(笑) 私、先生と言われるのが、慣れていないんですよ!古賀さん、とか古賀ちゃんとか、今でも言われるので。それこそこの番組もみわちゃん、ですよね。古賀ちゃんでも構わないんですけど。[では、古賀さんで。(笑)] ― まだ、1年ちょっとですから。[永田町では最初はみなさん、そういうけど、来年は先生と言わないとムッとするというね。(笑)いうことが伝説で言われていますよ。(笑)] ― そういうことにならないように、ちゃんと気持ちをしっかり持っていきたいですね。それをちゃんと胸に秘めます。[解散総選挙はいかがですか?バッチを付けてから初めてですよね] ― この収録の時点では総理はおっしゃっていない訳で、正式決定じゃない内にとやかくはまだ言えない状況ではありますけれども、もし決まればですね、今度は私は参議院の立場ですけれど、衆議院の皆さん達、あるいは候補者の皆さん達を応援させて頂こうと思っています。[福岡選出の参議院議員でいらっしゃいますけど、古賀誠さんとはご関係はないのですか?] ― よく言われるんですよ。面識はあるんですけれど。ですけど、与野党関係なく平和に対する思いですとか、そういう部分は共有させて頂いています。[福岡出身の議員さんって濃いじゃないですか。麻生さんもそうですし、古賀さんもそうですし、この番組に出て下さいました武田良太さんとか、中洲のど真ん中の花街で生まれた方とか] ― そう言うと福岡のイメージが!ぜひ、明るいいいイメージを持って頂いて。[私は福岡の人は普通の人じゃないと思っていて、ちょっと違うんですよね。関東のボーっとした人たちとは] ― いやいや、そんなことはないですよ。私は少なくとも普通に生きていますよね。[古賀さんはキャスターをされていたという部分があるからかもしれませんけど] ― 私は普通のサラリーマン家庭の子供でしたし、小さい頃は2Kの団地で育ちましたから]

●幸せ度数年表

(クリックで拡大)

FullSizeRender

 

 

 

 

 

 

 

 

[何年生れですか?] ― 1959年、昭和34年生れです。[生まれはどちらですか?] ― 福岡県の久留米市の生まれです。[久留米市と言えば、松田聖子さん、チェッカーズですよね] ― チェッカーズのフミヤ君、尚之君とは中学の後輩になりますね。中学が一緒でした。同じ久留米だと中学では中野浩一さんですね、世界選手権V10の。[みなさん、音楽的センスがあるというか] ― 競輪も含め、音楽とかスポーツとかですね。みなさんも良くご存知の「上を向いて歩こう」を作曲された中村八大さんも久留米に一時期いらっしゃって。芸能、スポーツ、優れた方がたくさんいらっしゃいます。[やっぱり違いますね。凄いなと思います。そして貧しかったということですけど] ― 先ほど古賀誠さんの平和への思いと繋がるという話にもあったんですけど、家の父は母子家庭でして。祖父が昭和20年、40歳を過ぎて兵隊に取られてミャンマー戦線に参加をして亡くなったものですから、15歳の父を頭に6人兄弟、7人家族。父が15歳で一家の柱になって頑張ってきました。だから、父が仕事をして仕送りを実家にしたり、自分自身の奨学金を返したりということがあったので。必ずしも家は裕福ではなかった記憶がありますね。当時3C、三種の神器を知っていますか?普通の家庭の皆さんにとっての憧れの、カラーテレビ、クーラー、カー。こう言った物で、とうとう最後までわが家になかったのが車ですね。しかも父はタイヤメーカーに勤めていましたので。[ブリジストンですか?] ― ええ、そうです。その分、子供たちの教育などに、お金を貯めていたり、実家の仕送りをしたり、自分自身の奨学金を返すのに使ったり。そういうバックボーンあるんですね。[そういう中、之士さんを明治大学まで通わせたということですね] ― 非常に親不孝ですね。受験失敗で。(笑) 年表をここでこんなに下げていますけど、親の方がもっと気持ち的には下がっていたんじゃないかと思いますね。[東京に来ると学費以外のお金がかかりますからね] ― だからいろんなアルバイトもさせて頂きました。[たとえばどんなアルバイトですか?] ― 引っ越し屋さんのバイトですとか、結婚式場の配膳の仕事。私、明治記念館でやらせて頂きました。アナウンサーになるきっかけも頂いたのが、家庭教師をしている時にそのお母さんから、古賀君はどんな所に就職したいの?と聞かれて、いろいろな会社を考えているよ、と話したんですけど。お母さんが古賀君はアナウンサーがいいんじゃないのと言われて、それがこの世界を目指すきっかけでした。[きっかけは全て人との出会いなんですね!] ― アナウンサーなるきっかけが、さらに出会いがあって、福留功男さんですね。私、大学の先輩後輩というだけで面識がなかったんですね。でもいきなり、日本テレビの大代表に電話しちゃったんです。今でも覚えていますけど、東京03-5275-1111。携帯電話もない時代ですから、公衆電話から10円玉をいくつも入れて。つながる訳ないと思いませんか、普通。[思います] ― ですけど、幸運にも電話のオペレーターさんがつないでくれたんです。しかも、留さんその時にいたんですよ。それで留さんに、私はアナウンサーを目指しているんですが、私は学校も放送研究会も入っていないんです。ですけど、一度お話を伺えないでしょうか。アナウンサーの方がテレビ以外にどんな仕事をしていらっしゃるのか、出演していらっしゃらない時にどんなことをされているのか。そうしたら留さんが、いいよ、遊びにおいでと言ってくれたんです。[福留さんって凄く厳しい方って有名じゃないですか] ― そうですね、でも厳しくて優しい。[私なんかの時代だとウルトラクイズとか、本当によく観ていました] ― そして甲子園クイズ。私の選挙の応援もパーティーも来て下さるんですよ、いつも。大学4年生の時のたった一本の電話が35年ぐらい経ってもつながっているのは、電話一本ですよ。そこからのスタートでした。だから受験の失敗から一気に上がっているんです。(「幸せ度数年表」の上昇線を指して)[ここがグッと下がっていますけど、何か失敗したのですか?] ― 本当に仕事が出来ないアナウンサーだったんですよ。[そうなんですか!?例えばどういうところが] ― リハーサルが出来ない。「ズームイン朝」は生放送ですよね。事前にリハーサルをするんですが、何べんやっても同じことが出来ないんですよ。本番前から何度も怒られて、ストップ!と。何度も何度もリハーサルをやって。「ズームイン朝」をさせて頂いた時に全国のキャスター会議というのがあるんですね。その時に実は入社して六カ月だったんですよ。入社して六ヵ月の時にその研修会に行ってみなさんにごあいさつした時に、ベテランのそうそうたるズームインのキャスターの中にこういう方がいらっしゃいました。「ズームイン朝は新人研修の場じゃないんだから!」大きな所で言われて、私は小さくなるしかない。その方はタレントさんだったんですけど、「一本一本真剣に仕事をしているんだと。それをね、入社半年足らずでここに来て、甘い考えじゃ困るんだ!」と言われたことは今でも忘れません。仕事が出来ない、プレッシャーはかかるわで、ドーンとこんな感じです。(年表の下降線を指して)[こうやってバッチを付けられても覚えているということは、いいことかもしれませんね] ― 有難いことに、その方と今でもお付き合いがあって仲良くさせて頂いて、応援をして頂いています。だから、あの時にあえて厳しいことを言って頂いたことがご縁で、今でもお付き合い頂いているというのは有難いです。[そして順調にレギュラー番組をこなしながら、いろいろなことがあった訳ですね。奥様はどんな方なんですか?] ― 二歳違いで長崎県の壱岐の出身なんです。私が「ズームイン朝」を卒業間際のネタで、歯医者さんで取材をするネタがあったんですが、その時にインタビューをした歯科衛生士さんが今の妻です。恥ずかしいことに、今でも初めて出会った時の映像が残っているんです。(笑) [いいじゃないですか!] ― 本当にそれは有難いですね。[でもちょっと、恥ずかしいですね] ― 当時は徳光さん、福留さん、辛坊さんもいらっしゃいましたけど、ビデオでメッセージを送って頂いてですね。そういう意味では右肩上がりなんですね。[そして、番組MC、ドキュメント制作。アナウンサー以外の仕事も] ― これは局舎が新しくなったんですよ。FBSの社員として、引っ越し委員、新社屋検討委員会で。あまり表に出ない仕事なんですけど。大変だったのは、入社して20年あまり報道部だったんですね。ニュースセクションの引っ越しって、何かあったらそちらにかからなければいけないでしょ。大きな事件や事故や災害などがあったら。迅速な引っ越しを夜中にやるために、みなさんにご協力頂いた引っ越しは忘れられないです。これは裏話ですけど、今ある福岡放送の報道部の電話番号とか、ファックス番号は私が決めさせて頂きました。[NTTに頼んでいい番号を取るという]― みなさんと相談して報道はこの番号とか。ファックス番号は電話と連動して覚えやすいようにこの番号にしようとか。総がかりで引っ越しをやっていましたから。正直言ってキー局さんとは規模も違いますから。そういった意味ではいろいろな仕事をやらせて頂いたのは、本当に良かったと思います。[この小学生というのはなんでしょうか?]― 小さい頃から星好きで、子供たちにボランティアなどで星を見るイベントなどを仲間とやっていたんですね。そうしたら札幌の星の発見者の方が、「古賀さんの名前を付けていい?」と言って来てくれたんです、発見した星に。お金もいらないし、お金を払う必要もない。買うものではないんですね。その代り国際天文学連合がきちんと認めた実際に回っている本物の天体に私の名前を付けて頂いてそれが承認されたという。[これがそうですか?](証明書を指さして)そうです。小惑星番号、17516 Kogayukihito これが学術名、小惑星の名前として登録されています。[そして出馬ですよね] ― 2016年いっぱいで番組を卒業させて頂いて。「ズームイン朝」の頃から実はもう大小合わせると10回以上、政治の道に入らないかとか、出馬しないかとお声がけは頂いていました。しかし仕事も充実していましたし、自分の中で政治と言うのは誰かがやってくれるだろうという思いがありました。今回、私に声をかけてくれた前職の議員が、実はここにかかわってくるんです。(「幸せ度数年表」を指さして)受験失敗、実は高校の一歳違いの後輩が参議院議員をやっていたんです。一緒に浪人時代に久留米に毎朝同じ電車で通っていたんです。それが後に参議院議員になって。私は大学を出た後に福岡放送のキャスターをやって。[どなたなんですか?] ― 大久保勉さん。同じ久留米の出身で気心も知れていました。大久保勉さんから言われて印象的なのは「誘いじゃない、俺の代わりにやってくれ」と。つまり後継ですよね。まだ若いじゃない、まだ出来るじゃない。でも今の党勢、党の勢いを回復する意味で、参議院と言うのは個人の選挙区でもあると同時に比例区がありますよね。そういった人たちと一緒に党の勢いを回復するためにはやはり古賀さんの知名度が必要だと。だからここでゲームチェンジしたらどうかという提案だと。相当悩みましたけど。自分にとって五十代、いよいよ定年も近づいてきて、さあ自分が何が今後出来るのかを当然考えている時期でした。実はお話を頂いたタイミングで、先ほどもお話した母子家庭で一家を支えてくれた父が亡くなったんです。それでいよいよ自分がバトンやタスキを今度はもらって次の世代に渡す、そういうタイミングになったんだなと。そのタイミングに大久保勉参議院議員から自分の代わりにやってくれないかと。重ねるように話がきたんですね。いいタイミングなのか悪いタイミングかわかりませんけれども、そういう形で一族集まって四十九日の法要が終わった時に本家の方にこういう話が来ていて、立候補を考えていると。いうことを言いましたら、ちょっと待てと。ご了解を頂くのにも少し時間がかかりましたけど、応援してくれることになりましたし。妻も今まで大小十以上いろいろなお話を頂いていたので、今回も断るだろうなと思っていたみたいですけど。いろいろ政治的な状況もこのままでいいのだろうかと。むしろ私たちが貧しかった昭和の時代に比べて21世紀になって、本当にみなさん暮らしが良くなっているんだろうかと反すうする内に、徐々に自分でお手伝い出来るんだったらと。参議院の地方区は福岡県全部なんですよね。60の自治体全部。[だからこそ、古賀さんだというのがありますよね]― 全国区と違って県のエリアが全部ですから、今までテレビでいろいろお世話になったり、本当に良くして頂いた方々に恩返しできるチャンスがこれなのかなという思いもあって、立候補を決意しました。[この番組に500人以上国会議員のみなさんが出ているんですけれど、前職から国会議員になって良かったと思う方と、えー、もったいない思う方が古賀さんだと思うんですけど。古賀さんのテレビでいた立場と言うのは誰もがなりたくてもなれない席だったと思うんですよね。それを自ら捨てて2017年、議員が過小評価されるこの時期にバッチを付けているというのが、本当に勇気があるなと思いますね]― アナウンサーの仕事もタスキを渡さなければない時期というのが当然あるわけですから、それもカウントダウンで。有り難いと思いますよ。今でも「出おらんと?」と言って頂きますし、「出てる番組ないと?」とか言われますから。私も実はまだまだ2年あまりで、今回「みわちゃんねる」でお話させて頂いて、私を20年ご覧頂いた方でも、「ズームイン朝」を11年ご覧頂いた方も、初めて聞いたという方が100パーセントだと思うんですね。どちらかというと私はインタビュアーで佐野美和さんの話を聞く方が今でも得意じゃないかな。(笑)[もちろんそうですよね。ご自分の話ってかゆいでしょうね]― 仕事の性格上、なかなか言われないじゃないですか。聞くことで気持ちよくゲストの方に帰って頂いて、「今日は楽しかった!「めんたいワイド」出て楽しかった!「ズームイン朝」出て楽しかった!いいこと聞いてくれて嬉しかった!」それをテレビで観た方が「あの質問の聞き方が良かったね」と通の方に言っていただけるのが非常に有難かったですね。[全国区のキャスターの方がまさかここでインターネットテレビのカメラに向かってしゃべる日が来るとは。申し訳ないです。(笑)]― 時代はおそらく現状のテレビとインターネットが融合していったり、切磋琢磨する時代になるんでしょうね。

 

●最近の政治トピックス

 

[出馬された時に同級生の参議院議員の方から引き継がれた政策はあるのですか?]― 大久保先生と言うのは財政金融に長けていまして、与党時代は財務副大臣も経験していまして。経済、景気をしっかりとやっていくという意味では与党も野党も関係なく。私は財政金融委員会に所属しています。しかも、故郷の麻生さんが担当大臣ですよね。週に二回、国会が始まるとご一緒させて頂きますので、本当にいろいろな形で勉強させて頂いています。[ちょっと話が戻ってしまうんですけど、どこの党に入るかという選択肢もあったんじゃないかと思うんですが。いろんな党首の方がスカウトに来れていたんですから]― (笑)そんな、スカウトというほど大げさなものじゃないと思うんですけど。(笑)どの党をという部分に関しては、大久保さんが当時の民主党であったというのが大きなポイントでしたね。いろいろはお話を伺う中で、「自分の代わりにやってくれないか」ということが今までのお誘いと全く違うパターンだったということが、動かされました。政策的にはですね、メディア時代から感じていましたけど、特定秘密保護法ですとか、平和安全法制の採択も私が迷いに迷っている時に採決が行われましたんで、そういったことも影響は受けていますね。[当時の野党時代に民主党に入ったんですよ。それも凄い決断ですよね]― 民主党というのは何か月かしか私はいないですね。[こういう言い方をしたら申し訳ないんですけすけど、赤字の会社に自ら飛び込んでいく熱血社員のような感じがしてならないんですけどね]― そこまで能力があるかわかりませんけれども、「代わりにやってくれないだろうか」と。人にこわれることはどんな仕事でも大事なことだと思うんですよね。この人と一緒に仕事がしたいとか、仕事のきつさはあるだろうけれど、この人と一緒に仕事をやっていたら何かいいことがありそうだ。というのは計算では測れない何かがあると思うんですね。私の今回の決断の中ではそのウエイトが大きくしめました。[冒頭におっしゃっていましたけれど、伝える立場と、国会でバッチを付けるのとまったく違うと。どういうところが違いますか。財政委員会に在籍していて、自分の意見が通らないとか、少数野党だから足蹴にされるとか、そういった思いがあるということですか?] ― 実は財政金融委員会においてはそれほど感じていません。財政金融の政策と言うのはコロッと180度変えられないんですね。変えてしまうと世の中の方々に様々な影響を及ぼしかねないので、ソフトランディングやマイナーチェンジを少しずつ考えていきながら、税制金融政策を考えていく。そういう部分では与党野党ともに考えていかなければいけない。ご存知のように国会の場合は委員会形式ですから委員会で出来れば全会一致、多数決を最終的にやって、よければ本会議にあげてそれが法案として通るかどうかとう審議。その委員会の中できっちりと話し合いの場を持って頂けると言うことは足蹴にされるなんてことは全然ありませんし、むしろ私どもが逆に提案させて頂いたこと、各論については8割、賛成していますし。[民進党は法案の8割に賛成しているんですものね]― 何でも反対ではありませんし。そして各論をそのままオッケーではなくて、せめてこういう所でセイフティーネットを作って下さいと、付帯決議という言葉なんですけど。付帯決議も入れて一つの法案としてパッケージングして本会議に出していくわけですね。そういう部分では、与党野党のそれぞれの立場はありますけど、それなりのやりがいも感じています。[一番やりたい政策と言うのはなんでしょうか]― 立候補した時の原点に戻るんですが、わかりやすい政治、これをやっていきたい。今までの自分のキャリアが難しいことをわかりやすく簡潔にお伝えするということでしたから。特にですね、18歳選挙権元年だったでしょ、参議院選挙が。高校生の一部の方も投票が出来る。高校生の人たちに、私はとにかく政治に関心興味を持って貰って、投票に行って下さいと、かなり言いました。自治体の中で投票率が30パーセントとか平気であるじゃないですか。こういうことが、私たちの民意を反映するために投票の行動ってものすごく大きいと思うんですね。そのお手伝いがしたい。特に印象的だったのが、ある高校生が「古賀さん、そげん言うたっちゃ、家の父ちゃんも母ちゃんも投票行きよらんのに、何で俺が行かないかんとや」意味わかります?というようなことを率直に言って来る高校生もいるんですよ。そういう子供達って格差の連鎖じゃなですが、そうなってくるとますますみなさん、投票に行かない。政治にも関心を持ってもらえない。[選挙に行くこと恥ずかしいみたいなのがありますよね]― だからその時にお願いをしたのがですね、一見遠い世界のように思われるかもしれないけど、原油の価格が上がった下がった、遠い世界かもしれないけど、でも実はあなたのお父さんやお母さんの財布にも影響が、実はあなたの小遣いにも将来的には影響が出てくるかもしれない。実際そうですからね。それを頭の隅に入れてもらって、「今からでいいけん、興味関心を持ってもらえたら嬉しか」

ということを言って。最終日ですね、今でも忘れないですけど、博多駅から天神まで歩いたんですね。一時間ぐらいかけて。その時に若い人から声をかけて頂いて、そして5人ぐらいの高校生から「投票に行った!」と言われたんです。嬉しかったです。もちろん自分が投票に受かりたいという気持ちもありますけど、そうじゃなくて、古賀ちゃんに入れたじゃないんですよ、投票に行ったと言ってくれたんです。これはね、自分が少しずつでもやってきて良かったなと思った瞬間でしたね。[小さい頃からずっとテレビを見ている訳じゃないですか。古賀ちゃんがわかり易い言葉でテレビで言ってくれると。その古賀ちゃんがバッチを付けたからと言って難しいことを言うわけないよという気持ちがきっとあるんでしょうね]― だから逆にそういう所に呼んで頂いたり、これからも何かありましたら、スペシャル版でも特別バージョンでも結構ですので、また呼んで頂いて、例えば政治のトピックスについてみなさんにわかって頂く選択肢を提示出来ればいいなと思うんですね。それで興味関心を持って頂いたら未来につながると思います。

 

●今だから言えるあの日のあの出来事

 

幸せ度数年表にここに番組卒業、卒業作品とありますよね。実はこの卒業作品である小惑星誕生の企画を特ダネでやったんですよ。どういうことかというと、ボランティアでやっている星仲間と話をしていた時に、ふっと湧いたのが、あの王さんの星があったらいいよね、という話なんです。小惑星王貞治ってちょっと素敵じゃない?そうしたら、じゃあやりましょうという話になったんですよ。そうしたらメディアとしては、他には内緒で黙っといて、うちだけでFBSだけでやらせてくれない?という話をしますよね、当然。ご本人の許可がないと、小惑星王貞治と勝手に付けるわけにいかないので。幸いなことに私は存じ上げていましたから、仲のいい天文学者と一緒に王さんの所に行って、小惑星王貞治を申請しますけどよろしいですか?と許可を頂きに行ったんですね。私もメディアの人間ですので、そのシーンを是非撮らせて下さい、撮影させて下さい、しかもうちだけで。みたいなことをやらせて頂きました。それが卒業作品で2月26日だったと記憶していますが、実は私が退職した後なんですよ。発表は国際天文学連合、パリに本部があるんですけど、ホームページに小惑星王貞治を認めるということがポンと載ったんです。載った!と思って。自分の顔も声も全部編集でカットした、小惑星王貞治という作品を置いて退職したんですよ。2月26日誕生した瞬間にかつての職場FBSに電話して、出たから使って!と。当然、自分の声も姿もないけど、小惑星王貞治が誕生したというニュースが瞬く間に日本中に駆け巡って。なおかつ、ヤフートピックスにも乗ったんです。よかったー!星と野球と王さんと絡める最後の卒業作品をFBSに本当に恩返しが出来る形で。あっ、くれぐれも福岡放送は円満退職ですから。(カメラ目線で)(笑)ありがとうございます!いろいろなお立場があるんでしょうけど、立候補する人間ですから、顔も名前も当然出せない。でもそういう形で喜んで頂けたかなというお話でした。[やっぱり裏話も登場人物が違いますよね。ビックネームはね、スケールの大きい話ですね]― いえ、そういう意味では新しい小惑星王貞治もこの宇宙に回っております。[小惑星古賀之士と一緒に。(笑)王さんだって嬉しい話ですね]― 嬉しいとおしゃって頂きました。野球もそうだけど、天文学も永遠だと思うのでと。[これから上に行くか下に行くかですけど、民進党もたくさん辞めているじゃないですか。ちょっとあんまり浮かない話ですよね]― 正直、私もここに来て2年目ですから、本当に一人の議員としてまだまだ勉強させて頂いて。今年の7月5日、私の地元の福岡県は朝倉市、東峰村で大変な豪雨被害が出ているんですね。国会も閉会中だったんですけれど、委員会も私は入っていなかったんですけれど、特別に災害特別委員会を急きょ開くから、地元だから質問に立ってくれと言われて。調整もさせて頂きました。被災地も当然何度も行かせて頂きましたけど、今出来ることは、党の行く末ももちろん大事ですけれど、被災地の中で家も無い、生業もない、本当に不安に思っていらっしゃる方々のために、まず一生懸命にお手伝いさせて頂くことじゃないかなと、そういう風に思っています。党がどうのこうのも、もちろん大事なんですけど、あそこのあの被災地に行くとですね、そんなこと言えないですよ。[古賀ちゃんが行けば、喜ばれますからね、みなさんね]― それで悲しいこともあったんですけど、それこそ「ズームイン朝」で泊まった山あいの旅館が全部流されて、そこのおかみさんと避難所で再開したりとか。それから原鶴温泉と言う有名な温泉街があるんですが、そこの方々も夏休み、1万5千泊ぐらいキャンセルが出ているんですね。でもね、みなさん待っていらっしゃるんですよ、おもてなしの準備をして。[いわゆる風評被害とかもありますからね]― そうなんですよ。みなさん、是非、来てください。遠慮されて行かれないかもしれませんが、みなさんおもてなしの準備をして待っていますので、是非よろしくお願いします。[全国ネットのキャスターの方は違いますね。上手いですね。日テレ系列ってキャスターの養成が厳しいじゃないですか。凄く厳しいと聞いていますから。基礎をしっかり身に付けられているいるから、逆に雑多な街頭演説は抵抗があったんじゃないんですか?]― そうですね、何て言うんですか、今までは聞く立場だったので、しゃべって自分の考えをどう伝えたらいいんだろうか、というところから入りましたね。[いろんな思いがあるし、信念をお持ちでしょうけど、それをどこまで言っていいのかというか最初は躊躇するんでしょうね]― みなさんの気持ちの中で何か引っかかるものがあればいいなと。何しろおっさんの新人なので、(笑)なかなか厳しいものがありますんで。[ぜひ、ブレイクして下さいよ、いい話で。「古賀ちゃんがこう言っているんだから、私もこうしよう」というのをどんどん増やして、それが民進党の牽引者になって頂きたいと思います]