坂元 大輔
さかもとやりなおし
第110回
2014年03月19日 放送

日本維新の会 坂元 大輔 衆議院議員

進学高校をドロップアウトし引きこもりなども経験された事のある「維新の会」若手のホープ31歳です。引きこもり後、留学⇒就職⇒比例復活で国会議員という道をたどっています。ドロップアウトの経験から、もがき苦しみ、再チャレンジをしてきました。今では「少しでも人の役に立ちたい」と、キラキラされていたのが実に印象的な坂元議員でした。

(以下動画より文字おこし)

日本維新の会 (広島7区)比例中国ブロック 1期目

(お若いですね~)―はい、今31歳です。今年32になる。(国会議員ではかなり若い方?)―年齢でいうと4番目…同じ年の方もいるので誕生日順でいうと全体で10番目に若い。(一番若い方は?)―鈴木たかこさんという鈴木宗男さんの娘さんが先日繰り上げ当選で上がって来られた。27歳だと思う。(永田町に入った若い30代というのはどうか?)―独特というか、永田町の慣習というかこれまでの経緯みたいなものを聞いたり学んだりしてきているところだが、若い世代の代表として新しい風を入れたいと思って活動はしている。(役人の方も色々よく教えてくれる?)―そうですね、可愛がってというか(笑)、若いので逆に何でも恐れる事なく聞いていくというのは意識している。(分からなかったら聞いた方が早い)―そうですね。(初当選は30歳?)―はい。(色々持って来て頂いたのは…)―まずはこれからいきましょうか…(ご出身は広島7区)―そうですね選挙区は。比例で復活した。(福山市?)―はい福山市になります。今日持って来させてもらったのはCD…「鞆の浦慕情」という…ご存知でしょうか?最近AKB初の演歌歌手という事でデビューされた岩佐美咲さんという方が、福山市にある鞆の浦という観光地でもある有名な港町があり、そこの事を演歌で唄われた「鞆の浦慕情」というシングルが3枚目…私の地元の福山市の鞆の浦の事を唄われたシングルがオリコンチャート1位を獲得して…最近2月。(福山市に行くとかかっている?)―今結構かかっている。駅降りた瞬間…福山駅は新幹線のぞみが停まる駅だが、駅を降りた瞬間からこの「鞆の浦慕情」がバーンと宣伝されたり今盛り上がっている。…〈バラの飾り物、赤と青一輪ずつを取り出して〉福山は市の花がバラの街という事で、市政100周年に向けて100万本のバラを福山の街にという事で市民の方にも色々協力して頂きながらバラをドンドン増やしていっている、本物のバラを。…あとは、鞆の浦で今も作られている〈小瓶を取り出して〉「保命酒」という…「養命酒」のパクリなのではないかとよく言われるが、実はこっちが先で、これを参考にして養命酒が…(残念。もう一回ブランディングしたい?)―そうなんですよ。全国的には広がらなかったが、養命酒と同じで薬用酒という事で。福山の色々な物を持って来た。もし良かったらナイトキャップで飲んで頂ければ。

●幸せ度数年表

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第110坂元大輔

生まれは実は大阪。大阪市の西淀川区という兵庫県と県境になる。父親は大阪市の職員、地方公務員。母親は、西淀川区で母方の実家が和菓子屋をやっていてそれを手伝っていて、三人兄弟の真ん中で姉と弟がいる真ん中に生まれた。(「幸せ度数年表」人生最高のモテ期)―(笑)モテ期が僕は5歳か6歳位で人生最高のモテ期が訪れてしまった↗。その和菓子屋が母方の実家なので、母が僕が小さい頃からお店を手伝っていてそのお店で育てられた…看板息子みたいなかたちだった。駅から店の前を通って、川を越えて女子校があった。その女子校生達に可愛いがられ…可愛かったらしい…母から「昔は可愛かったのに」と今でも言われる(笑)。(中学受験で「幸せ度数年表」上がっている)―↗中学校から奈良にある東大寺学園という進学校に受験をして…(東大生も何人もいる?)―東大生も多い…受かった。男子校。奈良県に大阪から通っていた。(全国から修学旅行に来る)―奈良は観光地なので。(関東の子達は皆修学旅行で行く)―奈良とか京都とか…来られる側。(これ!「幸せ度数年表」↓↓)―そこから劇的な…(受験も成功して可愛がられてモテ期もあったのに、引きこもり不登校)―ここ(中学受験)からの話になるが、中学受験をしたのもそうだが、当時はいわゆる官僚に成りたかった、国家公務員に。親父は地方公務員だった…団塊の世代の人間だが、当時の日本はまだまだ貧しかった。高校までは何とか行かせて貰った…うちの親父は兄弟が多かったが…それで大阪市に公務員として入った。大学を出てから役所に入られた方と高校から入った人とはやはり学歴の差でその後の昇進だったり…(情報化社会の今と違い当時はかなりの格差があった?)―それはすごかった。それは地方公務員に於いても詳しくは聞いてないがあったみたい。親父はそういう事をベラベラ喋る様な人ではなかったが、背中から伝わって来るというか…僕は今でも親父の事をすごく尊敬しているが、これだけ真面目に頑張っている人が評価をなかなかされ辛いというところで、それだったら親父の仇を討つのではないが、自分が頑張って勉強して国家公務員になって親父が出来なかった事をやってやろうという目標というか思いを持って中学受験をして…思春期に入って来て、一つには自分という者がドンドン成長してくる中で、親父の仇を討つ事だけが本当に自分がやりたい事なんだろうかという疑問が湧いてきたというのが一つ。もう一つは1990年代の後半、官僚バッシングが凄かった。(大蔵省の…)―言っていいのかな?ノーパンしゃぶしゃぶ事件とかタクシー居酒屋事件とか…それまで僕は、素晴らしい、国の為に頑張る官僚、国家公務員だと思っていたのが、世間的にと言うか、官僚ってダメだと、世の中から評価されない仕事になってきたというか…(それで引きこもっちゃう?)―それで目標を見失ってしまった。(真面目!普通は大蔵省の役人が悪い事をしたからと引きこもらない)―それが引き金となって…進学校は勉強がハードなので…自分の中でモチベーションというか頑張るエネルギーみたいなものがすごく要るがそれが落ちてしまって、そうすると勉強する意味が分からなくなって、勉強が遅れてくるのもあるし行きたくなくなる。(優等生だから。私なんか分からないところは分からないと言っていたから全然平気)―それがなかなか言えない雰囲気で周りはライバルなので、ライバルからドンドン遅れていくという事も…(厳しい競争社会にいた)―(笑)自分の中では。(この頃は90年代後半?大蔵省役人の事件があった時。中学生だった?私は市会議員だった(笑))―中学生でした。(で二十歳でアメリカへ↗↗。高校はどちらへ?)―高校は結局中退をした。(中丸さんも言っていた。中丸さんは夜間高校を5年間かけて。お父様が蒸発をしてしまいグレてしまった)―そう。広島県で維新の会の代議士は中丸代議士と僕だけだが二人そこで共通項が。どっちもドロップアウトではないが、そういう経験をしているというところでは。(今まで若い代議士というとバリバリの大蔵官僚とかホワイトカラーが多かったがこういう方もいる)―自分で言うのもなんだが非常に珍しいケースだと思う。(役人に可愛がられる)―洗脳されない様に頑張る。(高校出ずにアメリカに行ってしまった)―高校出ずに。色々なきっかけや人とのご縁も頂いて良い恩師にも巡り合って…(アメリカで?)―違います、日本にいる間に。高校をやめた人達が通うフリースクールで非常に良い出会いがあって、当時は目標や夢は見つからなかったが、それに向かって頑張ろうというエネルギーは何とか復活する事が出来た。日本は一回ドロップアウトすると再チャレンジがし辛い…(安倍さんも復活した。アベノミクスで日本も復活したから大丈夫)―この当時はすごくし辛い…(最終学歴は?)―最終学歴はアメリカの大学卒業。(一回ドロップアウトされているから益々共感する)―有難うございます。(帰って来て政治を志すまでは何をしていた?)―政治を志すまでは、まずは民間人の経験をしないでいきなり政治の世界にドップリというのは嫌だったところもあるので、大阪で一般企業、医療系企業にサラリーマンとして3年程就職して働きながら土日とか空いている時間を使って少しずつ政治のお手伝いというか、勉強会とか…(やはりアメリカに行ったという事が大きい?)―アメリカに行って…25で大学を卒業して…留学だが全部向こうだったので…卒業して社会人生活を色々凹んだりしながら色々あって。(その時は日本維新の会はまだ無かった?)―丁度橋下さんが府知事になられた頃。(勉強会の募集されていた頃?)―勉強会はもう少し後になるが、維新の会の若い人が集まって来ていたので、そういう集まりとかにも参加させて貰う様になって、そこからのご縁で2011年の統一地方選挙の大阪の東淀川区で市会議員をされている村上栄二さんの全面的にお手伝いをさせて頂いて、そのご縁で村上さんの秘書になって、そこから維新政治塾に入って立候補した。(市会議員の秘書さんがいきなり国会議員になってしまう、政治の世界では。日本維新の会があったからというのがある?)―それは大きくある。(初当選と結婚は同じ。どなたと?)―今の奥さん(笑)。大阪の秘書時代に知り合って、「立候補する」という事になった時に、大阪ではなく福山市で立候補するという事になった時に、正直「ついていけません」と言われてもしょうがないと思って彼女には話しをしたが、その時に「ついて行きます」と言ってくれたので、これはもう結婚をしようという事になった。(奥様はおいくつ?)―僕より3歳年下なので28。(頑張ってください)―有難うございます。

●最近の政治トピックス

私が力を入れてやっているトピックスで、インターネット投票を是非実現したいと思っている。ネット選挙は一般の方が勘違いで「ネットで投票出来る様になったの?」―とよく聞かれるが…(あれは告示後に自分のホームページやFacebookやTwitterに選挙の事で更新しても良いという事だけで、あたり前の事。96年からそう思っていた。ドンドン更新して警察が来ないかドキドキしていた)―結構最初に取り組まれたお一人ですよね。(そう。選挙の時は警察に聴きに行っても曖昧。だからやっていた)―あそうですか!やっておられた。(毎日更新していたがそれだけノーマークだった。その後10年で変わって来たが、坂本議員はネットで1票を投票出来る様にしたい?)―そうですね。(それは良いと思うが、色々な問題…成りすましや買収とか?)―論点整理をすると、大きく分けて、本人であるという事をどうきちんと担保するのか…投票する本人かどうか…それと、自由な投票を如何に確保するのか…極端な話、ナイフを突きつけながら誰かに入れろと言われてパソコンの前でさせられるという事を如何に防ぐかという、大きく分けてこの二点がある。本人を如何に確認するかというところに関しては、今回「マイナンバー」という事で税に関しては番号が個々人に与えられる様になったが、あれをもっと広げていって強化してやるべきだと思う。話が前後するが世界で唯一やっている国がある…エストニアというバルト三国のうちの一つだが、ここは10年位インターネットでの投票をやっていて、大きな問題無くやっている、10年続いているというのはそういう事だが。それをやっている事によって本人認証がすごく発達している。インターネットをドンドン導入してマイナンバーというか番号を個々人に与えている。日本は本人確認が曖昧な国…基本的には免許証で大人は本人確認するが、免許証は免許する為のものだから、例えば私坂元大輔が坂元大輔だと証明するのを誰が担保しているのかという話になるから、国がちゃんと番号、IDをつけてIDカードを与えるという事をきっちりやれば、それを投票に応用するというかたちで…本人が本人であると担保をエストニアはしている。(日本では送られて来た選挙券を出すだけで…)―本当はその人が本人かどうか、今でもちゃんと確認はしていない。(日本だからうまくいっている)―それもある。そういう意味でも本人認証というのを、国が責任を持って「あなたは坂元大輔ですよ」という証明書を出すべきだと思っている。(自民党の時も民主党の時も思った様に進まなかったが、日本維新の会としてネット投票を進めたいという事か、坂元さんの考えか?)―僕個人の思いが強い。まだ党内でそこまで合意形成が出来ていないが、それを僕が先導役というか進めていきたいと思う。実際去年のインターネット選挙活動解禁の時に所属の委員会だったが、私が将来的にはインターネット投票も検討していくべきだという事を委員会の中で主張させて頂いて、それが付帯決議という…法律に付帯事項として付くものだが、そこには将来的に検討するという事が私が質問した事によって書き加えられている。党としても積極的に動いていける様にこれからしっかりやっていきたいと思っている。(安倍さんなどが勢いあるのでやろうと思えば出来る話)―自民党はなかなか難しいと思うが…(憲法問題よりずっと楽そうだがそんな事はないか)―課題を毎回解決するというところ。(ゲストに日本維新の会が三人続いているが皆すごい。武闘派というか…河野談話撤回に始まり皆強い思いがある)―それは今までの先送りする政治とか、決められない政治とか、責任逃れする政治というのを抜本的に改めようという事でやっているので、ある意味ハッキリした政治をやりたいと思っている。(安倍さんの考えと近いという事で責任野党として嫌な位置ではない)―まぁそうですね…協力出来る部分は協力する相手というか、逆に評価されている部分はあると思う。(秋波を送ってくる感じはある?)―そうですね、衆議院の本会議場での質問でも民主党に対しては自民党側から強烈なヤジが…(結いの党と民主党は聞いていて居たたまれない)―(笑)もちろん内容的に合意出来る事はあると思うが、うちに関しては自民党の皆さん静かに聞いておられる事が多い。(良いポジションにいる。いきなり国家議員になってヤジを飛ばされたら凹んでしまう)―逆に維新としてはそういうポジションで如何に自分達の考え…例えば地方分権とかなかなか安倍政権で進んでいないから、そこを如何に僕らが主導権を握って進めていけるかというところだと思う。(地方分権で、外交、防衛は中央でというのが維新の考え?)―そうです。(そうしないと地方議会も国会議員も皆一緒になってしまって仕事がなかなか進まない)―国が何もかもやる時代ではないと思っている。(河野談話について共産党の質問にあらためて撤回はしないと言われたが、維新の会はどう立ち向かって行くか?)―維新としては、そこはもう主張し続けるというか、ど真ん中真っ直ぐ投げ続けるというか、我々は真っ直ぐやっていきたいと思っている。(もし維新の会が政権を摂って河野談話を撤回したらアメリカなどから邪魔が入るか?)―勿論懸念は示されると思うが内政の問題なので…というか日本の国として主張すべき事はきっちり主張すべき話で、そこはひるまず、というか日本人の誇りをかけたテーマだと思っている。(事実確認さえ進まないが)―ただ「検証はする」と安倍政権は明言されている。(河野談話については共産党と維新の会ではどう違うか?)―維新は当然見直しを求めている。共産党は基本的にあの戦争は日本がおこした色々な事に対しては謝罪と反省をするべきだという、真向から違う。我々としては引き続き見直しを求めていくというところだし、産経新聞では、実はあれはアメリカや韓国に配慮しながらも新たな「安倍談話」を出す事で河野談話を事実上無効化しようという動きなのではないかという方もいらっしゃるので、それなら我々も現実的な戦略として…今まだその段階ではないが…我々は今の段階では見直しを訴えていくが、一歩前へ進むのであれば僕個人としては協力すべきと思っている。(安倍談話で見直しされたら大変…歴史が塗り替えられる)―大変というか…世界的に言うと日本は、言葉を選ばずに言うと「レイプ国家」だと言われているから、それを少しでもその評価を改変していく為にはやっていかなくてはならない事だと思っている。

●今だから言える、あの日のあの出来事

僕が立候補した経緯のところで、僕の人生は5分で変わったという話…僕は維新政治塾出身で、維新塾からこの間の46回衆議院選挙に立候補する方を募集するという事で、応募をして最終面接に至った。実は最終面接で「今回は立候補しません」と言うつもりだった。僕が元々生まれた大阪の選挙区はその時点で既に埋まっていたし、秘書をやらせて頂いていた村上栄二大阪市議が、実は広島県福山市の出身でそのご縁で私も福山市に結構出入りをしていて、人のご縁とか色々な繋がりもあったので、もし可能性に賭けるのであれば福山市、広島7区かと思っていたが、実は事前情報で広島7区も既に維新から別の方が立候補されるという事が決まっていた。なので「今回は立候補しません」と最終面接で伝えるつもりで面接会場に向かったが、5分前に僕の前に広島7区から立候補を表明しておられた方が止められた。(なんで止めた?)―女性の方だったが、最終的には旦那さんの理解が得られなかったみたいな…ちょっと分からないが。あの時は激動で、「維新が凄く勢いがあるのではないか」、「無くなるのではないか」と色々な評価があって、その方も本当に選挙で戦えるのかと悩まれた部分もあったとは思う。とにかく僕の面接の5分前にその方が止められて…僕はもうお断りするつもりで面接会場に入ったら「坂元君、福山市が空いたんだけど」という風に言われた。(止めようと思ったのはちょっと納得できない。わざわざ面接までして…)―やはりこれから政治をやっていく…国会議員なので何処から出てもというのはその通りだが、自分が何某かご縁がある土地というか、それは愛着愛情も含めて…だから出たいという思いが強かったので。(地元も埋まっていたし他には縁が無かったから?)―そうですね。…というかたちだったが5分で。(それはご縁だった)―その瞬間に「これは行けという事だな」と思い…普通は党から公認書と選挙資金を頂けるが、僕らは自腹を切って…維新はお金が無かったので…自腹を切って100万円党に払って…(余計なお世話だが最初から出して貰うのではろくな議員にならない…リーフレット1枚でも自分のお金だともったいない)―ある意味自分の身を切る事でより政治に対して思いも強くなったし覚悟も固まったところも正直ある。(橋下さんも厳しい事を言うと思ったが結局それがこういう議員さんの為にかえってくる。最初は無いところから出すのはきつい)―きつい。(いくら位かかった?)―僕は色々な方に助けて頂いて、供託金とか党に払った100万は除いて選挙自体は150万位でやり切った、実は。(地方議員より安い!)―でも本当に街宣車も借りて来たりとか、事務所も無償ではないがちょっとだけで提供して頂いたりとか、本当に色々な方に助けて頂いた。(ポスターとか立て替えるのも後払いにしたり?)―そこも知り合いが印刷会社をやっていたりしたのでそこでお願いさせて貰ったり。(それは自民党の古参議員さん恨む)―(笑)(桁が二つ位違う?二つはオーバー?でも一つは違う?)―違いますね。(今までのゲストでは150万までではなくてもそんなにお金をかけて選挙をやる方はいない感じ)―大分変って来たと思う、そういう意味では。(となるとどんな人がお金を使っているのか)―(笑)(そうは言っても冠婚葬祭など今の方がお金がかかっている?)―それは今の方がお金はかかっている、勿論。(呼ばれたら断れない)―そうですね。(次の選挙は広島7区から?)―はい。(どれ位の差だった?)―自民党の方とは訳5万票位開いている。(坂元大輔というのがまだ浸透していなかった)―実質三週間しか無かったので。僕が公認が決まってから…福山市に出入りはしていたが…本格的に入って投票日まで本当に三週間しか無かった。本当に期待して頂いたという事で期待を裏切らない様に頑張りたいと思う。

●質問コーナー

Q:道州制という事で、例えば沖縄の首長が独立する様な考えがあった場合 など、国益に反する事があった
り、そういう懸念に対してどう考えるか。
A:道州という風に表現するとアメリカの様な合州国というかたちを皆さん イメージされるが、日本におけ
道州制は全く違うと思っている。アメリカは合州国という名前の通り一つ 一つの州、ステイトが国だと、それの連合体なんだという考え方だが、日 本はそうではなくて日本という一つの国の中で、地方自治体で出来る事を ドンドンやっていってもらおうという分権の流れの中での道州制だと思っ ている。独立とか主権に関わる事に関しては、そういった動きが出ない様 な制度を作らないといけないと思っている。そこは全くブレてないので大 丈夫。
Q:25歳の頃から政治を志していたとの事で、その頃は維新が無かったが 自分の考えが近い政党はその当時からあったか。
A:その当時は特に無かった。僕が政治を志した直接のきっかけというの  は、当時アメリカに居て、オバマ大統領の最初の選挙を…僕は勿論投票権 は無かったが…間近で体験したという事だった。ご存知かも知れないが、 あの時の選挙というのは、オバマさんは最初は泡沫とまでは言われないが 勝てる訳が無いと言われていた。当時はヒラリー・クリントンさんが絶対 的な本命で、オバマさんは若過ぎるし、何よりも黒人系だという事でなれ る訳が無いと言われていた。そういう中で、勿論彼のカリスマ性もある  が、若い人…今まで政治にタッチして来なかった20代とか30代とかの 若い方が、当時広まり出したFacebookとかを使いながら、当時のアメリカ はブッシュ政権でイラク戦争をやって停滞していたので、自分達が、若い 力が動く事でこれまでの停滞していたアメリカを変えるのだと、まさに  「チェンジ」するのだという事で若い人がガッと動いた。で、本当に大逆 転でオバマ大統領が当選して…その時に政治の力を感じた。政治はやり方 によっては、若い人が新たな社会を作る良いきっかけになるのではないか と思って、僕が日本のオバマになろうとは当時はそこまでは思えなかった が、少なくともそういう運動は日本でやりたいと思った。そういう中で日 本に帰って来た時に橋下府知事が登場して若い人が大阪に集まって来た、 政治の世界に。これは近いものがあるなという風に思って、この運動とい うか流れの中に自分も協力したいなという事で維新の会に関わっていった というかたち。
(日本維新の会が無かったら何処にいたのか?)―少なくとも今バッヂは付 けていないと思う。

●その他

(永田町の雰囲気はどんな感じ?独特?)―独特ですね。世の中の流れからは相当遅れているなという気持ちはする。さっき言ったインターネットの活用についてもまだまだ考え方が古いし…(こないだ来た先生も仰っていたが毎日沢山の紙が来る)―いっぱい来ます。全部紙文化なので。(あれをiPadか何かで…)―大阪は実は橋下さんというか維新になってそれをやっている、既に。資料を全部iPadで見られる様にして。(一回帰らなくても良いし、秘書さんではなく本人が見られる)―そうなんです。(それじゃ困る先生もいらっしゃる(笑))―(笑)。