城内 実
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第4回
2011年10月26日 放送

自民党 城内 実 衆議院議員

(動画より文字おこし)

無所属 静岡7区 2期目(2011年10月26日収録時点)

[ご無沙汰しております。前回の、「USTREAM」じゃない時に「みわちゃんねる」に出ていただいたのが2008年くらい。確か落選中に来ていただいた]―落選していたにもかかわらず、例外的に取り上げていただいて、かなりの反響がありました。有難うございます。[歴代の「みわちゃんねる」の中で、一番アクセス数が多かったです]―本当ですか?有難うございます。[そして今は議員バッジをつけて、この番組に復活]―実は、今は議員バッジをつけていなくて。日独修好150周年記念で、今ドイツ大統領が来ていらっしゃるので、そういったこともあって日・独のバッジをつけています。[ドイツには縁があるんですよね]―そうですね。子供の頃5年、そして外務省に入りましてから5年、併せて約10年間生活しましたので、私にとって第二の故郷でもあります。

●幸せ度数年表

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―私って大体基本的に、常に幸せなんです、楽天家ですから。落選すると確かに落ち込むんですね、明日どうやって生活しようって。でも何とかなるんですね~。地元の皆さんが「大変だから、ボランティアで手伝うよ」とか、あるいはお米やお魚やお肉とかも…実は落選中のほうが食生活が充実していて。これ、本当の話なんですよ。当選すると、やっぱりそういうのは減ってきましたね(笑)。[生まれた時は(幸せ度数が)100%で。警察庁長官のご子息なんですよね]―実は、受精した瞬間は広島なんですね(笑)。父が、広島県警の暴力団担当課長で、当時「仁義なき戦い」(広島抗争)があって、広島で出産すると危ない、というので、生まれる時だけ母の実家のある東京で生まれて。数ヶ月してまた広島に戻って3歳までいたんです。そのあと東京に父が転勤になりまして…。[この(幸せ度数が)下がっているところが転勤?]―いや、これは東京で小児ぜんそくになったの、多分空気が悪くて。ガリガリでね。夜、発作で咳が出て「苦しい。オレこのまま死んじゃうのかな」って4歳ぐらいに思っていましたね。ところが、また父の転勤で、幼稚園を卒業する直前にドイツに行って。1974年の西ドイツのワールドカップ。観に行きませんでしたけど大変盛り上がってまして、当時サッカー少年だったので、ドイツで過ごした4年半のカルチャーショックは…。[どんな感じ?]―外国人の群れの中に、ひとり飛び込んで戦っている侍…というとカッコいいですけど。現地校に通わずにドイツ人ばかりの学校に行ったんですが、まあやっぱりある意味苛められるんですね。支那人(中国人)、支那人って言われるんです。日本と中国、韓国は違うんですよ、と言っても、ドイツの小学生ですからわからないんですよ、みんな一緒。[私たちも、ヨーロッパ人見てもわからないです]―わからないでしょ?それと一緒。そんな中で揉まれて、非常にいい経験をしました。[どれくらいでドイツの言葉を喋れるようになったんですか?]―「郷に入れば郷に従え」で、半年で何となく会話が出来るようになりましたね。自分なりに努力してドイツ語をだんだん話せるようになって、気が付いたらドイツ人の小学生の勉強ができない子に、私がドイツ語を教えてた(笑)。[すごいじゃないですか。やっぱり優秀なんですね]―いやいや。あまり勉強しなかったんですけど、サッカーばっかりで。ところがすごい不幸なことが起きて…日本に帰ってきたら、漢字が読めなかった!これで落ち込んで。[いつ帰られたんですか?]―小学校4年生の2学期。漢字の読めない小学生だったので、私もそこで意を決して、朝6時に起きて、漢字を一・二・三から毎日1時間勉強して。3ヶ月経ったらいつのまにか小学校6年のを全部覚えちゃって、気が付いたら他の子よりも漢字に詳しくなっていました。[ご家庭は厳しかった?]―あまり勉強しろとは言われませんでしたけど…[礼儀とか]―うるさかったですね。[ご兄弟はいらっしゃるんですか?]―姉が一人おります。[そして、高校…ですよね]―高校は何校か受けて…まず中学受験で失敗して、高校は第一志望に行けなくて第二志望に行って、大学も浪人して、外務省も二次試験で落ちて。そういうことで言うと、受験や就職活動は1勝2敗の人生をずっと送ってきました。結婚は、幸いまだ一回で(笑)。[今日、城内さんの高校時代の知り合いの方に会ったら、苛められたって言ってましたよ]―僕がでしょ?[ううん、城内さんに苛められたって]―私は何をかくそう、苛められている人がいたら助けに行く…いや、ほんと。中学とか荒れていましたから、苛められっ子が苛められていた時に「そんな卑怯なことしちゃ駄目だよ」と言って取り囲まれたことがありますからね。「うわ、恐え~な」と思うんですけど、昔からそういうところは「オレがやらなければ誰がやる」って。多分、父がめちゃくちゃ正義感が強いから。だから国会議員大嫌いですね、親父は。国会議員は逮捕する対象ですから。法律をちょろまかして悪いことをやってる、と。国会議員と暴力団を同じように見ていますね。取締りの対象です。[そして、結婚されて]―結婚して子供も生まれてもっと幸せになって、それで外務省を辞めて当選して更に幸せになって。ところが郵政選挙で…。[城内実さんが一躍有名になった選挙]―有名になるのはいいけど落選しました。[郵政解散、ということで、地元ではどういう感じだったんですか?]―やっぱり賛否両論でね。最初は「なかなか城内は骨があるな」と言ってた人も、あの短い映像を何回も何回も放送すると、「城内実は何回言われても言う事を聞かない、非常に頑固な抵抗勢力」というイメージが広がってきて。最初は「骨があるヤツだ」と評価した人が、「お前、何回も安倍さんに言われて、何で言う事聞かないんだよ」って。言われたの一回だけなのに(苦笑)。[自分の歩んできた人生の中で、最大の決断だったんじゃないですか?]―それは、女房と結婚した時が最大の決断です。いや冗談です(笑)、外務省を辞めて国会議員になるか、という時が最大の決断でした。私は1勝2敗の人生でしたから、最初は落選するかな、と思ったけどまぐれで当選できたので、落選した時も「まあこんなこともあるかな」と。みんな、城内実って順風満帆な人生を送ってきた人間って思ってる。[はい。東大の教養学部でしたっけ]―そうです。でも大学も浪人しているし、いきなりドイツに行ったり。波乱万丈で、日本語喋ってたのにいきなりドイツに行って、帰ってきたら漢字が書けなくて。更に大変厳しい父でしたから、今が一番幸せですね。[(落選中の)この4年間でよくおっしゃってたのが、日本一強い小選挙区の地盤だ、と]―やっぱり、選挙は勝ってナンボ、ですね。[そう思いましたか。いつそう思った?]―落選してから。やっぱりなめてたな、と思って。748票差、というのは、多分神様が「城内、お前をこのまま当選させると調子にのって駄目な人間になる。反省しろ」と。もう党を追い出されているわけだから、逆に自分で党の組織よりも強力な組織を作って、日本一地盤の強い選挙区にしよう、と思って。[でもその時は4年間選挙がなかった、解散がなくて。麻生さん、ずっと引っ張ったし]―いや、もう辛かった。あの時、麻生総理は解散すると思ったんですよ。私だけじゃなくてみんな衆議院議員が事務所つくって準備してて、「やるぞ!あと1ヶ月で選挙だ!」ってテンション上げてたら、ズルズル、とだんだん…。テンションが下がってくるのを上げるの大変なんですよ。で、最後の麻生政権の1年は、懲役20年で刑務所から出るのをひたすら待っている、という感じで。[最初のうちは「落選した」とワ―ッとマスコミが来ても、だんだん取り上げなくなってくる。それもまた虚しい]―あの時は私も迷ったんです。こんなみっともない姿を晒していいのかどうか、と。女房にも反対されました。でもそれでも「どういう人間か見てもらおうじゃないか」と。[すごい、啖呵きってますね(笑)]―結構喧嘩っ早いんです(笑)。で、徹底的に取材に応じて。風呂場まで取材に来ましたね、私が裸で冷水をかぶっているところ。[2009年の選挙では、ダブルスコア以上で受かった]―これは私の力じゃなくて、みんなの力。有権者の皆さん、支援者の皆さん、本当に盛り上がりましたね。私はただ乗っかってるだけ、という感じでした。[城内実さんの中で、2009年は忘れられない選挙でしたね]―でも私はやっぱり落選した選挙が忘れられないですね。あの悔しさはやっぱりね…そこで自分が反省したり。[今は無所属。当然自民党からラブコールはあった?]―「早く戻ってきてください」と、私みたいな吹けば飛ぶような無所属議員に声をかけて頂いているので…。民主党政権が非常に左派的で、特に外交や国防が、私から見るとめちゃくちゃなんですよ。官僚に使われる国会議員じゃ駄目ですけど、うまく使いこなして知識や経験、アドバイスを受けて、責任は政治家がとる、と。[今後はどうされるんですか?]―いい質問ですね。今は無所属ですけど、安倍晋三先生のグループに近い立場で…。「保守」という言葉を使うのも古いですが、まあ後でTPPの話もしますけども、やっぱり日本の国益をしっかり守る人たちと一緒にやりたい。自民党にも民主党にもいるんですね。だからそういった方々を糾合して、100人、200人、300人、政権与党として成り立つような、しっかりと大きな形にしたいです。[じゃあ、何か動きがあるのかしら?政局的な]―そういうのを模索してる、と言った方がいいんじゃないですかね。[楽しみですね]

 

●最近の政治トピックス

 

[先程、TPPとおっしゃっていましたね]―私は自由貿易主義者ですから。貿易は基本的に自由にやる、できるだけ関税はかけない。ただし、どの国にも戦略的に重要な、これから成長する分野があるわけですから、そういう時にはある程度守らなければならない。限定的に関税をかけるのはどの国でもやっていることですから。TPPにしても、日本の国益に資するかどうか。国益って何かというと、国民が、自分たちが汗水たらして働く環境を維持する、そして働いた分をどこかの国に搾取されないようにする。TPPというのは、聞こえはいいですけど結局は農業だけじゃないんですよ。誰がルールを決めるか。私たち日本人の国柄に合った、歴史と伝統に根ざしたやり方でやらせてもらいます、と言って通るんだったら私は参加すべきだと思います。通るわけないんですね、何故かと言うとアメリカがいるから。[途中でやめたらいいんじゃないですか?]―よく言われました。郵政民営化の時も「とにかくやってみて、駄目だったら引き返そう」と。そんなこと簡単にできるわけないんです。[駄目なんですか?]―駄目ですね。私も外務省にいましたけど、アメリカは、日本に戦争で勝った国ですから、対等に日本のルールを採用させていただきます、ということにはならない。日本とアメリカを比べて、(日本が)農業をやっていけるか、というと…もしTPPで自由化したら、片手間でやっている、いわゆる兼業農家や零細農家はやっていけます、他に仕事があるから。しかし「いいものを作って世界に発信するぞ」というやる気のある農家は勝てません。何故勝てないと思います?[わからないです]―日本よりも何百倍も大規模に、ヘリコプターで農薬を撒いたり、低賃金で(労働者を)雇ったりしている国に、日本人のようにコツコツ手塩にかけて作っているのでは、価格的に勝てるわけがないんです。国の規模も違いますし。私は、日本にとって、米を守るという事は日本の国土を守る、延いては皇室を守ることだと、ここ4~5年勉強しているうちに確信に至りました。天皇陛下も御田植をやっておられるので、僭越ながら私も4年ぐらい前から毎年自分で田植えをしています。[TPPは慎重派ということ?]―はっきり言うと慎重派です。[TPPはこれから採決とかあるんですか?]―ASEANに向けて野田総理が非常に前向きですので。民主党の中にも反対論者が多いんですね、自民党でも割れていますけども。何となく賛成と、とりあえず反対という人も多いんです。だから一概に賛成だから、反対だから、というのも…。確実に言えることは、TPPの中身をしっかり勉強すると同時に、テレビや新聞の情報は一面的で偏っていることが多いですから、インターネットの情報も加味しながら情報を集めることが(大切)。[私たち国民も勉強しなくちゃいけない?]―まあ、でもねえ…。[勉強しようがないですよね。大手メディアと新聞しかない。あとは国会議員に聞くとか]―そうですね…。だから我々ももっと一生懸命発信しないといけないんですけどね。[で、すぐに忘れちゃうのが私たちの悪いところ]―そうなんですよね。私は歴史に学ぶべきだと思うんです。今こんなに景気が悪いのに増税しようとしているわけですが、戦前で言えば、井上財政か高橋財政か、要するに緊縮か積極かだったんですが、やっぱりあの時は高橋財政が正しかった。アメリカも金融恐慌のあとにニューディール政策で積極的に公共事業をやって景気を回復させた。私は増税賛成なんですよ。増税をやるタイミングは、景気が過熱してインフレの時。税金を上げて税収を増やすチャンスなんです。ですから景気の悪い時に増税するというのは、愚の骨頂です。景気の悪い時はちまちませずに思い切って積極財政をする。逆なんですよね、景気が良くなると増税する勇気ってなかなかないんです。今は増税しない勇気、積極財政をする勇気。私、大蔵省(財務省)は詐欺みたいだと思ってるんです。だって、借金、借金って財政赤字だけで、資産はいくらあるのか教えてくれない。なぜ教えてくれないか。とれるだけとってなるべく使わせないようにするのが、彼らの使命。税収が増えれば権限が増えますから。私の事務所の会計責任者である女房にも「もっと働け~、働け~」って言われてるんです。[今回ギャラないんで、ごめんなさいね(笑)]

 

●今だから言える、あの日のあの出来事

 

―私は基本的に何でもオープンにする性格なので、あんまり「今だから言える」というのは…[もうその時に言っちゃってるわけですね]―言っちゃってること多いですね(笑)。プライベートなことで言えば…平成14年、西暦2002年。外務省を辞めたんですね。[「決断の時」ですね]―決断の時。(選挙の)相手が、熊谷弘さんという民主党の大物で、とても勝てるような選挙じゃなかったんですけども、「この国を何とかしなきゃいけない」という変な正義感と思いで14年務めた外務省を辞めて、女房に「今日辞表を出してきた」と。[でもその前に奥さまには話してたでしょ?]―ううん、言うの忘れちゃったんですよ。[えー!?またぁ]―いやいや、ほんとに。真面目にしていなかった。子供が年子で1歳と0歳で、乳飲み子を2人抱えてて、何も言わずに家を出て行ってしまいました。荷物まとめて。[奥さんはどちらの方?]―女房の実家が練馬区に。私は築40年の、赤坂の近くの公務員住宅に住んでいたんです。まあ女房はいいとしても子供に会いたいから子供を取り返したいな、と思ったんだけど、向こうの親も会わせてくれなくて。あの時は本当に、このままいくと離婚だな、と思ったんですが、得意の口八丁手八丁で女房に「まぁそう言わずに。騙されたと思って」って言って騙しながらですね(笑)。「浜松っていい所だよ。子育てするのに最高だよ」と。その年の11月3日の「文化の日」の前後2泊ぐらいで、選挙区を隅から隅まで一緒に回って。私の女房はあまり…外交官夫人はやだな、っていうタイプで、パーティーに出たりというのはあまり得意じゃないんです。[「パーティーピープル」じゃない]―違うんです。そういう意味では、私が言うのもなんですが、選挙に出る人の奥さんとしては最高ですね。というのは、票の半分以上は、実は私ではなくて女房が稼いでいるんですよ。そういうこともあって、離婚の危機だったんですがうまく説得して…[本当に危機だったんですか?]―本当に危機だったんです、本当にあの時は「まずいな~」と思いました。

 

●質問コーナー

 

Q : 奥様へのプロポーズは何て言ったんですか?

A : 私は昔気質の人間なんで、プロポーズっていうのが出来ないんですよね。何となくグイっと引っ張った記憶はあるんですが…。まあ、あえて言えば「公務員宿舎に一緒に住まないか」みたいな、そんなことを言ったような記憶が。[(爆笑)あまり女性としては嬉しくないですよね、官舎に住まないか、っていうのはね]

 

Q : 外務省出身者って、TPP支持じゃないんですか?

 

A : 外務省出身だと、どうしてもTPP支持になりますね。やっぱりそれは外国とうまくやりたいから。外務省の方々のおっしゃっていることもその通りなんですが、農業もあるし医療も福祉もあるし、末端の、2次、3次、4次の小さな会社の雇用も考えると、やっぱり慎重であるべきだと思うんです。

 

Q : 「ジャパニーズ・スタンダード」は、国際的には通用しないのでは?

 

A : そんなことないですよ。「ヨーロピアン・スタンダード」とアメリカが称する「グローバル・スタンダード」と「ジャパニーズ・スタンダード」ってありますけど、折衷してひとつの新しいスタンダードを作ってもいいですし、私は「ヨーロピアン・スタンダード」と「ジャパニーズ・スタンダード」は似ていると思うんです、歴史と伝統がありますから。コミュニティを大事にするところとかね。

 

Q : 片山さつき議員は好きですか?

 

A : なかなか頭が良くて、ある意味では魅力的な方ですよね。[ずっとドンパチされてましたからね(笑)]―非常におっしゃることもはっきりしているし、参議院議員として国会で色んな質問されているのを見て「いい質問するな」と。[今は同志ですものね]―多分、考え方とかも近いんじゃないですか?

 

●今後の政治に対する意気込み

 

―私はどちらかというと保守なんです。憲法は改正すべきだと思いますし、在日外国人の参政権だとか領土問題…日本が真の意味での独立国として、国際社会の中で尊敬されるようになりたい。そして何と言っても日本の国柄、皇室ですね。天孫降臨以来、皇室の存在というのは、見えないところで日本人の魂の中に息づいている、という事に気が付いたのが、落選して初めてお伊勢参りしたときです。政治ってまつりごとですから、そういった国柄とか日本の歴史と伝統文化に触れて、そこから日本をどうしようか、と…。私がTPPに反対しているのは、日本の田園風景を守りたい、コツコツ頑張っている中小企業の社長さんや社員さん、汗水たらして働いている、油にまみれて、泥にまみれて働いている人たちの職場を守りたいから。これは日本共産党や社民党だって同じなんです。保守、リベラルを超えた、本当の日本の国柄に合った新しくて古い、古くて新しい政治の流れを作っていきたい。そういう思いでおりますので、意気込みとしては同志を募って…。やっぱりいますね、少ないけど。[永田町に]―いますね、こういう事を言ってわかる人が。自民党にも民主党にも、あるいは国民新党の森田高さんとかいますから、日本はまだまだ捨てたもんじゃないな、と思いましたね。[そういうのも、今は地盤がお強いですから言えることですものね]―強いかどうかは…。地盤というのはちょっと努力を怠ると、すぐに倒れちゃいますから。[日々の努力が実って、今またこうやってお会いできて、本当に光栄です]―はい。[平沢(勝栄)先生の息子さんの家庭教師だった]―そうです、私は息子さんの家庭教師でした。[城内実さんに教えてもらってから、息子さんの成績が大変悪くなった(爆笑)それ、どういう事なんですか?]―僕なりに色々教えたんですけど、私の教える能力が足りなくて…(苦笑)。中学受験に失敗しちゃってね。でもそのあとお医者さんになりましたから。良かったんじゃないですか?[お医者さんなんですか!]―平沢先生の息子さん達二人ともお医者さんなんですけど、そちらのほうが年収がいい、って言っていましたね。[お父様より?]―そう。だから僕、家庭教師をした息子さんにパーティー券を買ってもらいました(笑)。

 

●質問コーナー

 

Q : 解散総選挙は何時ごろになりそうですか?

 

A : 理想を言えば、早く民主党政権を追い込んで解散して、そしてまたガラガラポンで政界再編が出来ればいいんですが、おそらくズルズルと民主党の目論見で、再来年の衆・参、そして都議会のトリプル選挙まで引っ張っていくんじゃないのかなあ、と。[でもこの間受かったばかりなのに、嫌ですよね]―いや、私は早く選挙してほしい。落選している同志が…私は萩生田光一さんと同期なんですけど、私が最も日本の総理になると思っている人なんです。ああいう人に復活してほしいんですよ。早く同志と一緒にやりたいじゃないですか。同志を救わないと…。僕はね、自民党の幹部で大連立なんて言っている人は、何を考えているのかと思う。そういう同志を置き去りにして。そう思いません?おかしいですよ。野党になったら歯を食いしばって、政権を倒して、また復活するように努力して同志を助ける、というのが日本人の心意気じゃないですか?私はそう思います。(拍手)