大塚 拓
ac12
第63回
2013年02月20日 放送

自民党 大塚 拓 衆議院議員

(動画より文字おこし)

自民党(埼玉9区)2期目(2013年2月20日収録時点)

[ご無沙汰しております。昔の「みわちゃんねる」、2007年の第51回に、福田良彦さんのご紹介で出て頂いて]―あ~、そうだった。[福田良彦さんは今、どこかの市長さん…]―岩国の市長さんになりましたね。ちなみに私、誕生日が一緒なはず。[そしてその後、越智隆雄さんを紹介する、という、そういう流れに]―…前回も。[今回もそうなんですか(笑)]―自然体で考えたら越智さんになっちゃって。[因みに54回は丸川珠代さん、今の奥様が出ているんです]―どういう経路で?[大塚さんから越智(隆雄)さん、石原宏高さん、丸川(珠代)さんに]―なるほど。興味深い。[まさかあの二人が、って(笑)。その後週刊誌で大変ですね]―大変でした(苦笑)。2007年、(丸川が)当選してすぐですね。[初当選されてすぐに。新人だから断れなくて出てしまったという(笑)。]

●幸せ度数年表

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大塚拓

[1973年生まれ、39歳?]―ぎりぎり30代。[超青年代議士、しかも御曹司]―御曹司じゃないけど(苦笑)。[でも結構有名なシューズメーカー]―まぁ、父方の実家は。[商人のエリートコースということで、慶應幼稚舎]―うん、あんまり売り出したくないところを触れて頂いて(笑)。[(笑)。でも一般人にとっては、幼稚舎ってすごい]―いい学校でしたよ。ただ博打みたいなところがあって。受験がなくて、その人のキャラクター、個性を重んじるところがあるので、うまくいけば良い方向にいくけど、失敗すればもうどうにもならない。[ドロップアウトしちゃう?]―結構ありますね。[優秀ですよね、その後三菱銀行に入行された]―危なかったんですよ、一時。[…コネで?]―違うってば、そうじゃないから!(笑)。僕もドロップアウトの危機になったことが。高校のときに。[バンド活動したとか]―バンドじゃないけど、音楽系です。クラシック音楽。[入行される前に留学を?]―東京三菱銀行に入って6年間勤めて、ちょうど担当していたプロジェクトのきりがついたところで、英語の勉強も追い付いてきたし、留学をしたんです。会社を辞めて、自費で。[ケネディスクールに入られた。ケネディスクールって?]―ハーバード大学の大学院で、ビジネススクールとかロウスクールとか色々あるうちの、政治行政の大学院が「ケネディ行政大学院」。[その頃から政治家を目指していた]―そうですね、大学の途中から。[実業のほうには行こうと思わなかった?]―大学に入った当初は、実業のほうである程度成果を出してから(政治に)行こうと思っていたけど、なかなか思い通りにいかないときはいかないもので。[三菱銀行に入行されたときはどこの支店?]―本部の配属。[何担当?]―最初は何を担当してたかな…調査みたいなこととか、あとは…。ちょうど部署の再編が色々あって、合併で部門の名前が変わったりしてたので。[大塚さんは憶えてないかもしれないけど、今の三菱東京UFJの方は、大塚さんをご存じの方多いですよ]―そうですか。かつての上司の方も資料を持って行ってくれて、机に飾って下さったり。有難いことです。[初当選が32歳。早い、青年代議士ですね]―留学終わってすぐなんです。[小泉内閣の時の急な出馬だったので、比例で最後のほうに名前を連ねて…]―これも話すと色々ある。選挙区取るのも色々大変で。競争もあるし、どなたが後押ししてくれるか、とか、後押ししてくれてる方と他の方の力関係とか色々あるわけです。最初はコネも何もなかったので、留学しながら一生懸命ネットワーク作りをしてた。[大塚さんでもコネないんですか?]―ないない、全く政界には縁がなかったので。ですから色々な議員の先生と話をして引っ張ってもらったりアドバイスを頂いたりしていたら、あっという間に解散になったわけです。そもそも、ハーバードが終わったら1年ヨーロッパに行くつもりだった。[留学する予定だった]―行き先もフランスのビジネススクールに決まっていた。いい学校なんです。アメリカだけだとバランス悪いな、と。キャンパスがシンガポールにもあったので、半年ずつヨーロッパとシンガポールでバランスをとりたいな、と思っていたけど、それも叶わずいきなりの選挙で。これを逃すとあとはチャンスがなさそうだ、と、パッと手を挙げて飛び込んで。飛び込んだんだけど、選挙区は取れなくて比例であがった、と。[まさかご自身も当選されるとは思っていなかった]―そうですね、まさか、しかもこのタイミングで、とは思っていなかった。[そして2005年に初当選。結婚したのは2008年?2009年?]―…えー、2008年。[驚いて週刊誌買いました]―またその時も文春に追っかけ回されてね…タクシーで一生懸命逃げているのに信号無視して追いかけてきて、ひどい騒ぎに(苦笑)。[小泉純一郎さんは仲人?]―来賓で来て頂いて。仲人はトヨタの奥田さんにお願いしました。[そして、まさかの2009年落選]―まあ、そうですね。[その頃今の埼玉9区と決まっていた?]―結局色々な経緯を経て、ちょうど私の前任の大野代議士が引退されることになって、「あとをどうだ」ということで、今の埼玉9区に2009年の大逆風の選挙で初挑戦、ということになったんです。[埼玉9区というのは]―飯能市、狭山市、入間市、日高市、毛呂山町、越生町。[その辺のゴルフ場へ行くと、大塚拓さんのポスターを30回くらい見ます(笑)]―よく言われます、ゴルフ銀座、みたいな(笑)。私自身はあまりゴルフをやらないけど、地元にゴルフ場が多いのでゴルフのコンペが多い。そうするとパーティーでご挨拶だけしてゴルフはせずじまい、というのが多いですね。[色が白い、ゴルフしない肌してますよ]―そうですか?色白なの、もともと(笑)。[そして、待望の赤ちゃんが生まれた]―そうです、去年。[フェイスブック、アップされてすぐ見ました]―よく見てますね(笑)。[すごいかわいいですね]―かわいいでしょ?パパそっくりだから(笑)。病院で看護師さんに「お父様そっくりで」と言われて、おべんちゃらかもしれないので、自分の赤ちゃんの時の写真をたくさん出して見たんですよ。おんなじ顔してる(笑)。[丸川さんのいい所とか、これからだんだん出てくるんでしょうね、順番に]―まあ、パパに似たままだろうな。[そうですか、そういうことにしておきましょう(笑)]―はい(笑)。[落選中は?去年生まれたから、ハウスハズバンドに徹することはできない]―できない。だって落選中は大変ですよ、一応幸せ度数は100にはなってるけど。幸せは感じ方次第だし、あとから振り返ればそれも幸せのうちだということで全部100にしてるわけだけど、やっぱり落選中はお金も厳しいし、事務所は維持しなければいけないし。[党からお金が出たのでは?]―また、これがねえ、もう…。[毎月10万くらい減った]―そんな減り方じゃない。[自民党もっと減ったんですか。補填しないといけない]―そう、大変でしたよ。地元で有権者と接する機会はとらないといけないし、あらゆるイベントとか集会とか。[落選中は何が大変だった?お金と、モチベーション?]―絶対辞める気はなかったので、石にかじりついても、という意味ではモチベーションは大丈夫だったけど、何が虚しくなるって、民主党のあのマニフェストでその選挙で、っていうのはね。結構がっくりくる。[2009年に民主党が大勝したときのマニフェストをもって今があるのが嫌だった]―2009年の選挙をやっている最中から、こっちから見れば「こんなの有り得ない」というのがわかっている。子ども手当とか全体の財源の問題だとか。どう見てもおかしいけど、腹くくって言い張っているな、というのがわかる。けれども、それがいい、ということに世の中がなっちゃうわけでしょ?ものすごい熱意に燃えてやっている親しい外交官の友人が、「こういう政権の出来方で、自分は何のために働いているのかわからなくなってきた」と。彼だけではなく、似たようなことを言っていた人がいっぱいいましたから。そういう意味でモチベーションを維持するのは大変だったかもしれない。

●最近の政治トピックス

[昨年の12月の選挙で復活されて、現在は予算委員会の委員ということで、衆議院の予算委員会で毎日のように(テレビに)映っていた]―席が五十音順なので、ちょうど質問者の顔の真横に私の顔が来る位置で。結構辛いこともある(笑)。[わかります(笑)、ずっとですから]―また今回は選挙が終わってから全く休みなしでみんな走り続けてきているので。25年度の予算も、本来だったら去年の夏から12月ぐらいまででやる、税制改正もそう。それを選挙が終わってからの1か月で全部議論をまとめようとしているところに補正予算が入って、と。国会も1か月遅れで始まっているからものすごいタイトな中で、選挙の後の色々なこともあり新年会シーズンでもあり、疲れも溜まりに溜まっているわけです。今、国対副委員長をやっていて、国会がちゃんと運営できるようにする役割なんですけど、まさかテレビの映りの良い席で寝る訳にいかない、という責任感がますます疲れを助長して(笑)、3時か4時くらいになるとやっぱり…。[またずっと映っているんですよ、気の毒なくらい(笑)]―少し下向いて動かないと、事務所に電話が入るみたい。地元のどなたかが「おい、拓ちゃん寝てるぞ」って。寝ちゃいけないと思って難しい顔をしてると、党本部に「なんだ、あの偉そうな奴は」って入ったり(笑)。[今回の予算委員会を振り返って何かトピックスはあった?]―とにかく一日でも成立を遅らせようという一部野党がねえ…。補正予算、すごい急いでいるわけです。経済的にも厳しい中だったから急いで成立させなきゃいけない。しかも補正予算の事業の中には学校の耐震化も入ってて、先々やろうと思ったものを前倒しでやろうと。前倒しでやるには春休み中に工事しなければならない。[間に合わない]―そう。一日も早く、と思っているのに、とにかく一日でも遅らせてやれ、みたいに…。大迷惑ですよ。総理が22日(配信日と同月の)から訪米するので、何とか21日までに成立させたかった。それが逆の立場の方々は何としても21日に成立しないようにしようと。そうすると総理がアメリカに行っちゃうので5日遅れてしまう。[自民党も野党時代はそんな戦術をされてたのかな…と]―どうでしょうね、事情によりけりだろうと思います。[予算委員会で安倍さん、麻生大臣はすごく張り切っていますね]―張り切ってますね。ご本人も予算委員会の答弁でおっしゃっていましたが、一回目(第一次安倍政権)の時は肩に力が入りすぎていた、と。それを予算委員会で言える、ということ自体が、肩の力も随分抜けてるわけだし、総理に限らず与党全体舞い上がった感じもない。「勝った!」という高揚感もないし、とにかく着々と仕事を進めなきゃ、っていう。[中断は今回なかった?]―1回あったな(笑)。石原維新代表が…。[全部聞きました。石原さんの独演会、面白かった(笑)]―話の中身は傾聴に値するお話だと思いましたけどね。

●今だから言えるあの日のあの出来事

―初当選をした日。2005年の比例の、順位も下のほうで入ってて。正直言って選挙区取れなくて、東京都連の事務局から「下の順位になりますけど比例の名簿に名前載りませんか?」という話があって、「どうせ受からないでしょ?でもそれが損にならないのであれば、次へのステップになるようであればいいですよ」と言っていたんです。事務局側からは、「世論調査の数字を見ていると、今回だけは絶対ないとは言えませんよ」と言われてたけど、まさかね、って思って。当日も開票のときに、「今日来るかもしれませんよ」と耳打ちされたけど、全く信用してなくて。8時に、票が開いた瞬間にまず1位の猪口邦子さんが出て、テレビを観ていた友人が言うには、みんなで万歳して私も映ってたみたいなんだけど、嬉しい気持ちがこれっぽっちもなかったので(笑)、「バンザーイ」ってこれぐらい(耳の高さくらい)しか手を挙げていなくて。それが時間がだんだん遅くなっていって25位、26位…だんだん万歳の手が高くなっていったって言うんですね。で、自分の時にはこう、一番上まで手が挙がっていた、と。[わかりやすいですね(笑)]―はい(笑)。

●今後の政治に対する意気込み

日本も、景気という面では少し明るい兆しが出てきたな、と思いますが、前の政権での3年を経て、非常に歴史的なターニングポイントにあるかな、という気はしています。かつてから「これは日本の課題だね」と言われながら、選挙上これはデメリットだから言うのをやめておこうとか、政治的に難しいからやめておこう、こっちの業界団体のことを考えたらやめておこう、とやってきた事ほとんど全てが、そういうことを言ってはいられない、というところまで来ているかな、と。典型的には外交、安全保障、教育、そして憲法の問題。こうしたことが避けては通れないところまで来たな、という感じがしています。期待をして頂いている今、信頼を失わないようにしながら長年の課題をしっかりと解決していかないと。特に安全保障の分野はずっと専門でやっているので、ここでしっかりと決着をつけておかないと、果たして今までの日米同盟という体制の中で、何となく上手くいってきた、という時代が、この先果たして20年、30年続くかわからな い。20年後、30年後を考えたときに、おそらく今年、来年、再来年というあたりで決着をつけておかないと、手遅れになる可能性がある、と。[外交問題?]―外交、防衛。[私たちの知らない情報ってある?]―知らない情報はいっぱいあると思う(笑)。[出してない情報は?(笑)]―出してない情報もあるだろうし、私も知らない情報もあるだろうし。ただ限られた情報の中でも、これから世の中どういう方向に世界全体が動いていくかな、どう見るか、というところがポイントでしょうね。[期待感、大事ですよね]―「期待」にどう働きかけるか。「期待」をコントロールする、という市場とのコミュニケーションがうまくいっている、そこが政策変数なんだ、という事がわかっているかわかっていないか、だと思います。

●質問コーナー

Q: この夏ぐらいに、北朝鮮と韓国の間で、38度線あたりで紛争がおこる可能性があると思うが、そういう地域紛争に対して議員としてどういう考えをお持ちか?

A: 南北で紛争に発展するかどうかというと、韓国側でまだそういう緊張感がある、ということにはなっていない。ただ可能性として色々なことは想定されるわけで、南北が緊張するかもしれないと思うならば、できるだけ早く、法人のほうは出来る法体系を作らなければいけないでしょうね。あと、課題になっているのは、米・韓・日の協力関係をどれだけ築けるか。米国側も早くそうしたいと思っているわけだけど、韓国側の歴史認識の問題が障害になって、なかなか出来ていない。韓国側の世論にどう働きかけることができるか、というところだと思います。