大岡 敏孝
大岡
第107回
2014年02月26日 放送

自民党 大岡 敏孝 衆議院議員

自動車メーカーの営業マンから、二十代で政治の世界に飛び込んだ、大岡代議士。 お土産に、地元滋賀のブランド、近江牛を使ったサンドウィッチをお土産に頂きました。

(以下、動画より文字おこし)

自民党 滋賀1区 1期目

生まれは滋賀4区の伊賀甲賀の甲賀。(忍者?)―そう。(お土産を頂けるそうで…)―もうバッチリ、TPPなんか怖くない。TPPと戦い続けるブランド牛、近江牛。皆さん一切れずつ…こんな沢山いると思っていなかったので…なんと今高島屋で「大近江展」という滋賀県フェアを高島屋8階でやっていて、今日は佐野さんにお目にかかるので急いで日本橋まで行って急いでこっちに来て腰掛けたら汗だくで汗でずぶ濡れになっている。すみません。(このサービス精神が有権者の心をくすぐる)―地元もちゃんと宣伝をするという。TPPなんかに負けないで世界中を近江牛で埋め尽くしてやろうと。(この番組は知らなかった?)―色々聞いた事がある、地下組織があると(笑)。(会議中にこの番組に出てくれないかと誘われる?)―怪しい組織に誘われる。なかなか日程があわなくてやっと来れた。楽しみに伺った。(名前が大岡、大岡裁きで忘れられない)―ひらがなで書くと「お」が三つ。(OOOKA?)―パスポートは「O」が二つ。「O」が二つだとアメリカ人は何と発音するかというと「ウーオカ」、「オオオカ」とは発音してくれない。(ちなみに私が住んでいた処は大岡越前、忠相が住んでいた処)―え、そうなんですか。それはまた奇遇な。

●幸せ度数年表

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第107回大岡敏孝

(1972年生まれ、今いくつ?)―41歳、もうすぐ42歳。(初めてお会いするが「民主党顔」)―岡田代議士に似ていると言われる。あんな怖い顔してるかな…。(どちらで生まれたか?)―滋賀県。(13歳、親と離れて鹿児島県…ラサール、優秀)―オサール(笑)(ずっと優秀だった?)―小学校の時まで優秀だった。後は慣性の法則でドンドン下がっていく。(以前出て頂いた、自民党の鬼木誠さんと同級生だった)―鹿児島で同級生。(それで鬼木さんは大岡さんに「国会議員にならないか」と政治の道を進められて、と話していた。それは高校の時?)―いえ高校の時はすでに「政治家に成りたい」と言っていた。私は企業経営をやりたいと、企業トップに成りたいと思っていた。企業人に成りたいと思っていて…(清潔そうなイメージ)―そんな事はない、今走って来たので汗だくで。(それがどうして27歳で市会議員。学校はどちら?)―早稲田大学政経学部。本当の事を言いまくる森元総理の後輩。(本音の出せる政治家)―本音の男。(大学を卒業されてどうしたか?)―スズキ自動車に入った、軽自動車の。(静岡にいらっしゃた)―そう、それで静岡の浜松市で市会議員になった。(滋賀に生まれ、鹿児島のラサールに行き、東京の早稲田大学に行き、就職で浜松に行く、と)―これは第一回落下傘。(成功するのは落下傘が良い、地元でやるには成功しないという法則が在るみたい)―小泉さんによく言っておく(笑)。(どうしてスズキ自動車から市会議員に?)―政治が悪くて若い人達が政治の世界で戦わないとダメだと言われていた時だった。私も政治ウォッチャーだったが自分がやると思っていなかった。そういった時に今国会議員で当時市会議員だった若手の方との出会いがあって…(どなた?)―埼玉6区、中根一幸さん。(中根さんは市議会議員の同期)―え、そうですか。彼は随分若いうちから議員をやっておられて僕がスズキの社員だった時に出会いがあって、彼の手伝いをやっていると「俺もやれるのではないか」と。彼がそういう意味では政治の道を開いてくれたというか、こういうやり方もあるのだという事を教えてくれた一人目の方だった。(中根さんお元気?)―元気。(小泉チルドレンだった。一回落選してまた復活した。市議会議員で同期…八王子市と鴻巣市で。彼はまめで全国行脚して色々ネットワークを作っていた)―今も生きていると思う。(大したもの)―本当に凄い。(中根さんに触発されて市会に出て)―市会一期やったら31歳で市長選に出て落選をしてしまった。(一期満了して既に市長選に出る)―ちょっとやり過ぎた。(浜松市長選?)―浜松市長選で落選をしてしまった。(スズキ自動車の社長さんが応援してくれた?)―大反対されて(笑)。大反対されたけど若気の至りで。「絶対やめろ」と言われたが「絶対やらせてくれ」と。「俺ならやれる」と思い上がってしまった。(落選して…)―4年間浪人して、中小企業診断士の資格を取って、自分なりにもう一回力をつけて市長選を本当はもう一回やりたかったがとても力も無いしお金も無いから静岡の県会議員で復活した。それが35歳。(中小企業診断士というのを国会議員さんから初めて聞いたが)―中小企業の社長さんを色々な応援をしていく…それはまず販路を開拓、どうやったら売上げが伸びるか、どうやったら中の改革ができるか、どうやったら新しい事業にチャレンジしていけるか、そういうのをアドバイスする仕事。(他に国会議員の中にいる?)―これが何と珍しく、国会議員700人以上いるのに中小企業診断士は私だけ。たった一人。あの時取っておいて良かったと。税理士さん、弁護士さん、公認会計士、沢山いるのに何故か中小企業診断士は隙間で私しかいない。(官僚などでは多いが永田町などでは資格の地位が高い)―珍しいだけ(笑)。(ビジネスが好き?)―そう。具体的な相談にのって具体的な解決策を提示してうまくいくと嬉しい。どうやったらこの近江牛が売れるかと、プロモーションの仕方を考えたりパッケージの仕方を考えたり、例えば「黒よりオレンジ色を使ってみたらどうですか」と。(それでお金がもらえる?)―それで売上げが伸びたらちゃんと報酬を貰える。(資格のある広宣みたいなもの?)―公的な資格。(35歳で県議に当選するまでの4年間はどうって事はない?)―肥やしになって良かった。(県議は静岡?)―静岡。(ずっと何党だったか)―ずっと無所属、ずっとオレ党で一人会派をやっている時もあったり、自民党を除名された人達を集めて会派を結成して大暴れしていたり、相当色々やっていた。それも良い経験になっていて、最初から大組織でやっていないので、最初から一人よがりだったり、自民党のあらゆる事、酸いも甘いも見て来て最後に自民党を除名されたおじさんと一緒に会派を組んで、また揺さぶりをかけたりするというのがすごく自分にはいい経験になった。(お話しを聞いていると合点がいくし、自民党かというとちょっと違う感じがした)―民主党顔?(笑)(顔は民主党でも市議に出た時の心意気を見ても自民党ではないし、時代背景も鑑みて)―割って出て。そして静岡で県会議員をやっていた、二期。それで、割って出るマインドが若干沸々とまた来て、「よし、二回目の落下傘だ」と、静岡の県会議員を途中で辞めて、生まれた滋賀県に帰り、今回衆議院選に出ようという事でやったら何とか勝てた。(公募は?)―公募は選挙になる前の年の12月に応募して1月にスタートして公募の結果が出たのが4月頃で支部長になったのが5月。県会議員を辞めて滋賀県に…(自民党に入党して)―自民党に入党して。(’12年の初頭は自民党はあまり人気が無かった、博打だった?)―博打(笑)。(民主党がまた出るのではないかとか維新の会が人気があった頃だったので英断だったと思う)―当時の自民党は野党で凄く危機感があって、当時谷垣さんだったが、もう古い自民党には戻らない、新しい本物の国民から信頼される政党を目指すと言っておられたのに私も賭けた。(ずっと無所属でいって、面接を受けて自民党に入るという事に抵抗は無かった?)―だから私の思いを訴えた。「今まで私は自民党ではなかった、今回の自民党に賭けてみたい」と。(静岡の同じ敷地だったら生臭いものがああるが遠い滋賀なので関係無い)―静岡では結局現職がいらっしゃるから出られない。小選挙区だから、上を蓋されていると出られない。(よく滋賀1区が空いていた)―滋賀1区は民主党の方が強いので空いていた…(元総務大臣の川端先生、東レの社員でマスカラとか開発していて貰った事がある)―すごく良い人。すごく穏やかで良い方、人格者だからこそ自民党から出られない。(ずっと空席?)―暫く支部長が不在の状態だった。(そういう所に入れて、しかも滋賀というのはすごい強運)―これはちょっと勝負所だなと。二回目の落下傘…「お前は海兵隊か」と。色々な所にポタポタと。(滋賀1区といえば滋賀県の玄関口)―そうですね。(バッヂをつけて2年位になるがどうか)―やっていると面白い、国会議員は。仕事の範囲がすごく広いし、与党なのでやれる事も多いし。(国会議員になると3倍も4倍も働かなくてはならない?)―移動距離が長い(笑)。市会議員さん県会議員さんも地元に密着しておられるので、私もやっていたからよく分かるが、やっている時は「そんな国会議員なんかに負けるか」というつもりでやっていたから、仕事の密度自体はそんなに変わらないと思うが滋賀と東京を往復しなければいけないので移動距離の長さで疲れてしまう。Door to doorで3時間半かかる。新幹線2時間半乗っているので、京都まで行ってから戻るので。もう必ず寝る(笑)。本を読んだら2ページ目にいく前にもう。

●最近の政治トピックス

色々あるが、TPPはそんな訳で先延ばしになったみたいだが、どんな形になっても負けない日本農業を作っていかなくてはいけないと思っている。(滋賀県は何が盛んか)―滋賀県は米。これをしっかり守ってあげなくてはいけない。いずれは都市部…京都が近いので都市型農業化はしていくのかな、高付加価値化はしていくのかなと。あとはこの近江牛、牛肉。こいつは強い。これは食ったら美味いか不味いか一発で分かる。どうぞお召し上がり下さい。(これは外国、オーストリアとか…)―絶対負けない。(こういうブランドがあると良い。関税掛かろうが掛かるまいと)―そういう物を作っていかなくてはいけない。(TPPは自民党の中でも反対の人が甘利大臣など担当者と戦う場面があって、地元の代議士達は折れたという事もあった)―対立しているというよりは、方法論の問題で、誰も日本の農業をこのままで良いとは思ってない。まず後継者がいない。農家の息子さんが農業を継ぐと言わない、これは農業に限らずあらゆる産業で後継者がいない産業は無くなってしまうので、後継者になっても良いと思わせる様な農業にしなくてはいけない。これは明確な事なので今のままで良いと思っている人は一人もいない。その方法論と時期の問題で意見の相違や食い違いがある。いずれはそういう意味ではしっかりまとまると思っている。(地元の声はどうか)―作っておられる物によって意見が全然違う。それをどう調整するかというのが政治の腕の見せどころ。(それは大変、こっちを立たせばこっちが立たず)―妥協のプロでないと政治はできない、外交関係もそうだが。(農業者の皆さんの要望もあるがそれを背負った国会議員のやりとりがまた大変)―やはり代弁者なので我々がその思いを受けて代わって議論をするという事。一つ明らかに言える事は、農業だけを見ているとTPPも含めて経済政策の条約というのはうまくいかない。やはり日本の経済全体が成長していないと近江牛なんか買える人がいない…滅茶苦茶高い牛肉で。(安くなったりしてしまう?)―そうなると原価割れしてしまって、買い手がいないと廃れてしまうという事になってしまうので経済全体のパイを拡げ大きくしながら農業を後継者に成り得る人になる様に儲かる産業に変えていこうというのが大きなテーマ。

●質問コーナー①

Q:妥協のこつは?
A:政治業界に長い事居るので、常に心掛けているのは、まず相手の言い分を聞いてあげる、そうすると一番大切にしておられる物は何か分かる、そして第二第三に優先順位があるのは何か分かる。一方でもう一つ「私の言い分はこうです」という事を明らかにしてあげると必ず折り合える点というのはある。だからそこを上手に見つける作業。それは情報が多ければ多い程良いし、その沢山ある情報を上手に分析をしてあげる能力。あとは瞬発芸…「では持ち帰って」というのは許されない、簡単に言うと。(かと言ってイエス・ノーを簡単に言ってしまったら…)―言うしかない。言わないと交渉にならない。TPPなんかはまさにその瞬間芸の世界でやっている。それはもうトレーニングしかない。(落としどころを考えるという事)―そう、もう一つは日韓関係に似てるが、大人の対応というと変だが、「なるほどな」とすごく勉強になったのが、先日沖縄に行った時に、ある方から色々な話を教えて貰った時に、江戸時代、琉球王国があったが、当然一つの国として存在している。それが薩摩に占領される。でも同時に中国とも付き合っていた。私も琉球王国の話は詳しく知らないのでその方から教わった事をそのままお伝えすると、当然薩摩からすると琉球は自分の手下だと、占領していると。ただ琉球が中国と付き合っている事も知っている。で、時々中国からお使いが来るとか、中国に何かやりに行くとかそういう時には島津は軍隊を引く。それで中国のお客さんを琉球王国の役人さん達が上手にお迎えをして、上手に接待をして、上手に貢物をお渡しをして喜んで帰って頂く。そうすると島津がまた駐在に来ている、という事をしていた。(それは二股を掛けているという事?)― 二股を掛けている、大人の対応で。お互い分かっている。これ主張すると喧嘩になるのを分かっている、喧嘩になるとお互い死人が出ると。今の外交と昔の外交の違いって、やはり死人が出る…人を殺すと何百人も何十人も死ぬと、このリアリズムが分かっている人間が政治をやっているのか、リアリズム無い人間が政治をやっているかの大きな違いがあると僕は思っていて、それは我々に対する戒めでもあって、例えば外交関係が破綻して何百人も何千人も国民なり兵隊が死ぬと…人と人とが殺し合いをして血が流れて首が飛んでというリアリズムを私も分かっていないから、特にギリギリの政治決断をする場合には危ない方向に行きがちだが、恐らく当時の人は当然自分も人を殺した事がある人達が政治をやっているから、リアリズムの基にそういう大人の対応というか上手な外交のバランスを取っていたのだろうという話を聞かされて、なるほど、沖縄に来て、事実はさておき、目の覚める様な、我々に対して戒めを与えて貰える様な話を聞けたというのを去年思った。(相手の話をじっくり聞くというのはそう、すぐ言い訳とか自分の意見をポンとぶつけてしまいがち、熱くなればなるほど)―そう。聞いてあげると、逆に相手に言わせる、吐き出させると意外とお互いに落ち着いたりする。(緊急時だからできない、興奮してしまうから)―そう。すぐエスカレートしてしまう。日韓関係。(日韓関係も大変?)―大変。私は日本側は落ち着いてると思っているが、韓国側の方が若干国全体なのかマスコミなのか分からないが若干ヒートアップしているから一旦やはり冷静になって考えるべきだと思う。(巷やマスコミの雰囲気は分かるが国会内ではどういう雰囲気か)―国会内も予算委員会とかでしょうもない事でエスカレートしている。日韓関係に限らず。「言った、言わない」なんだかんだで。予算委員会は子供の喧嘩みたいな事をやっている。ああいうのも良くない。冷静に議論をした方が良い。(でも少数野党だとそれ位主張したい)―でも野党の方が質問時間が無茶苦茶長い。与党は逆に質問出来ないから「俺にも一言言わせろよ」と。まわってこない。(でも手を挙げれば勝ちだから)―良くない(笑)。(なかなか手を挙げる機会も与えられず?)―順番がまわって来ない。(119人もいるから)―大行列(笑)。

●今だから言えるあの日のあの出来事

私も何度も妻をたぶらかせている…(いつ結婚されたか?)―26歳。その時は選挙に出るなんて一言も言わずに結婚した。(自動車会社にお勤めの時?)―はい。(自動車会社で何をやっていたか?)―営業。国内営業、海外営業。普通車と軽自動車と両方。選挙出ると言わずに結婚をして、まぁやっぱり選挙に出てたと。決まってから後からペロっと。私はもう会社を辞めて出たので家内に食わしてもらいながら手伝わせるというとんでもない事をした。(奥さんは何をして?)―同じ社員だった、会社で。「絶対勝てる絶対勝てる」と嘘をついて…勝つ自信は当時無かったが、それで市会議員の選挙に引きずり出したのもそうだし、市長選挙も「絶対勝てるから」とうちの妻には言いまくって出たし、県会議員二期やっている途中に滋賀県に帰るという話も勝つ見込みも無いし、事前の世論調査をしたら目茶目茶に弱い、自民党は。「これどうすんの?」みたいな数字だが「絶対勝てる」と(笑)言い含めて、滋賀県に家族全員引っ越しをして。(根拠の無い自信はいい)―当たったり外れたり(笑)。(ずっと無所属で、国政に自民党で出て戦い方は違うか)―結局本人がどういうメッセージを出しどういう態度を見せるのかという事で選挙は決まるので。(どんなに大岡代議士が良い政策を持っていても自民党とそぐわなければ色々な問題が発生するが、それが合致していたという事?)―あまりそこまで争点を問われなかったというのもあるかも知れない。民主党に対しての失望感というのが覆っていたから、それに助けられたというのは事実。滋賀県というのはその前まで全滅していた、衆議院、参議院誰も居ない、比例復活も無しという所だったので事実上組織も自信を無くしていた。組織に依存をして組織に任せれば自動的に票が集まって来るという選挙はもう出来なかった。そういう意味ではスタイルとしては、今まで無所属で鍛えて来たスタイルが逆に活きたというところはある。(一人で街頭演説をやっていると隣に大きな「自民党」の車が来る)―大量にジャンパーを来たおじさんおばさんがワーッと来て。本当に戦艦ヤマトとゴムボートと戦っている様なもの。ゴムボート戦法が活きた、そういう意味では。「組織にのらないと選挙できません」「組織の選挙しかやった事がありません」という人では滋賀1区では勝てなかった。(逆に森さんとか来るとだめ)―一人でやってるところを見せると「実はあいつのやっているのが保守政治家の原点だよな」みたいな事を言って、皆気づいて応援してくれる人がドンドン増えて来た。とかく私の場合は相手の川端先生が非常に立派な方だし大きな組織の労働組合のボスなので、大きな組織を持っておられる方なのでそれと対比をする意味でも野戦というか今までやって来た野武士みたいなやり方が受けたというのはあった。(SNS:大岡当選は共産維新が候補を出していたお陰)―それはあると思う。これは本当にその通りだと思う。色々なラッキーが重なって勝ったのだと思う。当時は嘉田さんていう滋賀県の知事が「未来の党」というのを立ち上げられて…あの未来の党騒ぎも少なくとも自民党にはマイナスにはならないので、むしろ未来の党で打撃を受けたのは民主党さんの方だったと思うから、本当そういう意味では色々なラッキーというか桶狭間的要素が重なって勝てた。(SNSから「サッパリした男だな」と来ている(笑)サッパリしている?)―結構油ギッシュ、油っぽい、ギトギト。(顔が民主党顔、一杯似ている人がいる…岡田さん、木村たけつかさん)―何党の方ですか?(小沢さんの党、生活の党。)(SNS:政治家顔だともいえる)(今は派閥に入っている?)―志帥会、二階派。(ずーっと続いている)―国土強靭化…聞き飽きている?(そんな事はない。志帥会の熱い思いを話してください)―やはり防災の重要性というのはすごく皆さん感じておられると思うので。この前の雪害もあったし。私の滋賀県でも水害…大雨が降って水浸し、堤防が決壊してまだ復旧が間に合ってない。来年の畑、田んぼの作付ができないという状況になっている。うまく効率よく、やたらめったら土木事業をやるという意味ではなく、よく分析をして効率よく安全な地域を作っていくというのは大事。(日本列島細いし気候とか考えると脆弱になっているからしょうがないので政治主導で考えてほしい)―安心感というのが投資に与える効果というのがかなり大きいと思う。例えば毎年毎年水浸しになって車が流されるとなった時に新車を買うか?(買わない)―絶対買わないでしょう。結局そういう事。安心感があれば蓄えも最低限あれば宜しいと、これは老後の生活も含めて言える事。安心させてあげる事で消費が安定して景気も安定する、という事に繋がてくると思う。(悪いスパイラルになっていたが最近は変わっている)―ちょっと良くなってきている。(オリンピックとか…)―そう。(志帥会は二階さん命?)―二階さん面白い。毎回コメントされるが…明日のお昼ご飯…明日はお昼ご飯どうするのかな、予算委員会に二階さん立っているので明日は来られない…予算委員長なので。(志帥会はどちらでやっているか)―砂防会館。今にも壊れそうな…国土強靭化と言っていて潰れそうなビルでやっていて大丈夫なのかと。そこで国土強靭化と叫んでいる…見るからに危なそうなビル。

●質問コーナー

Q:これは是非やりたいという志は何か。
A: 一つはまず、任期中にやりたいのは国会改革。国会議員一年ちょっとやってみて、これは非効率極まりない。内閣側からも「総理の拘束時間が長い、大臣の拘束時間が長い」とか色々意見が出ているが全部その通り。議員の側からしても、質問に立つ時間が少ないし、人の質問を聞くのも勿論大事な事だが、定足数の縛りがあるので我々としては…議員は議場で座っているのが仕事では無いので、やらなければいけない事が十分にやり切れていないという感覚がある。当然災害があれば現場回らなければいけないだろうし、例えば日韓関係みたいに何らかの外交的な揺れがあれば、我々議員が直接出向いて説明しなければいけないという事も当然あると思う。国益を背負って我々も仕事をしているという意識はあるが、国会最優先主義…縛られてしまって結果として国益の為、或は地域の困っている人の為が極めて強く制限されてしまっているというのが、内閣の側から見ても国会の側から見ても、すごくロスが大きいと思う。(かと言って不在にしてしまうと、「休んでいる」とかデマとか、そういうのとも戦っていかなくてはいけない)―そう。そこはどう説明するかというのと我々の活動どう見えるようにしていくかというのをセットでやらければならない。(もっと自由に?)―自由というか、自民党は自民党、日本政府は日本政府としての目的を持って、せっかく議員がこれだけいるのだから皆を動かせる体制を作った方が良い。500人から集めて、本会議場に全員座らせて延々と牛歩戦術をやっているなんて本当に時間の無駄。例えばその他、特定秘密の議論なども実は、最後与野党ともにネタは尽きていた。もう同じ質問ばかりしている…座って聞いてると分かる。同じ質問ばかりでネタが無い。でもやっている様に見せないといけない…審議時間を先に決めてしまって…何十時間…それでも少ないと言われている。「少ない少ない」と、では中身見てください、もう言い尽くしている、あらゆる質問を。(武器の無い戦いだからそういうところを攻めていくしかない)―審議も勿論重要だが、審議の前の調査も必要だし現場に入る事も必要だし。特に国際的問題、地域の災害的問題が出た時、議員が夫々地域を分けて役割を分けて入って行って説明をするとかそういう事も当然必要な訳で、もう少し機動的に動けるようにしないと不利益が大きいと思う。(ペーパーレスと言っても国会議員の一日の資料はこの位?)―こんなんでは効かない。どうするのこの紙…木がどれだけ伐採されているか。(どうやって目を通すのかと)―目を通せない。(タブレットで送ると良い)―タブレットでも目がチカチカすると思う。(でも代議士が欲しい内容があるかも知れない)―ま、そう。書類を読む力というのは、佐野さんもご経験あると思うが、議員やっていると段々コツが掴めてくる(笑)。どこを読めば分かるかというのは何となくコツが掴める。役所の文書は特長もあるし、慣れるとポイントが掴み易く書かれているので。(一日議員会館に行かなかったらこれだけ宿題が増える)―あれも酷い。(SNS:奥さんどんな女性ですか?)―同い年で与野党拮抗状態。非常にギリギリの国会運営をしている、家庭では。(どこで知り合ったか)―会社の同期。彼女は面白い仕事をしていて、理系だった。文系の大学を出ているのに理系の仕事をしていた。認証という仕事をしていて…皆さん車検を取るがあの車検ではなくて、国でこの車を売って良いと認める車検。安全性は大丈夫か、燃費はちゃんと正しく申告しているかとか、ぶつかった時に色々な物が落ちて来ないかとか、それをテストしていく。バカンバカン毎日壁にぶつけて、ぶつかった車を色々測ってあれが落ちたこれが落ちたと…そんな事をやっていた。面白い。ヨーロッパにスズキの車を輸出しようと思うと彼女のチェックが無いと輸出出来なかった。彼女がヨーロッパの認証官というチェックをする人のカウンターパートで交渉というやりとりをして、それで車の輸出許可を取る。(今は辞められて滋賀に行っている。お子さんは?)―三人。(五人で滋賀に引っ越して。怖い物無い(笑))―住めば都で。最初は不安がっていた…言葉がまず滋賀弁と静岡弁では大分違う。子供は全員静岡県で生まれているので関西弁は喋れない。しかも例えば一番上の子は引っ越した時に六年生だった。六年生の六月に引っ越しをした…まず前の学校の卒業アルバムを貰えない、新しい学校の卒業アルバムには写真が載っていない、修学旅行に行けない。で、来た奴は関西弁が喋れない、お父さんは何か知らんけど街中にポスターをベタベタ貼っている…変な奴と。いじめ要素満載。まして当時大津市はいじめ問題で揺れている所だったので本当にどうしようかと思った。まぁ何とか馴染んで(笑)。(後悔もした?)―「今だから言える~」で言っていたが、絶対勝てると言っていたが本当は勝てる確信無いまま実は決行した。結果オーライで。色々なラッキーが重なって…面白い話で言うと、「解散」…あの時に解散すると民主党も思っていなかった。僕はもう解散前提で引っ越しをしてるから、「もう解散するもう解散する」と思い続けていたので、選挙事務所も当たりを付けて値段の交渉までして、いよいよ解散になったらこういう条件で貸してくださいというところまで決めていた。「解散」と言ったから「そら来た」と、二日後には選挙事務所を開いた。逆に川端先生の方は、民主党の大幹部なので解散なんてする訳無いと思っていた。抜き打ち食らった、奇襲攻撃を食らったのは民主党の方だった。だから結局選挙がいよいよ始まる直前にならないと川端先生は事務所も決められなかった。大組織を持っている分立ち上げが遅れてしまうと活動そのものが全体的に遅れてしまう。下手すると一週間とか二週間先に投票日があったり、民主党に対する奇襲になってなかったら私はもう抜き去られていたかも知れない。スタートダッシュが良かった。(無所属でやっていた勘とかが結集された)―私には全然奇襲では無かったが、民主党の先生方にとっては奇襲だった。(内閣改造がある)―あるでしょうね、当然…人事異動…それは随時総理大臣の権限。日本の為の人事なのでそれはやはり適材適所、常に相応しい人を採用するというのは良い。
Q: これからも若い議員が増えないといけないと思うが、若者に対して何か意見はあるか。
A: やっぱり、それはもう、アントニオ猪木ではないが、一歩踏み出してみる事だと思う。(アントニオ猪木はそう?)―アントニオ猪木は「この道を行くとどうなる事か、踏み出せばその一足が道となり、その一足が幹となる」という難しい日本語を言っておられた。「迷わず行け、行けば分かる」と。凄く顔でかい(笑)。三倍位でかい。凄く顔がでかいなと思って。(世代が世代だから)―参議院でしかも他党だからなかなか話しかけるのは難しいが、本当はビンタいってもらいたい(笑)。(喝入る)―やって貰いたい。猪木、馬場、ブッチャーとかいうともう世代だったから。(だから猪木さんが国会に来たというのは凄く意義がある)―と思う。独自の活動されている。それはそれで良いのではないか。