大西 宏幸
大西
第231回
2019年09月19日 放送

自民党 大西 宏幸 衆議院議員

大阪万博expo 75で3歳だった大西議員は、

太陽の塔付近の噴水で危機一髪!溺れそうになった経験を持ちます。(笑)

次の大阪万博では、かつての自分のような子供が出ないよう、大西議員がしっかり様々な取りまとめをしてくださるでしょう!!

 

(動画より文字おこし)

自民党(大阪1区)  2期目 2019年 6月 19日 収録時点

[今日はたくさんの方が見に来て下さっています]― 500人くらい?(大西議員、大きな会場の遠くを見る感じで手を振る。会場から笑いが起こる)[今までで、一番多いかもしれません]― そうですか![本当にすごいですよ、持ってらっしゃいますね!]― 持っているんですかね。(笑)本当にあまりしゃべれないんで、どうぞ導いて頂いたら有難いので。[大阪の方は24時間しゃべらないといけないんじゃないかという]― 一言だけ言いますけど、しゃべらんでも死にませんから。寝ている時、寝言を言う時があるかもしれませんが、普通はしゃべりませんから。[お家でもしゃべるんですか?]― 家では静かにしていますね。(笑)[だって大阪1区の代議士ですよ。大阪を代表する顔ですから]― 大阪1区はどこですか?と聞かれると、簡単に言うんですよ。大阪城、通天閣、道頓堀、海遊館、鶴橋市場、黒門市場みたいな感じで。[なるほどー、そこなんですね。濃い所ですね!]― そんなに濃くはないんですけどね。僕は普通の色なんで、これぐらいの色の人がいっぱいいらっしゃる地域です。[東京に来るとさらっとしていて嫌でしょうね]― 僕がさらっとしていますから。(笑)[今日、党首討論がありましたよね。解散はあるのでしょうか?]― 安倍総理は明確に私の頭の片隅にも解散はありませんとおっしゃいました。解散はないんでしょうね。参議院選挙だけになると、次の解散はオリンピックが終わった後なのかなと。わからないですよ。[このタイミングを逃すとそうなるんですね]― 総理がお考えになられて、天皇陛下の御認可で解散は決まりますから。我々の知るべくもなく。[急に解散なんて言ったら「みわちゃんねる」出ている場合じゃない、帰っちゃう、みたいな感じですものね]― いえいえ、それは優先させて頂きます。(笑)

●幸せ度数年表(クリックで拡大)

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[これを見れば大西議員の半生がわかるということで、すごいですね!]― ガタガタの歯みたいですね。(「幸せ度数年表」指さして)[一本線という方もいらっしゃいますし、100一直線という方もいらっしゃいます。いろいろありましたね。お生まれは?]― 大阪の生野区という所で。[生野区は1区なのですか?]― 1区から外れたんですよ。[それは残念ですね!]― 家の父親も市会議員やっていて、僕も16年、市会議員をやって。国政になるまで今年で24年なんですけど。父親と合わせて44年の後援会、私の住んでいる所が全部、選挙区から離れたんですね。前回の衆議員選挙の前、7月14日に生野区が1区から外れたと。[44年間、培ってきた人間関係が全部切って隣の選挙区に行ってしまったと]― 後援会は残したまま、隣の東成区、中山泰秀先生の選挙区なんですけど、そこが入ることによって新たな後援会をつくらなきゃいけなかったり。大西、絶対に落ちると言われたんですけど、二位と1242票差で選挙区で当選させて頂きました。ギリギリで。(笑)嫁さんも子供も投票してもらっていませんからね。自分も投票していませんから。[それはどういうことですか?]― 自分に自分の投票権がないんです。僕は左藤章先生に投票しました。(笑)[そうなんですか!そんな現象が起こるんですか!]― そんなことが起こるんですよ。1票の格差でね、2.0倍以上のところについてはチェックされて変わったということで。[そういうことが起きているんですね。自分が入れられないなんて、なかなかないです]― 冗談で、あんた、奥さんに入れてもらってないちゃうん?という話があるけれど、僕は嫁さんに入れてもらっていません。(笑)[お父様は大阪市会議員をされていたんですけど、若くしてお亡くなりになられまして。元々、市会議員のお家だったんですか?]― 家庭としては砂利屋さんとか土木とか、建築をやっている会社であります。一番最初ね、うちの地元に中山太郎先生、元外務大臣の中山太郎先生が元々府会議員をされていた。府会議員をされていた時の選挙は、うちのトラックを戦車の代わりにしてトラックの上でしゃべっているという。写真が残っていましてね、その時にうちの父親が青年部長をしていて。[そうだったんですか。中山太郎さんって、御茶ノ水博士みたいな感じですよね]― 言ってしまいましたね、御茶ノ水博士に似てます!(会場から笑い声)ゴルバチョフにも似ています。(笑)[強烈なキャラでしたね、一回見たら忘れない。候補者としては最高の方でしたよね]― この間お会いしたらお元気でした。[お父様はそういう関係で立候補されたのですね]― 一番最初、区会議員に立候補するんですけど、4、500票差で落選して。地元の市会議員さんが引退されるにあたって、その市会議員の後継者で立候補して。息子さんが出ないということで僕の親父が出ることになったんですけど、その息子さんも出るということになって。うちの父は自民党公認の予定だったのが自民党推薦になったということで。[いろいろありますね!]― その時に助けて頂いたのが塩川先生。塩爺に助けて頂いて。今でもお付き合いがあります。お孫さんが府会議員をされています。男前ですよ!背も高いし。180センチぐらいあるんですかね。[そういうお家で選挙と言うのは身近にあったということですね] ― 小学校1年生の時に父が府会議員選挙に落選していたので、年子の姉がいて僕が三つ下で、面倒が見られないということで僕一人で親戚の所にずっと預けられていたんで。気が付いたら二十歳くらいの時に箸の持ち方を知らないということで。その当時の彼女に、箸の持ち方、おかしいじゃないのと言われて。ちゃんと持とうとしたら食欲を無くして痩せたというぐらい、箸の持ち方が悪かった。顔面蒼白でしたね。親戚の所は大所帯で、みんな食べるぞー!とやっているところでポツンと一人で食べているような。[寂しくなかったですか?] ― めちゃめちゃ寂しかったですね。父親も母親も外に出ていたので。今じゃ、懐かしい思い出です。[そしてお父様が亡くなってしまうのですね] ― 58歳で亡くなりまして。[お父様と入れ替わるように、大西議員が市会議員に立候補されたのですね] ― そうですね。通常、政令指定都市は補欠選挙があるんですけれど、生野区というエリアは6人区だったんで。5人区から下はそのまま補欠選挙だけど、6人区は補欠選挙がないということで、通常の選挙で27歳で立候補させて頂きました。27歳の時、平成7年に関西淡路大震災が発生したということで。[そして30歳で結婚、どなたとですか?] ― 見合いだったんです。僕は27,8歳ぐらいから奈良の大峰山の修験道の行場があるんですね。行者をやらせて頂いていて。ある日ね、見合い話の来る2週間くらい前に、夢に出て来てる人が大阪弁で、もうすぐな、おまえのおっちゃんから見合い話が来るから断ったらあかんぞと。[神のお告げですね!] ― 神のお告げです。こんな話を夢で見たんだけどと言うたら、釣書が来てね、釣書に丹生と。丹生というのは弘法大師空海が高野山を開くときに、高野山を譲り渡した神様が丹生都比売大神と言って、僕ら行者からしたら丹生というのは特別な名前なんですね。丹生という名字のお家から奥さんをもらったんです。[名前を見た瞬間にビビッと来て] ― はい、優しそうな女性だなと思ったんです。[あれから何年ですか?] ― 21年、去年が20周年。[元々、市会議員さんのところにお嫁に来たので、選挙と言うのは覚悟されてなんですよね] ― これに付いてきてくれるんですからね。(「幸せ度数年表」にグラフの上がり下がりを指さして)覚悟と言うよりはね、死ぬ思いで付いてきてくれはったんじゃないですかね。[お子さんは二人いらっしゃるんですか?] ― 三人です。男、女、女で、大学生と18歳と12歳の女の子です。[みなさん、お父さんのお仕事を理解されてという感じでしょうかね] ― 苦しい思いはしているんじゃないでしょうかね。気が付けば、中学受験を自分でやって。参議院選挙でドタバタしている時に、彼は自分で塾に行って、自分でどこの学校と決めて。参議院選挙が終わった後に家内や家族でサポートしたんですけどね。よう頑張りました。[市会議員を4期やられて国会議員としてバッチを付けてらっしゃいますけど、その間に浪人生活というのがあるんですね。何年ぐらいされていたんですか?] ― 4年半しておりました。参議院と衆議院を二回落ちていますので。[何歳ぐらいの時ですか?] ― 最初は41,2歳ぐらいだったんじゃないですかね。思ってみて下さいね。(会場の観客に語りかえる、大西議員)何も悪いことをしていないんですよ。何も悪いことをしていないのに、市会議長に辞職願を出す、あの気持ち。議決されなきゃ辞職を許されないんで。辞職願を出して、本会議場で自分が出席して、自分の辞職を認められるのを参加して出ていくという。机を片付けて出ていく時、甲子園の土を持ちかえる感じになるのかなと思いつつ、段ボールをもって。よく左遷される人が持って行くように、持って帰りました。(笑) [そのような経験をみなさんもされているんじゃないんですか?] ― 左遷されるように人、いないでしょ。(会場を見て)[いろいろあるんじゃないんですか。自分の意思とは違う部署に行ったりとか、ありますよね] ― あー、腹立つな。それをネットに書いてばれてさらに異動されられるとか、そういうことにならないように。(笑)[男盛り、一番働きたい時に働けないというのは辛いですね、元気なのに。健康的に問題がないのに何で休まなくちゃいけないんだろうというね。本当に辛いんですよね] ― この時に支えてくれたのが家内ですよね。一緒に自転車でポスター貼りとか回ってくれて。[みんなそう言うんですけど、独身だと恐ろしいですね] ― 独身は独身の動き方とかあるんでしょうけど。少なくとも家内が横にいてくれたから我慢できたとか、頑張れたとか。[変な気持ちにならずに、落ち込まずに済んだとかですね] ― 衆議院を落ちた時、自殺しなや、とかみんなに言われて。(笑) 全然、そんな気持ちじゃないし。フワーンとしているというか、鈍感なんですね、自分自身が。[でも、鈍感力は必要ですよね] ― フワーンという感じでやっているのに、自殺せなあかんのみたいに。(笑) ならなかったですけどね。だけどね、一回目の衆議院落選した時、支部長の再任を十か月ぐらいして貰えなかったの。僕ね、大阪市会議員やっていて、青年局長やっていて、青年部の近畿ブロックの議長もやっていたんです。とある当時の幹事長に、大西君、参議院も衆議院も過半数取られてね、自民党ここで頑張らなきゃ。このまま参議院選をやったら候補者がいないと。12月22日ぐらいに自民党本部に呼び出された時にこう言われたんです。参議院の比例が10人ぐらいしかいないと。これはゆゆしいことなので、大西君はまあまあ有名だから、君が出てくれたら地方議員が出てくれると思うから、出てくれないか。俺に政治生命をくれと。僕は衆議院に出たいんで、次の衆議院、ちゃんと約束してくれますか?と言ったら、当たり前じゃないか、俺が約束するよって。嘘つきですよね、政治家って。(会場、大爆笑)次の衆議院選挙、27名の公募の中から選ばれたんですよ。公募ですよ![一応、公募と言う体を取ったんじゃないんですか?] ― いや!ガチ、公募でした。(笑) [大変ですね!そうなっちゃうんですか] ― そうなっちゃうんですよ!幹事長が変わったら、約束が変わっちゃう。[厳しい!あの時に言ったって、その人がいなかったりとかね、引退されたらどうしようもないですよね] ― 内緒の話で。(大西議員、カメラ目線で人差し指を口に)それで衆議院を落選した後に、十か月ほど支部長再任されなかったんです。その時の大阪府連会長にこう言われたんです。僕、君のこと、大嫌いだからと言われて。僕は宏池会なんですけど、宏池会のその当時の会長さん、古賀誠先生に真中に入ってもらって、十か月後に支部長として再任をしてもらいました。[支部長をやらないと活動費が出ないんですよね] ― そうなんです。十か月以上干されたんで、十か月分が出なくて。あの時に本当にしんどかったんは、財布の中に二千円とか、三千円とかしかなくて。子供の養育費とかどないするのんというに、秘書に金を出さなならん、活動出来ない。事務所の運営を優先として、家の事はもう全然そっちのけになっていましたね。[どうやって暮らしたんですか?] ― 家の家内が積み立てをしてくれていたんです。貯金してくれていたのを切り崩して。そして、どっからかお金を引っ張り出してくるんですね。後で聞いたんですけど、結婚した時にお父さんからもらったお金を切り崩していたということなんです。返すねと言って、一回も返していないんですけど。(笑) ちゃんと返します。(深々と頭を下げる、大西議員)[バッチを付けて永田町にいらしてどうですか?] ― 今、国防を安全保障関係の内閣委員会ですね。いわゆる警察関係とか、天皇陛下の皇室典範、等々の事をメインで委員会でやらせて頂いています。地方議員で外交、安全保障、皇室典範というのは出来ないことなんで、それを中心としてこの四年ちょっとさせて頂いています。そのほかにも、自分の政治的は方向性として教育問題はやらなきゃいけないと思ってやっているんですけど、それ以外に国政としてこうしなきゃいけなというのは安全保障と警察、内閣府関係ですね、させて頂いています。

 

●最近の政治トピックス

 

[大阪市議会時代と現在はやっていることは違いますか?] ― そうなんですよね、二年生議員になってからなんですけど、災害になった時に呼び出されるんですよね。たとえ電話が繋がらなくても必ず繋がる、呼び出しオンリーみたいな。そこに電話がかかってきて。防衛省の○○です、今、こういうことが起きましたと。今、防衛省から連絡が来るようになって。長男と赤坂見附周辺でご飯を食べている時に。[カレーですか?] ― 自民党議員、イコールカレー、ちょっと切ったらカレーが出てくる?わけないんで。(笑) ご飯を食べている時にショートメールにしてくれと言ったら、F35Aが墜落しました。パイロットの消息が不明ですと。その次の日に、カフェスタ、自民党のインターネット番組をさせて頂いているんで。[自民党内にスタジオがあるんですよね] ― 自民党本部の左側の喫茶店がスタジオになっていまして。「関西人、俺にも言わせろ」というベタな番組をやっていまして。(笑) 急に国防委員会とか軒並み入って、二時間ずれるのにあちこち電話しなきゃならなかったんですけど。今回、明らかになったのが、高度を下げた時にパイロットの方が上下関係を失う状況になられて、海中に1100キロのスピードで突っ込まれたと。突っ込まれるまで15秒ということで。[恐ろしいですね!] ― ええ、その時に一生懸命に退避行動を取られたんでしょうけど、15秒ですから。突っ込まれることによって、通常、墜落というのはね、海中に跳ねて期待がバラバラになるので浮くんですけど、1100キロで突っ込まれると言うのは海中に突っ込んでいくんで、海中で突っ込んだ時点でバラバラになっていると。民間団体の皆さんに、1500メートルの海中を捜査して頂いて、期待の一部に肉片があって、警察で鑑定した結果、DNAでわかったと。有能なパイロットを亡くして。どう言っていいかわかりませんけど、残されたご家族が可哀そうでね。お子さんもいらっしゃるということで。[そういう事故、事件を24時間態勢で受けるのは大変ですね] ― お亡くなりになられるというのが一番辛いですね。昨日、安全保障委員会をやっている最中に富士演習場で迫撃の弾を落としてどこに行ったかわかりませんというのがあって、何でこんなこと!他の先生方と、こんな委員会をやっている最中にと言っていたんですけど。でも、木に引っ掛かっているのが見つかったんですけどね。パラシュウトで下して行って、演習場に降りていくのが風で行っちゃったんですかね。[平時でもそんないろいろなことがあるのに、これは本当に戦争になったら大変なことなんでしょうね] ― 去年、谷間に荷物車が落ちて、銃の弾が何万発も崖から散らばったんですね。全発見つけたと言っていました。その時は雨が降っていて、グチョグチョになっているのに、全発見つけて。見つけたのは凄い!自衛隊って凄いなと思いすね。[こうやって報告されるのですから、一発ないです、なんて言えないですよね] ― 銀行員の人でも毎日計算して、一円でも違ったらまたやり直しをされる、それと一緒でしょうね。[私も今日、お金を払って、一万円札が二枚重ねっていたかなと気になっちゃって。(笑)] ― それは勘違いだと思いますね。(笑) [新券だとぴったりくっついちゃうんですね。新券は一回、ほぐさないとだめですね] ― つばを付けるタイプですか?[つけません!(笑) 私たちの世代はお金につばを付ける人はいないんじゃないんですか?] ― いないですか?[大阪には多いんですか?] ― (笑) すみません、大阪人のレッテルをやめて下さい。(笑) [大阪人はちょっと違うような気がしてならないんですけど] ― さっきも雑談で言ってましたけどね、別に大阪人がつっこんだり、ぼけたりするから大阪人のわけでもなく、大阪人と言うのは普通に生きていますから。おばちゃんは確かにポケットに飴ちゃん入れてます。どっか遭難した場合ね、飴ちゃんで生きていけるように、頑張って持っているらしいですからね。(笑) [私なんかもお年頃ですから、絶対に人に飴はすすめたくないですものね(笑)] ― 大阪の災害で、飴ちゃんあって助かったという人もいらっしゃるのでね。[そうですか、いい話もあるんですね] ― 飴ちゃん、持っとかないといけませんよ。持っといて下さいね、飴ちゃん。[はい、わかりました。(笑)]

 

●今だから言えるあの日のあの出来事

 

大阪市議会議員の時にヤミ専従という、365日1秒も働いていない人が労働組合の給料を超過勤務手当とかボーナスを入れて3千万、4千万もらっていた人もまれにいらっしゃった。当時、ヤミ専従が5千人近くいらっしゃいましたからね。[これはワイドショーの恰好のネタですね。許せないですね] ― その時はワイドショー、あちこち、痛快エブリデイとか大阪であった番組に軒並み、出させて頂いたんですけど。あの時に人権団体の話もありましてね、労働組合と人権団体は車の両輪なんですね。平成7年に大阪市議会議員になった時にいわゆる人権のお金というのか、1800億円あったんです。大阪市の単独予算で1800億円個人支給していたんですね。それを僕が市会議員を辞める時には5億にしたんです。だから地元の生野警察から刑事を付けてもらいましてね、危ないということで。だけど、地域の皆さんと今はすごく仲良くさせて頂いて。[それは素晴らしいですね] ― 労働組合から移行して話なので、僕がやるしかないなということでやらせてもらったと。[身に危険が及ぶことがあったのですか?] ― それはね、ご想像にお任せをいたしますけれど。少なくとも家の家族の個人情報はネットに流されましたね。子供の名前から小学校までネットに流されましたからね。あれは恐かったですね。ともかく今の大阪というのは大きな毒素が取れて、橋下さんが来られて再度、叩き直してくれはったので。今、すごくいい街になっていますよ。[そして、今度の万博、また盛り上がりますね] ― 万博ね、夢洲というのがすごく難しくて。僕らは夢洲のいろいろな条例を作った議員なんで。夢洲と言うのは地域に人が住んでいなくて、海流があって海が汚れない所というので、ほとんど神戸側にあるわけですよ。立地的には遠い所にあるんで、南、梅田から考えたら遠い場所にあって。あそこに設置するのにインフラ整備にすごくお金がかかっていて。それと同時にもし南海トラフ含めて災害が起こった時にどういう風にするかが今後の懸念材料のひとつでしょうし。災害の時の災害計画を明確に出せよと僕は言っているんですけど、まだ出てこないんで。それは明確に出してもらわなきゃいけないし。大阪市の元助役の田中さんが副知事になっているんですけど、その人が面白いことを言っていましてね。液状化現象になったらどうするんですかと、それに対して液状化現象にならない薬品を注入するので絶対になりませんと。絶対、液状化現象にならない薬液はありませんから。液状化現象というのはそんなに簡単に抑えられるものじゃないんで。圧なんで、液状化現象になったら建物が引っくり返る危険性はあるし。この間、大阪市の職員と話し合った時は、夢洲については一週間、二週間ぐらい閉じ込められても大丈夫なように食料の貯蔵をしなきゃいけないね、というのは統一意見だったんですけど、そういうことも踏まえてやっていかなくてはいけないと思っております。[そういう問題が山積ということなんですね。液状化現象、昨日テレビでやっていました。注入すれば直る話じゃないですよね] ― 液状化し難いやつはあるんですけれど、それはね確認したんですけれど。絶対に起こらないというような薬品注入はないと言ってますんで。[万博はご存知なのですか?] ― 私は3歳、1970年。[思い出はないですね] ― いや、太陽の広場というのがありましてね、岡本太郎さんの。太陽の広場の所に噴水があってね。いまだに覚えているのは噴水は一段下がってあるんですよ。一段下がっている所で三歳の時に引っくり返って、溺れて、助けてー!というのに親戚のおじちゃんが手を叩いて笑って、助けてくれなくて。水をむちゃくちゃ飲んで、すごく怒っていいたということを。(笑) [万博に行ったというだけですごいけど、そこで溺れたという人もなかなかいないですよ] ― (笑) あれが万博の唯一の思い出です。[そして今は新たな万博の法整備をされているという。溺れたことがあるから、大西議員の話は重要です。(笑)] ― 1970年万博と1990年花博と今度の万博、三つ経験が出来るという。素晴らしいですね![大西議員に任せないと駄目ですね!] ― ありがとうございます![選挙はきっと来年ですね] ― 常在戦場ですから。[頑張って下さい!今日はありがとうございました]