大西  ひでお
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第67回
2013年03月27日 放送

自民党 大西 ひでお 衆議院議員

(以下、動画より文字おこし)

自民党 東京16区 1期目

ある会で「東京の新人の大西です」と手を挙げたら皆から笑いが出た。「よくこの年までやってこれた」と言ってくれる人もいる。国会を目指して参院選に挑戦して落選したのが6年前。苦節6年。

●幸せ度数年表

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第67回大西ひでお

東京16選挙区の江戸川区に生まれ育つ。父は福島の山奥、只見出身で、中央区泰明小学校で先生をやっていた。銀座の老舗の若旦那達が生徒で、自分の参院選の時は皆立ち上がってくれた。その割には票は入っていなかった。父はある方が間に入ってくれて江戸川区の家付きの母(嫁に行きそびれた30代半ば過ぎ)と結婚し婿として入った。それで生まれたのが私。500坪の敷地に40畳の離れつきの家だった。そこで母は地域の人に裁縫の教師をやっていた。自分が子供の頃にガキ大将で仲間達を連れて来て雨天体操場で雨の日は40畳の処で相撲を取ったりプロレスをしていた。父は小5の時に亡くなりその後母の細腕で苦労した。28歳で区議会に出てそれから財産は減る一方で今や半分以下になった。道楽息子が世の為人の為に遣うんだと言ってみんな財産を遣いきった。大学を出て地元の国会議員・島村一郎先生という温厚な昔ながらの井戸塀政治家で典型的な保守政治家の秘書になる。その時先生は72~3歳だったか。国学院の大学生で神主や教師になる人が多い大学で、当時学生運動が活発で革マル派から(今や死後になった)が保守的な大学の文化団体連合会を全部支配していた。うちの大学からノンポリを連れて日韓闘争とか色々な街頭行動に出て行って火炎ビンを投げたり棒切れでやっていた。それに対して若い正義感が燃えて「火炎ビンや石を投げて街頭行動する連中に反戦平和を語る資格は無い。学園は勉学の場である、学園の自治を取り戻そう」と大学の正常化運動を始めた。大学1年からそれを始めた。あさま山荘事件の2年位前の事。革マル派からは右翼右派と言われ若い女性には人気が無かった。男達同志殺伐とした中で天下国家を語っていた。父は政治に関心を持って、出身地が会津に近いので「八重の桜」。会津藩が戊辰戦争でいわれなき中傷というか勤農だったのが官軍の錦旗もとに抑圧されたわけ。それに対する反発というのを父はたくさん持っていた。子供の頃40畳の離れで宴会をやって常に謡い舞うのは白虎隊。いい教育を受けた。正月、天皇誕生日には父に皇居に連れて行って貰った事が記憶として残っている。だから本質的に左翼勢力は許せないという考え方を持っていた。ご覧の様に正義感に燃えているから悪い奴は許せないので徹底的にやっつけてしまい今でも敵が多い。学生時代のが変わっていない。秘書は足掛け4年、当時は大平内閣だった。江戸川区議に初めて28歳で自民党から出て当選、スムーズなスタートだった。区議会の自民党というと資産家のおじさん達中心の様な区議会。その頃は自分は父を亡くしていたので生活費や何かに母も資産を切り売りして、自分は母の苦労を全然知らないで暴れまわっていた。大学3年の時に2種免許を取ってタクシーの運転手をやりながらそのバイト代で政治活動費を賄った。その頃は雲助タクシー華やかな時でよく稼いだ。120~130円/ワンメーターの時代。昭和40年代。他の物価は今デフレであまり変わらないがタクシーは上がった。タクシーの運転手でナンバーワンになって「アルバイトの学生にナンバーワンの座を譲ってお前達は恥ずかしくないのか」とプロ運転手が怒られ自分もいじめにあってタイヤの空気を抜かれたり色々な事があった。そんな経験をし、国会議員秘書をやり、区議会に出たらおじさん達ばかり、自社対決の時代で、社会党や共産党は議論闘争をやると先輩達は「何言ってんだよ、政治家なんて屁理屈じゃない、腹で来い。要するに数でいきゃいいんだ」と言ってこの頃は地方議会も自民党が過半数を持っていたが、そういう事に同じ保守としても反発し、やはり政策論争をしなくてはいけないという事で各委員会での発言をする、予算決算の時賛成討論もするという戦う自民党を作っていった。クラブ総会で「はーい!」と手を挙げると長老が「何だあいつ俺の孫か?嘴の青い奴がペラペラ喋りやがってとんでもねぇ」と言っているのが聞こえて来たが、「何言ってんだ私の後ろには4000人の区民がいてそれを代表して言っているのに、それを嘴が青いとかそういう不規則発言は許されない。民主主義の敵だ」と言ったら長老ギャフーンとしてしまった。とんでもないガキが出て来たと思われた。ずっと自民党、妻も一筋政治も一筋。学生時代「良識な」学生運動をやって家内と知り合って彼女が19、自分が20でずっと今に到る。そういう学生運動をやっていたから、政治への夢は共有していた。だから波乱万丈の人生について来てくれたと思う。区議は4期で上昇思考があったので、いずれは都議会、国会、と夢があった。人が善過ぎて人を押しのけて、人の足を引っ張ってまで人の上に出るなんて事は今まで一度もやった事が無。「待てば海路の日和あり」などと楽な気分では無いが、ジッと耐えてジッと努力を続けて来るべき時に向けていた。たまたま前任の都議が亡くなってその後に打って出たら落選した。都議の御曹司、国会議員の御曹司が出て保守が割れて足の引っ張り合いだった。ステップアップすると一度落ちる。4年間は浪人生活。参議院選で落ちた時は6年の浪人生活だった。常に夢を求めていたので辛いという事はなかった。必ず勝ち抜くんだと思い後援会づくりや活動で現職と変わらずに動き回っていた。有難い事に後援者の人達が離れずにさらに拡大して「頑張れよ」という組織がドンドン拡がっていったので励みになった。(後援会の幹部は今観ていないと思うが)26歳で後援会づくりを始めたが、その頃30代40代の人達が今70を過ぎているのでその息子さんやお孫さん達が支えてくれている。60歳で参院選で全国比例落選(2007年)。国政への夢追い求めて頑張っている大西、都議会自民党の幹事長もやっていたので仲間達が「参院選がある。都議自民党は55名いたのでそれぞれ2~3万票持っているので全部は難しいが5千票ずつ出したって27万票は超える、少なくとも20万票は出るよ」と皆におだてられ自分もその気になってしまった。1年間全国飛び回り、支援団体もつき、全国の支部を回り反応は悪くなかった。1年前に札幌、福岡で後援会が出来ても1年後には忘れてしまう。都議の盟友が立川のグランドホテルで総決起集会を開いてくれたら800人以上集まって凄い気勢だった。それは告知の2か月位前だった。その議員の後援会長が自分の為に頑張ろうコールをやってくれたが、投票日にその後援会長から都議に電話で「こないだ真っ黒い元気な奴がいたが、名前書くのか党名書くのか」と聞いて来た。他の都議会の人達も集会を開いてくれたり、自分と家内を連れ回してくれたが、すぐ忘れてしまう。参院選は難しい。自分の選挙区には元気な先輩がいたが、自民党が東京16区を公募で募集したので60歳を過ぎて公募に応募した。論文審査も勿論、面接も3回位あった。都議の後輩達が審査をする側になり、生意気な事を聞いて来たが謙虚に答えて公募で1位になったが「60を過ぎて新人なんてあり得ない」と反対する人もいた。ようやく心ある方々の温かいご協力とご配慮のお陰で66歳の新人候補が誕生した。

●最近の政治トピックス

お陰様で先輩から初質問の機会を与えて貰い、国土交通委員会、総務委員会等々で初質問をした。国会議員の質問は重たい。地方議員も違いは無いが国会議員の場合はマスコミも注視している。事実関係などについては、詳細に調べておかないと、間違った事実の指摘はできないので、そういう意味では緊張感を持って、しかも天下国家を動かす発言なのでそういう意味ではやり甲斐のある日々を送っている。先週総務委員会でNHKの予算審議があったが、他局に出演した評論家で独断と偏見に満ちた発言をした人がいて色々調べた。国会図書館はすごくてあらゆる著作は全てとってあるが、その人の最近の著作を全部取り寄せて読んでみた。特異な考え方も分かり、著書の中で「尖閣は中国のものである、竹島は韓国のものである」とは言っていないがそれに近い事は指摘している。ツィッターでは「尖閣諸島は日本の領土とは言えない」と書かれているが、という事は中国の領土だと言っている事。そういう様な評論家がNHKで、例えば、考え方が異なっている人と討論するなら良いが、コメンテーターとして一方的に過激な事は言わなくてもそれに近い発言をした番組があった。「TVタックル」「政治討論会」ではないが色々な意見の人がいるなら良いが、そうでないのは公共放送から言っても使命を果たしていないんじゃないか、公共放送の責任から言っても問題があるんじゃないかという事を指摘した。そうしたらうちの事務所で電話がパンクしたが「よくやった」という人と「とんでもない事をやった」という人もいた。事務所には、「電話をかけて来た相手にしっかり姓名氏名連絡先を聞いて述べられない人には答える必要は無い」と集約した。「お名前は?お電話は?」と聞くと「ワーワー」と言いたい事を言って電話を切ってしまうのが大半。物事の真実は決して一面的ではない。この人にとっての真実が世間一般の普遍的な真実とかけ離れていても、自分は「それは真実だ」と言い切ってしまう。そういう人達に限って「あなたが気に食わない」と言っているが、どういう風な発言を大西がしてどういう努力をしているかという事は一切見ようとせず、言葉じりを捉えて「ワーッ」と来る。これがやはり政治であり、社会であり人間関係だと思う。我々政治に携わる者はどんないわれなき中傷や偏見の攻撃にあったとしても、常に冷静に、謙虚に、そういうご意見も受け止めて、しかし「真実はこうなんですよ」と語る勇気と寛容さが必要。

●今だから言えるあの日のあの出来事

これは時効だと思う。学生時代、革マルが我々の自治会費を私してスピーカー、輪転機など最高級な物を買っていたが、我々は文連も抑えられて会費だけで運営している団体なので、ある日、全学友のもとにそうした高価なメディア機器を返還させようと深夜に自治会室に入って取り戻した。犯人はあいつしか居ないと言って吊し上げられたが一切それには答えなかった。

●その他

本当に日本の将来が心配。選挙制度の改革問題で違憲判決が出たが、何年もこの問題は指摘されている。地裁で違憲判決があったが一向に改善されない。これでは裁判所も怒る。党利党略を排するのは難しいが日本の将来を考えながらしっかりと結果結論を出すべき。「我が党はこう考えている」「お前の言う事は認められない」とお互いが突っ張り合って結論が出せない。それで最高裁で選挙無効の判決が出たらどうするのか。ましてや自分の身を決める制度すら決められない国会議員に地域や日本の未来を語る資格があるか。まず自分自身がよって立つ選挙制度を改革しなくてはいけない。もう一つ最近の日本の政治の風潮で残念でならないと思い、乗り越えていかなくてはならないのは、民主党とは言わなくてもどこかの党の批判で当選したのは、個人ではなく党に票を投じたのに議員の身分を獲得した人が、平気でくるくると党を変わったりする。それは無くさなくてはいけない。今日本の政治が混乱している大きな理由の一つはやはり小党分立であり、これが選挙制度に起因している。小選挙区制というのは二大政党制、死票=無駄な票はあるが政権交代が出来る様な政治制度を作っていくというのがこの制度のそもそもの意味。一方比例代表というのは国民の意思の反映。誰でも彼でも国民の意見を正確に議席に反映させなくてはいけないというのが比例なので、小党分立で全く異なった意義や目的を持っている選挙制度が一緒になっている。中途半端。小選挙区制というのはドラマティックで、嘘をついたり国民の意思に反した様な政治をすればすぐ下野されて、また新しい政権ができる、こういう緊張関係というのは大切だと思う。小選挙区はそれが行い易い制度でもある。それだけにしておけば参議院が滅茶苦茶になっているとか結果の出せない政治というのに終止符が打たれる流れになると思う。安倍総理続いて欲しい。日本の総理大臣が1年ももたないという事でどうするか。

●質問コーナー

Q: アベノミクスの恩恵がまだまだ中小企業では感じられないが、経済  政策を中小企業の多くの人に反映できる取り組みを期待。地域の活  性化にからめた政策はあるか。
A: 仰る通りである。アベノミクスはデフレを克服して一人ひとりを豊  かにする、これが政策目標。国民の大多数は中小企業で働いている  ので、中小企業が豊かになって賃金が上がらなければ本当の意味で  の国民の幸せは実現できない。マスコミを通じては自民党の中小企  業対策が見えていないが、今朝8時から部会で中小企業対策、小規模  企業対策で喧々諤々の意見を交換している。中小企業庁や経産省に  対して地域の声を我々はしっかり伝えている。それに基づいて様々  な改革も進み始めているのでもう少し待ってください。必ず中小企  業にアベノミクスの恩恵が行き届きます。