大西 健介
大西
第120回
2014年06月04日 放送

民主党 大西 健介 衆議院議員

京大を卒業し、参議員の事務局にお勤めになったという、国家公務員の経歴も持つ大西議員。その後民主党の馬淵澄夫議員の秘書となり、政界に打って出ました。選挙区は愛知13区。自民党の大村秀章氏と戦い、勝ったこともありましたが、民主に逆風の2012年の選挙では、大村氏は知事になっており、大西議員としては難を逃れた形となりました[比例復活できた]。。。人間、あきらめないで続けていれば必ず光は見えるという実例ですね!二期目のバッジを付けている今、厚生労働、社会福祉に尽力されています。

(動画より文字おこし)

民主党 (愛知13区) 2期目(2014年6月4日収録時点)

[ポスターと全然ちがいますね]―そうですね(笑)。前回の選挙で比例復活だったので、そこから髪の毛を伸ばそうということで、伸ばしています。[優雅な感じ]―(笑)賛否両論あるんですけどね。短い方がいいと言う人もいますけど、(長い方が)いいと言ってくれる人もいますんで。[もともと民主党の馬淵さんの秘書さんだった。グループ的には馬淵グループなんですか?]―そうですね。私は馬淵グループを自認していますけど、ただもう馬淵グループ自体がなくなっちゃってる。仲間がみんな落選しちゃったんです。ただ、馬淵が2回代表選挙に出させて頂いたんで、1回目も2回目も私は同期の仲間をくどいて、推薦人を20人集めるのに一生懸命やりましたから、そういう意味では馬淵グループですね。[細野豪志さんが「自誓会」を立ち上げて、民主党では二枚看板ができた]―よく細野さんが「第三世代」という言葉を使うんですけど。第一世代が、鳩山・管・小沢さんだとすると、第二世代が今「六奉行」と言われてる人たちで…その人たちは、もともと「さきがけ」にいたり「日本新党」にいたりしたんだけど、民主党に合流をした、という。[枝野さんとか]―そうですね。で、第三世代というのが初当選した時から民主党、という人。細野さんであり、馬淵もそうですね。第三世代から、私たちは次のリーダーを出していきたいな、と思っています。

●幸せ度数年表

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第120回大西健介

[1971年。どちらに生まれたんですか?]―生まれたのは大阪ですね。親が転勤族だから、転々としている。今の選挙区も落下傘なんです。[お父様はサラリーマン?]―サラリーマン。生命保険会社です。普通のサラリーマンの家庭に育ちました。[幼少時代はずっと大阪にいた]―福岡に行ったり奈良に行ったり、転々としているんですよ。西日本が多かった。[大学はどちらに?]―京都大学。[細野さんもそうでしたっけ?]―そうです、細野さんも京大で、同い年なんですよ。同い年なんですけど、議員としては(細野さんは)大先輩で。ただ、議員としては先輩ですけど、細野さんは一浪して入っていますから、私はストレートで入っているので、大学では(私が)先輩(笑)。[何学部?]―法学部ですね。[どちらに就職されたんですか?]―参議院事務局。国会の職員だったんですよ。市議会でも議会事務局ってありましたよね?参議院の事務局の職員だったんです。議会運営をやったりとか、議員の求めに応じて色んな調査をしたりとか。時には、視察の時のツアコンみたいな事も。[優秀な方が多い参議院ですが、ご自分のレベルからすると「こんなレベルなの?」って思ったことも?]―それはやっぱりありますね。そういう思いが募ったから、まあ自分もやってみようかな、という部分もあって。ただ私は、議員を馬鹿にする、というのは間違っていると…当たり前ですけど。その分野については役所の人間は詳しいかもしれませんけど、10万人の人に名前を書いてもらう、ということにやっぱり価値がある。「お前らは詳しいかもしれないけど、10万人の人に名前を書いてもらえるか」と言ったら、そこは書いてもらえないし、書いてもらうためにリスクを取っている、というのが議員たる所以だと思うんですね。自分もリスクを取って選挙に出ないと、偉そうなことも言えないな、とも思ったので、そういう決断をした、という事です。[何年くらいいらしたんですか?]―10年くらい。[振り返って、一番嫌だな、と思ったことは?]―いやいや、そんな事はなくて…あ!一時期会計課の主計係というところにいたんですけど。日本の国会って、国会の予算も財務省にお願いをして認めてもらうんですよ。だから参議院の予算、議員の給料から秘書の給料から、国会で使う様々な経費を、予算案を作って財務省に認めてもらうんですけど。財務省って、予算要求とか夏の概算要求とか暮れの決定のときにやると、真夜中に呼び出されるんですよね。クリスマスの時期に出勤して、男ばっかりで鍋とかつつきながら「いつ呼び出されるだろうな」みたいな、そういう暗い時代があったので、それが一番嫌でしたね。外務省で1年間だけ本省にもいたんです。そこでたまたま、北朝鮮とか韓国とかやる「北東アジア課」に1年いて、2年ワシントンに行く、という、そういう人事交流だった。[本省にいた時は、拉致問題が出てきた頃ですね]―そうなんです。北東アジア課も、外務省屈指の忙しい部署。私が人事異動をもらって、課長に「今度からお世話になります」と言ったら、その2~3日前にミサイルが飛んだ、というので、みんな徹夜でソファとかで寝てるんですよ。「あれ、今日からだっけ?そこ座っといて」みたいな、そんな感じですよね。でも、その分忙しくて猫の手も借りたいので、そうやって外から来た人間でも重要な仕事を振ってもらえるので。当時山本一太さんが政務次官だったんですけど、私は山本一太さんの鞄持ちで、拉致被害者のご家族の所に…米支援を再開するかどうか、という決定を当時したんですけど、拉致問題が解決しないのに米支援を再開するのは駄目だ、という話があって、家族のご理解を得るために政務次官が順番に家族の所を回るんです。そういう時に私も鞄持ちで貴重な体験を。[それでアメリカに行くわけですね。アメリカの生活はどうでした?]―最高でしたね。[ワシントンに。政治の中枢ですからね。そこで働くというのはどういうもの?]―たまたま行った時期に2000年の大統領選挙があって。それからテロもありましたし。当時、山口壯(つよし)さんという議員がちょうどワシントンに来ていて、私がお供をしていたんです。アメリカの議会の中で議会スタッフを集めて朝食会をやっていたんですけど、朝食会の終わりがけにどんどん人が立っていくんですよ。当時まだアメリカ人はポケベルを使っていたんですけど、ポケベルがプルプル鳴ってみんなどんどん出て行って。「じゃあ時間ですからそろそろ終わりましょう」と終わったら、アメリカ議会の警備員から「Get Out !」と。外に出たら、ペンタゴンのほうから煙がもくもく、と上がっていて。待たせていた車もどっか行っちゃって携帯電話も通じないし、山口さんと「どうしますかね」と言ったら、地下鉄が動いていたんです、なぜか。山口さんが昔ワシントンに留学していたので、地下鉄で「ジョージタウンに行きたい」って。「ジョージタウンで昔行ってた服屋があるんで、そこに行きたい」と言うので行ったんです(笑)。そしたらジョージタウンに行っても、みんな逃げているわけですよ。「どうしたんだろうね」って。喉が渇いて入った店でテレビをつけたら、ワールドトレードセンタービルにバーンと突っ込んでる映像が…。[それ、危機管理がなってないですよね(笑)]―そんな感じだったんです。そういう意味では色んな経験をさせてもらって。[そして結婚。どなたと]―どなた、って今の奥さんですけど(笑)。[いつお知り合いに?]―アメリカから帰ってきてしばらく経ってからじゃないですかね。[こういう役所関係の方?]―いや、全然。普通のOLをしていて。入籍をしたのが10年前の閏年の2月29日。その2月29日をもって役所をやめて、馬淵澄夫の秘書になったんです。この時が私にとっては、結婚して転職もして、人生新しいステージに行こうかな、という転機で。[なんで馬淵さんの秘書に?]―私は中学・高校が奈良だったんです。住んでいたのが、奈良1区という馬淵の選挙区。アメリカから戻ってきて、もとの役所に戻ったんですけど、やっぱりワシントンのダイナミックな動きを見て日本に戻ってくると、ちょっと物足りないな、と思って。シンクタンクのやっている色んな勉強会に出ていたんです。そしたらそこの勉強会に来ていた人で、奈良出身の当時財務省の役人がいて、馬淵と知り合いだった。「今度当選した馬淵さんを昔から知っているんだけど、ちょっと一回部屋に遊びに行かない?」って言われて。私も子供の頃奈良1区にいたので、「あの高市早苗さんを小選挙区で敗って比例で復活させなかった馬淵澄夫というのは、どんな人なんだろう。会ってみたいな」と思って。[でも、山本一太さんについていたように、どちらかというと自民党側じゃないですか?]―そんなことないですよ。国会職員というのは、わりと野党寄りなんです。特に調査室という所で議員立法の手助けをしたりとか、色んな議員の紹介に応じて資料を作ったりする(レファレンス)のは、野党から頼まれることが多いんですよ。与党の先生方は霞が関を使えるけど、野党は逆に霞が関に頼れないので、国会の調査室を使うんです。だから、野党の先生とのほうが接点が多い。[「公募」で一番(幸せ度数年表が)落ち込みますが…]―それまでは、支える側でやろうと思っていたんですね。[でも(馬淵さんの)秘書になった瞬間に、ご自分も出ようと思ってたでしょ?]―いや、秘書になった時点でも…このあと自分の役人人生としてどうなんだろう、と考えた時に、馬淵は「オレはビジネスの世界である程度までやった。これからは政治の世界で上を目指していきたい。職業ではなく生き方としてオレは政治を選んだんだ。だからお前も生き方として政治を選べ」と熱く語られて(笑)。でも、その時の上司に相談すると、当時の上司は「残ってれば管理職になって幹部になって、退職金いくらもらえて…」とそんなことしか言わないわけです。で、馬淵は「生き方として政治を選べ」と言ってくれたんで、(馬淵の所に)行ったんですけど、その時点では本当に支える側でやろうと思っていたんです。ただ、馬淵の秘書の時に耐震偽装問題、姉歯事件が…馬淵澄夫がブレイクするきっかけになったんですけど、この時に「議員が本気でやればこんなに物事を動かせるんだ」と思って、あるいは馬淵の姿を見てて、自分もやってみたいな、という思いが募り、且つ政権交代が見えてきていた時期だったので、自分も一緒になって、秘書という立場じゃなくて自分もリスクをとって政権交代を起こしたいな、と思って「出よう」と。でも転勤族で地元もないので、「どうしようかなあ」と思って。あとはあまり言い過ぎるとアレなんですけど、秘書をやっていて師匠である馬淵にも相談をして、馬淵は「いいんじゃないの」と言ってくれたんですけど、周りの人から結構止められて。[何を止められる?]―お前が今出て行ったら馬淵どうするんだ、みたいな。地元の秘書さんからも反対されるし、頑張れば頑張るほど手放してもらえない、というジレンマがあって。そこはまあ色々紆余曲折あったんですけど、最後はもう自分で決めて「公募に出しました」と。[馬淵さんもラッキー。こんな参議院の裏方を徹底的にやっている方を個人で雇えるなんて]―そこは幸せな秘書・議員関係で、私は馬淵が経験してきたような「生き馬の目を抜く」ようなビジネスの世界というのはわからない、馬淵は国会のことがわからないので、お互いに互換関係があって。[馬淵さんと年はいくつぐらい違うんですか?]―11歳かな。[なかなかないですね、こんないい関係]―今も師弟関係ですから。私は秘書の時に政策秘書としてこっちでやっていたんですけど、毎月一回選挙区に入っていて。馬淵事務所も金がないので、交通費も宿泊費も出してくれない。[自腹で行く]―自腹で行くんですけど、宿泊費を節約するために馬淵家に寝泊まりしたんです。馬淵って子供が6人いるんですけど…女の子5人で男の子1人なんですよ。当時小学生だった男の子の部屋に寝てました(笑)。そういう寝食を共にしている仲なので。[将来、馬淵さんと細野さんが代表選で争う時には、もちろん馬淵さんに付いて…]―そうですね。馬淵とは腐れ縁ですから。[お二人が争わないと、民主党内的にも盛り上がらない]―いや、でもさっき言った第三世代がまだまだ力がないので、馬淵・細野連合みたいな…馬淵と細野がタッグを組むというのがいいんじゃないかな、と。馬淵澄夫という政治家と細野さんは政治家として違うタイプなので、お互いに補える部分があると、私は思ってますけどね。[すぐ当選されたんですね]―すぐじゃないですね。公募が36歳で当選が39歳ですから、3年近く…。[2009年、民主党が政権を取るときに初当選]―そうですね。[選挙区は愛知13区。どうしてここに落ち着いた?]―自分は奈良で一番長く子供時代を過ごしたんですけど、奈良の1区は師匠の選挙区ですからね。公募で色んな道を探った時に、愛知の7区と13区という選挙区を指定で公募していて、紆余曲折ある中で「13区の公募に出しました」と。「出して受かるかどうかわからないですけど、辞めさせてください」と退路を断って、まあ、お暇を乞うたので…。[終始馬淵さん自身は応援してくれた]―そうですね。ただ、当時は13区というのは今の大村知事が現職で、みんなから「13区?大村さんとこ選ぶなんてバカじゃないか」と(笑)。強いんですよ、大村さん。選挙に関しては本当に強い。2009年は追い風もあって、大村さんに勝たせてもらいましたけどね。[そのあと大村さんは知事に。良かったですね~(笑)]―そうですね、ある意味それも運ですね。2012年の選挙で大村さんだったら厳しかったでしょうね。

 

●最近の政治トピックス

 

[何を政策の主にされているんでしょう?]―私はもうずっと1期目から厚生労働委員会です。厚生労働委員会も、医者ばっかりなんですよ。私は医者ばかりの厚生労働委員会は駄目だと思っていて、全然関係ない人間がやるべきだと。自民党さんも医者は多いんですけど、例えば維新の会とかみんなの党も、ご存じの通り公認料とか出ないんですよね。だから、お金のある人が選挙に出られるので、お医者さんとか多いんですよ。[民主党は、供託金はどうなんですか?]―小選挙区と比例で300万ずつ、600万用意しないといけない。[それは自分で?]―県連にもよるけど、大体半分は用意してくれるので。だから我々みたいなサラリーマンの家庭で育ったような、普通の人間でも出られる。山井さんとか長妻さんが、うちの厚労員だと有名ですけど、うちも厚労員が5人しかいないので、色んなことをやらせてもらってます。[今、どんなことが問題に?]―介護のほうは強行採決になって、今は参議院のほうに移っていますけど。要支援1・要支援2という比較的軽度な人については、介護保険から切り離してしまって、各地方自治体でボランティアとかNPOを活用して、サービス提供してください、という内容が含まれているんです。[民主党としてはそれは危険だ、と]―そうですね。もちろん介護保険の財政がどんどん厳しくなってくるので、比較的軽度な人は何とか自分でやってください、という流れはある程度は理解できるんですけど。介護の問題というのは、今介護を受けている高齢者だけじゃなくて、我々世代の問題ですからね。うちの親も70歳超えてますけど、いつ自分が介護をしなきゃいけなくなるかわからない。今は子供の数が減っていて兄妹の数が少ないですから、例えば一人っ子同士の結婚だったら、夫婦二人で両方の親4人の介護に直面する可能性がある。あるいは結婚が遅くて子供が小さいと、子育てと介護が重なっちゃうかもしれない。今、40代50代で、介護を理由に離職する人が年間10万人という事ですから、中核の社員や管理職が介護で辞めちゃう、というのは、会社にとっても困るんですよ。消費税が上がって「介護が良くなりましたよ」というのならわかります。でも、消費税は全部社会保障に使うと言っているのに、消費税が上がって「介護が悪くなります」というのは、皆さんの理解を得られないでしょう、と私が安倍総理に直接質問したその日に、強行採決されちゃったんですよ。[民主党時代にまとめることはできなかったんですか?]―我々は「充実」の方向でやってきた。消費税が上がって、上げた分でこういう事をしますよ、という事の中に我々は介護の充実をあげていたわけですけど、実際は充実どころか後退している、という現実が…。自助は大切ですけど、最後はやっぱり国が支えてくれる、という安心感がないと。

 

●今だから言える、あの日のあの出来事

 

―耐震偽装の時に「きっこの日記」という有名なブログがあって、このブログに色んな情報が書かれるんですね、裏情報みたいな。それの通りに証人喚問とか参考人質疑とか展開していく、という事があったんですけど。その「きっこ」さんというのは実名は明かしていなくて、一介のヘアメイクだ、という設定になっているんです。きっこのブログの正体は誰なんだ、とスポーツ新聞が追ってた時期があって、私がその「きっこ」の正体なんじゃないか、ってスポーツ新聞に追っかけられてた事があって(笑)。2ちゃんねるに相関図みたいなのが出て…京大出身の人間が間にいて、こういうつながりの中で、実はきっこは大西じゃないか、みたいな。そういうことを言われたことがあります。[本当にそうなんですか?]―それは違いますね(笑)。きっこさんとはメールで連絡を取ったことはありますけどね。ただ、男なのか女なのか、何者なのかわからない。その時思ったんですが、あるきっかけで「きっこの日記」に非常にすごい情報が書かれて、それが注目されると、色んな情報がそこに寄せられるんですね。だからそれを書いて、それがまた展開していく。馬淵の秘書をやっている時に特にそうでしたが、予算委員会で質問するとテレビを観ている人が、「実は私もこんな情報を持っているんです。これを国会で追及してください」とか、そういうタレこみ情報がいっぱい集まって来るんですよ。その中にはガセネタもいっぱいあるんですけど。多分「きっこの日記」もそういうことだったんじゃないのかな、と。[でもそれを精査する能力とか、どこまで向き合うか、という匙加減も難しいですね]―馬淵澄夫っていうのは民間出身なので、実際に現場に行くんですよ。耐震偽装の時も、偽装マンションに二人で一緒に行って、そこのマンションを買った人たちが「どうしよう、こうしよう」とひとつの部屋に集まっている所に上がりこんで、「どうだったんですか?」と色々話を聞く。「ヒューザー」という会社が販売したマンションが耐震偽装だったので、社長の小嶋さんがそこにも来て、色々話をしたそうなんです。「どんな話をしていましたか?」と聞いたら、その時のテープがあるというので貸してもらって私が一生懸命聴いて。その中でヒューザーの小嶋さんが、「私は安倍晋三の後援会の“安晋会(あんしんかい)”に入っていて、安倍さんにもこの問題は大丈夫だ、と言ってあるから安心してください」みたいなことを言ってるんですよ。それで「安晋会」って何なんだ、と調べて、予算委員会で追及したこともあります。実際その場に行くから情報が取れる。意外と国会議員はそういうことをやらないんですよ。役人を呼んで説明をさせるとか。現場に実際に行って現場を見ようとする人は少ないので、調査は大切だと思うんですね。[馬淵さんって、なんかすごいガチガチって感じがする]―ボディビルダーですからねえ(笑)。私は何回か上野のジムについて行った事がありますけど、コンテスト・ビルダーというすごい人たちがいるんですよ。[一緒にやるんですか]―私はやらないですけど(笑)。行くと「馬淵さん、今度全国大会に出るヤツがいるから、ちょっとポージング見てやって」って。ガラス張りの所にビキニパンツを穿いた男性がいて、緊張して「お願いします」ってポーズとってるから、馬淵もそれ見て「いや、右足もうちょっと引いて」とか「ナントカ筋がいいね」とか、そういう事言うんですよ。ちょっとマニアックでついていけないんで。私は恥ずかしくて直視できなかったんですけども(爆笑)。体重が増えてきたりすると、私が秘書の時にはお昼をシーチキンの缶詰だけとか、水をたくさん飲むと新陳代謝が活発になるんだ、って机の上に2リットルの水を置いて飲んでいたり。[この間来ていただいた細野(豪志)さん。華がある方ですごい魅力的。なんか脇の甘さが女性からすると魅力的なんですよ。でも、馬淵さんは脇の甘さがなさそう。だから、女性としてはやっぱり細野さん、ボディビルダーは馬淵さん(笑)]―馬淵のいい所は、民主党に欠けてるマネージメントというか…議員って「我々が」っていう人が多いんですよ。人を支えるとか、今いるポジションの役割を果たす、というのが苦手な人が多い。若いころから議員、みたいな人が多いから。馬淵は今、センター委員長をやっていますが、センター委員長って恨まれるんですよ、公認する、しないとかで。その恨まれることを、きっちりこなしていくことが出来る人というのは、民主党にとって貴重な存在だと思いますね。

 

●質問コーナー

 

Q : 社会保障の件ですが、税でやっていくには限界があるので、経済成長と少子化の問題も併せてトータルで考えないといけないと思うのですが。

 

A : 我々もトータルで見ているつもりなんですが…誤解を受けたのは、例えば子供手当。子供手当だけ配れば子供が増えるなんて思ってないですよ。でも、子供手当もやらなきゃいけないし、出来ること全てをやらないと子供は増えないし。人口が減る、ということが色んな所の問題になっているわけですから、人口を増やすためにはあらゆることをやる。日本人だけで増やせないんだったら、外国人をどうするのか、ということも、ちゃんと正面から議論する、と。今にわかに、2020年オリンピックの時に建設労働者が足りないから外国人を入れようか、とどっかで言っていますけど、それも結局「技能研修制度」という事で入れているんです。外国人に日本で学んでもらって、本国に持ち帰って生かしてください、という制度なんですけど、これ本音と建て前違いますよね。建て前はそうだけど本音は単純労働者として活用しているわけですよ。うちの地元は製造業の町ですけど、日系ブラジル人の労働者がいないと、トヨタの三次下請け、四次下請けが成り立たない、という現実がある。あるいは田舎に行けば、中国人研修生がいないと農業が成り立たない地域もあるわけなので。外国人労働者を正面から入れる、という議論を今まで避けてきて特例的に入れてきたけど、入れるのか入れないのか、正面から議論する時が来てるんじゃないですかね。もちろん日本として本当に受け入れられるのかどうか、っていうのは慎重に考えなきゃいけないですけど。確かに社会保障というのは年金だけ見てても仕方ないし、トータルで考えないと、と思いますね。

 

Q : ポスターが斬新だなあ、と思うんですが、そういう思い切ったことをやる理由は?

 

A : このポスターは、地元のゆるキャラをデザインしたイラストレーターに描いてもらったんです。日和っちゃって写真入れちゃってますけど(笑)、本当は写真無しのポスターを作りたかった。国会議員のポスターって、写真と名前じゃないですか。そういうありきたりなポスターじゃなくて、あえて写真は入れないでイラストだけのポスターって、あってもいいんじゃの、と。過去に色んなポスター作っているんですけど、いまだに選挙区で言ってもらえるのは、最初の選挙が終わった時に、「大西健介 只今日本清掃中」という…事業仕分けで税の無駄遣いをなくして、掃除をしましょう、というので、掃除機を持ったポスター。よく「ダイソンですか?」って聞かれるんですけど(笑)。いまだに「掃除機のポスターの人」とか、「国の掃除はちゃんとやっとるか?」とか言われますね。印象に残るポスターというのが大切じゃないか、と。これも賛否両論なんです、「あの変なポスターは何だ」とお叱りを頂くこともあるんですけど。普通のポスターだったら貼り替わったことも気づかないかもしれない。話題にもならないよりも話題になった方がいいだろう、という思いでやっています。