大野 泰正
おおの
第124回
2014年07月09日 放送

自民党 大野 泰正 参議院議員

自由民主党創設期からの党人派・昭和の大物政治家の大野伴睦氏のお孫さんです。昭和30年代東京オリンピックを控えた希望ある日本、岸内閣のもと、大野伴睦副総裁で様々な今の日本の未来の方向性が決められました。当時の「岸信介VS大野伴睦」のお話を聞くと、「新聞や後の本が書くような(おおげさな)事ではないし、そもそも父の代(安倍晋太郎氏=大野アキラ氏)で一緒に仕事してましたしね。」との事。三代目として安倍総理は現在、祖父の岸信介さんと同じ外交中心の活動を精力的に行い、「日米安保条約」「集団的自衛権」もまさに家訓としての勢いを感じます。大野伴睦氏の心意気を継承する政策をお聞きすると「あくまでも地元の岐阜県の皆の生活を守り、豊かに暮らしていけることがまず第一!!」と頼もしいお言葉をいただきました。

 

(動画より文字おこし)

自民党 岐阜県 1期目 (2014年7月9日 収録時点)

[嬉しいですね!大野伴睦さんのお孫さんですから!] ― 知っています?[昭和の歴史を読むと必ず出てくるじゃないですか!(大野伴睦回想録を手に持ち)お会いできて光栄ですよ。この間、細野豪志さんがこの番組に出てくれた時に、民主党はファミリーの歴史がないから、鳩山さんにはあるけど、それ以外の人にはほとんどないから。日本人はファミリーの歴史を辿るのが好きだから、そう言った意味でも民主党は人気がないというお話をされていましたね] ― まあねえ~、紆余曲折ありましたけど、ここにおりますけどね。(笑) 爺さんたちが、本当に素晴らしい日本を作ってくれたんで、しっかりやらないと。

[おじい様は昭和39年に亡くなったんですよね。東京オリンッピックの年に。大野泰正さんが昭和44年生まれ。5歳ぐらいですから、知っているんですか?] ― ここでこんな言い方がいいかわかりませんが、病院とお葬式しかわからないです。[でもその後にね、親戚縁者から聞く話は凄いものがあると思いますね。きっと] ― 何が嬉しいって、県議会とか今の立場にならせて頂いて、岐阜のみなさんにそういう話をいろいろ聞かせて頂けるから。自分よりみなさんの方が知っていますからね。(笑) 自分の中のおじいさんというのが、今やっと出来てきている感じですよね。[生まれた時からそういった意味で、付加価値が付いているから、強運なんですよね。(笑) 私は大野伴睦回想録を読みました。新橋に料亭で花蝶というのがあるんですよね。復刻して銀座にできたんですよ。予約を入れましたもん!(笑) 行った方がいいですよ。大野伴睦さんあっての、花蝶だと思いますよ] ― はい、わかりました。一度。(笑) [この本にある伴睦さんと、お孫さんから見た伴睦さんは違うんですか?] ― 外に出ているイメージはちょっと強面なイメージなのかなと思いますけど、実際のおじいさんはユーモアもあるし、にこやかだし、大変繊細な人ですよね。本当は凄く大胆に思われていますけれど、字なんか見ても本当に優しい。女性が書いたとは言いませんけど、しかりとした優しい字を書かれる。[(大野伴睦回顧録の中の写真)高輪の私邸が載っているんですけど、これ何ですか?家に虎があったんですか?] ― 覚えていないんですが、今はお墓のある本門寺にあるんじゃないのかな。おじいさんは寅年なんです。で、虎のいろんな物を収集しいて。[私も馬のいろいろな物を収集していますから] ―あ、午年ですか?[はい、丙午ですから(笑) 高輪の私邸は孫の代だと無くなっちゃうんですか?] ― はい、ちゃんと井戸塀で。(笑) おじいさんがいなくなるとちゃんと無くなるように出来ているんです。[凄いですね、日本の税制!!] ― 税制っていうか、はい、無いですね。(笑) [ここでお生まれになったんですか?] ― 家は父が四男ですから、私は外の外の、家孫の中でも一番下ですから。[あの虎がどういう素材で出来ているか、見てみたいですね。きっと、重厚な高い物なんでしょうね] ― 普通の石だと思いますけど。(笑) 池上の本門寺に行けばあるはずです。お墓に。[ナベツネさんがバンキシャだったんですよね。ナベツネさんはお父様がいないから、伴睦さんをお父様のように慕ったという。ナベツネさんにはお会いしましたか?] ― お目にかからせて頂いて。いまでも祖父が書いた「義理と人情とやせ我慢」という書があるんですけれど、お部屋に飾って頂いていてその時のお話もして頂いて、楽しい時間でした。[伴睦さんは、そういう用語を作るのが、上手かったんですよね。選挙に落ちた時の] ― あ、あれですか?猿は木から落ちても猿だが、政治家は落ちたらただの人、というやつですね。本当にただの人になっちゃうんで。親父も一回落ちて、大変だったんですよ。なかなか、選挙っていうのはね。心をいかにご理解いただくかということですから。[当時の岸内閣で副総裁をやられたんですよね。総理になると言われていたんですが、いろんな密約もしたんですが、総理になれなかったということですよね。そうゆう恨みはまだあるんですか?] ― ないですよ。(笑) 安倍総理とも仲がいいですし。本は面白おかしく書きますけど、その時はそうだったかもしれないけど、実際には特に当時の政治家は天下国家を思っていて、そんなことぐらいでは最後まで尾を引くということはないし、二代も三代も尾を引くということは無いですね。[この本を読むと(「岸信介VS大野伴睦」大下英治著)安倍さんはお爺さんの岸さんのやりたかったことを全部やっているんですよね。憲法改正とか、集団的自衛権、昔は安全保障条約。家訓というかね、まったくそれをそのままやっている感じでね] ― そういうのはあると思いますよ。私も祖父から直接は聞いていませんけど、父から言われたこととか、自分の中で大切にしているのはありますから。

 

 

●幸せ度数年表

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第124回大野泰正

 

[昭和44年、どちらでお生まれになったんですか?] ― 東京です。父が自分で仕事をしていましたので。[何の仕事ですか?] ― 建設会社をやっていたようです。小さかったので記憶はありませんけど。[高輪の私邸はあったんですか?] ― もちろん、その時はおじいちゃん、生きてましたんで。私は五反田で生まれました。[ずっと、慶応ですか?] ― はい、頑張りました。いったん出ちゃったら、えらいことになりますからね。(笑) [同級生に有名人はいますか?民主党の長島さんは?] ― 彼は当時から知っていました。ひとつ下ですけどね。[狭い上流階級の世界ですからね] ― 彼は応援部だったんですよね。私もちょっと応援部に関わったこともあるんですけど、よく存じ上げております。[どんな学生時代だったんですか?] ― ほとんど、ずっと運動しただけ。僕はアイスホッケーをやっていたんです。体育会のアイスホッケーですから、授業も出ずに。(笑) 本当に何をやっていたのかと言われれば、アイスホッケー部を出たという感じですね。[道具とか高くて買えないですよね~] ― 高くて買えないので、先輩方から貰うんです。だからちゃんとしていないんで、所々、防具が防具で無くなっていて、結構怪我をしましたし。あと、アイスホッケーのリーグがあって、上手い人たちはスティックがちょっと壊れると捨てていくんです。僕らはそれを取って来て補強してずっと使っていたりしました。[大物昭和政治家の家系って質実剛健なんでしょうね] ― どうなんでしょうね。意外と厳しかったですね。特に私の場合、父親も母親も戦中派ですからね。当たり前のことを当たり前に出来るようには、きちんと育ててくれたと思いますよ。[大野先生は何人兄弟なんですか?] ― 二人、兄貴がいます。[お兄様は政治家にならなかったんですか?何をやってらっしゃるんですか?] ― 旅行関係の仕事をしています。[慶応大学を卒業して全日空に就職ですね] ― お陰様で。あ、この前に少し落ち込んでいるの。大学の4年生まで勉強をしていないって、さっき話したじゃないですか。これはまずい!っと。一年位留学して英語の勉強をしたいと、甘い考えを持っていて母方のおじいさんにお願いしたんですよ。それでオッケーしてもらって。そうしたら7月に亡くなっちゃって。それで、急に就職ですから。今なら考えられないようなね。当時だからまだ間に合いましたけど。もう本当に必死でしたね。とにかくいろいろな所に行って。初めは訳がわからなかったですけど。初めは落ちまくりましたけど。自分が何をやりたいのか、決まってないまま行っちゃっていたから。大きな紙に自分の年表を書いたんですよ。それで僕は飛行機のことばっかり出てきた。普段はそんなに思っていなかったんだけど、急に、飛行機が好きだったんだ!と思いだして。それで、業界二番に入りたいというのがあったんですよ。一番は嫌だったんですよ。当時国内線だから、日本語が通用したんですよ。[CAも可愛いからね~] ― あー、あのー、綺麗な方ばっかりで。(笑) [全日空に就職して、どちらにいらしたんですか?] ― 私は羽田に。[華やかな時代でしたよね] ― はい。今でも、本当に良かったなあ~と思います。[何年間、勤めていたんですか?] ― 二年目の途中で、さっき言いました、親父の落選というのがありまして。[どうしてお父さん落選したんですか?何かあったんですか?] ― 票が足りなかったんですね。(笑) [大野伴睦さんの息子さんでも落ちちゃうんですね~] ― そりゃ~、全然落ちますよ。[ちょうど大野伴睦さんの時にテレビ局開局の時で、利権がいろいろあって。おじい様はテレビ業界にいかなかったんですね] ― それは無かったですね。うちのじいさんはそういう方よりも、プロレスのコミッショナーをやったりそういうのはあったみたいですが。[力道山とか?] ― 力道山さんといろいろあったみたいですね。[まだ赤坂にリキビルありますもんね] ― 親父が落っこって、二年で辞めざる得なくなりまして。二回連続落選すると、終りなんで、多分。最後の一回は一緒になって戦おうと思って。今考えると、休職すりゃ良かったと思うんですけどね。(笑) ちょっと勢いで退職して。次の選挙まではきちんと手伝いましたね。それで、選挙に通って私は自分で会社をやったりしていました。[ちょうど自民党が人気のない時代だったのかもしれないですね] ― どうだったのかな~。ちょうど大臣でほとんど、地元に帰らなかったというのもあったんですね。まあ、いろいろな要素が重なったと思いますし、自分達の努力不足だと思います。[何の会社をやられていたんですか?] ― いろいろやってましたよ。情報のいろいろやり取りする会社をやったりとか。[その頃はパソコンとかが普及していて?] ― まだ、始め、入ってきたぐらいですね。いろいろな情報をまだファックスで流すというイメージの時代でしたけどね。そんなこともやったりとか。[岐阜県会議員を3期10年やられたんですか?大野伴睦さんのお孫さんで、県議をやられたのは、初めてだったんですか?] ― そうですね。初めてです。この時、父が亡くなって、その補欠選挙で母が出て。[お母様、この間まで参議院議員でしたからね。凄いんですよ!] ― はい、お陰様で元気ですので。(笑)

[お父様とお母様が国会議員なんですから!] ― この時、今いる羽島市の県会議員さんが急に倒れちゃったんですよ。自民党の候補者がいないということで、急に市長さん達から来まして。[いずれはなるつもりだったんですよね] ― んー、見ていると大変だし、自分で出来るのかなあと悩んで。県会議員というのは、本当にみなさんに助けてもらっている訳ですよね。その席に僕が入っていこうとは思わなかったですね。邪魔しに行くような話はね、出来ないなあと思って。考えてなかったんですけど、たまたまそういうことで。また一人区だったんで、「出よう!」「はい、わかりました」みたいな感じでしたね。[10年で県議をやめて、参議院議員ということですよね] ― ここで公募があったんですよ。公募に通って、県会議員を6月までやって、参議院選挙に出て。お陰様で、今預からせて頂いております。(深々と頭を下げる)[話題の地方議会ですよ!] ― 政務調査費?[地方議会の末端出身ですけど、地方議会は変な人が多いですよ。それはしょうがないんですよ。社会の仕組みで。普通に上場会社に勤めている人が辞めて、やらないもん、この世界。ある時、急に無になっちゃうんですよね。私、この間、下地幹郎さんのホームページを見て、そう思った。あんなに大臣で中枢にいた人が、今何にもなくて、頑張っていらっしゃるというのが。これが選挙なんだ、政治なんだと思って] ― 現実、相当な思いがある方じゃないと、僕ら誘えないですよね。本当は若い方に出て頂きたいとか、いろんなことがあっても、生活が安定してというのもないし、年金も全部なくなっちゃったし。それを考えちゃいけないんでしょうけど、ねえ。[だから野々村竜太郎も、せこくせこく、スーパーで日用品を買っちゃう訳ですよね。39円の物とか。私の頃は、政務調査費はオブズマンがそんなにうるさくなくて。政治資金収支報告書、ゼロで全然オッケーでしたよ。だけど、小沢一郎さんあたりから、ブームとして1円まで合わないと、大騒ぎじゃないですか。大野伴睦さんの時代は使い放題、本当に利益として取っていたと思うんですよ] ― この時代の政治家というのは、入ってくる物も多かったと思うんですよ。でも、それより多く出て行ったと思いますよ。(笑) [お金がないと、お金のある人の所に行って頭を下げて、ちゃんと取ってくるんですよ。資金調達、無い時は有る所から(笑) (大山伴睦回顧録を指して) ]

― お金を取ってくるというのはどうも。(笑) 企業の人たちも国がとにかく発展しないことには、自分達の発展もないから、一緒になって日本がどんどん成長するようにみんなで頑張っていた時代ですよね。今は少し安定したから、ちょっと感覚が変わってきていると思うんですよね。

 

●最近の政治トピックス

 

[すみません、おじい様の話ばかりして。大野泰正さんの政策等々を聞きたいです] ― 今度、岐阜はリニアが通りますからね。山梨から途中、岐阜を通って名古屋に行きます。この間乗せて頂きましたけど。[それにしても、遅いですよね。決まってからが。山梨の金丸先生が生きていた時からの話じゃないですか] ― あれだけの大きな事業ですからね。新幹線の時はオリンピックもあり。元々は弾丸列車といって戦前からの話だった訳ですから。ある程度時間はかかりますね。[どこからどこまで、乗られたんですか?] ― 実験列車に乗せて頂いて。[何キロ出るんですか?] ― 506キロぐらいかなあ。緊張しますよね。初めての感覚。[うかつに歩き回ったりしたくないですよね] ― 500キロの時にみんな立って、デジカメを撮っているんですけど、全然危なくもないし、ベルトも無いんですよ。これは本当に実用的だなと、その時に思いました。500キロの時にみんなが立って、大丈夫かなと本当に思いましたから。僕は小心者なんで、座っていましたけど。(笑) [今国会ではどんな委員会に所属されているんですか] ― 国土交通委員会と予算委員会と政治倫理審査会に入っています。[生涯の内に是非やってみたいということはありますか?岸さんの安全保障条約、憲法改正みいたいなものはあるんですか?] ― 僕は地方議会をやらせて頂いて、何をというと、人を大切にしなければ、生きてられるようにしなければいけないんですよね。岐阜県というのも0メーターから3000メーターまであるわけなんですよ。いろいろな生活をしている人がいるんですよ。それをひとつでくくっちゃうと、助かる人もいれば、困る人もいるわけじゃないですか。[ひとつの条案を通すのにね、賛成反対というのが、必ずいる訳ですね。そういうのはどうやって対応しているんですか?] ― 地方に分権はしてあげながら、日本が少子高齢化で一気に回復することは難しい訳ですから、その中で元気に生きて行くかというのをやっていかなきゃいけない。大変なことは先輩方に頑張って頂いて、私は地道に地に足がついたことをやりたいなと思っています。[それもいいですよね。ある意味、色の出し方というか。国会議員になったから、全員が安倍さんと同じに外交をやろうじゃ困りますしね] ― 日本にとって外交は大切ですし、国会に行った以上は外のことももっと知らなきゃいけないし、みなさんにもお話しなきゃいけないし、だからこそこうなんですよ、というお話もしていかなきゃいけないし。でもまだまだ地方にはアベノミクスが来ていない訳ですから。まず、少し安心して頂かないといけないし。元々、県議会をやった時にも、ここにも書いてありますけれども、「全ての命を守る、つなぐ、輝かす」というのが私のモットーですので。県議会で一番初めにやったのが、ドウターヘリの導入。[やっぱり入れない所があるんですか] ― 中山間地が非常に多いわけですから、ヘリコプターは非常に有用ですし。そこにお医者さんが行ってくれるというのは、早く治療が始まれば、その人たちが元気な納税者になっていただける。やっぱりクオリティーオブライフで質のいい生活をして頂ける、安心安全のためにもまずそういうことをやろうと思って。初めはいろいろあって、8年かかりましたけど。[県議会議員の10年の間でやられたということですね。素晴らしいですね、ひとつやられたということがあるのは。大野先生と話していると戦争が起きない感じがしますね。武闘派な感じがしないですものね。お酒を飲むと変わるとかですか?] ― お酒を飲むと?んー、眠くなっちゃいますね。(笑) [参議員議院になって何年ですか?] ― 一年です。[国会をひとつの会社だとすると、お父さんの事を知っている、お母さんのことを知っている、お爺さんのことを知っているとういう人ばっかりじゃないですか?] ― お陰様で本当に。こっちからというよりも、上の方から声をかけていただけるんで。[目が似ているねとか?] ― これは本当に財産ですよね。本当に有り難いことで。助かっています。[みなさん、立候補してもだめですよ、きっと(笑) 名前を覚えてもらうだけで10年以上かかります]から。(笑) こういう方は行った瞬間に伴ちゃんのお孫さん、から始まりますよね] ― 本当にお陰様で。それは非常に助かっています。[生まれ持った強運ですね。(ニコ生コメントを読んで)議員ぽさがあまりないでね。私もそう思います。そこがいいですね] ― バッチを付けないのも、いろんな居酒屋で聞き耳を立てたりしているんです。ずるいんですど。(笑) そうするとやっぱり、いろんな不満が聞こえてきたり、良かったなということも聞こえてくるし、ひとつひとつ自分の中に入れていって。[ユーミンだってねえ、ファミレスで聞いて詩を書いているんですから]

 

●今だから言えるあの日のあの出来事

 

[いっぱいあるでしょう?] ― これ、難しいですね。今だから言える?[いっぱいあると思いますよ] ― 何があったんでしょう?たくさんあり過ぎて。(笑) [やっぱりね。中曽根さんにはあったことはあるんですか?] ― 中曽根康弘先生ですか?直接お話ししたことはあったかなあ。今、参議院の方でご子息の中曽根弘文先生には大変お世話になっていますけど。[かっこいいんですよね。ロマンスグレーで] ― 本当にかっこいいですよね。[恥かしい話がいいって書いてあります。(モニターのニコ生コメントを読んで)] ― 恥ずかし話?難しいなあ。(笑) 酔っぱらってというのはあまり良くないしなあ。[今、派閥はどちらですか?] ― 清和会です。[安倍さんの?] ― はい。さっきの話にありましたけど、安倍晋太郎先生の時にうちの親父が事務総長なんですよ。私の前の時にそれ終わってる、ね。[あー、なるほどね。そこで和解して] ― 和解もなにも。(笑) [孫の代までね、引きずる方がおかしいですよね] ― 僕らの仕事ってそうじゃないじゃないですか。日本がどうなるか、ということだけですから。その一点だけなんで、やっぱり一緒になれますよ、何があっても。[これは大下栄治さんが書いた本なんですけど、(「岸信介VS大野伴睦」の本) 昭和の政治家は好き嫌いが多いんですよ。岸が嫌いだとか、三木が嫌いだとか、好き嫌いなんですけど、今の政治家は好き嫌いがなくなったと思うんですよね] ― 小選挙区と中選挙区の違いもあると思うんですけど、もっと派閥というものがガンガン、切磋琢磨していたわけで。今みたいに自民党と民主党とかじゃなくて、派閥の中、自民党の中でのパワーゲームが凄かったので、どうしてもそういう感覚にはなりますよね。[今は派閥活動はどうなんですか?森さんの時は毎週、赤プリでやっていましたけど] ― 今も毎週やってますよ。[今はどこでやっていいるんですか?] ― 今は党本部でやっています。[お金をかけなくなりましたねえ] ― 凄くわかり易い言い方。(笑) [どうですか、派閥の締めあげは?] ― 締めあげというか、みなさん派閥のことを言われますが、一人だと何も出来ませんから。昔のパワーゲームじゃなくて、今は政策集団的な意味合いが強いですし、その中でいろんな人がいて、いろんな話が聞けて、先輩方からも話が聞けるというのは、非常に僕にとっては有り難いですね。[なんて謙虚なんですか!私だったらね、自民党を作った人の孫だったら、いばっちゃいますよね。(笑) ] ― すべて政治は生き物ですし、国民のみなさんのものですから。なんてきれいなことを言ってると思っているでしょうけど、本当に素直にそう思っていますよ。(笑) 今だから言えるひとつは、就職でさんざん落ちまくって。ある先輩に「おまえ、自分がやりたいことがわかってない」とパーンと言われて本当に助かりました。今でも感謝しています。それがなかったら全日空に入ることもなかったでしょうし。今でも全日空のみなさんと仲良くさせて頂いたり、人との出会いがなにより大切だし。いろんな方といろんな所で出逢えたというのは、有り難いですね。本当に。[今日も若い方もみえていて、就職のことで悩んでいるかもしれないけど、やりたいことなんて、大野伴睦さんだってぶらぶらしていた時期もいっぱいあるわけですから。やりたいことをはっきり言える若い人なんていないですよ] ― 何がしたいと言われれば、どんだけ多くの人の笑顔を作るかですよ。それ以外、ないじゃないですか![いい話ですねえ。] ― 僕らというよりも、美和さんだってそうでしょう?みなさんもそうだと思うんですよ。(会場のみなさんに手を広げる)[みなさんに笑ってもらいたい、楽しんでもらいたいと思うのが根底あるから頑張るんですよね。確かに!] ― それじゃなかったら、この一週間におじいさんのことを調べてもらうこともなかったし、やっぱりみなさんに喜んで欲しいとか楽しんで頂きたいとかだと思うんですよ。自分も面白がりながら、笑顔を作れれば一番いいなあと思いますけど。あの中に(国会)にいる時は少し難しい顔をしていますけどね。(笑) あまり笑っているとまずいんで。[近寄りがたい雰囲気でね(笑) ] ― 真面目な顔をして。[それはそれで、大変な職業ですよね] ― 私にとっては苦痛な面もありますけどね。(笑) [もっと、フレンドリーにいきたい、みたいな感じがあるんでしょうね] ― 国のいろんなことがあそこで決まっていくんですから。真剣勝負だから。当然のことですけどね。

 

●質問コーナー

 

Q1;県議も経験されているんで、地域の活性化とかもお詳しいと思うんですけど、先程のリニアの話もですけど、JRだとか一企業がやると時間がかかるじゃないですか。もっと地域の活性化のために、国も建設国債を発行するとか、東京オリンピックまでにとか。そうすれば、アベノミクスもうまくいくんじゃないでしょうか。何かこうした方がいいというのがありましたら。

A1;まず、地域活性化というのもそうですけど、リニアというのもある意味、国家プロジェクトという位置づけもされながらもJRの主体でということになっていますけど、これは国家プロジェクトという考え方でいいと思いますし、本当は大阪までね。来週来られる方が大阪までと言うと思いますけど。(笑) 道でも何でもそうですけど、全部開通して本当の経済効果ですから、これをいかに早くやるかというのは政治の力は大切だと思います。それと、何より東京に一極集中している、分散させないと危機管理すら本当に危ないわけですから。そういう機能分散という意味からも、時間を縮められるんですからリニアに背負ってもらって。たとえば、いつか来るといわれる直下型の地震の中でも、決して国の機能が失われないようにしったりとした国土を作ることが大切だと思いますんで。その一翼としてもリニアというのは大きな役目を果たしていけると思うんで、国家プロジェクトとしてやらなければいけなんじゃないかなと私も思います。

 

Q2;大学生です。これから本格的に就職活動が始まるんですけど、やっと最近、目標が決まったところで、広告業界を目指すんですが、何か一言アドバイスをお願いします。

A2;広告業界を私は受けた事はありませんけど、やっぱり自分を売り込む訳ですから、自分のこともわかって、相手のこともわかって、いかに伝えるか、どういう思いで伝えるか。自分勝手になっちゃいけないし、相手の思いももらいながら、しっかりと自分の思いを伝えていくという。楽しいですよ、やり出すと。僕もね、落ちまくっていた時は楽しくはないけど、何でかな?と思いながらね。(笑) さっき言った、先輩に言われて、死ぬ思いでと言ったらおかしいですけど、藁をもすがる思いでそれをやりましたけど、それからは自分の言葉で自分のことをしゃべれるようになった。それまでは本の知識とかいろんなもので適当なことをちょろっとしゃべってたんで、そりゃ受かるわけねえわ!と思いましたもん。後から思うと。自分らしく、難しいことを言う必要はないんで。あなたの素晴らしさを出せばいい訳ですから。あなたの目でたぶん、みんなやられちゃうと思います。(笑) 目力で。それが素晴らしいと思います。

 

[今日はお会いできて嬉しかったです。花蝶行きますよ] ― どういう字を書くんですか?[花に蝶です。最近リニューアルしたんですよ。大野伴睦がそこでどれだけお金を使ってね、いろいろな人を巻き込んで、そして歴史的な背景で今がある、みたいな。そこにも、桂境亭という料亭があったんですよ。私もよく行っていて、女将が三木武夫さんのお妾さんだったんですよ。最近閉館しちゃったんですよ。たぶん、女将の体調が。もう八十いくつだから。三木さんの写真がいつも飾ってあるんですよ。ラブレターをくれた話とか。あの三木武夫さんが愛のささやきをした話とか。え、こんなことを言うんだ!みたいな話を女将さんとよくしていたんですよ] ― 花蝶でお爺さんが行っていた時代の人ってらっしゃるのかねえ。もう亡くなって50年ですからね。いろんな歴史がありますし、是非行ってみたいと思います。

 

Q3;私は仙台から来ていまして、出身は福島県の南相馬市という所で、就職がたまたま仙台だったんですけど。私の両親は元気で南相馬で暮しているんですが、やっぱりすごく故郷のことが気になるんですね。ゆくゆく私も福島のために将来的には何かしたいなあという思いもちょっとありつつ、国会議員という立場で、国全体のことを考えていらっしゃる立場で福島県立ち位置を今後どう考えていらっしゃるのか、ざっくりとした質問で恐縮ですけれども、ちょっとお聞き出来ればなあというふうに思っております。

A3;東日本の震災は我々も絶対に忘れてはいけないし、風化させちゃいけないんで、常にみなさんに呼び掛けているし、みなさんの心にしっかりと止めておく。そして、お互いにやっていくことが大切だと思うし。今度も南相馬の方だったかなあ、岐阜県に子どもたちに来て頂いて。まだ何カ月かは外で暮さなければいけない、いろんなことがあるんですね。まだまだ大変なことがたくさんある中で、国というところで言えば当然、一会社が責任を取れる話ではないし。みなさんが本当に安心して生きて頂けるようにするには、多少ご無理も言わなきゃならない現実をお互いに理解した上で、現実対応をしなきゃいけない面は僕はあると思います。でも、それを丁寧に丁寧にやっていくのが国の仕事であり、これから福島のみなさんとは日本全体でひとつになってやらなければいけない話で、福島対どことかそういう話ではなくて、やっぱり日本の中でしっかりと手を取り合って解決出来るように政治が主導していくべきだと僕は思っていますから。一生懸命に努力します。はい。

 

[伴睦さんのお孫さんは何人いるんですか?] ― 11人です。[内外を合わせて?] ― 外はわからないなあ。うちの親父が四男なんですよ。僕が11番目で、こんなになっちゃいました、みたいな。(笑) そういえば、県会議員選に初めて当選した時にマスコミの人たちに囲まれて「どう思いますか」と言われて「男子の本懐だと思いまいした」と言ったら、それは差別用語ですよと言われて。[大野先生はヤジは凄いんですか?] ― 本当に間違っていることを言っている場合には訂正するような形もあって当然だと思いますよ。[私なんかは、ヤジは議場の花だと思っていて推進派なんですけど。内容によってですけど、国会議員だからといって聖人君子だけではないんですから、合いの手というのは必要ですし。自民党議員にはみんな注意が行ったんですって?どっから行くんですか?] ― 本部から。[正式に書面で来るんですか?] ― そうです。発言には気を付けるようにと。人格とかは言っちゃいけないけど。あまりにも、ありもしないことをずっと語る人もいるから。そうしないと、見ている方には間違った、ミスリードをしてしまうことがありますから、そういう時にはね。