太田 房江
太田
第125回
2014年07月16日 放送

自民党 太田 房江 参議院議員

かつて大阪府知事(2期8年)を勤め上げた、太田参議員。「飴ちゃん」を常に持ち歩くコテコテの大阪のおばちゃんです。しかし!経済産業省の役人として25年のキャリアを持ち「四半世紀の、通常残業省(経済産業省)では、太陽光パネルの補助金政策や女性の社会参画、エネルギー政策に力を注いだ」とお話されていたように、彼女自身がバリキャリ(バリバリのキャリアウーマン)ですが、お会いするとフンワリしたお茶目さがとても魅力的な方でした。現在は「参議員残酷区(全国区)」(本人談)で、アベノミクスの女性活用戦略と地方活性戦略では、太田参議員が先導してくれる事間違いありません!!

(動画より文字おこし)

自民党 全国ブロック 1期目 (2014年7月16日収録時点)

[女性最年少知事だったのですね]―二期8年大阪府知事を務めました。[太田さんの後が橋下さん、太田さんの前が横山ノックさんなんですね]―そうなんです。[かりゆしを着てらっしゃいますが]―自民党の女性局で沖縄に行き普天間飛行場の視察にしたりひめゆりの塔、平和記念公園に行って献花をして来ました。政治家としてきちんと視察をしてきたつもりです。女性の時代が来たなあと感じています。[でも女性の国会議員は700人以上いて10%に満たないんですよね]―そうなんです。でも、存在感ありますよね。参議院を見回して存在感のある女性はたくさんいます。一院制はないなと。参議院は良識の府として維持してしっかりと発信していく院にならなければいけないと思っています。

●幸せ度数年表

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第125回太田房江

[広島県呉市のお生まれですね]―戦艦大和がで出来た町です。経済産業省に入ったのは技術が大事だ、物創りが大事だと思ったからです。小学校時代は体育は3あとは5という優等生でしたが、優等生には優等生の悩みがあって踏み外せない、早くから公人みたいな。結構苛められましたけどね。[全国いろいろな所のポスターを持ってきて頂きましたが]―父が旧国鉄の職員で転勤伴って色々な所に住みましたのでそれぞれが故郷だし、それぞれが私にとって全国区の大切な地域です。みなさんに見て貰えればなあと思って持って来ました。[東大に入られて通産省、今の経済産業省に入省されましたね]―国際婦人年というのがありまして、やっと女性の活躍に目が向けられるようになり、入省して10年後に男女雇用機会均等法が出来て最初の日から残業しました。[江田憲司さんとかとご一緒に残業していらしたんですか]―そうです。当時の同僚が今の野党でたくさん実力者がいますよ。[与野党の枠を超えていますね]―友人ではありますね。パイプがあって話が出来るということは大事なことだと思います。[経済産業省には何年いらしたんですか]―25年です。結構な年までいましたよ。[プライベートはどんな感じなんですか]― 夫が銀行に勤めていたんですが、父親のやっていた大阪の町工場を継いで大阪に帰って製造業をやっていました。大阪は中小企業の町ですから夫の工場で、現場を知ると言う意味ではいろんなことを教わりました。[通産省時代を振り返って印象的なエピソードを教えて頂けますか]-今、人手不足で外国人人材ををどうしようかという問題がありますよね。もちろん他の省庁と一緒にですけど、外国人実習制度を作ったんですね。それと太陽光パネルの普及のための補助金も私が住宅産業課長の時に作りました。1995年ぐらいですかね。[そのような政策が巷に降りて来るまで20年かかるんですね]―いえ、その時から10年続いたんですよ。一回切れて今日に到っています。補助金を付けたのでやっと太陽光パネルが浸透していきましたね。それと自動車産業でアメリカとトラブルが起きた時にはなぜ日本の自動車産業が強いのかをいろいろ調べて、アメリカに説明をさせてもらいました。[一言で言うとそれは何なんですか]―3万点と言われる部品から自動車は出来ているんですけど、日本の部品は精巧で不良品率が低くていい部品なんですね。だから日本の自動車はとても優秀なんです。それともう一つは部品メーカーと親メーカーが一緒に部品の共同開発をやります。知恵が結集されて日本の優秀な車が出来ています。そんなことも一生懸命アメリカに説明に行きました。[その後岡山県副知事になられましたね]―岡山県副知事になって地方行政が大事だなあということが分かりましたね。一回経済産業省に帰ったんですけどその半年後にノックさんの選挙期間中にあまり言えませんけど事件が起こって、清廉潔白に女性で行こうという事で白羽の矢が立ったんです。まさか自分に来るとは思いませんでした。大阪府知事を八年間務め、二回選挙をやりました。阪神の優勝パレードでテープカットをさせてもらいました。今カミングアウウトして言いますけど元々阪神のファンなんです。その当時近鉄球団売却の話があり、三木谷さんにお願いに行ったんですけど三木谷さんは次の日に仙台に行かれました。[あっちを買っちゃたんですね]―ええ、それで大阪がホームの球団が一つも無くなったです。[参議院議員にはいつなられたんですか]― 昨年の7月です。どうしてももう一回、政治行政をしかりやって日本が全部元気になるという仕事、もっと地方が元気になる仕事をしたい、そして自分の今までの経験を活かせる所は参議院だと思いました。でも選挙は大変でした。全国区は残酷区と言われています。[自民党の公認を取るのが大変だったんだじゃないですか]―もちろんです。当時第二次安倍内閣が発足して日本再生、アベノミクスが花開きつつありましたから私は経済の専門家で来たしやっと今、ローカルアベノミクスという第二ステージに入りましたけどそうゆう事が出来るのは自分だという思いがあります。[これからの安倍内閣の政策にピッタリ合いますよね]―出来ればやってみたいですね。ローカルアベノミクス、女性力の活用、この両面の実現に私も頑張らなければいけないと思っています。[デープ・スペクターさんの事務所に所属されていたんですか]―知事を退任して無職になりやることが無くなった時がありました。その時にデーブさんが「太田さん、大阪府政のことを説明する役割をテレビで果たしたらどうか。」と言ってくれて、そうだな、それも仕事だな、と思ってデーブ・スペクター事務所に入りテレビに出るようになったんですが、来る仕事はバラエティー番組が多くて、結構いじくられキャラが多かったです。(笑)[そう言えば、大阪府知事の時に土俵に上がれなかったんですよね。当時話題になりましたね]―男性の知事だったら当たり前に出来ることが、女性の知事ゆえに出来ないことが世の中にはたくさんあるということですね。[問題提起になりましたよね]ーひとつの例だったと思うんですけど、残念ながら上がれませんでした。(笑)

 

●最近の政治トピックス

[集団的自衛権の集中審議が昨日、一昨日ありましたね]―私は昨日沖縄に行って平和記念公園で献花をして、ひめゆりの塔に行きました。当時の沖縄第一高女の生き残った方がひめゆりの塔の展示館で説明をして下さいました。200名近い亡くなった方の写真があって、近くで亡くなった方のその時の状況や、6月23日に沖縄では戦争が終わったと言われているんですけどその後の、自らの命を守らなければいけなかった状況をつぶさに聞きました。最後にその方が「平和が大事だ、戦争はしてはいけない。」という身から染み出る素晴らしい言葉として聞きました。ですけれども、集団的自衛権というのは戦争を起こすためのものではなく、平和を願う方々の思いを大事にして日本を守る、そして二度とあのような戦争を繰り返さないためのものです。憲法改正でやれという方もいらっしゃいますけれども、憲法の基本である平和国家そのままに守って、時代の要請で解釈を変えるだけであって平和憲法そのものは守る立場だと信じています。国民の命と安全に重大な危機があるということが明白な時のみ行使をするとしっかり書いてありますから、私は限定的に行使をされる、日本人を守るために行使されると信じています。[閣議決定はされましたよね]―私は議員として推移はちゃんと見守って来ました。自民党内でもいろいろ議論はありましたが、耳触りは悪くても将来の子供たち孫たちのために必要なことは今の政権与党が責任を持って、やることはやらなければならない、という強い責任感のもとに議論が修練されて行ったと思います。自衛隊法も改正する訳ですからおそらく自衛隊の中からもいろんな意見が当事者として出て来るはずですから、それを全部説明していくという作業を潜り抜けないと最終的に国民には理解して頂けないと思います。いろんな事が世の中で起きていますから、日本が平和国家として生き延びていくためにはきちんとした制度なり装備を身に付けないと難しいと私は思っています。[エネルギー問題もやってらっしゃるんですよね]―私はエネルギー庁にもいまいした。長期には原発は無くしていかなければいけないと思うのですが、それが原子力に替わる新エネルギーのエースってなかなかないんですよね。[第三のエネルギーはないんですか]―たとえば太陽エネルギーの場合、一年間の日本のエネルギーを賄おうとしたら、山手線の内側を全部太陽光パネルで埋めても足りないんです。日本中に電気が行きわたらないです。そして夜は太陽がないのでエネルギーが起きないから、バックアップ電源と言ってその時に電気を送れるように別の電源を用意しなければならないんです。そうするとコストが二倍かかるとかいろいろあり、なかなか原発に替わるビッグなエースが生まれてこないというのが本当に悩みです。電気代は二割三割上がっていますし、中小企業は大変に困っていますし、これも国民の皆さんの意見を聴きながら責任を持ってやって行かなければならない与党の仕事です。[女性の力を活用するアベノミクスにつては]

女性の管理職の状況を有価証券報告書に書かせるというのだから、大変なことでよ。この会社は女性を活用していないんだなあと女性の方々が思うじゃないですか、とその会社の製品のイメージが落ちたりるんです。[でも、上場企業で管理職としてバリバリと働きたいという女性は私の周りにはあまり見当たらないんですけど]―そうかもしれませんが、少しづつ意識を変えていくにはそのような象徴的な何かを積み重ねていく以外にないかと。少しづつ積み重ねていく事によって、女性の側もちょっと変わってきたかな?ひょっとしたらやれるかもしれないと思う人がだんだん増えていくこが大事だと思うんですね。でも、大企業で管理職でやっていく事だけが幸せじゃないわけで、普通の中小企業で、あるいは農業でもいいし、自分の好きな事が好きなように選択出来るということが一番大事なことです。大阪府を頑張る府庁にしようと思って、何人もの方に「あなた部長やらないって?」そうしたらね、男性の方にとやかく言われるのは嫌だし、早く帰れなくなるのは子育てと両立できないと言われて。アベノミクス一丁目一番地なので頑張りたいと思います。[安倍総理は批判も多いけれど、決まっていくスピードが速いですね]―安倍総理はぶれないんですね。[トップにいらしたから、トップの気持ちがわかるんですね]―自分でもぶれたことがあるから反省として安倍総理は立派だなあと思います。

 

●今だから言えるあの日の出来事

 

大阪府知事選挙に出た時ですね。私は本当に外野で大阪都知事のセクハラ事件を見ていたんです。大阪たいへんだあと思って人ごとだったんです。当時は岡山県副知事から戻って経済産業省の消費者行政をやっていました。そうしたらある日突然、自民党筋から省のある偉い人を通じて話が来まして、ところがその話というのが2月6日が投票日なのに12月22日に来たんです。その時点で一カ月しかないんです。次の日が天皇誕生日でお休みで、「休みの日に一日考えていいから、断るなよ」と(笑) でも私も岡山県副知事の時に地方行政をやってみたいなと思ったんですよ。でも大阪みたいな大きな所で私がやれるかなと思いました。[予算が3兆円ですからね]―当時、審議官をやっていましたけどそれでもナンバー3かナンバー4なのでごぼう抜きみたいなものでしょ。自分がやれるかなあと思いましたね。その時に夫の父が「やってみなはれ、何とかなるやろ」ポンッと背中を押してくれたんです。義理の父が言うんだったらやってみようかなと。あと大阪の人というのは大阪のために働いてくれるということを凄く評価してくれるんです。口ではいろいろ言うんですよ。でも、大阪のためにずっと働こうという気持ちをちゃんと出せば評価して下さるんです。だからこらからも頑張ろうと思います。[知事を辞めてから参議院議員になられて、物凄いパワーですね]―

自分でもよくやっているなあと思う時ありますけど。(笑)でも、やっぱりチャンスを頂いてるわけだから、世の女性のためにも、大阪のためにも、全力を使って突っ走りたいと思っています。

 

●質問コーナー

 

Q; 先般の滋賀県知事選挙(2014年7月13日投開票)で民主党の方が知事になられた訳ですが、マスコミ報道とか選挙戦を見た時に、滋賀県の政策とかを争点にする所を国政レベルの集団的自衛権とか原発の問題とかになってしまっていました。野党というか、民主党の戦い方を見て知事経験者としてどういうご感想をお持ちですか。

A; 国政の風がビュンビュン滋賀県中吹きまくったというのは地方行政を論じる場であるのにおかしいなあと思いましたけれども、逆に言うと争点がなかなか見つからない、福井県に原発があるわけですけど、相手候補も争点にしなかったので。争点が無い時はどうしても国政の影響が出てくるんですよね。相手の候補が訴えた「草の根自治」という言葉が滋賀県の方にはスーッと入って来たんでしょうね。東京からいっぱい応援に行きましたけれども、自治はそこに住んでいる人が作るんだということを相手候補が訴えられた。争点ではないんですけれど、地方分権を守ろうという事の主張が国政の風が吹いてくる中で残ったということじゃないかと見てますけどね。

Q; 次は沖縄知事選(2014年11月16日投開票)がありますけれども、都道府県の長の考えと国益が反した場合、国益を大事にするという観点がないと国政レベルで何か法案なり制度か何かないと、沖縄独立国か何かになってしまうのではないかという懸念がありますけれども。

A; 沖縄知事選、福島知事選(2014年10月26日投開票)ははっきりとした争点があるので、それをいかに現実的かつ実現可能性が高い形で訴えていくかということだと思うんですね。昨日普天間基地に行って来ましたけれども、確かにああゆう所に基地があるというのは不条理なことだと思いました。だけどもちょうど昨日、オスプレイノの一機目が厚木にそしてこれから岩国に移って行くわけですよね。ですから再編整備というのも着々と進められているわけですから、その実績をしっかりと沖縄県民に訴えていくことだなあと昨日は沖縄で思いました。