宮川 典子
宮川
第139回
2014年11月12日 放送

自民党 宮川 典子 衆議院議員

山梨学院大学付属中学高等学校の教師でした。当時のあだ名はデーモン先生!熱血漢の先生として、生徒やモンスターペアレンツに時に立ち向かいました。その後、松下政経塾に入り、政治家を志しました。最初に出た参議院選挙では落選。谷垣さん麻生さんからの言葉を励みに(さすが政治家を長くやっていると人たらしです)活動を続け、山梨では自民党からの国政初の女性候補者となり、山梨1区から出馬・当選。教育改革、地方創世、女性活躍に永田町で力を発揮されています。。。が、ここに来てまさかの解散ムード。区割りが大きく変わった山梨1区での選挙です。太陽のようなオーラを放つ宮川議員に、地元の人が1人でも多く触れ合って欲しいですね。

(動画より文字おこし)

自民党 衆議院議員 1期目 宮川典子(2014年11月12日収録時点)

[本当に政治ってわからないですね、1週間前に解散の話なんて出てました?]-え~何と言ったらよいのか・・まさか今日みわちゃんねるにお招きいただいてその話になるとは正直思っていなかったので。

[安倍さんは17日に帰国されてGDPの発表とかがあるんですよね、ホントはあんまり分かってないけど周りが風を吹かしちゃってるんですね。]-暴風域に入ってますね。 [でも自民党だからいいじゃないですか、民主党なんか今日の報道によると160議席が決まってないんですよ。]-そうですね。選挙区の調整が終わってないって話を聞きました。(山梨は)1票の格差の是正で0増5減っていうのがあります。私は、地元の選挙区を離れて、新しい選挙区になってまだ3ヶ月なんですね。 [じゃあ、2年前の総選挙とは違うんですか]-そうなんです。大変なんです。キャラで勝負したいと思います。 [また山梨1区っていうところもドロドロしたところですよね、民主党と新党の戦いがあったり。]-そうですね。山梨県民が、なのかは分からないですが、政争が好きで金権政治が好きで。昔は、皆さんにおにぎりを配るとその中に千円札や1万円札が入ってたり・・ [それホントだったんですか]-はい。 [八王子市民だったんですが、山梨はそういう人達だとずっと聞かされて育ってきました。]-まだいまだに、やってるところがあるんじゃないですかね。昔は選挙期間中は〈車が欲しい〉というと翌日車が届くと。 [いや、お金持ちが多いですからね。政治=お金持ち、じゃぁないと出れないっていう風土を培ってきたわけですけれども。]-(私は)でも配るお金もなんにも無いので。 [笑顔がありますよ、太陽のような笑顔が。]-ありがとうございます。ホントにそのくらいですね。あと、(選挙必勝塾という)当選1回の議員を集めて、後援会の作り方とか効果的な支援の拡げ方とかを先輩議員から学ぶという会が開講しました。党の中には当選十何会という先輩方もいらっしゃいまして、〈長くやっていって、しかも後援会を強くして地盤を作る、ていうのはどういう事なのか〉っていう私たちには、まだまだ分からないことを伺ってます。[自民党は歴史と伝統があってやっぱり違いますよね。]-自民党の1番良い所は地方組織がしっかりしてることなんですね。たぶん何処の県も、〈合併前の旧市町村の小学校単位〉で地域支部があるところもあります。そういうところと、どっちに揺れ動くか分からない団体だけが支持母体、というのはやっぱり違うんじゃないかと思いますね。

●幸せ度数年表

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第139回宮川典子

[何年生まれですか]-1979年、今35歳です。山梨の生まれです。 [どんなご両親のお家なんですか]-父親の家は昔ながらの大きな家でした。母親は、昔山梨県は養蚕が盛んだったので、生糸をやってる製糸屋の娘ですね。2人とも地元の人間でお見合いをして結婚しました。私は、弟が1人います。10歳のとき、父が末期癌で49歳で亡くなりました。一時東京で仕事をしていたんですけど辞めて山梨に帰ってきたんです。今考えると、東京に居たままじゃなくて良かったなと、残りの何年間かを地元で過ごすことが出来て良かったなと思ってます。でも入院して2ヶ月ちょっとだったので最初は自体が飲み込めなかったですね。地元の商店街の一角で小さい酒屋をやっていたんですけど、父は居なくなりましたが地域のおじちゃんおばちゃんに支えてもらいました。母親が配達に行ってる時には、隣のお菓子屋のおじちゃんおばちゃんが〈いいよ、家で遊んでな。〉って言ってくれて・・・寂しかったけど楽しい人生でした。 [そして大学はどちらに]-慶應義塾大学文学部ですね。目黒に下宿してました。 [どんな勉強をされてたんですか]-入ってから専攻を決めるんですが、哲学か教育学か迷ってまして、まぁ仙人になるか学校の先生になるかなんですけど。文部科学省にずっと入りたくて、それは後の選挙にも絡む話なんですけど、そのまま大学院に行こうと思ってました。 [そして卒業されてからはどうしていたんですか]-卒業してからは地元の母校で、山梨学院大学の付属の中学・高校で5年間英語の先生をやっていました。子供たちが影では私のことをデーモンって呼んでたんです。最初誰のことをデーモンって呼んでるのか気づかなくて、私のことらしい、って分かった時は妙に納得してしまって、さすが子供たちの発想力はすごいなと。 [でも、そうやって愛されるキャラクターで良いですね]-はい。足音で機嫌がわかると良く言われていました。機嫌悪いときは、ドーンってゴジラが来る音みたいに聞こえるらしくて・・・ [生徒さんの感性はすばらしいし、先生のことをよく見てるんですね]-何で分かるかと言うと、帰りの掃除の様子を(みて)黒板にメッセージを残しておくんです。いじわるばあさんみたいな事をやるんですけど、その文字の走り書きの勢いとか、翌日の朝おはよう、って入ってきた時の声とかで、もう解るみたいです。機嫌が悪いと思った時はみんながピシっと、一糸乱れぬ挨拶をします。 [すごい生徒さん達ですね]-よく軍隊だって言われてました。それが子供たちにとって良かったのかどうか分からないですけど・・・[そして教え子の死があったんですか]-私23歳から27歳まで教師をやってましたけれど、25歳と27歳のとき、教え子が自殺をしてしまったんです。2人とも中学3年生で係りあいの深い子で、何で15歳の子達がこんなに悲観して、誰を恨むわけでもなく社会を悲観して、自分の能力のなさを悲観して亡くなってしまうような社会にしてしまったんだろうな、って。このときは自分自身が気が狂いそうでしたね。親御さんも支えなきゃいけないしその子達の兄弟もいるわけですけど、何にも出来なかった自分っていうのがいますから、未だに十字架を背負っていると自分自身は思っています。それがあって学校の先生を辞めて、28歳のときから松下政経塾に入って・・・ [2007年ですか、今もあるんですか?]-あります。もう35周年を迎えて今度36期生が入ってきます。 [松下幸之助さんが亡くなった後誰が意思を継いでいるんですか?]-〈松下幸之助塾主〉って呼んでいるんですが、幸之助さんが直接指導したパナソニックの社員さんとか、塾の先輩たちが研修担当で入ってこられて、その方たちに育てられながら、ずっと息づいているんですね。 [じゃぁその理念はずっと繋がっているんですね]-繋がってます。 [無職で入られて、寝泊りするんですか]-松下政経塾ってところは寮生活をしなきゃいけないので、仕事を全部辞めなきゃいけないですね。同じ釜の飯を食って3年間っていうのは家族以上のものがありますからね。 [いま同期の方とかいるんですか]-同期が私を含めて6人居て、そのうち5人が国会議員になったんです。1番すごい学年だと思います。1人落選中の子がいるんですけど、現職で自民党の参議院議員が3人と私が衆議院にいます。 [みんな自民党?]-そうですね。1人は民主党です。谷垣幹事長の相手役をやっていたんです。小原舞という元海上自衛官の女性です。 [同じ理念を教わっても民主と自民に分かれるんですね]-そうですね。幸之助塾主自体が、反社反共はその通りなんだけれども、〈社会主義者と共産主義者以外は誰でも入ってきなさい〉と。なので特定の思想とか政治心情を教わるというより、みんなが持ってるものを持ち寄って常にそれを戦わせる、っていう感じなので、そういう差は出ますよね。先輩方は当時は民主党が多かったです。自民党にいくのは〈頭狂ってる〉ってよく言われました。 [第2回にこの番組に出演してくださった民主党の原口さんの時代までは、パナソニック製品を売りに歩く営業をやらされたと聞いたのですがまだあるんですか?]-はい。私たちもそれをやりました。松下政経塾っていうとスーツを着てカリカリと政治の勉強をするイメージがあるんですが、1年生の時は実践研修っていうのがありまして、農業・漁業・林業・製造業・販売業、それ以外にもあちこちに行っていろんなことをやらされるんです。何ヶ月単位でですね。 [誰を対称にやるんですか]-自分たちだけですね。いろんなところの、理念を持ちながら農業をやっている人のところに尋ねて行って〈ここで武者修行させて下さい〉って言うんですね。1日中みんなで田植えをやったりします。 [松下政経塾で毎回行ってるところに行くんですか?]-前の年と同じところもあるし、変わることもあります。京都の棚田で毎日田植えをしたり、和歌山の熊野古道の近くで毎日木を切ったりとか、しましたね。 [でも、白物家電は売れないですよね。]-私達の時は、パナホームに研修に行きました。最初は製造のラインに入りまして、非正規雇用の人達と毎日ゴムパッキンを入れる作業をしました。〈なんで、こんな大変な毎日同じ作業をする仕事をやってるんですか?〉って聞いたら〈自分が作った家に夢のある家族が住んでいるって思ったらこんなに嬉しい仕事はない。〉って皆さんが言うんですね。社会で言われてる正規雇用とか非正規雇用とかではなく、働く人の素直な気持ちを学びます。その後、耐震・免震に優れている技術のある高い家を売って来い、と言われます。全く売れません・・・皆さん1千万で建つような家が良いと言うんですよね。安かろう良かろうの今の時代には、なかなか難しいですね。すごく苦労しました。 [それが1番きつい研修ですか]-1番きついのは、卒業要件で100キロ行軍ってのがあって24時間で100キロを歩ききるんです。男女とも必ずやるんです。その時私、パナホームで外壁のパネルを足に落として、何だか足が痛かったんですね。骨折してたんです。その状態で100キロ歩きました。歩ききれなかったら卒業出来ないしグループで達成しなきゃいけないので、私が駄目だったら同期全員が来年やり直しになります。究極に追い詰められました。 [そして、山梨1区に出馬なさるんですか]-実は、この前に2010年の参議院選挙に出ているんです。お相手が当時の民主党幹事長の輿石東先生で、日教組のドンで日本一選挙が強いと言われていた方です。皆さんご存じないと思いますが山梨県って日教組の組織率が全国NO1なんですね。私たちの幼い頃は、選挙となると学校の先生は殆ど選挙活動に出てしまって、居なくなるんですね。片っ端から検挙すれば〈学校の先生が山梨から居なくなる〉という現象になるくらいなんです。そういう事はやったらいけない、と戦いました。この時は、頼るところも殆ど無く落選しました。 [で、浪人時代ですね、どうやって食べていたんですか?]-県連自体がぐちゃぐちゃで、支部長にもなれなかったですし、参議院選挙に出るときには〈2億用意できるか〉って言われました。 [え~!どうやって打破したんですか]-私は、〈お金は一切配りません〉〈あげません〉と言い続けました。なので選挙はお祭りでお金が来るものと思ってる人は、一切来ませんでした。きつかったですね。よく電話がかかってきて〈俺の票100票欲しくないのか〉と。〈欲しいです〉と言うと、〈じゃぁ100万持ってこい〉と言われるんです。 [まだ、そういう人がいるんですね]-当たり前でしたね。でもその後の統一地方選挙のとき、お金をかけない若手の人たちがいっぱい出てきてくれたのでね。自分が1番最初に突破出来たことなのかな、と思っています。 [松下政経塾で苦労しないと乗り越えられない壁でしたね][話が元に戻りますが山梨1区の支部長争いっていうのは過酷なんですか]-私は、落選中でしたから次選で応募する事はせずにいたんですけど、参議院選挙が終わった直後にそういう話があって山梨1区~3区選ぶには、いろんな事があったんですけど自分の地元があったのは1区でしたから・・・前任の方もいらっしゃるんで難しかったですけど、自分が譲り受けたつもりで〈とにかく当選しなきゃ!〉っていう思いだけでした。 [でも1回バッジを付けてしまえば周りの見方は大分変わるんじゃないですか?]-そうですね。いろいろありましたけれども、落選の時に比べれば仕事が出来るだけ、有難いです。 [独身ですか]-はい。〈結婚しよう〉って言ってくれてる人はいたんですけど、選挙に出るんで破局しました。これから頑張ります。

●最近の政治トピックス

[宮川さんがテーマにしている地方創生と女性の輝く活躍、この二つの法案が今度の解散でどうなっちゃうんだろう]-二つとも衆議院では可決されて、今参議員に行ってますから本会議が行われれば通るかな。[地方創生については理念ばかりが多くて具体策ないということですが]-具体策は国が作るんではないんですね。総合戦略というのを、国・県・各市町村で〈これからの自分達の町・市・県には何が重要なのか〉を作ってもらって、良い企画や事業には予算をつけていくという風にしたいなと思っています。 [地域主導型で、地域が考えたものを国に提出する]-そうですね。今の計画では、事業をやりたいと手を挙げたところには、霞ヶ関から役人を派遣して国とのパイプ役もやってもらうという事も考えています。 [結構具体的な話なんですね]-そうですね。参議員で通過すれば、まち・ひと・しごと創生の法案と、地域再生法の1部を改正する法律案は通ります。参議員さえ動いていれば地方創生が今回で止まるという事は無いと思います。 [もし止まって選挙になっちゃったら継続になるんですか?]-継続になったり廃案になったりしますね。今回の臨時国会も冒頭からものすごく忙しくて、それだけ重要法案がたくさんあったので法案全部通してからだったら、私たちもしょうがないかなと思いますけど、ちょっと残念かもしれないですね。 [女性の輝く活躍というのは上場企業とかで〈3割の女性に指導的立場をやらす〉という、悪い言い方をすれば企業任せの法案だと訊くんですが具体的には?]-これも国が全部決められるわけではないので努力目標を課します。ちゃんとやってくれたところには、いろんなインセンティブが付くようにして行こうと。 [例えば?]-具体的には決まっていませんがプログラム法案を作ったところですので、これからそのインセンティブは何にしていくかを決めようという話はしてます。私たち、党で2030運動ってのをやってまして、2020年までに指導的立場にいる女性の割合を3割にまでしようと。[難しいですよ]-今衆議院が7.8%参議員が16.1%だったと思いますから、そのこと考えてもなかなか難しいと。 [だって地方議会なんて殆ど居ないですよ。5割に達してるところが葉山など、いくつかあって3割以上のところは3件ぐらいしかないです。]-佐野さんの時代の八王子市議会はどのくらいだったんですか? [保守で無所属で出てたのは私ぐらいしかいなくて、後は特定団体の人しかいなかった]-そうですね。地方に行くと保守系の女性議員さんって殆どいなくて、山梨県も私ともう1人、2区の支部長さんは女性の衆議院議員なんですよ。国会議員が女性で2人いるって珍しいことなんですけど。 [どなたですか?]-堀内詔子先生です。“ダブルのりこ”っていうんですけど全くタイプが違うんですよね。でも、地方議員さんは保守系はいません。そこを何とか改善しないと・・・ [だって国会でも1割にも満たないですから。そして、私(の場合)は典型ですけど頑張って働いても、痛いとかババアとか死ねとか言われるわけです。それが現実ですから、やはり環境を整えてもらわないと。]-そうですね。働く方も専業主婦をやる方も、女性は多様です。すべての女性の生き方にライトが当たるようにしたいと思っています。この前通った法案も、女性の職業生活に関して支援をする法律だったんです。外に出て企業で働きたい方に対しての法律でこれは、専業主婦やパートタイムで働く方達は除外しています。今度は、専業主婦やパートタイムの方たちへは(例えば)家事支援をやるとか、アイデアを出しています。そうやっていろいろな法律がないと女性の暮らし方、働き方には、なかなか合致するようなものが作れないんじゃないかと思っています。 [それは、解散になっちゃっても大丈夫なんですか?]-今、参議院に行ってますから、審議がうまくいってくれれば通るかな。 [後は、消費税の問題ですね。17日のGDPの発表を待ってとはいっても、財務省のほうで大体分かってるんでしょう]-速報値って言うのが入ってきますから、総理がどうご判断されるかってのがありますけど・・・私たちは、国民経済も良くしたい、でも財政再建もやらなきゃいけない、難しい事を言ってますね。社会保障費のことを考えると(消費税)10%には今すぐにでも上げたいんです。本当に足りないので、もっとその事を真摯にお話をしなきゃならないんです。自分が1消費者になった時に〈100円のものを買うのに108円から110円になってなんなんだ〉という方もいますけど、少し大きな買い物をしようと思ったら少しずつ負担はあがるわけです。それを負担と思うのか未来への投資、自分達の社会保障に戻ってくると思えるかどうかっていうのは、経済の基盤を良くしておかないと思い切れないだろうなと思います。 [未来への投資なんて(スタジオの)みなさん考えられますか?自分の生活だけ考えたら正直言って考えられない。]-そうですね。私たちは親もいるし子供もいて、丁度間の世代なんですよね。1番お金を消費する世代なので、私たちの意見っていうのがもっと政治の中でちゃんと生かされないと。私たちが地元やいろんな所を歩いて訊いた話を、しっかり伝えて形にすることがすごく重要だなと思いますね。 [そうですか、でも今回、解散したほうが議員さんたちも楽ですよ。だってこのまま(消費税が)上がったりしたら大変だもん。山梨県民に何言われるか分からないですよ。]-消費税の話は結構厳しいです。来年は安保(安全保障)国会になるでしょうし、通常国会で集団的自衛権の話をして法制化していきますので国民にちゃんと理解してもらうのは、なかなか難しいかな。 [解散したほうが安倍さんとしても話をしやすいという事なんですかね。]-という風には言われています。 [はい、わかりました。]

●今だから言えるあの日のあの出来事

[何か裏話的な事をお願いします。]-さっき、いろいろと話してしまったんですけど。今“女性の輝く社会”っていう話をしていて、私も山梨県初の自民党の女性候補だったんです。政治は男性がやるもの、というところでしたから、何で女性を選んでくださったのか分かりませんけれども、そういう気運が県内にあったんだと思います。そういう中でいろんな所に選挙のお願いに行くと、放送では言えないような事を結構言われました。都議会や国会でもセクハラ発言がありましたが、あんなのまだ可愛いもので〈早く結婚したほうが良いんじゃないか〉とか〈子供産めよ〉は〈おはよう〉〈こんにちは〉と同じような感じなわけですね。それ以上の事を言われました。あれで泣くというのは、よほど心がか弱いんだなと思います。私と同じ経験をしたら、多分首つって死んじゃうんじゃないかな、と思うぐらいの事を言われた時代だったんです。今は、〈女性が議員になってくれて良かった〉って言いますけど参議院選挙の候補者になった時が真冬だったんですけど“自民党 宮川典子”って書いた名刺もってあいさつに行きますよね。庭木にお水を撒いていた人が私にも水をかけて下さって、びしょびしょになって帰って大風邪引きました。あと、応援するから集会に来てくれと言われて、行ってみたら全員輿石さんの支援者で〈いじめられる会〉でした。いろんなことがありました。女性も強くなれ、というか、おかしい事には言えないといけないし、ある程度は受け流せる器も必要かなと思います。ホントはここで、その当時言われたことを言いたいですが多分“ピー”と入っちゃうので・・・ [どんなことなんだろう]-もうホントに〈俺の票が欲しいなら○○○だ。〉みたいな話がいろいろありました。国会とか都議会の方(女性)かわいいじゃないですか。(それなのに)こんなキャラの私にも言うぐらいだから、政治の世界って余程男性社会に染まっていたんだな、と思います。そいうのの露払いを出来たのは良かったな、と思います。そういう辛い選挙で落選して、でもその時に(私を)救ってくれた方が2人います。今の谷垣幹事長と麻生会長の言葉です。谷垣さんはその当時、野党総裁でした。〈山梨県最重要選挙区なのに負けてしまって申し訳ありませんでした。〉と、2日後に謝りに行ったんですね。そしたら〈なに言ってるの。貴方が頑張ってくれたから18人新しい人が当選したんだから。自分は象徴だったと思ってこれから胸を張って活動してください。必ず一緒に仕事をしよう。〉と言って下さいました。総裁室を出た後、泣いて帰りました。 [それは、泣きますね。人たらしですね~。]-その数日後に麻生先生にお会いしました。その時に、じーっと1分間ぐらい私の顔をごらんになって〈大丈夫だよ。〉とおっしゃいました。〈なにがですか?〉と聞くと、〈大体落選して道を間違えていくやつは顔が変わっちゃう。この麻生だって落ちて、落ち込んだ時がある。でも、こうやって俺の前で笑えるんだったら必ず君は復活するから頑張れ。〉と言われました。1番弱っている時の、この2人の言葉は嬉しかったです。 [すごい薬ですね]-そうです。恩人だと思っています。それはあくまでも代表的な言葉で、そういういろんな方の言葉があって、落選中は暖かい言葉をもらったことの方が多かったかもしれないです。庭木に撒いていた水をかけて下さった方は、今は(私の)大ファンで、〈宮川典子をいじめるやつは許さん!〉って感じでね。あの時の水はなんだったんだ、って言いたいですよね。(笑) [女の議員の方がいさぎいいですよね。男の議員は意外とジェラシーを引きずってたりしますからね。いみじくも松下幸之助さんが言った代議士の資質は〈運と愛嬌〉ですよ。]-はい。松下政経塾に入った時、愛嬌入学って言われました。ホントにありがたいですね。

●質問コーナー

[教育改革についてご自分でこうしたい、っていうのはありますか?(スタジオ内より)]-そうですね。今道徳教育の強化化ということで、安倍政権も経済再生と教育再生2本柱でやってます。今は、グローバル人材の育成とかICT(コンピュータやネットワークに関連する諸分野におけるサービスの総称)といったことを言ってます。私は教育改革の原点は、教師の改革だと思っているんですね。もちろん日教組と戦っていることもあるんですが、頑張ってる先生が報われないと、(それを見ている)子供が〈頑張っていくことは良い(ことなんだ)〉と思えないんです。私は生徒に〈学校の先生にだけはなりたくない〉って、よく言われました。〈なんで?〉って聞くと〈だって先生こんなに苦労してますもん〉って言うんです。苦労させてるのは何処のどいつだ、って話ですけど。ホントに多忙なんです。でも、頑張る先生と頑張らない先生の差がついてません。そして頑張る先生がメンタルをやられて辞めていくんです。教師の働く環境と能力を良くしないと、子供たちの教育は出来ませんので、“教員制度改革”というのをずっとやりたいと思っています。養成・採用・研修、(そして)その中にインターンシップ制度を2年間入れたいな、と思っています。免許も、小、中、高と分かれていますが、例えば、生徒指導も含めて担任がもてる免許と教科の選科の免許を持ったらどうかと提案しています。まずは、子供たちに要求するんじゃなくて自分達から襟を正していく。そして頑張ってる先生が評価される環境にする。それは1番重要だと思っています。教える人のモチベーションが下がったら、子供たちどうにもならないです。子供たちは受け手です。その子供たちに対して、何かやってあげられることがあるかな、と思ってます。もう1つ、大学に行かなきゃ駄目だ、という固定概念をぶっこわすような学制改革をしたいです。私の教え子でも中卒の子がいっぱいいます。進学校で教鞭をとっていましたけども、あえて中卒にした子もいるんです。当時は、引きこもり・不登校の時代で、〈もう(高校には)行かなくいいから自分のやりたいことを見つけなさい。〉って話をして、(そして)その中の何人かの子達は、24歳ですけど社長さんをやっています。〈先生、お金に困ったら献金ぐらいしますよ。〉(スタジオ:爆笑)って。 [いいね、いいね~]-何で中卒がいけないんだ、と思うんですね。田舎の15人、20人の声をしっかりと守る子、を創れるというのは、決して大学に行ったからできることではないです。大学(卒)の子も高校(卒)の子も中学(卒)の子も、持っている能力が花開く教育の環境を創りたいな、と思ってます。 [でも今の時代は国会議員と学校の先生はホントに大変。何をやってもたたかれますから。]-この前正座をさせた写真を、フェイスブックに載せた中学校の講師の先生がいました。〈ここに座っていなさい〉や、〈立たせる〉は体罰になります。手を上げたら駄目だと言われてましたから、私は出席簿が武器でしたね。1学期の間にボロボロになってました。 [それは、角で?]-角じゃなくて面ですね。痛くないんです。ホントは殴らないのが1番いいんです。私、生徒指導をやっていて町にパトロールに行ったとき、ある中学生が万引きをしてたんですね。 [え~そんなところに出くわしたんですか?]-はい。親御さんも呼んでこいつを警察に突き出すか、みたいな話になったんですが(本人の)態度がものすごく悪かったんですね。私に向かって〈お前なんかどうせ俺のこと1発も殴れねえんだろ。知ってんだぞ。俺たちが教育委員会に言えば首が飛ぶんだから。〉って言うんです。〈ふざけるな〉ってバチーンって殴ったんですね。(そしたら)その子はキョトーンと止まって、泣くんです。初めて大人が真っ直ぐに自分に向き合ってくれた、と。そこに親御さんが来て私に掴みかかるんです。店長にまで掴みかかって〈金払うから許せ〉みたいなことを言うんですね。でも、息子が親御さんを引き剥がして〈止めてくれ、この人たちは初めて自分を殴ってくれた人だから〉って言うんです。(その後)選挙中に自分の遊説カーを暴走族が追いかけてきて警察の方に〈後ろがやばいですよ〉って言われまして・・・(車を)止めてみたら、その子達だったんですよ。〈がんばって~〉って言ってくれて。警察の方には〈怪しくない暴走族なんで大丈夫です。〉って言いました。ありがたいですね。自分の学校の子じゃなかったですけど、その一瞬で通った気持ちもあるんだな、と。その子は〈教育は絶対先生にやってもらう〉〈自分の子供が大きくなるまでに山梨の教育を変えてもらうんだ〉ってよく言ってくれます。作り話みたいですけど、自分の中にはその話があるので、頑張ろう!、と。紆余曲折あるけれど、頑張ろう!、と思いますね。 [いい話ですね~]-ありがたいです。[怒りやすい子っていうのはいるんですか?]-多分、怒り方を間違えると駄目なんですね。理路整然と言ってあげないといけない子と、ガー!っと怒られたほうが良い子と、いろいろいるんですよ。 [じゃぁ常にその人を見てるんですね]-見てないと駄目ですね。 [全く視ていない先生もいますもんね]-そうですね。でも今やモンスターペアレンツの方が凄いですからね。ハンマーもって追いかけてきますから。〈私は杭じゃないぞ〉と思いますね。何度親御さんに〈ぶっ殺してやる〉と言われたか・・・その人達を良く見て、その人に合った接し方をしないといけないので、先生は苦労が多いと思いますよ。 [そうですね。はい、他に質問ありますか?] [先生と政治家さん、とても硬い仕事ですが、もし他に違う事をやるとしたらどんな職業を選びますか?(スタジオ内より)]-ぶっちぎりで、お嫁さんですね。(スタジオ:爆笑)高校生ぐらいの時は医者になりたかったですね。従兄弟もお医者さんが多くて、いろんな話を聞いて命の最前線にいるってすごいことだな、って思ってました。後は、映画が好きなので映画の配信の仕事をしたいですね。 [買い付けて売ったりとか]-はい。今考えると、そういう仕事やりたいですね。 [でも、国会議員合ってますよね。受け止めてくれる感がすごいですよ。選挙があったら頑張ってくださいね。]-はい。頑張ります。一所懸命やりたいと思います。