宮本 徹
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第188回
2016年09月07日 放送

日本共産党 宮本 徹 衆議院議員

兵庫県生まれ。東京大学在学中、国立大学の学部ごとの授業料値上げについて、

反対の立場から学生自治会委員長として学生ストライキなどを決行。

大学卒業後は共産党の職員となる。

二度の落選を経て、衆議院選東京比例ブロックでバッジを付ける。

赤旗の記者をされている奥さまと、かわいすぎるお嬢様たち(宮本氏のHPご参考)とのご家庭を築いていおられます。

安倍政権における、防衛費・補正予算の増加に対する警笛のお話を熱く語ってくれました。

大学同期の柿沢未途氏と、学生の頃から相反する議論を侃々諤々かわしてきたそうですが、まさか今、同じバッジを付け野党共闘内に二人がいるとは・・・と、感慨深くもお話されていました。

最後は、次回総選挙、小選挙区から出馬の意気込みについてでした。

(動画より文字おこし)

日本共産党 東京比例ブロック 1期目(2016年9月7日収録時点)

 

[共産党、ずっと今年は続いてますよ]―そうですね。ずっと続けさせていただいて、待ってる間にとうとう私のところにも回ってきて、大変緊張しております。[そんな…だって街頭演説でブイブイやってる共産党さんじゃないですか。こんな番組、朝飯前じゃないですか?]―街頭で政治の話をするのと、自分史を話すというのとは、ちょっとね(笑)。[また違いますか?でも勿論政治の話もしていただければと思っています。…日に焼けていますね]―ああ、そうですね。今年は参議院選挙があり、その後東京都知事選挙もあり、毎日のように街頭宣伝をやっていましたので。[夏休みはとれました?]―お陰様で夏休みとらせていただきました。[何をされたんですか?]―子供を連れて、子供のやりたいこと…プールに行ったり魚釣りをしたり。[普通のパパですね~]―そうですね、こういう時ぐらいしかなかなか出来ませんので。思いきって自分のやりたいことは脇に置いて、子供のやりたいことに徹する、と。そんな夏休みです。[(質問が)さっそく来ましたよ。「二重国籍は問題あると思いますか?」。今、旬ですね]―日本の法律上は、「二重国籍は認めていない」となっていますが。ただ私も詳しくはないですが、国際的には、移動が激しくなる中で二重国籍を認める方向になっている国が随分増えているみたいですけどね。これだけ国境をまたいで、人も物もお金も動く時代ですから。今後考えていく必要があるのかな、って思いますよね。[今、民進党とは連合ですからね]―そうですね、民進党とはね。本当に…こんな時代が来るんだな、って。[客席にいる方も、蓮舫さんと遊び友達だったらしいですよ。色々聞いた方がいいですよ、信じられない話が出てきますよ(笑)]―柿沢未途さんが、学生時代のクラスメートなんですよ。[あ、もしかして東京大学ですか?]―そうです。学生の頃は、相手は自民党の外務大臣の息子さん。私は学生の頃からこういう活動を一生懸命やっていましたから、会っても激論する、という関係だったんですけども。[でもいいですね、そうやって分かち合って話し合えるっていうのは]―それが今度は都知事選挙で、一緒に野党共闘組んで、彼の選挙区に行って一緒に街頭演説、私の選挙区に来てもらって一緒に街頭演説をやりましたけど。そういう点で言えば、政治は変わりますね。

●幸せ度数年表

(クリックで拡大)

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[1972年生まれで、上京が1991年。バブルがはじけた頃ですね。どちらから上京されたんですか?]―生まれは兵庫県です。[でも全然関西弁が出ないですね]―演説してると、やや関西弁が強くなる、と指摘されているんですけども。学生時代に友人が劇団をやっていたんですね。学園祭に出る時に「役者が足りない」と呼ばれて。それまでずっと関西弁だったんですけども、直されちゃったんですね、「おかしい、おかしい、おかしい」って言われて(笑)。私も東京へ出てきた時には関西弁を貫こうと思っていたんですけど、東京なまりに変えられてしまいました。[兵庫県のどちらですか?]―生まれたのは三木市なんですけども、小学校5年生から明石市に。[ああ、明石焼きの]―私たちは「玉子焼き」って呼んでいますけどね。[1991年は、東京大学に入るために上京された。頭がいいんですね~、浪人されてないんですか?]―浪人もしてますよ、ちゃんと。一浪ですけども。浪人時代に、予備校で前の席にいた人も、今永田町にいるんです。[どなたですか?]―自民党の藤井比早之さんという…今度、国土交通の政務官になられたんですよね。まだ2期目ですかね。[予備校が一緒だったんですか?]―一緒だったんです。私も彼がこんなところにいるなんて知らなかったんですけども。[やっぱり永田町の人たちって頭がいいんですね。そして共産党には1996年に入られた。きっかけは?]―学生時代は、学生自治会の委員長をやっていたんですね、東大の。それで、まあ…[その前のきっかけは何ですか?親は?]―いや、親は共産党のことはあんまり好きじゃないですね、父親は。[多いですね。そういう人が続いてますね(笑)]―そうなんですか?(笑)。[大きいところでいうと、市田忠義さんですね。「赤だけにはなるな」とお母様の遺言ですね。池内沙織さん。お家が食堂をやってますね、松山で。自民党の出入りが多かった中でのお嬢さんが共産党だったってことで。最近は赤旗新聞をスクラップして下さっている]―すごいですね、スクラップしてるっていうのはね。[前回の、塩川鉄也さんも言ってましたよ]―まあでも、親の世代と同じ考え方だったら世の中は変わらない、ってことですから、やっぱり次の世代が新しい問題意識を持って世の中を変えていこうとしないと。[一番のきっかけは何だったんですか?先輩に誘われて?]―当時、細川内閣が1993年に出来て、その時に「大学の授業料を、国立大学も学部ごとに私立みたいにしましょう」と検討している、と突然メディアに流れたんですよ。国立大学というのは学費が全部同じなんですね。理系も医学部も文系も全部一緒なんですよ。だから特に理系の人なんかは、もし私学みたいになったら、もう自分たちは研究者になれなくなる、大学院に進学する道が閉ざされる、って事でものすごい反対の声が上がって。私も学生時代に役員をやっていましたから、みんなに呼びかけてストライキをやったんです。[学生がストライキするんですか。(学校に)行かないんですか?]―学校に来て授業に出ずに…[ああ、それ(行かないのは)普通の生徒ですよね。東大教育学部でしたっけ? それは違いますよね]―(笑)。その時はまだ教育学部じゃなくて、駒場の教養学部にいたんですけど。ちゃんと学生投票をやってストライキ権を確立して、ストライキするかしないか…大半の人はおっしゃる通り来ずに。「ネトライキ」っていうんですけど(笑)。[「ネトライキ」って言うんだ。すごい、「飲みニュケ―ション」みたいな死語ですね(笑)]―(笑)。来た人たちで抗議集会やったり国会までデモをしたり。その時はやっぱり学生だけじゃなく、国立大学協会だとかも反対して。あと、私たちのストライキに合わせて朝日新聞も「これはおかしいんじゃないか」という社説を出して、この話は立ち消えになっていったんです。翌年、今度は村山内閣になったでしょ? そしたらまた同じ秋ぐらいになって、同じニュースが流れてきたんですよ。その時私は役員ではなかったので、後輩たちが「大変だ」とストライキをやって、またその話はなくなったんですけども、やっぱり政治そのものを変えないと…。[そうやって、政権が変わるたびにそういう話が持ち上がってきたら困る、ということですね]―そうそう。政治を元から変えるためには、やっぱりその道に自分も進むのがいいんじゃないかということで、共産党の職員に。[時期は90年代ですけど、60年代、70年代とあまり変わらないきっかけですね]―ああ、そう。60年代、70年代はよくわからないですけどね(笑)。[大体、授業料の値上げで学生の皆さんが立ち上がる、というところから活動家になっていく、っていうのがパターンですよね]―パターンですか。そうですか(笑)。色々聞かれてますね、私よりもたくさん聞いていらっしゃるんですんですもんね。[いえいえ(笑)。…そして、結婚。これはもちろん「赤旗まつり」で知り合った方ですよね?]―赤旗まつり…の前なんですよね。私、就職して共産党職員になって、若い皆さんに共産党のことを知ってもらう活動をやっていたんですけども、その中で妻と知り合って。[勿論、同じ思想の方なんですよね? 共産党員なんですか?]―今、赤旗記者をやっています。[記者さんなんですか! すごいですね、恐妻家が続いてますね。塩川鉄也さんも、すごい奥さんだって聞いているんですけど。党内では有名な、誰もが「すごい」ってひれ伏すような(笑)]―塩川さんの奥さんはすごい方ですね。[そのお陰で塩川さん、議員をやられているって(笑)]―(笑)![ごめんなさいね、塩川さん(笑)。ということを聞いたんです、先週。また、なんですね?]―そうですね、私の妻も本当に…尊敬してますよ。[何を担当されてるんですか? 記者で]―今は、「くらし家庭」欄ですね。その前は、国民の色んな運動を追いかける国民運動部、その前は社会部にいて。一番初めは校閲ですよね。そこから始めて。[バリバリですね]―まあ、バリバリ働いています。[そして、初めて衆議院選に出た。もう大学を卒業してからはずっと党の職員だったんですよね?]―そうですね、ずっと党の職員をやっていました。郵政解散の時に初めて出たんですけど。[2005年の郵政解散に出たんですよ、宮本議員は…結構惨敗でしたよね]―よく知ってますね(苦笑)。菅さんの選挙区だったんですよね。東京18区。[菅さんと、市長だった土屋さんのところに割り込んで出られた]―あの時は突然の選挙だったんです。「本当に選挙になるのかな」というところに解散になっちゃったもんですから、候補者が…。[急に出られたんですか?]―急も急で。その時うちの妻が海外に出張だったんですよ、ベネズエラに。それで相談も出来なくて。妻と都心で暮らしてたんですけど、東京18区のほうにアパートを借りて、一人で…。[いきなり「落下傘」で出た]―妻と相談出来ないまま出ましたね。[そうですか…。菅さんと土屋さんが10万票以上取っているところに2万票ですから。いきなり、っていう感じがわかりますよね]―…ね(苦笑)。[いや、いい意味で言ってるんですよ。それが今、バッジをつけられて。大変な選挙でしたよね。「菅さん汚いな」って話、いっぱいありました?]―いえいえ、総理になる前ですから、市民活動家として幅広く市民の方から支持を得られていて。赤旗読者の方なんかでも、菅さんが演説をすると「菅さ~ん!」って手を振るぐらい。[それは許せない出来事ですね]―そんなことないですよ。それはやっぱりね…まあ今、野党共闘組んでいるから言うわけではないですけども(笑)。[落下傘でね、急に18区…その時は苦しかった]―でも落下傘っていっても、この前年に武蔵野・三鷹の共産党の責任者になってまして、住所は祖師谷だったんですけど武蔵野では活動してたんですね。(「幸せ度数年表」を見ながら)このあとに「武蔵野市長選」ってありますけど、これは土屋さんが衆議院選挙に出て当選しましたので、そのあとすぐ武蔵野市長選になったんですよ。ここは、当時の民主党と共産党と、一緒に手を取りあって選挙を。[本当ですか? じゃあ今の国会のモデルの前例を…]―モデル、ではないと思うんですけど、まあ…今も市長をやられている邑上さんが…その2年前にも、邑上さんの市長選挙で私たちは民主党と一緒に戦って、その時は勝てなかったんですけど、この市長選は勝てたんですね、新人同士の争いっていうことで。土屋さんの頃の武蔵野市っていうのは、「中学校給食やらない」とか「愛情弁当」とかね。[そういうのは「女子供が家で作れ」と。遊びに歩くんじゃねえぞ!とか(笑)]―あとは保育園ね。暑くてもクーラーつけない。[ちょっと昔気質ですよね]―そうそう。優れた政策も、土屋さんは色々やられてたんですけども、そういうところがね。ものすごい自分の考え方に凝り固まったところがあって。やっぱりそこを変えましょう、というので変わって、今では中学校給食も全校で出来てますけども。[そして、第一子、第二子が生まれ、衆議院選は2回挑戦したんですね。その間はずっと共産党の職員をやられていた]―そうですね、2012年の初めまで、共産党の武蔵野・三鷹の責任者をやりながら、市民の色んな相談にのったりしてました。[そして、第3回目の選挙で見事バッジをつけられた。おめでとうございます]―ありがとうございます。[比例単独で。手ごたえは感じましたか?]―そうですね。前年の都議選で共産党が当時の民主党を上回って議席を得て、その直後の参議院選挙の東京選挙区で、吉良佳子さんが当選して。躍進の流れがその前から始まってましたから、これはもう本当に「グッといくな~!」という感じで。おかしな話で、私は比例単独でバッジをつけていないにもかかわらず、共産党の後援会ニュースに「東京は3議席目を取るかどうかの戦いだ」という感じで書かれたわけです。私は新人でバッジもつけてないのに、何て言いますかね、初めから入るかのようにメディアにも書かれてたので、そういう点ではものすごい勢いがありましたね。[最初の選挙とは全然違う感じだった]―この時は本当に共産党への期待を感じました。[もともとバッジをつけようと思って入党されたんですか?]―そんな事は考えてないです。共産党に入る人で、バッジつけようと思って入った人は多分いないと思いますよ。[そういう人は除名ですよね]―除名にはならないと思うんですけども(笑)、やっぱり少しでも世の中を良くしたいな、そのために自分が出来ることがあるんだったらやってみたいな、っていう思いで入るのが共産党ですから。私もまさかこうなるなんて思ってなかったです。話が来た時に、すごい躊躇しましたもんね、自分でいいのかって。[奥様が(背中を)押してくださったんですよね、きっと]―妻は何て言ってたかな、忘れちゃいましたね(笑)。

 

●最近の政治トピックス

[ここでは政策的なことをお話いただくんですが、今は何を中心にやられているんですか?]―やっていることはいっぱいあるんですが、今日ちょっとお話したいのは…安倍政権になって防衛費が毎年ずっとうなぎのぼりに増えて、今度の概算要求でも5兆1千億を超える、と報道されてますけども。[防衛費もすごいですが、外交費って言うんですか? 海外に行くお金もすごいですよね]―ああ、それもすごいですね。[それは国益になっているのか。どうなんだろう?]―防衛費で言いますと、これは質問で使ったグラフなんですけども…もともと閣議決定で、5年間でなんぼ使うんだ、というのは決めているんですよ。毎年0.8%程度の伸び、と決めているんですね。毎年増やすことを決めていること自体、私からしたらけしからん話なんですけども。(グラフを見ながら)問題は、実際の予算が補正分も含めて毎年数千億づつ伸びているんですね。「閣議決定違反じゃないか」と今年の春の予算委員会で、中谷防衛大臣に聞いたんですよ。「中期防衛力整備計画の想定よりも上回っている。今後どうするんですか?」と。「この計画を守るんですか? 守るんだったら減らす、ということですね?」と。「それとも、この計画は無視するということですか? それとも、この計画を変えてしまって、増額の計画を作るんですか?」と。三択ですよ、選んでください、と聞いたんですけども、答えない。麻生さんが隣から「答えなくていい!」って。私にはそう聞こえました。もう、すぐそこにいますから。安保法制の特別国会では、安倍首相は「安保法制を作ったからと言って、防衛費が増えていくことはありません。何故かと言うと、中期防衛力整備計画があるからです」と答弁をしていたにもかかわらず、実際は計画を上回ってた。今度の補正予算も二百数十億足されるわけですね。[何に使ってるんですか? 具体的に。1500億円も]―兵器の購入が、毎年1兆円以上ですかね。かなり買ってます。安保法制ができて、それまで出来なかった米軍支援のメニュー…例えば、戦闘現場に発信準備中の米軍機に対して、自衛隊が給油を行う、と。あるいはミサイルを積み込むとかね。それまでは「憲法違反の疑いがある」ということで駄目と言われてたんですけども。それをやるための、新型の空中給油機なんかも、今年の予算から買ってますし。[日本は戦争に行かないんですが…必要なんですか、それは]―私たちからしたら、全く不要なものです。空中給油機なんて、ちょっと前までの自民党政権だったら買わなかった話ですよね。今度の新型空中給油機は、オスプレイに給油が出来る。東京の横田基地に、来年から「CV‐22オスプレイ」が配備されるんです。CV‐22って2年前まで、アメリカ本国から空中給油しながら、アフガンだとかあっちまで飛んでいって、テロリストと疑わしき者をとっつかまえて帰ってくる、という特殊部隊を輸送してた航空機なんです。それを横田基地に配備して、給油できる空中給油機を買うというのは…[どこから買ってるんですか?]―これはですね、アメリカのメーカーですね…ボーイング社だったかな、間違ってたらごめんなさい。こんなところに使うお金があるんだったら、今本当に保育園に入れなくて困っている方に…[待機児童なんて、もっと安いお金で(解決)出来るんじゃないんですか?]―防衛費のごく一部を使えば、かなりのことが出来ますよ。[いつもこの番組でも言ってるんですけど、20年前では、待機児童の問題というのは地方自治体の首長レベルの問題だったわけですよね? だけどもう今は総理大臣が出て言っているにもかかわらず、なかなか展望が見えない]―皆さんの世論と運動で、ここまでの問題になってきたわけだから、国が思い切ってお金の優先順位を変える、ということをやらないといけない。保育士の皆さんを確保するために給料を引き上げようと思ったら、相当な…政府も今度6000円引き上げると言っていますけども、保育士の皆さんが聞いたら「それじゃあね…」って言いますよ。平均賃金に比べて10万円低い、って言われてるわけですから、そこは思い切って引き上げる手立てを、こういうところを削ってこそ作るべきじゃないか、と。[もう一枚の紙は?]―これは、防衛費の後年度負担、借金ですね。要は契約だけバンバン結んで…[さっきの補正予算?]―補正予算じゃないです。補正予算だとか当初の予算の時にですね、その年に払うのは契約のうちの一部なんですよ。防衛費というのは特殊な構造で、5年先の契約まで結べる、っていうのが2年前まで…1年前だったかな? あったんです。それが10年先まで契約出来る事になった。[じゃあ「子供たちにツケを残さない」とか言っておいて、防衛費を買ってるんですか?]―そうなんです、ツケを残さないと言いながら、(グラフを指さし)これ見て下さい。これは民主党政権の頃ですね。3兆円前後ですよ。これが変わらないというのはどういうことかと言うと、新しく契約を結んで後年度負担も作るんだけど、それと同じ額を返してる、ということですよね。だけども安倍政権になってから、契約を結ぶ額のほうが、返す額よりもどんどん増えている状況なんです。[じゃあ、「ちょっとツケで」みたいな感じ]―そう、「ツケで」ってことでね。それを誰が払うのか、ってことですよね。安倍さんが最後に払うのか。[誰が払うんですか?]―誰が払うって、これは国の予算で払うしかないですから。[未来の私たちが払うんですか?]―未来の私たち、そして子供たち、孫たち。私なんかも「これ、どうするんですか?」って役所の人によく聞くんですけども。もうタガが外れちゃってる状況ですよね。こういう問題を今、一生懸命やっていまして。防衛費が増えていることをワーワー言う人って、少ないんですよね。[わかんないですよ、ツケの話なんて]―この話なんて国会で言ってるぐらいで。最近はメディアの社説なんかにもちょこっと書かれるようになりましたけど。とにかく私は一生懸命宣伝して、未来にまでツケを回してるやり方はおかしい、こんな政治は変えなきゃいけないじゃないか、っていうね…[(ニコ生を見て)「むしろ日本の防衛費はまだまだ少ないんですけど」っていうのが来てますね。ぜひ反論を]―日本の借金が今どれだけあるのか、ってことですよ。1千兆円。これから少子高齢化が進んで社会保障のためにお金を回さなきゃいけない。そういう時にどこからお金を作るんですか、という事をどうしても考えないといけないんですよ。

 

●今だから言える、あの日のあの出来事

[これ、一番嫌ですか?(笑)]―これね~、一番悩んで。言えない事は言えないし(笑)。[大変な事になっちゃう? 言える範囲でお願いします(笑)]―うーん…今、野党共闘がこういう形で進み始めてますけども、1年前はこういう状況じゃなかったですよね?[そうですね、今年になってからでしたよね、野党共闘の話が出てきたのは]―うちが方針を出したのが安保法制が強行された直後なんですけども、その前から市民の中では「共闘してくれよ」という声がかなりあったんですよ。[ありましたよ。だって共産党さんが出ることで票が割れたりとか]―安保法制のさなかのとあるインターネット番組で、憲法学者の小林節先生と討論する機会があったんですよ。その時に小林節さんが「この法律は、あんたたちが頑張っても通される。通されたあとどうするんだ。野党共闘をやるべきじゃないか」と相当な勢いで言われて。心の中で半分「そうだよな、そうだよな」って思っても、私たちの党の方針でそう決まっているわけでもないし、それに今まで立ててきた経過もありますし、政策が違うところがあるじゃないか、という思いもありましたし。その番組は、もごもごもご…ってなっちゃいましたね。[でもそれから共産党で話し合ったコンセンサスが、野党共闘にいった、と]―そう、9月にね。だけどその後の志位さんの記者会見を見ていたら、「お盆の頃から考えてた」って話でしょ? その番組、お盆の後ぐらいの番組だったんだよね。[言ってくれれば、口ごもらなくて済んだ]―そう、言ってくれればもうちょっとね、そういうニュアンスを醸し出して余裕でね(笑)。[「聞いてないよ」と。共産党さんでもあるんですね、そういうことが]―うちはやっぱり、そういうのは厳格ですよね、情報はね。だからあの時は本当に苦労しましたよね。

 

●質問コーナー

Q : 比例区だと、どんな選挙運動をやるんでしょう? 勿論2期目、3期目と続けて頑張っていかれるおつもりだと思うんですけど…小選挙区だとわかりやすいんだけど、「何もしないでいいのかな」っていう気もするんですが、どうなんですか?

A : まず一般論として、比例区で議席を得る、というのは、衆議院の場合は「日本共産党」と書いてもらう、ということになりますので、日本共産党そのものの支持を広げる、と。しかも1議席を増やしていくというのは、例えば東京選挙区で言えば30万票くらい増やさないと1議席増えないんですね。それを増やすというのは、相当な活動を…組織をあげて、国会議員自身も国会論戦を通じて追及したり色んな実績を上げたりしながら、支持を広げていくことが必要になります。ただ私自身は、次は小選挙区から出ます。[大ニュースですね。何区からですか?]―東京20区。昔、加藤公一さんがいらっしゃったところで、今は自民党の、この間まで外務副大臣やられた木原誠二さんが現職で出ているところなんですけども。埼玉寄りのところですね、清瀬、東久留米、東村山、東大和、武蔵村山。東京都内では共産党の支持者が比較的多い地域なんですね。[加藤公一さんは出られないそうなので…]―加藤公一さんは、そうですね、前回も出てないですね。[なので、野党共闘で…]―野党共闘はまたこれからですね。[そこですよね、そこでまた同じになっちゃうんですよね。2人とか3人とか出ちゃうと(笑)。]―(笑)。ですから私たち、参院選は32の一人区全部、野党共闘というのをやりましたので、衆議院選挙でもそれを目指してやっていく。基準としては、直近の選挙の比例得票に応じて、小選挙区の数をそれぞれの政党で持つことにしてはどうか、という提案まではしています。[そうなんですか。今度、小選挙区なんですね?]―ですからそれぞれの地元の市長さんにご挨拶に行ったりだとか、そういうことは始めています。

Q : 今までは、投票に行くと「日本」まで書くんだけど、その後ビビッて(笑)、結局他の党の名前を書いちゃったりしていたんだけど、今度は「宮本徹」さんと書いてもらう、ということですね?

A : そうですね、野党共闘がちゃんとできることが前提ですが。そうなると確信をして私も

活動をしています。

Q : 不安はないですか?

A : 不安は…ないかと言えば、それは勿論あります。

[(ニコ生を見て)いっぱい質問が…質問というか、厳しいことがいっぱい書いてありますけど(笑)、何か答えられるものってありますか?]―えーと、「共産党は公安に監視されているんですか?」。[それ、いっぱい来てるんですよね]―公安警察は憲法違反の活動をやって、私たちを監視しています。とんでもない話です。この間の安倍政権の閣議決定でも、共産党が暴力革命をいまだに目指してる、と。私たち、一度も目指したことはないんですけども、勝手に答弁書でやってるわけですよ。じゃあ、証拠はあるんですか?公安調査庁は何十年と私たちを監視して調べて、スパイ工作までやって、色んなことを彼らはやっていますよ。何か証拠をひとつでも見つけたんですか?公安の皆さん、観てるんだったら言ってください。ひとつも見つかってないですよ。そんな事に税金を使っている暇があったら保育園を作りなさい。…と言いたいです。[きっぱりとおっしゃってくださいましたね。素晴らしかったです]―すみません、視聴者に向かって言ったような感じでしたね。公安警察と安倍政権に向かって言いました。[最後にすごい言葉で締めてくれて…公安問題に踏み込んでくれて(笑)。(ニコ生を見ながら)「これ、見てるかな?」って、全部見てるんですよ、宮本徹議員は。大人の対応です。有難うございました(笑)。…どうでしたか?]―あっという間でしたね。[あっ!聞きたかったんですけど、宮本議員のホームページで赤ちゃんを抱いているじゃないですか。あの子は、どの子なんですか?]―あれは下の子ですね。[お嬢さんなんですか!あの子かわいいですね~。びっくりしちゃった、モデルかと思った]―いや~、私もいつもモデルになるんじゃないかと思ったりしてるんですけど(笑)。今はもうちょっと大きくなって、ますますかわいくなって。あれは何歳の時かな? 2歳の時の写真だと思うんですけど。今は4歳です。[びっくりしました。将来は赤旗のイメージガールですよ]―そうなるのかな。将来子供たちには自分の人生を決めてもらって。楽しみにしています。