小宮山 泰子
小宮山
第116回
2014年04月30日 放送

生活の党 小宮山 泰子 衆議院議員

4期連続当選の小宮山議員ですが、2度の落選経験、内部の公認問題でかなり苦労を経験されて今があるようです。 慶応幼稚舎からのお嬢様?(本人は否定)でありながら、それを感じさせない(すみません笑)、人の痛みを分かってくれる議員さんです。 生活の党でも本領を発揮して頂きたいですね。

(以下、動画より文字お越し)

生活の党(埼玉7区)比例北関東ブロック 4期目

(前は民主党で大変目立った存在だったが今は生活の党。生活の党は何人位?)―生活の党は衆議員7人、参議員2人、全部で9人とこじんまりしている。(結いの党より少ない?)―そうですね。(やはり小沢代表について行った?)―小沢代表について行ったと言われるが結果として一緒に行動している(笑)。

●幸せ度数年表

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第116回小宮山泰子

 

(1965年4月25日…この間誕生日でしたね、おめでとうございます!)(拍手)―有難うございます。(誕生日はどう過ごされた?)―本会議があった、お陰様で朝から。(夜は?)―お陰様で女性に祝って頂いた。議員の先輩…この前来た阿部先生。(阿部俊子先生…党派が違っても仲が良い)―今もそうだが…そうですね。(どういう繋がり?)―そもそもは…今は議運で一緒に行動しているのと、色々あって時々食事会をしたり、「おひとりさまの会」…そう言ってませんでした?(小宮山さんは独身?)―独身。(阿部先生は違う?)―違う。とても優しいダーリンがいる様で…(おひとりさま会で一緒?)―上野千鶴子教授の提唱する「おひとりさまの老後」から取っているので。まぁ女性の方が平均寿命が長いので、死ぬ時は一人なんだからその時の制度をちゃんと整えようという真面目な主旨があるが、男子禁制状態でなかなか濃いメンバーが集まる時がある。(阿部先生に私達は間違いなく「待機老人になる」と言ったがその前に政治を整えて頂かなくては)―そういった事も話し合うという集まり。(すぐなので)―そう、急がないと。(アッという間に月日が経って待機している)―待機した者で集まってちゃんと制度を作らなくては、というのがこの回の主旨なので。(リアル)―かなりリアル。自分達もそうだが色々な理由で独り者になるので…(今二人でもおひとりになる)―という事もある訳だし、女性の生き様というのか、最後良い形が取れる様にちゃんとしようと真面目に勉強したりする事もある。(そういう会で阿部俊子さんと一緒)―そうです。(どんな幼少だった?)―大変幸せな…親は忙しくてあまり見た事が無いが…(お父様が衆議院議員でおじい様が参議院議員?)―貴族院?みたいので、でも合わなかったようですぐ辞めたようで、その話は聞いた事がない。年代が明治に近いので…(貴族院は憧れ、ノスタルジーがある。埼玉?)―元々皆違う、山梨から出て来ていて、千葉に本家があって…(小宮山泰子さんは生まれた時はどちら?)―私は埼玉に移ってから生まれた。(お父様が選挙されていた時に生まれた)―そういう事。(生まれた時はお父様は国会議員、郵政大臣まで務められた)―学資保険とか作った…(学資保険は最近聞かなくなった?)―まだやっているのではないかな。(郵政民営化になってもやっている?)―色々な所がやっていると思う。ただそれでも追いつかない様な…預け入れをした親が子供に、という積立のような形なので、子供の貧困対策の基本法、推進法というのを去年議員立法で私も提案者の一人で、成立したが、親の支援も出来ない様な状況が子供達に来ているという事で…(もっと劣悪な状態になってしまっている)―そうですね。(生まれた時は裕福だった?小宮山家のお嬢という事で)―そうですね、そういう風な雰囲気で一生育てたかったと思う、親としては。(世代は違うが現代のオノヨーコさんみたいなもの、安田財閥のお嬢みたいな小宮山コンツェルンのお嬢みたいな感じで)―そこまで…ただうちのお父さん下町育ちなので、どうもその血が入っているのであまりそのノーブルな…違和感を感じている。(結果的には財を成したご一家)―おじ達は。(おじさんは何かまた凄い?)―おじさん達が銀行とかやっていたが全部潰れた。(何という銀行?)―平和相互銀行。(頭取だった?)―なんだろう、そういう事…きっと。そう言えば役職名を知らない…子供の頃死んでしまった。あまりよくは知らない。(元々はスクラップの会社をやって財をなした?)―そうです。(おじい様が?)―おじ。父は9人兄弟でその長男が。(それで銀行を?)―結局金融に入ったという事。(要らない鉄とかを売って財をなした)―やはり戦後の立身出世の話。あの時代だから出来た事ではないかなと…(そのおじさんの話はよく聞いていた?)―いや、あまり…(お嬢様だから今主婦になっている予定だった?)―多分ね。(こうやってバリバリに働いているなんて)―で、「おひとりさま」の事を考えているなんて…(可愛いお嬢様だったからすぐに結婚させようと思っていた?)―思っていたと思う。私もまさかここまで引っ張ると思わなかった。(それで慶応大学を卒業されてNTTに入社をされる)―結構すぐ辞めた。1年半。電電公社からNTTになって数年経って、丁度社会党ブームのおたかさんの「山が動いた~!」というある意味活力のある時代だった。(給料の高いトップ企業)―まぁ憧れの会社の一つ。(これは(幸せ度数年表を指しながら)?)―「裏千家茶道専門学校研究科」…NTTはすぐ辞めて、正直父の選挙の手伝いをしたら、まだ今みたいに携帯が無かった…自動車電話は父の車についていたが、電波が届かない所に…今の選挙区は旧選挙より広いので、山の中に連れて行かれて…会社が結局無断欠勤になったり、色々あり…(会社を辞めざるを得なかった)―もう違う道を行こうかなと。(こういう人だったらお父さんも必要)―(笑)そうか分からないが、それで辞めて、お茶とか日本文化とか美術が好きだったのでそういうのを少しやろうかなと思って、お茶の専門学校の研究科に入って少し日本文化を勉強しようと思ったらハマった。(何か免許を取っている?)―教授の免許まで頂いている。(それは諸作法とかある?)―作法、点前があって、今もすごく役に立っているのが、日本建築とかお茶室の事であったり、色々な美術であったり日本の文化であったり、季節季節の日本のしきたりであったり、様々な事をここで学ぶ事が出来た事は、これから日本は、日本文化というのは色々な意味で世界から注目を浴びるし、観光客の人もそれを楽しみに来るならという事で、懐石から何から色々な物を勉強したので今すごく役に立つ。(和菓子とか?)―作るのも全部やる。炭で火をおこすからその炭をとる研修とかもする。この年に入って日本文化に対しての質問を随分国会でするので、ものすごく役に立っている。(今でこそ「おもてなし」があるが西洋かぶれがあるから)―元々私もそう。(ヒラヒラな服とか)―いやいや、ロック…洋楽。(何が好きだった?)―ホール&オーツとか。(いい歌が多い)―武道館も高校生の時に行った?(行ったかも知れない…「キス・オン・マイ・リスト」とか流行っていた(笑)名曲)―名曲。ね?今も好き。(お父様が29歳の時に亡くなってしまう。現職で?)―現職。(郵政大臣の時?)―いえ、とっくに終わって。急逝だったので、まさかそんな事になると思わなかったので、幼稚園の頃からの友達の結婚式のブライドメイドで海外に行っていたので、式終わってそのまま飛んで帰った。それから色々処理が大変になって来る…(お父様は何政権の時の郵政大臣だった?)―福田政権?大分前。昭和40年代の終わり位、今の私の年位の時に大臣だったのかな。当選も私より早いし。(そして小宮山議員は埼玉県議会議員に95年に当選される)―阪神淡路大震災のあった年。サリン事件もあったし色々起きた年。(お父様が亡くなった時には出ようと思っていた?)―いや、正直なとこ言えば、兄が出る予定をしていた。その時に「私じゃダメなの?」と生きている時に言った事は一度だけあるが、「フン」と鼻で笑って終わっていた。(当時は女の子の世襲は無かった)―無かった。そんなもん言っていたら行きそびれると多分薄々気づいていたと思う。それだけど、死んだ後に、通夜とか葬儀の時に、地方議員の先生方も存じ上げている方ばかりだが、話辛いだろうな、と。今までは父という後ろ盾があったから私も気楽に話せたが、そうじゃない人は話せない。知っている私ですら話せないのだったら皆もっともっと言いたい事の半分も言えないのではないかなという事で、兄が出ないという事になったので、「じゃあ私が出る」と結局そうなった。父の四十九日を期に発表して、応援してくれる人しない人、結構いた。(お父様が亡くなった翌年に統一地方選があった。95年の半ばに亡くなっていたら…)―私が出ないで兄が出ていたんでしょうね。(タイミングというかその定めというのがある)―あるかも知れない。そう言われてみればそう。(書いてあるから綺麗にいっているが、これは凄いタイミング)―そうですね。(埼玉県議は何期?)―2期、5年。途中で辞めて国政に出て…(落選)―見事…(この頃(県議)は自民党?)―そう。でも自民党の公認が取れなくて衆議院選挙は無所属で出て次点で落選。これ、×2、2回落選している。(凄いですね、小宮山議員にもそんな過去がある)―あります。その次に参議院の埼玉選挙区で、今度は政党が無いと、という事で小沢と一緒にやる事になって、自由党で出て落選。最初に自民党で公認が取れずに無所属で出て落選、その次は参議院選挙で自由党で落選。で民由合併で当選になる、と。(落選の時は郵政解散の時?)―言え違う…森さんの「黙ってて欲しい選挙」とか。郵政はまだこの後。(それで自民党の公認取れなかった?お嬢様なのに)―自民党の県議会議員…自民党って色々あるのよね、現職優先と言ってみたり。(おかしい、その頃自民党は人気が無かったからこんな方が来てくれたらウェルカム)―でもやはり女性議員は難しい時代、まだまだ。(民由で当選。で民主党に入った)―そこで入った。(お父様に民主党に入った事を聞いてみたい)―そもそもお父さん、この道はやらせたくなかったと思う(笑)。(閣僚までやられた方だからザ・自民党)―そうです。(大切なお嬢が紆余曲折もあり、公認も取れず)―その通りその通り、県連会長も逃げまくるみたいな(笑)色々経験した。この期間が政党というものを冷静に見るチャンスだった。県会議員の時はポンポンポンと当選してしまう…(トップ当選?)―2回目はトップだった。珍しい、女性県議自体が。ある意味それまでのしがらみと思ってなかったが自分の中でしがらみとか色々なものを落として物を見られる様になったのが2回の落選。この時に色々な人に応援して頂いてご縁が出来て…(何年間?)―3年近く落選期間ある。(30代の前半。女性は厄年だから(笑))―(笑)。(辛い時期)―辛い…。(普通だったら女性はそこで結婚とか出産とか最終ジャッジみたいな事をするところ)―そうなんですか(笑)。(そこでゴタゴタがあると無理)―ゴタゴタと言えば、もうスッキリこっちの世界に入ってしまったので選択するも何もなく。そういう意味では30代の女性が、大きな後ろ盾とかスポンサーの企業を持っている訳でないのに出ようと思っても難しいのは確か。その時に感じたのは、もし私がここで選挙という所から逃げたら、後から出る女性の人達が「女はちょっといじめればどこかに行っちゃうよ」という前例になると思った。だから女性を応援してくれる団体の方達も1回位で止めてしまうのに「3回当選するまで応援する」と言ってくれたし、後に続く方々の事を考えると逃げられなかったし、逃げる気もなかった。(1回の落選だったらまだ分かるが2回も落選したら諦める)―周りがもう「負け癖がつくからやめろ」とか段々色々な事を言われる、2回目位になると…政党も変わるし。(あれだけ応援してくれた県議時代の方も政党が変わったという事だけで…)―もちろんあります。(でも2003年の初当選から約10年間は民主党の一番草創期の良い時期が続くので、それの第一陣という事。そして何と4期やられている)―有難うございます。地元の方に感謝です。(4期連続当選はすごい)―そうですね。(4期やられてどうか?生活の党になったが民主党を出たのはいつ?)―一昨年、消費税増税で反対票を投じて、あれから間もなく。(そして増税になった)―なりましたね。どうです?(高い、タクシーに乗っても)―便乗値上げもね。それをしない様にと法律まで作って増税している。(じゃ皆さん法律違反?)―いやいやいや、逃げ道のある法律だったのは最初から分かっていたので、無いよりはマシか位の。(民意とは一致しているが、永田町では少数政党、マイノリティーで忸怩たる思いがあるのでは?)―本当に何でこれをやらなきゃなの?この時期にやると言うのは経済のセオリーから考えてもおかしいし、もう少し景気が上がってから…全く私達の政党は消費税自体を反対している訳ではなく、この時期にやる事が理に適っていないから反対している訳。実際この時期になって社会保障の負担も増えるし、また原油だったり様々な物も上がっている。この時期でやるのは本当に理に適っていない。その割には景気対策、弱者対策というのも本当に微々たるものだし、社会保障にまわすと言っても極々1/10位…では済まないか、5千億とか物凄く可愛らしい額しか出さないし、その割には景気対策として10兆円位ボンボン出しているし。そのお金があるんだったら増税しなくても良かった、1年、2年…というのがずっと思っている事なので、正直言って、私達が言っている事は2年、3年後の事まで考えて言う訳だが、振り返った時に小宮山の言っている事、私達の仲間が言っている事は正しかったと言って頂ける時が来るのかなと。それが来る事自体は非常に世の中あまりハッピーな状態ではないので悲しいが。やはり国民の生活が第一という理念のもとで声を上げなければ、国会議員になったので、国民の為に、国民主権であるから、国民の為に私達は声を上げる…嫌われようと…「長いものに巻かれろ」と言われる、議員の間でも。(議員の間で?)―言う人いますよ、与党系みたいな方とか。(与党だったらしょうがないのかなと思うが)―それでも、それやったら「何の為に私は議員になったか」というのが崩れるので、そこは女の意地で通じさせて貰っている。(生活の党は消費税が上がってしまったが、10%にも反対?)―10%に上げられる状況なのかというのは、今一度問うしかない。財務省と野田前総理も随分仲良くしているみたいだし、今でも。(野田さんと言えば前党首だった)―そうなんですよね。(野田さんがいきなり宣言された時はショックだった?)―いや、彼は良い人なんですよ。ちょっと繰り返します。(笑)「良い人なんです」。ただ準備したものの上に乗っかるのが上手い人でもあるな、というのが私の感触なので、良い理念の上にとか、良い政策の上に乗って頂ければ良かったが、財務省のお膳立てのシナリオの上に乗っかられて信じてらっしゃるから…良い人だから信じてしまう、きっと。周到に準備されちゃうと。でもあまりそれを信じなければ良かったと思う。自民党の先生方の資料は結構財務省から教えて貰うのとだいたい一緒。「この話聞いたな…あそうだ、財務省のレクで聞いたんだ」、地元に帰って自民党系の先生の挨拶を聞いていると「どっかで聞いた事あるな」…凄い立派なお話をされるので信じられるのでしょうが。(しょうがない、自分で調べるとしたら生涯終わってしまう)―でも政治家だから、一番景気を感じるのは地元の商店街とか個人商店の人とか主婦の人とか高齢者の人とかとお話をしていると生の数字にはならなくても生活感を感じる。(4期連続の同期の女性議員はどなたがいる?阿部先生で3期)―3期。菊田真紀子が同期。ちょっと参議院に1回行ったりしているので、最初当選したのでは青木愛とかも一緒ではあるかな、でも彼女の場合は衆議院は3期か、参議院が1期あるので。女性議員はまた減ってしまった…前回12%だったのに今8%。(民主党に多かったから。それはちょっと寂しい)―寂しい。(与野党間の比率もそうだが男女間の比率も頑張らなくては。でも日本で50%の時代が来るとは考えられない。やりたい人がいない)―魅力的ではないのかな。(やりたい事はあっても困難だと思う、この時代は。ネットもあるし)―政治の発言は別に議会でなくても出来る。(女性議員の増加の為に啓蒙啓発に頑張ってください)―はい。

●最近の政治トピックス

(最近はどんな活躍をしているか?)―議員運営委員会、国対族。(自民党だったらなかなかまわって来ない役職)―ですね。(生活の党では人数が少なくベテラン議員も小宮山先生位しかいない)―はい。(小宮山先生より回期が上の方はいる?)―小沢一郎、鈴木克昌幹事長なので…廻って来た。国対、長い。民主党にいる時も大半が国対の副委員長を受けていたので。(国対はどういう活動をされる?)―調整、各党の…議会の。(議会が始まるとてんてこまい?)―本来そうでしょうが、今年はね…野党の方がまた増えてしまったり、なかなか息の合い辛い所もあり国対というより幹事長レベルで皆頑張っているかな、今年は。(国対の委員長は?)―それは各政党の。議運は衆議院の中での委員会なので、逢沢委員長の元でやっている、色々な案件を。(野党、生活の党で議運に出られてどうか?)―議運は本会議の日程を決めたりする正式な機関で、様々な国会の中での案件とか全部決める所なので勉強になる。(議運の中もミニ国会みたいなもの。多数決がものを言う…)―そこまでいくまでの色々な交渉とかをやる、何分間質問するかとか。(譲歩してくれる、与党としては?貸し借りはある?)―たまにある。まぁ譲歩はするものだと思う。本来与党に関しては、しっかり詰めて持って来いという感じがあるので、やはり少数派の為に国会というのは議論をきちんと国民の声を出すという場所だと思うので。(少数派政党がお座なりにされてしまうとうまくはない)―戦前の大政翼賛会政治の時などは結構そういう感じで委員会すっ飛ばしていたりするので、意見が通らない。(地方議会はまだきっとそういう所がある?)―地方議会はね…。今まだそこはギリギリ動いているかな。(憧れの政治家とかいらっしゃった?)―昔お嬢さんやっていた頃は何にも無かったが、今「尊敬する政治家」と書く欄は一応お父さんの名前を書くが(笑)一応ね。勿論親は尊敬しているし。斎藤隆夫…戦争前に反戦の演説をして国会議員除名処分まで受けた…彼が居たから、国会議員は国民が選挙をして選んで来たという事で、その身分の剥奪に大変慎重になるというきっかけを作った人。勿論その後復帰され大臣までいかれた。ああいう気骨のある政治家というのか、どんなに周りがイケイケドンドンでも何の為に今戦争しているのかと、そういう事を言える人間でいたいなと。(小宮山さん色々な苦労もあったしイケイケの時もまたあるだろうし、そういう時に自分のアイコンというのは必要)―必要。(それに向かってやっていこうと思わないとドンドン流されてしまう)―流された方が楽だろうな、楽しているなあの人、そういう意味では楽な中での幸せってあるよなと思う時はある。後から振り返った時に幸せなのか、あまり宜しくない行動なのか。(小沢さんは元気?)―元気ですね。(党内では喋る?)―党内で喋る。あ、会議の時は全く喋らない。喋りません(笑)。(喋らない政治家(笑))―結構少な目。ただ何十年と同じ思想で来ているのでだいたい読める(笑)周りで。「これでいいですか?」「うん」「ううん」と分かり易い。ある意味ハッキリしている。「誰がここは責任持て」とか、決めたらそれでやるという事にするので、意外に任せてもくれる。(生活の党は数が少ないから運営はしやすい、会議とか意志の疎通とか統制とか)―そうですね、その中で結構議論をしたりするので、意志の疎通を取る時間は結構取っている。ここで喋って欲しいなと思う事はよくある(笑)。彼の面白いのは、最近思うが、結構学者タイプ…大学の教授タイプだなと思う位に私達向けと、生活の党のホームページには彼の講演の議事録と動画も観られる様にしているが…5月24日土曜日に16時から川越プリンスホテルで小沢一郎に憲法の講演会をしてもらう。入場無料。詳しくは小宮山泰子ホームページまで(笑)。よく勉強している、本当に。(渡辺喜美さんも学者的だと言われるが長年選挙やって来た方はきっとそうなるのではないかと)―あと中選挙区を過ぎて来た方々はもう少し選挙区を広く見ていたり、同じ選挙区で同じ党とも戦ったりというのでは小沢の時代はギリギリ辻立ちとか街頭での討論会が出来た時代だったので、そういう意味では憲法論とか様々話すのは30分40分ぶっ続けで話すので。よく分類しているし、国連憲章との整合性とかよく分かり易く…国会改革で、どれが憲法に改正が必要で、運用で大丈夫だろうというものとよく分類して彼は考えている様なので。普通の彼のイメージとはちょっと違うかな。(何十年も同じ事を話して、昔は街頭で話していたが皆段々馬鹿らしくなって内に向かう)―そうかもね。(本とか、大講演だったらお話しをするが後は喋らない)―公職選挙法の関係で、私も公開討論会何回か出たが、昔のお見合いの作法の様に直接議論をしてはいけない形になっている、選挙期間中は。あくまでもコーディネーターの人と行ったり来たり。合同演説会という形をとる、選挙中は。(それは各政党という事?)―各候補者と…政党無い方もいるので。バトルではない、議員同士のバトルが出来ないので。(テレビの党首討論でも党首の発言をキャスターが一回受けてから次に投げるみたいな?)―あれはまた党首とかだとまた違う。(ガチな選挙区ではという事?)―ガチな選挙区の候補者同士は。何かあったのでしょうね、昭和50年代に確か無くなったので…立会演説会。相当罵詈雑言様々あったんでしょうね、昔の事だから。今無いので、議論をするという事が減って議員の質が落ちたと言う人もいる。(吉田茂さんは街頭演説などしなかったらしいが、今の若い議員はと批判されるのはやはり繰り返される。明治とかすごかったんでしょうね、大人だった)―それ見てみたい…タイムマシン出来たら…(吉田茂初演説会を見てみたい)―見てみたい。田中角栄のもちょっと見てみたい。(吉田茂さんのはお嬢さん=麻生さんのお母さんが書いた本には「父が演説をしたけど全くなってなくて、父もダメだと言っていた」と書いていた(笑)そういう信じられない事が書いてあるのですごく親近感を持てる)―それは持てる(笑)。

●今だから言える、あの日のあの出来事

11年目、国会議員になって…正直11年目で一番きつかったものの一つは、一番最初1期生の時の年金問題の厚生労働委員会の乱闘で床に叩き付けられて脳震とう、むち打ち。(誰に?)―自民党の今の国対委員長…佐藤先生。(佐藤勉さん?)会うと今もちょっと首が痛くて(笑)。「相当カッカしていたから」と。(今は会っても普通に?)―お互いにいや…多分…そうは言わないけど。私は首痛い。(「あ、先生」とか言わない)―一応言わない。そういう風になるので何となく「こんにちは~」となる。(「フン」とかはしない?)―そこまではしない。(でも映像で残っているから…)―残ってない。それが委員会の外の廊下だった。(場外乱闘だった)―場外だったので。(会場:三宅さんが転んだのは?)―あれも厚生労働委員会…あれはもっと後。(どういう感じだった?)―怪我したくなかったので皆が○氏が居て乱闘しているところからちょっと離れて他の出入り口の所に椅子を置いて座っていたが、正直申し上げてそこを何故選んだかといえば、中から鍵閉められて動かない扉でそこの所に更に椅子でちょこっと座っていた。これだったらどうせ開かないのでと…そこで手を掴まれて…いきなりやって来て…一瞬だったので、意識のこちらの方でドアがガタガタいって、またどこか空いているドアに向かった気配は記憶にある。正直、やる意味ない所に座っていたので、私は…ドアは絶対開かない、中から閉まっていたので。よく国会対策でどの党かは分からないが、昔から言い伝えられているのは、そういった時には「上半身は普通にしていろ、蹴るなら足にしろ」とか…映ってはいけないから。「男性はネクタイとかは首が締まると危ないからどこか切れ目を入れて切れる様にしておけ」とか「破られてもいいところにしとけ」というのはよく言われている…「安いスーツにしておけ」とか。(これから女性が増える場合は何か規則を作った方が良いのでは?被害者としては)―その場合は台湾とか他の国のも参考にしながら、ルールは作るべきだと思うし、話し合いをする場所なので、合理的な話し合いを徹底してやれば良い。会期末だからと言って止めるのではなくダメだったら次の会期も議論すれば良い。(国会は茶番、出来レースとか言われるがそうではない一触即発の部分も結構ある)―ありますね。何故そこまでいくかと言うと、そこまでやらないと記事にならないという一面もあって…その時の野党とかが…採決が終わってから「この法律のここが問題です」と書かれても終わっている、採決。なので出来れば採決の前に問題点は国民の人達にちゃんとメディア、報道の方達は出して欲しい。淡々とやると意外に何が問題か分からない、という事を言われて、記事にならない場合が多いらしく残念ながら…(記事にしたい事が記事にならない)―そうあれば、もっと世論等の盛り上がりを受けて修正がされたり、法案が動く。そういう世界になったら怪我する人もいなくていいなと(笑)。そうした時に女性ももっと身体張らないでも政治やれる…やるのがあたり前だと思うので。そういう社会にしたい…(女性同士の殴り合いとか(笑)…)―殴り合い前提にしないで(笑)。お局みたいの出て来るんですかね、そういう時はやはり。(小池百合子さんとか)―それだけは(笑)。(小宮山議員:紙袋から資料を取り出す)うちの地元のパンフレット…(最初にやろうと思っていたのに忘れた)―それから、栗より旨い十三里…さつま芋の製品でございます。一番分かり易い「いもせん」、芋煎餅…今色々な味がある。(大切な話を忘れてすみません)―これも色々教えてくれる。ダイオキシン問題が随分前に起きて…小泉さん厚生労働大臣だった頃…あれが起こった所がお芋の産地、隣町だったが。ここ自体は江戸の飢饉の時にこうやって芋の奨励があってさつま芋等産める様になった。土地が痩せていた所なのでしっかり落ち葉作って堆肥を作ってという循環型農業をするという、本当に人、農家の方の努力の上に出来上がった、今素晴らしいお芋がとれる土地。

●質問コーナー

Q:生活の党としては消費税反対を野党共闘していくのか、大きな与党に対してどう立ち向かっていくのか。

A:正直言って消費税増税に関しては今の経済状況をきちんと見て、野党共闘は出来る土壌はあると思っている。何よりもしっかりと意見がまとめられるところはまとめなければならないので、全部が一緒という事はあり得ないのでいずれは野党が結集して、ちゃんと国民の為の政治を取り戻すという方向に向かうべきだと思う。それが一番早く国民が何を選んでいるのかと、選べるように対象になるグルーピングをする事は大切だと思う。

Q:社会保障と消費税増税については先生方が言っている事が2~3年後には後の祭にならない様にする為にどうしたら良いのか。若い世代の政治に対する無関心を考えると国民の声としての根本問題だが、どうしたら良いのか。

A:若い人がどうやったら興味を持つかというのは課題だと思う。では何故政治に興味を持つ層があるかと言えば、それは生活であったり、商売であったりという時に政治に関わる。やはり社会に関わって来た時に政治に興味を持つ方が多いと思う。今若い人達が社会に関わっているという意識が無いのだと思う。そこをどうやって社会に関わっている実感をして貰えるのか、これは憲法にある「主権者」たる意識をどうやったら持つのか、ここは教育もあると思うし、今まだ衆議院で審議しているが、選挙年齢の引き下げ…18歳に下げるという法案をやっている最中。こういった事のきっかけで主権者であるという思いを…今丁度法改正の時が恐らく興味を持つチャンスになるのかなと思う。どうしても社会保障とか考える時というのは、老後の事とか病気になった時とかというのが一番考え易い。あと給料からどれ位引かれるかとか…昔給料は天引きでやるサラリーマンの方々…そうではなくて全員が確定申告で税務署に申告した方が良い、というのを自由党の時代は出していた。そうすると納税者としての意識も生まれる。分からないうちに引かれる…楽。これは戦費調達の時に出来た方法。これを止めて簡素な税率にする事によって、一人ひとりがちゃんと納税をしてというやり方の方が本当は早くに国の税金だったり様々の事を意識し易くなると思う。今なかなか提案にはならないが、過去、自由党の時代にそれを提案していた、小沢と。(きっとまた徴収出来なくなったりとか問題がある)―ありますね。国民年金なんかはそう。税の負担にすれば、今未納の方が半数いるから、結局それをまた埋める為にという悪循環が起きている。