小林 しげき
arc24
第98回
2013年11月20日 放送

自民党 小林 しげき 衆議院議員

(以下、動画より文字おこし)

自民党 (奈良1区)比例近畿ブロック 1期目

(前回ゲストのくまだ議員との繋がりは?)―議席が隣でそれ以外で委員会が三つとも同じで五十音順でいくと「く」と「こ」なので全部並んでいる。お互い助け合いながら競い合いながら(笑)。(ネクタイの色はイメージカラー?)―選挙戦の時は赤を使っていた。当選して東京に来てみると赤いネクタイの人が多い。それが若い方ばかりなのでちょっと遠慮して紫に変えた。(SNSのコメントで「悪の自民党」ときている(笑))―人相はあまり良くないかも知れない。奈良1区は県庁所在地だが各地の県庁所在地の様に都会かというとそうでもなくて結構古い町。(昔からの文化が残っている)―そのまま残っている。中小企業の町。

●幸せ度数年表

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第98回小林しげき

1964年 奈良市生まれ。地元で出ている。何もかもだいたい知り尽くしていると思う、地域の事は。父が県会議員、祖父が市会議員、その前は普通の農家。(「幸せ度数年表」に「厳しい塾通い」とある)―たまたま親が教育熱心だった。スパルタ式の塾に通って…そういう意味では劣等生だった。慶応大学、法学部。三田には真面目に通わなかった。日吉も3年位行ったが、あとは渋谷とか(笑)…勉強する場所ではない(笑)。(ヤンチャだったか)―そんな事はないが普通にチョッとそれなりに(笑)。88年に卒業。1年浪人。(「幸せ度数年表」上の●は)良くなかった事に黒で塗ってみた。(銀行員は)―銀座支店と神田。大和銀行…りそな銀行と合併してりそな銀行に変わっている。(国会議員にバンカーが多いが)―当時の風潮ではないか。今でも元に戻って、金融機関を志望する大学生が増えていると思う。その時はそういう流れだった。政治家になったのは、父が亡くなった後。しかも父が経営していた会社に戻る気もなかったので、ずっと東京で生活できるかなと思っていた。それが少し変わった。(そんなに野心家ではなかった?)―そう、今でもそうかも知れない。(ギラギラの永田町にいて焦りは?)―それはある。(テレビに出ようとか地元を固めようとか、両立を考えなくてはいけない?)―仰る通り。焦りはある。東京と奈良の往復というが、体だけ移動している訳ではなく頭の中も移動している。(30歳で結婚)―この頃は銀行を辞めて父の経営する住宅会社に居た。その時に見合いの様な紹介で。奈良JCで丁度10年やった。良い勉強だったが、まだやり残した事もある。真面目にやればサボった事もあるしサボった事がツケで今かえってきたりする。子供と一緒にやるキャンプとかそういうプログラムがあるがサボった。それが今教育の政策を作ったりする時にああいう現場に行っていれば良かったのにと。40歳以降に反省している。(お父様が亡くなったのが)―42歳位だったと思う。後厄のもうちょっとというところだった。(それでお父様の会社を継いだという事)―継いでかつ県会議員も改選期だったので2007年4月に初当選した。(亡くなったお父様の議席をそのまま?)―そういう事。(亡くなってから選挙までは)―2ヵ月位。丁度改選期だった。(それも運命)―そう思う。人前に出たり喋ったりするのはこの辺(JCに入る前)まで苦手でずっときているが、ここからは喋らないといけない、人より前に出ないといけないという性格に成らざるを得なかった。JCに入っていたか入ってないかで違っていた。(奈良県議を平成19年23年に当選)―6年弱。まだまだ、本当に入口に入った位かなと思った。(お父様は)―28年位やっている。(議長も)―やっていた。(地元の名士でこういうご子息がいる)―そんな事もない。焦りはある。奈良1区という選挙区は自民党が安定して議席を取れない場所だった。(民主党 馬淵さんの相手候補だった)―自民党の支部長の席はずっと空席だった。色々あって結局選考委員だったが自分で出たという事。勧めもあった。(馬淵さんには小選挙区では負けてしまった)―負けた。(それでも議席を守ってバッヂを付ければ勝ち)― 最大の目標。(小選挙区では何票差で負けたか?)―7千票差。6万8千と6万1千。(奈良1区はやりにくい場所か?)―やりにくい事はないが選ぶのは有権者だという事で、自民党の評価されない部分が一番よく出た、こういう都市部では。(どうして支部長に手を挙げる人がいなかったのか、落ちると思ったからか?)―そういう事もあっただろうし、実際手が挙がったが家庭の事情で辞退されたりした。(落下傘も馴染まない風土か?)―そうでしょう。(そろそろ1年になるがどんな活躍をしているか?)―早いものでアッと言う間。委員会と、自民党内での部会、調査会という勉強会。先輩がたの意見、発言とかを聞きながらイロハを勉強しながら自分でも代表している分野があるから…住宅業界、不動産業界、建設業界、運輸業界、そういったところと地元では接点が多いので。(奈良1区は2人自民党から出ているので地元は喜んでいるのでは?)―そういう事ではないか。政策が似ていれば実現の可能性が高い。高市先生は奈良2区から出ておられる。中選挙区でも当選されていた。

●最近の政治トピックス

県会議員の頃から、教育、町づくりを繰り返して言ってきた。具体的には学校の制度とか、学校中心の教育を立て直すというか充実させようというか、昔良かった部分を復活させるとか或は世界に通用する様な子供の教育とかそういった様な事を県会議員の時代からずっと言っていたが、壁がある。「地域で出来る事はここまで」、「文部科学省が決めている事がある」、「中央教育審議会が決めている事がある」とか。(県が先走ってやる事はできないものか?)―あまりできない。やっている所はあるかも知れないが。それを県会議員時代に言ってきて、自分で壁を超えて直に国会議員としてやる立場に立ってきたのでやり甲斐がある。これぞまさしく自分が県会議員時代に感じていた壁だなというところが見える。実現するのはまだまだだが教育委員会制度とか今ずっとやっているが、自民党の中でもまだ議論がある。特に英語教育は考えさせられる。小学校5年生からの英語教育を低学年からという事だが二つの意見があり、国語教育がお座なりになるのではないか、かたや世界に通用する子供を作るには、第二言語の英語を自由自在に操れる様なスキル、ツールとして英語は必要だから、苦労しない様に小学校の間から身につけていく、自分たちの世代はこれだけ長い間英語を学んだけれども全然使えない英語だという反省のもと、という両方の意見があるが、自分も今までは英語教育はある程度必要に迫られれば短期間でもマスター出来るのではないかスキルだから、と思ったが、スキルならば若い間に身につければもっと良い事もあると最近は考え方が変わって来ている。と言っても身についている訳ではないが、自分は。(委員会は?)―文部科学委員会。委員会の希望を二つ出せる。これは「今だから言える~」の話に重なっているかも知れないが、国交委員会が表向き第一志望だが、嘘をつけなくて「自分が本当にやりたいのは教育問題だ」と、第一志望・文部科学委員会、第二志望・青少年問題特別委員会、両方教育・教育でやったら希望通りになって教育ばかりやっている。その代り自民党の委員会は出入り自由で、ここで国土交通とか行っている。地元の道路を作っていこうとか高速道路の延長距離数全国最下位…新幹線と空港が無い都道府県はもう数える程しかない。中でも港が無いのは奈良県だけ。そういうものも何とかしていこうという風に見ているので本当は国土交通委員会で言わなくてはと。そもそも海が無い。海が無い所はせめて空港があったり新幹線が止まったりするが何も無い。いずれはやっていきたい事だが10年20年30年の事だけれども今始めなければいつまで経っても出来ないという事なので。(教育を取り上げるのは政治家としては大変かも知れない。すぐに結果が出ない)―かも知れない。よく地元のかた向けの演説会とか講演会で喋っているが、月曜日も多数のかたを前に「教育の問題は大事」と話をしているが、どれだけ皆さんがたが同じ思いを持たれているか疑問。ご自身に子供がおられればそういう事があるが、皆夫々に「教育が大事」と言った時に大学教育なのかもっと小さい幼児教育なのかというのはバラバラだと思う。(お子さんは?)―子供はいない。(SNS:加藤剛に似ている)―これ大学の同級生では?ヒョットして…大学生の頃言われた(笑)。狩人にも似ていると言われた事がある、どっちか…。(SNSの)厳しいコメントが来ているか?(SNS:日本の英語教育は読み書きを偏重し過ぎている)―カンバセ―ションの部分がスキルなので教育ではない、技術だという考え方だったのだろう。
Q:PTAをやっていた時に感じたが、生徒にとって先生が「師」ではない。昔は敬う恩師の師であった。社会が良くなるためにはそういう人間関係、師や友との出会いの場所だと思うが。
A:自分自身の経験から教育が大事だというのは。挫折している様で踏みとどまったというのは、「こんな先生」「この野郎」と思いながらも感謝をしているという、こんな先生に恵まれたのだと思う、幼稚園の時から今に到るまで。塾の先生は最も「この野郎」と思った、スパルタで。小学校3年生4年生の中学年で随分性格も変わったが、先生のお陰。(今の党とは違う人たち)―そう、よく授業が休みだった、今思えば。(共産党社会党の先生は子供の心を掴むのが上手かった)―授業は授業としてきちんとされて、活動はまた違った時間帯で分けられていたのではないか。作文を書かせるという授業だった。全部覚えている。自分の書いた作文まで覚えている。(PTAと仰っていたが町会長も今なる人がいない)―それは問題、自然に誰でも成れるというのでないと。

●今だから言えるあの日のあの出来事

大学浪人の時に予備校に行かずに途中から図書館にばかり行っていた。親がビックリするでしょう。図書館で勉強はしていた。時々居眠りはしていたが。本当に言えない事はあるのでそれは…
(所属派閥は?)―無派閥。いつかは何処かに行くかも知れない。国民の方々の考え方というのは、脱派閥というのが評価をされている面があって、自分は特定のどなたかに応援頂いてというより幅広く自民党の先輩がたに応援を頂いて当選していると今思っているので、今の時点では。(奈良では?)―誰かが中心という事はない。それは高市さんが有名。こういう流れが自分にとって自然な流れだというのはある。それは自分が考えている教育とか町づくり道づくり駅づくりというのを実現するのに、これが近道だろうなというのは思う。もう一つは、自分が理想とする政治家像というか、こういう人がおられれば政治活動をご一緒にやっていきたい、という人がおられればそういう道を選ぶのかも知れない。(つい森派と言ってしまうが、町村派の町村さんは)―外務大臣をされていたと思う。(1年生の議連はあるか?)ゆるい勉強会?時には結束、時にはバラバラというそういう処。自民党だけで119人いるので「いい国(くに)会」と言う。結構「いい国(くに)会」の人たちがこの「みわちゃんねる」に出演していると思う。(奈良県では)―もう一人新人、田野瀬太道さんという人はまだ出てないか?(永田町で驚いた事は?)―車があるのは当然、車が無いと移動が不便だが1年生議員はそこまでお金をかけられない。車が無いと走り回ったりするので体力勝負だと思う。車、送迎があるというのが前提でやっていた…自分自身で選択すればいい話だが、昔1890年に第一回帝国議会が出来た時の感覚というのは多分馬車に乗っていたのか車か、そういう人たちが限られた時間に集まって会議をしている世界なので、自分たちはそういう意味では「普通の社会人」と「かつての政治家」の中間にいるのかなと。1秒を惜しみながら各地を転々とする為には車は必ず必要。(車に乗っているという事?)―時々、走っている結局は(笑)。相応しい話ではなかった…すみません(笑)。

●質問コーナー

Q: いじめ問題はなかなか解決できないがその辺はどう思うか?
A: 時間がかかる事ではないか。社会を映す鏡の様なところがある、漠然とした言い方だが。例えば、忍耐力、耐久力というか、そういった生き抜くという精神力もいる。それが、友達がいれば何とか乗り越えられるとか、親と相談をすれば何とか乗り越えられるとか、そういう事がなくて子供は孤独になっている。もっと言えば大人だって孤独になっている。孤独な者同士だと。それでこういういじめがクローズアップされているのではないか。いじめの無い世界というのは理想だが、実際いじめという表現に当たらなくても、競争社会というのがあるのでどの辺をとっていじめと言うのか。残念ながら暴力だとか命が失われるとかそういったものを頂点とすれば、それ以外のものは昔からあったと言わざるを得ないのかと思う。法律も万能ではないので、法案が出来たからと言って状況が飛躍的に変わるというのは無いと思うが、皆さんが問題を共有する、大問題なんだという、地域でも学校でも大問題だと考える、それがあの法案の果たしている役割だと思う。何とかしなくてはいけない。水面下で眠っている案件が多いと思うので大変だと思う、いじめ問題というのは。教育再生実行会議の中でもいじめの問題をどうするかというのは重要案件。後は大学教育とか教育委員会制度とか順番にやる。(永田町こそいじめの巣窟では?)―誰が誰をいじめるか?…鈍感かな(笑)。与野党では意見のぶつけ合いなのでいじめっぽい部分があるかも知れないが、緊張感を持つという事に繋がる。ありのままが出て来る世界、国会というのは。良い面も悪い面も全部出て来る。やはり社会の縮図、国民の縮図だから分かり易いのではないか。
Q:大学の問題について。大学から社会に出る事、大学に入る事の問題について、東大での秋入試というのがあるが、今後はどう変わっていくか。
A:学校側、社会側、もっと具体的には企業。大学と企業側の考えている事を一致させなければ、大学ではこれでいいだろうと思っても社会では実際には通用しない事もある。これはギャップというかミスマッチというかそういう現象。それは広がっていると思う。自分も少し前までは会社の社長をしていたがそれは感じる、面接とかをしていて。何を基準に採用するかというのは、自分の経験から言えば、基本に忠実かどうかとか、応用力があるかどうかとかいう事なので、そんなにスキルの部分はない。大学時代にあまり勉強をしなかったという話が出たが、こういう話を聴く…「大学で学ぶべき事は、学び方を身につけるところだ」と。実際に大学4年間で学んだ事がそっくりそのまま会社で通用するかというとそういう事はない。学び方をそこで訓練していけば、例えば勉強出来なくて最後卒業するのに苦労して1年間だけ猛勉強したというのも一つの学び方。社会に入ってみれば何もかも一からなので、仕事を与えられて解決する時に自分で分からない部分は人に聴くとか相談するとか悩まずに。そういう事で乗り越えていける訳だが、そういう意味ではスキルというのは精神的な根性ではないか。ミスマッチはあると思う。
Q:秋入試という制度的なものは?
A: 報道で聞いた時にはいいと思った。うまく移行しない理由がある様だが。自分は良いと思う。大学によって選択すれば良い問題なので。東大はそれを率先してやるのだという事だったからやれば良いと思った。
Q:一強の自民党によって物事が決まっていっているが、早いとか、良いなとか思う事があるか。
A: 参議院選挙の時に石破幹事長が「丁寧に謙虚に地元の人に政策、或は政治の状況を説明するべし」というのがあったので、そういう事を忘れがちになるかも知れないが、それは忘れてはいけないのだろうなと。口だけかも知れない(笑)。石破幹事長怖いので。幹事長は誰も見ていない視点から見ているという事でしょう。別の視点から見ている。忘れがちな部分に警鐘を鳴らしている。それは自民党に対して警鐘を鳴らしているだけではないでしょう。もっと色々な意味でという事ではないか。一強体制の話もそうで、知らず知らずのうちにまた国民の方々と気持ちが離れていく事が一番怖い事だと思う。
Q:自民党内部の委員会などは白熱しているか。
A: 案件によっては。教育問題も白熱している、英語教育の事でも。パソコンを使った授業云々…iPadを子供に配布してというのも「授業中にゲームしたりするぞ」と先輩議員が仰ったらそれはそうだなと思ったりする。例えば、図書館と配布されたiPadを繋げば色々な本を授業中に限って見る事ができる。同じ物を皆が見ているという使い方もあるので、あまり自分で決めつけてはいけないと思う。「iPadを配ったらゲームをするぞ」というのは短絡的かなと思う。
Q:自民党の法案がそのまま決まってしまうので、内部の議論が非常に重要では?
A: 特に反対意見とか少数意見とか、それが大事なんだろうと思う。
Q: 地元のエゴをぶつけてくるのか。
A: 自分もやっている。
Q:面白い先輩はいたか。
A: アントニオ猪木さん。赤いショールで背が高くてガッチリしていた。うちの父親が似ていると言われていたが、見たらやっぱり似ていた。顎がちょっと出ている。
Q:委員会に「元気ですか~?」と入って来るそう。
A: 今は元気じゃないでしょうね、ちょっと。健康だと言うのは本当に大事。昔そう言えば大学生の時に多摩川でランニングしているのは見た事がある。委員会は参議院なので違うが、何かの時にすれ違った。またいつか出演されるのではないか

●その他

自分自身を振り返る勉強になる。「幸せ度数年表」は凸凹書こうと思ったが、毎日毎日今が一番幸せで恵まれていると思って平行線(横一直線)になった。80%になった理由は、下に書くスペースを作ったらあの辺になった(笑)。(小林議員にはジェットコースターよりも気持ちの中庸を保ってほしい)―中庸…硬くて面白くないというのが欠点。(そこが素晴らしい)