小林 鷹之
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第71回
2013年04月24日 放送

自民党 小林 鷹之 衆議院議員

(動画より文字おこし)

自民党 千葉2区 1期目

身長186cm。永田町には私より高い方が何名かいらっしゃる。(前回の丸川珠代さんからの紹介だがどういう事か)―どういう事なんですかね。私は丸川先生に伺いたいが、ご主人の大塚拓先生が留学先が一緒で…ケネディスクールで、そういう繋がりだったのだと思う。(そうではなく、丸川議員だったら誰でも指名できるが、敢えて指名するならという意気込みがあった(笑))―(笑)(小林鷹之さんでないとダメだった)―有難うございます。

●幸せ度数年表

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第71回小林鷹之

 

(島耕作みたいですね)―島耕作ですか、初めて言われました。千葉県の市川市で生まれて浦安市が比較的に長かったが、今の選挙区は若干東京から少し千葉に寄った千葉2区と言って八千代市、習志野市、千葉市の花見川区という所です。宜しくお願いします。(「幸せ度数年表」の入試不合格というのはどちらの大学か)―これは東大。東大の法学部文科Ⅰ類というところ。入試受けて受かったなと思って合格発表を見に行ったら、あると思っていた名前が無かった。自信はそこそこあったので結構ショックだった。(学年で一番だったのか)―そんな事はない。結構進学校だったので沢山頭のいい、成績のいい方はいた。(医者になろうという選択は無かったか)―結構「血」に弱いかも知れない。結構不器用で図工の成績は悪くて…(笑)(一年浪人されて翌年東大法学部に合格、その日にボート部に入っているが)―法学部というのはボート部に入部する為に入った。丁度高校三年生の時にバルセロナオリンピックがあった。その時は考えが突飛だったと思うが、オリンピックに出たいなと本気で思った。ボートという競技が分らなくて、東大も行きたい、一所懸命勉強したいと思ったので、東大でオリンピック行ける部活はどこか調べら、東大のボートはオリンピックの出場回数から言ったら、今でもそうだと思うが日本で一番。一番直近は幻のオリンピックと言われたモスクワ五輪、(中止になった)―出られなかったが、全日本大学選手権とか日本選手権でも決勝に行ったりとか、代表の合宿に呼ばれる方もいたりとか…。そういうのでボート部に入ろうと思った。(個人競技ではないのがすごい。多勢でやってみようと?)―そういうところもあったし、運動コンプレックスが集まったのが東大なので、運動できなくても大学から一所懸命やったらいけるというスポーツがたまたまボートだったので入部した。(ここで10代で奥様に出会っている。ウィリアム王子とキャサリン妃みたい)―(笑)帰ったら言っておく。それはボートと関係していて合宿所生活で埼玉県の戸田市で一年生の五月位で合宿なので四月しか自由な時間が無い。それまで男子校6年間だったので、この一カ月の間に頑張ろうと思って、たまたま近くに居たのが(笑)。(留年もされている)―これもしょうがない。何故かと言うと、四年生の就職の時期がボートの大会のシーズンと重なる。早朝の5時から練習が始まって、毎日3回計10時間位練習する。そうするとボートって普通一人で漕がないので、皆練習していて誰か一人が「俺就職活動行くよ」という風に行ってしまうと練習できなくなってしまう。たまたま4年の時キャプテンをやっていたのでキャプテンが就職活動をする訳にはいかないなという最後まで残らなくてはいけない立場なので、そうすると8人の「エイト」という船に乗っていたが皆留年した。(笑)自動的に5年生。(24歳で大蔵省に入った。)―4年生の秋にボート部が終わって、それから半年位後に公務員試験があって死ぬ気で勉強した。他の友達が1年生で読む法律の本を4年生の秋になって初めて開いてそれは本当に死ぬ気で勉強した。寝ている時以外はずっと勉強して何とか滑り込んだ。(省庁は入って来た期数年齢にこだわる?)―こだわる。二回ダブっているので、大蔵省の1年生で入った時に2年生が上司でいるが高校の後輩だった(笑)。ストレートでスーッと。基本的に高校の関係は年功序列で縦の鉄の関係だが仕事がやりにくいので後輩だったが大蔵省の中では先輩という事で(自分を)後輩として扱ってくださいという事でそこは割り切ってやった。(大蔵省は何年か)―11年。(どんな業務をしていたか)―結構変わっていて11年間いたら色々な仕事をやらせて貰ったが、5年海外、半年地方なので霞が関に居たのは半分しかない。6年弱。国際金融…G20がこの前あったと思うが、リーマンショックの対応とか、そうした海外とのやりとりは比較的多くて、あとは国の資産、債務を管理していく。財政再建の為には余分な国の資産というのは売却していくという仕事とか、第二の予算と言われている財政投融資という仕事は政府系の金融機関に経理でお金を貸すというそういう仕事をやっていた。(その間は役人批判の多い世論だったがどういう思いだったか)―仰る通りで、確か公務員試験を受ける年か、前の年、大蔵省の不祥事というのが大々的にバッシングが始まった直後だった。大蔵省は重要な役所なので、だからこそこういう役所はしっかりしないといけないという気持ちが湧いて来て、自分はその能力があるかどうか分からないが気持ちがあったので公務員試験で大蔵省に挑戦してみようと思って入ったが、自分が入る位だから結構不作の年と言われていた。入ってみて思ったのは、大蔵省、霞が関に対して、言われている批判は半分は確かに合ってると思うが、半分は間違っているというか…天下りの話とか批判されるが、若手中堅で最初から天下りの事を考えて入ってくるのは一人もいないと思うし何とかしたいという気持ちは皆溢れていて、だからこそ本当に大蔵省の予算を作っている主計局の方は12月は予算編成だが、多い人だと残業時間が300時間を超えていて倒れるのではないかと…ずーっと役所の中に居て土日もほぼ寝ずに働いて、その中でやっているので使命感みたいなものは強いと感じていた。(19歳の時から付き合っていた方と31歳で結婚)―キャサリン王妃と。結構待たせてしまって(笑)12年半かかった。地元の支援者の方達からは「待たせ過ぎ。決断力が無いぞ」と言われ(笑)仰る通りなのかも知れない。最初出会って、合宿所が4年間あって、基本的に合宿所の中に居るので月2回位しか会ってなかった、大学時代は。だから結構長く細々と続いて、いずれ結婚するんだろうなと思いながら段々勢いというかきっかけが無くて(笑)(日本を動かす仕事をしているのを見ながら段々遠くなると奥様は思っていたのではないか)―どうですかね。帰って聞いてみる(笑)。妻は同じ学校で、同じ感じのホワッとした感じだが弁護士の資格を持っていて、今は実務から大分離れていて子育てを主にやっている。(最強のカップル)―かわいくないですね(笑)。(結婚のきっかけは?)―何だったかな…思い出せない(笑)その次の年に海外に出るという事が…留学はちょっと前だったが、外交官として3年間ワシントンに行っていた。そういう大きな環境の変化が…(どうせだったら結婚しようと?)―多分そういう事だったと思う(笑)。(35歳で退職というのは国会議員に成る為に?)―勿論。官僚としての仕事は基本的には何処の部所でもやりがいがあって、やりがいがある反面何処かに閉塞感を感じていて、それが多分(「幸せ度数年表」の)落ちている理由。何か新しい事をやろうとした時に、まず前例踏襲というか、新しい事をやろうとするとまず否定型から入るというか。そういう処で色々思っていたのと、海外から政権交代を見ていて、選挙の前から民主党のマニフェストを見ていて財源の問題で「これは絶対にあり得ない」と思ったし、財務省内部に居たので、これは帳尻合わないし破綻すると思ったし、あとは外交官としてワシントンに居たので所謂普天間の話を初めとして「何ていい加減な事を言っているんだ」という気持ち。あとは本来しっかりしていないといけない自民党が、やはりあの時は批判されて然るべきだったと思う。外から見たら小さなコップの中で与党と野党が足の引っ張り合いをしている姿に「ふざけるな」と思って、こういう政治を変えたいという思いと官僚としてのある意味閉塞感みたいなものがない交ぜになってこうグーッと下がって来て「ではもうやろう」という気持ちになった。(外交官の生活は良いか)―昔は良いという風に聞いていたが…(毎日舞踏会のイメージがあるが)―そうではない。むしろそれ位そういう事ができる位もっと外交にお金を遣うべきだと思う。無駄なお金ではないと思う。削られていて、財政再建の中で仕方がない部分はあると思うが。そうすると今日本て…後でまたお話しするが…国際社会の中で存在感、プレゼンスがドンドン低下してきている中で、例えば外交官は情報取って来てなんぼの世界だが…公然のスパイなので。
でも日本に対して海外の関心が無くなれば無くなる程、情報を引き出すにあたっての梃子が効かなくなる、ギブ&テイクなので上げる物が無くなってしまう。そうすると例えばランチとかディナーとか朝食でも相手に奢って、そういう場をセットした上で情報を引き出すとか、そういう事も外交の姿としてある。自分は財務省から出向で行ったので、相手はアメリカの財務省とFRBというアメリカの日銀にあたる中央銀行、あとは金融庁にあたる金融監督機関がいくつもあったりして、あとは議会、ロビイスト、金融機関、有識者とか。(英語は大丈夫だったか)―辻君とかと比べると辻君はネイティブなので。さすがにそれが仕事なので。留学の時に最初本当に悔しい思いをした。そこである程度、日本の英語教育が如何にダメだったかというのは後悔しながらも何とかスキルアップして仕事で使えたという事。(情報を取ったら毎回財務省に報告するのか)―財務省というか外交官なので、そこは外務省に基本的に連絡をしていくという事。リーマンショックがあった時は1分1秒とは言わないが、マーケットの株価が乱高下してアメリカの財務省とか世界の財務大臣が24時間体制で動いていたから、そこは外務省と財務省にしっかりリアルタイムで情報を共有するようにしてやっていた。(お嬢さんが生まれたところがマックス(「幸せ度数年表」)で来ている)―これはマックスですね。人生のマックス今のところ。ここ(「幸せ度数年表」の「妻と出会う」)のところより微妙に(高い)(笑)。(パンフレットにもお嬢さんだけではないが未来の人達に向けたメッセージがとても良い)―有難うございます。(お嬢さんはきっと可愛くて背も高くスタイルが良いでしょう)―まだ2歳、もうすぐ3歳なんで背はそんなに高くない(笑)。(ワシントンから忸怩たる思いで日本を眺め国会議員になろうと2013年の選挙で当選)―有難うございます。(ここで何故か当確1号と出ている)―これは、NHKさんで見ていたが、12月16日の8時の段階で各テレビ局で選挙番組が始まるが、8時過ぎたら一気に結果…出口の調査が出てその時にNHKさんで8時0分何秒かで「当確第1号」で千葉2区・小林鷹之とテロップが流れたらしい。実はその時そんなに早く出ると思ってなかったので自宅で風呂に入っていた(笑)。さすがにどんなに早くても9時、9時半位だろうという事で、それに合わせて選挙事務所に来てくれと支援者の方から言われていたので、支援者の方に会う前に…何となく手ごたえを感じていたので「じゃあ一風呂浴びるか」と言って風呂に入っていた。そしたら近くに置いてあった携帯電話がブルブルブルと鳴り出してパッと見たらメールが何十件も入っていて「何だこれは」と思ったらオメデトウメールが入っていて、それで急いで出て着替えて選挙事務所に行ったら第1号だったという事で。(どうしてでしょうね)―いまだに…(得票数が高かったか)―そこそこ取ったが、安倍…当時は安倍総裁や小泉進次郎先生が出て来ると思っていたのに何故か千葉2区小林と出てしまった。支援者の方が本当に喜んでくれた。(こんなに早い発表は今後は無い)―無いですね。

●最近の政治トピックス

(小林議員は外交と財政に軸を置いている?)―今所属している委員会が三つあり、一つは「復興」、一つは「財務金融委員会」=「財金」、もう一つが「外務委員会」という事で、これまで自分自身11年間という短い期間だが一生懸命自分なりの仕事をしてきたのが財政、財務省の経済と…(役人の立場だったので役人からレクチャーを受ける時にもバカにされない)―そうですね。そういう意味では元居た官庁もそうだし周りの同僚議員からも財務省で政策を作っていたという目で見られるのでこの直近の二年半、三年間は政策は一切タッチせずに…辞めて活動していたので…ひたすらピンポンを片っ端から押していけと言う事だったのでそのギャップが、この辺の落差をキャッチアップするのにまだ時間がかかっているが、周りからそういう目で見られる傾向があるので一生懸命頑張らないと、と思う。議員立法はやはりやりたい。立法府だから国会議員が法律を作って、「議員立法」という特別な言葉があるのは違和感がある。(議員立法が普通で役人からなのはちょっと違うと?)―と思う。今のシステムからは勿論役人から出るのもあって然るべきだと思うが、もう少し議員立法増やしてもいいと思う。(どんな議員立法をまずは財政の中で作っていきたいか)―議員立法でなくてもいいが、政府と協同しながら、財政再建…財政を健全化する為の法律は作っていいと思うが、むしろ財政の観点から言うと法律というよりも、消費税が上がるというのは一つの前進だと思っているが、歳入の話だけではなくて出て行く方の社会保障の話でもやはり政治が切り込んでいく必要があると思っている。そっちもやっていかないとにっちもさっちもいかなくなるのではないかという危機感がすごくあって、今はアベノミクスが非常にいい感じでいっていて、それを与党の議員としても全面的にバックアップしていくのが私自身の仕事だと認識しているし、実際いい感じだと思う。(麻生さん怖いところが無い)―そうですね、今世界が注目をしている。ただ一方で第一の矢、大胆な金融緩和…黒田総裁が今やっているし、株価の…お金を増やして…(衝撃的。あんなので急に変わってしまう)―衝撃的。本当に凄いと思う。それで今円安にバーンと振れて、今日13800円台に株価…5年振り位の水準だが、ここまで戻っているというのは確実に良い事だと思う。金融政策というのは、ただお金を中央銀行から増やしているだけで、そこにはまだ実態の需要というかバブルという見方をする方もいらっしゃるし、そういう意味で実態が追いついて伴っていかないと結局時間稼ぎでしかないと思う。だから金融緩和をやってもう既に補正予算を組んで予算をこの間が衆議院で通して、今参議院に戦場移っているが5月の中旬には通るというところで、これもカンフル剤だと思う。そうした中で今地元を周っていて聞こえて来る声は「政権交代起こって安倍さんに総理替わって良かったね」という声を沢山頂くが、所謂ハネムーン期間がある政治の世界で、ご祝儀期間が百日間、これは3月にもう来ているが丁度ハネムーン期間が終わるか終らない位から地元でも段々ちらほら違う声が聞こえ始めて来ている。株価が上がっても、主婦の人達と話していると「うち株無いよ」と言う。「持っていないから私達のお財布と関係ない」という話とか。あとはローソン、ファミマ、セブンイレブン、トヨタが給料ボーナスを上げるという話になって、それはいい事だと思うが、地域社会を支える地元の中小企業というかもっと小さな…昔で言う零細企業、小規模事業者と言うが、本当にその小さな会社の経営者の方と話すと「大企業は給料を上げられるかも知れないけど俺の会社はそんなの無理だよ」と仰る方が多い。これはある意味仕方無くて景気が良くなっていくには時間がかかるし、大企業から中小企業に波が波及していくので。ただ百日間過ぎると「テレビや新聞で景気回復とか経済成長という言葉が躍る割りにまだ自分の身の回りに何の変化も無いね」というところがあるので、そういうところは成長戦略と言われる第三の矢というのを素早くやっていかないといけないと思うし、最初の財政の話に戻ると、本当に今与党の議員が考えなくてはいけないのは景気を、成長戦略を実行して経済成長を実行していくのと同時にこの膨らんでいく借金をどうするか。これはオオカミ少年の話と一緒で、いつも「まずいぞまずいぞ」と言われていながら来ないので、皆財政危機と言われても「来ない」と何となく思う、明日大丈夫、明後日大丈夫だよねと思う。(借金は絶対に言わない。課税を急にされる訳ではない)―そうですよね。これは市場マーケットの方が「もう日本もしかすると借金を返せないのではないか」と思った瞬間に一気に来る。オオカミ少年の話というのは最後にオオカミが来るので。(怖いですね)-ガブッと来てしまう。(危機感を持って暮らした方がいい)―そう。(一国民が危機感を持って暮らしてもどうにもならない)―だからこそ財政というのは国会議員にしかできない事だと思っていて、景気がいけいけドンドンの時は基本的には何もしなくても行ってしまえばそれでも良いと思うが、何か起こった時にどう対応するか、あるいは顕在化する財政の破綻リスクは顕在化しない様に事前に多少耳の痛い事も言っていくというか…野党は勿論言うが、それが消費税であったし、それだけでは私は足りないと思っている。むしろ消費税もそうだが、歳出、出て行く方、こっちを本当は自民党がもっともっと言っていかなくてはいけないと思う。今の借金が増えたのは民主党のばら撒きというのもあると思うが、やはり昔の自民党が積み重ねてきたものでもあるのでそれを解決する責任も自民党にあると思う。膨らんでいく社会保障、これは借金の利払い費とかを除いた所謂政策経費の半分以上を占めているので、そういうところにも切り込んで行かなくてはいけないと思う。(社会保障に関して、やはり一人ひとりのモチベーションが大切では?)―そうですね。そこは役割分担で党内で色々な意見があっていいと思うが、私は財政健全化というところで…選挙ではそういう事ばかり言っていると落ちてしまうが…でもやらなければいけない。(選挙のさじ加減も難しい)―さじ加減難しい。(嫌がるのは分かっているがこれは事実として言わなければならない事が一杯ある)―それを如何に説得力あるかたちでやっていけるかという事。

●今だから言えるあの日のあの出来事

色々あるが政治との絡みで言うと、私が政治の世界に挑戦しようと思ったのは、ワシントンで見ていた…先ほど申し上げた…その時に政権交代が起こって自民党がどん底になった。(自民党だったら石を投げられていた)―石投げられていた…自民党が無くなってしまうのではないかという…その時に敢えて総裁選で手を挙げられたのが谷垣さんで総裁になった。谷垣総裁は、今大臣だが、私が財務省で働いていた時にかなり長い間財務大臣をやられていた。そういうご縁があって、先ほど申し上げた様に民主党には任せられない、自民党もダメだと思ったが色々考えて、じゃあ自分が自民党から挑戦しようかと思い休暇を取って日本に戻って来て、10月だったか谷垣総裁の部屋に直談判しに行って「自民党からやらせてください」と言った。(このままじゃダメだと?)―絶対ダメだと。(逆風の時に?)―一番逆風の時に。総裁室は党本部の4階でエレベーターを降りたら記者の方が殆ど居なくて、これが野党なんだと思った。それで谷垣総裁のところへアポを取って行って「自民党からやらせてください」と申し上げたら、その時総裁の目が丸くなって「君本当に自民党からやるのか?」という風に総裁が仰った。部下だったので、政治の世界はただでさえリスクがあるし、その時の自民党からやるというのは多分頭のネジが1本2本飛んでいたと思う。だから「そういうリスクがあるけど大丈夫か?」という意味があったと思うが「やります」と申し上げたら「よくぞ来てくれた」という話になった。(自民党は無くならずに戻った)―戻った、結果オーライ。あの時の判断は結果として良かった。(バッヂをつけて谷垣さんにお会いした?)―お会いさせて頂いた。与党の質問はなかなか回って来ないが、この間初めて予算委員会の分科会というところで質問させて頂いて、最初の質問は…自分で法務省関係とか外務省関係とか選べるが、谷垣大臣にやらせて頂こうと思って法務大臣に30分間質問させて頂き感無量というか…財政とは全然違うが本当に嬉しかった。あの時を思い出しながら質問した。

●質問コーナー

Q: 民主主義では財政赤字になり易いが、国の債務1000兆円と言われるが公共投資も資産勘定に入れて国の資産と考えれば実際の債務は300兆円位になるのではないか。
A:お詳しいと思う。仰る通り国にも貸借対照表と言われていて、債務と資産の両建てある。国の貸借対照表というのが毎年毎年10年位前から公表されていて、仰る通り、債務超過にはなっているが1000兆円といった額ではない。仰った通り、道路を造ると国の資産になるがその道路を「この国道1号線売れますか?」という話になるとなかなか売れないし、或は国の資産の中には土地もある。例えば自衛隊の基地であったり、武器弾薬というのは資産として勘定されるが、こうした物は単に売って借金返せば良いという問題ではなくて防衛政策と絡んでくる。そういう意味で資産を持っていても借金の返済に充てられないというのが沢山ある。そういう意味で、無理やり道路とか自衛隊の持っている武器も一応資産としてお金に勘定しているが、300兆という額よりももっと実際は借金として多いので、そういう意味で財政健全化というのは喫緊の課題だと思う。(借金はいつ返せるのか)―借金はゼロにする必要はないと思うが、一年間に国が稼ぐ経済的な付加価値、GDPと言われている…GDPの比率で1000兆円、だいたい200%だがこれがある程度安定すれば良いと思う。(返さなくてもいい?)―返さなくてもそれは良いと思う。(日本は元々どこから借金をしているか)―国民から借金をしている。(海外からでないから良い?)―そういう意見もあるが、私達が銀行に預金貯金をしているが、銀行や生命保険会社さんが実際に国債と呼ばれる国の借金を賄っているという構図になっていて、今のご質問に一言だけ付け加えるとすると、ポイントはマーケット、市場がどう見るかというところだと思う。「借金の額が多くても日本は返す努力をしている」とか「返せそう」と思っていれば大丈夫だが、「返す意志が無いのではないか」とか「返せないのではないか」と誰かが思った瞬間に周りもそれについて行くので、そうしたところに行く前にやらなくてはいけないという話。(そういう日本の借金の帳簿をずっとやられていた。財務省はどうだったか、これではダメだと?)―ダメだと思うが、「新しい事をこういう政策をやって経済を成長させていこう」というのではなくて、どちらかというとお財布を管理して「これは出来ません、あれは出来ません」というのが仕事なので、そういう意味では性格に合うのかどうかというのはあった。(これからは稼いでいこうという法案がドンドン出せる)―それはまず第一に無いといけない。(その為にやられている)―勿論です。(楽しみですね。皆さんついていきますよ、こういう方だったら)―頑張ります。有難うございます。

●その他

(小泉進次郎さんと委員会もダブっていると?)―ダブっている。あえて進次郎さんと呼ばせて貰いますが、一緒に飲み会とか行くと、演説の仕方とか教えてくれたり。(鷹之さんの方が年上では?)―でもやはりオーラがある。言葉の力とか凄いと思う。(統率力があるのも素晴らしい)―素晴らしいと思う。同じ世代で、若い世代が30年後40年後に責任を持てる世代なので、先ほど申し上げた、短期的には聴こえは悪いが中長期的には国の将来に繋がっていくという事であれば、若い世代が思い切って言っていかなければいけないし、言える土壌が自民党にはあると私は思っているので。(この人が言うのだからついて行こうという一人ひとりの国民の気持ちが力になる)―そうですね、はい。(そういう意味でもリーダーシップ、外見が必要(笑))―有難うございます。ミス日本の方に言われるのは有難い(笑)。