小田原 きよし
ac17
第68回
2013年04月03日 放送

自民党 小田原 きよし 衆議院議員

(動画より文字おこし)

自民党 東京21区 1期目

●幸せ度数年表

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第68回小田原きよし

1964年生まれ。父が元自衛官、母の実家は神主の系列で、家庭環境からして右を向いて生まれてきた。5回自民党の公募に応募した。8歳で政治家を目指す。目黒区の自衛隊官舎で育つ。目黒区立東山小学校は、上級公務員官舎と自衛隊官舎が隣同士にあって滅茶苦茶頭の良い子がいて1つも「5」がとれず鳴かず飛ばずの小学校低学年生だった。父の転勤で宇都宮に行ったら急に成績が良くなり、カブトムシやザリガニをとって大変楽しく過ごした。
10歳の時、カンザス州レブンワース群にあるアメリカ陸軍の陸軍指揮幕僚大学に同盟国の将校たちが留学するので父について行ったが、寂しいし日本人は誰もいなくて落ち込んだ。英語はバッチリ。
15歳で十二指腸潰瘍の手術を受ける。ヘリコバクターピロリ菌除去法が知られる前の事。
中学3年の受験の年に3ヵ月の手術入院で、1学期2学期の中間試験を受けずに一番悪い通信簿で高校受験をしたが結果的に志望校の都立富士高校に合格し有頂天で楽しい高校生活だった。何回模試を受けても東大D判定で、D判定は8%しか合格できないランクだったが何とか1回で東大、文科2類 経済学部に合格した。入ってからは学校に行かず勉強もしていないので恥ずかしい。D判定だったのできっと浪人すると思い東大1校だけ受けてダメだったら頭を剃って煩悩を断ってジャージ姿で図書館と家と予備校の行き来だけにしようと考えていたが運よく合格できた。彼女いない歴22年。東大に受かれば磁石が砂鉄を引き寄せるが如く女性にもてるかと思ったが全然そんな事はなかった。
卒業して富士銀行(現みずほ銀行)に就職し江戸川橋支店で集金もした。ニューヨーク支店に3年3か月赴任したが長く寂しい期間だった。
その後32歳の時に転勤を命じられたのは、マレーシアの小さなラグビー型の島、ラブアン支店というタックスヘイブンだった。当時マハティール首相の時代で「ペーパーカンパニーはダメ、人を住まわせろ」という政策だったのでそこに日本の銀行が4つ支店を出してその支店長4人が島全体の日本人。そこに行けと言われたので、これは辞めなくてはならないと思って転職を考えたらメリルリンチが拾ってくれた。その後はゴールドマンサックス、ドイツ証券、モルガンスタンレーに転職した。自分は庶民の出なので、その
十数年でやりたいと思っていた事は全てやった。足の木型をとって靴を作ってもらったり、パリとミラノから職人が来て作ってもらったり、スーツを生地のサンプルから選んで
作ってもらった。(言えないが)当時はアストンマーチンに乗っていた。その後全部売り払って清々しい。妻も自分に振り回された人生だと思う。富士銀行10年、外資13年勤める。外資の証券マンだった時に、自民党が公募し始めたのでいつかは政治家になりたいという気持ちが抑えきれなくなって生まれ故郷の大分県で公募があり、これは神様が自分に出ろと言っているのだと思って3回手を挙げた。両親が大分で、自分は生まれただけで育った所ではないが毎年帰省して愛着があった。2回は決勝戦で負けて3回目は自民党に対する強烈な逆風が吹いていた時だったので周りの人たちに「絶対やめろ、お前はバカか」と言われたが過去2回自民党から出て3回目は逆風だからやめるとか、他の政党から出るという人であれば、政治家になる前にその人が信用できるか、という事だと思った。負けてしまったが大分の戦いがあったからこそ今回東京21区でご縁を頂いたのだと思う。参議院選での敗北の相手は足立信也さんという医師だった。浪人は2年半。東京21区は長島昭久さんの所で、人柄も良く考えもほぼ同じで恨みつらみも無い人と無理やり戦わされている感じで本当にやりにくいと思った。選挙の相手でなければ絶対に友達になっていると思う。比例復活で入ったが、次も大変。良くて激戦だと思う。今回受かった事でだいぶ違うと思うが。それに高木陽介氏やアイドル候補もいたが、自分にとってはプラスであった。テレビが入って、日野、立川、昭島でほとんどの人が「小田原きよし」を知らなかったのに、その女性候補が来てくれたお陰で一応3人を平等に扱ってくれた。

●最近の政治トピックス

議員になって3ヵ月だが毎日目が回りそう。街頭演説で「国会議員は仕事をしろ!」と言うと拍手がおきたがこんなに忙しいとは知らなかった。今朝は昭島、明朝は高幡不動に
行く。委員会が希望通りの財務金融と震災復興に決まった。浪人中に震災があり、自分は
五体満足な成人男性なのに向こうに行って何かしなくて良いのかと思い、震災2週間後、
東北自動車道が開通した次の日に単身で宮城県の七ヶ浜町という所に入り、1年以上テント生活をして町民の皆さんと一緒にシャベルでヘドロを掻き出したり、ダメになった家財道具を運び出すような生活をしていた。どうしても震災復興委員会には入りたいと思っていた。財務金融も、今までの自分の経験が活かせると思った。永田町から見るようになって感じたのは、今度は既に株も上がって円安になり、人々が少しウキウキし始めている、少しずつ物価も上がって給料も上がっていくと思う。委員会とは別の、自民党の日本経済再生本部に入れさせてもらい、いくつかの提案をしようと思っている。基本的な考えは楽市楽座というか、色々な規制をせずに誰もが入って来られて、結果的に消費者の方々に選択肢の富んだ魅力のあるマーケットにするという事が商売繁盛の大原則だと思っている。永田町では、可哀想な人がいるとお金をあげるという話があるが、今回は
分別があって、稼げる人が多いに稼いで納税できるので財政再建の為にも能力のある人には稼いでもらうという事は大切な事である。民間と比べて永田町のスピード感は思ったより早いのでビックリしている。去年12月22日、補正予算を大急ぎで組む時に夜中まで国会議員の先生と霞が関のお役人の方が会議に出席していた時は、国会議員の先生も腕まくりするし役人の方々も心なしかイキイキして見えた。色々な議論をした結果は翌日には書類になっているし、外資系の投資銀行でも猛烈に働いていたが、お役人もこんなに猛烈に働くのだと感動した。今でもスピード感はあるし議論はするが、最後の最後に「これで異議ありますか?」と言うと全員で「無し!」と言うし軍隊形式のよう。部会は
多少議論があるが、委員会も本会議も殆ど「(異議)無し!」と言って決まる感じ。色々な委員会で野党の先生方が質問されて、つい昔だったら突っ込み合いになる話だったかも知れないが今聞かれても本当にどうでもいい事になってしまう。

●今だから言えるあの日のあの出来事

大分で選挙に出て落ちたが26万票位頂いて、大分の人には本当に応援してもらった。今回東京で当選したのに電報、手紙、電話の4割は大分の人で、感動した。選挙に落ちた後、何となく自民党県連の中では「小田原君いつまでもここにいられると困るんだよな」という雰囲気が感じられ、埋まっている選挙区でも「いつかこいつは自分の所を狙っている」と思われ、これではかえって恩人たちに迷惑、心配をかけると思い2~3ヵ月挨拶周りをして東京に戻ってきた。自分は重点候補に入っていたので大分に40人の国会議員の先生方が応援に入ってくれたが、その先生方が、「もったいないから大分にこだわらず何処でも良いから手を挙げろ」と言ってくれてその時に実は東京での公募があると聞いた。
2010年の7月に落選し、9月に東京に戻ってきて10月にはもう公募の準備をしていたが
そこから公募の候補が決まるまで東京21区は2年かかった。色々あったようで、出たい人がいたが周りの人がどう思っていたかという事だと思う。「今だから言えるあの日のあの出来事」は、去年7月に「近いうち解散がある」という雰囲気になってきた時、携帯電話に都連から電話がかかってきて「小田原さん東京21区まだ決まっていないがやる気あるか」と聞かれ、10月に選挙があるとしても3ヵ月しかなく、その場で検索したら相手は長島昭久さんで、これはやはり地元の方々で手を挙げる人がいなくて火中の栗を拾わされ落ちても文句を言わないお人よしを探しているのだろうなと思った。だけど「やめます」と言ったら一生打席が回ってこないのも分かったので損得勘定などなく自分の人生がどうなるかサッパリ分からないが「これをやるしかない」という決断だった。それまでの2年は幾ばくかの蓄えを少しずつ切り崩しながらだったが、自分はボランティアに行っていたので家族は本当に勝手なオヤジだと思った事だろう。本業がボランティアの様だった。

●質問コーナー

Q:アベノミクスの効果がまだ中小企業まで来ていないように思うが、どういう対策を
考えているか。
A:アベノミクスの2本の矢はちゃんと放たれた。1本目の矢(大胆な金融緩和‐金利を安くして資金を供給する)、2本目の矢(機動的な財政政策‐復興予算、国土強靭化や多少の公共事業)という事で補正予算を13兆円出した。という事は13兆円が必ず誰かの懐には入る。それが投資を生んだり研究開発に使って欲しいと思っているが貯金されては困るから金融緩和をしてインフレ政策をする。今まではデフレで物の値段が下がるからお金で持っているのが一番良い運用になっていたが、これからは年率2%で少しずつお金の価値が下がってくるので現金で持っていると損をするのでそれを何かに変えなくてはいけない。確かに不動産の価格が上がる可能性はあるし、株価が
上がっているのもその現れかもしれないが、インフレになってとりあえず人がお金を物に交換をして取り引きが活発になると、理屈では初めのうちは物の値段が先に上がるが必ず給料も上がる。物の値段があがって給料が上がらないのは余程状況でないとありえない。今回はトヨタ自動車さんなど輸出企業が先にボーナス中心に上げてくれて心意気があり素晴らしい事だが、ボーナスは会社の業績で上げ下げ出来るから上げ易い。だが必ず賃金も上がる。むしろ一番大事なのは3本目の矢の「成長戦略」だが、
お役人や政治家が考えてもうまくいかない。民間の人たちの創意工夫から初めて成長は生まれる。民間の人たちはイノベーションを起こそうとして、イノベーションに5種類あるといわれ、それは①コストをガクっと下げる作り方を見つける。②今まで全くなかった市場を作り上げる。③今までの調達方法を全く変える…等、民間は一生懸命やっているのでその妨げをしないのが一番大事で、財政金融委員会、日本経済再生本部でも肝腎かなめの処は規制をしない。中小企業の皆さんには今回600万円まで交際費が非課税だったのを800万円までにしたが、それだけでは不十分で大企業も青天井にした方が街も活性化する。大企業は中小企業の5倍の交際費を使うので。赤坂の街でディズニーのエレクトリックライトパレードのかたつむりが見たい。タクシーも
つかまりにくくなった。

Q:復興財源確保は現状足りないと思うが税金も含め代わっていく財源には何があるか。
A:財源は2種類。借金(国債)は極力抑えるべき。税金と国有資産の有効活用の2種類しかないので両方をやる。自分は今、民営化とか、PFIといって役所がやっていた事を民間に委託して将来の負担を下げるという仕事をしている。税金は種類が限られている。法人、個人の所得税、消費税、タバコ、ガソリン税等。消費税は手を付けざるを得ないと思う。そうでないとこれから生まれる人や(スタジオの)新入社員の皆さんも何も責任が無いのに国が借金だらけになってこれからドンドン税金が上がるという世の中を受け継いでしまう。これをどうやって現役世代の大人が責任をとるかと言ったら、やはり現役世代の大人が税金で返してきれいな世の中にして子供たちに引き継ぐしかない。消費税を上げるという気持ちも分かるし自分も上げたくない、消費税を上げたら自分も困るが無責任な借金だらけの二流国にして次の世代に
引き渡すという無責任さは選択肢として取れないと思っている。繰り返すと、どうしても手をつけなくてはいけない消費税と、今度売り出す日本郵政の株が全部売れると4兆円位になるなど、まだまだ有効活用できる国の資産があると思う。

Q:中国、北朝鮮との関係が緊迫していると思うが、今後の日本の対応はどうなるか。
A:自分は財務金融が今までのキャリアからすると即戦力であるが、これが2期3期政治家をする事ができるのであればゆくゆくは国防外交を一番やってみたいと思っている。特に中国については大変迷惑な隣人であるというのは国際社会も認識している。
今後は1対1で話すよりは大勢の仲間を作ってアメリカ、インドとも連携をとりながら、身勝手な行動は取れないのだという事を時間をかけてでも分かってもらう事だと思う。従って尖閣諸島だけではなく、わたし達には関係なさそうに見える、中国とフィリピン、インドネシアが抱えている南沙諸島の紛争などにも積極的に発言をしていったり、しかも1国で発言するのではなく、オバマ大統領と安倍首相の会談の時にその話題に言及するとかで、国際社会のルールを無視した身勝手な振る舞いは
どんな大国になったと錯覚しようが間違っていると分かってもらうのが大事だと思う。

●その他

(今回の出演は)大変和気あいあいとしてやり易かった。
ボランティア活動をしていたらマーブルブックスという出版社が本にしてくれた→『ヒトのチカラ』。売り上げの収益は被災地に寄付をしている。それを読んでくれた学研が『東日本大震災 伝えなければならない100の物語』全10巻シリーズのうち 第4巻の『助け合うこと』のはじめに『ヒトのチカラ』の抜粋版を載せてくれた。お子様がいらしたら図書館で探してみてください。国会図書館にも寄付した。