山之内 つよし
山之内
第111回
2014年03月26日 放送

日本維新の会 山之内 つよし 衆議院議員

鹿児島の、安産祈願で有名な蒲生八幡神社の生まれで、山之内議員も神職であります。

(以下、動画より文字おこし)

日本維新の会 (鹿児島1区)比例九州ブロック 1期目

(若いですね~)―若輩で32歳。国会議員の先生がた平均で52~3歳か。それからすると若輩者で。(落ち着いている。ちょっと古いが沖雅也さんみたい…知らなくても大丈夫(笑))―私も失礼があってはいけないので(笑)。(111回目という事で)―ゾロ目で。(この番組は勿論ご存知なかった?)―そうですね、失礼ながら…((笑))―色々知らない事があったので調べさせて頂いたら、過去もずっと、このUSTREAMになってからもずっと111回…(その前も10年位地味にやっているが、総理大臣になられた方、大臣になられた方、落選された方、議員を辞められた方、一杯いるが山之内議員はこれからという事で楽しみ。何か持って来て頂いたという事で…)―何が良いのかと思って…鹿児島出身で、実家が神社だが…ちょっと変わり種で…<茶碗を取り出す>一つ象徴的なのを持って来たら面白いかなと思い…薩摩焼といって鹿児島の伝統文化の焼き物で、白薩摩といって表面に細かくヒビがあるが、こういった物。白薩摩でも、知り合いの方で…うちの神社の御神木が日本一の大楠と言って日本で…自分達で言っているだけではなくて環境省認定で、日本で一番大きな木はどれだと言うとうちの木。(それがご実家にある?)―そうなんですね。屋久杉とかは有名だが杉は細い物だが、楠は太く大きくなり易い物だから。樹齢は1500年から1600年と言われている。その絵を描いて頂いたりして、お客様とか来た時にお出しする様な。こういったのが分かり易いかと…自分のプロフィールと鹿児島の。

●幸せ度数年表

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第111回山之内つよし

(誕生日が同じ12月16日)―これも奇遇で。(公明党の高木陽介さん、民主党の田中美絵子さんもそう。確率多い)―多いですね。あとベートーベンが。(あと松山千春さん)―そうなんですか。(生まれたのはどちら?)―生まれたのは父の仕事の関係もあって埼玉で生まれた。後は小学校一年生からずっと鹿児島で。年表も生まれた時に幸せでないと両親に失礼かと思って100から。(ご両親が蒲生八幡神社の?)―宮司。(それは歴代続いている?)―その様です。これは遡ると1時間終わってしまう様な気がするが、1123年創建なので平安時代の末期…歴史の教科書では藤原鎌足という方の15代子孫の方と、大分は宇佐神宮の宮司の娘さんが結婚してお子さんは藤原鎌足からすると16代子孫の方が大分から鹿児島に来てそれで創建された、という平安時代の話。そこからうちの由来の先祖がしていたり、時に色々な状況で変わって…それから明治維新の後に私の曽祖父が戻って来て、祖父、父、私と。(何処から戻って来た?)―どこの地方も色々あるが、鹿児島において争いがあったりすると何処かに避難して…やはり由緒のある方は戻って来た方が良いだろうと、明治の頃は結構あった。そういった流れもあって戻って来て…100年以上前…130年位になる。(そこで生まれた?)―代々そこに実家がある。(この蒲生八幡神社のご利益は?)―八幡神社というのは全国で安産の神様。全国の八幡は安産の神様でだいたいご祭神はそういった方になる。そういった特殊な生い立ちである。((会場に今入って来られた方に)神社の息子さんです)―私は神主を前職はしておりまして。(神の近くにいらっしゃった?)―そういう事になるんですかね…兄弟は男三人兄弟の真ん中。真ん中が器用だったりすると聞くが、真ん中で、大学入学した後、商社の会社員で勤めていたが、祖父が他界して「帰って来てくれないか」で帰ってから8年間神職をしていた。司法書士事務所もあったので神職と司法書士事務所、二つやっていたところに出馬。(大学はどちら?)―大学は青山学院大学。(その頃は東京にいらした?)―そう、行ったり来たり。父の仕事で埼玉で生まれて、父が実家に帰る時に鹿児島に行って小学校も二年生位からか幼い頃に鹿児島に帰ったら今度また大学で東京に来て、それで大阪の方の商社に勤めて、それでまた「実家に帰って来い」という事で帰って、8年間神職と司法書士事務所で勤務して、でまた出馬させて頂いたものだから東京と鹿児島の往復という行ったり来たり。(神職というのはお兄様が継がれたのではなく?)―それは私が継いだかたちになった。兄は別で仕事をしていたので。(でも国会議員になってしまって)―そうなんですよ。帰って年末年始はするが、弟がいるので父と弟がしている。(安産祈願とか?)―安産祈願とか様々…祈願とか地域のお祭りとかある。(ここ数年日本が低迷していたが神社仏閣も流行りがある…女性が行ったりとか)―女性は結構…観光もそう。神木があるので観光で鹿児島県外の方も来られたり、外国人の方も多くなって来たかも知れない…日本の文化に触れたいという事で。(それで一昨年の選挙で初当選されたがどうして…?)―もう100回位は訊かれているが、元々幼い頃より政治には興味があったと思う。当時出馬したのが30歳の頃で興味はあった。家も神社だったので歴史が好きだった…なんで好きかと言われたらよく分からないが…で、鹿児島はやはり歴史を辿ると西郷さんとか大久保利通、明治維新を興したそういった方々がいて…自然と見る様になるが、普通のお子さんだったら、例えば歴史をみたら何年に何があった、という事だが、私の場合は、「この時西郷さんはどんな思いだったかな」とか「この時大久保さんどんな思いだったかな」、最後は西南戦争をする…どういう思いだったのかなと想像するのが好きな子供だったのだと思う。そうすると自然と政治にも興味があって「この社会はどうやって出来ているのかな、どういう成り立ちかな」「過去の経緯があって今があって今後はどうしていくべきなのかな」というのが自然と…妄想ではないが…頭の中で考える子だったと思う。変わっていると思う。特に、小学生、中学生の幼い頃に友人に話して「今の政治はね…」と言っても「おまえつまんないよ」となる。自分ではそう思いながらも大学、となって来たが「果たして自分が為政者、政治家に成る場合に、それなりの資格がある人間であれば国は良くなるが、自分が資格とか能力が無かったら逆に悪くする可能性もある」とずっと悩んでいた。今でもまだまだ未熟でこれから成長しなくてはいけない部分は沢山あるが、そういったのをずっと思っている中で都市部に行って、鹿児島に帰った。やはり鹿児島は、地方が疲弊しているのは感じる。これは統計からも出ているが、単純に言うと若者に仕事が無い、どうしても皆さん東京に行くと、これは人口の統計でも明らかに出ているが、やはり仕組み上の問題があるかな、と。そこである程度国の仕組みと地方の考え方を変えなくてはいけない。もしくは多少検討していかないといけないと。そういう中で橋下徹という人間がいて、維新政治塾だったが全国から3326名の中の一人だった。(一般的に応募という事?)―一般的に応募。全く縁が無くてただ一つの思いで。鹿児島は4名しかいなかったが、その中で3000名、2000名、800名、400名、100名と絞られて…最初私はわずか2年前の話で、2年前にこういった場に座らせて頂いたりとか、衆議院でバッヂをつけさせて頂くのは、政治には興味があってそれなりに勉強…まだまだだが…させて頂いているとは言えまさかここに居るとは思わなかった。そんな中でその中から残っていって…(鹿児島1区から。鹿児島の玄関口)―そうですね。(1区というのは蒲生八幡神社のある所?)―それは実は違う。私がいる所は鹿児島4区という所で、1区と隣接していて近い。(近いところでプチ落下傘?)―そうですね。小中高は鹿児島1区に居たので、隣近所で経済圏もほぼ繋がっている所で、ライン引きがそういう風になっているが。(こういう人を選ばないと。全部備わっていた。独身?)―32歳独身。(彼女は勿論いる?)―それがなかなか…こういう仕事をすると東京、鹿児島行ったり来たり、毎週末行ってまた帰って…まだ新人なので皆さんにご挨拶をさせて頂いたりすると、それに追われる日々。でもそろそろ考えないと…(地元を守る女子がいないと)―そうですね。(全部自分でやるのは大変)―大変ですね。私も結婚をしたいと思っているので…まぁ色々。(縁結びの神社ではない?)―どちらかと言うと安産。だから私は直接関係無いのかも知れない(笑)。(お着物とか自分で着られる?)―神職だと袴。神職と司法書士事務所で、実家が司法書士事務所もやっていたが、スーツ着て仕事をして、祈願が入ると着替えて社殿に上がって祈願をしていた。(鹿児島1区で出て、比例復活。選挙区では無理だった?)―先ほど経緯の説明をさせて頂いたが、野田首相の「解散」と言われてから2週間しか準備期間が無かった。(2週間で何票とった?)―2週間で3万6千票だったが、九州で比例票を頂いたのでそれで復活させて頂いた。皆さんご存知の通り九州は保守王国、特に鹿児島などは。私が31歳ピッタリで…丁度誕生日12月16日に初当選させて頂いた。その時に31歳だったので鹿児島県内では史上最年少だった。それまでは31歳9ヵ月で山中貞則さん…元財務の大物…党の石原慎太郎代表も「山中貞則というのがいてね」と…生きていらっしゃったら90歳位か…当時50年以上前の31歳9ヵ月で当選して、それを私が最年少になったが、それ位こんな若者がいきなり出て比例復活とはいえ通る様な状況ではない…(女性票が…)―いやいやまだまだ…握手を選挙の時にさせて頂いて…初めてでやった事も無く、いきなり衆議院選挙で、2週間しかないし。(時間の流れが神職の時と違う?)―良かったのは、神職と司法書士事務所と二つやっていたから休みなく仕事をするというのは慣れていた。だからそれは馴染めたのかと思う。今もいきなり成って大変だとなるよりは、今も行ったり来たりは鹿児島で遠いので飛行機でないと帰れないが、そういった意味では何とかさせて頂いている。

●最近の政治トピックス

(維新の会では若手の議員が石原さんに暴言を吐いたり…山之内先生ではない?)―私ではない(笑)。(維新内では激震だった?)―激震というか…メディアの方も入っていたが、各党夫々政策には幅がある…自民党さん、民主党さん、うちもそうだが、それを率直に言い合うというのは私自身は健全で良い事かなと思う。逆に言うと、思っていても言えない事とか、先輩だから言えないというのは、何の為に国民の皆さんから一票頂いて当選させて頂いたのかとなる。そういった意味では、言ったのが過激に映ったというのはあると思う。(言い方が良くなかったのかと。もっと議論するとか)―そうですね…(「出て行け」と言った…)―(笑)私はその場にいた。(その場の空気はどうだった?)―私はちょっと無神経なのもあるかも知れないが、石原さんご本人もああいった方でいらっしゃるし、ベテランもベテランで私と50歳も年が違う…今までの政治家の方々と取っ組み合いのある中で、淡々とされていた。(「あの野郎」と絶対思っている、人間だから)―そうですかね…そこのところを訊いて…訊く機会があれば(笑)。(なるべくそういうのは無い様にお願いしたい。胸が痛む。石原さんがどうであれ目上の人にそういう口をきくのは嫌な感じ)―そうですね…。トピックス…私は財務金融委員会とか内閣委員会とか災害特別委員会は理事をさせて頂いているが、災害、豪雪被害とか…この前山梨、群馬…そういったのを視察に行かせて頂いた…(鹿児島1区で豪雪被害視察…またちょっとピンと来ない)―現地は山梨だが…鹿児島は本当に豪雪被害は無いが…普段雪が降らない所で災害がある…災害全部そうだと思う…この前の大震災もそうだが、普段備えや経験が無い所か、遥か昔の歴史上にあっても無いので被害が大きくなってしまう。そういった点では現場では実務者レベルで話をしている。後は皆さんが関心あるのは大阪市長選?(投票率が低かった。見解の相違で橋下さんの都構想と、それをマスコミは支持率が少ないから無効ではないかと言っているがどうか)―対抗馬の方に明確な方がいらっしゃらなくて…投票率が低かったが得票率は過去と比べて…前回の橋下徹の得票率には及ばないものの…(応援に入った?)―私は入らなかった。(あれは応援に入っても…マック赤坂さんが受かるとは誰も思わない)―マックさんが赤坂から大阪に行った(笑)。マックさんの政見放送を見させて頂いたが…マックさん、スマイル…笑ってしまったら負け(笑)。(政見放送は何でも言えるから放送禁止用語も言える)―そうなんですか?でも言う方はなかなかいない…(いるんですって、狙って。都知事選などはそうらしい)―それはまさかですね。放送禁止用語を政見放送で言う人がいる…それは考えた方がいい(笑)。(維新はどちらかというと武闘派、政策的なポジションとして)―武闘派…安全保障とか?勿論色々なご意見があると思う…特に私も神社が生い立ちという事で「あいつは極右ではないか」とか。私などは違って、ある意味バランスを持って考えたい。自ら「私は保守政治家だ」というのは…勿論思想信条は様々あると思うが…敢えて自分から言う事はない、というのはある。というのは生い立ちがそこだから。そういったものもある中で、安全保障…今実際ウクライナでクリミア半島の件もあるし、世界が本当に紛争が無くて平和な社会になるのは理想だし、実現する為に政治家も尽力しないといけないと思うが、そういった現実が色々あるので、そういった時にある程度集団的自衛権も含めてどこまでの範囲かという議論は勿論必要だが、解釈していかないといけない。これを、時に武闘派となると…(SNS:武闘派神主)―(笑)(区分けし易い。でも感じがソフト路線)―そうですね…「石原さんは無敵だから(SNS)」「鹿児島は火山灰が降る(SNS)」(笑)。(是非鹿児島1区で維新らしさを出して頂ければ)―はい。

●今だから言える、あの日のあの出来事

裏話…私が知っている情報で何が良いのか、皆さんが興味あるのかと思うが、「今だから」と言うのは自分が出馬する経緯とか…(経緯は維新の会の勉強会に入られて勝ち抜いて来たというところ)―時間が無かった。野田さんが急きょああやって言って…その時は東京に行った。東京の羽田空港に着いてテレビがあり、そこで見ていたら「解散」となる。これはどうなるんだろうな、と。自分には当然まだ連絡は無い。とりあえず鹿児島に帰って鹿児島で待っていたら二日位して電話がかかってきて…自分ではもう無いのかなと思っていた。二日三日位待っていたら電話がきて「大阪に面接に来てくれないか」と。私は何処で出馬するかという希望の(を書く)用紙がある。鹿児島1区だったらいけるし、中核市だし、鹿児島にとっても必要。そこで第一希望だけ出して応募していた。…面接があり、「山之内君、鹿児島1区どうですか」「出ます」と1分位で即決。(坂元大輔さんも色々あって断ろうと思っていて即決したと)―そうなんですか。私も色々考える…坂元先生もそうだが、我々まだ若いし、いきなり衆議院選挙というのは…街頭演説した事ないし、決まって地元帰って来ると、「はい、共同記者会見をします」と言うわけだが、やった事が無い。皆さんメディアの方がザーッと来るし、それで訊かれる。(維新の方からこうしてこう答える、という教えは無い?)―無い…二週間しか準備期間が無いので、皆も党もそうだし個人もそう。だからと言って私も甘えてブーブー言う訳にいかない…自分の事は自分でやらないといけないから。共同記者会見やったら次は四日後に「生放送でテレビ録画で討論やるので出てください」と。現職のベテランの先生方がいらっしゃる…私からすれば20歳40歳上の方…そういう方と「討論してください」と言われても、やった事がない、どうすれば良いのか…行くしかない、勉強しようと。そしたら今度は橋下徹も応援演説に来るとなると千人位駅前に集まる。千人の前で街頭演説をやった事が無いし、全部初めての事を…逃げる訳にいかないから一つ一つの事を挑戦していった状況。度胸試し。(橋下さんとは何回位お会いした?)―色々な場で…十回位お会いしたのではないか。(個人的に教えを乞うた様な事は?)―教えを乞うというよりも、こうした方が良い、ああした方が良いというよりも後ろ姿を見るというのはある。橋下徹代表だけではないが色々な先輩方…橋下さんもよくあそこまでされると思う。あれだけ批判の矢面に立ってやる方、その精神力、なかなか日本人にはいないのではないか。そういったのもあって、色々な先輩の後ろ姿をこっちが見て学ぶ、真似て学ぶという事。教えて貰ったからその通りというよりは自分で考えてやるという事。(選挙でどの位お金がかかった?)―私は安かった…確か300万か400万位ではないか。二週間しか準備期間が無いので使いようが無い。リーフレットは個人のは作ってなかった。(バッヂをつけてからの方が歳費があるとは言えお金がかかる?)―鹿児島と東京の往復、移動…そういったものは頂くが、新人で毎週帰るので足りない時は出すし、近い方は良くも悪くも平日夜帰って地元活動とか出来るが、鹿児島は飛行機でないと帰れない。移動が多いと色々出費もある。(飛行機代も月に何回かしか出ない)―そう、昔はフリーパスの様な…今は段々…私は3往復…(月に?)―月に3往復…(後は自己負担?)―遠い所程大変かなというのはある、新人で。若い方だと東京近辺だと新人も帰ってすぐ活動出来るが、遠いと物理的に週末しか帰れない。平日にちょっと帰りたい、千葉とか埼玉とか神奈川の方、大阪の方だとまだ新幹線で最終で2時間半で帰れるが、飛行機は最終が早い。帰ってしまうとなかなか戻って来れなかったり、時々雪とか豪雪で飛行機が飛ばなくなる。

●質問コーナー

Q:昨年まで鹿児島の高校生だった。(彼女が先生と同じ玉龍高校)
A: 私の出身校が玉龍高校。玉に龍で「ぎょくりゅう」高校。有名な方で京セラの稲森会長が第一回卒…私より50歳年上だが、そういった方がいて。鹿児島の方はご存知の方が多いかも知れない。
Q: お金が無いと東京の大学に行くのは大変。地方を潤す具体的な政策について考えがあれば…。
A: 仰る通り、まさに同じ鹿児島に最近まで住んでいらしゃったから分かると思う。私も出た理由は、都市部と地方の格差。これは大きな政治の哲学の一つだと思うが、私も委員会でお話しをさせて頂くが、日本という島国が都市部だけが豊かになったら国益に良いのか、それとも、ただでさえ狭い島国だから広く夫々の地政学的メリットも活かして、特産物も能力も活かしてやった方が日本の国益になるのか、こういった話。私は夫々の地政学的メリットを活かした…地方行政も含めた…つくりになった方が国益になると。鹿児島はやはりその仕組みを変えないとなかなか抜本的な改革にならないと思う。この中央集権体制というのは大久保利通候がある意味作られたと思うが、やはり遠い所は不利、どうしても、日本の仕組。我々が考えるのは九州…道州制もそうだが…九州という歴史的にも文化的にも経済的にもある程度まとまる…名前も九州だから…道州制も含めて九州という枠組み…やはりアジアに向けた戦略を取れる…九州、鹿児島が独自の成長戦略を描かないといけない。国が積極的に鹿児島の成長戦略を描いてくれるかと言ったら、やはり描いてくれない。鹿児島が、九州がアジアの外需を取る…国も農畜産物の海外輸出からインフラの海外輸出もあるが、地政学的には東京から上海に行くのは4時間かかるが鹿児島から上海は2時間、鹿児島から台湾も2時間、飛行機で。東京から行くより鹿児島から行った方が近い。地政学的メリットを活かし、あとは港湾…鹿児島には湾があるが、こういったものも例えば諸外国、アジアの富裕層の方々が観光、焼酎を飲んで頂いたり、ゴルフして頂いたり、温泉に浸かって頂いたり、諸外国の方々から投資して頂ける様な整備…こういった成長戦略を描く為にもある意味道州制の様な行政の仕組を変えていかなければいけないという思いで出た。地方交付税制度とか色々な問題。地方が自立し易い、ある程度投資を積極的に自分達の事としてやりたい事、九州だったら広域なインフラ…JR九州の方々も、「ここまでの管轄は福岡でここからは熊本でここからは鹿児島」となると、広域インフラの整備も厳しい。そういった経済団体も、九州の経済団体は賛成しているところもある。そういった大きな仕組を変える事によって成長すると。それ位の事をしないとなかなか時計の針は戻らないと思っている。(それは九州の国会議員が一丸となってやらないと難しい)―難しいですね。(「森伊蔵」は鹿児島?)―あぁそうです、焼酎「森伊蔵」…(ブランディングがうまい。(会場の質問者に)「森伊蔵」知っている?)
Q:親戚が○○(焼酎の会社名、聞き取れず)
A:そうですか、これはローカルな話(笑)。焼酎メーカーも沢山…100…(その中で私などが知っている高いのは「森伊蔵」?)―「森伊蔵」はそう、都市部では多いのではないか。だからやはり鹿児島の商圏だけだとなかなか厳しい。これを都市部だとか通販も含めてやっている企業だとある程度良いが、それが都市部から10年後20年後の先を見据えたらアジアの、今から伸びていく後進国、もしくはもう成長した所に狙っていくかたち。