山尾 志桜里
山尾バスト
第172回
2015年11月11日 放送

民主党 山尾 志桜里 衆議院議員

アニー代議士が登場してくださいました。

今も続く「ミュージカルアニー」の初代アニー役としてデビュー。

学校時代のあだ名はもちろん「アニー」ちゃん。

傍聴に行った裁判に強く影響されて、検事を志し、東大法学部に。

7回の司法試験を受け続け、念願の検事に。

ドラマ「HERO」も所々ご覧になっているとか。

安保法案の裏で「女性活躍推進法」、「刑事訴訟法」に尽力され、野党リードの議論で衆議院を通過したお話などをしてくれました。

(動画より文字おこし)

民主党 愛知7区 2期目 (2015年11月11日収録時点)

[スタジオのみなさん!アニーですよ。初代アニーです。私、アニー大好きなんです。今年も映画を見に行って] ― やっぱりね、アニーをあの黒人の女の子が演じたというのは、私にとってもものすごく大きなことでしたね。私がやってたのは30年前ですから。[初代ですものね。それからアントニオ猪木のお嬢さんとか、子どもながらに見ていましたもん] ― 私が初代で、もう一人のアニーが猪木寛子さん。猪木さんに両腕にそれぞれ持ちあげてもらって。[そういう画があるんですね] ― あるんです!うちの地元の事務所にはバーンと飾ってあるんですけど。まさか、この国会で、同じ国会議員を30年後にやるとは![猪木さんとしてもね、娘の同僚みたいな、初代アニーが元検事としてバッジを付けているという、衝撃的ですよね] ―少なくとも、私は凄い衝撃ですね~。[初めてお会してお話しすると、声の感じ、声の出し方が役者さんですね] ― え、そうでしょうか?三つ子の魂かなあ。[お腹から出ている声というか、声の嗄れ具合も舞台をやっていますみたいな感じで(笑) ] ― これはねえ、3回選挙をやったんですけど、どんどん声がミュージカル女優よりは政治家よりになってきたような気がしますね。ミュージカルの出し方とは違うのですかねえ。[私の仲のいい友達、いつもこのスタジオに来る友達が丸美屋食品の家族なんですよ。だから会って欲しかったんですけど、丸美屋プレゼンツですからね] ― よくご存知で~。スポンサーは変わってきているんですけど、丸美屋さんになった時に現職アニーと一緒にイベントに応援なんか行かせてもらいまして。アニーが可愛くて。続いているというのは嬉しいですね。[あの頃舞台が流行って、榊原郁恵さんがピーターパンやって、その後に双子がやって、その後のアニーですから、私なんか心がときめいた訳ですよ] ― 当時は全然気にしてなかったですけど、案外アニーって政治のミュージカルなんですよね。[今回の映画は市長選とか大統領選とかそういうのでしたよ] ― 映画もまさに政治でしたもんね。映画、観てます。[アニーが政治家になって、アメリカを変えるみたいな] ― 今思うとね、その頃から政治にえにしがあったのかなあと思わないでもないですけど。

 

●幸せ度数年表

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[1974年生まれ。どちらでお生まれですか?] ― 宮城県の仙台なんです。生まれは東北で。[じゃあ、アニーの時は?] ― その時はもう東京で。家族で引っ越しをしていたんですよね。[どうしてオーディションをう受けたんですか?] ― アニーの映画がありましてそれを見て、アニーに心奪われて。[みんな私達の世代は心奪われていましたよ。なんで主役になれるんですか?!] ― (笑) 芸能界に行きたいというのではなくて、アニーになりたいって感じで。[まあー、純粋!] ― 純粋だったんですね。(笑) それでオーディションを受けて。[オーディションがあるってどうしてわかるんですか?] ― 当時、小さな英語サークルでみんなでアニーをやっていたんですね。そうしたら丁度、日本で商業演劇としてミュージカル的なアニーを初めてやるとサークルの仲間に教えてもらって。自分がアニーをやると思い込んでいるものだから、書類を書いて。[サークルで書類を書いたんですか?] ― 教えてもらったのはサークルですけど、自分で書類を取り寄せて。親はやめた方がいいんじゃないという感じだったですけど。[どういうご家庭に育ったんですか?] ― ごく普通の家庭なんですけれど、ちょっと変わっているといいますと、私が小学校一年生の時に父親が医学部の学生一年生になっていまして。父は三十手前ぐらいだったかな。父は医学部の学生だし、ちょっと経済的には厳しいぞという状況の中で。でもやりたいことを一生懸命やらせてくれる家だったので。父はその後、内科のお医者さんになっていますけど。幸せ度数は高くなっていますけど、親は大変だったんじゃないかなと思います。子役というとお金が入って来るより、出ることの方がたぶん多かったと思うんですよね。[期間は夏休みだけでしたっけ] ― そうです。基本的にゴールデンウイークと夏休みとか。ただ、稽古は長いんで。学校に迎えに来てくれて、そのまま稽古場に行ってとかね。[子どもの頃だから、台詞の覚えもいいでしょう。(笑)何でも入ってくるんでしょうね。一回覚えたことは絶対に忘れないみたいなね。集まった方の何千人から選ばれた訳だから、きらっと光るものがあったんでしょうね。もちろん、今もですけど] ― いえいえ、思い込みだと思います。(笑) [この時はどこの学校に通われていたんですか?] ― この時は聖徳学園、今は武蔵境にある学校に通っていたんですよね。[その後、中学校高校はまた別のところですね。どちらですか?] ― 国立の学芸大附属大泉中学校というところに行って、そのまま付属の高校に行きました。[みんなにアニーって呼ばれていたんですか?] ― そう、そう、そう。(笑) アニコとかね。間違いないです。[そして大学はどちらですか?] ― 大学は東京大学に入って。[何学部ですか?] ― 法学部です。[アニーみたいな、きらびやかな世界に入ると勉強なんてと思うじゃないですか。それをどういう風に持っていかれたんですか。モチベーションとしては] ― アニーの出演からこうして下がっている訳ですよ。(幸せ度数年表の下降線を指さして) 役者は一度やるとやめられないと言いますけど、それが終わっちゃった時、アニーは子役なのでね。私は2年やりましたけど、必ず卒業がある訳ですよね。卒業後の中高の時代をイマイチ自分の中で乗り切れないというか。大人の世界に一歩先に足を踏み入れたようなところがあったので、なんかちょっと、自分の居場所がどこにあるのかなという気持ちはありましたね。[それをよく乗り越えて、しかも東大に入って、これからもっと凄いんでしょうけど。凄いですね] ― 次の目標を見つけるのに、この急降下時代は厳しかったんですけど。ただ、パッと次に切り替えられたのは、検事になりたいなと思った時かなあ。小さい時から新聞は政治面なんか読んだことはないんですけど、社会面、三面記事というのかな、わりとそういうのは好きだったんですよね。戸塚ヨットスクールの事件が、結構衝撃的で。[この番組に登場した長谷川岳議員が入っていましたよ。北海道から戸塚ヨットスクールに] ― え、ご本人が?[兄弟で入っていましたよ。厳しかったですか?と聞いたらそんなことはなかったと言っていましたよ] ― そうですか。それで感想文なんかを書いたりしていたんですけど、自分が次にやりたいんだということを探しながら。実際に裁判の傍聴も行ってみたりして。今でこそ、裁判員裁判を傍聴した人が本を出されたりとかしていますが、当時はあんまりね。公開されているんだけど、行く人がいないみたいな感じだったと思うんですよね。それで連れて行ってもらって検察官の姿を見て、その時の検事が良かったんでしょうけど。[弁護士に物申す検事がいたんですね!] ― そう、そう、正義の味方みたいな。かっこいい仕事、物言えない人のために言ってあげるんだという仕事。[ちなみに何の案件だったんですか?] ― それは殺人まではいかないんだけど怪我をさせてみたいな事件だったんですけれども。それで、よし、私これに向けて頑張りたいと思って切り替えが。[いつだったんですか?] ― 高校生ですかね。大学をどうしようという時期ですよね。父もその時は医者になっていたので、悩んだり葛藤はあったんですけど、最終的には法学部を選んだのもそれが一つ。[浪人したんですか?] ― 大学はラッキーだったんですけど、司法試験受け始めてから、ここ短い線になっちゃったんですけど(幸せ度数年表の落ち込んだ線を指さし)7年ありまして。[東大はすぐ入ったんですが司法試験だけは7年かかったんですね] ― 大学3年の時から受け始めて。大学時代って落ちてもそう気にならないんだけど、同級生が社会になる、スタート切る、一年に二年経つ、転勤がある、結婚する人も現れるみたいなことがある。これは辛いですよ。[浪人だとお金が入っていないって一番問題ですよ。いそ弁とか言われていてもお金を稼いでいるわけですよね、その人たちはね。好き勝手やっているように写る訳ですよね] ― 凄く羽ばたいているように見えて、その点、私はみたいな。みんなは伸びていくんですよね。私は今年も去年と同じ、みたいな。[何も変わらないみたいな。大人になると変わらないことが素晴らしいのに。当時は変わらないことが苦しいんですね] ― そうなんです。[そして、何度目の試験で合格したんですか?] ― 7回目です。しぶとく。ようやく合格をして、任官した時は嬉しかったですね。社会人になれたというのが嬉しかったですね。暗いトンネルをようやく抜けたっていう。[アニーが言っているみたい、リアルですね] ― (笑) 本当に嬉しかったですね。[その間、どうやって食べていたんですか?] ― アルバイトはしていました。ウエイトレスもやっていました。[どこでやっていたんですか?] ― 吉祥寺でやっていました。イタリア料理屋さんとかね。(笑) でも結局のところ、親の家に住んで面倒みてもらいながら、自分のお小遣いを稼いでいるだけだから、情けなさというのがありましたね。自分は何しているんだろうなあって。[夢が大きい人ほどそうなんでしょうね] ― 7年諦めないでやれたというのはお父さん有難うということでしょうね。[御兄弟はいらっしゃるんですか?] ― 私は一人っ子です。だから余計に、この子これからどこに行くのかしら?と思ったと思います。[アニーで運を使っちゃったんじゃないかなとかね] ― あ、それ思いましたね。人生が終わっちゃったんじゃないかなって。思いますよね。そして[検事を何年間やられたんですか?] ― 検事4年弱です。ここに書かないで夫に怒られるかなと思っているんですけれど、任官してすぐ結婚して。検事って全国転勤の仕事なんですよね。私の場合、東京からスタートして千葉に行って、次の転勤先が愛知だったんですね。[凄いですね!私、検事さん見たの初めてですよ!] ― 検事ってみんな会いたがらないですよね。[普通に生活をしていて、会うことがないですよね。ベールに包まれているというか。今日、凄く楽しみにしていました] ― 検事も普通のおじさん、おばさんですからね。ちょうど私が任官した後かなあ、ヒーローですよね。キムタクのヒーロー、松たか子の事務官。でもねえ、キムタクも松たか子もいませんしね。あれはドラマですからね。[見てどうですか?] ― エッセンスは捉えているというか。いろいろ叩かれることもありますが、正義に向かってやりたいことはやれるという面はありますよね。[四年間で一番の思い出はありますか?辛かったことでも良かったことでも] ― 良かったことは、今職場で先輩後輩のつながりって昔に比べて薄いのかなと思うんですけど、私の職場と言うのは小さい支部になると、それこそヒーローじゃないけど、小さい支部で全国から寄り集まって、しかも単身赴任で帰っても家族はいないし。仕事が終わって、仕事の話をつまみにみんなでお酒を飲む時だけが、つかの間のささやかな楽しみ、それこそ一升瓶に乾き物みたいなね。昔ながらの絆があるので、それを社会人スタートしてわりと早い時にそういう仕事の仕方を教わったのは、良かったのなあと思いますね。楽しかったですね。仕事はきつかったけど。[法廷で負けるというんですか?] ― 負けるといいますね。悔しい思いはたくさんありますね。有罪を勝ち取るというのはいわゆる勝つということだと思うんですけど、問題は有罪を取れたとか、長い懲役刑を取れたというのが勝つなんだけど、それって最終的に勝ちなんだろうか?と思ったとことが検事を辞めて最終的には政治家になった大きなきっかけなんですよね。冬になると100円ショップで万引きして刑務所に入りたいから検事の所に来るおじいさんとかね、いるわけですよ。100円ショップで何を買ったの?と聞くと、爪切りとか買わなくてもいいような物で。[わざと万引きする訳ですか?] ― 冬ぐらい屋根つきの所でと。そういう人を刑務所に入れると、これが勝ったことなのなあと。春になると出る訳ですよ。そして冬また入ってくる。繰り返せばだんだん長くなるから、どんどん刑務所に居られる時間は長くなるけど、この人のその先、この人を看とるのは誰なのかなと思いますよね。これが刑務所の仕事なのかなあっていう。また逆に言うと高齢の方だけじゃなくてね、愛知は元気な所で北海道から九州から仕事に来る。当然、調整弁みたいに使われちゃうので、仕事が無くなれば家も仲間も全部失って家族がいなくて実家に帰るお金もないみたいな。それでも頑張る人はもちろん頑張るんだけど、頑張り切れない人が次の就職先がオレオレ詐欺株式会社だとかね。[あの人たち頭がいいですよね。もっといいことに使って欲しいですよね] ― そういうのを見てきて、そういう人を刑務所に入れることは大事だしやんなきゃいけないけど、根っこのとこってもうひとつ別にあるんじゃない?という思いがあって。それで初めてですね、わりあい政治から縁遠かった自分が、じゃあ自分がと思うようになったのが転換期ですかね。[今まで先輩には女性の検事さんはいたんですか?] ― 先輩ももちろんいます。今の方がもっと増えていると思いますね。[こんな美人な検事はいないよとメッセージに来ていますよ。こういう方にとっては顔の美醜なんてどうでもいいんでしょうけど。100円の万引きの話は辛かったですね] ― そうですね。私自身の政治とのかかわりというのは、正直に言うと与党以外の野党にしか入れたこのがない、一有権者だったんですね。選挙には行っていましたし。ちょっとこの形って不健全だなあと思って野党に入れて。検事を辞めて政治に出るということを役所の先輩に言った時は、まず選挙に出るというびっくり[今まで検事で女性の政治家はいないんですよね。男性はいますよね] ― 男性は数人います。神埼先生は元々検事でいらっしゃいますよね。あと、北海道の佐藤さん、この方はものすごく偉いところまでやられた方ですけど。[辞めた時は何歳だったんですか?] ― 33歳です。検事辞めて政治なんて、検察庁からすれば受かるかどうかわからない、そういうとこに行くというびっくり。あと、もうひとつ民主党というのも回りは驚いていたんでしょうね。[その頃、民主党は野党ですか?] ― 政権交代前です。[公募されたんですか?] ― そうです。公募です。全然知り合いがいなかったんで。(笑) 私は秘書経験もないし、選挙に応援に行ったとか、ビラ配りも公務員は出来ないんでやったことなかったし。その時に愛知で検事をやっていて、愛知で公募がかかっていたんですよね。検事つながりで言うと、私が今いる愛知7区という所、地元に支えてもらっているんですけど、私の前の民主党の現職の方があろうことか、覚せい剤で捕まったという選挙区だったんですね。私はいわゆる、地盤、看板が無いんですけど、ひとつ本当につながりがあるんだとしたら、犯罪で失った信頼を私に取り戻させてほしいという。[凄いですね。絵に描いたようなストーリーですね] ― 私は薬物を捕まえる方でしたってね。やる方ではありません、てね。(笑) まあそんな、自分の中のストーリーというか、ここでなら役に立てるんじゃないか、立たせてもらえるんじゃないかという思いでそこに応募しました。[そして初当選されたということですよね。二回目は落選されているんですよね] ― そうなんです。2012年の選挙で落選ですね。[安倍さんが出た時ですよね。野田さんから変わった時ですね。それは辛かったですね] ― 2009年に初当選して、2011年の1月に長男が生まれまして、それで幸せ度数年表も100からぐっと上がる感じで書いたんですけど、ただやっぱり複雑な思いだったのが、その二ヵ月後に3.11で。私も産後二カ月で復帰をするというか、仕事に戻る形になったんですけど。[その頃は政権与党だったんですね] ― そうです。その時は幹事長の補佐をやっていたので、幹事長室の中で被災地からの電話を受けるだとか、そういうことをやっていました。[結婚はどんな方とされたんですか?聞いていいですか?] ― 政治とも法律とも関係無い一般の。(笑) [その方がいいでしょね] ― 家にいる時は政治の話も、まあ世間話程度にはしますけれど、ちょっと違う自分になれるっていうか。妻というか、母親というか、別の自分になれる、それが凄く有り難いですね。家に帰ってもというのは大変。でもそういうカップルの方もいらっしゃいますもんね。政治家同士とかね。[ずっとお付き合いをされていた方なんですか?] ― はい、そうですね。司法修習生の時から。合格してから検事になるまで研修期間があるんですよね。その時に知り合いました。[検事の方って地域のみなさんと交流を持てないじゃないですか] ― 検事になってからの出会いって大変ですよね。政治家とどっちが大変かなというような感じですかね。検事になる前に出会いがあって良かったかなと思っています。[出産された時はバッジは付けていたんですね] ― 付けていました。当時、小学校に上がる前の小さなお子さんを持ってらっしゃる議員というのは、小渕優子さんと野田聖子さんと私という感じだったです。[民主党にはいらっしゃらなかったんですね] ― 民主党にも子育て中の方はいらっしゃったけど、小学校に上がったりとかでひと段落されている方、独身の若い方、この政権交代の時にバーっと女性が増えたんでね、女性の仲間は結構いましたけど、子どもが小さくてちょっと今大変だよという方は少なかったですね。[育休とかは取らなかったんですか?] ― 昔はね、国会を休むのに産休とか書けなくて、病欠だったらしいんですよね。いろんな先輩議員の努力があって、まあ少なくとも病気じゃないだろうと、産休育休は。それで、届け出は産休です育休ですと届を出すようになっています。今は。[それはさきがけですね]

 

●最近の政治トピックス

 

[最近はどんな活躍をされているんですか?] ― 今国会って、安全法制とか派遣法とか野党と与党がガチンコで0対100で喧嘩をしているという印象が強かったと思うんですね。でも私は二つ法案をやったんですけど、「女性活躍推進法」という法案と「刑事訴訟法」という法案とあったんですね。これは二つとも、与党と野党が同じ土俵でいい議論をして、野党のリードで、中身も小手先じゃなくてしっかりいい改善、というか修正ですよね。その修正案で衆議院は少なくとも通っていった。[みんな全然そのことは知らないですよねえ] ― ガチンコのところは報道されるし、みなさんもそれを通じて知るんだけど。私が言いたいのは、そうじゃない、いい話し合いをして結論ありきじゃなくて、ちゃんといい中身にして通っている法案もあるんだよということを、みなさんに知っていただきたいなあという思いがあるんですよね。女性活躍の方は2020年までにどんな分野でも3割女性にみたいな。[政府が民間企業に丸投げした?] ― おっしゃる通り。それはやらないよりやるのはいいよと。でも女の人みんなが取締役になりたい訳でもないし、目指している訳でもないし、そういう人が輝けるのも普通の一般の女性たちが、今ある仕事を責任感を持ってこなして、それをやりがいに感じて、別に役職うんぬんじゃなくて頑張るぞと。そういう人達、多いですよね。[本当にそう思います] ― 本当にささやかな願いで。でも子育ての時期とか、時間を少しやりくりさせて欲しいとか。[ネット時代だと、目立ちたくないという女性が多いんですよね。この番組に来ていただいた太田房江さんもおっしゃっていましたけど、女性を役職に登用しようとしたら断られたと言っていましたね。みんななりたくないんだな、と] ― もちろん出世したいという方がいらっしゃるから成り立つんですけれど、一方で、そうじゃないんだよねという感覚が凄くあって、ちょっとそういう人達を応援出来ないのという。賃金が低いまま、働けと言われて、活躍せよ、輝けと言われても、あれもこれも出来ないよ、みたいな。(笑) しかも、子育てもしろ、みたいな。輝け、働け、子育てもしろ、経済成長もさせてくれ、みたいな。大変だよ、女性!やることだらけ![だって、帰ってお化粧落とすのも大変だもん(笑) ] ― 昨日、落とせなかったもん、私。悔みますよね。どんなに化粧水を買っても、まず化粧を落としてないよっていう。(笑) 働け、働け、じゃなくて、子育てと両立出来る時間になっているのとかを、会社はちゃんと把握をして、ちゃんと目標を定めて、それに向かって改善策を作って、PDCAでちゃんと回してくださいよ、というような法案にしたりとか。具体的には、会社がちゃんと女性が活躍出来ているか、いろんな物差しを把握をせよと。目標を作れと、それを使って努力している足跡を見せよと。そういう法案なんですね。その物差しが役員の比率とかそんなのばっかりだったから、ちょっと違うでしょと。ちゃんと子育てと両立出来るような勤務時間になっているのとか。出来れば、男性の育休を入れたかったんですよ。入れたい指標はもっともっとあったんだけど、少なくとも勤務時間が過労になっていないか、過重になっていないか、あれもこれも、長く働け、子育てもせよになっていないかと。[それは民主党が主導で衆議員を通過したと。それは実際の会社の中ではいつから実現するんですか?] ― 来年の春からスタートするので。[それは大企業だけですか?] ― 301人以上の従業員の企業、まあ大きなところですね。来春からスタートします。[女性は役職はいらないですよね。一万円給料が多くたって、家庭が閑散としちゃったりという方を嫌がりますからね。多少サラリーが安くとも、身の回りにある幸せをみなさん、望んでいますからね] ― やっぱり、女性が安心して安定して働きがいを持って働ける、そこに光を当てましょうということですね。[それが追加されたんですね] ― はい。あと、「刑事訴訟法」てやつね。それもいろいろご議論があったんですけど、取り調べをね、録音録画をしなきゃいけないよねと、そこから民主党政権の時にスタートして、それが法案の中に入ったんですけれど、一方で簡単に言うと余分な物がたくさんくっ付いてきた訳です。携帯電話とかを操作で傍受出来るとか、司法取引と言って、いろんなことと引き換えに刑を軽くしてあげるとかね。私達はメインは可視化でしょ、と。なんで余計なものが、しかもたんまり付いてくるんだ?という話で、与野党で相当やり取りをしまして。お互いに100点とは思っていないけど、当初の案よりは中間のバランスの取れた法案になったと。中身はさることながら、私が一番良かったなと思ったことが、安保の時に最後の最後で一般の方から公聴会をやって、国民の意見を聞いたと思ったら即、採決みたいな。それで、人間かまくらで何が何だかわからない中、強行採決みたいな状態になった。私がずっと思っているのは、国民のみなさんの声を聞くのは最初にしたらどう?と思っているわけ。最後の最後でこれを聞いたら採決出来るよみたいな形ではなくて、最初にいろいろな立場の人をお呼びして、生の声を聞いて。それを与野党みんなの委員が聞いて、あ、なるほどねと。確かにこのままの法案じゃまずいかもねと。そっから議論をすると、結構いい議論が出来るんですね。それを刑事訴訟法の時はやったんですよ。みんなで最初に当事者の声を聞く。[当事者とは?] ― 冤罪の被害者の方も来ましたし、そういう活動をしている弁護士の方も来ましたし。ホリエモンも来ましたけれど。(笑) みんなで最初に、なるほど、そういう問題点があるねと。どうしていこうかと考える委員会だったんですね。それを安全保障でも、重要な法案ほどね、やっぱりやって欲しいなあと。時間だけ積み上げて、国民のみなさんから意見を聞きました!さあ、採決です!というのではなくてですね、そういう国会にしていきたいし。この刑事訴訟法の法案では出来たので、出来ると思うんですよね。[やはり安全保障は特別な、肝いりだったんですね] ― 刑事訴訟法とか女性活躍推進法は安保とか派遣法の陰に隠れて見えなかったですよね。見えなったのは凄く残念なことなんだけど、ここはもうジレンマで、見えないと各政党の面子が無しで本当にいい議論が出来る。お互い0対100じゃないよね、お互いに妥協もあるんだけど、それぞれが譲り合ってバランスの取れたものを作る。やっぱり、面子がかかると難しいですね。[これは私だけの意見なんだけど、バーターとかあったのかもしれませんね。安全保障は通してやるから、こっちは通すみたいな]

 

●今だから言えるあの日のあの出来事

 

選挙のことになっちゃうんですけど、私、検事を辞めて自分の選挙区に来た。当時はいわゆる落下傘ですよね。親戚一人、同級生一人いなかったので。検事を辞めて、愛知県の岡崎という所にいたんですけれど、自分の選挙区である瀬戸というところに自分の家財道具一式を先に送ってですね、私は電車で候補者として一人で初めて、ことこと電車に揺られながら、忘れもしない暗くなった夜にですね、自分の地元となる駅で降り立った訳です。本当に真っ暗で。8年も経ったので、地元のみなさんが支えてくれているんで言えますけど、正直、土地勘すらない訳ですよね。しかも真っ暗で、駅に降り立って新しい引っ越し先に行こうと思ったんだけど、タクシーを捕まえられると思ったんです。でも流しのタクシーが無くて、タクシーを探しながら大きな荷物を抱えてトボトボ歩いていたんです。それで、本当にどうしようって。自分が一人ぼっちで何にも知らない世界に入って行くんだということを、初めて感じて。それで歩いているうちにこけたんですよね。こけてストッキングが破れて、膝から血とか出始めて。流血の膝をかかえながら立ちあがったら、目の前に相手候補の方のポスターがダダダダダーっと貼ってあったんですよ。それでね、これはえらいことだと。えらいこと始まっちゃったと。[相手候補はどなたでしたっけ?] ― 鈴木淳司さん、もちろん今も現職でいらっしゃるんですけれども。ポスターが貼ってあってですね、あの時の瞬間は忘れられない。それでストッキングの履き替えたいんだけど、ストッキングを買う店も知らない私、血が出ているけれど、助けを呼ぶ人もいない私。その中で行き先に行きつけない自分、という。(笑) [辞めようかと思いましたか?] ― いえ、思わないですけど。(笑) でも、これ凄いことだなあと思いまいね。[そうでなくたって、知らない所で、夕暮れで不安になりますよね。その後、ストッキングが破れたんですよ] ― そうなんです。流血です。それが原点と言うか。[初めてのお国に入りということですね] ― 選挙ってえらいもんだな、と。政治って大変なもんだな、と。初めて思ったんですね。大変だって知らなかったから、アニーのオーディションじゃないけど、私やります、みたいなことが出来たんじゃないですかね。そこからスタートしたというのがあるので、感謝、感謝ですよね。そういう自分を支えてくれて、地元の代表として国会に送ってくれている地域。[民主党の中ではグループとしてはどこら辺にいらっしゃる方と言えばいいんですか?] ― この同期、私は今二期ですけど、2009年の初当選組、当時140数人いたんですよ。それがあっという間に十分の一。同期の絆を大切にして。[じゃあ、枝野派でも細野派でもないと] ― (笑) これからの野党の行き先が見えていない、民主党ももう一歩発信出来ていない中で、ちょうど今私達40代の始めにさしかかっている訳だけど、このグループ、同期の仲間というのは絶対これから私達にしか出来ないことがあると思うし。[二大政党になっても、存在価値が今出ていない訳ですからね。残念で、もったいないと思っちゃうんですよね] ― そういう仲間で遠くない将来で、しっかり、自分達にこういう顔があるんだよと、そういうものを作っていきたいですよね。[蓮舫先輩とはどんな話をするんですか?] ― 蓮舫さんは民主党の女性議員というとパッと最初に名前が出る方なんで。[元々、弁が立っていましたけど、さらに増して凄くなりましたね] ― なんかやっぱり、打ち返しとか凄いですよね。[素質はもちろん、重々わかりますけど、さらに磨かれて。野党としての凄み、いやみ、すべて入っていますよね] ― (笑) なんて答えたらいいんでしょうか。今、蓮舫さんは代表代行をやっているので、週一回、会見をやられていて、閉会中で私がその場にいられない時もあるんですけど、司会進行みたいなことをやりながら学んでいる訳ですよ。どんな嫌味な質問にも打ち返すぞという意気込み、あの瞬発力、凄いと思います。

 

Q1;すごく正義への思いが強いという、検事もされていたということで。私も正義が通らない時代だなあと感じております。せっかくですので法律関係の質問をしたいのですが、戦後70年憲法も国際情勢に対して、安保法制もそうですけれど、対応しきれていないなあ、耐用年数が過ぎているのかなあと感じています。憲法改正または、国会で立法府として法律は作るんですけど、法律のリストラというか、いらなくなった合わなくなった法律をどんどんとなくしていくことも必要じゃないかなと。硬性憲法でなかなか変えられないところもあると思うんですけど、時代に即した、日本の国民が生命、財産を守って人権も守られて、幸せになるために、憲法、法律というのはあると思うんですね。こういうことはしちゃいけないんだけど、この範囲だったら何でもやっていいよと。こういうところが法律とか憲法じゃないかという風に思っておりますので、日本人だったらこういうことが大事だよねと、そういうのを守っておけば後は自由にのびのびとやっていいんだよというのが理想じゃないかと思うんですが、ご専門なんでそこの法律のことと、裁判員制度について。これは失くした方がいいんじゃと思っている派なんですが、というのは、精神的な負担とかそういうものがあって、一般の市民の声を聞くとか、判断を入れるというのもあるんでしょうけど、やはり人を裁くというのはそれなりの専門的な知識とかないとなかなか出来ないと思うんですよね。何もしらない一般の方が負担をするのはどうかなと前から思っておりまして、この二点をお願いします。

A1;なかなか硬い質問を有難うございます。(笑) 私も思い入れのある分野なので。まず憲法なんですけどね、今回の安保で憲法ってなんだ、とか民主主義ってなんだとか、そういうものが新しい段階に入ったということを、前向きに後押しをしていきたいという思いがあるんですね。ともすれば、一文字も変えない護憲派と、自分のロマンを憲法に繁栄させる男性議員がよくあるんですけど、憲法を改正したということでロマンを完成させたい派とか。安倍さんがそうだと思うんですけど。(笑) そういうのはうんざりしていて、これを機に、今までの憲法というのは浸透しているし、大事な価値を持ってきたと思うんで、みんなで大事にしていこうと。でも、おっしゃる通り時代が変わってきて、もう少し自分の手で時代に合わせていく分野も少なからずあるよね、と。こういうのが国民のみなさんのほとんどの良識ある考え方だと思うし、そのど真ん中を言う政党ってないんですよね。自民党の改憲草案なんて、ちょっと、あれにうん、という国民はいないと思うので。なんで、イデオロギーじゃない、これからの憲法を今までを大事にしながら、ちゃんと前向きに考えていこう、作っていこう、それもやれるのもさっき言った、私達世代の脱イデオロギーの政治家世代だと思うので。まあ、そんな思いでやっていきたいと思っています。あと、裁判員裁判は検事を辞めた後に実際に導入されました。確かに、驕りじゃなくて一般の人にこれをやってもらっていいのかなあという思いも私はありました。でも、一つの考え方ですけど、裁判って有罪無罪、本当にこの人がやったのかと判断するのと、この人懲役何年という分野、二つあるんですけど、本当にこの人がやったのか、冤罪なのかわからないような場面でね、実際今裁判員の方がやっているので、裁判員の人に解り易いように証拠を少なくして大柱で判断してもらおうみたいなのが続くと、そういうぎりぎりの判断を一般の人が大雑把な証拠でやっていいのかなあって。ここはね、おっしゃる通りもうひとつこれからの課題だなあと思いますね。それは委員会でも言っているし、ちょっとここから先、しっかり見て行きたいと思っています。やっぱり知識も限られているし、期間が短いしね。裁判員裁判だから短い期間にしなきゃいけないというと、本末転倒になるところもあるんですよね。やるべきことをしっかりやって、人の命を左右することなんだという根っこがちょっと本末転倒にならないようにしなきゃいけないと思いますよね。

[それにしても、声が通りますね!普段でも大きいんですか?] ― そうなんですよ。家族に無駄に大きいと言われます。[それはアニーの成果ですね。アニーの時は歌も歌われたんですよね。「トゥモーロー、トゥモルーロー」っていい歌ですよね] ― そうですね!たくさんの人がカバーしてくれているじゃないですか。[ちょっと口ずさんでもらえませんか?] ―

トゥモーロー♪、トッモルーロー♪ですかね。[嬉しい!鳥肌立っちゃった!すごく幸せです] ― あの歌は、一日先の明日は違う未来があるっていう。民主党も下向いたり横向いたりしないで、前を向いていきたい![是非、民主党をアニーのような政党にしていただきたいと思います。本日はどうも有難うございました] ― 有難うございました。