山本 有二
ac72
第15回
2012年01月26日 放送

自民党 山本 有二 衆議院議員

(動画より文字おこし)

自民党(高知第3区)7期目 (2012年1月26日収録時点)

[7期(やられている方)って、同期はどなたがいらっしゃるんですか?]―石原伸晃、総理大臣をやった方で言えば福田康夫、幹事長で細田博之。みんな出世して、出世してないのは僕ぐらい。最後に残された自民党のカード。ですから飛車なのか単なる歩なのか、これからだって言われてますけどね。[いざというとき山本有二、みたいな]―そうそう。出したら「何だこれは」っていうだけの話かもしれない。[初めて議員になった時よりも総理大臣の重みがなくなってますね]―全然ないですよね(笑)。[初当選の時の総理は?]―海部さん。素晴らしかったですよ、あの時は。海部さんが来る、と言うと、何の動員もせずに高知駅前に4,000人くらい人が集まった。今はどんなに頑張って野田さんが来ると言っても1,000人集まらないでしょうね。[時代は変わりましたね]―本当に変わりました。

●幸せ度数年表

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第15回山本有二

[政治家一家に生まれた?]―いえ、違います。普通の衣料品店の息子で、商店街で生まれまして。これが昭和27年で、まあ幸福度数70点くらいかな、と。[どうして70%?]―一般の普通の家庭で普通に生まれたけれども、50点より上なのは、昭和27年5月11日が戦後初めての「母の日」だったんです。だからおふくろさんが喜んだ、っていう事で25点プラス。75点にしました。[「母の日」に生まれて…]―次男で生まれたんですが、姉が13歳年上で。すごく読書が好きで、モーパッサン「女の一生」、山本有三「路傍の石」。山本有三が当時すごいトレンディな小説家だったんですよ。それで私の名前を「有三」にしろ、と親父に一生懸命言ったんですって。親父もいい加減で、「俺も古関裕而の“鐘の鳴る丘”が好きだから、“ゆうじ”はいいな」と、急に有三から有二に変わった。次男だからちょうどいい、って(笑)。[上はお姉さんだけなのに]―そう。ひどいね。けど字画を見る人に、「山本」が八画で「有二」が八画。氏、名が八で末広がり、八と八を足して十六も末広がり。こんな漢字のいい人はいない、ってすごい誉めてもらったんですね。そうなのかな、いい加減な付け方したはずなのに、って(笑)。[国会議員としても覚えやすい名前]―みんな言ってくれますね。だけど、最初県会議員選挙に出た時に三万一千票くらいあったんですが、そのうち七百票が「山本有三」と書いてありました。「山本有三」という作家がいることが頭にある人なんでしょうね。本を書いて、山本有三の本の隣に置いたら間違えて買うんじゃないか、と思ったりしたんだけど(笑)。2冊書いたんですがあまり売れたことはないですね。[(笑)。で、大学浪人?]―高校出て大学に入れなかったので、早稲田に行くために1年浪人したんです。その時に「幸せ度数」がガーンと下がって。自宅から高校に通っていたし、陸上競技なんかやって適当にエンジョイしてたんだけど、窮屈な世界にパッと入ったものだから「幸せ度数」が30ぐらいに減っちゃったんです。大学に入れば上がるかな、と思ったら、東京で一人暮らしをして面白くもおかしくもない。アルバイトも面白くない、彼女もできない。何なんだ、これは!?と(笑)。「早稲田雄弁会」に行ったんですけど、それでも面白くない。結局1年留年して24歳で卒業。[つまらないのに更に延びた(笑)]―延びちゃった(笑)。「優」の数がゼロだったので、上場企業の一流どころはほとんど採ってくれない。親に申し訳なくて、「司法試験受けるから」と言って就職せずにそのまま東京にいたんですよ。そうするとプータローでしょ?[今でこそ「プータロー」という言葉がありますが、当時は何て?]―…穀潰し(笑)。仕送りを止めると言われたときに発憤したんですよ。「もうオレの人生終わりだ」って…この時の「幸せ度数」ゼロですね。それで(司法試験に)合格した時にグングングン!と上がって100に近かった。「助かった!」って思った、地獄から出た、って感じでした。これで嫁さんももらえるかもしれない、美味しいものも食べられるかもしれない、いいお家に住めるかもしれない。可能性だけは広がったわけです。それだけで(幸せ度数が)100まで届いちゃった(笑)。[ギャップがあったでしょうね、高知と東京だと]―ありましたね、「香川県は知ってるけど、高知県ってどこにあるの?九州?」とか言われてました。[坂本竜馬ファンは?]―坂本竜馬、と聞くと「土佐」って言うんですよ。高知とは違う所にある、と思っているみたい(笑)。[結婚はいつ?]―司法試験通ったあとの29歳の時に。[奥様とはどちらでお知り合いに?]―家内は、私が生まれた商店街の、近くの食堂の娘で。商店街の親父さん連中に、「今に見ていろ、オレは弁護士になるぞ」とホラをふいて回っていたんですよ。[ホラじゃない、有言実行ですよ]―そこの食堂のお父さんがすごくかわいがってくれて、お父さんとまず親しくなった。そこに娘がいると思わなかったけど、行くと娘が出てきて料理作ってくれたりし始めて。毎日行くようになったんです。そしたら結婚しちゃった、って感じで。[弁護士時代は何がご専門だった?]―民事一般ですね。けっこう私、人気のある弁護士で(笑)。人から人へ伝わっていっちゃって、どんどんお客さんが来るようになって。ある日RKCラジオで「週に一回、日常の法律相談をやってくれ」と。当時弁護士で一番若かったもので。そんなことをやらせてもらっていたので、まあいわば、弁護士でもまあまあだったんですよね。[そんなにも苦労して弁護士になられたのに、どうして国会議員に?]―ある日、地元の県会議員さんがパパッと二人亡くなったんですよ。僕は、若いけどまあまあ少し有名、というか、地元で話題に上ることが多かったので、「出てみないか」と言われて。で、弁護士で代議士をやっていた白川勝彦さんに聞いたんですよ、この場合どうしたらいいか、って。「お前ね、自分で出ることはあっても、人から“出ろ”と言われることは一生ないぞ。人が出してくれて絶対通るっていうんだったら、出ろ」と言って、県会議員選挙に応援に来てくれた。[自民党から初出馬で当選された]―33歳で当選して。それで、県会議員を長く続けるつもりはなかったので、もう辞めようと思ったんですよ。だけど、そのままグズグズ終わるのは嫌だな、華々しく散って終わりたいな、と思って。家内に「これで負けたら僕は真面目な弁護士をやるから、勘弁してくれ」と言って、衆議院選挙…すぐにでもあるみたいに当時報道されていたから、すぐにあるだろうと思って「(県会議員を)辞めて、選挙に出ます」と記者会見して、それから3年半(笑)。[…それは長い]―長かった、県会議員を辞めて3年半。[でも弁護士の仕事は多少はできた]―当選するまでは法廷に行ったり相談を聞いたり。でも寝る間がないし、強烈にしんどかったですね。大学浪人の時くらいしんどかった。当選すると、今度は司法試験合格の時より(幸せ度数が)ずっと上にいっちゃって。嬉しかったですね。10年ぶりの東京で学生気分になって、毎晩遅くまで飲んだりして…。1年生議員というのは全員がそんな感じで浮ついたところがあった。家内が心配して出てきてくれたのが当選2回の時で、それで落ち着きました。いやー、助かった(笑)。[そして大臣をやられて]―安倍内閣で金融大臣を。非常に勉強になりました。リーマンショックでご存じの通り、金融は非常に複雑なメカニズムがグローバリズムの中でありますから、それを勉強させてもらうことによって、随分私も世間が広がったな、と思います。面白いですよ。奥深い。[また金融大臣やりたい?]―やりたいですね。[政権奪還したら]―やりましょう!(笑)[山本先生はお孫さんが2人、お嬢様が4人いらっしゃって、お嬢様、みんなきれいなんだそうです。お嬢様のご主人がみんな有名人だと聞いたんですが…]―芸能人が、うちの家族の中に2人いまして。次女の主人と三女の主人なんですよ。2009年に選挙があって、次女の主人が僕の選挙の手伝いにきたんです。[どなたですか!?]―個人演説会をやった時に、彼がビラを入口で配って、僕はその隣で来て下さった方と握手していたんですが、握手する人が全員婿のほうに行っちゃって(笑)。知ってる人は知ってるんだなあ、と。僕は、次女が彼を連れてきた時、「こんな人は全く知らない」と思った。「パパ、この映画観に行って」とチケット貰ったのが「20世紀少年」。観に行ったら、瞬間出たんですよ、竹中直人をグサッと殺して飛んでいくやつ。「何だこれは、人殺しじゃないか。ダメだ」と言ったら、今度は「ピンポン」という映画のDVDを持ってきた。スマイル君っていうカット打ちの選手で出ているんですよ。「これはいい男じゃないか」って。[そこでスイッチ切り替わったんですね]―スイッチ切り替わった。だけど、芸能人はうちの敷居をまたがせない、と。芸能人は、僕嫌いだったから。[今、政治家のほうが嫌われてますよ]―(苦笑)。ARATA(井浦新)っていうんですけど。ARATAのご両親が「どうしても結婚させて下さい」と会いに来るというので、ニューオータニのレストランで待っていたんです。全然時間になっても来ないので、どうしたのかな、と思ったら、入口にいた背の低いおじさんがARATAのお父さんだった。ARATAは184㎝くらいあるんです。お父さんは僕より背が低いから、(ARATAの)お父さんだと思わなかった。[ARATAさんのお父さんって、学校の先生をやられているんですよね]―そう、ご両親とも小学校の先生。すっごい真面目なの。僕は、このお父さん、お母さんの真面目さにびっくりしちゃってね。「このご両親の息子だったら、OK」と、認めました。それで結婚してから子供が生まれて。いわゆる孫ですよ、最初の。「どうしてこんなにかわいいんだろう」と思って(笑)。夫婦仲も良くなったし家族仲も良くなったし、生きていく希望がぐっと増えましたよね。だから早く幼稚園や小学校に行って、早く運動会に行かせてくれ、って(笑)。中学生に言わせると、ARATAよりもっと格好いいっていうのが、三女の主人。鈴木一真っていうんです。水谷豊の「相棒」によく出ていたらしい。下北沢の本多劇場で主役を演ってたり、一真のほうが収入が安定しているみたい(笑)。「僕が選挙に落ちたら、お前ら2人、選挙に出ないか」って言ったら、2人とも「絶対嫌です」って(笑)。[じゃあ、長女と四女のご主人に…]―みんなその気ないみたいですね。長女は結婚していて、非常にいい家庭で子供も生まれて幸せそうで、全く政治とは…。唯一残ったのは、今高校2年生の四女なんですけど、「お前、政治家やらないか」って言っても、全然取り合ってくれない。[山本さんのお嬢さんって、綺麗って有名なんですよ。どうしてこんな子ができたの?って言われているらしい]―三女が「リプトン」の紅茶のコマーシャルで2年間テレビに映っていたんだけど、みんな信じないんですよ、私の娘だって。実際に2人で歩いてて、友達に出会った時に「うちの三女です」と紹介しても、「顔がこんなに小さくて脚もお前よりこんなに長いのに、なんでお前の娘なんだ」って本当によく言われる。家内も「何でこんな子が次々に生まれるのかなあ」って、びっくりするくらいですから。「お前が生んだんだよな?」って言って(笑)。山本寛斎っていうデザイナーさんがいて…。[親戚?]―親戚じゃないけど、寛斎さんが高知市の江ノ口小学校のちょっと先輩なんです。三女が、学生時代よく街なかでモデルにスカウトされるんで、面倒くさいから寛斎さんに「アルバイトで預かってくれ」って頼んで。それで(鈴木一真)と知り合って結婚したんですけど。[モデルをやられてご主人と知り合った?]―モデルじゃなくて、衣装を作るお針子さんのアルバイトを。僕はそっちのほうは全くわからないので、どういうきっかけでどうして結婚したのか、それすら知りません。[もう芸能一家ですね]―たまたま好きな仕事がそういう仕事だったというだけで、僕ももう芸能人だという意識はなくなりました。立派な仕事。セリフを覚えてる姿を見たら、「大変だなあ」と。「明日までにこれ全部覚えるの!?」って。僕にはとてもできない。[もうお二人の大ファンですね]―そう。(ドラマの)「蜜の味」で菅野美穂と共演した時は、目が皿のようになって、「いいなあ、菅野美穂とこんなことして…」って(笑)。

●最近の政治トピックス

[今言われているのは、定数是正、議員定数削減の問題ですね。先生は高知3区ですから、有権者が少ない選挙区。どんな問題が?]―私の選挙区は、300という小選挙区の中の人口が一番少ない所。人口が少ないということは、人口がどんどん減っている、という事で、少子高齢化が激しい。それは、「田舎」ということなんです。私は最初当選した時から、「日本のド田舎の代弁者になる、語り部になる」と言って当選させてもらったんです。私が非常に疑問に感じることがあるので聞いてもらいたいんですが、薩長土肥と言って、幕末・明治維新に坂本竜馬が大活躍して江戸幕府を倒したわけですよね。次に議会政治を作って東京に都を置いたわけです。それから鉄道や高速道路、飛行場を造ったりと、どんどん先にやってしまった。昭和30年代から40年代にかけて、東京‐大阪間の高速道路もできました。しかし、高知県は、今、高速道路をやっているんですよ。40年から50年遅れている。つまり、政治的にこの国の集中投資からはずれたんです。東京は地下鉄もある、港もある、飛行場もある、新幹線もある。みんな揃っている、ということで人は集まってきますよね。高知県は、全くそういう恩恵がない。人口が減った、人間の数で決めるから私の選挙区は1議席減らす。そんなことをして、ここに政治的に光が当たりますか?更に当たらなくなるんです。田舎の定数を、人口が多いからという理由だけで都会に持っていく。ここに私は非常に矛盾を感じます。田舎は投票率が60%~70%近くある。投票率で考えれば、田舎のほうに関心の高い人が多くて、むしろ都会の人たちは関心が低い。私は、都会中心に全部をまわしていくことが、この国の不幸を呼ぶと思っています。幸せの条件は、ひとつは家が温かいこと。そして家族がいること。帰ったら「お帰りなさい」と言う人がいるかどうか。[私はいつも自分で言っています(笑)]―それは悲しいですよ、悲しい。やっぱり家族がいること、それに加えて孫。2世代、3世代で暮らせること。花が咲いていること。そして東日本大震災で加わったことは、備蓄の食糧。特に家庭菜園があると立派です。更に井戸水があること。水と食糧が確保できたら、災害に対応できるすごい地域になります。田舎だと、確実に幸せな条件が満たされる。ちょうど僕の世代は、みんな老後のことを考えていますよ。どこに墓を作ろうか、どうやって生活しようか、不安だらけで、子供と住むどころじゃない。だから、パァーンと田舎に帰った方がいい。そういう政治をやったらみんなが幸せになれるんです。この間、ブータンの国王が来て、「私どもの国は全員が幸せです」と。まずは家族が全員で住めて備蓄の穀物があって、農業が中心。やっぱりそういう国になるには、東京の人工的なものの中にいるんじゃなくて、少し離れる。1時間でも2時間でも離れた地域で生活することができれば、全く違う人生が送れます。首都直下型地震が70%おこるわけですから、もうそろそろ地方に切り替えなきゃだめです。もし人口だけで考えたら、東日本大震災の岩手、宮城、福島の人口はガサーッと減りますよ。減ったからと言って定数を減らしたら、被災者の代弁をしようとする人が一人減るじゃないですか。そんなことを考えたら、人口だけでいいはずがない。それを私は言いたいんです。

●今だから言えるあの日のあの出来事

一番下の子が誕生して、40歳を超えた子供だったので、孫みたいに「かわいい、かわいい」で育てたんです。かわいいもんだから、夫婦ともに怒ることがなかった。当時は九段の議員宿舎にいたんですね。今は立派で高級マンションみたいなのが建っていますが、その当時は安普請だった。ミシミシと音がするから、上の人がどこを歩いているかわかるくらい。で、下の子が1歳になって歩き始めたんです。更にテーブルや椅子の上にあがって、ピョーンと跳ぶようになって。そうすると下にドスンと響くんですね。夫婦2人と4人の子供の6人で生活して1人が跳んでたら、運動会になっちゃう(笑)。下のご家族から時々電話がかかってくるんです。「うちは大学受験生がいるから、もうちょっと静かにしてください」って。それが毎日毎日かかってくると私も気づまりになって、家内も「こんな所はやめましょう」と言うんだけど、行く先はないし。結局、頑張って大借金して「とにかくどこかに移ろう」ということで、移る時に一番下の子を連れて行って「跳んでみろ」と。ピョーンと跳んでドスン、ピョーンと跳んでドスン(笑)、10回くらいやって下で響くかどうか確認して、大丈夫だった(笑)。そこに移ってから、九段にいるよりもずっと幸せな生活ができました。[因みに下の(階の)議員さんは与党の方?野党の方?]―与党の、自民党の(笑)…私のお世話になっている先輩だったんで、早く出た方がいいと。[それは気づまりですね]―その人のお陰で出世できてないのかもしれません(笑)。

●質問コーナー

Q: ブータン的な幸福は日本で実現できるのでしょうか?

A: ブータンの首相から聞いたんですが。ブータンは仏教国、しかもチベット仏教ですか   ら、人を殺すとあの世で500回死なないといけないんですって。殺した人間の魂が死んじゃうと、生まれ変わるのがハエやゴキブリの虫で、500回つぶされてしまう。それを「痛い」とか本当に大変なことだと小さい頃から学校でも教えてくれるんですって。人を1回殺して自分が500回殺されると思ったら、「嫌だ」と思っちゃうんですね。[そういう教育なんですね]―ですから、ブータンで建国以来殺人罪が適用されたことは1件もない、というんです。そんな国って幸せですよ。やっぱり教育じゃないでしょうか。そんな風にすることはこれからでもできるんじゃないですか?[そういう教育から私たちの意識改革をして、幸福感を重ねていく、と]―そうです。

Q: 自民党は消費税増税10%を出していますが、10%では足りなくて、最近16%という報道もありますが…。

A: 私が感じるのは、「GDPの220%も借金をして、一体何に使ったの?」ということ。ギリシャだってスペインだってイタリアだって、120%くらいですよ。イタリアやギリシャ、スペイン、ポルトガルというのは「ケ・セラ・セラ」だから、色々調べたら、給料を補填する、つまり働かなくても食べるためにやっている節があるんですよ。ギリシャなんて日本の10倍くらい国家公務員が多い。ですから日本国も1億2千万人全員を国家公務員にしたら、そのお金を国が出せば、ひょっとしたら幸せかもしれませんね。だけどそんなことはできない。しかし日本は、もしかしたら無駄なことが多いんじゃないか、あるいは高齢化社会だからといって、大金持ちに年金も介護保険も出して、医療費をタダにしているんじゃないか。金持ちが悪いわけではない、けれども元気な人に年金をたくさんあげて、そのかわり医療費は節約してもらう、というような選択をしてもらってもいいんじゃないか。例えば田舎の廃校をお年寄りのワンストップサービスや託児所に利用することを考えて、次から次へ新しいものを建てたりお金をふんだんに使うことをやめていけば、ひょっとしたらいいのかもしれません。官邸をきれいにして議員会館をきれいにして、議員宿舎まできれいにして、それで消費税増税。それはないよ、と思われるでしょう?ですからそれは控えなければいけない。ただ1千兆も無駄に使っていない、ということが明らかになれば、今、健全化させていないと将来の人たちが本当に困る時代がきます。そのためには早く手を打つ、消費税を少し上げて何とかする、というのは大事な話だと思う。しかし、上げたからといってまた無駄なことをするのだったら、上げないほうがマシですよね。段取り良くしていくには、国民的理解を得るために、野田さんがきちんと説明できて逃げない、ということが大事です。