工藤 彰三
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第99回
2013年11月27日 放送

自民党 工藤 彰三 衆議院議員

(以下、動画より文字おこし)

自民党 愛知4区 1期目

佐野さんの事はよく知っている。住んでいたのが隣の日野市だった。学生でアパートが南平にあり、お寿司屋さんでバイトしていた。(愛知4区は)民主党が強いところ。最強地区。過去に自民党が小選挙区で勝った事がない。今回初めて。比例復活もなかったので単独で。ただ大変…落選されたかたが地元をこまめに回っている。名古屋なので通勤みたいにしっかり回っている。仕事以外は帰っている。

●幸せ度数年表

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第99回工藤彰三

1964年、昭和39年オリンピックの年に名古屋で生まれた。(未熟児)―1800gだった。未熟児と言うと言い方が悪いが早く出て来てしまったという事。2段ベッドからウルトラマンの真似をして天井で頭を打ってひっくり反って壁で後頭部を切って、首の骨が折れかかって出血した。傷だらけ。結構ひどい。(中川昭一さんに似ている)―よく名古屋に来て頂いて、(中川)郁子先生とも仲良くして頂いている。派閥は麻生派。(ボルサリーノを被らなくては)―(笑)次の当選後はあれを頂く事になっているので。(麻生派はどうか?)―楽しい。(麻生氏は)温かくて楽しいし、笑った笑顔は本当にこの人は元総理なのか、(一緒に)一杯やっていていいのか、という感じ。やはり違う。自分の世襲とは意味が違う。(6歳の時父親落選)―父親は元々生まれが大分県。大学で東京に上がって来て就職先は大和証券。中央大学の弁論部を出て、就職をして転勤で名古屋へ。当時民社党春日一幸という大物議員がいてそこの秘書だった先輩が、今は引退された塚本三郎先生。白門会という中央大学のOBの会で会った時に「春日一幸先生を紹介するから来い」と言われて会いに行ったとたんに「秘書になれ」と。学生時代は自民党で中曽根先生の勉強会に出ていたが、旧民社党で県会議員に出た。急に29歳で出た。名古屋は閉鎖的なところがあり「よそ者だからダメだ、若いからダメだ」と言われ、落選してすぐ結婚して(自分が)生まれた。その時に結婚するのは無茶な話だが。父親が県会議員で、自分が小学校に上がった入学式の時に落選した。入学式から帰って来たら、次の日だったか落選して結構路頭に迷った。2回目の選挙に通って3回目に落選。2回目に初当選した時に挨拶周りをしなかった、ドンチャン騒ぎをして。亡くなったので言うが親父は仕事ではなく飲んでいた。有名。(お坊ちゃまはこんなに真面目)―そうでもない(笑)。(お父様は豪放磊落だった?)―はい。結構家に居なかった。春日先生自体が凄い。(麻生派と似ている?)―ちょっと違う(笑)。春日先生は…この時間からまだ早いが…お妾さんが5人居たかた。「松竹梅」と言った人。松子、竹子、梅子と、それ位のかただった。県会議員を落選して2年後に地元の市会議員の先生が急逝され、補欠選挙に出ないかという話になって名古屋の市議会議員になった。そこで紆余曲折、当時江崎真澄という田中角栄さんの側近から打診があって民社党から自民党に変わった。それで旧民社党から物凄く叩かれた。補欠選挙で全党立った。自民党、民社党、社会党、公明党、共産党。そこで本命の民社党のかたを破って勝った。そこから自民党の市会議員で8期、県会含めて9期。(県議から市議になると強い)―強い。やりたい放題。だいぶ新聞記事になったり。(お父様のやってしまった事は?)―沢山あり過ぎて。朝日新聞の記者の取材に向かって「名古屋は中日新聞が独占しているので下手な記事書くよりインクの色変えたら?」と言っていた(笑)。自分が言ったのではない(笑)。(東海中学入学)―これは敢えて東海中学と書いたのは、今回選挙終わって東海中学出身者が国会に9人いる。私立東海中学と言って東海大学ではない。赤松副議長、丹羽秀樹、伊藤忠彦政務官、他の党で今井雅人さん、今枝宗一郎28歳、長坂康正=海部元首相の元秘書、細田健一…。細田と伊藤と自分は3人同級生。多分同級生3人というのは憲政史上無いのではないか。過去には民主党で小林憲司という人が出たが、彼は薬物で逮捕されたので残っていれば4人、麻雀ができた(笑)。本当に彼はぶっ飛んでいた。海部俊樹元総理大臣の母校。右から左からで、この学校は。官僚から暴力団までという感じで多種多彩なかたが多い。(やんちゃだった?)―野球ばかりやっていた。確かに退学になりかけたのは何回もある。仲間が隣の公立中学校でたかられたので棒切れを持って行ったところで先生に止められ連れて行かれた。即坊主。うちの学校は体罰は当たり前だった、一筆入学時に書いたので。有名な長谷川先生のビンタは全員ビンタだった。気に入らないと本人だけではなく全員の責任だと訳の分からない事を言って55人クラスに居たが全員ビンタ。(先生の方が)「痛い」と言っていた。クラブ活動が体育会だったので体罰の方が楽、一瞬で終わるので。先輩や監督に殴られた方がその場で終わるので。自分はピッチャーをやっていたのでフォアボールを出したり試合を潰したりすると、元々お坊さんの学校で寺があり、その寺を一回りすると800mあるが○○寺コースと言って何周も走るほうがよっぽどきつい。「20周走って来い」と言われると16キロ、ビンタは一発で済む、一瞬で。大学に入って肩を壊した。無理やり一般学生でも入れて貰ったが、やはり一浪していたので足腰を作っていなくて、喜んで投げたら肩が抜けた。今でもおかしい。身体はそんなに大きくないが、全身バネで遠投、球のスピードだけは結構…県大会ではまあまあのところにいっている。当時愛知県は巨人の槙原さん、西武にいた工藤さんが一つ上にいた。スーパー高校生超ドラフト1位が一緒にいたので話にならなかった。自分は名古屋の中では早いと言われたが、彼らの前だとキャッチボールと言われた。全然違った。肩を壊してから…政治家に成る気は全然無かった。大学行って社会人野球やって高校の指導者をやりたいと思っていたが、野球をやめてブラブラしていて…ここから話すと結構長いが、チリ紙交換をやっていた。八王子と日野市、昭島の辺りのチリ紙交換で結構集めてやっていた。チリ紙交換を3ヵ月やっていた。スピーカーからテープを流していて2トントラックでキョロキョロしながら手を振るのを見て。(八王子の地理も知っている?)―知っている。北島三郎さんの家とかよく分かる。誰々の家とか地名もよく分かる。北野から野猿街道、色々行った。JRの日野、豊田の辺りもブラブラしていたし、新撰組の土方歳三の生家の辺り、高幡不動も結構ブラブラしていた。車で稼いで夜もブラブラしていた。(あがりは)元に渡してそれから換金する。トイレットペーパーを200個買って、出して貰ったものが1キロ、紙が20円、それが1トンになると2万円位、ガソリンが一日2千円かからないので。(車を)ローに入れてそのままダラダラ走って、それで換金して、当時一日のあがりが1万、多くて2万の、バイトとしては破格に良かった。学校に行っていない、サボって。それでまずい事に履修届も出していないし話にならない。ある時友達が「お袋さん達が下宿にかけても居ないのでどうした?」と(電話が)かかって来て心配になって家にかけた。その後は先ほど話した寿司まさというお寿司屋さんでバイト…皿洗いして配達した。それで途中から地元の国会議員さんから電話がかかって…名古屋出身の官房副長官をやった先生、水平豊彦という…中曽根元総理大臣、藤波官房長官、うちの水平豊彦。その先生から「苦労して貧乏だろうからステーキを食べさせてやるから議員会館に来い」と。運転手をやれという事だった。鉄板焼きという話だったが全然先生は姿を現さないで当時の秘書さんが「議員会館の地下に行って食堂でハンバーグ定食を食べていらっしゃい」と。話が違うでしょと(笑)。それで仕えて運転をしていたら、先生が喉頭癌と舌癌になった。お亡くなりになって、長年仕えた水平先生の後に筆頭秘書だった片岡武司という自分の恩師が昭和61年のダブル選挙7月6日の選挙に出て通った。通った後に秘書を探さなくてはいけない。自分は大学生で、最初の選挙は大学3年生で選挙戦を戦った。秘書を探さないで「君がやってくれればいい、うちはまだ大した事務所ではないから運転と東京の案内、役所に連れて行ってくれればいいから」と。ずっとやった。休ませてくれない。ちなみに大学8年行っている(笑)。途中から切られている。大学6年の時点で母親が「完全に卒業する気がないのだから仕送り、学費はいらないでしょ、働いているから関係ないでしょ」という事だった。(チリ紙交換を経歴に書いては?)―学生中なので。大学をサボってやっているので。呉服問屋の若旦那さんがボランティアでやっていた、そのチリ紙交換を。本職は八王子の呉服。そのかたが新聞のチラシを見て尋ねて行った。履歴書を持って行った。あまり大きな声では言えないが、府中にある刑務所帰りの人を受け入れるというのが多くて、刑務所から出所したかたもみえた。そこに入ると凄い顔に変わる。目が「小僧来るな」と一瞬睨まれたが凄味が違う。(結婚)―今の家内と。東京にずっと居たので名古屋に帰った時に、名古屋の支援者のかたがお見合いではなく紹介で「お会いしなさい」と言って。家内が言うには「紹介して貰った相手が違った、代議士の秘書ではない」と言われた。「選挙は出ないんでしょ?」と言われ「ハア」と言って結婚。今では喜んでやっている。時間がかかった、理解してもらうまで。結婚する時は凄い事を言った「舅が500人いると思ってください」と。うちも名古屋市内で凄まじい言葉で、罵声とかそういうものではなくて、これ以上言われたら傷つくではなく立ち直れないだろうと。いじめみたいなところがあった。(皆自分が受からせたと思う様だが)―実際は「あの時は投票行かなかった、孫が来てたから」とか。38歳で名古屋市会議員になった。(お父様が亡くなって?)―まだ生きていた。うちの父親の後援会は父親に10期やらせたかった。県会8期、市会1期で9期。あと1期で10期で、市会議長もやっているし、名古屋港の組合の議長もやっているが、自分も38歳なのでもう滑走路も限界だと、飛び立つには長過ぎたから、秘書をやっていて帰って親父の手伝いをやっていて、親父も限界だし発言が危ないし、後援会同士が選挙になった、役員が。それで9:1で息子になった。当選した後「小遣いくれ」と大分せびられた。暮れのボーナス3年位親父に払っていた。(支部長になったのは)―リコールする前。リコールというのは「名古屋市会議員をリコールせよ」と河村市長が出て来た。(SNS:河村さんて紙屋さん?)―その事で細かく追及した事もある、「あなたの出処の会社に3ヵ月居たのでよく分かっている」と。河村市長と議会でバトルして百条委員会というので手を挙げてやった。結局うやむやになった。今度は向こうが「議員の報酬半分でいい」と言ってきて、それでリコールをやって、その時のリコールが「おかしいでしょ、署名捺印なのに全部の指が押せる。これは違法だ。署名活動はおかしいから」と言って議会追及したが最終的にはリコール署名を取り上げてプラスして出されて負けた。そこから名古屋市会解散署名運動というのがあった。報酬は半分になった、名古屋市会議員。最初は1503万円だったが今は800万。それはあくまで全部で、そこから税金がかかって引かれていくから、兼業しているかた、所得があるかたは更に引かれるので。20万位(手取り)。10%市民減税というのを展開してしまったので、先ほど財務省に行って主計の方に話をもっていって、港湾関係の予算要望を言ったが「皆さんご意見はありませんか?」と言われても手を挙げられない。「市民税減税をしているところにお金はいらないでしょう」と言われるので。自分達は「それはそれだ」と言うが、先輩議員からは「あの市長を変えてからもの言わないとダメ」と言われている。特にうちの親分は財務大臣なので。親分という言い方は失礼だが麻生会長は財務大臣なので「市長は連れて来なくていいよ」と言われている。(河村さんは威力を保っている?)―だいぶ人気は下がったがご年輩を引き付けるのが上手いので、選挙はご年輩を引き付けておけば勝っちゃうので。週末名古屋で高速道路の開通式で挨拶を代表でして頂いて、知事と市長と自分と挨拶があってテープカットになるが、フラフラだった。自分も言えないが大分酒飲み過ぎだろうと。それが一回、土曜日。日曜日が選挙区の南区という区があって区民祭があってそこで皆で勢揃いしている時に挨拶で「燃えよドラゴンズ!」を歌った。「もういいから」と言って(笑)「早く終わって帰れ」と言うが(まったく気にしない?)―「燃えよドラゴンズ!」ではなくて「燃えよ南区!みんなサンキューベロマッチャ!じゃあ!」と言って帰って行くので品格も何も残らない。「ここにおると工藤さんはじめ市会議員さん、県会議員さんにいじめられるので市長さんは帰りますわ」と逃げて行く。うまい(笑)。よく知っているが、自分の興味ある事しかやらない。市政の事はほかりっ放し。(今市長は何に興味を持っている?)―SL。トーマス君を走らすと言っている、名古屋のあおなみ線という所に。それで頼まれた。有名な話。「SLを走らせる」と言って△□35型という昭和20何年の古いやつを見つけちゃった、市長が。「それはアスベストがあるからダメだ」と言われて、それで頼んできた。「役所に何とかして貰いたい」と、その話で動いていたら丁度集中豪雨があって名古屋に帰れなくなってしまった。次の日に帰ったら「どうなりました?」と市長が言うから「どうもこうも大変だけどJR東海とどうするの?」と話をしていたら、こちらも腑に落ちないので「ところでトーマス君と言ったら先頭車両は何処にあるのか」と言ったら「考える」と言った。「先頭車両も決まってないのに走らせてくれと言うの?」と言ったら「そういうもんじゃないですか」と。二度とあなたの仕事はごめん(笑)。苦情投書は多かった、市長を叩いている頃は。「辞職しろ」「辞めちまえ」とファックスで凄かった(市議の時)。(市会議員は)―2期。2期で3期は出なかった。地元の支えてくれる県会議員、市会議員の方々が「真剣にこの戦いは野党になってもういっぺん引っくり返す為に絶対勝ちに行かなくてはならないからお前が出ろ」と。それは良いが出る為に「市会議員をやっていたら時間が無いからバッヂを外せ、退路を断て」と。退路を断って本当に出た。出ても菅元総理が色々な献金の問題で解散するかと思ったところに地震が起きたので、それから長引いた。そこから長かった。支部長と言っても無職Aなので。身内に強大な敵があって…河村市長になる直前に2回目当選した時に、小さい頃から自宅を持った事がないので…アパート暮らしとか、庭付きとかに住んだ事がないので、もうずっと市会議員をやるから地元に根を張る為に家を買おうと思いローンを組んでやっと建てた途端に市長が河村市長に変わった。そしてローンが残って無職になって給与がゼロになって会社の役員報酬だけになって住宅ローンが毎月来るという。死にもの狂いで何とかなったが。(銀行も貸してくれない?)―凄い言い方をして借りた。35年ローン。まだ30年残っている。払っている。昨日振り込んだからここに来られた。26日なので25日の晩は「どうしよう」と。(お父様は家を持っていた?)―持っていない。お袋が持っていた。こんな飲んだくれではいかんから。「飲まなかったら家三軒建っていた」とお袋に言われた。(お父様は何歳まで?)―77歳。「50で死ぬからな」と小さい頃から言われていた。(選挙の前およそ2年半位活動していた?)―そう。街頭ばかりしていた。とにかくお金をかけない。チラシを打てばチラシ代が高いから。歩くか外に立って喋っているか、これが一番良いと。ずっと売り言葉は「津波対策」防災だけ。名古屋港(南海トラフ)の場所、一番の。東名高速があって新幹線があって都市高速が開通して国道1号線があって江川線という3車線の大きな幹線道路があって地下に地下鉄がある所。(日本の)おへそ。名古屋港の輸出額が今の赤字の状態でも5兆円黒字を出している。トヨタさんがあるし、中部電力の火力もあるし、新日鉄もあるからここを潰されると復旧は不可能に近い。(中央の政治はどうか)―だいぶ変わった。国会議員さん本当に真面目になった(笑)。(昔は)猛者がいた。(今は)真面目。同期も119人いるが皆帰国子女だったりMBA取得していたり官僚だったりとか、経済学者、弁護士…彼らと会話するとフリーズになる。チリ紙交換と出前をやっていたという話をすると「何の事ですか?」と言われる(笑)。もういい加減だった…出前が遅れると怒られる…「日曜日に家族で親戚が来たから」と出て来るお母さんに「鉄火がトロになっている、遅れたから」と、嘘だった。

●最近の政治トピックス

秘密保護法案。(昨晩は遅くまで採決していたか?)―議論はしたと思う。色々な面ではヤジも…席の隣が民主党さんで、自分で「38度線」と言っている(笑)。隣は小川淳也さんで(四国の)良いかたで色々やりとりを二人でしていたが「早いよね」という話はお互いにしていた。議論はしたし説明も確かに国民の皆さんに対して僕らももっと説明を…いきなりジャブを打ってくるので構えるばかりできちんとした説明が足りなかったというのは、後から昨日同僚と疲れたから一杯やりながら話していた。これからどうするのか、やはり説明するべきだと国民に対して。僕らのところに来るのは基本的に市民活動家、運動家だから当然ながら与党に対して反対を突きつける。そうではなくて一般のサラリーマンの方、自営業の方、主婦の方に対して将来きちっと守る為に公務員の為に今の法案をやっていると。皆さんの為の秘密保護法案ではない、それを説明しなければいけない、徹底的にしなければいけないと思う。公務員が罰せられる為の、外交防衛、テロ、スパイ、この4つに対してこれを作ったという事。秘密保護で隠ぺいじゃないか、そのまま封印しておかなくてはいけない物自体の数が40万あると言われている事案が、総理が仰ったがその9割が写真だと。そういう説明を国会議員が地元に帰って集会を開いたり街頭に立ったり…それをきちっとしないと、これだけ今「拙速」と言われるし今回の臨時国会は法案目白押しではないか。地元でしっかり説明する前に流れてしまうのでその事自体が今回の臨時国会の法案の通し方は早過ぎるのではないか、と思った。もう一つの考え方は、内閣云々与党云々ではなくて、これは役所が出してくる…役所が流す為に一気に書類を積む。積んでしっかり読む前に委員会開いちゃった、本会議になっちゃったという事で「アレッ?」というのが出てしまうとこれが一番まずい事。(議員提出議案ではない事がどんどん採決されている?)―後から政調からお咎めが来るかも知れないが、実際早い。秘書の時に議員立法2つ携わっていて「車庫法改正案」…軽自動車が550から660に当時変わった。「車庫法改正」の素案の時に秘書として仕えて、自民党の政調に出して法制局に出した、それが1本。2本目は「自転車駐輪法」…自転車駐輪対策で、その時仕えた片岡先生と5人の国会議員を引き連れて衆議院の職員と運輸省の職員代表で平成4年、各国外遊行かせて帰って来て始めて通った。昭和52年からずっと通らなかった法案をやってある。そういう流れを知っているので、付帯決議の付け方とか横断して各省庁をまとめるのをみているから、ちょっと早いのではないかと思う。国民の皆さんは国会議員の数…違憲問題を言われたり「国会議員が多いから減らせ」という話があって、実際480名で衆議院で委員会が開かれていて差し替えがある。自分の所属している委員会以外に、先輩議員が「どうしても用事があって他に行かなくてはいけない」とか、「どうしても他の特別委員会の採決があるから抜けないといけないから来い」と。そうすると定足数というのがある。これがきちっとずっと朝から晩までその委員会に座れていない。審議のやりとりも、これをやっていて法案のやり方はちゃんとそういう事もあってかと思う。保護法ばかりではない。先輩方は前の政権が全く止まったものを今取り返す為にネジを巻いているから目をつぶらなきゃいけない…そういう事をしてはいけないが、それ位の勢いでやり返さなければいけないというのはあるので。分かる人は分かるが自分たちは地方議員出身なので、厳しい選挙の地盤から出て来るので…待っている人はもう分かる。地元に帰ったら訪問して「反対署名をしてください」というのを待っている。納得、説得、理解を得られるのかなと、その事ばかり考える。それと消費税、5~8%になるので、審判を受けた、と衆議院で三党合意で通した。その後参議院で自民党が勝たせて頂いた、というが実際に上がってみたらそれはそれは。誰だって税金が安ければ安いに越した事はない。特に名古屋は市民税減税をやって所得が少ない人が市民税発生しなくても指示された、市長を。税金に関係無いかたにはそういう事をやったので、消費税をいじった場合は当然名古屋の中でもまたうねりが出て来る。厳しい。

●今だから言えるあの日のあの出来事

藤波先生の事務所にリクルートの江副浩正社長をお連れしなさいと言った代議士はうちの代議士だった。当時のリクルート社というのは派遣社員、要はアルバイトニュース…今のリクルートになる前の「an」の認可で色々あったのが発端。当時藤波先生が労働大臣、うちが官房副長官から環境委員長をやっていて名古屋と三重県の議員だから物凄く仲良かった。「ナミさん」「スイヘイさん」という仲だった。当然、直接言ってはまずいので水平先生が顔が広かったのでそこへ稀代の天才、東大出の江副浩正さん…(この間亡くなった)―国会議員の中にもリクルート出身のかたが多い…リクルートの江副浩正さんがみえた時に「僕が今行けないから、(当時うちは第二議員会館5階、藤波事務所が3階)階段2階降りて玄関までお連れしなさい」後は関係無いと。それが発端(リクルート事件の一番最初、1ページ目?)―だったのではないかと思う。(藤波孝生さんも亡くなってしまった)―自殺者も出た。当時SPではないが「大物の秘書の先輩に付いてまわれ」と言われた。某大物代議士の秘書さんが首を吊ったが、その無二の親友の方がみえて、可愛がって頂いていたので、派閥の秘書会で…先輩達が「侍だから付いておれ」と言われた。6時半になると「何しにお前は来るんだ」と怒られた。「家へ届けろと言われているので」と言うと「俺は勝手に帰るから構わん」と言った。(工藤議員もリクルート事件に関わっていた(笑)?)―関わっていた訳ではない(笑)。今思えば「そうだったのかな」という話。逆にリクルート社の方からみると「そんな事はない」と言われるとエライ話になっちゃう(笑)。

●質問コーナー

Q: 秘密保護法案が速やかに決まって良かったと思う。尖閣諸島の空域の問題もあるので。今後の対中国防衛に関してはどう考えるか。
A: 専門は外交ではないが、アジアの中でしっかり自民はじめ国家がリーダーシップをとっていかなくてはいけない。中国と言うのはどこでも攻めて来るしルールお構いなし…言い方は悪いが。彼らに「ルールを守って」と言う方がおかしいのであって、やはりきちっとした形で対処しなくてはいけない、これは誰でも仰ると思う。その為の中が崩れてはいけないので、まさか中国に内偵者、スパイがいるんじゃないだろうな、まさか官僚の中に…そういう事があってはいけないのでこの法案が出て来た。ルールを守って貰わなくてはいけない…ただ本当にびっくりするのは、あれだけの官邸の中でも人事の名簿が流れるという事がある。一番国家の中で機密を守らなきゃいけない処から流れたり、新聞・報道に入る。これは一体全体何ですかと、その辺も考えて頂きたい。一番前から思っていたのは閣僚の予想が書かれる…財務大臣○○内定…何で?これはどうしてか。誰が喋るか、誰が流すか。そういう事を考えるとこの法律が出来上がってもあたり前ではないかと思う。
Q:もし生まれ変わったらどういう事をしたいか。
A:二つあって、最初に言っていた夢で、子供たちとかに野球を教えてあげたというのが一つと、完全に日本を離れて他所で暮らしてみたい、転々といっぺんしてみたい。アフリカ行ってみたり、最近雑誌とかで見るが「生涯一度は見たい景色」というのがあるが、ああいうのを見た事が無いので、オーロラを見に行くとか滝を見に行くとかそういう所にいっぺん行きたいなと。学生の時もチリ紙交換ではないが肩を壊してバイトした時に足腰が強かったらからスキーをまあまあ出来たのでカナダにスキーに行きたいと金を貯めようと思っていたのが夜飲んでしまってこういう事になった。(結構飲むか?)―スミマセン(笑)。多分他の1期生に聞けば間違いなく「つかってるでしょ」といわれる(笑)。浴びている、飲む時は。最近不思議なのは残らない事。まあ早く寝ているが。ちなみにビール党だが人生で50mプール一杯分飲んでいる。ある程度になるとトイレばかりになっちゃうから残らない。Q:先ほど38度線と言っていたが、他党の人と普通に話をするか。
A:自分は関係なくしている。イデオロギー関係ないでしょ、と。前向きに国民の為に進めばそれが一番良い国会議員としての仕事なので、向こうの考え方の反対ばかりではなく、いいなと思うところは自分の考えの中に入れて、その法案の時には手を挙げないが、例えば他の自民党の部会の中では考え方を他から吸収して噛み砕いて「こういうのも良いではないか?」と発言する時がある。頭ガチガチに自民党一本ではないので色々なかたの意見を聴いて「良いものは良い」。自民党の中でもこれはアクだからアク抜きして出さないといけない時はあるので発言する。特に与野党は対立するよりも色々話し合わないと。(国対や議運で話すのか?)―先輩方に話している、平場で話す。自分の列は隣5人民主党の若手の精鋭部隊が並んでいる、政務官やった位の方々が。結構話をしている。たまに「あまり立たないでね」と言っている、トイレに行けなくなってしまうから(笑)。6人いて5人いなくなって自分一人になってしまうとテレビに映ったら歯抜けになってしまう。立つにも立てないので、「行ってもいいが帰ってきてくださいよ、民主党さんのかたは」。対極といわれるが、市会議員の時もそうだったが共産党の議員さんと仲が良かった。議会とか委員会では党としての考えをきちっと述べられるが、それ以外は工藤対佐野さんという形になる、フランクに。ただ飲み会は議員同士だと「私たちは出られません」と。後から2次回の会費制だと出て来られるので「最初からやればいいではないか」と言うと「それは出来ない、党の縛りがある」と言って。(共産党?)―固い。真面目。たまにズバッと刺されるのは身内(笑)。「この間話したからいいではないか」と言うと「正式に聞いてない」と(笑)。
Q:ネクタイ長いのはトレンドか。
A:これは家内に。ネクタイも赤にしたのは赤が好きという訳ではないが同窓会の先輩が「何処行っても目立つ様に赤じゃないとダメだぞ」と言って。赤多い。

●その他

松木けんこうさんが最初?(Ustreamでは。)―大変お世話になった。(落選されているが藤波さんの秘書だった)―可愛がってもらった。お金持ち。給料が安かったものでよくご馳走になった。図々しくごっつぁんになって、もっとひどいのが、いい車に乗っているので「デートしたいので車貸してください」と言って「信じられんなぁデートは他でして来いよ」と言って「嘘でーす」と。本当に凄いスポーツカーに乗ってみえたので。(フェラーリ?)―さすがにそれは借りなかった。日産のNSXというのに乗ってみえて、改造車だったから200キロ簡単に出る車があってそれは借りた事があった。(麻生さんは何処に食事に行くか?)―パブ。六本木五丁目かな。必ず秘書官からかかって来る時は「時間があったらお付き合いください」と。作るに決まっている(笑)。自分がビールを飲むのを知っているので「ビール飲ましてやるから」と言われて「名古屋からでも行きます」と出て行く。(麻生派は何人?)―38人。(麻生さんは)魅力ある。自分の会にも来て頂いた。当選してからずっと大きな大会をやっていなかったので10月18日に名古屋自民党の自分の地区の党員さんを集めて大会をした。人数は党員だから700人位だが、そこにわざわざ予算委員会終わった後に来てくださった。挨拶した後に乾杯してから出発まで一緒に写真撮影と、一緒に酒を注いで回ってくれた。地元の方々が「スゴイ!」と言っていた。なかなかできない、元総理が。
(工藤議員は見た目と全然違う。リスクを回避して喋らない感じ、黙っていると)―それは女房の前だけ(笑)。