市田 忠義
市田バスト3
第184回
2016年06月15日 放送

日本共産党 市田 忠義 参議院議員

共産党きっての練達の政治家、党内ではぬくもりの政治家として、そして重鎮としての風格も十二分な市田議員。

目前に迫る参議院選で、一人区に野党共闘(野党で統一候補者を立てた)を実現した立役者のお一人です。

「市田さんが必要だ!」という多くの声に押され、今回も選挙に出馬することを決意しました。

舛添都知事の製造者責任問題から、戦争法廃止について、そして今だから言えるあの日のあの出来事のコーナーでは、NHK日曜討論でかつての自由党だった藤井裕久氏との、党を超えた人と人としてのホッとするやり取りを回想してくださいました。

最近フェイスブックにはまっているという市田議員。

「夜学び昼は勤めて得しお金 肉など買えと送りて呉れぬ」

8人の子供を産み育て、4人の命を戦争により奪われた市田議員のお母様が、

夜間に通い学びながら昼はしゃにむに働いていた、市田議員のかつての様子を句にしたものです。

(動画より文字おこし)

日本共産党 参議院議員 3期目 全国区(2016年6月10日収録時点)

[これを見ている方は日曜討論かと思ってしまいますよね。(笑)] ― (笑) いえいえ、お呼び頂き有難うございます。[吉良よし子さんからのご紹介で。吉良さんからは私の顔を立てて出て頂けるということで、くれぐれもよろしくお願いしますとのことで] ― 娘のような年なので、あの人に頼まれると断れません。(笑) 過去の出演者を見るとね、僕がどうも最高齢みたいですね。[そうですね。最近若い方がずっと続いておりまして、第174回目からこの番組の共産党政権が始まりまして。ずっと30代、40代という感じで] ― たまに年寄りもいいだろうと。(笑) [これから聞いていこうと思うんですが、超党派の立役者だと私は感じているんですけどね。この方がいないと野党共闘もきっとなかったかなと。やはり市田さんだったのだろうなという感じがしています] ― いえいえ。(笑) [共産党ではぬくもりの政治家と言われていらして。そして阪神タイガースの大ファンなんでね] ― 熱狂的ですね。阪神が勝った日はスポーツニュースを5回ぐらい見ますね。[じゃあ、デイリースポーツをいつも買ってらっしゃる?] ― いろいろ。(笑) 大阪にいる時はスポーツ新聞を5誌ぐらい買って、一般紙もスポース欄から見る。(笑) [どなたのファンなんですか?] ― 特に誰ということはないですけどね、皆さんが名前を知らない、藤村とか別当の時からの阪神ファンですから。掛布くらいなると若い人もわかりますけど。(笑) 今年は高山を期待しております。[今日はテレビを見ると舛添都知事、辞任の話し一色ですね。今日は参議院選の話も、もちろん出ると思うんですが、都知事選になっちゃいますね] ― 候補者選びをそろそろ。[テッパンの方がいらっしゃるんじゃないんですか?] ― いやいや、せっかくね、国政選挙で野党共闘と市民のみなさんとの共闘が出来ましたから、知事選挙の候補者選びも四野党とプラス市民、国民の連合で押せるような人を是非探して。[みなさん、聞きましたか?!これはかなり大きいことですよ。今までのように共産党ということで都知事選に出たら、美濃部都政より革新がないというような事態には今回は踏ませないぞと] ― 時代が変わってきましたしね。昨年、一昨年の安保法制反対の戦いで市民革命的な運動が起こりましたよね。誰から別に動員された訳でもなく自発的に立ち上る、そういう主権者ひとりひとりが自分の言葉で政治に参画したい、そういう流れが出来た訳です。舛添さん辞めたのは当然だけど、往生際が悪かったですよね。それとね、辞めたら済むという話ではないと思うんですよね。[真実はどうだったんでしょうね] ― それをきちんと解明することが大切で。やましいことが無かったら、誰か名前が出るはずですよね。[最初から家族と行ったと言った方が良かったんですよね。二期、二人の都知事がお金のことで辞めているわけですよ。次は政治資金系に強い党がイニシアチブを取るというのが都民の代弁をされているということになりますよね] ― お金に清潔な人をと望んでらっしゃるでしょうね。[私なりの解釈で勝手なことを市田さんに言ってもしょうがないんですけど、聞いて頂きたいんですけど、舛添さんは1999年の都知事選に出た時はまだ国際政治評論家として活動家だったと思うんですね。その後自民党に入られて参議院選に当選されて、そこからマイホームパパになってしまったんですよ。活動家からマイホームパパになってしまった。そうすると、妻の立ち位置が変わる訳ですよ。奥さまが教え子で舛添さんの言うことを聞いて尊敬されていた。今は舛添さんは夢を全部達成した。そして子供も授かってくれた。奥さんのために何かしなくちゃいけない。奥さんがホテル三日月に連れて行けと要求する、それを断れなくなったのが腐敗の第一歩かな。やはり妻じゃないかなと私、真剣に思っているんですけどね] ― 妻の責任ですか?[申し訳ないですけど、妻との関係が都政に出てしまったのが、今の結果だと。怖いですね、女はね。みんな頷いていますね] ― 過去の政治の金の話と比べると、なんていうのかね、せこい、ちょっと細かすぎるんですね。[猪瀬さんの方がダイナミックでしたよね] ― ダイナミックだからどうこう言うわけじゃないですけどね、あれだけの大事な東京都の都政を預かっていながら、週に一回公用車で湯河原の別荘へね。その時に大きな事件とか起こったらどうするのかね。危機管理がなってないし。[昔の後藤新平の時代だったら、わからなかった話が今は情報化社会ですからね、直ぐにね。市田さんが今日何を食べたかというのもわかってしまう、ということです。怖いですよね。政治とお金の問題なんですけど、共産党としては政党助成金をもらっていないというのは有名な話なんですけれど、文書通信交通滞在費というのはどうされているんですか?] ― それは当然もらっていますね。個人じゃなくて、ちゃんと議員団でプールして使うということにしています。うちの党はもともと、ワイロ性を帯びている企業、団体の献金は受け取らない。だいたい、企業が見返りを期待しないでお金を渡すことはない訳ですよ。これを出せば自分らの企業に有利な政治をやってくれるだろうと。そう思わなかったら出さないですよね。そういうワイロ性を帯びた企業献金、団体献金はけ取らない。そして政党助成金も国民の貴重な税金ですからね。その政党助成金で自分の党の運営をやるようになったら、共産党が共産党でなくなる。財政的にも自立して国民に依拠して、自前の財政で頑張ることが、ぶれないで頑張れるひとつの土台、立脚点になると思っています。[どっから見ても、共産党の文書交通費は大丈夫だと。もう、どうだという感じで] ― どっから言われても大丈夫です。[この情報化社会の中でどっから見ても誰が見ても大丈夫だと。安心してください。(カメラに向かって微笑む)]

 

●幸せ度数年表

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[市田さんのお顔はテレビ等々で有名な方ですから良くおわかりだと思いますけど、どんな生い立ちを辿ってかを振り返ってみたいなという風に思います。1942年12月生まれ。この番組、今のところ最年長です。大阪生まれということで。大阪大空襲に会われたのですね] ― 昭和でいうと17年ですよね。太平洋戦争が始まったのがその前の年、真珠湾攻撃が昭和16年の12月8日ですから。その一年後に生まれているんですね。生まれた時はやっぱりこの世に生を受けのですから嬉しかったわけです。大阪大空襲の第一回目が1945年3月ですね。縫製工場を親父はやっていたんですけど、空襲にあってどん底、ゼロパーセントに。[お家は焼けてしまったんですね] ― そうですね。[そして八日市高校へ] ― これは滋賀県立八日市高校ですね。1958年に入学して1961年に卒業ということですね。このころは100パーセントで、いい恩師に巡り合って。教師たちが大変リベラルで。その時に私が政治や社会に関心を持つきっかけを作ってくれたのが、この時代の教師達。今も年に三、四回は食事を共にしています。[この時に共産党に入られたんですか?] ― いえ、まだ。そこまでの関心は持っていませんでした。ちょうど60年安保が僕が高校の二年生の時なんですよ。正義感が強くて曲がったことは嫌いというのはありましたが、政党に入るとかね、運動をやるとかゆうことはなかったですね。[そして、もう18歳にして働いたという] ― 高校を卒業して、家がなかなか貧困で。父親が10歳の時に死んでいますから。[病気で亡くなったんですか?] ― そうです。ですから、高校を卒業してすぐ大阪の繊維商社に。本町の二丁目、昔の船場界隈ですね。あの辺の繊維会社です。[この本によると、これはお母様の俳句の本なのですけど、女手ひとつで、何人のお子様を育てられたんですか?] ― 兄弟全部で8人なんですけど、戦争で四人が、肺結核や栄養失調で死んでいるんですね。まあ、戦争と関わってね。それこそ、いい薬も無いし、食事もまともな物は食べられないしね。一番上の姉は戦争が終わった直後、18歳で肺結核で死にましたし、二番目の姉は13歳かな。あと半年で戦争が終わるという時に肺結核で。みんなそうです。栄養失調か肺結核で死んだの。母はとても苦労しましたね。[市田さんを育てられるのに住み込みの用務員さんをやられて] ― 幼稚園の用務員ですね。母は大変苦労しましたね。それで繊維商社に入ったんだけど、飽き足らなくて2年間で辞めましたけど。[厳しかったんですか?] ― ていうかねえ、学校の先生になりたかったんですよ。高校時代の教師が自分の人生観、社会観を確立する上で、非常に示唆を与えてくれたので、学校の教員になりたいなと。そのためには大学に行かなきゃだめだと、それでお金が無いと。一番学費が安くて学べるとこがどこか調べたら、京都の立命館大学の二部が当時は一番安かったんですよ。繊維商社は辞めて、昼間は龍谷大学の図書館で司書の仕事をしながら、立命館大学で勉強して。この時に共産党に入党しています。[龍谷大学といえば、当時フォーククルセダースとか加藤和彦さんがいた時ですよね。あまりご存じないですか?イムジン河とかね、そういうカルチャーが出た所の発祥地ですから。そこで図書館に勤務されていた] ― 西本願寺系の大学ですよね。高校でいうと平安高校とかね、兄弟校ですね。龍谷大学の付属高校が平安高校ですね。野球の強いところです。[そういう野球とかやっている場合じゃなかったですよね] ― 高校二年生まで野球部ですよ。甲子園を目指していたんです。途中で家庭の事情もあって、お金が続かなくなってね。(笑) [食べるだけで精一杯ですよね。グローブを買うとかね] ― 買えない、買えない。ユニフォームも買えない。それから、遠征費用ね。あの時は自腹なんですよ。公立高校なんかはね。私学と違って別の後援会があるわけじゃないし。それでもって、やむなく辞めて、二年で野球は断念しました。[とにかく本がお好きなんですよね] ― まあ、好きですね。[聞くところによるとご自宅にもかなりの本がありまして、それを全部司書並に分けているという] ― これは趣味と実益をかねてね。図書館で司書をやっていたから、日本十進分類法、NDCというんですけど、それで本の分類をしてラベルを貼る訳ですよ。番号順に本を並べるとジャンル別に本が並ぶ訳ですよ。最初が哲学、歴史がきて地理がきて、社会科学がきて、自然科学がきて、文学がくるとか、自然に並びますから。[こういう本のところにラベルを貼るわけですね] ― これだったら、文学の所の日本の俳句という所に並ぶ訳ですよね。[膨大な書庫ですね] ― それほどじゃないですけどね。(笑) 30冊50冊ぐらいの蔵書だったら、そういうことをやってもあんまり意味がないんですけど、千冊以上ある人だとそういう風に並べると本を探す時に便利ですよね。[すみません、自分がこの間出した本を持って来ました。是非これを市田記念図書館に。(「あきれた、ふざけた、地方議員にだまされるな」佐野美和著を市田議員に)] ― (会場から笑いが起こる) 有難うございます。これだったら地方政治に分類しますね。地方自治とか地方政治とか。そこにパッと並べておきます。[すみません。貰って頂いて光栄です] ― (笑) いえいえ。大学を卒業した後も図書館でずっと仕事をしようと思った訳ですよ。その当時、すでに共産党に入っていましたから、共産党の幹部から共産党の専従職員になってくれないかと。要するに24時間、共産党の仕事をする、寝ても覚めても共産党の活動をする、それが1971年ですね。[この市田先生のお母様の本によるとなんですけど、お母様が、忠義、赤だけにはなるなよと、言ったお母様なんですよね。でも、お母様自身が80歳で入党されたと] ― 明治36年、1903年生まれですから、戦前の教育を受けているから、どんなに悪いことをしてもいいけれど、赤だけにはなるなというのが親の教えでしたね。[それが書記局長にまで出世されて。当時のお母様の心境としてはどうだったんでしょう] ― 赤だけにはなるなと言いながら、自分のお腹を痛めた子を4人も戦争で亡くしたという、やっぱり物凄く辛かったと思うんですよね。そういう時にあの戦争さえなかったらという思いが物凄くあったんですよね。それまで母は知らなかったけど、あの戦前の暗黒の時代に命がけで侵略戦争反対の旗を掲げた政党があったと。そういうことを知ってね、自分と同じような人生を後の人が歩まなくて済むようにという思いがあったんでしょうかね。それとまあ、息子がやっていることに間違いはないだろうという信頼感もあって。[さすがお母さんですね] ― いやいや、それほどでもないですけど、80歳で入党してくれましたね。89歳で誕生日の直前に亡くなったんですけども。立派な人生だったと思います。[お母様と議論を戦わせたりすることはなかった訳ですよね] ― 何もお前が先頭に立たなくていいじゃないか、とかね。実家が滋賀県で田舎でしたから、息子さんどこにお勤めですかと聞かれて、大学の図書館で仕事をしておりますというのが、ある意味で誇りだったんです。ところが共産党の専従になったでしょ。共産党の専従ってどんな仕事かわからなかったでしょうね。政党というと地方議員、国会議員というイメージがある中で政党の職員っていったい何をしてるのかという。他の政党はそんなに職員はいない訳ですよ。支部があり、地方組織があるのは共産党ぐらいですから。政務以外にいっぱい党務がある訳ね。忙しい仕事がいっぱいあったんですけど、イメージがなかなかわき難くてね。忠義、何やっているんだろうと。 政党の専従職員をやっていますと世間の人はわかり難かったでしょうね。[今となっては情報化社会ですから、何となく党というのはこんなことをしているというのはわかるでしょかね] ― ただね、母はね、決意してやる以上は、宮本顕治か不破哲三のようになれということを言ってましたね。(笑) [なったじゃないですか!不破書記局長の次は市田さんでしょう?] ― いえいえ、不破さんの次は金子書記局長、志位書記局長で私。だいぶ違います。(笑) [お母さんの言う通りになりました] ― 伏見の地区委員長をやっていて、30歳から39歳までやったんですね。それから京都全体の責任者をやれということになって、京都府委員長になったのが98年ですね。[京都は昔から共産党が強い地域ですからね] ― まあ伝統のある所で。[アウエー感はないですよね] ― 共産党が強かっただけに自民党も強かったです。自共がガシッとぶつかり合う所でしたからね。それだけに激しい戦いがありました。[伊吹さんと結構やりあったりとか?] ― もうちょっと前だと野中さん。[野中さん、最近、復党されて。お顔がずいぶん変わっちゃってびっくりしました] ― あの人は自民党だけども、戦争体験者だから、戦争とか歴史認識問題では我々と共通するところがあってね。保守の中でも守らなければならない大事な点は守っている人ですよね。後で話になるかもしれませんけど、保守は保守なりに憲法の枠の中で政治をやらなければならないというのがあったのが、今の安倍政権はウルトラ右翼というかね。ちょっと枠をはみ出してますよね。そういう危険性が安倍さんにはありますよね。[官邸としても、野中さんをまた復党させて] ― その辺の思惑は自民党に聞いてみないとわかりません。[この番組でもよく言うんですが、伊吹さんなんかはね、派閥というのは座布団座り方、位置を決めるものだとよく言うんですけど、共産党というのはそういう教えはあるんですか?もちろん派閥というのはないんですけど、どんな教えをされているんですか?] ― 我々は綱領規約を認めて皆入って来る、その枠さえ守れば、自由闊達に大いに個性を生かしてがんばろうじゃないかと。ただ、特定のグループを作るとかね、そういうことは共産党の場合ありません。[そんなことしたら、すごく弾圧されるんでしょね。恐ろしいですね] ― (会場から笑い声) 弾圧というか、そういうことをやろうという人がないですね。それは同世代の者が集まって食事したり話をしたり、そんなの弾圧されたことは一度もありません。それで弾圧されるんだったら、とうに共産党を辞めていますよ。(笑) 共産党ってわりにね、みんなが思っておられるのと違って綱領と規約という大枠を認めたら、あとは大いにフランクに自由に、趣味もそれぞれだし、考え方もそれぞれだし、話し方も演説の仕方もそれぞれだし、認め合っていこうと。結構フランクで自由な関係です。それはもう大丈夫です。(笑) [そして、参議院選に初出馬ということですね] ― 京都府委員長をやった後に56歳のときに、今度は共産党の本部で仕事をしろということになって、東京に移ったんです。まさか議員になれと言われると思っていなかったんですけど、党本部勤務になった三日後ぐらいかな、志位さんに「ちょっと来てくれないか」と呼ばれて、何かな、これからの本部での仕事の話かなと思ったんですけど、「来年、参議院選挙があるので、君、出てくれないか」と言われて。僕は人前でしゃべったりするのが物凄く苦手で、あがり症だったんです。[本当ですか?!] ― 本当です。誰も信じないけど。(笑) 本当にそうだったんです。他のことだったら何でもやるけども、国会議員だけはもうお断りだと。というのでかなり断りました。どれぐらい考えたかな。一週間か10日ぐらいはお返事しませんでしたね。しかしね、あまり自分の意志だけで判断するんじゃなくて、みんながお前が必要だと言われたら、それに従うのが謙虚で、無理だというのは傲慢な態度かなと思って。党がそれを求め、情勢がそれを求めたら、その道を生きていこうと。いろんなタイプの議員があってもいいじゃないかとその時そう思ったんですね。[今となっては本当にいろいろな方がいらっしゃるんですけど、当時はステレオタイプと言っては失礼ですけど、決まったタイプの人がいる、どこを切っても共産党、いい意味でも悪い意味でも] ― 弁護士さんもいるし、お医者さんもいるし、労働者出身もいるし、学歴も様々でしたから。自分で強みだなと思ったのは、地方党組織の経験を長いことしてきているというのは一つの強みで、伏見地区委員長をやったり、京都府委員長をやって本部に来たと。そういう世間一般で言うたたき上げ、そういう人がいても面白いんじゃないかと思ったんです。いろいろ理論、政策に強い議員がいてもいいし、医療については、小池明さんはお医者さん出身ですよね。医療についてはもの凄い専門家ですよ。弁護士出身の参議院の仁比君なんかは法律に極めて詳しいですよね。それぞれも得手を持っている。同時に私のように地方の党活動で苦労してきた人間も一人ぐらい国会議員にいても、それはそれで議員団の団結とかいう点では面白いんじゃないかと、いう風に思ったのと、大学の図書館で仕事をしていて労働組合を作ったこともあるから、労働運動の経験もある。そういう問題を国会でぶつけるという点なんかもね。僕、最初当選してすぐは社会労働政策委員会、今の厚生労働委員会ですけども、労働問題をぶつけるにも理屈からいくんじゃなくて、自分の体験から語るという点では、むしろ自分の経歴が生きたはず。だからいろんな人がいていいなあと思って。なんとなく国会議員というとね、すべてに完璧で優れた人というイメージが私の中にあったのだけれど、やっぱりいろんな議員がいていいんじゃないかと思った時に私でも役立つなと思ってなったのが56歳。遅咲きなんですよ。[1998年ということですか。橋本政権の時ですかね。自民党が惨敗した時] ― そうですかね。それで二年後かな、国会議員になって二年後に党大会で志位さんのあとの書記局長になったんです。[これは大出世ですね。スピード出世ですね] ― 出世ということではないんだけれども。(笑) [やはり押し出しがいいんでしょうかね。今までの共産党に無いものを持っていた?] ― いやいや、共産党らしいところを持っていた。(笑) [党内でもいろいろあるんでしょうね。そして3期務められたということですね] ― ここがこうなっているでしょ。(幸せ度数年表の大きな落ち込みの線を指さす) [みなさん、ここは何だと思われますか?私、ちょっとはわかりますよ] ― この時はね、頑張っても、頑張ってもなかなか東京都の議席が伸びなかったんです。[え、そういうことだったんですか?私は病気になられたお話しかと思いました] ― 病気もあったけどね、病気は手術して。[大病をされたんですよね。大腸がんの手術をされて] ― もう手術をして15年経ちますから。[ちょっと聞いていいですか?まだタバコを吸っているんですか?] ― 僕はタバコはその時から吸っていない。[え、市田さんってネットで引くと愛煙家とか] ― (笑) あれはガセネタなんですよ。[ひどいガセネタですね。パカパカやっているのかと思って] ― こっちの方は欠かさずやっていますけど。(笑) (盃を口に運ぶ仕草) タバコは一本も飲みません。[えー、ネットの情報を直した方がいいですよ] ― あれは全く違うんです。[検診で見つけられたんですか?] ― そうです。書記局長になる前に、念のために体調が大丈夫かね。[要職に就く前は検診をされるんですね] ― その時は大丈夫だったんですよ。書記局長になって一年後に検診したら大腸がんが見つかって。かなり進行していましてね。[一年でそんなに進行するんですか] ― 出来た部位がそう悪いところじゃない、S字状結腸癌で。[私も検診で引っかかって、グーグルとか見ると市田さんの名前が出るわけですよ。市田さんが頑張っているんだから、私も頑張ろうと奮い立ちましたよ] ― あれは後遺症が大変なんです。こういう番組で言うのがいいのかわからないですけど。[結構、ゆるくなってしまう?] ― そうそう、排便コントロールが難しいですよ。僕、書記局長になったら、テレビ討論があるでしょ。NHKなんかだと、コマーシャルがないじゃないですか。そういう時にもよおすとたまらんでしょ。辛抱できなくなって、生番組の時に席を立ってトイレに行ったんですよ。その時、うまくカメラがパッと外してくれたんですよ。席に戻って来たら隣に座っていたのが当時、自由党の幹事長の藤井裕久さん。マイクを抑えながらね、今こういう議論がされていて、そろそろ君が当たるよ。と教えてくれたんです。[野党共闘の前身の話しですね] ― 僕はあの人のご恩は一生忘れないですね。本人はあまり覚えておられないんですよ。それで助かったんです。[芯から出た優しさ、親切ですね] ― あの人、東大の野球部のキャッチャーでね、僕は八日市高校の野球部のキャッチャーでね、お互いにキャッチャー同士で仲が良かったというのもあるんです。投手ではなかったんです。保守だったんです。(笑) NHKはコマーシャルがないから困ったんです。その日の朝、報道2001なんです。これはコマーシャルがあったから、コマーシャルの時間に走ったんです。NHKが終わったあとサンデープロジェクトで、三連チャン。三つとも大変だったんですよ。[そういう後遺症は大変なものなんですね] ― だいぶましになりましたけどね。このどん底は大腸がんじゃないんです。ちょうど僕が書記局長になってから、2000年の11月になった訳ですけれど、二大政党、自民か民主かどちらかを選べ、二大政党選択論をマスコミあげて大キャンペーンをやられたんです。直ぐに政権の座に付けない政党に入れても意味がないよというキャンペーンがやられた訳なんですね。正論をはいていても、共産党支持者でも自民党政権を倒そうと思ったら野党で一番大きい民主党に入れようかと。うちの支持者で民主党政権が出来た時は12パーセントの人が民主党に入れたんです。僕ら別に恨みは持っていないんです。少しでも政治を変えようという前向きの審判を下した訳だから。でも要するにその時は、頑張っても、頑張っても議席増に結びつかない大変な時だったんです。だから、志位、市田辞めろと。責任を取れというのは、党内外からメール、電話、手紙が。[クレーム対応というのはどうやってされたんですか?] ― それはね、いちいち答えてられないから。何百通どころじゃなく、大量に来ますからね。あまり返事はしませんね。電話が来たら頑張りますということは言いますけどね。辞めるという責任の取り方じゃなくて、選挙に負けた経験を生かして次にどう生かすかを指し示すことが敗北の責任を取ることだと。辞めて済むというのは返って無責任だという立場で、お互いに切磋琢磨しながら委員長とも協力しあいながら、頑張って来た。その時に思ったのは、真理は必ず多数派になる、一時的にそれが日の目を見なくても、やっぱり道理に立つ主張はやがて多くの国民の心を捉えるという確信は失わなかったですね。だから、苦節十数年、ようやく新しい躍進を始めたのが今から3年前の参議院選挙なんです。その時に6名から11名になったんです。2014年の12月の総選挙で8名から21名に躍進して、新たな躍進が始まった。僕は書記局長時代、選挙勝利の記者会見をやったことがなかったんです。辞めたとたんに躍進し始めました。(会場から笑い声) しかしそれはね、この長い困難の時期の苦労が今、花開いているんじゃないかなという気持ちはあります。なんでここは100パーセントかというと(幸せ度数年表のグラフを指さして) この苦節十数年を経てここがあるという。ここがさらに上にいくように頑張るのが僕の任務だなあと。[これだけ若い人が入って来たというのもありますし、こんな人もいるの、あんな人もいるのという感じですよね] ― だいぶん、若い人が育ってきて嬉しいですね。それはもう本当に。私の息子や娘よりも年下の議員が、これまでこの「みわちゃんねる」出た人もそういう人ばっかりです。[共産党で30歳代ですものね。びっくりしちゃいますよね] ― 私の娘が43歳ですからね、それよりも下の人ばっかり。しかもね、みんな能力があってね、自分のポリシーを持っていて、その得手を生かして堂々とした質問をしますね。頼もしいですね。[今、お嬢さんの話が出ましたけど、こちらが市田さんが書かれたエッセーなんです。孫のみおちゃんの話が出ていましたね。美しい桜とかいてみおちゃん、いい名前ですね。もう大きくなられたんじゃないですか?] ― もう美桜は小学校6年生ですね。[まだおじいちゃん大好きですか?まだ反抗期は来ていませんか?] ― ああ、大丈夫です。(笑) 娘の方の孫が8月が来たら1歳ですから、本当に可愛い。この間京都の演説会に行ってしゃべりだしたら、「ジイジ!」という声がして、一瞬動揺して困りましたけれども。(笑) [そういういい話はいいですよね。舛添さんみたいに、家族の話が出るとなんかドロドロして、なんか違うんですよね。公私をちゃんと分けられている方のお話は違いますよね]

 

●最近の政治トピックス

 

[いよいよ参議院選挙ですよね] ― 一週間後に公示ということで、早いです。あっという間ですね。これまでの参議院選挙も重要だったけど、今度の参議院選挙はこれまでの選挙とまた違う、天下分け目の戦いになるかなと思っているんですよ。[それはどうしてですか?] ― 去年、憲法違反の安保法制が強行されましたよね。それに反対してね、主権者ひとりひとりが、ああゆう憲法違反は許さない、憲法を壊して、民主主義を壊すような独裁政治の道を開くような流れに立ち上る、自主的な市民運動、我々は革命的運動と呼んでいるんだけど、これが沸き起こりましたよね。そういう意味では歴史の奔流と逆流が真正面からぶつかり合う、そういう選挙だと思うんですよね。憲法の平和主義を守るのか、あるいは民主主義、立憲主義と言って、憲法の枠の中で政治をやるのか、それとも独裁政治の道を行くのか、とれを問われている歴史の分かれ目じゃないかなと思います。[そのためにも野党共闘が必要だと] ― そうですね、あれこれいろんな点で意見が違っても、憲法の平和主義や民主主義、立憲主義はあれこれの政策と次元が違う、国のあり方の土台ですよね。民主主義の土台が壊されているわけで、それを再建しようと思ったらね、野党間で意見が違っても、この点は団結して頑張ろうじゃないかと。国会周辺を取り巻いたデモ隊の人たちが声を大にして言ったのは、野党は共闘をと。安保法制反対だけじゃなかったんですよ。今こそ野党が共闘して手を繋いでくれと。共産党自身もね、その声に応えられなかったら、野党としての責任を果たせないと。[でも、何十年も応えなかったじゃないですか] ― それはね、基本政策で違いがある政党と一緒にやるのは野合のそしりは免れないと思うんですよ。今度はね、憲法の枠組みそのものを壊すと。俺が立法府の長だと、あれ安倍さん言い間違えだと言うけど、本音が出たと思うんだけど。行政府の長なのに、憲法の上に個人を置く、個人の上に国家を置くというのは安倍政治の特徴だと思うんです。これはやっぱりダメしゃないのという点ではね、民進党さんも生活の党も社民党さんも、共産党も、多くの無党派の市民の方も、あれこれで意見が違ってもね、その点では一致するんだから、共産党としては清水の舞台から飛び降りる思いで大決断をして、安保法制反対の国民連合を作ろうと。そのために一人区では全部、共闘しようじゃないかと呼びかけたんです。[本当に共産党としては英断ですね] ― その結果どうなったかというと、参議院で一人区が32あるんですね。32ある一人区のすべてで野党統一候補が出来た。[私はずっとインタビューを共産党にさせて頂いて、どなたか立役者かと伺うと、必ず上層部ということで終わっていたんですが、間違いないですね。市田忠義さんですね] ― いえいえ、これは率直に言うと、なぜこういう野党共闘が実現できたかというと、立役者は市民のみなさんだと思います。国民世論、市民のみなさんの声が、野党よ結束せよと。憲法が壊されている、日本が再び戦争をする国になる、そんな国になっていいのかという危機感。日本の政治が非常事態だと。その時やっぱり、野党結束してくれという市民の声に我々背中を押された。同時に共産党がね、安保法制が強行されたその日に間髪入れずに戦争法を廃止する連合政権を作ろうじゃないかと。思い切った選挙協力をやろうと提唱したことももちろんね、共闘に貢献したことは間違いないですけれど、一番大きかったのは市民運動に背中を押された。これは誰彼の成果じゃなくて、共産党で言えば、集団でみんなで検討してこういう方向に行こうじゃないかと。[一般的に見れば、野党共闘して欲しいけど、自民党を倒すためには。でも共産党さんがというのがどこの党にもあったと思うんですが、それを転換されたとうのは共産党94年の歴史の中で大変なことですよね] ― 党の歴史の中で初めてです。こういうことはね。それは機が熟した、みんなから受け入れられた。それとね、総選挙と参議院選挙で直近で躍進したでしょ。そういう党が言うことだからとマスメディアも取り上げるようになったし。他の野党も共産党の主張が無視できないという政治状況が作られたというのは背景にあったでしょうね。

決断した一番の責任者は志位和夫委員長ですから。党首である委員長が党首力を発揮されたんですよ。それを周りが支えて。いろんな役割があるから。国対委員長の穀田君は長い間の国会対策委員長のキャリアを生かして、他党との水面下の交渉をやる。私も長い間書記局長をやっていたから、他党との人脈はそれなりにありますよね。そういうところでやると。山下さんは新しく書記局長になって枝野さんと非常にいい関係だったし、小池さん新たに書記局長になったけど、あの人は論戦力ではピカイチの人だから他党からも信頼されている。そういう関係で、なかなかね、民進党や社民党、生活の党さんとなんていうのかな、政策と同時に気持ちの上でも気心が知れてね。(笑) [なかなか地方議会では考えられない。それがあるからこそ、他党との付き合いが等々があるからこそ、市田忠義さんはまた選挙に出馬される] ― それも一つの要素でしょうね。いったんはね、もう年が年だし、もう一期やると80歳になる。もうそれは無理だというので、私自身も党の指導部も去年の3月に勇退が決まっていたんですよ。しかし戦争法が強行されて、立憲主義が壊されるという、ある意味では日本の政治の非常事態と。こういう時に年がいったから勇退と言ってないで、若い議員はたくさんいるけれど、若い人と中堅と、一定の年齢で年は食っているけれども経験がある者とが、老壮青が団結してこそ力が発揮できるだろうと。ということで、再度立候補しろと言われて。(笑) もう一期やると80になるというのは言わないでおこうと思って。なんとなく年寄り臭く聞こえるから。こう言おうと思っているんです。党が94周年でしょ。今度当選するとね、党創立100周年を現役の国会議員で迎えられるんですよ。これほど光栄ある任務は。[今の発言、舛添さんがオリンピックのこと言うのと似てると思って(笑) ] ― そんなあ。似てないよ。(笑) [ちょっと彷彿とさせるような。(笑) 違いますよね] ― 日本で一番老舗の党の100周年の時にね、もちろん一般党員として迎えるのも、議員として迎えるのも同じだけど、いったん議員の道を選んでやってきた人間が100周年を丁々発止、総理大臣とやりとりしながら迎えるというのはね、なかなかやろうと思ってもやれない任務でね、本当に光栄ある任務だと。[総理と丁々発止できる方が減ったじゃないですか。こういう方がいないと困りますよね。でも、妻に相談したら「あなたが決めることよ」という風に言われたんですよね。(笑) ] ― よく知ってるね!(笑) 率直に言って、今期で辞めるから老後のことを考えていたんです。ふたりで。今の東京のマンションを売って。[東京にマンションがあるんですか?] ― いや、安いマンションなんですけれど。ちょうどオリンピックブームでそういう所に建ってるもんやから、そう言ってしまうとわかるけど。(笑) 江東区の豊洲にあるんです。だいぶん値段が上がっているから、今売れば買った時より高く売れるというので、将来は娘の近くに小さいマンションでも買って、出身地の京都で老後を過ごそうかなと微かに思っていたんですよ。それだけに妻がどういうのかなというのがあって。志位さんから言われたその日かな、せっかくの要請だから受けようと思うけど、どう思うかと。それは夫婦であっても別人格なんだから、自分の人生は自分で決める、あなたが考えることだからと。そう言われましたね。全面的に支えるとも、知らん、勝手にやりなさいとも言わなかったね。[さすが熟年夫婦、冷えた感じがいいですよね] ― (笑) 大歓迎とも反対とも言わなかったですね。しかしまあ、自分で決めることだと言ったことは、決断したら支えるよということでしょうね。京都生活は諦めましたね。だから終の棲家は今の江東区でしょうね。[共産党の国会議員の、しかも元書記局長からマンションの値上がりの話を、ドキドキしたんですけど。清廉潔白だから言える話ですよね。これがどっかの見返りで借りたとか貰ったとかの資産だったら、言えない話ですからね] ― (笑) あそこは埋め立て地ですから、液状化現象が起こる所だから安いマンションなんですよ。[そうですか?(笑)] ― 豊洲に住んでいる人には悪いけど。(笑) あの辺はそういう所なんです。[そういうことで選挙ですよね] ― それでね、今度の選挙は戦争か平和か、独裁か民主主義かで大事な選挙だと思うんですね。同時にね、安倍さんがね、今度の選挙はアベノミクス選挙だということをおっしゃっていますよね。これは前回の総選挙も前の参議院選挙も、アベノミクス選挙だと。そう言って選挙が終わったら何をやったかというと、選挙が終わったら、秘密保護法を制定した訳ですよ。総選挙が終わったら、選挙の時には公約しなかった安保法制を数の力で強行した。今度は選挙で多数を得たら、解釈改憲だけじゃなくて、憲法の条文を変えると。9条2項を変えて国防軍になってね、海外での武力行使を無制限にやれるようにしようと。それと、緊急事態だと政府が判断したら、国会にかけないで勝手に内閣の判断で法律が作れる、基本的人権も制約できると、それが狙いなんですけど、それを言っちゃうと選挙に勝てないから、アベノミクスの是非を問うんだという言い方で言わば、争点をごまかしてそれで数の力で勝てばやろうというのが魂胆なんですね。同時にアベノミクスも大事な争点で是非を今度は問われると思うんですけどね、アベノミクスの失敗は誰の目にも明らかになったんじゃないかと思うんですよね。[第一の矢は良かったとおもうんですけどね] ― いや、3つとも私はだめだったと思っています。一番のアベノミクスの特徴はね、こういう考え方なんです。大企業が世界で一番活躍しやすい国にするというのが基本的な考え方なんです。トリクルダウン理論と言って、要するに大企業が儲かったらやがて滴がしたたり落ちてきて、庶民も中小企業も農村も潤うと。だから大企業を応援するのは大企業のためじゃないんだと。やがては庶民も潤うから喜ばなければだめだと。パイを大きくしないとダメなんだと。結果はどうなったかというとね、大企業は史上最高の利益なんですよ。ため込み利益、内部留保は確かね、初めて300兆円を超えたんですね。ところが勤労者の実質賃金は5年連続マイナスですね。年収400万円ぐらいの人だと20万円ぐらいの目減りですよね。日本経済の6割を占めるのが家計消費なんですよ。この家計消費が消費税を8パーセントに上げたことによって、2年連続マイナスですね。増税前と比べると8パーセント落ち込んでいるんですよ。これが日本の景気を悪化させたのは明白でね、私はアベノミクスも消費税の大増税路線も破たんしたなと。この道から脱却してね、税金の集め方、使い方、人間の働き方変えて行くチェンジが必要だと思います。[市田さんの前で言う話ではないかもしれないんですけど、日本人は本当にお金を使わなくなりましたものね] ― 使わなくなったというより、懐が冷え込んでるんですよ。それで将来の不安があるからね。収入が少ないのに将来のために出来るだけ節約して貯金しようかなというような。しかし、貯金している人なんて今、世帯数で言えば三分の一ぐらいじゃないですか。今度の参議院選挙は天下分け目の選挙で、憲法を守るのか壊すのか、アベノミクスの是非も問われていると。だから、アベノミクスから脱却をして、国民の懐を暖める政策に転換する必要があると。税金は負担能力に応じて取ると。むちゃくちゃ儲かっている富裕層とかね、大企業に応分の負担をしてもらうと。オスプレイを買うお金、F35を買うお金があったら、何よりも社会保障や教育や子育てにお金を使えと、そういう政治に転換していく選挙にしたいと、そう思っています。

 

●今だから言えるあの日のあの出来事

 

[今メディア選挙ですから、二年前に舛添都知事の候補者の応援に行って安倍さんが、自民党一丸となって応援しますというのをループで流したらもう、自民党は落選でしょうね] ― 舛添問題であまり人が言わない大事なところは製造者責任なんです。要するに舛添さんを誰が押したかと。確かに舛添さんは悪いんだけど、あの人を押した自民党、公明党の責任ね。あの人たちようやく気付いて不信任案を一緒に出すという立場に立ったのは良かった。そうさせたのは都民の声、世論だったと思うんですね。でも、一言ね、あの人を推した責任は私たちにもありますと、自民党さんや公明党さんからあって然るべきじゃないかなと思いますね。[全くないというか、ぼやかしているというか。今回の辞任という話も都議会のドンの内田さんが動いたからだという話も、官邸だという話も新聞にありました] ― それも、参議院選挙で不利になるから、この辺でかばい切れなくなったから不信任案に同調しようかということになった訳で。舛添さんがやったことが悪いから正そうということじゃなくて、参議院選挙に不利か有利化の判断。[ということは、この時にこの問題が出るというのは共産党さんが出したんじゃないんですか?] ― そうですね、一番最初に。特にですね、豪華海外出張ですね。スイートルームに泊まったりですね。[あれが持ち上がらなかったこんな話にはなっていないですね] ― そこから火が付いて。一番最初に問題になったのは超豪華な海外出張ですよね。あれだけ高いお金をかけて行く必要があるのかと。国一つぐらいの予算が東京都にはあるわけですから。[そう考えると、東京都知事がファーストクラスに乗るのが贅沢だったら、誰が乗るんですか?誰が乗っていいんですか?] ― だけどね、やっぱりね、首長たるもの出来るだけ清貧というか。税金で給料を貰っているわけですから、ファーストクラスは出来るだけ避けると。どうしてもファーストクラスに乗らなければいけないとうのもあるでしょうけれども、行く度に誰が見ても異常な高額の超豪華なホテルに泊まるというのは慎むべきでしょうね。[20年近く前にパリに行った時に、横山ノックさんの視察中に会っちゃったんですよ。パリのお城みたいな所で。こうやって豪華な視察をされるんだと思ったことがあるんですけど。まさにそれなんですね] ― やっぱり公私混同ですね。細かな話かもしれないですけどね、公用車でプロ野球を見に行く、自動車でN響のコンサートを見に行く。それはねえ、自分の車かタクシーで行けばいい訳であって。言いぐさが狂っているよね。オリンピックでプロ野球が公式種目に認められるかどうか、そのために巨人阪神戦を東京ドームに見に行く必要があると。見に行かなくてもね、公式種目になるか別の話しですよね。N響コンサートをどうして公用車で見に行く必要があるかね。それは金額は少ないかもしれないけど、そこはけじめをきちんと付けるべきでしょうね。[嘘の嘘は大変なことになりますよね。最初の話に戻りますけど、舛添さん、奥さんや女性に対してもお金をかけなかったんですよね。たぶん。でもフランス仕込みですから口で言えばタダですから。いっぱいそういうことをしてきたんですよ。そのつけが回ってきたんですね。すみません私の持論で。そういうのあると思うんですよね。だいぶん渋ったと思うんですよね] ― 基本的には本人の責任とそれを推した政党の責任じゃないでしょうかね。辞めてそれで済むんじゃなくて、再発防止のためにきちんと正すべきところは正すという風に思いますよね。[聞きたいですよね、真実を。ここまで話題になったんですから。辞めたからいいってわけじゃないですよね] ― 22日に辞めることになるはずですよ。20日に確か集中審議があるわけで、そこでやっぱり知事として出てきて貰って。機会を設ければ、辞めてからでも追及できるんですから。いくらでも来て貰って。共産党は百条委員会をきちんと作るべきだと。非常に大きい権限を持った、嘘をつけば罰則規定があるような委員会を作って、そこに出てきてもらおうと。そういうことを主張しています。

 

●質問コーナー

 

Q1;参議院の選挙がありますので、野党共闘とかいう話がありましたけど、今の政治がどちらかというと揚げ足取り的な、今の舛添さんの話もありましたけど、もう少し反対ばかりではなく積極的な、この日本をどうしていくか未来ビジョンというか、今までのご経験をふまえて、こういう日本にしていこうとうのがありましたらお聞かせ頂ければと思います。

 

A1;今おっしゃったことは非常に大事だと思うんですね。やっぱり反対だけじゃなくて、じゃあ野党だったらどうするの。共産党だったらどうするのと、どんな問題でもやっぱり国民の立場に立った対案を示していくのが大事だと思うんですよ。だから安保法制反対と言いましたよね。じゃ日本の安全をどう守るのというのが当然出てきますよね。アジア情勢がなかなか緊迫しているじゃないかと、という問題があります。それはやっぱり憲法九条に立った平和の外交で、対話と外交力で問題を解決していく、それが今の新しい時代の状況だと思うんですね。そういう風に対案をどんな問題にも出していく。アベノミクスもただ反対だけじゃなくて、税金の集め方使い方、それから働き方のルールをきちんと作っていこうと。経済のデモクラシーをと、三つの改革のプランを出しています。それと原発反対だったら、それに代わるエネルギーをどうするか。再生可能エネルギー、潜在的にはいろいろ可能性があるわけで。原発ゼロを決断してこそ、再生可能エネルギーも可能だと。私はやっぱり、おっしゃるようにどんな問題でも対案を出していく。野党ね、四党がそろって15本も議員立法を出しているんですよ。いろんな問題で。例えば介護士さんや保育士さんの待遇を改善しようとか。長時間労働を法律できちんと規制しようだとか。あるいは同性愛とかの問題の人も権利をきちんと守っていこうだとか。これは同性愛、異性愛、どっちであろうとそのことで差別されないような法律をきちんと作ろうと。これ野党四党で出していますから。どんな問題も対案を出して頑張っています。おっしゃったどんな日本をつくるのか、憲法13条、すべて国民は人間として尊重されるという個人の尊厳ですね。個人個人の生き方を尊重していくとうのが非常に大事じゃないでしょうかね。[消費税もね、こうやって中止をと言ったら、本当に延期になりましたけど(後ろの消費税中止のポスターを指さして)でも、延期になっても、みなさん、凄いひんしゅくなんですよね。延期は延期でね] ― 二年半、延期せざるを得なかったのは国民の世論がそうさせたと思うんですけれども、やっぱり延期じゃなくて、きっぱり断念、中止すべきですね。8パーセントでも大変なのに10パーセントに上げるなんてね。じゃあ財源をどうするのか。先ほど言ったようにアベノミクスで潤った企業や富裕層に負担をしてもらえばね、十分財源はあるわけで、使い方も、例えば在日米軍の思いやり予算、来年度だけで3800億円ぐらいなんですよ。思いやる方向が間違っていると思うんです。やっぱり障害者やお年寄りね、子育て真っ最中の方々を思いやるのがね政治の在り方でね、侵略のために日本に居座っている在日米軍のために条約上義務付けられていない思いやり予算なんて、この際削っていくべきだと。共産党は軍事費をいっぺんにゼロにしろなんて言っていないんです。海外派兵用の戦闘機を買ったり、武器を買ったりするのをやめなさいと。せめて条約上義務付けられていない思いやり予算なんかはゼロにしなさいと。使い方は、やっぱり変えようじゃないかと。税金の納め方を変えようと。そいうことをやればね、消費税に頼らなくても十分やっていけると。そういうことを選挙戦でも大いに提起してやっていきたいと思います。[とにかく今度の選挙は楽しみですよね] ― ワクワクします。なんていうのかな、自分の一票で政治を変えられるという思いをみんな持っていますよね。野党がバラバラだった時にはどうせ自民党が勝つんじゃないかと。しかし今度は投票所に行けばね、32の一人区も面白い勝負になると。これは他の複数区にも比例区にも影響を与えて、そういう勢力を勝たそうじゃないかという思いが、今ちょっと生まれつつありますから。自分の一票で世の中を変えられるという、結構、投票率は高くなるんじゃないですけね。[舛添さんのこともありますから、それが押してね]

 

Q2;選挙年齢が18歳になった。これの真の安倍政権の狙いはどこにあったんでしょうか。

 

A2;18歳選挙権というのは昔から我が党も主張していましたから。多くの政党が、18歳になれば政治や社会についても関心を持ち始める訳だから。安倍さんの意図はね、憲法改正の国民投票ですよ。それは18歳に投票権があるので、一般の選挙もこれに合わせないというよこしまな考えから出発しているんだけど、思いはよこしまであっても18歳以上の人に選挙権を与えるということは前向きのことなので、かれらの思惑をこえてそういう人々に政治に関心を持ってもらう、投票に行ってもらうというのは民主主義にとって一歩前進であるわけですから。我々はこれに賛成しました。安倍さんの意図は憲法改正の国民投票に18歳からということにしたものだから、それと合わせる必要があるという思いで。民主主義の発展のためになんて気持ちはさらさらないでしょう。

 

Q3;海の向こうのアメリカでトランプ大統領というのがかなり現実味を帯びてきているんですけれど、この動きにどのような印象を持っておられますか。

 

A3;結果がそうなるかわかりませんからね。トランプ氏の主張には我々賛同出来ませんね。[日本国民の感情を逆なでするような原爆の話しとかがありましたからね] ― まったく賛同できないですけど、それを支持する声がアメリカ国民の中に一定以上あることは事実ですよね。でも、言っておられることは納得できないですね。ただ言い方がはきはきしているものだから、わりに大阪の橋下さん的感じだよね。それになびく傾向はありますけれど。[しかもアメリカが元気のない時期ですからね。そういう強いリーダーシップが欲しいんでしょうね] ― 危険な内容を含んでますね。じゃあ、別の人が大統領になったら立派な国になるのかというと、それはそれで別ですけどね。[今日はちょっと、トランプ調のネクタイで。(市田議員の赤いネクタイのこと)] ― (笑) これは年齢が年齢なんで、せめてネクタイはとしてきたんですけど、誰かに色がトランプに似てると言われましたけどね。(笑) ああゆう、物言いを分かり易くスカッとするというのは、中身が肝心ですけどそれぞれの政党にとっては大事なことですよね。

 

[野党共闘されて、他党、なじみが深いとさっきおっしゃっていましたけど、これだけは相いれないなということに直面されるんじゃないんですかね。これだけは同調できないなとか] ― それはね、政党が違うんですから違う考えとか政策は当然で、それを認め合いながらね、野党共闘を進める中で気心も知れあってね。例えば民進党内にあった共産党アレルギーなんて、ものすごく無くなってきていますよ。一緒にやる中でね。共産党、誠実に縁の下の力持ちで、民進党の公認の候補者の所に激励に来てくれて、必死にビラ巻いて支持者を広げてくれていると。気持ちのいい共闘があっちこっちで出来ていますよ。北海道の5区の衆議院の補欠選挙で民進党の前原さんとうちの穀田君や小池さんが肩を並べて街宣演説やったんですから。[今までどれだけ、いがみ合って選挙をした仲かね] ― (会場から大きな笑い声)[それを全部水に流してやられている、国のために] ― 個人も政党も変わると思うんですよ。固定的に見てはならないと。世論に押されて、いろんな人、いろんな政党が変わるんで、そこは我々レスペクトというか尊敬の念を持ちながら他の野党を見ていきたいと。いいとこを見ながら、違いを探し出したらそれはいろいろある訳ですから。そこは信頼関係を築いて、がっちりスクラムを組んで頑張っていきたと思っていますね。

[選挙前に出て頂きましたが、最後に選挙の勝算の方は?] ― ま、これはね、やってみないとわかりませんが頑張りいかんによっては大きな躍進が可能な選挙ですね。野党を統一できた32の一人区を全部取りに行くと。統一候補の勝利のために、党としては民進党公認の候補であっても無所属であっても、おらが候補という位置づけで全力をあげます。同時に与党共闘をしっかりさせていくためにも、日本の政治を大本から変えていくためにも、日本共産党自身の躍進が大事なのであって、複数区ではね、野党が競いながら自公を少数派に追い込む。比例で850万票以上取って9議席を必ず獲得して大躍進を勝ち取りたい。頑張りいかんではね、その可能性が大いにあると。この条件を生かし切る奮闘をね、残り期間総力をあげてやりたいし、私はその先頭に体力の続く限り立ちたいなと。全国を駆け巡りますのでよろしくお願いします。至って元気ですから。(笑)