平井 たくや
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第17回
2012年02月08日 放送

自民党 平井 たくや 衆議院議員

(動画より文字おこし)

自民党(香川1区)4期目 (2012年2月8日収録時点)

[三原じゅん子さんの紹介ということで]―そうなんですよね。電話頂いた時、私ちょうど焼肉食べてたんです。[私たち、すっかり三原じゅん子さんのファンになっちゃって]―彼女、昨日予算委員会デビューしたんだよね。男前、と言ったら悪いけど、なかなかいい感じでしたね。[選挙、三原じゅん子さんを応援されていた]―徹底的に応援しましたよ。[その着眼点は?]―やっぱり覚悟が違った。要するに、芸能界から一切引退する、と。命をかけて取り組む、というその迫力にね。やっぱり「覚悟」は政治家にとって大事。私たちの仲間で、「これは当選させよう」と。すごかったですよ、演説も鬼気迫るものがあって。一人も逃さない、という感じで走り回っていましたね。素晴らしい政治家になると思います。[平井たくや先生と私は、20年くらい前に出会ってた。憶えてます?]―憶えてますよ。[郷ひろみさんと仲良かった]―年が近かったしね。お付き合いしてましたね。一緒の布団で寝たこともある、旅館で(笑)。

●幸せ度数年表

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第17回平井たくや

[生まれたときは(幸せ度数が)100%]―1958年。幸せな生まれ方してるな、私は。[地元の名士のご子息]―というか、うちの祖父さんが娘4人で、男の子がいなかった。平井家で初めて生まれた男の子だったものだから、めちゃくちゃ大事にされました。田舎の、香川県で育って。この頃がやっぱり一番幸せだったな、人生で。[地元の名士だし、きっとお勉強も出来たでしょうし]―全く勉強しなかったんです。[しなくてもできた?]―まあまあですよ。通信簿を見たことがなかったけど。[(通信簿は)3ぐらい?]―そんな感じ。毎日学校帰りに友達と遊んだり。この時代、昭和30年代はいいですよ。近所の人がみんな見守ってくれてのびのびと育つ時代だったので。[チャーミングな感じですからモテたでしょう?]―友達はたくさんいました。高校時代なんかはバンドをやっていましたね。[何のバンド?]―フォークとかロックとか。中学時代は、卓球と柔道を。[結構地味な…]―卓球台と柔道の畳が同じ所にあったので、両方に入っていた(笑)。それから東京に出てきて、22歳でサラリーマン。電通に入社ですね。で、翌年結婚なんです。[早いじゃないですか]―大学時代から付き合っていましたから。クラスメートなんですよ。[大学はどちらなんですか?]―上智大学の外国語学部の英語学科。学科まで一緒。[じゃあクラスで一番美人の方をゲットされた]―当時はね(笑)。それから30年経ってますからね。私の家内もなかなか貫禄が出まして。[電通はどちらの部署?]―ラジオテレビや海外のスポーツイベント。最後の11ヶ月はメジャーリーグ・ベースボールに出向していたんですよ。[でも当時はまだ大リーグは日本に知られてなかった]―「好プレー珍プレー」を買い付けてきたり、各球場の上に富士フィルムの飛行船飛ばしてたんです。飛行船と共に球場を回っていました、この時代は。この頃は景気が良かったしね。[そして29歳で社長に]―家族が倒れたり色々あって、泣く泣く地元に帰っていきなり社長になったんです。[高松の西日本放送。日テレ系ですね]―社長業というのは電通の仕事と違って全然楽しくなくて。[正直ですね(笑)]―当時一番若い社長だった。あまり若い社長もいかがなものかと思いますよ、自分でやってみて。今の方がずっと人間が出来てる。あの頃は出来てないもん、人間が。よくあんなのを社長にしたな、と思う。まあ、それで社長業をしばらくやって…突然選挙に出ようと。この頃は、年寄りが多いな、というイメージだったので、何とか若い力で政治を変えたい、というので出ました。[センセーショナルでした]―無所属で、自民党候補に立ち向かったからね。まあ、見事38歳で落選して。この辺りから小選挙区制になったんですね。小選挙区制の初めての選挙に出て落選して、2000年の選挙で42歳で当選した。だからこの4年間は苦しかったです。どん底です。しかし落選したから社長に戻るなんてことできないわけですよ、自分で辞めてるから。だから毎朝(各お宅を)ピンポンして歩いたり、朝立ち街頭演説をしたり。ここで少し人間が出来たかもしれない。[私が会ってたのは人間がまだ出来てない時だった(笑)]―まだね、未完成な頃(笑)。[やはり受かった時は嬉しかった]―嬉しかったですね。[当選された時は自民党?]―いやいや、無所属で。しばらくは森田健一さんなんかと「21世紀クラブ」に。自民党入れてくれないから。あの頃は予算委員会でも野党として質問に立ってたな[2009年の選挙。色々辛かったですね]―まあでもね、何が幸せって考えるとね…。ある程度お金がないと幸せになれないでしょ?だけどお金だけじゃ幸せになれない、ということは、若い頃お金があって社長をしてた頃は、実は虚しかった面もあるのかもしれない。[自分で獲得した会社じゃないし]―そうそう、たまたまなっちゃったから。あいつ電通行ってるしテレビやってたし、一番よく解ってるからやるか、みたいな感じで。今は実業界から完全に縁を切っていますけど。

 

●最近の政治トピックス

 

「Café Sta」。今日は安倍元総理と三原じゅん子さんが、12時半からやりました。[自民党の中で生放送?]―そう。去年の6月にスタートしたんだけど。自民党本部の一階に暗~い前時代的な喫茶店があったんですよ、光の当たらない…。そこに僕は目をつけて、壁をぶち開けたら明るくなるな、そこでソーシャルメディアのスタジオを作ったらどうだろうか、と。その時は皆さんイメージが湧かなかったみたいですが、いざやると大ブレイクして。[よく自民党で許可がおりましたね]―壁に穴を開けるだけだったから…その費用も50万円くらいです。あとは、カメラは古いのを貰ってきて。ローランドのスイッチャ―も貰ったんです。貰ったもので最初はやった、どうなるかわからなかったから。野党に転落して予算が厳しかったので。[自民党はお金がない、と有名でしたから]―そうそう。お金がないので、ホームページもリニューアルして維持管理コストを下げたり。そういうことを私が任されてやっている中で、「Café Sta」を作りました。これは何と、今日のUstreamだけではなくてYoutube、ニコ動の三元同時中継。だからしょっちゅう画像の不具合があったんだけど、今日乗り越えたところです。毎週トラブル続きだったけど、やっと新しい機材をレンタルして、今日はいけました。月、火、水、木、金と私が指名して番組を持たせているんですが、最初はみんな出てくれなかった。(スタジオが)自民党本部の入口でしょ?スタッフを3人くらい配置して拉致してきてたんです。キャッチですよ。キャッチしてパンと横に座らせて。最近は皆さん、出たい出たい、と言ってくれてますが。予算委員会の生中継を観ながら解説するんです。参議員の世耕さんが、野村克也のスコープみたいな解説するんですよ。「今のはいい突っ込みですね」とか「次はこう切り返しますよ」とか言うんで、6万人以上の方々が観ました。今は、本会議や予算委員会でやった本人が、突っ込みを振り返って解説する、ということもやっています。[裏話的なのも聞きたいですものね]―そうなんです。三原じゅん子さんは、「今日のわんこ」みたいなのをやっています。実は国会議員って、犬か猫を飼っているんですよ。[やはりみんな寂しいんですね]―そうそう(笑)。議員宿舎はペット飼っちゃいけないんだよね。だけど、猫を見た、っていう人がいる。[大問題じゃないですか(笑)]―そうなんだけど、本当に見たのかわからないんだよね。猫を探す、というのも可哀そうなんで…。今日は安倍元総理が自分のペットの写真を持ってきて。[安倍さんも飼われているんですね。意外]―政治の話をしながら最後のほうに犬のコーナーをやっています。それと、ネットメディアということで色々なグッズ開発もしているんです。今胸につけているバッジ、「がんばろう日本 絆」。これは震災復興のために、去年私が作りました。これは1個300円で、100円が3県のこども基金にいくようにしているんです。すでに4万個以上売れた。小泉進次郎ちゃんが付け始めてから、「あれ何だ?」と言って売れたんです。それと、リストバンド。これは300円で、確か80円が被災地に。これが売れてないんです(笑)。在庫をかかえております。ネット関係でもうひとつ。「j‐nsc」、自民ネットサポーターズクラブ。これは自然発生的にできた自民党のサポーターで、今は何と1万1千人以上。皆さんネットでつながっていて、地域のオフ会もやっています。[昔は政治というと五大紙が先導していた。そのうちスポーツ新聞が主流になった。そしてテレビ・ワイドショー、今はネット]―双方向になったという所が一番違うよね。

 

●今だから言える、あの日のあの出来事

 

―まあせっかくだから…郷ひろみさんが私の選挙運動をどうやって応援したか。[それ聞きたいです]―それ言っちゃおう。もう時効だろう。[最初の選挙ですか?]―落選した選挙。それで落ちた、という…。それから私は芸能人の応援は一切無しで行こうと。トラウマになっちゃったんだよね。[結構きつい事だったんですか?]―友達なので、初めての選挙だし心配して応援に来てくれて。郷ひろみさんが来るというと、信じられないくらい女性がいっぱい来るわけです。どう考えても、平井たくやを見に来ている人はいない。で、郷ひろみさんに握手してもらって、そのついでに僕も握手してたんだけど、順番をまちがえた。ひろみさんが握手した後に僕が手を出すと、手を引っ込めちゃうの。せっかくひろみさんが触った後に、あんたが触るなって(笑)。あとで考えて、これは本当に票になってるのかな、と。「郷ひろみさんが推薦する平井たくや」と、ファンの方々もわかってたと思うけど、本人と握手したらもう吹っ飛んじゃって、多分みんな忘れちゃうんだよね。[インパクトが強過ぎた]―そう。さすがにプロだから歌を歌わすわけにはいかない。そこで郷ひろみの歌を私が歌ってた、本人のいる所で。本人が握手している間、私が郷ひろみの歌を歌う、というパターンもやっていたんです(笑)。[何の歌を歌ったんですか?]―「言えないよ」とかバラード系。「逢いたくてしかたない」、「僕がどんなに君を好きか君は知らない」。その間に、候補者じゃない本人が会場を回ってた(笑)。[(笑)投票箱開けたら「郷ひろみ」って書いてあったんじゃないですか?]―これはもう解明するのはやめました。しかし見事落選で…。初めての選挙で無所属だし組織はないし、名前も売れてないし、という事でひろみさんが心配して来てくれて、そういうことになったんだけど。どうだろなあ、だから初めてなのにそこそこ(票が)取れた、というのもあるんだけど、でもやっぱり人の力を借りるんじゃなくて、自分でやろう、と。

 

●質問コーナー

 

Q: 与野党がずっとねじれているが、解散は?

 

A: 野党の立場なので、解散は全くわかりませんね。でも見えないのは、民主党の政策の優先順位なんですよ。消費税に関して言えば、我々も参議院の選挙で公約に入れました。だから本当は民主党とどういう段取りでどうするかを協議をしたいんだけど、彼らは協議に至るところまで来ていない。[要は内部でまだまとまっていない]―もう少し色々なものをちゃんと出してもらって、消費税は何に使うんだ、とかね。マニフェストで国家公務員の人件費2割カット、定数80削減。これをどうするか、という話があるけど、(消費税と)同時にやるっていうじゃないですか。「身を切る」という話は、同時進行でいった場合、多分頓挫すると思うんですよ。ものすごくハードルが高いので、こっち(身を切る)を先行させないといけない。ところが身を切る話は、彼らは全くいい加減なんです。闇雲に給料を下げろ、と言っても難しいと思う。だから、仕事の中身も全部見直して。2割削減という話をまず自民と民主で、次の選挙でどっちが勝ってもやるんだ、という事を先に決めておかないと。消費税は上げたものの、身を切る話は何だかんだ理屈をつけて出来なくなっちゃう。[拳をあげたほうが半端なのかもしれないですね]―身を切る話をまず先に合意したい。嫌ですよ、身を切る話というのは。公務員の給料だってどんどん下がるとデフレになるかもわからないし。だけど、それはもう党派を越えてやっていかないと、絶対に。ですから、明日以降僕が期待しているのは、民主党が今回ちゃんと人事院勧告もやって、給料体系も変えて、退職金も減らしたうえで震災復興のために公務員のお給料を2年間限定で下げる、ということに、嘘を言わずに取り組んで頂くことを約束してほしいな、と思います。

 

●今後の政治に対する意気込み

 

景気が悪すぎるでしょう?今、復興3県以外の所を夜歩くと、人がいなくて戒厳令みたいな町がいっぱいありますよ。これじゃ駄目です。地方を元気にする経済政策を、この2年半やっていないですよね。それはやっぱりやらなきゃまずい。消費税を上げる時のことを考えると、韓国がやった政策は非常に面白い。金融危機の時にやったんだけど、所得の10%を超えてクレジットカードで買い物したものは、税金から控除する。これは、形を変えて今も続いているんです。のちにカード破産で苦しむ人も出てきたので、クレジットカードじゃなくても今はいいはずですが。でもね、その政策って、自民党の時にやったエコポイントやエコカー減税と一緒なんです。要するに、個人の買い物だけど税金を返してあげる。本来は禁じ手なんだけど、消費税を上げるタイミングでね…。10%になったら駆け込み需要はあるけど、その後ド壺にはまるでしょ?そこでお金を使ったら税額控除になると言ったら、これは消費刺激になると思いますよ。私の今の専門分野はITで、サイバーセキュリティ対策のとりまとめももうすぐ発表します。ずっと提言しているんだけど、民主党になってIT政策の優先順位が下がっちゃった。IT戦略本部なんかは開かれていないんです。ここは、次の時代の事を考えたらドライブかけないといけないところですよ。インターネットや情報通信の普及の裏で、セキュリティの問題をきっちりしておかないと。例えば、そういう政策の具体的な5年のコミットメントを政府が作って、「こっちに来たらみんな食えるし儲かるぞ」という方向性をいくつか出せばいいんです。自然エネルギー、地震対策、色々あると思う。そういうことをわかりやすく決めて国民に説明する。僕は、次の世代はIT系の知識が必要だし、グローバルに仕事ができる人をつくりたいな、と思っています。