本村 賢太郎
無題
第221回
2018年09月05日 放送

無所属 本村 賢太郎 衆議院議員

現在「無所属の会」の会派に所属するもとむら議員。
自由党から民主党、希望の党。
時の政治情勢により様々な党に所属をしましたが、もとむら議員の主義主張はどの時代も変わらずです。
そして現在は、野党を一つにするために無所属という立場です。
立候補のきっかけは、女手一つで育ててくれたお母様が切り盛りしていた、居酒屋「なかま」でした。
そこに藤井裕久氏と野田聖子さんのお父様が飲みに来ていた事にはじまります。
2012年から続く野党の問題点、自ら身を切る改革についてお話しいただきました。

 

(動画より文字おこし)

無所属(比例南関東ブロック) 3期目 2018年 9月 5日 収録時点

[十数年、政治家の方のインタビューさせて頂いている中で無所属の方のインタビューは3人目くらいかもしれないですね]― それは、ありがとうございます。[無所属になられてどうですか?]― 今、無所属の会の会派に入っていますから。[無所属の方は国会で何名ぐらいいらっしゃるのですか?]― 今、40名弱いますかね。[40名もいらっしゃる!意外ですね]― 希望の党の合流劇からいろいろとね、地方の議員の皆さんにもご心配をかけていますけれども。[良くポスターでは相模原でお見かけするんですけど、実物は初めてです。(笑)]ありがとうございます。(笑)[無所属の40名の中の一人ということですが、昨年の選挙では希望の党から出馬されたということで。急に解散になったら、無所属で戦うということでしょうか]― そこはですね、政治情勢を考えながら自分の行く道を決めていかなければいけないと思っていますけれどね。[いつかはどこかに所属したいと考えてらっしゃる]― 今はそういう気持ちはないんですけど。まずは立憲と国民とに旧民進党が分かれてしまったので、そこを同じ政治の方向に向かって、安倍政権を変えなくてはいけないという所は、一点共通ですから。そこは共通しいてるんで、同じ仲間と一緒にまた一つになれるようにしていきたいと思っています。

 

 

●幸せ度数年表

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[これを見れば本村さんの半生がわかるということで。1970年に中野区で生まれたんですね。お父様とお母様が離婚されて。今は何人に一人が離婚という時代であまり珍しくないですけど、本村議員のお子さんの頃は珍しかったのですね]― そうですね、あまり周りにはいなかったですね。[ショックでしたか?]― ショックというより、生まれた時から、ゼロ歳で離婚したんで。ここに書いてある通り、母と二人で相模原に行って。[この頃から今の選挙区の近くにいたということですね]― そうです。母が居酒屋を営んで、私をおんぶしながら育ててくれたんで。[なんという居酒屋ですか?]― 「居酒屋なかま」というんです。生きていくためにね。父が中野にいましたからね。11歳の時に父が他界したんですけど、それまで父と一回も会ってなかったんで。他界する一週間ぐらい前に一度会ったきりで。ただ、私自身は父に対してあまり好意は持ってなかったんですけど、会ったことがなかったんで。家の母がですね、あなたのお父さんのようなカッコいい男はいなかったと、ずっとそれを言い続けていましたね。子供の時に友達がお父さんの悪口とか言う人がいましたけど、私はお父さんという像がなかったんで良くも悪くも言いようがなかったんですが、母から常に「あなたのお父さんは立派だった」と。離婚してもそうやって言い続けるんで、凄いなあと思っていました。[今もお母様はお元気なんですか?]― 昨年、4月に他界しましてね。47年間、居酒屋のママさんで頑張ってくれたんですけど、昨年ガンで亡くなりましてね。亡くなる寸前まで言ってましたね、「お父さんに負けないように頑張りなさい」と。[いいお話ですね。何歳までお店をやられていたのですか?]― 78歳で亡くなりましたので、78歳まで。[生涯現役で!]― はい、やっていました。家の母はタバコも酒もやりますから、元気よくやっていたんで。(笑)私は反面教師で両方ともやらないんで。藤井裕久が私の政治の師なんですが。[藤井裕久さん、みなさん覚えていらっしゃいますか?自由党の幹事長をやられて、大蔵大臣もやられて、民主党で幹事長もやられて。まだお元気ですよね]― 元気です、86歳で。[藤井さんの秘書さんをやられていたんですね]― そうです。野田聖子さんのお父さんが藤井裕久の親友で、野田さんのお父さんが昔、藤井の選挙を仕切っていたもんですから。聖子さんが出て来る前ですね。藤井の選挙を仕切っている時にうちの居酒屋に来て、自分の友達で藤井裕久というのが参議院から衆議院に鞍替えするんで応援して欲しいと。私が家に帰ると藤井先生がよく一杯飲んでいましてね。それが縁で。(笑)[「居酒屋なかま」で]― カウンターでいつも飲んでいまして、それが縁で。私はサラリーマンをやっていたんですけど、政治志望があったもんですから、そんな話をしたら秘書にならんかという話を頂いて。[なるほど、そういうご縁で政界に入られて。藤井裕久先生は居酒屋のお客様だったんですね!]― そうですね。[ご自宅と居酒屋は一緒だったんですか?]― ゼロ歳から引っ越してきた賃貸のアパートの二階に母と住んで。葬儀の時に言ったんですけど、お風呂もないようなアパートでですね。後からお風呂も組み入れたような所でしたけれども、そこに母は47年間、住み続けて、一階にお店を借りてやってましたんで。[いろんな酔っ払いを見てきたんですね。(笑)]― 見てきましたね。(笑)高校生の時には、夜中の2時3時になってもお客さんが帰らないから、母の身体が心配だから、お客さんに帰って下さいと言って。お客さんからも叱られて、母からも叱られて。商売はそんな甘いもんじゃないからと。そういうことが続いていて、子供としては心配だから、お客さんに帰って下さいなんか言うと、母が激怒して、商売はそんなに甘くないし、1本のビールでも大事なお客だということを言われてね。お客様からも両方から怒られて育ちましたから。(笑)[いろんなお客様を見てらっしゃる]― いろんな方がいますね。[今はいろんな有権者のみなさんを見ていらっしゃるということですね]― 政(まつりごと)は民なりという言葉を原点にしていますから。自分は世襲とか、お金持ちの代表じゃなくて、普通の家庭で育った1人の政治家としてやっていこうかと思っているんで。[伯父様が参議院議員なんですよね]― そうですね。[それはお母様のご兄妹]― 母の兄がですね。今の安倍さんと同じ、清話会の参議員議員で。実は父親も自民党の区議会議員をやっていましたけれども。中野区で。そういう縁もあって政治を目指そうと思ったのですが。[自由党からまずは出馬をされてということですね。当時の小沢一郎さんということで。みなさん、自由党は覚えてらっしゃいますか?]― 今、小沢さんは部屋が隣です。(笑)[じゃあ、昔からの馴染みというか]― いやー、キャリアが違い過ぎますから。遠い雲の上の存在での方です。なかなかお話しする機会がないですけど。[藤井裕久さんは?]― 86歳ですけど。[まだ、かくしゃくと]― そうですね。[何かアドバイスを頂いているんですか?]― 藤井先生から、いつでも、どこでも、誰にでも、同じことを言える政治家になれということを学んできましたんで。[風見鶏ではいけないと]― はい。今回のように参議院、定数6増した中で、地元では議員定数を減らしますよと言って、永田町に来たら違う事をやっちゃう訳じゃないですか。こういうことはいけないということで。消費税増税の時もですね、なぜ今必要なのかということを有権者のみなさんにちゃんと丁寧にご説明をして、国会でも同じ姿勢で臨まなければいけないということは、言われてきましたんで。[ずっと言われていたんですね]― 秘書時代からずっと言われてきましたんで。[おっしゃることが一本筋が通っていますね。秘書時代の思い出、藤井さんに対して何かありますか?]― 真面目な方なんで、一緒に随行していても面白い事はないんですけれども、(笑)7時になったらNHKのニュースを聞く、8時になったらNHKのニュースを聞くということで。車の中でも会話が無いくらいだったんです。私はこんな性格なんで結構、あっけらかんでいろんなお話をしたり。藤井は火曜日から金曜日まで国会にいて、土日月で地元に帰ってくるんでが、その時にお世話になった人に私の携帯電話から電話をして藤井裕久に代わって、本人から「赤ちゃんが生まれておめでとう」とか「ワンちゃん、お元気ですか?」とか、いろんな電話を車の移動中に休まずにやられてきたのが、ひとつの思い出になりますね。昔、藤井先生がまれに私用と言って電車で消えていくんですね。[どこに行くんですか?]― わからないです。どこに行くかわからないから、付いていきましたら、小田急線でですよ、大関のワンカップをあけて柿の種を食べながら、電車でやっているんですよ。どこに行くのかなとドキドキしながら付いていったら、途中でばれまして。(笑)怒られました。(笑)[有名だから、みなさん分かるんじゃないんですか?]― 結構、みなさん、声をかけてくれますよね。まさか、藤井裕久じゃないだろう、という目でチラチラ見てますけど、なかなか声はかけづらいみたいで。[私、この間人間ドックに行ったんですけど、一緒になったのが古賀誠さんでした。(笑)]― 参議院議員だったうちの伯父と親しくてですね。お世話になりました。[そしてここで浪人されるんですね。浪人生活はどうでしたか?]― そうですね、県議初当選の時も、32歳で誰も当選しないと言われていて。当時の田中角栄さんが3万件歩けと言われ、私もコツコツ歩いていて、県議に初当選して。衆議員選挙も政権交代選挙ですからで勢いに乗って二回当選して、2012年も負けないだろうという過信もあって。運動量もしっかりやってきたんで。でも選挙区で負けて、比例でも900票差ぐらいで落選しまして。二年間ですね、浪人をして。やっぱり秘書もいますし、後援者もいますから、家族もありますんですんでね。二年間、皆さんに支えてもらって今日があると、常にそれは思っています。

 

●最近の政治トピックス

 

[無所属ということですと、政党の枠にとらわれずに思ったことを言える、ということですよね] ― そうですね。ただ、私は「無所属の会」という会派に入っていますから。岡田克也さんが代表でありまして。野田前総理とか安住淳さんとか江田憲司さんとか、そうそうたる先輩がいらっしゃるんで。私は当選三回で、今まで民主党、民進党時代、希望の党で最前列に座ったことはなかったのですが、一期生の時から。三期生で一番最前列で。(笑)[そんな大御所がたくさんいる会派で。もう政党を作ったらいかかですか?] ― 無所属の会のみなさんは一定の国民をつなぎ合わせる役を担っていきたいという。[そこで少数政党を作ってもしょうがないという考え方なんでしょうか] ― そうなんです。[大型野党にして対抗していくということなんでしょうかね] ― 与党自民党というのは、原発に対しても、安倍さんは賛成で河野太郎外務大臣は反対という、そういう人が閣内にいたり。憲法九条を改正したい安倍さんや、憲法改正に慎重な岸田さんまでいて、与党自民党という大きな枠がある訳じゃないですか。ですから野党はもうちょっと政策的な問題とか、人の好き嫌いを乗り越えて、ひとつの大きな塊を作ろうという思いを持たないと、与党自民党に対抗できる政治軸にはならないんですね。[今、おっしゃった人の好き嫌いというのは、マスコミ的には面白おかしく、今の野党は書かれる場合が多いんですけど、実際にはそういうのが多いのですか?] ― 自民党って見ていて、昔は殴り合いのけんかをしていた位の勢いがあって、それでもまとまっているじゃないですか。でも野党はさっき言った、小沢さんが嫌いだとか、一緒にやれないとか。そういう所から離合集散していった訳ですから、好き嫌いは別にして、国民のための政治を取り戻すのにひとつにならなきゃいけないですよね。思いが薄いですよね。[ちょっと自我が強いというか] ― 一人一人のパーソナリティー、能力は立憲や国民民主のみなさん、高いんですけど、でもやっぱり、相手を認めないというか、自分が一番と思ってらっしゃる人がいるんでしょうから。[それは与野党問わず、そういう方は多いですよね。(笑)] ― 相手を尊敬できる、尊重できる気持ちを持ってやらないと、なかなか政はうまく前に進まないと思いますよね。[民主党時代にそういうことがたくさんありましたよね。何でそこで好き嫌いとか、自我を出すんだという] ― おっしゃる通りです、それは。[もっと国民のことを考えて欲しいですね] ― そこはね、国民の生活が第一と民主党は言っていた訳ですから、自分のポジショニングとか好き嫌いは抜きにして、大同団結しないといけないなというのが。[これだけ与党が一強の場合は、そうも言っていられないだろうというのが、野党の方にそういう思いが伝わるんじゃないでしょうか] ― まあ、感じてはいるんでしょうけれどもね、今、立憲さんも好調ですけど、とんがっている部分もあるし。でも、もともとは一緒だったんですから。自民党の受け皿って、右寄りの人も左寄りの人も幅広くいて自民党ですから。その自民党の対抗するうけ皿になる野党は、小さな会派の保守とリベラルに分かれていては受け皿にならないんで。やっぱり大同団結していろんな人がいていいと思うんで、大きなかたまりを作った方が良いんじゃないかと思います。[その中で本村議員が一番推し進めたい政策というのは何でしょうか?] ― 今回国会で、身を切る改革というのがですね、来年消費税増税を安倍政権は二度の延長をしていよいよやるということを言っていますから。そういった中で人口減少が国の大きな問題のひとつでありながら、今回参議院、定数6名増やす改正をやったという点に関しては、これは地元に帰っても説明がつかない訳であって。[どうして増やしたの?他にやることがあるんじゃない?と言われてしまいますよね] ― 50年ぶり位に参議院の定数を増やしたんですね。時代にまったく逆行してるし、地方議員も国会議員も身を切る改革というのはキーワード的に話していますが、本気でやろうとしているのかですね。党利党略で特定枠を今回も作って、合区の島根、鳥取の方々とかですね、高知と徳島ですか。合区の人たちの救済のために特例枠を作った訳ですから、まったく理解されない話でありますし。カジノとか行き過ぎた話もありましたね。それから、受動喫煙の健康増進法改正も東京都の方が一歩進んだ改革をやられているし。今国会で働き方改革もありました。一番メインにしたいのは身を切る改革で、相模原市議会の皆さんから議員年金の復活という要請が上がっていまして。私も地方議員をやっていた時に3期12年やったら議員年金が国民年金の上に二階建であるという話だったんですが。[それが廃止されて] ― 国会議員も地方議員も廃止をされたにも関わらず、議員になり手が少ないから必要だという要望が地元から上がってきて。先日もある議員さんと政策討論をさせて頂いて、私は必要ないと思っているんで。国民や県民、市民がわからない所で身を切る改革と言いながら、議員年金を復活させようとか、参議院議員の定数6増とか、いろいろな話が起こっていますから。[本村議員も血税で生活していると言えども、ご自分の身を切らなければいけないということですよね、そこは辛いところですね] ― いえ、私は神奈川県会議員の冒頭から県議会議員の定数削減を訴えて当選してまいりましたから。当時ね、先輩議員から鉛筆を投げつけられたりして。みんなで集まっている所で、本村、何しに来たんだ、と言うから私は県会議員の定数は身を切らなければならないと思っているし、政令市が三つあるんですね、神奈川って横浜、川崎、相模原と。ですから県会議員は今の人数は必要ないということを訴えたら、むなぐらをつかまれて鉛筆を投げつけられましたよ。[自民党の議員ですか?] ― 何党かわからないですけれど。(笑) あとは県会議員の時は一日県庁に通うと政務調査費の他に交通費が出てたじゃないですか。我々も一日行くと1万千円位交通費が出てたんで。当時、私が町田駅から関内駅まで通えば、往復千百円位だったかな。それが10倍以上の交通費が出るんで。これはおかしいんじゃないかという話をして、県議会は今、実費精算になりましたから。ひとつひとつ積み上げてですね、身を切る改革をやってきて。[社会は確実に変わってまいすからね、個人経営者でもなあなあなことは出来ない、いろんなことが改正されていますからね]

 

●今だから言えるあの日のあの出来事

 

[ちょっと裏話的なことをお伺いしたいのですが。議員生活は何年ですか?] ― 16年です。2009年の民主党政権誕生の時に初当選させて頂たんですが、あの時小沢一郎さんが先頭に立って改革を進めていたんですが。当時一心会クラブと言って小沢さんを応援する一期生のグループが作られていまして。[一ツ木通りの中華屋さんに良く集まっていましたね。(笑)] ― 良く行きましたね。(笑) そういう所で、次に紹介する、名前言っちゃっていいんですか?[そうぞ!] ― 樽床さん。それまでは藤井先生や小沢先生を支持して付いて行ったんですけど、小沢さんのグループの中である中堅どころの先輩議員が小沢一郎さんがこう言っているからこうしろといろんな会で言っていて。僕ら初当選組140名位いたんですが、その先輩が教育係だったんですね。その中で小沢さんのグループにいた私たちは別に薫陶を受けていたんですが。その時も議論せずに、こう決まったんだらこうしろ、という言い方を上からされていたんで、これは違うんじゃないかなと。当時私は39歳、初当選ですけれども年齢に関係なく、志を持って政治家になった訳ですから。[それはそうですよね。みなさん、小選挙区とかで選ばれた代弁者ですから] ― 小沢さんはそういうことを言う人じゃないんで、天の声を出していないと思うんですが、天の声を借りて中堅どころの人が、こうやって言っているから一期生のあなたたちはこうしなさいと言われた時に、これはいかんなと思って、小沢さんの所を離れたんです。このままじゃ何のために議員になったのかわからないから。民主党って結局ですね、頭のいい人はたくさんいたんですよ。優秀な、キャリアのある人が。真面目な人もたくさんいたんですが、おおらかな性格の方というか、民主党というのはちょっとドライというか、政策は出来るんだけれども人としての付き合いがちょっと不得意な人たちが多くて。樽床さんはなんでもええがな、みたいな感じで。代表選に出るというので、小沢さんのところを離れて樽床さんに付いたんですね。政治家になった意味をしっかり心に秘めてやっていますし。当時の国対委員長に会食中に議員定数削減をしようと言ったんですね。そうしたらその国対委員長さんが、君は仲間を殺す気かと。定数削減すれば仲間が減っていくじゃないかと。でも、私は言ったんです。それは民主党の政策と違うじゃないですか、自分たちが身を切る改革をどんどんやっていかないと、前に進まないんじゃないんですか、という話をしたんですが。当時の国対委員長さんは、身を切ったらあなたの友達も落選したかもしれないし、あなたも落選したかもしれないぞとお叱りを受けたこともありますけどね。[どうして同じ話でも、自民党であったら上手くいっちゃうでしょうかね。それは歴史と伝統なんでしょうか] ― それは予算を組んだり、法律を作ったり、責任政党として与党自民党が描いてきた歴史でしょうね。野党を見ていて、自民党に対抗できる、政権を取りに行くぞという気概が足りないと思いますね。気概があれば、立憲も国民も無所属も一緒になりますから。[まだ、いろんな自我があるんでしょうね]

 

[どうでしか、このようなネット番組は?] ― なかなかね、皆さんがいる中でしゃべるというのがないんで。いつも自分で街頭演説で一歩的にしゃべるんで。(笑) こうやって、問われて話すと勉強になりますね。いい機会になりました。[本村議員は今は無所属ということですが、これからどうなっていくか、皆さんに注目して頂きたいと思います。相模原のポスターは黄色がベースですよね] ― よくご存知ですね![皆さん、落書きとかしないで下さいね。(笑)] ― 髪の毛は書き足して増やしていいですよ。(笑) [「みわちゃんねる」221回目のゲストは本村賢太郎議員でした。どうもありがとうございました!]