村井 英樹
村井
第131回
2014年09月17日 放送

自民党 村井 英樹 衆議院議員

お祖父さんがスポニチの社長さんだったことから(村井議員が幼い時に亡くなる)、小さいころからスポニチを熟読して賢くなり、東大→財務省というエリートコースをたどってきました。[話、佐野がかなり盛ってます] 不肖、佐野美和のスポニチの記事も「子供の頃」よく見たとのこと。。。(笑) エネルギー問題や消費税のお話を、弁舌さわやかに語ってくれました。「難しい話をわかりやすく話してくれる」とスタジオでも評判でした。

(動画より文字おこし)

自民党  埼玉1区 1期目 (2014年 9月 17日 収録時点)

[さいたま1区]ですよね。埼玉の顔ですよ。さいたまって凄い県民がいるでしょう?] ― はい、720万人。[これは何ですか?](テーブルの上の緑のキャラクターのぬいぐるみを指さして) ― これはヌーと言いまして龍なんですよ。さいたま市というのは旧浦和と大宮と与野が最初に一緒になってその後岩月が合併して一緒になったんですけど。問題はですね、浦和と大宮の中が悪いということで、これは永遠のライバル関係でして。[首長同氏が中が悪いんですか?] ― いや(笑) いきなり繊細なテーマに入っていくんですけど、最初のさいたま市長選挙は浦和市長と旧大宮市長の戦いになるように、お隣だからこその関係がありまして。そんな中で統一のマスコットを作っていこうということで、龍神伝説というのがありまして、浦和、大宮だけでなくさいたま全体の見沼田んぼという1400ヘクタールの田んぼがあるんですけど、そこに龍がいるという伝説があって、そこからムーというマスコットを作ったという、我々の平和のシンボルであります。これから龍のごとく飛び立とうとしているところであります。[なるほどね。4つの市をまとめるシンボルね。その割にはあまり普及していませんけれど(笑)](佐野が後ろに貼った村井議員のポスターを指さして)[このポスターはいつ撮ったものですか?] ― これは1年半前ですかね。笑顔が不自然だと言われていますけれども。(笑) こちらのポスターはさいたま市が今一番力を入れております、ツールドフランスインさいたまなんですけれど、去年が第1回目で今年が第2回目で10月25日にやるんですが、これ本当にフランスで活躍しているような一流の選手がやる海外で唯一と言ってもいいんじゃないかと思うんですけれど、素晴らしい大会で。去年も雨の中にも関わらず、数万人出てきました。[さいたまは坂とかあるんですか?] ― おっしゃる通りでして、さいたま市は埼玉全体に言える事なんですけど、平らなので、一人あたりの自転車保有台数が全国で一番多いんです。なので、自転車を売りにしていこうというところですね。[参加料とか取るんですか?] ― これはプロが走るので。

面白いくらい早く走るのを生で見られます。10月25日です。お願いします。(笑)

●幸せ度数年表

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第131回村井英樹

[1980年生まれ。どちらで?] ― さいたま市で。浦和なんですけれど。[今の選挙区は地元なんですね。よくそんな所(埼玉1区)、空いていましたね。前はどなたがいた選挙区ですか?] ― 松永光さん、浜田卓二郎さん、金子善次郎さん。[松永光さんは大臣をやられた方ですよね。その後、浜田マキ子さんのご主人] ― 金子善次郎さんの後、民主党の強い方がいたりして。[活性化された地域ですね] ― 選挙の厳しいエリアであります。(笑)

[どんな幼少時代でしたか?少年野球で打率2位賞とありますが] ― 少年野球を一生懸命やっていたということで、5年生の時に打率2位を取ったというのが、私の自慢です。(笑)

[ここで社会の苦しさを学ぶとありますが、どうしたんですか?財務省に入ってからですかね。東大は何学部なんですか?] ― 私は変わり種で理系で入って、その後外交官になりたいと思ってですね、文転をして、文転をした先が教養学部の交際関係論というところで。交際政治とかやるところなんですけど、ちょうど外交官試験がなくなりまして、外務省の不祥事が起きている時だったんですね。田中真紀子外務大臣・・・[指輪を失くしたとか?つい最近ですよね] ― そういう時に財務省の採用担当の人と出逢って、財務省面白そうだなと思って。[大学時代は遊ばないで、すごく勉強されたんですね] ― そうですね。

[アルバイトとかしなかったんですか?家庭教師くらいですか] ― アルバイトしましたよ。家庭教師もしましたし、一番長くやったのは、カラオケ店の呼び込みというのをやっていて。(笑) 池袋の歌広場というとこがあるんですけど、夜から朝までやるんですよ。これがまた、いろんな出会いがあって。(笑) 役所の組織に入って組織の苦しさを、はい。

[残業とか大変なんですか?] ― 学生時代は好きな人とだけ付き合っていいけばいいですけど。ま、当たり前のことですけどね。(笑) まあそうもいかないですし、財務省は勤務時間が長いことで有名なので。円形脱毛症に1年目なりまして。[ずーとここまでストレートに来られたんですね] ― ナイーブですみません。(笑) やっぱり怖い人っているんですよね。すごい怒鳴られたりするし。財務省の地下にホテルオークラというのがありまして、そこに泊まったりするんですけど、それが悲惨な感じで。[ホテルオークラと何かもうひとつありましたよね] ― 居酒屋タクシーですか?あれはですねタクシーチケットで帰るんですけど、タクシーの人が財務省の人にいつもビール出してたとか。[それはいけないんですか?] ― いけないんだと思います。[公務員を何年やられたんですか?] ― 9年ですね。[その間に国で留学させてもらったんですね。どこにいたんですか?] ― アメリカのハーバードに留学させて頂きました。[何を勉強されたんですか?] ― 経済とか政治とか公共政策を勉強しました。[いきなり英語、しゃべれるようになるんですか?] ― しゃべれなくてですね、すごい無口な人みたいな扱いで「君は物静かだね」とか言われて、孤独さを最初の半年から1年味わいながら、少しずつ元気になっていくんです。

[何年間いたんですか?しゃべれるようになったんですか?] ― 2年間です。しゃべれるようにというか、主に聞けるようになりました。[居酒屋タクシーとかホテルオークラの話からいくと、役人に対しては厳しいじゃないですか。国のために頑張っているのに週刊誌やメディアで面白おかしく避難されなきゃならないのか、と思いませんでした?] ― まあそうですね。思う時もありましたけど、それでもやりがいがあるというおか、正しいことをやっていくんだという思いでしたし、正しい情報を発信していくという事が重要だなという意味で政治の世界に入ったというのがあります。[9年間公務員をやられて政治の世界に入られました。きっかけは何ですか?] ― 留学から帰ってきて、私は税の担当だったんですね。特に当時は消費税を上げる上げない、通す通さない、決める時ですね、民主党政権の時に消費税をどうするんだ。いつ何パーセント上げるんだという時にですね。[三党合意の時ですね] ― それをやっていて、政治家の方と話をしていく中で、自分には今の政権の人と違う考えがあるので出たいという思いもありましたし。もう少し広げていうと、役所の世界って八二とか九一でしか正しい事が出来ないんですよ。世の中ってどっちが正しいか微妙な話が多いじゃないですか。TPPだって原発だって集団的自衛権だってどっちが正しんだと言われたら、どっちだろう?思っちゃうじゃないですか。六四とか七三でも正しいと自分が判断したこと、考えていることをしっかりと相手を説得しながら実現していくのが政治だと思うんですけど。そういうことをひとつずつやっていかないと、この国の難題というのは乗り越えられないんですね。この国の抱えている問題はあまりにも大き過ぎて、誰もが正しよねと言っていることをやっているだけじゃ前に進めないなあというのは役所にいて痛感したので。そういう意味でたとえ批判を受けることがあっても、しっかりと正しいことを六四でも七三でもやっていく思いであります。[説得力という言葉が出ましたけど、民主党はそれが欠けていたかもしれませんね。どもキャリアのお役人だった方が一市民を説得するって。私だったらやだな(笑)] ― いろんな場面を通じて、居酒屋談義じゃないですけど、話をしますし、ちょっとつまらない話になりますけど、こういう政策的な文字だらけのものを地元に20万部位ポスティングということで入れているんですね。もう十何回やっているんですけど。お金もかかるし結構、大変なんですけど、ただ、これをやってよくわかったことは、私は消費税についてこう思うとか入れるんですよ。自分の思いをぶつけて書いちゃうんですけど、それを書くとですね、すごい反応があるんですよ。いろんな方から事務所に電話がかかってきて、村井の今号書いていたのはその通りだと思うとか、もしくはそうじゃないとか、すごい反響があるんですよ。だから有権者の方も正しく一生懸命、情報発信すると答えてくれると思いますし、またその声の中に私も気づかされるというか、ああそう考えるべきなんだなとか学びたくさんあってですね。民主主義を進化させるという意味にも、最初はこんな文字だらけの誰も読まないだろうと言われたんですけど。そういう感じでやっていこうと、理想は高くですね。(笑) [有権者と国会議員というのは映し合う鏡みたいなものですからね。有権者が低い事を言えば、低い議員になっちゃうし、こちらが低いことを言えば有権者も低くなっちゃうし、難しいですよね] ― 本当に夜中まで農家で飲んだりとかやりますけど、政治の世界に入って学んだことは本当にたくさんあるし、役所ではこんなこと学べなかったなということの連続の3年間でしたね。当初と自分の中でも考えが変わったと思いますね。[初めて選挙やられてどうでしたか?] ― 寒かったですし、若いんだからコート着ちゃだめだとか言われて。常識がないといろいろな所で怒られたりしましたし、社会勉強が足りてないところがあったんでしょうけど。霞が関の常識は世間の非常識というのを思い知ることもありました。(笑)

[大蔵省といえば三島由紀夫が出たとこですからね] ― だいぶさかのぼりましたね。[三ヶ月位しかいなかったんですよね] ― 自分の文章を批判されて辞めたと言われていますけどね。配属されたのが文書課というところで、自分が書いた文章が、おまえの文章なってないと言われて。[結婚もされましたね] ― 最近ですね。あんまり私、表で言ってなかったんですけれど、前回の放送を観たら堀内さんが何かおっしゃっていたんで、入れなきゃいけないと思って入れました。[どんな方ですか?] ― 大学のふたつ先輩です。出版社で働いていました。[じゃあ、お幸せですね。バッチを付けてから生活は変わりましたか?] ― それはもう変わりましたし、役所を辞めてからですね。変わったのは。地元で駅前に立ってから地元の戸別訪問してとかよく言いますけれど、そういう生活で生まれ故郷ではありますけれど、地元密着になって。まあ当選してからは当然、こっち側の(国会の)仕事がありますけれど。机の前に座らなくなったというのが役所を辞めて、一番大きな変化でしたね。[いやらしい話ですけど、お金の出が変わったと思いますよ。今は入るのも多いと思いますけど、冠婚葬祭やら、何でこんなところにお金を出さなきゃならないんだろう、と言うのがたくさんあるんでしょうね] ― お金の問題もありますけれど、一番学んだのはですね、事務所を回すということの大変さは本当に感じていて、今事務所のメンバーは7人いますけど、言ったら零細企業のオーナーな訳ですよ。この零細企業、いかにお金を回し、人事を回し、みんな仲良くやっていくかというのは難しいですし。役所の時は夜、どんなに辛くても夜スパンと寝れたし、どこでも寝れたんですけど、政治の世界に入っ初めて夜、寝られないという経験をしました。事務所で、支払いを待ってもらったりすることも、特に当選前にはありました。(笑)[借り入れとかあったんですか?] ― 借り入れは親から借り入れてました。

 

●最近の政治トピックス

 

分散型のエネルギー推進議連の事務局というのをやらせてもらってまして、日本の経済問題を考えた時にエネルギー問題は避けて通れない問題なんですよね。よく原発賛成とか、反対とか言うんですけど、そんな単純な議論じゃないだろうと思っていて。当然原発はないに越したことは無いというのはその通りだと思うんですけど。これだけ貿易赤字を垂れ流す状態になっていく中で、短期的には火力発電を回すんですけど、中長期には自然エネルギーなどを含む分散型エネルギーというのを推進していかなければいけないと。エネルギーの地産地消と言っているんですけれど、自分の家の屋根に太陽光パネルを作って自分の家で風呂を沸かすというのもあるでしょうし、余った部分は別の所に融通するだとか、それをひとつのスマートなコンピューターが全体をマネージするみたいなですね。蓄電池の機能は電気自動車が果たしていくとかですね。そういったことをやっていきたいなと。若いですので未来志向で夢を持ってやっていこうと。[それは実現可能なんですか?] ― それはどれ位の時間軸で考えるかはありますけれど、実現可能だと思ってますし、それをやっていかないといけないだろうと思っているんですね。[前、ここに来られた太田房江さんが経産省でソーラパネルをやって20年以上かかってやっと実現したということでしたからね] ― 別に太陽光だけじゃないとは思っているんですけれど、地熱だとか風力だとか、他にもメタンハイドレードだとか。エネルギーの世界は10年経つと風景がガラッと変わっちゃうんですよね。ちょっと脱線しますけれど、この夏シェールガス革命を見にアメリに行ったんです。テキサスに視察に行ったんですね。そこですごい面白いことがあって、アメリカと言うのはシェールガスの輸出国になろうとしてるんですね。実は10年前は輸入国だったのでLNGというガスを液化して輸入してきて、国内の港でそれを気化させて国内に回す、そういう工場を10年前に作ったんですよ。テキサスにね。そうしたら、今度それを逆の目的で使わなければいけなくなちゃった。要するに、国内で採れたガスを港で液化させて輸出するための工場に今立て替えているというんですよね。その現場を見てきたんですけど。つまり、10年間で輸入国から輸出国になっちゃうくらいの大きな転換があるのがこのエネルギーの世界で。[当時はどこから輸入していたんですか?] ― 中東もそうですし、インドネシアとかそういった所から輸入をしていました。なので日本についても、エネルギーの世界というのは完全に先を見通すのは難しいんですけれど、いろんな所に投資をしながら未来の絵を作っていく。特に街の構造自体を省エネでスマートな形に変えていくのは非常に重要でそれをやっておくと、街自体を世界に輸出できるようにやっておくということです。[すごい構想ですね。でもね、震災の時に停電があって、それも一瞬で終わってその後夜も電気がついているし過剰冷房だし。私達一人一人が危機感というものがないと思うんですよね。結局は原発あるし大丈夫だみたいな。それが悪い方向に向かっていると思うんですけど] ― おっしゃる通りですし、日々の節電というのはやっていかなければならないと思うんですよね。制度面からいくとですね,電力も常に一定の電力料金設定じゃなくてピークの時間を高くするとかですね。それとか我々自身にですね、使ってほしい時に使ってもらって、使って欲しくない時に使わない、インセンティブに与える方向にいろいろ埋め込んでいくことで、我々が無理なく省エネするという体制を作っていきたいと思っているんです。[メンタル面とインフラ面、両方やって頂かないとですね。この期に及んでまだ私は朝日新聞を読んでいるんですけど(会場から笑い)原発が出来る当時の記事を読むと、当時の政治家か誰かが、とんでもないことを言って口説いてきた訳じゃないですか。そういう歴史を徐々に撤回していくって大変なことですね] ― 本当に原発の世界って日本の政治の象徴みたいなところがあって、推進したい側は何が何でも推進したいのでこれはリスクありませんと、ある種不都合な真実を隠して説得してきた現実もある訳で、ダメな方は何が何でもだめだと。基準を満たしても認めないという、神学論争みたいな世界を抜け切れてないんですけど、いろんな視点ですよね。そこの紙(村井ひでき通信)にも書かせてもらってますけど効率性、安全性だけじゃなくて、環境の視点とか、安全保障の視点も含めながら綜合的に考えていった時に、やっぱり原発が現時点で再稼働が必要なんじゃないかという議論もあると思いますし、そうじゃない議論もあると思いますけれど。[じゃあ小泉さんは極端過ぎるということですね] ― ちょっと道筋が見えないかなと私なんかは思ってしまいますね。[この「村井ひでき通信」説得力ありましたよ。賛成派の人は原発がないよ中小企業が潰れるとか、そういうことは極端過ぎちゃうから、ステレオだなと。「村井ひでき通信」は様々な観点から書いてありますから、皆さんもホームページとかで読んでください] ― (笑)

●今だから言えるあの日のあの出来事

役所を辞める時のタイミングてあって、[その時はどちらにいらしたんですか?] ― 主税局という税金をやるとこなんですけど、そこで辞めるということを上司に言わなきゃいけない瞬間があるんですよね。私は言ってから仕事が目の前にあったので、一か月経ってから辞めたいなあと自分の中では思っていたんですよね。ある日自分の直属の上司である課長に言う訳なんですけれど、上司は驚きますよね。それでその情報がばーっと上の方に言って、財務省の決断は「今すぐ辞めろ」っていう(笑) [それはどうしてですか?] ― それはわからないんですけど、こんなこと言うの初めてなんですけど。おそらく当時、自民党は野党なんです。自民党から選挙に出るということは野党から出るということなんですよね。私はその時自民党の公認と言うか支部長になることがほとんど決まった状態だったので、財務省の若手、しかも当時もめていた税の世界にいる人間が何がしかの思いを持って野党から出るというのは、やっぱり面白くないんだと思うんですよね。「今すぐ辞めて欲しい」と言われまして辞めたんですけど。[最後の日とか上司とか冷たかったんでしょうね] ― いえいえ、身近な上司は暖かいんですよ。財務省出身で議員になった人はたくさんいますよね。お願いだから役所にいてくれと止められる人もいるんですよね。私はまったく止められなかった。(笑) [それもちょっと寂しいものもね。村井君ぜひ日本の将来をと口説かれたかったですよね(笑)] ― 当時留学から帰ってきて2年目だったので、留学費用の返還とういうのですねして、それが退職金を大幅に上回る額だったんですね。そ一括で払えというんですね。[それは厳しいですね] ― 法律に書いてあるので当然なんですけど。

そんな日もあったなあということであります。(笑) [先程、今は零細企業のトップみたいだという話もありましたけど、やっと育て上げて海外留学までさせて辞めるなんて思いますよね] ― まあ、そういう趣旨の法律なんですよね。辞める時、財務省の若手が200人位集まってくれてお別れの会をやってくれて、あんなに若手が一堂に会したことはあまりないと思うんですけど。集まってくれて、頑張れと。本当に有り難かったですね。[いい話ですね。今はレクチャー受ける立場ですね] ― 同期とか年の近い人が説明に来てくれますけどね。そこはざっくばらんに。(笑) [役人時代って正直言って議員以外の人とどんな人に会います?市井のそこらへんの人とは。それがいいとかではなくてそういう世界だから。それが今はコンビニのおじさんとか話さなきゃいけなくて。大変だと思いますよ] ― (笑)今日はすごく汗をかく回ですね。

 

●質問コーナー

Q1;私は零細企業の社長をやっているんですが

ているんですが、消費税の納税がキツイなと。増税後の数値を見てもマイナスになっていますし。消費税10パーセントってかなりキツイと思うんですけど。全体としては私は小さな政府を目指すべきだと思っていまして。福祉とかも大事だと思うんですけど、税制を含めてこの国の形をどうあるべきか聞かせて頂けたらと思います。

A:今回10パーセントに引き上げるべきかの判断は12月ぐらいにされると言われていますけれど、私も現時点では悩んでいますというのが正しいところです。もちろん法律に書かれているので原則は上げていかなければいけないんでしょうけれど、今の経済状況を見ると、新たなデータが出てきますのでそれを見て決めていけたらいなあと思います。基本的に上げるべきだと思っているのは、日本の政治って税に関して決める段階と実行段階の二回議論が起きるというのは、消費税に限ったことじゃないんですけど私は不適当だと思っていて、一回決めた事は実行するという前提でいろんな仕組みを作っていかなきゃならなくて、大きく状況が変わらなければやっていくべきで。たとえば今回の話にしても経済が落ち込んでしまうんであれば、経済を落ち込ませないような財政政策というのはどういったものがあるのかだとか、いかに法律通りに進むようにサポートしていくか等を考えていかないと、日本の政治はいつまでたっても進化しないだろうなあという思いがあるんです。今回の消費税増税はイレギュラーで2014年4月に3パーセント上げて2015年の10月に2パーセント上げるというのは、その時まさに現場にいたわけですけど、その決まり方が極めてイレギュラーで。2015年までに10パーセントにするという約束が国際的にもあったわけですね。2015年までに上げなきゃいけない、他方で民主党政権がやっている間に上げることはできないので満期の2013年9月までは上げられないと。その厳しいスケジュールの中で5パーセント上げるとなると、3+2でその間が1年半というすごい詰まった状態のスケジュールで法律を通しちゃったんですね。なので消費税の一発目のショックから抜けきる前に二発目の話をしなきゃいけないというすごい追い込まれた状態になっていて、そこは本当に厳しい話になってきているなあと思っています。なんとか予定通りいけるように頑張りたいと思います。

Q2;よく海外の税制と比較されますが、海外の税制と日本の税制は違うじゃないですか。

消費税が少なくみえても酒税や年金や保険や相続税を含めると税負担というのは高いと思うんですね。その辺の説明が国際的に出来ていないのかなという気もするんですね。消費税さけ捉えたら少なく見えるんですけれどいろいろな間接税が多いじゃないですか。その辺はいかがなんですか?

A2;先程小さい政府とおっしゃいましたが、今日本はどこの位置にいるのかという議論があって、高福祉高負担、低福祉低負担という言葉でいうと、中福祉低負担になっていると思うんです。先進国レベルは先進国の中で並、社会保障のGDPも並、負担の部分は低い方で、徐々には上がっていますけど。私は中福祉中負担でいくと今回の消費税の上げは仕方がないのかなと思っていますけど。[消費税は社会福祉に充当されるんですよね。社会保障に充当すると働く意欲のない人が増えるっていいませんか] ― そうですね。社会保障の中でもいろんな分野があって、一所懸命頑張った方が年金を払うという部分と、生活保護で働かないのに出すというのと違うんで、この部分は違うので査定の世界ですけどしっかりしなきゃいけないなあと思いますけど。[ガツガツ働くというのは違う風になってきたんですかね。私も仕事に疲れるとフィンランドとかノルウエーに行って男性とまったり暮らしたいと思うものね。(笑)本当に困っている人は助けてあげたいけど、社会保障があまりにも充実しすぎると皆さん働く気がなくなるは間違いないなという気はしますよね。メンタルな面も大きいですね] ― そうですね。政治は最後は気持ちですから。政治っていうのは制度を変えることによって人の気持ちだとか行動を変えるということがあると思いますし、そういう意味では気持ちは大切だと思います。

Q3;地元にこうしたいというものはありますか?

A3;私の地元に限ったことだと思うんですけど、さいたま市の魅力というのはね、見沼田んぼから見た新都心の絵なんですよ。すごい都会の所とスーッと開けた田園風景がものすごい近距離にあるんですよ。見沼田んぼというのはですね、1400ヘクタールなのでほんとに広大なんですよ。そんなとこ県庁所在地にあるのというくらいの田んぼが残っているんですね。自然と都市が共存をしていくというところが魅力だと思っているんですね。そこの部分をもうちょっと発信していけたらなあと。住んでる人の満足度はすごく高いんです。さいたま市長がよく言っているんですけど、さいたま市に住んでいてこれからも住み続けたいという人は8割から9割なんです。それくらい顧客満足度というか、住んでいる人の満足度は高いんですね。便利だしなおかつ自然もあって心満たされる、その両方があるというのは本当に素晴らしくて。セントラルパークから見るマンハッタンよりも、見沼田んぼから見る新都心の方が100倍美しいと思います。熱く語り過ぎてしまいましたけど、(笑)

現実問題としては農政とか様々な規制があって土地を持っている方も持ち切れない、もしくは耕作し続けられないといったような問題だとか、現場レベルではやっぱりあるわけですよ。そういうような所を応援もしていきたいし今の素晴らしいさいたま市というものをこのヌートともに守っていきたいというのがあります。