松木 けんこう
ac62
第1回
2011年10月05日 放送

無所属 松木 けんこう 衆議院議員

(動画より文字おこし)

無所属 北海道12区 3期目(2011年10月5日収録時点)

●幸せ度数年表

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第1回松木けんこう

[生まれた時は、(幸せ度数が)100%]―生まれた、というのは、非常に有難いことだと。そう思います。[どんなお子さんだった?]―憶えてないですね、やっぱり0歳の時は。[国会でのトークを聞いていると、結構やんちゃだったんじゃないか、と]―そんなことないですよ、非常に品行方正な(笑)。自分の好きなことは何でもトライしたくて、バイク乗ったり色んなことしてましたね。[けんかもしたんですか?]―そうですね、弱かったけど。[何歳の時でしょう?(幸せ度数が)結構下がってますね]―あんまり勉強が好きじゃなかったんでね、60%くらいで。でも下がってるってことはないですよ、普通くらいじゃないですか?[そして、24歳でまた100%に]―私をもらってくれる、という、本当に有り難い女性が出現しまして。まあ、いまだに一緒にいさせてもらっていますけど。大変嬉しかったです。24歳の時でした。[学生の頃に知り合った方?]―そうですね。[奥様は何をやられていた?]―やっぱり秘書をやっていましたね。[松木さんもその頃は秘書さんだったんですか?]―僕は19歳から書生みたいな形でこの世界に入りましたので、もう33年永田町にいます。[昔はボクサーを目指していた?]―そうなんですけどね。モノにならなかったものですから、なんか違う世界に来ちゃいまして(笑)。結構僕は車の運転なんかも好きで、レーサーになってみたいな、とか色々あったんですけど、どれも中途半端に終わって。ラリーに出たり色んなことにトライするんですけど、どれもあまりうまくいかなかった。でも、プロボクサーは本当になりたかったですね。今でもそう思います。[じゃあ、某代議士なんか見ると殴ってやろうとか思っちゃうんですね]―菅直人とか岡田克也とかですか?[あ、そうですか?(笑)私、いや、別に(笑)]―殴るに値しません(笑)。[そんなことおっしゃって、議員会館のエレベーターで一緒になった時、バツが悪くないですか?]―今度はどんな顔して「ご苦労様でございます」って僕に言うのかな、って楽しみですよね。[19歳から藤波孝生代議士の秘書さんをされて、ずっといくわけですね]―31歳で初めて子供を授かりまして。有り難かったですね。[お嬢様]―はい、「聖奈(せいな)」と申しまして。私はアイルトン・セナが大好きだったんで(笑)。聖路加病院で生まれたんですよ。だから「聖」に奈良県の「奈」と。「せな」じゃあまりにも…後で怒られても嫌なので、「せいな」としたんですね。そしたら僕の先輩秘書が、「レーサーの名前を付けて、何かあった時気にならんか?」って。「そんな、何でもないですよ」と言ったら、本当にアイルトン・セナがあんなことになっちゃってびっくりした、というのを今でも憶えています。で、33歳で2人目。今度は「礼奈」。僕が秘書の時に色んな偉い人のお宅に行くと、子供さんが時々出てくるんですけど、ろくに挨拶が出来ないガキどもがいっぱいいましたね。これはいかん、と。やっぱりお礼をちゃんと言えるような、そういう子供になってもらいたいということで、礼を尽くす、で「礼奈」という名前にしました。[そしてここでぐっと(幸せ度数が)下がります]―たいして気にはならなかったんですが、落選をしました。衆議院選に出て2回。8年間浪人しましたね。でも、これがやっぱり僕の原点なんですよね、ある意味で。[因みにその時の政党は?]―無所属で。まあ、また元に戻ったということですかね。[2期、無所属で出馬された]―1期目はね…徳田虎雄さんって憶えてます?自由連合の。私は無所属で出ようと思ってたんですけど、近くの人間がいつの間にか自由連合に私を入れてた、ということがあって(笑)。でもね、徳田虎雄先生には大変お世話になって、今でもお付き合いがあるんですよ。本当に気持ちのいい先生で。今はお言葉が喋れないんで、目だけ動かして「お元気ですか?」って。[藤波孝生代議士の秘書は何年ぐらい?]―45歳の時に当選はしているんですけど、48歳で藤波が亡くなるまで、私は秘書だったというつもりです。[(藤波さんとの)一番の思い出って何でしょうか?]―一番の思い出ねえ…ほとんど怒らない人だったんですけど、一度怒られまして。とんでもないことを私が言ったんですね。当時、金丸信さんが政治の世界では力があったんです。藤波は本当に贅沢をしない人だったんですけど、別荘を持たなければいけない、しかも金丸先生の近くに持たなきゃいかん、ということで。[山梨?]―そうそう。無理して持ったわけです。無理して持ったはいいけど、管理人さんも誰もいないわけですよ。藤波は風呂が好きなんですが、昔の風呂なものですから、種水が切れるとお湯が沸かない。それで、行ってもお風呂に入れないで泣いていることが多かったんです。で、私が「前の日に言ってくれれば私がちゃんとしますよ」と言ったら、「いや、お湯はひねれば出るんだろう」と。それでえらい喧嘩になった、というのが思い出です。[そんな事ですか?(笑)]―バカみたいな喧嘩だったんですけど、藤波の、何て言うんですか…素のおじさんを見た、という気がして(笑)。[お湯が出なくてすねちゃう]―そうそう(笑)。それで私がまた「別荘なんか持ったら金がかかるんだから、代議士お金ないんだからやめたほうがいいですよ」と言ったら、「何だ、お前!」って怒って。そんなこと秘書に言われたら怒るよね(笑)。でも最後に藤波が折れて、「じゃあ(別荘に)行くときに、君の所に電話するから」って。だから、私は藤波から電話が来ると嬉々として、真夜中だろうが何だろうが絶対にお風呂を沸かしに行ったんですよ。でも夜中に行くと、さすがに疲れるわけですよ。「ホテルに泊まろう」と思ったら妖しげなホテルがあって、そこにいつも泊まることにしたんです。そしたらそこのおばちゃまに、「何であなたいつも一人で来るの?」って言われて。実はこうこう、こうなんです、って話したら、「そうなんだ、あなた偉いね」って。そこのおばちゃんとよく話をしてた、という楽しい思い出があります。[なんかいい話ですね。そしてここで(幸せ度数が)ガッと上がっているのは何でしょうか?]―45歳ですね。ほぼ僕は当選できないと思っていました。[3度目の挑戦でしたね]―ええ。私が36歳の時かな、偉そうに「3回、10年、この政治に賭けてみたい」と約束しまして。「3回戦いたい」と言ったんです。でもそれには何の脈絡もなかったんです、本当は。ただ、お陰様で8年目で、3回目の選挙で奇跡的に当選させていただいて、本当に嬉しかったですね。びっくりしましたね。当選すると思わなかった。[そして民主党に入られた]―いや、民主党に入って当選したんです。1回目は徳田先生のところにお世話になったけど、基本的には無所属なんですね。でも藤波に「絶対、党に入らなきゃいかん」と言われて自由党に入らせていただいて、3回目の戦いの時に自由党で出ようと思っていて、自由党が民主党と一緒になっちゃったんで、いつの間にか僕は民主党になった。[入口は自由党だったんですね]―そうですね。[そして、この48歳。ガン!と落ちていますけど…]―それはもう、僕の師匠だった、一番僕が好きだった藤波孝生代議士が亡くなられたことです。[おいくつだった?]―確か75歳かな、本当に無理されてたから…。リクルート事件とか色々あったけど…「リクルート事件の後は、大変不遇な寂しい人生だった」みたいなことを新聞に書かれた事があるんです。でも、これだけは僕言っておきたいんですけど、そんなことないです。藤波は政治家から引退したあと、奥さんが…本当に仲のいい夫婦だったんです、ずっと藤波のことを看病して、伊勢の市民病院で、本当に枯れるようにして亡くなっていきました。[最後はご夫婦仲良く。大手マスコミは、最後は「孤独死」とか「壮絶死」じゃないとダメなんですね]―そんなこと言ってるからおかしくなるんですよ(苦笑)。[(幸せ度数年表を見て)このあとはずっと幸せ、ということで]―そうですね。今日は絶頂で、100%をちょっと超えてる。佐野美和さんと今、対談ができているから(笑)。

 

●最近の政治トピックス

 

増税ですね。増税はいかん、と思うんだけどなあ、僕は。[そんな時期じゃない、と]―時期もそうだし…あと、TPP。これも非常に問題になっていますけど。ずっとこの十何年間、日本はデフレで来たわけでしょ?デフレスパイラルですよね。これを取り戻す、というところから始まったほうがいいと思うんで、今は積極財政をやる時期である、と。TPPも物価を押し下げる可能性があるし、あんまり賛成はできないな、と思っています。僕は、今は積極的にやっていった方がいいと思う。それには公共事業なんかも非常に役に立つと思うんですよ。「コンクリートから人へ」という話を鳩山前総理がしましたけど、あれはいらないコンクリートは駄目だよ、という話であって、しっかりとしたコンクリートはOKということですから。[現在松木さんは無所属ですが、どう働きかけていく?]―もともと僕は民主党というカテゴリーの中で当選させていただいて。これが無所属だったら、当選なんかとてもできませんよ。僕は今、除名されて民主党じゃないことになっている。その事で、地方の私の選挙区の、民主党の関係者の人達には申し訳ないな、という気持ちはありますけどね。[また民主党に復帰されることは?]―申し訳ございません、ぜひ帰ってきて下さい、と言われたら、それは考えますね。偉そうにすみません(笑)。[人のつながりを大切にする民主党になって欲しいですね]―そうですね。[明日10月6日、小沢(一郎)さんの公判がありますね。その事については…?]―詳しい事はわからないんだけど、来年の春には結果が出ると言われてますから、無罪がとれるようにしっかり頑張っていただきたいな、と思っています。

 

●今だから言える、あの日のあの出来事

 

[石川知裕さんと仲がいいんですよね?]―石川くんを小菅に迎えに行きました。彼の第一声というのが、「先生、私は“お前は5,000万貰っただろう”とずっと言われました。意味がわからなくて大変でした」だった。彼が5,000万貰ったということが認定されているわけです、今回。しかし、僕はどう考えても…。「私が貰ったって言うんですよ。何なんでしょうか、世の中は」って彼は言ってましたよ。[松木さんは、本人は知らないことだったと直感で思われた]―私は人の目をまず見るほうなんですけど、僕は彼のその言葉には嘘はない、と思いますけどね。[他にも(今だから言える出来事)いっぱいあるんじゃないですか?]―そうですねえ…僕は結構体力があるほうだし、そう簡単に腕相撲なんかも負けないぞ、と思ってたんですけど、6月2日の内閣不信任案の時に…。[賛成票を投じてしまった時ですね]―石関貴史君と中野譲君の二人の代議士に、なかなか本会議場に入れてもらえなくて。[松木さんが賛成票を投じると、執行部から除名になってしまうかもしれないから]―まあ友情なんですよ、心配してくれたんです。でも、こっちは何とか入ろうとするわけですよ。全然かなわなかったですね、あの二人には。意外とこいつら力あるな、と。[彼らまだ30代ですから(笑)]―負けました(笑)。[どうやって入って賛成票を投じたんですか?]―小沢さんが呼んでる、みたいな話で小沢さんの事務所に行かされたんですよ。部屋に入って「ちょっと電話が…」とか言いながらまたすぐ出てきて、走って本会議場に戻ったんです。信念を通すときは通さないといけない、と僕は思うし、それが正しいか正しくないか、というのは、それは色々とあるんですよ。例えば朝霞の公務員宿舎の問題もそうだけど、ああいう対応はまずいですよ。もし、あの公務員宿舎がどうしても要るんだと言うのであれば、説得をする努力を僕はしてもらいたい。僕は野田さんに頑張ってもらいたいと思っていますので、全然悪口じゃないですよ。ちょっと見に行って、やめた、やる、やめた…要するに事業仕分けでやめることになったでしょ?「凍結」っていう話になって、これがまた中途半端なんだよね。お金もかかるし、違約金を考えたときに、「どうしても造る。そうすれば色んな業者の人達も仕事ができるからお金も回るじゃないか」と言うんならね…やっぱり説得する努力をする、というのが大切なんじゃないかな、と。要するに信念が無さすぎる。ただし僕は、造るのがいいとは言いませんよ。[民主党を見ていると、説得力に欠けるな、と…]―やっぱり、しっかり物を言わないといかんですよ。フラフラ、フラフラとするんじゃなくて。もしそれが間違ったと思った時は、「すみません、これは間違いでした」ときちっと言えばいいし。そうしないと信頼性が揺らいでしまいますよね。

 

●質問コーナー

 

Q : 本当に増税するのですか?

 

A : するんじゃないですか?ああやって言ってるんですから。ただ私は、何回も言ってますけど「民主党ってそういう党だったでしょうか?」と問いたい。どこかで増税する時代が来るのかもしれません。そうかもしれないけれども、今なのか、ということと、それと復興増税。色んなところから工夫することは充分出来るのではないか、と。例えば、労災保険・雇用保険。かなりのお金が眠っているんです。我々が野党の時に言った「色々と眠っているお金があるんじゃないか」ということが、もう終わったのかな?どうなのかな?、と。私は終わってるとは思いませんよ。だからそこをしっかりとやってもらいたい。とにかく、税金を上げて「ちょうだい、ちょうだい」と言うんじゃなくて、もっとしっかり考えてもらいたい、というのが僕の意見です。

 

Q : 松木議員の内閣不信任案賛成には感動しました。民主党内には色々な考えがあると思いますが、政界再編の動きはありますか?

 

A : それがどういうふうになるか、僕も民主党にいないのでわかりませんが…民主党が寄せ集めだという話がありますが、それはその通りです。ただし、それは自民党もどこも一緒です。違いは何か、と言ったら、自民党は何だかんだ言って50年、60年というキャリアがあった、ということ。最後の治め方をある意味で知っていたんでしょうね。しかし、残念ながら民主党は…。私はこの「日本をダメにしたこの民主党議員たち」にも書きましたけど…民主党議員たちが全部ダメだということじゃないんですよ。ごく一部の人間なんですけど、例えばこの間代表選があった時も、海江田さんの陣営に菅さんが酔っぱらって電話をよこすわけですよ。「小沢一郎は、あいつは金が目当てなんだ」とか「170億の政党助成金が目当てなんだ」とか、20~30分グダグダ。[総裁選の前の日に、本当に菅さんから海江田陣営に電話があって、くだを巻いた、と]―そう。本当にとんでもないですよ。例えばね、海江田さんじゃなくて今回は野田さんのほうがいいんだよ、と説得の電話をしたというなら、これはいいと思うんです。そうじゃない、人の悪口なの。結局それが彼の正体、ということです。…スミマセン、しっかり頑張りたいと思います(笑)。

 

●今後の政治に対する意気込み

 

―「国民の生活が第一」と言って2年前に我々は政権を取らせていただいたんです。[民主党のキャッチフレーズでしたね]―例えば子育て支援。今年の特殊出生率が1.39。その前の年が1.37で、0.02ポイント増えました。僕は子育て支援はぜひやるべきだと思っているんです。子供がいなければ将来がないじゃないですか。フランスは、徹底的な子育て支援をしてフランスの将来ができたんです。子供の手当の事をこれからもっとやりたいな、と思うし、あとは「食」ですね。自給率が40%。これをひとつの指針と考えるならば、それを5割、6割に上げていきたい、というのが政権交代の時の大きなテーマでした。で、今はどうなっているか。TPPで40%の自給率をぜひ13%に下げようと、こう言い出した。要するに、右45度の話をしていた民主党が、左45度の話をしたらわけがわからなくなるんですよ。良い悪いを超越していると私は思いますので、ぜひそうではない方向に民主党には歩んでいただきたいな、と。どの政党も世の中を何とかしたいと思っているから、どの政策も全部合っているし、ある意味間違っているとも言える。それは歴史が証明するんです。だから、取捨選択は国民がする。国民の皆さんは責任が重いんです、実は。しかし、言った事とやっている事が全然違うのは、これは政治家が悪いんですよ。そうであっちゃいけない。私は、自民党という政党は、100のことを言ったら5か6しかやらなかったかもしれないけど、方向性だけはしっかり持っていたような気がします。そこらへんを(民主党に対して)僕は大変心配しています。