柿沢 未途
柿沢
第5回
2011年11月03日 放送

みんなの党 柿沢 未途 衆議院議員

みんなの党 東京15区 1期目(2011年11月3日収録時点)

[今日はですね、今までで一番多くのギャラリーです]-それにしても「みんなの党」の市議会議員がたくさんいて総会屋みたいな状態ですね。 [前段がみんなの党の支部長さんや区会議員、市会議員のみなさんですね。後ろのほうは未途さんの地元の方もいらっしゃいます。]-ありがとうございます。 [一番後ろの左から2番目の方は、元暴走族の〈みなごろし〉という会のリーダーだったんです。今はまともになられて、ご子息さんが警察官だそうです。]-そうですか。とってもリアクションが難しいですね。(スタジオ:笑い) [こういったメディアはいかがでしょうか]-私は元NHKの記者なんですが、この間鉢呂さん(鉢呂吉雄:経産相)の放射能うつしてやるぞ発言をめぐって呼ばれた時、東京新聞の長谷川幸洋編集員なんかとニコ生の番組に出たんですけれども、1時間番組って言っていたのに結局1時間40分ぐらいやっていました。 [そうですか。NHKとは対極のメディアですが時間内に終わらせるようにします。宜しくお願いします。]-はい。

●幸せ度数年表

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第5回柿沢未途

[生まれた時は100%ですね。今まで200人ぐらいインタビューさせていただきましたが、生まれた時100%からいくのは自民党体質の方が多いですね。民主党共産党はだいたいマイナスからはいります。]-そーなんですか。その話面白い・・・私はまぁ、生きていて楽しいし、〈産まれた〉という事は100%だと思います。 [どんなご幼少だったのですか]-僕は変わった子供として有名でした。親父が大蔵省から出向した先の、ベルギーのブリュッセルで長男として生まれました。 [賢かったんでしょうね]-どっちかというと、いたずらっ子のタイプでした。幼稚園からの帰り道で勝手に人の家に上がりこんで(その家の人に)〈家に帰ってきたらお宅の息子さんが家でお茶飲んでるんですけど〉なんて言われたりして・・・[選挙向きですね]-どうですかね。物怖じしなかったんですね。 [小さい時から個別訪問ですね。はい、18歳で少し下がってますが(年表)]-浪人したんです。ここまでは小学校から麻布に入ってずっときたんですが、二浪して20歳で東大の法学部に入りました。大学時代はラクロスというスポーツをやっていました。学生が運営している〈日本ラクロス協会〉の総務部長なんかをやらせていただいたりして。あと、入学した当初から〈東大ホースメンクラブ〉っていう競馬のサークルを同時にやっていました。当時、フジテレビの〈カルトQ〉という番組に出て、〈競馬篇〉で優勝して脚光を浴びました。 [私も〈カルトQ〉にビートルズで出たことがあります。でも予選で落ちますよね]-え~ほんとに!僕の時はペーパーテストの予選で300人くらい集まったのかな・・それで見事本線に出て、今でも思い出します。〈ミホノブルボンが菊花賞で2着に負けるまで、ずっと連戦全勝だったんですけども、その間に2着馬に付けた着差の合計は?〉という(問題)のがあって(答えは)22馬身4分の1と鼻差、なんですよ。 [なんですかそれ、何を言ってるのか分かりません]-あと-馬の足の写真だけ見て当てるとかね。 [そういうのも分かっちゃうんですか]-分かりましたね。要はオタクっぽかったんですね。あの当時、大川慶次郎さんとかNO1ジョッキーの岡部幸雄さんとかをお呼びして、東大の駒場祭でトークセッションやったり、競馬の本も2冊出しました。 [今もやってらっしゃるんですか]-いいえ、今は観るチャンスが無くなりました。土日は地元の活動に没頭して追われています。 [人生そのものが博打みたいなものですけどね]-そういう面があって、この仕事やってるとギャンブルやろうなんて気持ちが無くなりますね。[そうみたいですね、そういう話を聞きます。そして大学を卒業されてNHKに入社されたんですね]-はい、NHKの長野放送局の記者を4年間やりました。1998年の長野オリンピックの取材をやりました。28歳の時、父親の柿沢弘治が1999年に都知事選挙に出まして・・・ [はい、飯島愛さんが来た時ですね]-(笑い)そこから入りますか。石原慎太郎とか出てこないんですか。(スタジオ:爆笑)ちなみにパイレーツも来て「柿沢弘治だっちゅーの!」って・・・あれで票が半分になったと言われています。いずれにしても父が自民党を除名されて都知事選挙に出たけど、後だしジャンケンで出てきた石原慎太郎さんに負けるんです。あの時、鳩山邦夫さんも舛添要一さんも出て多士済々(優れた人が多い様子)だったんですね。その時に僕は会社に辞表を出しました。父親が自民党を除名されて、孤立無援で選挙をやるのに手伝わなきゃいかんだろうな、と思いまして、上京して手伝いました。 [その頃から自民党は許せない、って感じだったんですか]-まぁ親の敵みたいな気持ちは当時はありましたね。〈東京をこうしたいという夢と政策〉が柿沢弘治にはありました。一方で明石さん(明石康)は人生の大半をニューヨークの国連本部で過ごした人で、秋田県出身でヒューっと戻ってきて東京都知事選っておかしいじゃないか、と。自民党の都合でこの人を選ぶっていうのはおかしいと。そういう気持ちはありました。 [舛添さんも鳩山さんも1回自民党に行っちゃいましたね]-あの時は、鳩山邦夫さんは民主党の推薦候補で出てるんですよ。 [え~そうだったんですか?もう忘れちゃいました]-そうですよ。うそばっかり、当時議員とかやってたくせに・・・(笑い)そういう意味では私としては、古い自民党というのは〈親の敵でござる〉という気持ちはありますね。 [で、ここはずっと順調ですね(年表)]-30歳で無所属で都議会の選挙に出て、あの当時無所属グループを作って「税金半分、議員半分、役人半分、幸せ2倍!」ていうスローガンで都議会に出てなんとか当選しました。で、「2分の1の会」っていう一人会派を作って活動していました。[私も経験ありますけど、一人だと何も出来ないんじゃないかとか言われますでしょう]-それがね、最初は一人会派に対して自民党も民主党も意地悪しようとしました。定例会が年4回あって一般質問は年に1回一人当たり13分やるんですが、一人会派は3分ずつ年に4回やれと言われました。一番最初に取り上げたテーマがカジノの話です。ラスベガスのカジノは遊園地みたいな施設を兼ね備えていて大成功してるのでお台場でカジノを作るのはどうか、という3分間の質問をやったら石原都知事が〈ぜひ、やりたい〉と言って・・その年の12月だったかな、都庁の最上階の展望台でカジノのデモンストレーションをやる、っていうイベントがあったんですよ。私の3分間質問が大成功しちゃったんです。そしたら次の定例会から〈やっぱり1年に1回13分ね〉って戻っちゃったんですよ。そういう一人会派いじめみたいなことがありましたけれども、逆にそれを逆手にとっていろいろな事をやりました。実際今でも私の一般質問がきっかけで“ショートショートフィルムフェスティバル&アジア”っていうのを東京都が共催でやってるんです。私の友人で俳優の別所哲也さんが立ち上げた“ショートショートフィルムフェスティバル”のアジア版です。一般質問でやったら石原都知事が観に来てくれまして、挨拶をしてもらった時〈来年から東京でも“ショートショートフィルムフェスティバル&アジア”をやります〉ってその場で宣言して実現しちゃったんですね。そういう事をいろいろやってきまして有意義だったですね。 [東京都のカジノはどうなったんですか?]-カジノ関しては、賭博に関する罪で賭博罪っていうのが刑法にあって、これをクリアするために国が立法しなきゃいけないんですね。今その法案を〈国際観光産業振興議員連盟〉で作ってまして、もう法案を出す一歩手前まできています。 [そうーなんですか、良かったですね]-そうですね。もう10年間取り組んでいるテーマです。例えばシンガポールでカジノを含めたIRっていう統合型リゾート施設が出来て、その2010年はシンガポールの経済成長率が14.5%、観光収入が1.5倍です。日本でそれをやれば大きな収益が上がりますし、その一部は国庫に入ってきます。被災地の復興財源にもなります。そんな事を都議会でやって、いろんな成果がありました。最後は都政をひっくり返すような騒ぎになった、当時百条委員会ってのがありまして法廷に立たされるような立場にもなりました。いろんな事を経験させていただきました。 [で、ここで下がってる(年表)のはなんでしょうか]-ここは、マイナス百万ですね。今だからこんな風に言える話ですけれども、私は民主党公認で衆議院選挙に出ようと活動中だったんですが、酒気帯運転で事故を起こすというホントにバカなことをやってしまいまして、都議会を辞職するということになりました。しかも、辞職をした2月13日は、父が食道癌の手術をする前日だった。もうホントに地獄に落ちて当然の大きな親不孝をしました。今でも父が手術室に向かっていくときの光景を思い出します。人間失格ですよ。そういう時期でした。 [反省を込めてお寺に行かれたと聞いたことがあるんですが]-私、廃人同様になりまして人の目が怖くて外を歩けなくなりまして、もんもんとしてて〈こんなことしていたらホントに駄目だ〉と思って・・・当時の後援会長に〈京都に良い禅僧を知っているからその禅寺に入ってきたら〉って言われまして。管さんのお遍路パフォーマンスを思い出したけど、とにかくふっきれなくて、真っ暗な部屋で一日膝を抱えて過ごすのは駄目だと思って、何でもいいからすがってみようと頭を丸めて座禅の修行に入りました。足が千切れるような痛みでしたけどそれに耐えて、草むしりとか庭仕事とかね。でも僕は、満足に出来なくて〈おまえみたいなお坊ちゃんは何の役にも立たない〉って言われてパカパカ頭殴られて、情けない思いをしました。ある意味得難い経験をしたと思います。この頃はホントに苦しかったです。 [さらに落ち込んでるんですけど]-ここで私の父が亡くなるんですね。2009年の1月27日に食道癌の闘病生活をしてそのまま亡くなりました。私は、父の病状が悪くなって世話する人がいないという事もあったので、帰ってきて24時間おむつを替えたりお風呂に入れたり、いっしょに散歩したり腸に通したチューブから栄養を入れたり、そんな事やってました。 [誰もが肉親の死っていうのは直面しますけれど、自分を育ててくれた元気だった人のおむつを替えたり世話をするというのは辛いですね]-まぁでもこの時間があって良かったと思います。父が亡くなった時、〈実の息子にお風呂に入れてもらって背中を流してもらって、こんなに気持ち良くて嬉しいものだとは思わなかった。自分も親父にしてやったら良かったなぁ〉って言ってったと、母に言われたんです。これを聞いた時は涙が止まりませんでした。こういう時間を最後に持てたことは良かったな、と思いますし、日本人の3人に1人が亡くなる癌と言う病気と正面から向き合いました。今、厚生労働委員会をやってますので〈がん医療を良くする〉というのは父から与えられたテーマだと思っています。 [そして、V字回復になってますね]-何と言っても、私の父の葬儀をきっかけにして渡辺喜美さんと出会うわけですから。柿沢弘治は、渡辺美智雄先生が外務大臣だった時に外務税務次官をやって〈ミッチーさんを総理にしたい〉と思って政治家としてやってきたんです。葬式のときに渡辺喜美さんが来て、手を合わせてくださいました。その頃に渡辺喜美さんは、本会議場で麻生総理に質問状をたたきつけて一人で離党するわけです。 [〈日本の夜明〉を作ったんですよね]-そうやって、テレビに追かけ回されて多忙な状況の時に来てくださって、ぽろぽろ泣いてね。今でも思い出しますけれども、その出会いがきっかけになって今の私があるんです。運命的だったと思います。 [そこで誘いを受けたんですか?]-葬式に参列していただいたお礼で一軒一軒回ったんですが、たまたま渡辺先生がいらっしゃっていろんな話をしました。(その時)〈自分も父親が亡くなった時は1年ぐらい辛かったな。ところでお前はどうするんだ?自分は自民党を離党して誰を応援したってかまわない立場になったから、どうだ?一か八かで再起をかけるっていうなら俺は何でも応援してやるぞ〉って言われまして、運命的に感じまして〈よろしくお願いします〉って言いました。そこから“みんなの党”が出来るまで半年ぐらいかかりました。5月に、渡辺先生と一旦解散した自分の講演会のメンバーに集まっていただいて、〈渡辺新党の第一号候補として擁立します〉と言っていただきました。その上で“みんなの党”が出来て、おかげさまで東京ブロックの比例代表で議席を与えていただきました。 [当選されておよそ2年以上が経ちましたが]-少数政党の1年生議員をやってますが、とにかく国会質問の機会が多いんです。2年間で163回やらせていただいて、国会質問最多議員なんですよね。通常国会で調べてみたんですが81回、2位の方が41回で2位の方の倍やってるんです。国土交通委員会・総務委員会・厚生労働委員会・災害対策特別委員会・科学技術とイノベーションに関する特別委員会・東日本大震災復興特別委員会を掛け持ちしてるんです。 [党が小さいから割振りが多くなってしまうんですね]-そうですね。衆議院議員5人の中で渡辺代表がいて江田幹事長、浅尾政調会長は大スターですから基本的にテレビの国会中継が入るような場でしか質問はしないです。テレビに映らないところでの質問は私が事実上一手に引き受けています。鳩山総理や菅総理、各閣僚に至るまであらゆる方へ国会質問させていただきました。先日、あわや可決しそうになった菅総理の内閣不信任案の時には、みんなの党を代表して賛成討論に立たせていただきました。 [松木謙公さんといっしょですね]-そうです。私が丁度討論になってる時に、原口さんが松木さんを慰留しているところがドアップ(放送で)になって、松木さんのBGMみたいな状態で放送されたらしくて・・・(スタジオ:爆笑)自分がどういう風に映ってるかは分からなかったんですけれども。だけど、まぁ全国が注目をする場面で使用して頂いたり、他の1年生議員では考えられないような多くの経験をさせていただいてると思います。 [しかも参議員選がありまして、みんなの党は参議員11人ですか?]-そうですね。みんなの党っていうのはちょっとエッジがきき過ぎていて、尖がりすぎているので民主党にとっても自民党にとってもなかなか受け入れがたく、あまりにも正論過ぎる政策を掲げているのでけむたがられていて、国会の中では民主党自民党公明党の路線とは唯一のアンチテーゼを掲げている政党になっていますね。大きな政府路線に対して小さな政府路線ですね。 [これからも存在感を表して欲しいですね]-そうですね。その為には衆議院が5議席ではダメです。 [そうですね。みなさん支部長さん頑張りましょうね]-(スタジオ:拍手)あそこに東京第24区の八王子市の小林弘幸支部長がいますけれども仲間を増やさなくてはいけない。例えば30議席40議席という議席を頂ければ、民主党自民党の中で過半数割れした時に、まさにキャスティングボートをにぎっていくことが出来るようになる。[そうですね。国民としても面白いですね]-そうですね。その時には私たちの政策(アジェンダ)を突きつけて、実現していきたいと思っております。[はい、わかりました。それでは一旦締めたいと思います。]

 

●最近の政治トピックス

 

[何かございますか]-たくさんありますよね。実は先月9日から15日まで、震災復興特別委員会の委員派遣でチェルノブイリに行ってきました。 [え~大丈夫ですか?]-あ~ほら〈大丈夫ですか〉って言われるんですよね。そう言われるんですけどチェルノブイリ原子力発電所はいま、150m手前の目と鼻の先まで背広のままで行けるんですよ。あれは(事故が起きたのは)1986年ですね。線量計を持っていって調べた数値は7マイクロシーベルトです。低いわけではないけど1時間見学するのには問題ない数字ですね。今30キロ圏内がこの25年間人が住めない立入禁止区域なんですが、この圏内のチェックポイントで計った数値ってどのくらいだと思いますか?0.06マイクロシーベルトですよ。 [え~ホントですか]-これはもう、東京でも普通に測定されるような数値です。逆に言うとチェルノブイリの30キロの立入禁止区域の中に相当するような、そういう放射線量の中で福島の人たちは生活をして子育てをしているわけです。これでホントに良いのかな、という気もしました。今福島では除染の活動が始まっていますが、チェルノブイリでは30キロ圏内の除染を諦めて断念しているんですね。日本でも福島市の渡利地区で除染の活動をやってますけれども、土を剥いで丹精こめて育てた庭木も全部抜いて、高圧洗浄して家の塗装も全部剥げちゃったりして、その挙句部屋の中の放射線量はあまり下がらないという事が言われているんです。それはなぜかというと、降り注いだ放射線物質が屋根にべったり付いていて、この屋根をそっくりそのまま取り替えないと部屋の中の線量は下がらないんです。ある建設会社が試算をしたんですが、この1件の住宅の庭や駐車場も含めて、本気で除染をやるとどのくらいのお金がかかるかというと560万円ですって。対象家屋は膨大ですし、今5ミリシーベルト以上(の除染)だけで1兆1千4百億円の予算がかかると言われているんです。本来は1ミリシーベルト以上は全部除染する(んですが)、そうすると対象の面積は7倍くらいになりますので、8兆円お金がかかるんです。コストも期間も相当かかる、そしてやっても線量が下がらないかもしれない、という事で〈除染の活動を進めていくという事が現実的にどこまで可能なんだろうか〉とチェルノブイリを見てきて非常に疑問に思えてきてます。この間、科学技術特別委員会でこのことを細野大臣に質問したんです。 [どんなお答えでした?]-やはり、頑張るという決意を示されておりました。頑張って(やって)帰って来てもらうんだと・・・それは非常に希望に満ち溢れたメッセージで良いと思うんだけれども、除染をやるからと言って避難を認めないという対応をしています。放射線量の高い所で毎日毎日子育てをしているんです。〈除染をすれば放射線量が下がるからそこに居て下さい。避難するんだったら保証も支援もしませんよ。〉なんていうことでホントにいいのかな、っと思うわけです。今の原発事故、或いはそれ以外の事故の補償・賠償などホントにいろいろな課題があると思います。今回チェルノブイリに行って現地の専門家から話を聞いていろんな事が見えてきました。食品の基準値もそうです。食べ物500ベクレル、飲み物200ベクレルになってるんですけど〈こんな数値は信じられない〉とウクライナの人は言ってました。こうした事も早急に改めなければいけない。 [そういえばこの間園田さんが汚染水を飲みましたよね]-あそこでジャーナリストから〈安全だと言うなら飲んで下さい〉と言われて飲んじゃったんでしょうけど、あれをやったから安心だという事にもならないと思うんですよね。なんとなく菅さんのかいわれパフォーマンスみたいで、ああやってみえみえのパフォーマンスをすることで国民からするとむしろ〈怪しいな〉という気持ちになってしまうのではないかと思うんです。情報の開示っていうのは、正しいことを率直に、ネガティブな事であっても速やかに開示すると。それをやらなかったから、原発に関して、国民は政府のいう事を信じなくなったんですから・・・ [チェルノブイリに行かれてる議員さんって結構いらっしゃるんですか?]-今回は、震災復興特別委員会と衆議院の議運(議院運営委員会)も行ってきました。見てきて学ぶことは多かったですね。なかなか行ける所ではありませんから、私たちがしっかりと見て国民の代表として議論に生かしていかなければそれこそ税金の無駄遣いと言われてしまいます。[わかりました。一旦締めたいと思います]

 

●今だから言えるあの日のあの出来事

 

さっき話したと思うんです。(スタジオ:笑い) [そうですね、さっきのでいいです]-今でも私自身自分の運命ってものを感じています。 [それ以外で何かございますか]-そうですね。やっぱり禅の経験が決定的で父が亡くなったとき修行していた、滋賀県の永源寺というお寺の篠原大雄導師っていう宗道の館長さんから色紙を贈ってもらったんですね。“夢”って書いてありまして〈未途という名前が私は好きなんです。その名の通り頑張って下さい。〉と書いてありました。それ以来、色紙を書くときは“夢”って書いてます。自分の名刺にも篠原大雄導師からもらった色紙の“夢”っていう字を入れてます。実は、この篠原大雄導師が先月、私の父と同じ病気の食道癌で亡くなりました。〈人はやっぱり運命によって生かされているんだなぁ〉とまた感じました。座禅をして頭を丸めて修業するなんて人生において一度も考えたことありませんでしたけれども、そういう事って何らかの必然性があって、先日スティーブジョブスも言ってましたが〈人生において起きている点と点の出来事は、その時は意味は考えられないけれど、振り返ってみると点と点は線で繋がっていて意味があったことが解る〉と。ホントにそうだと思うんです。ひとつひとつの経験は何事も無駄じゃない。そしてこれは、熱心に応援してくださるお医者さんから〈人間は成功からは多くのことを学べない。人間が必ず成長するのは失敗した時だ。〉という事を言われたんです。そうだな、と思っています。 [みんなの党で当選されてから2年になりますがどうですか、違いみたいなのってありますか?]-僕は、渡辺喜美さんはとっても誤解されている政治家だな、と思います。あの人は、普段は無口で読書家でひたすら勉強するのが好きで、あんなおちゃらけたところは全く無い人です。 [そ~なんですか。地方に行くとドラえもんって言われるみたいですよ。]-人前で政治家として振舞うときは非常に陽気で積極的で雄弁で解りやすく面白く話す、非常にコミカルで面白くしゃべるので〈なんか、不真面目な人だとか、パフォーマンスばかりの人だと思われてますけれど、あれだけ政策をよく勉強して、金融みたいな難しい問題をかみくだいて深く理解したうえでやさしく語る人はなかなかいないと思うんです。公務員制度の改革だって、官僚叩きで人気を得ようみたいに思われてますけども、これこそ日本の歪みの本質です。これを変えることが、ボーリングの1番ピンが倒れれば10本倒れてストライクになる、そういうことだからこそ、公務員制度の改革をまずやらなきゃいけない、と言ってます。例えば、古賀茂明さんみたいなものすごい人材が経産省を辞めて、渡辺喜美さんの下で公務員制度改革をやり、みんなの党と同じような考え方に基づいて〈日本の改革を行おう〉って言ってます。渡辺喜美さんに対する親近感を隠すことも無いし、ああいう人材がブレーンとして支え(てくれ)るというのは、やっぱり僕は(渡辺喜美さんは)すごい政治家だなぁ、とホントに思うんです。聞いてる人はどう思うか解らないですが、こういう人を日本のリーダーにしたいな、と思いますね。[まだ小政党ですが党議拘束なんかは厳しいんですか?]-私自身は、みんなの党の基本政策またはアジェンダをしっかりふまえて質疑を行ってる分には、相当自由にやらせていただいてます。チェックをされることも無いです。 [じゃぁTPPに関してなんかはどうなっちゃうんですか]-TPPに関しては、〈日本を開く〉という事を結党当初から掲げてきました。例えば農業に関して言えば、今のままの農業政策をやっていたらどうなるか?10年後には農業をやる人がいなくなっちゃうわけですよ。〈農業をやったら稼げる〉というふうにしなきゃならない。その為には、日本の農産物を世界に売ることが出来るようにしなきゃいけない。(今は)関税をかけて高いお米にして価格支持政策をやり、だけど高いから国際競争力が無くて、だから減反をして価格を維持する為に田んぼを潰して自給率が下がっています。本末転倒のことをやってると思うんですよ。世界に日本の米を売り出す為には、価格を大幅に下げて関税を撤廃して、その代わり自由に生産してもらって国際競争力を持つんです。なんたって日本の外側には30億人も米を食ってる人達がいるわけですから。そういう人達に日本のお米を売っていけばいいじゃないですか。それで何か食糧安全保障上に問題があるんだったら、輸出向けに作ってる米を国内で消費するようにすれば自給率100%になるじゃないですか。こういうしゃべり方してると〈あんた渡辺喜美にしゃべり方が似てるね〉って言われますが(スタジオ:爆笑)私たちは、そういう考え方に基づいてやってます。民主党・自民党と違うのは、既存の国会議員がいて離合集散の中でバッジをつけてる国会議員が集まって作った政党じゃなく、政策が先にあってそれに賛同して集まってきた人たちが作った政党なので、政策的な齟齬や食い違いは起きないんです。今のTPPにおける民主党内の意見が真っ二つになるような、そんなことは起きないです。 [志がいっしょになっているんですね]-そうですね。民主党も自民党も国会議員がみんなで集まって〈何を政策にしようか〉って相談して、〈俺はこれは駄目だ〉〈俺はこれは出来ない〉って感じだから、曖昧な足して2で割ったような政策ばっかりになっちゃうんです。他の政党との違いだと思います。 [未途さんは生まれたときから政治家であるお父様を見ていらっしゃいますが、いつか自民党に入りたいとは思いますか?]-自民党ですか??全然。 [そんなもんですか、都知事選前も?]-全然。自民党が良いと思ったことは1度も無いです。私の父親は自民党というよりも新自由クラブの人間でした。新自由クラブというのは都市型の保守政党です。完全に〈農村への利益誘導〉の田中角栄型の政治をやっていた自民党に対して、都市っていうのは労働組合があって社会党の票田であり、団地が出来ると公明党の票田になるんですけど、しかし自民党を支持するような保守的なビジネスマンも東京にはいっぱい住んでるじゃないか、その人達を票田にする〈農村に利益誘導をする自民党とは違う〉都市型の保守政党が必要だということで新自由クラブが出来たんです。今でも父親の本籍地は新自由クラブだと思っています。逆に自民党という政党には馴染めなかった人だと思っています。 [そうですか、解りました。大変気分を悪くさせてしまい申し訳ございませんでした。]-いやいや、そんなことないです。(スタジオ:爆笑)[それでは、質問のコーナーにいきたいと思います。]

 

●質問コーナー

 

[修行で一番辛かった事は?]-座禅です!もう足が千切れるかと思いました。動くと叩かれるし・・・あんまり質問らしいのは来てないですね。ホントに無いですね。 [あ、会場から質問どうぞ] [私、会社を経営しております。自民党も民主党も増税路線ですが、未途さんには是非反対していただいて、増税しない復興策をしていただきたいのですが、例えば政府貨幣の発行などはいかがでしょうか]-政府紙幣の発行については、私たちもいろいろとお知恵を拝借している高橋洋一さんもおっしゃっています。一つの選択肢になり得るだろうと思います。この間、第3次補正予算の政府案にに対する対案で〈増税なき復興財源案〉というのを出して、100兆円の財源があるじゃないかという話をしたんです。その中には政府も取り入れている、やり方は良くないですけど郵政株式の売却とか、JTの株の売却とか、国債整理基金特別会計に入っている減債基金積立の定率繰入12.5兆円、毎年毎年国債返済のために新しい国債を発行して特別会計に使いもしない溜り金を積んでいるんですけども、こんな事どの国もやっていません。取り崩して使えばいいじゃないかと。もっと言えば、民主党が2009年のマニフェストで掲げていたはずの〈国家公務員総人件費の2割削減〉ていうのをやるんです。国家公務員の総人件費っていうのは6兆円ですから、2割削減すれば1.2兆円です。復興の期間が10年間で12兆円です。これで第3次補正予算の12兆円、財源が出るじゃないかって話なんですよ。だから今回増税は必要ないと思います。増税を財源にすることによって〈増税はこれくらいしか出来ないから、復興予算はこのぐらいだよね。〉と、復興予算の規模が小さくなっちゃうんですよ。そうやって被災地に、このお金しか投じなければ結局復興出来なくなっちゃうんです。増税を財源にすることの1番の問題点だと思うんです。民主党内だって〈みんなが増税に大賛成だ〉って人達ばかりではないわけです。党のしがらみにとらわれないで、よく渡辺美智雄先生が言っていたんですが〈派閥の前に党がある。党の前に国家国民がある。〉わけですから、そういう立場に立って議論してもらいたいなぁ、と思いますね。(スタジオ:大拍手) [他にどなたか?小林支部長さん] [はい、未途さんのツイッターをよく読んでるんですが、海外に視察に行ったり、質問を163回やったり、1日8回ぐらい御神輿を担いだりして、いったい何処で寝てるのかって。体力と精神力と。]-普通に6時間7時間寝てますよ。早い時は11時くらいに寝ちゃいます。体力に関しては週に2~3回は走っています。 [外をですか?]-室内です。僕汗っかきで、よれよれになって見苦しい姿になっちゃうんですけど、だいたい5キロを24分ぐらいで走ってます。これで、元気になります。精神力に関しては、私は1度失敗して〈人間失格〉の烙印を押された人間だってのが大きいと思います。どこまでやっても、まだまだそれを乗り越えるには足りないと思ってます。偶然と幸運によって与えらた第2の人生ですので、〈出来る限りのことをやらなければ罰が当たる〉と、こういう気持ちですね。 [小林さん大丈夫でしょうか、寝てるそうです。]-寝てますよ!私の住まいは自分の事務所の一角なんですけれど・・これがですね、近くに運送会社のトラックターミナルがあって、トラックが横を通ると揺れと騒音がすごいです。ガガーンガガーンって。その中で寝てるんです。(スタジオ:笑)

 

●今後の政治に対する意気込み

 

私は、渡辺喜美代表にこういう立場を与えて頂いて、しかもこよなく尊敬しています。現在は衆議院5人、参議院11人の少数政党ですけれども、次の衆議院選挙でホントに一生懸命がんばって私自身も再選したいと思いますし、多くの仲間を当選させて、さっき言った民主党も自民党も過半数割れという時にキャスティングボートをにぎる勢力で、みんなの党を連立相手として連立すれば、その党が政権をとれるという状況を生み出していく、まぁ、細川さんが日本新党の党首として一気に総理大臣になったように、次の衆議院選挙の後でキャスティングボートを握ったうえで、民主党か自民党かにプロポーズを受けて渡辺総理が誕生する、こういう事を実現したいと思います。(スタジオ:大拍手)その時に大事なのは、今私たちが掲げている政策を曲げないことだと思います。変な妥協をすれば国民の信用を一気に失うことになりますし、精一杯頑張ってる姿を見せることが大切ですね。民主党政権はですね、当時掲げていたマニフェストが全くの間違いでどうしようもなかった、とは思ってないんです。もちろんバラマキ的で予算上合わないことを言った、ということはあると思います。でも例えば、脱官僚であるとか政治主導であるとか国家戦略局を作って霞が関の司令塔を官邸に置くとかは、正しい事だと思うんです。だけど、霞が関の抵抗にあって労働組合から反対されたらすぐ腰砕けになって開き直っちゃった。こういう姿勢が駄目だったと思うんです。〈やるだけの事をやったけど、ここまでしか出来なかった。悔しい。〉と、こういう事であれば国民は応援したと思うんです。(例えば)渡辺喜美行革大臣をやった時に、全ての改革を実行できたとは思わないです。だけど精一杯やって他の大臣とバトルを繰り返して、そして公務員改革制度基本法が通った時には涙を流した。この姿を見てるから国民は、渡辺喜美さんは行革がんばったなと思われてるんで、壁にぶち当たっても出来ない事があったとしてもやるだけの事を精一杯やって、闘う姿を見せることが政治家としては大事だと思う。そういう気持ちで頑張っていきたいと思いますし、渡辺喜美さんを支えてみんなの党を大きくしていきたいです。[わかりました、それでは次の方を紹介していただけますか]