樋口 尚也
樋口バスト1
第153回
2015年04月22日 放送

公明党 樋口 尚也 衆議院議員

第153回のゲストは、公明党 樋口尚也  衆議院議員でした。

公明党の厚みと幅のある人材に驚いています。

今回も、イケメン・ウルトラマン顔で、清水建設にお勤めだった樋口議員。

男らしく、筋の通った人生観を持っている方です。

なんと!!高校時代は、ロックバンドを結成し昔で言う「ポプコン」で優勝し、

「第二のチェッカーズ」とまで騒がれたのです(新聞画像参照)

樋口尚也新聞画像縮小

 

ちなみに樋口議員はドラムを担当。

みわちゃんねるでは、公明党が勧める軽減税率について詳しい内容や、現在の与党協議の進捗状況なども話してくれました。

最後のコーナー「今だから言えるあの日のあの出来事」でも実にいいお話を披露してくださいました。

(動画より文字お越し)

公明党 近畿ブロック 2期目(2015年4月22日収録時点)

―有難うございます。お招きいただきまして光栄でございます。[こんなイケメンが公明党にもいたんですね]―公明党は意外とイケメンが多いらしいですよ。 私は比例区ですから、いつも選挙の時には「2枚目の投票用紙には“公明党”と書いてください。決して二枚目が多くありませんが」って必ず言うんです。そしたら「多いよ~!」と皆さんに言っていただける。 ちょっとわかりにくい話ですね(笑)。 [いや、わかりますよ(笑)。背も高いんですね]―そんなに高くないんですよ。肩が張っているので、背が高く見られたり「ラグビーやってるでしょ」って間違えられたり。全くやったことがないんです。[スポーツマンじゃないんですか?]―剣道はやっていました、子供の時に。 [顔がウルトラマン系ですよね ]―そうそう(笑)、顔がウルトラマンってよく言われるんです。 [声もとてもセクシーですが]―今、統一地方選挙やっていますでしょ? それで声が嗄れてしまっているんですけど、本当は物凄く美声なんです。 [そうですか…。聞いてみたかったですね、クリスタルボイスのほうも]―皆さんに「いつになったら美声になるんだ」と言われるんですけど、ずっとこの声なんです(苦笑)。 叫ばなくていい、って言われるんですよ、マイクがあるから。だけどやっぱり(気持ちが)入っちゃって。絶叫しちゃいますね。すぐ声を潰すんです。[今、町村長選があるんですよね? 公明党はどれぐらい出ていらっしゃるんですか?]―多いんですよ。私たちは、議員が3,000人おります。 [3,000人というのは、地方議員?]―地方議員は2,950人おります。国会議員は55人だけですので、国会議員55人と地方議会2,950人で合わせて3,000人。「チーム3,000ネットワーク政党」だと私たち言っているんです。実は、公認をして当選をする数は、自民党さんや共産党さんよりも多いわけで、そういう意味での在籍議員数は日本一だと。ネットワークでしっかり仕事をするから、ということを皆さんに訴えていますが、その中で1,500人以上がこの4月に新人で出るわけです。今度の26日は1,248名挑戦いたします。 [じゃあ色々回っていらっしゃる。出てる市町村の候補者に対して、国会議員がちょっと少ない、ということですよね]―そうです、衆議院が35名、参議院が20名、合わせて55名ですので。 [ですから国会議員が大変なんですね、今]―でも有難いことです。色んな所に行かせていただいて、皆さんに熱心に話を聞いていただいて。話してるほうが感動して涙が出てきます。先輩からよく言われますけど、私たちが初めて地方議会に出たのが60年前。1955年、昭和30年に初めて無所属で先輩が53人地方議会で当選して60年経つわけです。結党して51年ですけど、この50~60年ずっと支え、応援して下さった皆さまがいるわけですね。 だからどこへ行っても、手弁当で熱心に応援して下さる。もうお話するだけで、こちらが感動してくるので、どうしても熱が入ってしまって、みんな声が嗄れているという…。 遠山(清彦議員)も嗄れていましたでしょ?[ちょっと。セクシーな感じでした]―ずっとあの声ですからね(笑)。

「●幸せ度数年表」

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樋口幸せ同数年表 縮小

 

 

 

 

 

 

 

 

[福岡県生まれ]―ええ、福岡県柳川市で育ちましてね。18歳までこの町にいました。4歳の時に父を亡くしまして…。母が28歳、私4歳、弟2歳。[お母様、28歳で未亡人?]―そうです。だから母が頑張ったな、偉いな、と思うんです。[お父様はなんで亡くなったんですか?]―胃がんです。ただ、記憶がないんですよ。[4歳くらいだとね]―母が一生懸命やってくれて、昼も夜も働いて。[胃がんですと、ピロリ菌の先生がいらっしゃるじゃないですか]―そうですよ、秋野さんが来ましたね、この間。[秋野先生に色んなこと聞きたいんじゃないですか?あの当時はピロリ菌なんて見つかってなかったわけですから…]―本人の発見も遅かったと思います。35歳で亡くなりましたから。[ショックですね]―そうですね。だけど母が頑張ってくれて、一生懸命育ててくれました。(ポスターを見て)この川で、子供の時は…本当に貧乏だったので、6畳二間の小さな家に住んでいたわけですよ。隣のコガ君と、その隣のスガワラチエちゃんと一緒に遊んでた(笑)。母が親戚のパン屋さんで働いていたので、パンの耳をもらってきて、冷凍庫で凍らせてあるわけです。だけど耳だけって飽きるんですよ、やっぱり。何かをサンドしないといけない、ということを小学校1年で思いつきましてね。ザリガニが食べられる、ということを何かで見たか聞いたかして、この川にザリガニがいっぱいいるのでそれを獲って、エビみたいに料理する。尻尾を醤油でソテーすると、美味しそうな香りがするわけです。それで隣のコガ君とチエちゃんを呼んで、「うちにいいエビが入ったから食べに来ないか」と。食べさせると「これ美味しかね!」というので、「じゃあオレも食べてみるわ」って(笑)。本当に美味しかったんですよ。だから、みんなが来たらいつもザリガニを出したりして。この川には食用ガエルもいるんですよ。夜になると舟に乗って、三本針ってわかります?カエルがガァガァ鳴いているところに懐中電灯の光を当てると、カエルが突然動かなくなるんです。その時に三本針でビッと引っかけるわけです。そうやって釣ってウナギ屋さんに持って行くと、一匹100円で買ってくれた。[へえ~!]―そんなことをして、満喫した少年時代でした。[もはやザリガニもカエルも、高級食材じゃないですか]―そうですか?最近食べてませんけどね(笑)。この間、そのウナギ屋さんに行ったんですよ。もう今は、ザリガニとカエルは買ってない、って言われて(笑)。[ご兄弟はいらっしゃるんですか?]―弟が一人おります。子供の時は、プロレスラー兄弟と言われていました。[どうしてですか?]―私も身体がガッチリしていたし、6畳二間の寝る部屋に布団を敷いて、弟といつもプロレスをしていたんですよ、プロレスファンで。[技をかけあってたんですね]―そうです、全日本プロレスが大好きで、馬場さんと猪木さん、両方好きなんですよ。[あと、小橋さんとかね]―小橋さんも好きですね。みんなが寄ってきて、そこでプロレス合宿みたいなことをして、ザリガニを食べる、と(笑)。[すごいですね、生き延びる力を持ってる]―母は昼も夜もいなかったでしょ?ずっと働いてくれてたんで。だから感謝はしましたね。母がいつも言いますけど、父がいないといっても、私は剣道をやってたり学校でいい先生に会ったり、出会いがすごく良くて、ちょっと道を外しそうになるといつも叱ってくれる人がいたんです。剣道も意外と強かったですけど、一番憶えているのは、小学4、5年生の時、ズルして休み始めて何週間か行けなくなっちゃって、母が「先生に謝りに行こう」と。でも怒られるから嫌だったんです。「一緒に行ってあげるから」と言われて、2人で道場の真ん中に正座して。で、先生が入ってきて皆がいるところで「すみません」って。そしたらその先生が竹刀で思い切り叩くんですよ。[今だったら有り得ないけど、昔は当然だった。愛のムチだったんですね]―そう、それが嬉しかったですよね。母の気持ちも、厳しく鍛えてくれようとする先生も。そういう方にいっぱい巡り会って、本当に幼少期は幸せでしたね。[込み入った話ですが、お母さんは再婚なさったんですか?]―再婚したんですよ、これが。彼女も幸せに暮らしておりましたが、今はまた一人なんです。色々ありました。[(苦笑)…それ以上また聞くと、ね…]―あ、いや、また死別したんです。50歳になって再婚したんですけど…。[50歳までずっと子育てしていらしたんですか。それはもう絶対結婚してほしいですよね、息子さんとしては]―私が27歳の時かな。だから私が結婚した時は、母と再婚した義父が一緒に…[(結婚したときは「幸せ度数」が) 200%ですよ]―これがねえ…私、大学に行って遠距離恋愛してたんですよ。[どこで知り合った方なんですか?]―高校1年生の同級生なんです。だから、(結婚まで)時間かかりましたね。12年ですから…長いですね~、ちょっと(笑) 。[そんなに付き合ってたんですか。素晴らしいですね]―本当に感謝してます。22歳で清水建設に入って大阪に転勤しまして、本当に仕事を一生懸命させていただいて。そんな時に、妻と結婚をして大阪に呼び寄せました。で、会社で営業課長にしていただいて、そのあと衆議院議員に初めて挑戦したんです。[議員になられて2期目ということですが、安倍政権からずっと…]―そうですね、まさに。[いつ頃から出馬しようと?出馬要請があったんですか?]―うちの党は公募がないんで、先輩が「次はあなただ」と声をかけて下さるんですね。公募がないのは、面接と小論文だけじゃ駄目だぞ、という思いがあって、ずっと見ている方が選ぶシステムなんじゃないか、と、私たちもおぼろげながら感じているんですけど。私が会社を辞めたのが2012年の…12月が選挙でしたね? (辞めたのは)10月末ですから。[へえ!2ヶ月もないじゃないですか]―(笑)そうです、1ヶ月半です。[選挙区はどちらでしたっけ?]―近畿ブロックの比例でございます。[地元じゃないですよね?]―そうです、たまたま転勤で27歳の時に大阪に行ったんです。で、大阪に十数年いまして、先輩から声をかけてもらって議員にもならせてもらったので、大阪という町にもすごく感謝していますし、また妻にも…。私もゼネコンで一生懸命頑張っていましたから、「やれ」と言われたからそりゃ「やります」と言いました。「やらせていただいて有難いことだし」と思うんですが、やっぱり突然言われて決意するでしょ?「それで良かったのかな…」と悩む時もあったわけです、当選するまでに。妻にもそんな話をポロッとしたんでしょうね、きっと。愚痴っぽくなる私に、妻が大笑いして「怖気づいたな」って言ったんですよ。「お代官様、すみません」みたいな(笑)。「この人、すごいな~」と思って。感謝しました。[反対はなかったんですか?]―全くなかったです。妻もなかったし母もなかったし、周りの皆さんも。清水建設さんも「それなら頑張れ」って、みんなで応援して下さって。[「来るな」という予兆はあったんですか?]―いや、なかったですよ。突然言われるんですよ。まあそういうことだから頑張れ、と(笑)。[(会場から) 普通の会社員ですよね?]―そうですよ、普通の会社員ですよ。[(会場から) 学会では役職があったんですか?]―私はありました。[そういうところで見ているから、わかっているんですよね]―そうかもしれないですね。よく見て下さっているな、とは思いましたね。だけど、こんな自分でいいのか、といつでも思っていますよ。[学会で役職をやっている時、アピールされてたんですか?「出たいな」みたいな]―(笑)しません。不思議なご縁をいただいたから、成長してお応えしないといけないな、と。[断ることもできるんですか?]―できると思います。私は全くなかったですね、そういう気持ちは。 2009年の時、民主党さんが大勝しましたね。太田大臣も落選したし、北側副代表も落選したし、みんな落選して。その時私は党の青年部もやっていましたから、本当に悔しかったです。[どうですか? 2期目やられて]―今、党の青年局長をやらせてもらっていますけど、青年委員が20人近くいますかね、(メンバーが)随分若くなりました。[公明党は定年制がありますからね。いくつでしたっけ?]―今、65歳から69歳に変わるんだと思うんですけど。でも定年も延長できますから。やっぱり政治力は、時間と経験がすごく大事だな、と私は思いますから、是非先輩方に指導もしていただきたいですし、そこで踏ん張っていただくような先輩方も出ていらっしゃっていいんじゃないかな、と思っています。[伊吹(文明)さんがよく「座布団の座り方を教えるのが派閥だ」と仰っていたんですが、それと同じように先輩から教えてもらうこともきっといっぱいあるから、そういうのが組織ってやっぱり凄いな、と思いますね]―そうですね。議員になったら同じ給料もらって、みんな対等なんだと言う方もいらっしゃいますし、もちろんそういう思いで仕事をしなくてはいけません。だけどやっぱりガバナンスもありますね。きちんとした仕組み、そして役割分担をやっていかないといけないと思います。[民間でもコンプライアンスがうるさい。ラフな会社ほどコンプライアンスで駄目になっちゃう社員が多いんですよね]―私もずっと民間(の会社)で、特に営業マンをやっていましたから…[結構売っていたんですか?何十億も(笑)]―売っていましたよ、そりゃ。自称「一番仕事の出来る営業マン」。「日本のトップセールスマン」だと…自称なんです、誰も言ってくれないわけです(笑)。[だって勢いがあるから。見た目もいいし、ゼネコンにぴったり!]―だけどやっぱりお客様が信用して下さるかどうか、ですね。信用していただいて、本当にお世話になりましたし、今でも応援していただいています。[ゼネコン時代、一番忘れられない出来事は?]―清水建設さんって大きな仕事をするわけですよ、100億とか50億とか。忘れられないのは、会社にかかってきた電話をとったら「雨漏りしている古い配送センターがあるんだ」と。「清水(建設)さんじゃないんだけど、“清水さんがいい”と言われたから」と言ってくれたんですよ。「わかりました」と言って部長に相談したら、「じゃあすぐ行って来い」ということで行ったんです。で、3ヶ所雨漏りしてて、3ヶ所で4,500万だったかな。会社も、4,500万円で一見さんですからね、やらなくていいんです、別に。でも「やらせて下さい」って言ったら「やっていい」ってことで、すぐやったんです。そしたら、何ヶ月か経ったら電話がかかってきて、「あの時のサービス、スピード、素晴らしかった」と。「大きな土地を買って、そこに新しい物流センターを建てるから、君の所で設計・施工を特命でやりますから」と。[すごーい!]―びっくりしましてね。「わらしべ長者作戦」と皆に言ってたんですけど(笑)。[下心はなかったわけですよね?]―全然ないです。だけどやっぱり心は通じるな、と思って。嬉しかったですね。スピード感、相手の立場にたてるかどうか、ということ。それが営業では最も大事だと思いますし、そういうことを勉強しました。私は日本のセールスマンの地位を上げたいと、いつも思っているんです。セールスにしろ、現場で働く人にしろ、本当に誇りを持って働けるように、「セールスマンの地位向上」をしたい。[営業ができれば、選挙はもちろん何だって出来ますから。生きていけますからね]―人生は「営業」ですね。大事なことだと思います。勉強します、これから(笑)。

 

●最近の政治トピックス

 

―軽減税率に関して色々言われるから、ちょっとだけ触れておこうと思うんですけど…。[軽減税率、公明党が唯一推している。他の党はどうなんですか?]―自民党さんは、ようやく…公明党もずっと言いましたので、ようやくのってきてくれてるな、と。2017年の4月に消費税が10%になることに、まずご理解を得ないといけないと思うんですね。[結構大変なんじゃないですか?「パンが上がるの困るよ」とか色々言われますよね]―そうです、大変なことです。ですから私たちも頭を下げてお願いして。それは社会保障を守るためだと思うんですね。アメリカにいた私の友達が教えてくれたんですけど、日本の社会保障、特に年金とか介護保険とか医療保険はすごく良く出来ているそうです。その人はワシントンD.Cに住んでいて、3年ぐらい前に救急車を呼んだんですって。救急車の人が「アメリカの救急車には松・竹・梅、3つのランクがあります」と。本当はA・B・Cと言ってたんですが、私が分かり易く松・竹・梅と言っています。お金があったらいい救急車に乗れるわけです。お金がなかったら乗れないか、一番安い救急車に乗らなきゃいけないわけですね。保険証1枚できちんとした医療が受けられるのが、日本の国民皆保険制度なんです。中国に行った時も、上海の病院で長蛇の列ですよ、お金持ちばっかり。中国にもきちんとした皆保険がないから、お金がなかったら病院にも来られない。GDP 1位の国アメリカにも、2位の国中国にもきちんとした皆保険制度がなくて、日本でそれを守っていこうとすると、全然財源が足りないわけです。でも私は、国民皆保険制度を守っていくべきだと思っているんです。年金も、良い制度です。国全体で支え合う。皆さん、(年金が)減った減ったと仰いますけど、納めた金額が何倍にもなって還ってくるわけですから、特に今の高齢者の方には。良い制度を守っていかなきゃいけないと思うと、消費増税は致し方ないので、皆様にお願いしているわけです。だけどその時に軽減税率くらいやれよ、というのが皆様の声じゃないかな、と思っています。特に強調したいのは、(消費税の)食品に占める割合です。年収1,500万円の人に比べると250万円の人が倍の負担感があるわけです。だって買うのは一緒ですから。こういうことから軽減税率は低所得者対策になる、と思っています。もっと言いたいのは、軽減税率は世界中でやっているわけですよね。フランスは、標準課税が19.5%で、軽減して5.5%でしょ?イタリアは21%が10%でしょ?イギリスは20%が0%なわけですよ。ドイツも19%が標準で軽減が7%ですから。色んな問題があると言われますが、世界の常識になっているのが事実だと思うんです。私は、日本でもやって、きちんとこの制度を作っておくべきだと思うんですが、みんなに反対される。[どうして?面倒くさいからですか?]―ひとつはそうです。2つの税金になると、商店の皆さまからすると掛け算2回して足し算1回しなきゃいけないから、ちょっと手間だとおっしゃって(笑)。良い制度をきちんと作って、今やっておくべきだとやっぱり思います。[ある程度大きなスーパーでしたら、それをコンピューター化すれば大丈夫?]―システムを作れば。この秋にわが党もきちんとした制度設計をして、自民党さんと一緒に議論をして形を作って、そして2017年の4月に同時にスタート出来るようにしっかり頑張っていきたいな、と。民主党さんも反対されてますし共産党さんは消費税そのものに反対ですし、維新の党も軽減税率反対ですけどもね。[共産党はテーブルにつかないんですか?もともと消費税に反対だと]―ええ、消費税そのものが反対で、防衛予算、5兆円くらいですか?公共工事6兆円。合わせて11兆円あるんですけど、これを削れ、と。防衛費を全部削るなんてことはとても出来ないわけですし、公共工事というのは防災・減災も含んでいますから、無駄なことじゃないわけです。そういうものを全部やめて大企業の課税負担を上げれば、消費税はいらなくなる、と彼らはおっしゃるんですけど、全くロジックが成り立たない。世論調査も、軽減税率には8割方の皆さんが賛成されています。今きちんと制度を作っておいて、2017年に消費税が10%になる、皆さんにお願い申し上げてご負担をいただくわけですが、その際から同時にきちんとした軽減税率があって、食料品は安い消費税になっている、と。この制度は今つくっておくべきだと思います。今やるべきです。[自民党としても、それは良くわかっている?]―自民党さんも色んなご意見があると思いますが、これは自公のお約束事だということで自民党さんにもお願いして、是非この制度を進めさせていただいて。[世論が後押ししてる、と。それはどこの場で話し合うんですか?]―まずは与党協議です。こういう社会保障にしても安全保障にしても、与党協議をしっかりやって与党で合意をして、政府に返して、政府がそれを法案化して閣議決定をする。閣議決定をしたものを国会で議論するわけですから。[閣議決定されて国会で話し合うときに、野党が何を言っても「何をか言わんや」になっちゃいますね。長時間協議して出たものを国会で反対しても、やっぱり駄目なんですね]―与党協議というのは非常にいいな、と。与党協議で何十回もやっているわけですよね。それを国会でやるわけです。新たな質問も確かに出ますけど、だいぶこなれてきちんとしたものが出来上がって国会に出せますので、議論の積み重ねという意味では凄くいいと思います。[与党協議は出られるんですか?]―遠山さんは出ていますが、私は出ていません。自民党さん6人、公明党6人でやっています。[結構コアな会なんですね]―国会議員の数で言うと、自民党さんは400人を超えていまして、公明党が55人。7対1なわけです。ところが与党協議は6人対6人でやっている。これは対等連立政権を組ませていただいているからだと思います。1999年の10月5日だったと思いますけど、連立政権に公明党が初めて参加して。もう16年前ですよ。わが党の歴史の3分の1は自民党さんと一緒に頑張らせていただいて。大変勉強になったし教えていただいた、と山口那津男もいつも自民党さんへの感謝を言います。これからも連立政権を良くしていくためには、きちんと役割を果たさなければならないので、私たちは私たちの言うべき事、言わなきゃいけない事、感じる事を自民党さんに言わなければいけない。もちろん自民党さんのおっしゃることもきちんと聞いて。[それは公明党の議員数が55人から減っても、6人対6人と対等に?]―各選挙が終わったあとに、連立合意を改めて結んでいると思います。この間も12月の選挙が終わったあとに、安倍総理と山口の間でサインもしておりますから。1999年に連立に入った経緯や思い…当時は金融危機でもありましたから、日本のピンチを救いたかったとか、色んな思いの中で連立に入ったんだと思います。それをしっかりと継承していくということが大事なのではないかと思っています。

 

●今だから言える、あの日のあの出来事

 

―サラリーマン時代のことでもいいですか? 今はほとんどやってないですが、サラリーマン時代ずっとゴルフをやっていたんです。会社であまり言うな、って言われましたが…。大阪の偉い上司の方と回らせていただいて。そういう機会はほとんどないし、お話しすることもないわけです。緊張したのか、スイングしたらボールが左の奥に行ったんです。もう、有り得ないんですよ。すごいスピードで飛んで行ったら、そこにカートがありまして人がいましてね…[ええーっ!?]―「危ない! ファー―!」って言ったんですけど、足のくるぶしに当たっちゃったんですよ、その上司の。[(笑)!]―それで、骨折されたんです。「大変なことになった」とコンペは中止になり、本当に申し訳ないと思って、ひどくならないようにとお祈りしてたわけです。次の朝、部長から「来い」と電話があって、とにかくお詫びして回るしかない、と副社長の部屋の前で待ってたわけです、2人で。 部屋に入って「申し訳ありません!」と言ったら、副社長が「おお、お前か」と言うんですよ。「あいつ(骨折した上司)は足が痛かっただろうな」と。「すみません!」と言ったら、「だけどお前は心が痛いな」って言うんです。あいつは足が痛い、お前は心が痛いから、おあいこだ、と。だからもう忘れて仕事をしたらいい、って。[いい話ですね(笑)!]―いい話でしょ?! その複雑骨折した上司も…[複雑?結構ひどかったんですね(笑)]―本当に申し訳ありません(笑)。それでうちの部長がその上司に呼ばれて、「樋口は落ち込んでいるだろうから、寿司でも食べに連れて行け」って。優しいんですよ。ご自分は痛いんですよ? それなのに「お前がちゃんと面倒見ておけよ。落ち込まないように仕事頑張れって言っておけ」って、私涙が出てきましてね。その夜に、北新地の高級な寿司屋さんに連れていってもらったんです。泣きながら感謝して美味しい寿司を食べて、次の日領収書を持って行ったら、「寿司屋に行けとは言ったけど、こんなに高い寿司屋に行けとは言ってない」って(笑)。日本の会社は懐が広いです。[でもそんな会社、もうないかもしれないですよ]―私はたくさんあると思うんです。日本はやっぱり内需を高めていかなければ駄目です。勿論海外で売って株価を上げていただくこともいいんですが、国内で消費できてお金が回っていくような仕組みを作って。そこに是非重点的に私たちも力を注いで、実感のできる景気回復を早くやりたいな、と。

 

●質問コーナー

 

Q : 日本の会社が発展することが、社会保障の代わりになっていた。 大きな政府を作るよりも、規制を緩和して、企業がどんどん新しい雇用を生むようなことをやるほうが、企業が発展して税収もアップするのでは?

A : 規制緩和はまさにその通りで、私も規制緩和の話はいつもするんですが、大体出尽くしてまして。バランスもありますが、この規制緩和をすることで仕事がしやすくなって税収が上がっていく、こういったものがあれば積極的にやっていきたいと思います。規制改革と行政改革はずっとやらなければいけませんね。行政改革をしながらも、やっぱり日本の国をしっかり守っていかなければいけないので。今日も官邸で、ドローンが…。[ドローンって知ってました?]―ドロンチョ様かと思いました、最初。(会場内爆笑!) 本当にこれは大変な問題だと思いますから、しっかりこれから検証していかなければいけない。いずれにしても、安全保障やテロ対策というのはきちんとしないといけない、というのは明らかです。日本はやっぱりちょっと性善説に立ったところがあって、少しルーズかな、と思えるところもあって。私も議員になってびっくりしました、セキュリティーレベルがあるとするならば、ちょっとそれが低いんじゃないのかなと。だから、その対策はきちんと万全を尽くさないといけない。今日、ニュースを見ながらそう思いました。