樽床 伸二
無題
第222回
2018年10月03日 放送

樽床 伸二

衆議院選挙10回を経験する、樽床議員の人生はまさにジェットコースターのよう。

落選3回、民主党代表選にも出馬し、総務大臣も歴任し、情勢により様々な政党に所属し、いまは無所属。

松下政経塾の話、一貫した政策の話、2017年の解散総選挙の話、今後の展望を語ってくれました。

アップをお楽しみに。必見です!

 

 

(動画より文字おこし)

無所属(比例南関東ブロック) 6期目 2018年 8月 29日 収録時点

 

[今日はありがとうございます。樽床さんは無所属だったんですね] ― 今は無所属です。[大臣もされて、今は無所属というのはどういう感じですか?] ― 別にたいしたことはないです。30年以上やっています。衆議院の選挙を10回やっていますから。一番初めは無所属で出発していますし、通ってからも紆余教説がいろいろありましたから。所属した政党が初めの内は次々に潰れていきましたんでね。その間にかつても無所属を経験したことがありますから。だから別に初めての経験じゃないですから。全然、何の抵抗もなく。[樽床さんは知名度があるんですが結構、落選されているんですよね] ― 山あり谷あり。(笑) [ジェットコースターのような!] ― 前回ですね、大臣をやっている時も落ちたんですね。民主党が政権から滑り落ちた時。結果が出た後に大臣としての記者会見がありまして、聞かれて、ジェットコースターのような政治人生ですと答えたんですよ、自分で。(笑) [それでも、こんなにお元気で!] ― ありがとうございます。(笑)

●幸せ度数年表(クリックで拡大)

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[どちらでお生まれですか?] ― 島根県です。島根県で生まれて、幼稚園まで島根県におりまして、小学校に入る時から今住んでいる、寝屋川という所に家族の事情で移り住んだんですね。父親の仕事の関係で。それからずっと寝屋川に住んでいます。[お父さんは何をやられていたんですか?] ― 職人ですね、洋服を縫う職人です。[今もやられているんですか?] ― もう年ですから、ほぼ引退状態です。[学生時代は大阪で過ごされて。政治を志すきっかけを教えて頂けますか?] ― ちょうど大学生の時に松下政経塾というのが出来まして、松下幸之助さんが作ったんですが、私が住んでいる所が同じ沿線でしてね。松下の会社がある。学校に通っている時はいつもその工場群を見ていましたから、松下幸之助というのは馴染みのある単語なんですね。その松下幸之助が政治家を養成する塾を作ったと新聞にドーンと出たんですね。大学時代は硬式野球部だったんですが、軟骨が動く病気になりまして、故障しまして手術をしたんですね。ギブスをはめて腕を吊っている時に、その記事を見まして。私は職人の息子ですから、ここに行けば、わたしらのような者でも政治に関係出来るのかなと思った瞬間から、そこに行って政治家が出来るんだったらと思ったのがスタートです。[松下政経塾に何期生としてお入りになったんですか?] ― 3期生ですね。[政治家で言うと同期はどなたがいらっしゃるんですか?] ― 前に神奈川の知事をやっていました松沢とかね、鈴木淳司衆議院議員ですね。[この番組にも原口さんが] ― 原口はひとつ下ですね。[松下政経塾の有名なカリュキュラムで、営業に行ったりとかをされた世代ですね] ―その世代ですね。[何を営業されたんですか?例えば白物家電とか?] ― 当時はナショナルショップと言いましてね、町の電気屋さん。今は減りましたけど、そこに行って住み込みで。私が行った店は訪問販売中心の店でしたから、車を一台与えられて、地図をバッと広げて。ここのエリアはうちの担当者がいないエリアだからここを回りなさいと言われて。ひたすらピンポン、ピンポン。[それは大変なことですね!] ― 後々選挙の準備にはなりましたね。家庭訪問ですね。(笑) [それで、売れたのですか?] ― 200万位売れました。[凄い!凄いじゃないですか!どれ位の期間ですか?] ― 二ヶ月です。6月、7月だったんですが、40年ほど前ですから、今ほどクーラーは普及していない。ですから熱くなると急にエアコンが売れ出すんですね。暑くなると急に売れ出すんで、天気でこれだけ違うのかと思いました。実体験で。今まで学生ですから、そんなの気にしてないじゃないですか。それが大学を終えて最初にやったことで、天気でここまで変わるのかと思いましたね。[そして一番最初の選挙はどういう感じだったんですか?] ― いきなり衆議院選挙に無理無理チャレンジしまして。[最初から国政に出られた] ― まったく何もなかったんですが、無所属で出たんですね。それで撃沈しましてですね、二回目で当選しました。[当時の一番の政策と言うのは何だったのですか?] ― 当時は地方分権と言っていましたけど、今は地域主権と言っていますけど。道州制とかいろいろ言い方はありますけど。その時から私は地域分権型道州制を訴えてずっとやっています。一貫して30年、言い続けているんです。今はみんな言い出しましたけど、当時は誰も言っていませんでしたから。[それ位、早かったということですね] ― 一応、自慢げに言いますと。(笑) [そしてここから政治家人生が始まるわけですけれど、最初は無所属でその後に、小池百合子さんと一緒の日本新党。あの時、皆さんは子供だったかもしれませんけど、ブームで(とスタジオの観覧者に)] ― 今日来られているみなさんは生まれてないでしょう、当然。[91年、92年、生まれていましたね。そこまで離れていないです。(笑) 日本新党に入られたということで。あの時、日本は変わるんじゃないか、というぐらいの勢いでしたよね] ― それでもね、あの時、日本新党で40人ちょっとですからね。[小池百合子さんとか、枝野さんとか] ― 野田もそうですしね、野田、前原はみんな一緒ですね。[今、みなさん、元気がないですね] ― そうですか?それなりに元気にやっているんじゃないんですか。[もちろんです。それから政党遍歴、ご自分の意思と言うよりも周りの意思というか] ― 初めて選挙に出た時は保守系の無所属で出まして、当時は中選挙区でしたから。[中選挙区時代の国会議員は本当に少ないですね] ― 中選挙区を経験した人と言うのは数えるほどしかいないんじゃないんですかね。[平成8年が最後ですか?] ― いえ、平成5年ですね。二回目の選挙で中選挙区で通ったんですね、日本新党でね。それが中選挙区の最後です。中選挙区は2回やったんですね。無所属から日本新党で当選して、日本新党がなくなって新進党に合流しまして。私は細川さんと一緒にやっていましたから、細川さんが新進党を離党したんで、親分が出たんだからということで私も一緒に無所属になりまして。その後に新進党がぶっつぶれまして。細川さんと一緒にその後フロムファイブというのを作りまして、五人ほどで。新進党がつぶれて民政党というのに合流しまして、民政党がさらに合併して民主党が出来たんです。[ようやく、民主党!] ― 初めの4回ぐらいは選挙をやる度に政党が違ったんですよ。だって全部、無くなっていくんですから。[有権者のみなさんに政党を覚えてもらうのは大変なことしたね] ― 政党では覚えてもらわなくて、自分の名前を覚えてもらわないとしょうがない。一回目は無所属、二回目は日本新党、三回目は新進党、四回目は民主党。[ようやく、民主党!] ― 民主党でずっといって、それで落ちて。[2005年の郵政解散ですね] ― あれで落ちましたね。[猫も杓子も自民党の時ですね] ― 風がビューンと吹きまして、私も一緒にビューンと飛んでいきまして。(笑) それで2009年で帰ってきて。[2009年は民主党の風が吹いた時ですからね] ― あの2009年の選挙を経験した時に、ばかばかしくなりましたね。だって、出れば通ったんですからね。四年間、何してたんだ、という感じでしたけどね。(笑) 僕は2009年の政権交代した時の選挙で通ったのは全く嬉しくなかったですね。[だって、昨日今日、民主党から手を挙げますという人が通っちゃうんですからね] ― 四年間やってきた私と、昨日手を挙げた人が一緒なんですから。ばかばかしくてですね。そういう状況をちゃんとわかっていなくて、舞い上がったから民主党政権の失敗があったと思いますよ、おそらくね。[それが2012年の敗北につながってしまったという] ― まあ、つながったということでしょうね。もちょっと頑張りゃよかったんでしょうね。[樽床さんというと、総理に手がかかった方ですからね] ― 代表選を一回やりましたからね。[どなたと戦ったんですか?] ― 菅さんです。[菅さんより樽床さんになって欲しかったな、私的には] ― もっと言って下さい。(笑) ありがとうございます。(笑) [どのくらいの差だったんですか?] ― あの時もいきなり出ましたからね。2010年です。[まだ、震災前ですね] ― 鳩山さんがいきな総理を辞めて、次の党首を選ぶ選挙で。みんなが菅さんでいいというからね、それはあかんやろということで。だったら俺がやると言っていきなり出たんです。[それが東日本大震災の日本の歴史が始まってワーストの記者会見となった菅総理の会見につながるんですね] ― つながるのかどうか、わかりませんが。[そこで勝っていたら、樽床さんがその会見をやったかもしれませんね] ― なったら、そうですね。残念ですね。[その後、ご自身が落選されてしまったので出ることはなかったという] ― その後、ころころ党首が変わったんですが、考えるところがあって、野田さんは政経塾の先輩ですから内閣の中で先輩を支えようということでやっていたら、解散になりましたのでね。それで落ちて、今回久しぶりに帰ってきました、ということですね。[最初の落選に比べて、大臣を経験してからの落選は天と地の違いではないでしょうか] ― みなさん、そうおっしゃるんですが、一番辛かったのは最初の落選ですよ。[本当ですか、そうしてですか?] ― だって知名度がないんだもの。[知名度も無ければお金もない、みたいな] ― みんな、階段を昇ってから落選するとストーンと落ちるんで痛いんでしょう。それは初めからいい経験しかしてないからそう思うんでしょ。最初の落選が一番辛い。[今だったら、バッチは無くても回れば、樽床さん頑張ってと言われるんですよね] ― そうそう、全然違う。気持ちの持ち方だけですよ、しんどいと皆さん思われるかもしりませんが。経験すればたいしたことないんじゃないんですか。別に死ぬ訳じゃないし。(笑) [命を取られる訳ではないと。でも、落選は辛いですよね] ― 落選も経験です。

●最近の政治トピックス

[いろいろな経験をされた樽床さんが今、やりたいことは何でしょうか] ― 先程も言いましたように、私はわりとしつこい性格なもんですから。最初に昔で言う地方分権、今で言う地域主権、道州制とかいろいろ言い方がありますが、それをしなければ国政のあらゆることが解決しないと思っていますので。[地方分権、権限を分散することによって何が変わるんですか?] ― 基本的に人間の数が多いと、行政も非常にやることが増えるじゃないですか。一万人の町役場と一億人の役所では当然違いますよね。きめの細かさも変わりますよね。日本が明治から豊かになろうという時とか、戦後、戦争に負けてもう一回頑張ろうと、ダーッと行く時には皆さんが食べなきゃいかん、豊かにならなきゃいかんという時には、非常にわかり易いテーマがある時には中央集権で国が音頭を取っていくのがいいんですよね。でもある程度いって、皆さんの豊かさが一定程度満足した時に、次に我々は個別の要求を思う訳ですよね。それぞれの人の思う要求が違う訳です。国民の皆さんのニーズが多種多様している訳で。そうすると一億二千万人の人口を中央省庁が全部、手取り足取りやれば、無駄ばっかし。効果のないことしかやってない、ということになると。たとえて言えば、車で最近は自動的にギアーが変わりますが、前はギアーチェンジを自分で入れていきましたよね。坂道の時はロウで行かないと昇らない訳です。グーッと昇って昇り切って水平になった時にローからセカンド、サードに入れていく訳です。高速道路に入ったらオーバートップに入れないと上手く走らない訳です。日本は坂道を上がる時のギアで、そのままのギアで走っているんです。だからうるさいし、燃費も悪いし、走り心地も悪いしということになると。乗っている人も昔は若かったけど年いってきたと。だから状況に応じてギアーを変えないと。国の運営の仕方になると中央集権と言うギアから地域主権。つまり、ひとつの役所が権限を持って一億人じゃなくて、分散して見るという。そういう国の体系にしないと無理だと。[20世紀から国は地方分権を掲げているんですが] ― 掲げているけど、全然進んでいないですね。[さらに国会では安倍さんの一強状態ということになりまして、地方議員も自民党系が占めているといことで、さらに凝り固まってしまうんじゃないかなと思うんですけど] ― このままでいくと、えらいことになると思いますね。産業政策もね、国がやるんじゃなくて地域がやるべきだと思うんですね。私が住んでる大阪と東京と同じ産業政策でいいのかと。北海道と沖縄で同じ産業政策でいいのかと、大阪と同じ産業政策でいいのかと、違う訳ですよ。地域にあった産業政策が必要であって。例えば、ものすごくわかり易い例で言うと、温泉町の産業政策は温泉にとにかく、たくさんの人が来てもらうというのが最大の産業政策な訳ですよ。そのために少々のことは犠牲にしても、その地域の産業は活性化する訳ですよ。日本全体で同じことが出来ない訳ですよ。その地域限定盤の産業政策をその地域の人が責任を持ってやる、という体制を作らなければ駄目でしょうという風に思います。ちょっと話が大風呂敷になりますが、人口が減り始めてきまして、世の中の人が日本が人口が少ない小さな国だと、イメージがあります。これは大間違いでして、日本は人口が多い国なんです。絶対数でいくと、イギリスの二倍以上の人口があります。ヨーロッパで一番人口の多いのがドイツで、8千万ですから。日本の三分の二です。イギリス、フランス、イタリア全部、日本の半分です。日本は一億二千万で、世界で10番目に人口が多いんです。隣りの中国と比べると十分の一だから、中国の十分の一の人口しかない、ちっちゃいと。何を言ってんのと。一億人を超えている先進国は日本とアメリカしかないんですから。広さよりも人口ですよ。それだけお世話しなければいけない人が多いということは、それだけ要求も多種多様にあるということですから。しかも北から南まで地域の事情が違いますから。だったら先進国になった段階で中央集権はやめなければいけないと。いうのを30年前から言っているんですが、ようやく聞いて貰えるようになったと。(笑) [そんなですか?地方分権法というのがあった訳ですから] ― 言っているだけで、形だけで。[実質的には何も行われてこなかったということですね] ― だと思います。今日はいろいろな地域の方がおられますけど、東京で物を見てたらね、日本を見誤りますよ。東京の需要と他の地域の需要が違い過ぎる。人間と言うのは不思議なもので、目の前の現象にものすごく影響を受けるんです。東京に住んでいる、権力構造の役所でも政治家でも、財界の偉い人も含めて、東京にいる人は東京のこの姿を見て物を考えるんですよ。こんな町が日本のどこにありますか、ないですよ。こんな所を見て日本全体の事を考えていたらエライ事になる。[なんか、怒られている気分です。(笑) ] ― (笑) と、思います。

 

 

●今だから言えるあの日のあの出来事

 

[樽床さんはずーっと、政治の表舞台、裏舞台、いろいろ見られてきて、良いことも汚いこともあったでしょうね] ― いろいろありましたけどね。[言えない事もたくさんあるでしょうね] ― ほとんど言えませんね。[この人だけは許せないとか、なんていい人なんだろうとか] ― やっぱりね、私も現職ですから。私が引退したら言えるかもしれませんけどね。相手の方も生きておられる方ばかりですし、言いにくいですね。[そうですね、エレベーターで会いますからね] ― だからちょっと、言えないかなと思ってね。政治以外のことでもいいですか?[もちろんです!] ― さっき政経塾の事をちょっと言いました。その試験の時の事を今、ふと思い出しまして。最終の三次試験と言うのが、当時、松下幸之助さんがまだ、生きておられましたので直接面接なんですよね。会って話をするだけなんですが、いろいろ真面目に考えるじゃないですか。こんな質問があったら、こうだとかね。一番最初の質問がですね、「きみ、悪い事、出来るか?」と言われたんですよ。(笑) いきなり言われてですね、あー、という感じで。まったく想定していない質問ですから。「あんた、悪いこと出来るか」と言われて、「せん、とはよう言いません」と答えたんです。[え!?] ― あ、標準語で言うと、「きみ、悪いことが出来ますか?」と質問されたので、「しない、とは言えない、するかもしれない」と。(笑) そこで、悪い事というのも良くわからないと。人が許してもらえる悪いことはするかもしれません、というような言い方をした記憶がありますね。その後の質問は、こっちが用意していた質問はまったく無くてですね。「きみ、どこに住んでんのや?」とか。そこです、「ああ、あそこにうちの球場があるな」とか、そんな話しかしなかったですね。最後、「きみ、辛抱できるか?」と言われたので、辛抱できますと言った時に、やあ、これ通ったかなと思いましたね。40年近く前のことです。[樽床さんが総理に手がかかったという所まで、私たちは見ているんですが。これからどうされるんですか?] ― 人間、昔に比べたら15歳ぐらい若くなっていますから。今、59ですが、来年、還暦なんですけどね。良く言われるんですけど、サザエさんのお父さんの設定は54歳ぐらいなんですよ。ということは、昭和三十年ぐらいは、当時五十代前半は波平さんの雰囲気だった訳ですよ。あの雰囲気を今、見たらどう見ても七十後半ですよね。[八十歳でもいいぐらいですよ] ― 波平さんが八十歳だとして五十四から25歳ぐらい違う訳ですよ。だから、今の私は、三十代後半。(笑) 波平さん、息子が中学生ですからね。これから第二の人生かなと思っています。[今、無所属の会に入っていらっしゃるんですよね、会派としては] ― 違います。純粋な無所属です。[あ、会派も入らずに] ― これからいろいろ動いて行きますから。しばらく、いろんな動きがあるのを見ながら対応しようと思っているんですよね。[自民党に入るということもあるんですか?] ― 自民党はこれ以上、増やす必要もないでしょう。[ベテランが欲しいということも、あるかもしれません] ― 私、ベテランですか?[だって、代表選に出ているぐらいですから] ― 安倍さんとは当選同期ですからね。今の閣僚で言うと、安倍さんと野田聖子、茂木。あのあたりの方はみんな同期ですね。[希望の党に入られて、比例で当選されたので、小池さんとはお付き合いがあるんですか?] ― 長い付き合いですからね。[だいたい手の内がわかるとか] ― いやいや、お姉ちゃんみたいなもんですから。民主党を離党してずっと無所属で活動していたんです。二回目落ちた後。その心境はですね、民主党政権で我々は失敗したと思いたくないんですが、政治と言うのは結果責任ですから。結果責任と言うのも、自分らの思いじゃなくて、政治と言うのは評価して頂く方の判断で動くしかない訳ですから。自分らで上手い事いったと言っても、国民の皆さんが失敗だと言われれば、失敗なんですよ。これはしょうがないですね。民主党政権は失敗したという風に判断された訳です。失敗したと言われた政権は野に下って当然だと思うんです。そう考えると、そういうことを自分でしっかり体現しなければいけないと思っていたんです。なかなかそういう風にならなかったものですから、自分一人で無所属になって過去についてはしっかり反省して出直すというのを自分の選挙区では行動で示さなくてはいけないと思って離党したんですね。無所属で活動していて、希望の党で出る用意をしていたんですけれど。希望の党と維新で東京と大阪で住み分けたでしょ。あれで大阪の候補者が全部、ぶっ飛んだんですよ。大阪から希望の党は出しませんという話になって。それで私も引っくり返りまして、数日間、嵐のような、日に日に動いていきましたから。そこで一回、ぶっ飛んだんですが、小池さんの方から比例で出て、自分を助けろと。そういう話があったんで、今回だけ比例でいきましょうかと。一回限り、限定版で比例にまわったと。[次の解散の時はどこにいらっしゃるかと] ― 自分の選挙区でずっとやってますから。[大阪12区ですね。ぜひ皆さん、応援よろしくお願い致します!] ― よろしくお願いいたします。[今、いろいろな議員さんの事件がありますが、どう思われますか?ベテランからすると] ― 私も一時、いろいろ書かれましたけどね。ある事、無い事、無い事、無い事ね。書いた社の社長さんが、「書き過ぎですね、あれは」とか言って。(笑) それやったら、書くなよと。(笑) 頼むわと。[テレビと連動して、週刊誌、新聞と、どんどん掘り下げるじゃないですか。聖人君子じゃないと生きていけないような国会議員という感じですけどね] ― これ、全部映っているんですか?[映っています。駄目なんですか?] ― いやいや、そんなことないですけど。(笑) [今日はどうも有難うございました。どこかの党に入られるか、無所属かわかりませんが重要なポストに就いて総理大臣を目指して下さい] ― 有難うございます!