江島 潔
江島バストシュット
第149回
2015年03月25日 放送

自民党 江島 潔 参議院議員

『会いに行ける国会議員 みわちゃんねる 突撃永田町!!

USTREAM akasaka plus』

第149回のゲストは、江島 潔   参議院議員でした。

下関市長を4期勤め、参議院議員に。お父様の故江島淳参議院議員は、国鉄⇒サンフランシスコ領事という経歴があり、息子さんの江島潔議員も「鉄」を自称しています。新幹線が出来た時の感動を、昨日のことのように目を輝かせて語ってくれました。

安倍首相のお膝もとの山口県選出。長年の市長経験を活かし、地方創世に力を入れます!!

(動画より文字おこし)

自民党 山口県 1期目(2015年3月25日収録時点)

 

[どうですか?こういう番組は]―インターネットテレビは初めてなんです。生なんですか?これ。[生です。今、流れています]―そうですか。ちゃんと過去録もあって、あとで観られるのがいいですね。[観ていただけました?]―色々と先輩方のを観ました。[ありがとうございます。…あ、何か持ってきていただいたんですよね?]―催促していただいて(笑)。私、山口県の出身なもので、山口のお菓子の詰め合わせです。[ありがとうございます(笑)。山口県は、総理大臣が一番多く輩出された県ですよね。でも、結構経済が疲弊しているというジレンマで…]―よくご存知ですね。歴代の総理が、我田引水しなかった。大変高潔な政治家で…[我田引水、どういう意味です?]―総理大臣になったからといって、トンネル掘るとか橋つくるとか。[田中角栄とは違う、と]―そんな、個人名は決して口に出しませんけど(笑)、そういうことをしなかった、と。[そうですかー。安倍さんが山口県から輩出されていますが、どういうご関係なんですか?]―私が前職で下関の市長をやっておりましたので、安倍総理の城代家老として、しっかりとご指導いただきながら…[城代家老ってどういう意味なんですか?]―えーと、あの、毎回色々解説するんですね(苦笑)。[そんなことないです、難しい言葉が…本当に知らなかった言葉が今たまたま二つ出たので、知ったかぶらないで聞いてみようかな、と思いまして(笑)]―素直な性格でいいですね(笑)。城代家老というのは、殿様がいたら、その殿様を守る役の筆頭の家来、みたいな。そんな感じですね。地元をしっかりと守りながら、安倍総理を支えさせていただいております。

 

●幸せ度数年表

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[この、9歳のときは?]―父の仕事の関係で、家族で転勤になって。[お父様も国会議員ですよね?]―いや、でも当時は国鉄に勤務していまして。[国鉄マンから国会議員になられた]―そうですね、ちょっと途中で外務省に出向になったりして。外交官になって、家族でアメリカに行ったんですよね。国鉄は役所みたいなものですから、昔はそういうことがありました。[どこに行かれたんですか?]―サンフランシスコです。[まあ、恰好いい!]―恰好よくないです。子供にとっては、英語なんか勿論わからないし。小学校3年ですから。1967年、昭和42年です。[じゃあ日本が高度成長期の時に行かれていた?]―そうですね、これから高度成長時代に入る頃ですかね。[アメリカ崇拝が根強く残った時代ですよね?]―やっぱり私の子供の頃は「舶来品」と言っていましたからね。[アメリカに行って、ショックじゃなかったですか?]―ショックと言うか、何もかもが…食べ物ってこんな美味しいんだ!とかね。アイスクリームってこんな美味しいんだ!とか。今は全然変わりないですよ?アイスクリームも牛乳も。でも当時は、アメリカのアイスクリームって濃くて美味しかったですね。[アメリカにいらしたとき、(幸せ度数が)ちょっと下がっていますね]―言葉が通じなくて学校の勉強についていけないから、これは非常に子供心にね。[結局何年ぐらいいらっしゃったんですか?]―4年弱くらいです。9歳で行って、13歳で日本に帰ってきたんです。帰ってきたら今度は日本の学校に全然ついていけなくて、また大変なショックを受けて。[そして、この(幸せ度数が上がっている)18歳は?]―それでまた何とか回復して、大学生になって少し自由度が増したので、ちょっと幸せ度数が上がったんです。[東京大学ですか?]―はい。[すごい。私本当に東大の人を尊敬しているんですけど、過去に日本の勉強をしなかったわけじゃないですか。帰ってきたらドロップアウトするじゃないですか、国語とか歴史とか。どうしてここで東京大学なんですか?]―だから国語とか歴史とか割合の少ない理系に行きました。[じゃあ、鳩山さんと一緒なんですか?]―それを言わないでくださいよ(笑)。[必ず言われることでしょうからね。他にいます?]―少ないのは間違いないです。やっぱり法学部、経済学部の人が多いですね。[やっぱり、実験をずっとやられてたんですか?]―そうですね、実験と実験の合間に麻雀をしてました(笑)。 [で、24歳では…]―24歳で社会人になって給料を稼ぐようになったんで、またちょっと幸せ度数が上がって。[どうして24歳?]―大学院に行きました。石炭の間接液化とか化学の研究を。[就職はどちらに?]―千代田化工建設。あまり一般の物を売っていないので、知らない人は知らないんですけど、プラントを設計して建設する会社で。[そして、25歳…]―25歳で結婚したんで、またちょっと幸せ度数が上がって。[どういう方と結婚を?]―あのー、妹の友達と結婚したんで。だから非常に近場で済ましちゃったんで、ちょっと恥ずかしいですけどね(笑)。[ちょっと話が戻りますけど、お父様は国鉄マンから国会議員をやられた。やはり厳しかったんですか? あまり家にいなかったとか]―ほとんどいませんね。サラリーマン時代から、夕食に帰ってきた、ということはないですね。まあ国鉄マンって、みんなそんな感じですから。[そうですか…で、28歳で]―28歳でマレーシアに転勤になって、単身赴任になったんです。結婚して幸せ度数が上がったんだけど、単身になってみてまた上がった、ということを発見するんです、そこで(笑)。で、30歳で幸せ度数が下がるんです。私が30歳の時に父が亡くなりまして。父と違う道を歩んでいたんだけど、「政治家を目指そう」とその時に一大決心をして、会社を辞めて下関に。何もないところから…ゼロからのスタートですね。[そして、33歳は?]―これが初めての市長選に対する選挙のチャレンジだったんですが、駄目だったんで(幸せ度数が)ドンと落ちているんです。でも、選挙を目指している時って楽しいんですよ。燃えるっていうかね。[下関市長を目指して落選した。どういう人が勝ったんですか?]―その時は、私より20歳年上の官僚の人です。残念ながら「若造が」と言われてしまって。33歳ですから。で、2年後の35歳の時に衆議院の選挙があって、それで縁があって日本新党から「出ないか」と。出る気は全然なかったんですけど、細川護熙さんと話したら「よし、やろう」という気になっちゃいまして。それで衆議院にチャレンジしたんです。1993年、最後の中選挙区の選挙です。この時は僕は次点だった。だから2回目の歯がゆい思いを…。で、3回目の38歳の時に、2回目の市長選挙にチャレンジをして、ようやく合格しました。[おめでとうございます。良かったですねー。どうでした?]―ようやく、政治家としての第一歩を歩めるな、と。下関に戻ってから8年かかりましたから。[そして何と、連続4期やられてるんですよね? 16年やられた]―3期目は合併で、途中で任期も打ち切るんですよ。だから4年、4年、2年、4年という形で。合併の時は2年間で任期を終えて、また選挙をやるんです。だから14年間。[振り返って、一番苦しかったことは?]―やっぱり合併は大変だったですね。日本の自治体ってみんな合併を繰り返して大きくなってきているんですけど、下関では半世紀ぶりだったんですよ。前回の合併が50年前だから、職員も誰も知らない。本当にみんな手探りで。[その時の資料って残ってないんですか?]―50年前の合併は残ってませんねー。今だったらデジタルで残るんでしょうけど、ただ残るデータが使えるという問題でもなくて、やっぱり人間関係ですからね。[いわゆる平成の大合併ということですよね? それで地方議員も減ったし市も減ったし。今度統一地方選があるんですけど、選挙民がすごい少ないんですよね? 候補者も定数も減る、ということですね]―それはもう間違いなく大幅に。ですから下関も合併して一時期、全員特例で下関市議会議員になったんですよ。4つの町と1つの市で合併したんですが、全部で108人いましたから。合併前が38人とか40人とかそれくらいで、ドーンと大部屋に。[一時期増えるんですよね]―1年半後に、今度は普通の数でやります。38人くらいだったですね。今はまたもう少し減っていますけど。[一時期は108人のお金を払わなくてはいけない、ということですよね?]―だけどそれはまた色々と問題があるので、その時は前町議の人は町議の時の給料。だから同じ市会議員なのに給料に差があるんですよ。それはちょっと可哀そうだったんですけど、それでもやはり合併後の責任を持ちたいということで、皆さん給料に格差があっても、新しい街づくりにものすごく協力してくれました。だからやっぱり振り返るといい思い出ですね。(ここで「花燃ゆ」のポスターが貼られる) 今、NHKで絶賛放映中です。[(笑)視聴率が苦戦していると聞いたんですが]―いや、今どんどんうなぎのぼりで。[面白いですか?]―面白いですよ。山口県民にとってはたまらないですからね。だって、血沸き肉躍る青春ドラマですから。[ロケなんてやってるんですか?]―萩のほうで、ちょっとロケしたみたいですね。[私、観てないからわからないんですけど]―観てない? 政治キャスターなのに?[はい…駄目ですか(笑)?]―(ポスターを指差し)この真ん中の人が吉田松陰なんですけども、吉田松陰がいなかったら明治維新は起きていないんですよ? もしかしたら今でも徳川幕府だったかもしれない。日下玄瑞とか高杉晋作とかね、こういう人たちがいなかったら、今の日本はなかったと言っていいくらい。今からでも遅くないですから、是非観てください。[そんなに面白いんですか。じゃあ観てみます。そして、3期(市長を)やられて…]52歳で市長を引退しました。もともと10年やったら引退しようと思っていたんでね。市長になる前は大学の教員をしていましたので、また大学に戻って学生と。[参議院選に出るつもりで市長になったんですか? それとも、そういうことではなく?]―いわば大学で人を教える、ということは、人づくりですよね? 市長というのは街づくりなんですよ。色々やっていくと、人づくりが街づくりなんだな、ということに気付くんです。[じゃあそういう人材を日本全国につくって政治改革をするところから、国を変えたいと思ったんですか?]―僕はまたもう一度人づくりに戻ろうと思って(大学に)戻っていたんですが、安倍先生がもう一度政権をとって総理になる、と。それで安倍総理のほうから「江島君も、もう一回政界に戻ってこい」とおっしゃっていただいて。[それ言われたの、何年ですか?]―私が56歳の頃で、それで参議院選に出ることになりました。要するに衆議院選挙があったんですが、その時に山口県の参議員をしていた岸信夫先生が、参議院から鞍替えをされたんです。それで空席がひとつできて、補欠選挙だったんです。[岸信夫さんの後ということですね]―そうですね、岸先生の補欠の選挙で当選をさせていただきました。[その時は安倍さんは総理だったんですか?]―そうです。安倍政権になって初めての国政選挙が、私の山口の補欠選挙です。2013年4月28日。政権交代が2012年の暮れですから。[そこで衆・参のねじれが直った]―いや、まだ直ってなかったです。参議院の補欠選挙だから、私が一人岸先生の後に入っただけで。そこから7月の選挙までの3ヶ月間は、参議院では少数与党で、常任委員長が首になったりとか歯がゆい思いをしました。[どうですか? 岸信夫さんと安倍さんの兄弟は]―岸信介総理、安倍晋太郎先生の血筋を引くお方ですからね。安倍総理とはずっと長い間お付き合いさせていただいているんですが、総理までした人がですよ、本当にこまめに選挙活動をされるんですよ。個別訪問されるんです。僕は本当に頭が下がりますね。 2009年に自民党の大物が負けたりしたでしょ? あの時も安倍総理は圧倒的な勝利だったんですよ。大体大物になると地元にも帰らないでしょ? 皆もう「よきにはからえ」になっちゃうじゃないですか。安倍総理は、時間が空いたら有権者と触れ合おうといつも意識して、有権者を大事にしていらっしゃる。私も見習わなきゃいけないな、といつも思います。[あそこの兄弟は仲がいいんですか?]―…と思いますよ(笑)。ただ、一緒に育ってないんで。信夫先生のほうは、生まれてすぐに岸家の養子に行かれたので、兄弟と気づいたのも大人になってからなんですよ。それまでは従兄弟だと思ってたんです。[岸さんのほうは岸家だと思ってた。だからあまり似てないというか…]―でもやっぱり雰囲気は似てますよ。 信夫先生のほうが、更に背が高いですけどね。[来年、選挙、ですか?]―そうです。6年前の2010年というのは、第一次安倍政権の参議院選挙で、自民党が大敗したんですよ。[じゃあ今度は引き戻さないといけないですね]―今度はしっかりと勝たないきゃいけないと思いますね。[今度の選挙は18歳から選挙権が与えられるかもしれない。今ちょうど話し合っているところですか?]―おそらくこれは本国会で成立するだろうと思います。[18歳からの選挙権が導入されて、初めての国政選挙、ということになるんですか?]―そうなんです。だから「18歳対策」というのをね…。[やってますか? 自民党では]―どうでしょうか、自民党でやっているか、まだそこまで把握してませんけども、自分の中では高校3年生がそういう意識を持って実際投票するんだな、ということは意識しています。僕はそれはいいことだと思うんです。例えば大学で「選挙に行こう」みたいなことを授業じゃやらないですよ。だけど、高校だったら社会の授業での関心度は高いだろうし、高校生が(投票に)行くとなったら、19歳、20歳もつられて関心も高まるんじゃないか、と。僕は、18歳にすることは意義のあることじゃないかな、と思うんですけどね。[じゃあこれから各政党必死ですね。どうやって取り込んでいくか。だって高校生の時に根付いた理論は、なかなか消えないと思うんですよね]―あるかもしれませんね。最初にファンになったら、ずっとファンのまま、というのは。[その対策ですね、これからは]―まあでも、急に付け焼刃で18歳対策をやろうと思っても、多分それは無理が出るんだろうと思いますね。[でも山口県、いるんですか? 若い人]―失礼な(笑)。でもそれは鋭い所を突かれているんですよ。山口県は少子高齢化の30年ぐらい先をいってるんです。日本の人口のピークが2008年だったでしょ? 山口県のピークは1985年なんですよ。ということは、山口県でいい高齢化社会が実現出来たら、いわばそれは日本の先進事例をつくることになる。[負の先進事例、というか…]―負というか、長寿社会というのは、平和である、医療環境が整っている、要するにいいことづくめの結果がこの現実ですから。少子化は別にして、長寿社会は間違いなく個々の幸せを求めた結果ですから、決して僕は負とは思ってないですよ。

 

●最近の政治トピックス

[何かありますか? 先程18歳選挙権の話も出ましたけど]―そうですね、最近は…安倍総理が国会の答弁の中で自衛隊の事を聞かれた時に、「我が軍」と言った。これを野党がキャンキャン言ってね、怒って。[「我が軍」いけないんだ(笑)]―一部マスコミが「我が軍と言った」と、某大手新聞なんかも書いてるんですよ。[そういう、言葉尻をとっているというのは無駄ですよ]―言葉尻というか、「我が軍」というのがおかしいというその考え自体が、「何を言ってるんだよ」って思いたくなりますね。[じゃあ、何て言えばいいんですか?]―いや、だって、総理大臣というのは最高司令官なんだから、「我が軍」ということに何ら問題はないんですよ。外国は自衛隊を軍隊と見ているわけですから。だけど日本の中で「陸・海・空軍は持たない」みたいなことを書いてあるので「自衛隊」という言葉を生み出しているのであって、現実にはあれは軍隊なんですから。だから僕なんかいつも「陸・海・空三軍」と言ってますしね。軍隊なんですよ。「自衛隊」は、苦し紛れに作った名称ですから、自民党は一刻も早く憲法改正をして「国防軍」という位置づけにしようと。[憲法改正になるんですかね?]―そのためには、来年の参議院選挙でしっかりと、改憲に対しての賛意を得る議員が増えないと。3分の2というハードルがありますので、今のままでは変えられないですね。[更に力を入れますね、安倍さんは]―そうですね、自衛隊の事を「軍」と言っただけでギャンギャン言うくらいに、今の憲法は時代に合わなくなってきている、ということですよ。[昔の政治家なんて、本当に放送禁止用語を羅列されたと思うんですけど、それでもやっぱり心があったからずっと議席を守ることもできたし、人に愛されたんだな、というのはありますよね]―だからやっぱり恐れず、本音をね…とは言っても恐れますよね~。[江島先生が下関市長に初当選したのは平成7年。私も平成7年に初めて市会議員をやらせていただいて。あの時は地下鉄サリン事件とか阪神・淡路大震災、未曽有の事件があった年でしたよね。市会議員の皆さんが冗談で「サリン撒いてやる」と平気で使う感覚なんです。地方議会はみんなそう。普段使ってるから肝心な時に出ちゃうんですよ]―ちょっと、冗談じゃなくなりますよね。[そういう人多いんです。普通の田舎のおじさんがポッとなってるわけですから。そういう所は全くエチケットが…公衆道徳という面でも非常に低いのが現実ですよね]―でもやっぱりそれは日本の平均的な集団の鑑なんですよ。みんなそうなんじゃないですか(苦笑)? [他になんか話題になっていることはありますか?]―そうですねえ…。もうすぐ桜が咲くのに、なんかまだ寒いなあ、と思って。[山口県も寒いですか?]―ちょっと寒いですかね、まだ。いつも昼間はあったかいんで、つい朝出る時にコートを着ないで行くんですよ。で、夜になってからぶるぶる震えてうろうろしたりするんでね。[参議院会館に行かせていただくと、衆議院に比べてすごい牧歌的というか、穏やかな空気が流れているんですが、やはり来年選挙となると皆さん違ってますか?]―もし雰囲気が違うんだとしたら、参議院の場合は3年ごとときちんと期日が決まっているんで、みんな計画的にやっているからかもしれません。[そういった中で、衆議院で長生きしている人ってすごい。いつ解散になるかわからないストレスに打ち勝っている人ですから、本当に強い人なんですね。政治家って、選挙に受かることに付随して、健康も備わっていないと駄目なんですよね? その集大成が国会議員で、中曽根康弘さんみたいな人なんでしょうね]―でも健康は政治家に限らず、どんな仕事をするにも大事で。全ての源は健康だな、と。自分の健康管理は自分しか出来ませんからね。

 

●今だから言える、あの日のあの出来事

―考えたんだけど、特にないんです、別に。裏話って何かなあ…皆さんどんなことを話されたんですか?[それはもう、十人十色で]―裏話って何だろうなあ、と思って。[そうですか…ないですか?]―ありません![じゃあ、何か作ってもらえます?(笑)]―そんなに裏工作得意じゃなかったし、結構バーンとぶつかっていってましたから。でもやっぱり国政では根回しがすごいな、というのは感じますよね。[どういうところで感じるんですか?]―ひとつの法案を通すのに、何段階もの手順を踏んで。野党との協議とか自民党内の協議とかを積み重ねていってね。[それは昼間ですか? 夜ですか?]―今はみんな昼間です。非常にきめ細かくやっている。ちょっと地方議会ではなかったことですね。だからやっぱり政党政治とね…地方は、政党政治じゃないでしょ? いろんな物事が決まっていく仕組みが違うかもしれませんけどね。[それを目の当たりにして驚いた、ということですか?]―ええ、なるほどな、と。政策ひとつにしても、例えば自民党が法律を作るときは、傍から見てると(議員立法が)出てきて審議するだけですよ。だけど出てくるまでに、自民党の中の部会で協議をして、部会のゴーサインを得てから上層部の最高幹部会議で審議を得て、自民党のゴーサインが出てから政府原案になる、というプロセスがね。やっぱり入ってみるまでわからないですからね。長年にかけて作り上げたシステムなんでしょうけど、非常にこれはうまいこと出来てるな、と感じます。[私たちが知る前には、すごい長い間の色んな…]―そうです、もう出来上がったものしか見てないでしょうけど、そこにいくまでに水面下で凄い水かきをしている。あっちに向いてる仲間、こっちに向いてる仲間がいるんで、凄い水面下の水かきをやりながら法律を作っているんです。で、どうしてもそれがまとまらないと、今国会での提出を諦めてまた次に送って。その間の休会中に、色んなネゴシエーションが進んだりとかね。[各党派で審議があると思うんですが、そこをどうやって突破していくんでしょうね?]―だからハートですよ、ハート。熱いハートをもって、「この方向!」と進む同志がどれだけいるか。一人だけじゃ駄目ですからね。民主主義というのは、数ですから。例えば、IR法案ってありますよね? IR法案に対しても、自民党の中でも色々な考え方があるわけですよ。だから、今はまだまだ党内で議論をしているところです。でもまあ、そう遠くないうちに、自民党としての意見がまとまってくるだろうと思っていますけどね。[部会は、侃々諤々で誰でも発言できると仰っていましたけど、序列というのはないんですか?]―序列はありますよ、取り仕切る人がいて司会進行役がいて幹部もいるんだけども、平の議員…要するに、バッジさえつけていれば、衆議員でも参議員でも手を上げて発言できる。これがすごいところなんですよ。僕は、平場の議論というのはすごいな、と思いますよ。一回生議員の発言でも「うん、そうだよな」と感じる時もあるし。あれは開かれたシステムですよね。 会社の取締役会で平社員なんか絶対発言できないけど、(自民党は)発言できるんですよ、政策立案の過程においてね。[それはやはり皆さん、地元の有権者の付託を得ている、ということがあるんでしょうね]―そう、地元の思いというのもあるし、議員の生い立ちって様々だから、「この専門で出てきた」という人がいるわけでしょ? 「一回生だけど、この事に関しては他のやつらに負けないぞ」みたいな思いを持っている人はいるわけですよ。僕の例で言うと、まだまだ一回生議員だけど、地方自治に関しては結構色々な思いもしてるぞ、というような思いもあるし。[自民党に入ったからといって、自民党のお陰で受かったからといって、そこで引いちゃうような人材じゃ駄目なんですね]―それだと誰でもいい駒になっちゃう。自分が出てきた、ということは色んな要素があって、「じゃあ自分はどの中身を提供したら、国家の役に立つんだろうか。安倍政権の役に立つんだろうか」ということを、各自が考えるわけです。で、そこを磨く。私が見る限りみんなそういう人で「すごいな」と思います。[昔よりもレベルが上がっているんでしょうね。個々は、多分グレードアップしていると思います]―どうでしょうね、でも昔も凄かったんじゃないですか? 私のひとつの目標は、やっぱり父の生き様。父は交通部門というか鉄道の出身ですから、運輸部門を専門にしていましたし、「そういう専門性をもってやっていたんだな」と思うと、まだまだ自分ももっと磨きをかけなきゃいけないな、と思いますね。[江島議員は地方自治から来た人ですから、やはり地方創生を?]―強い関心を持って応援をしていきたいな、と思います。地方創生は、石破大臣が「勝ち組と負け組が出ます」と宣言するくらい、今度は厳しい選択をする。生半可な計画では、国は何も支援しないんです。全員を応援出来るほどの財源もなければ人源もないので、絶対取捨選択が進んでいくわけです。私は山口県民から選んでいただいているので、山口県からは負け組は絶対出したくない。だから色んな応援をしたいな、と思います。[この間ホワイトデーの日に、キャピトル東急で打合せをしていたら、見たことのある男の人がスイーツを選んで買っているんです。石破さんでした(笑)。大臣級の人が自分で選んで]―かわいいですね(笑)。何個買ったかで、何個貰ったかわかりますね。[3つくらいでしたね、大きいの]―大臣が3つということはないから、多分その3つは心を込めて「お世話になった」という思いで、きっと…[秘書さんではなくて本人が買っているので、びっくりしました。またその気持ちが素敵ですよね]―石破大臣って、温かみが伝わってくるじゃないですか。[甘いものを買ってるのを目の当たりにしたので、それだけで「この人優しいんだな」と思いました]―ポイント稼ぎましたね(笑)。

 

●質問コーナー

Q : 2020年の東京オリンピックに向けて、これから山口市を盛り上げていくための具体案がありましたら教えて下さい。

A : 山口県は、東京からちょっと遠いんですよね。JRだから東京オリンピックの時に「これをやろう」というのはなかなか描きにくい。しかし2020年は日本にとって大きな節目なので、それに合わせて山口県も色々取り組んでいきたいな、と。特に、山口県の持っている暮らしやすさ、環境の良さ、災害の少なさ。こういうものが売り物になると思いますし、観光ももっと努力をしていく余地がある。この間高知県に視察に行ったんですが、高知はまだ新幹線や高速道路が通ってない所がたくさんあるんです。それに比べると、山口県は新幹線も高速道路も瀬戸内海沿いは貫いているので、インフラは瀬戸内海側は非常に整っている。山陰側が非常に脆弱だという課題があるんですが、裏を返すと工業地帯もなく自然が残されているので、これはまた一周遅れのトップランナーになる可能性はあるな、といつも感じています。

[…タイムラグが結構ありますね、人口の問題とか(笑)]―そうなんですよ、だからそういうものを逆に生かしてね。JR西日本が「瑞風(みずかぜ)」という豪華列車を来年の春からスタートさせるんですよ。これがまた、すごい。まさに日本版のオリエント急行。[お父様が国鉄だったこともあって、列車を語っている時は活き活きされていますね]―僕が小学校1年の時に東海道新幹線が開通したんですよね。本当に子供心に「鉄道ってすごいな」と思いましたからね。だからおやじが国鉄で、鼻高々だったんです。[HPに載っている写真もいいですね。江島先生のいい雰囲気が出ていらして、素敵だと思いました。来年の選挙も、是非頑張って下さいね]―有難うございます。選挙は、政治家としての通信簿ですから。有権者から評価をいただける。そして合格か不合格か、と決まるわけですから。しっかりと真面目に務めて、評価をいただく、という心境です。[身体検査をやっても何も出てこない感じ、いけないことが(笑)]―いや、それは全然わかりませんよ(笑)。