河野 正美
河野 バストショット
第164回
2015年08月05日 放送

維新の党 河野 正美 衆議院議員

国会議員の中で現在たった一人、精神科の医師というキャリアを持つ河野議員。

お父様の故河野正氏も、精神科の医師。衆議院議員(社会党)、同じ経歴をたどられています。

現代に蔓延する、ストレスから来る精神の病についてもお話しいただきました。

対談させて頂き、河野議員の安定感あるお話しぶり、すべてを受け止めてくれそうな寛大な雰囲気は、さすがキャリアから来ているものだなと感じました。

魑魅魍魎の永田町と有権者のオアシスとして、医療改革制度や安全保障法案にこれからも尽力して頂きたいです。

(動画より文字おこし)

維新の党(九州ブロック 福岡4区) 2期目(2015年8月5日収録時点)

[よろしくお願いします。(後ろの) 国会の写真すごいですね、お父様と河野正美先生のご幼少のころのお写真ということですね]―そうですね。昭和40年くらいですね。[お父様も国会議員だった。お父様はどちらの党だったんですか?]―日本社会党です。[ええ!? でも当時の社会党と今とでは違いますからね]―どうなんでしょう(笑)。[お父様は何期やられたんですか?]―8期です。[凄いですね。「ウィキペデイア」に書いてあることは本当かどうか教えていただきたいのですが、お父様は歴代首相などいろいろな人脈をお持ちなんですか?]―そうですね、「ウィキペデイア」に書いてある通り。あれは本当です。[どんなエピソードがあるんですか?]―佐藤栄作首相に関しては、もともと国鉄で、大宰府天満宮の近くで若い頃駅長さんをされていたんですが、梅ヶ枝餅が好きなんで「ちょっと官邸に届けろ」と言われて、夜行列車で届けたりとか。橋本龍太郎先生は、父が佐藤首相から「野党の一番うるさいやつが鍛えてくれ」と頼まれて、ずっと父親の事務所に出入りしておりました。[お父様は一番うるさい方だった?]―多分、野党の筆頭理事で一番うるさかったのではないでしょうか。橋本先生が将来有望な人間だから、自民党の中で育てるよりも野党のうるさいやつに鍛えてもらったほうがいい、ということで預かったのだと言っておりました。[子供の頃から国会の周辺にいらっしゃったんですか?]―生まれたのは東京ですね。[どちらなんですか?]―世田谷区です、母親が世田谷だったので。[土地持ちですか?(笑)]―土地は全くありません(笑)。[河野正美先生はお医者様ということですが、何のお医者様?]―精神科の医者です。[どうですか? 私を含め(会場を見渡して)…大丈夫ですか?(笑)]―大体自分で言う方は大丈夫です(笑)。[今も患者さんを診られているんですか?]―今は診てないですね。精神科の患者さんはいつ悪くなるか分からないので、いつでも病院にいないと申し訳ないから、全て他のお医者さんに任せております。[お父様もお医者様なんですか?]-そうです。[何のお医者さんですか?]―精神科です。そのまま父親がやっていた病院の跡を継いでおります。

●幸せ度数年表

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[1961年生まれ。東京都世田谷で生まれる。お父様の落選とありますが…]―連続5期で当選して、6期目を目指している時落選しました。[何かあったんですか?]―この時は昭和44年くらいですかね、自民党が凄く強い時でした。落選後両親は福岡に帰っちゃったんですね。もともと世田谷は母方の家があった所なので、お祖母ちゃんの家に住んでいました。中学校に通っていたので。[そして、お父様も再選されて…]―再選は10年後。3期連続落選だったので。[それはきついですね]―それで3期10年落選して、ようやく返り咲いて6期目に当選したら、例の大平総理のハプニング解散で7ヶ月で解散になり、また落ちて(苦笑)。その後2回は通ったので、通算8期です。[大学はどちらですか?]―名古屋の愛知医科大学です。[ご兄弟はいらっしゃるんですか?]―えーと、腹違いの兄弟がいますけど。[本当に? 腹違いってどういうことですか?]―父親が再婚しまして…。[あ、そういうことね、愛人とかじゃない?(笑)]―違います(笑)。[そして、大学を出て九州大学神経精神医学教室に入られた。結婚されて、長女と次女。順調ですね~]―長女が生まれた時は、妻が東京に里帰りしまして。寂しい思いをしましたね。[奥さまとは何処でお知り合いになったんですか?]-小学校の同級生。[えー! 小学校は、世田谷ですね?]―成城学園です。[当時の成城は一番華やかな時でしょ? 同級生で有名人はいるんですか?]―岩崎良美さんですね。宏美さんは先輩で、妹の良美さんが同級生。[そして、河野病院の院長になられたんですね]―はい、36歳で。2代目なので、別にたいしたことは無いです。その後、福岡県の精神科病院協会の理事に38歳でなりました。これは若くしてなったと思いますね。[そして、医療法人(河野病院)の理事長になられた]―父親が引退するという事で、理事会で「お前が跡を継げ」と。病院が非常に大変な時で「お前しかいないだろう」とご指名を受けまして。[そして、残念ながらご両親は(河野さんが)46歳過ぎに亡くなってしまったということですね。ご病気だったんですか?]―そうです。父親は93歳で亡くなりました。[今の社会党のイメージは当時とは違いますね]―当時は色々な方がいた、と聞いています。[上田哲さんとか…]―上田哲さんとうちの父親は、晩年一緒の派閥を作っていました。当時、上田哲先生が代表選挙に出られた時、僕は福岡で運転手をしましたから。[そして、51歳の時に衆議院議員初当選。2期目になりますが、これはどういう経緯で出られたんですか?]―精神科病院協会の理事をさせてもらって、今、本当に医療が厳しいということで色々な政治活動をやる役職になりました。色々な政治家の先生方とお付き合いをさせていただくようになって、「医療が悪いならお前が出てみたらどうか」ということで、ご縁があって出ることに。[どなたがスカウトしたんですか? 自民党が浮かぶんですけど…]―そうですね。[何故自民党ではないんですか?]―自民党の公募に出したんですが、選任をいただけなかったので「どうしようかな」と思っている時に、応援して下さっている方々が「無所属でもいいから頑張って出ろよ」と。その時にある先生が、石原新党を作るので平沼さんが候補者を探している、という事で一度会いに行き、「立ち上がれ日本」の支部長にしていただきました。[最初の政歴は、「立ち上がれ日本」だったんですね]―そうですね。6月に支部長にしていただき、11月に日本維新の会に合流していきます。[その時は今の「維新の党」ではなく、「維新の会」の時だった]―そうです、当時は無所属の名刺があって「立ち上がれ日本」の名刺があって、「太陽の党」というのが数日間あって、その度に印刷物にシールを貼っていくのが面白いという事で、「報道ステーション」や「目覚ましテレビ」で特集をしていただいたので顔が売れたのかな、と。有り難かったですね。[しかし、選挙に出ろといわれ医療改革で立候補したのに公認を貰えないのは、なかなかしんどいですよね]―そうですね、ただ、やめるという事もエネルギーが必要で、どうやって皆さんに「申し訳ない」と言おうかと思っている時にそういうお話をいただいたので。[縁があったんでしょうね。やっぱり自民党は嫌いですか?]―いやいや(笑)。答えにくいです(苦笑)。

●最近の政治トピックス

[先生は、やはり医療改革制度をやられているんですか?]―そうですね。僕が一番やりたいのは…介護が必要な方や患者さんから税金を取るのはおかしいという考えの下で、消費税はいただいておりませんが、一方で病院が買う高額な医療機器や耐震構造の問題で立て替えた時の消費税は自己負担になっちゃうんですね。そこの部分をきちんとしないと。国は診療報酬に含まれているといいますが、これから診療報酬が上がっていかない中で、このまま上手くいくわけが無いし、仮に海外みたいに消費税が20%になったときは、このシステムは破綻します。だから、医療に対する消費税問題をきちんとやりたいと思っているんですけれども、ハードルは非常に高いです。[どういうところが壁になっていますか?]―まず、国会議員になると医療機関が良くなるように、とだけは考えられませんよね。国の財政も考えなくてはいけません。国会議員は、安倍内閣がどういう風に考えているかと問いただすことが出来るんですが、これをまず出しました。そしたら、医療機関の10%の消費税をなくすと、1.9兆円くらい財源がなくなるという事でした。今のままで1.9兆円入って来ない、という事になったら、国も考えなければいけない。まずこれが一番大きな壁ですよね。また、軽減税率の議論がされていますが、1%6,000億円と言われています。これと比べてもいかに大きなハードルがあるかということですね。[そういうことを知ってしまうと、思ったことがなかなか言えなくなってしまいますよね?]―でもそれは何とかしないと。地域に病院や介護の施設がなくては安心してお年寄りが住めないですよね? そこに住民の方が住んでいらっしゃるという事が大切なので、まず医療を守ることが大事、お金をかけるべきだと思っているんです。[核家族、高齢化社会、これからどうなってしまうんでしょうね、日本は]―田舎で医療がしっかり守られていれば、例えば子育てをおじいちゃん、おばあちゃんに頼めば、待機児童の問題もなくなるかもしれない。そういった意味で、まずは地域の医療を守るという事が一番だと思っています。[まずは福岡4区ですか?]―も、含めて。国会議員なので全ての地域ですね(笑)。しかし、医療は儲かっていると思われているところがあるので…。[今はお医者さんも大変という声も聞きますけどね]―大変だと思いますよ。お医者さんにしても労働時間は長いし、どんなに頑張っても死んでしまう方はいるんです。その理解が得られずに訴訟になる事もありますし、そういったプレッシャーなどを考えれば経済的に恵まれているとは言えないと思いますね。[今、お医者さん不足と聞きますが、国会にいても大丈夫ですか?]―かなり大変なんですよ。地域に偏在していると思うので。東北などはお医者さんが少ないですし、科によっても産婦人科などは大変だと思います。[先生は病院をお持ちなんですよね?]―一応経営しております。(患者さんは)他の先生に診てもらっていますね。[それができれば最高ですよね]―でも、現場に理事長がいないというのはどうしても緩んでくるところもあります。[お父様が開業されたんですか?]―はい、昭和21年(開業)で、来年70年ですね。[じゃあ福岡では知らない人はいない?]―どうでしょう(笑)。[八王子も精神病院は多いです]―そうですね、父親の師匠にあたる方が、色々な所でお弟子さんを開業させているので、どこかで繋がっていると思います。[維新の党ということですが、厚生労働委員会なんですか?]―違います。僕は内閣委員会です。[やはり好きな委員会は取れなかった?]―最初はそうですね。ただ、国会議員の場合は差し替えでどの委員会にもいけます。本当に必要な時は、専門性の高い時などはやらせてもらって、それ以外は何処にいてもいいかな、とは思っています。今は内閣委員会の理事をさせてもらっていて大臣が6人いますから、かなり重要法案が出てくるのでやり甲斐はありますよね。[どうですか? 維新の党は]―質問や出番は多いし、やることは多いですね。[大変みたいですね]―福岡県の代表もやっているのですが、国会議員も一人ですからその点も大変ですね。他党は大ベテランの先生が代表などしていますからね。[連携は取れているんですか?]―はい。勉強させていただいております。[自民党の国会議員は夜な夜な集まっていますが、それには入らないんですね]―たまには。[つるし上げられませんか? 少数派ですから]―そんなことはありませんね。「野党をいじめないでください」と先に言いますから(笑)。[歯がゆいところはないですか? 医療改革とか]―やはり立案しても中々審議をしてもらえないというのが野党の厳しいところですね。[色々持ちかけられるんですか? 自民党の県連から。これ通せ、これ賛成しろ、とか]―県ではそういう話はしませんね。東京では話しをすることはあります。[安保法案も独自案を出しましたよね?]―あれはわかりにくいと、随分お叱りをいただきましたけど。[どういう風に叱られるんですか?]―議席にいて反対を叫ぶべきでは?、と言われたり、もともと自民党を支持していて僕の応援をしてくれる方からは、政府案の何が悪いんだというご意見もありますね。それは真摯に説明して、いかに維新の党の案のほうが優れているかという事をご説明させていただいております。[整合性を持っていかなくてはいけないですし、大変ですよね]―そうですね、我々は今の憲法で何が出来るかという事…安保の見直しが必要だということは、国際情勢が緊迫した中で必要性は認めています、これは自民党さんとも同じ。ただ、憲法を変えない以上出来る範囲は決まっているでしょ?、ということで考えたのが維新の党の案なので、こういったことを説明させていただいて。[首相が誰になるかわからない中で、その法案を適用した時に、結局最高裁で違憲となってしまうことを危惧されているんですね]―そうですね、我々議員にとって、そもそも違憲じゃないか、と言われている法律を作る場にいるという事は厳しいですね。[有権者の皆さまも千差万別という感じですか]―そうですね。なるほど、維新のほうがいいという方もいれば、自民党のような大風呂敷のほうがいいという方もいますしね。

●いまだからいえるあの日のあの出来事

[髪型が渡辺(喜美)代表に似ていますね]―似てると言われますね(笑)。髪型は意識しているわけではないんですが。多分最初は地元の床屋さんでやってもらって、その後はずっと東京の床屋さんで切ってもらっているんですけどね。[ネクタイはフェラガモですか?]―はい、これにはこだわりがあって。亡くなった母親が象が好きで、赤のフェラガモの象柄が勝負ネクタイなんです。カフスも象なんですよ。[そういう思いが込められているんですね。…「今だから言えるあの出来事」、ありませんか?]―えー、特にないですけどね(笑)。ふっていただければ…。[やはり福岡県連自民党を聞きたいですね。東京から見てもあそこはとっぽいというか、考え方が普通じゃないように思うのですが(笑)]―そうでしょうかね(苦笑)。急に歯切れが悪くなりました(笑)。[お父様に関してですが、凄いですよね、このポスター。味がありますよね~]―最初は「立ち上がれ日本」から出ましたし、父親の名前を言うのも嫌だったし、僕は僕で病院団体の役員をやっていたので最初から政治を目指していたわけはありませんから、親父の名前は言わなかったですね。ただ周りの方から、父親に似ているとか、親戚なのかとか言われることも多くて。そこで「息子なんですよ」と答えると、「それなら応援してやるよ」と。[その時は社会党じゃないと駄目とかはなかったんですか?]―そういうことではなく、当時父親に世話になったから応援してやるということを言っていただきましたね。それで今回の選挙は、あえて父親と同じイメージで写真を撮ってもらいました。[申し訳ないけど、お父様の写真のほうがいいですね]―そうですか(苦笑)。でもね、こんな笑顔はほとんど家ではなかったですけどね。[厳しかったんですか?]―厳しかったですね。[私の地元八王子なんかでも、社会党の根強いファンがいますね]―そういう方はまず応援していただけないと思いすね。わが党は維新の党ですし、橋本さんも選挙の応援に来て下さったんですけど、組合のことに関しても厳しい発言をされますからね。そういうことをやっていると、社会党を支持している方の共感は得られませんよね。[維新の党の代表選が11月にありますが、どうですか? 裏工作とかやっているんですか?(笑)]―いえいえ、全く(笑)。わが党は、国会議員も1票、一般党員も1票ということでフェアに投票しますので。たくさんの方に、これを機に党員になっていただいて選挙したいと思っていますし、そのためには何人か出て議論をする舞台にならなきゃいけないので…。せっかく党員になっても選挙がないということは無いように、と思っていますけど。[盛り上がってほしいですよね、土井たか子先生や上田哲先生の時の様に]―その時も、マドンナブームの土井たか子先生に果敢に挑戦する上田哲先生を見て、世論が歓喜するという事もあったので、維新の党もそうなって、国民の皆様に分かりやすい政治になればいいなと思っています。[今の代表はどなたでしたっけ?]―松野頼久先生です。[凄いじゃないですか、マスコミが埃が出ないか色々探してて。逃げ切っていますよね(笑)]―大変だと思いますよ、色々。大阪都構想が終わって急に江田代表が辞任されて、松野代表に代わりましたからね。[もう江田さんも出ないんですか?]―それは全くわからないですね。[小野次郎さんですね、私としては]―今は安保でもの凄く忙しいと思いますね。[論客としてメディアに出ることで、維新の党にとってプラスになっていますからね]―そうですね。維新の党は分かりにくい、と言われることがあるので、どういう政党なのかをしっかりアピールする機会になればいいなと思っております。[そしてこれは(机の上の本「こころのケア」をとって)先生のご著書ですか?]―はい。実は最初院長になった時に…自分の父親の病院の院長になって、看護師さんや専門スタッフでも精神科医療のことを知らないということがありまして、それが原因で患者さんとご家族のすれ違いが生じて、不幸な結果になっているということもありました。それがきっかけで本を書きたいと思い、書かせていただいたんです。

●質問コーナー

Q:ストレス社会の日本と言われていますが、鬱病などの治療法や今後の医療制度や法案はどうお考えでしょうか?

A:今、鬱病の診断基準というのを用いると何でも鬱病になってしまうんですね。それに捉われることなく、ストレスを発散するような趣味や、笑顔で過ごせるような時間を増やせるようにしていただいたりしていただく。それでも気分が落ち込んでしまうということであれば、専門医の判断で抗鬱薬を使用します。また、夜寝るという事が一番大切だと考えています。勿論夜仕事をされている方もおられますが、基本的に人間は暗くなると眠るように出来ています。なので、必要であれば睡眠薬の軽いものなどで睡眠のリズムを作っていくことも大事になりますね。また、そういった啓発活動によって、会社のほうでも復職プログラムを作ったりしてますし。昔は鬱病と言えなかったですし、「何とかハラ」とかも言えませんでしたが、今は何でもマスコミが取り上げますから、その殻に閉じこもろうと思えば簡単に入れてしまうんですね、そうすると社会生活が出来なくなってしまうので、その辺は専門医にご相談していただければと思います。

[みんなサボりたい人は「鬱」と言いますからね]―診断基準に当てはめると鬱になってしまって、それで診断書を書いてしまうと大変なことになってしまうので。私のところに通院する方なんかでも、「あなたは鬱状態かもしれないけど鬱病ではないから、薬など飲まなくてもいいですよ」とお帰ししますね。そこで「鬱病です」と言ってしまうと、そこに入り込んじゃう方もいるので。[本当に病気のときは隠したいと思う。病気じゃない人ほど言いますよね?]―その辺は専門の医者に掛かっていただければ見破りますし、わざと厳しいことをどんどん聞いて、隠そうとしても明らかにしちゃいますから。[先生も結構武闘派なんですね]―いやいや(笑)、一応精神科医なので。[先生は感じがいいので患者さんに好かれるでしょ?]―僕は結構、鬱病の方は泣かせますよ。泣くとスッキリしますから。ただそれで悪くなってしまってはいけないので、匙加減は考えますけどね。[精神科医の先生は女性の気持ちもわかるんですか?(笑)」―それはわかりませんね(笑)。[それにしても(後ろの)国会議事堂の写真いいですね]―実は今の議員会館の、前の、更に前の会館なんですよ。[老朽化が早いですね(笑)。この間までひどかったですもんね、今はいいですけど]―そうですね、狭かったですね。私が役員になって、ある先生のところに言ったときビックリしましたよ、広くて。[この写真は高度経済成長の良いときですね。東京タワーが浮かんできそうですね。では終わりたいと思います。どうでした?こういう番組は]―あっという間で、つい色々な事を話してしまいそうでした(笑)。[川田龍平さんにあまり喋るなと言われたとか(笑)]―いえいえ、大変なことになるぞとは言われましたが(笑)。[でもいいですね、党内でそういったお話をするというのは]―維新の党は大阪派とか東京派と言われたりしますが、本当は仲がいいんですよ。やるときはやりますしね。[わかりました、今日は本当にありがとうございました]―ありがとうございました。