津島 淳
ac104
第104回
2014年02月05日 放送

自民党 津島 淳 衆議院議員

教科書にも載っている太宰治氏のお孫サンながら、お父上は大蔵官僚という血筋ながら、学習院文学部2年連続留年という愛すべき経歴を持ってらっしゃいます。
魑魅魍魎の永田町で津島議員自身が青森の「ユルキャラ・太宰君」となり、東北を盛り立てて頂きたいと思います。
横顔のプロフィールが、太宰治氏に少し似ていらっしゃいました☆

(以下動画より文字おこし)

自民党 青森1区 1期目

盛り上がってますね~! 大応援団が遥々青森から。この番組を青森でジャックしてしまう(笑)。皆さん有難うございます、遥々。(今日はゆるキャラも来て頂いてスタジオも華やぎます)―連れて来ました。「決め手くん」「いくべぇ」「りん太くん」。「いくべぇ」というのは観光キャラクター「青森に行くべぇ」、「決め手くん」は青森県産品のイメージキャラクター、相撲が盛んな青森に因んで行司。「りん太くん」はご存知の青森は日本一のりんごの産地でりんごの「りん太くん」。
((キャスタ―佐野と)同い年、同じ学年)―2ヶ月違い、そう見えないでしょ(笑)。中学校まで公立で高校から…(麹町中学は官僚のお子さんの多いところで普通ではない。それで入られた?)―それは違う、公立だから誰でも入れる(笑)。同級生は穂積隆信さんの娘さん。(「積木くずし」の?)―そう、一つ下。(亡くなられた?)―そう。(麹町中学校の積木くずしだった?)―そう、実は。そういう事もあった。(PTAも戦々恐々とされていたのでは?)―どうなるんだろうと…。先生方も苦労したんだろうなと思うその頃は。
(なんと津島先生は太宰治さんのお孫さん)(会場拍手)―(中学校の時のあだ名が太宰君)―高校の時も。ストレートでひねりもない(笑)。政治家云々という以前に太宰治の孫だというところで自分の背負っている運命というものがあって…というと大袈裟だが。(そういう遺伝子は既に勝ち組)―勝ち組ですか(笑)?だんだん年を取ってくると責任みたいなものを感じる。文学継承というか、その価値を守るとか…もっと言えば太宰治の墓を守っていかなければならないとか。(墓は)三鷹にある。(祖父様のお墓を皆知っている)―墓に行くと結構若い人が来てくれている。自分や両親が墓を掃除すると、皆「この人達何なんだろう」という目で見ている。自分から「私は親族です」と名乗る訳にいかないし、何かちょっと気詰りな感じをお互いしながら毎回掃除をする、毎年。(似てない)―似てないですかね。(太宰治さんは大きいイメージだが)―背が大きい。170近くあったのではないか。当時はかなり目立ったと思う。(NHKで観た、ご実家の)―「斜陽館」。(青森の名所?)―名所。(会場:金木と言ったら斜陽館)―生まれた町が金木町、合併で今は五所川原市だが。一旦津島家で持っていたが持ちきれなくなって民間の方に売ってそれが「斜陽館」という旅館でやっていたが旅館もなかなかうまくいかなくなって、ならばという事で五所川原市、当時金木町に買って頂いて資料館として結構大勢の観光客が…(何かと特集で斜陽館が映る、太宰さんの生まれ育った)―因みに生まれて105年、今年が生まれて105年の節目の年。因みに105歳の同じ歳の松本清張。(太宰さんは相当早く亡くなられている)―そう、そう言われると「え!」という感じがするでしょう。生誕100年の時も、松本清張さんの生誕100年のニュースと同じ年に流れている。(昭和から平成で大分日本が変わっていった)―やはり教科書に載ると歴史上の人になる、松本清張さんはつい最近までリアルタイムでテレビに出ていた。そうすると全然我々の認識と他の人と違う。(小説の内容も違う、愛人とかドロドロしている)―そうそう(笑)。ドロドロしていたのはうちの祖父もそうかも知れない(笑)。(その遺伝子を受け継いでいる?)―全くない(笑)。分からないし見つけちゃったらどうしよう…気づいちゃったら(笑)…大丈夫です。(当時は女給の女、今は銀座の女とか)―キャバクラとか(笑)。(タイプが全然違う)―タイプ違うと思う。(興味ない?)―興味なくは無い、嘘になるでしょ(笑)。(先生をそんな事言って申し訳ない)―メッタ切りになっている(笑)。

●幸せ度数年表

(ダブルクリックで拡大)

第104回津島淳

1966年、フランスのパリで生まれた。ホントです、今創った話ではない(笑)。(どうしてパリで生まれたのか)―当時父が日本大使館に勤務していた。大蔵省から外務省出向という形で…大蔵官僚だった…赴任する前にこれは何としても嫁を貰わなければならないという事で見合いをしてうまくいってそれで赴任をして、母がまだ大学生だった。大学を卒業すると同時にフランスに渡って向こうで結婚式を挙げたという事。東京でお見合いした。(そういうのはどういう人が仲人か)―そもそもは出版社の関係だったと思う、やはり祖父太宰の関係。うちに出入りしていた出版社の関係、マスコミの関係者から太宰の兄にあたる当時国会議員の津島文治さんに「こういう人がいるよ」と紹介で。父は津島雄二。母は当時学生でそのまま主婦業に入った。(すぐ結婚されて淳さんが生まれた)―パリに行ったのが昭和39年、それから2年後1966年に生まれて翌年丁度1年で帰って来た。(パリを覚えてないか)―覚えてない。パリ、フランスはもとよりヨーロッパを車で時間があると周ったみたいだが…写真は残っている。東京に住まいがあったので近くの麹町の小学校、麹町中学校、高校から学習院高等科。高校受験でその頃一番勉強したかも知れない。(学習院は皇族の方も多いが商売をやっている方のお子さんも多い?)―商売やっている方の方が多い。だいたい都内。代々個人でやってそれが今株式会社になったみたいな、老舗と言われるお店の二代目三代目という。大学はそのまま学習院へ。文学部の国文学科。(お祖父さんの関係で入れる?)―そういうコネは何にもない(笑)。(入らせてあげるべき)―生きた教材みたいな感じ(笑)。(意外と優遇されていない)―それはない。(太宰君とよばれてそれだけ?)―それだけ。(教科書にお祖父さんが載っているとどう思うか)―祖父、じいさんという実感がない、歴史上の人物という事で。生きている祖父に会った事が無い、例えばお年玉をもらうとか。そういう経験が無いから祖父としてのイメージがあんまり無いので結びつかない、歴史上の人物である太宰治と。(家のご仏壇に写真も置かれるか)―写真とかは置いてない。ここだけの話、母は色々複雑な思いというのがあった、まして父親は。周りから色々言われたり、当時の時代背景を考えれば。(淳さんの世代では事件も風化しているし歴史上の人物になっている)―作家という認知はされているのでそうだったがまだ作家としての評価も定まらず、普通でない死に方をしたというそういうところはやはり。(「ヴィヨンの妻」はお祖母さんの事を書いている?)―そう、モデルで。「ヴィヨンの妻」の旦那が酒飲みで…(奥さん働かせてそこへ飲みに行く、とんでもない(笑))―ある意味自分の姿の投影だったり。どうしようもない人に見えるが家族に対する愛情、父親としての顔も当然持っていて、太宰の人生の中で結婚して子供が居た頃が一番心も落ち着いていて、その頃の作品というのは非常てユーモアに富んだ…「お伽草子」とか…そういう時代に書かれた。非常にギャップがあると思う、「人間失格」とか、比べてみるとこんなにも違うのかとお感じになると思う。(「斜陽」など本当に面白い)―有難うございます。(淳さんはここで(大学生)留年)―2回やっている。1回目は語学を落として…第二外国語、フランス語…(笑)。2度目は卒業論文の指導教授の指導を受けなかったので質が全然達してなかった。(反面教師として素晴らしい)―(笑)性格的にあまり過去を振り返らない、くよくよしないしないタイプなので。(当時大蔵官僚の津島雄二さんに怒られなかったか)―怒られた。(2年分の学費を払って)―そういう部分本当に迷惑をかけたと思う。(お父様は厳しかったか)―そんなに厳しくものを言う方ではなかったが、さすがにこの時は「何やっているんだ」という事だった。ここは自分の中でもある意味どん底というか恥ずかしいなという思いがあって。(卒業してからはどうしていたか)―卒業して、民間会社…株式会社関電工という電気工事の会社に就職して。文学部から関電工にガラッと。たまたま大学の先輩がいてくれて、二度も留年した様な自分でも「是非来てくれ。一緒に働こう」と言ってくれたので…その先輩に救われた。14年勤めた。(お父様は政界に出ていた?)―初当選は私が10歳の時、昭和51年、1976年からずっと勤めていた。(一回も落選した事は)―無い。11回連続当選。大学はストレート、官僚試験も一発で。(そういうお父様から比べるとすごい劣等生)―ダメ(笑)。(劣等感があった?)―親父には負けたくないという気持ちもあるが遥か高みが「これは富士山どころではないエベレストだよ、宇宙までいっているのでは」と。(何人兄弟だったか)―妹が一人。長男だから期待はされるし、年がいって社会人になって青森の人とのご縁も出来てくれば政治の方からの期待も段々感じる様になってくる。(妹さんは何をされているか)―妹は化粧品会社に勤めている。(キャリアウーマン?)―結婚して仕事もしている。(素晴らしいですね)―有難うございます。(お父様は11期連続で当選して)―2009年、父が11回当選して引退を決意した。それが丁度麻生内閣の末期…(2009年は自民党が大敗して民主党に政権交代した)―解散するかどうかという段階で父が引退を決意して、その後急きょだったが、「やるしかない」と決意をして…平成17年に関電工を退職してその当時もう父の秘書として青森に居た。いずれは、という含みもあったがそこはあまりオープンにせずにあくまでも父親の仕事を手伝っているという。(落選…)―まぁ出たが、当時の風、自分自身も準備不足、力不足というのがあった。その頃は世襲の問題、世襲批判の嵐。(全然そんな事気にすることはない)―(笑)。公認が取れなくて…(お父様が11期連続当選してもだめ。だからこそだめというのもある)―だからこそ。今考えてみれば、やはり世襲であっても自分で努力をして、その結果を見ての公認するかしないかの判断。無所属で出て(保守系の票が割れてしまった?)―そう。(青森1区玄関口として津島家は口惜しかった)―口惜しかった、皆さんにも申し訳ない…応援してくれた人がいるので申し訳ないし、自分自身負けたというのが率直に口惜しい。(津島家を中心とした集まりで政治の話やリクレーションなど人とのコミュニケーションが楽しい)―そう、人との繋がりは強い。ここから再起を図ってコミュニケーション…人と人の繋がりは自分自身で作っていかなければいけない。(ここで3年間浪人生活をする)―そう。最初はやはり厳しい状況だった。(お父さんは知っているが淳さんは知らない、と?)―そういう事。父親と比較されるという事も。浪人もしているし、多くの有権者から見れば自分は年下だし言い易い、色々な事。それだけに色々な批判というか…(淳さんには言い易そうだがお父様には理路整然と大蔵省のデータを持って来られたら言いにくい)―ましてや向こうは国会議員で長年やって、こっちは国会議員でも何でもない…何とか支部長と言っても世間で通用するか分からない。分からないと言ったら自民党の石破幹事長に怒られる(笑)。(これからは1区で受け止めてくれる)―そういう意味で裸のつきあいをさせて貰って、やはり地道にやっていれば見てくれる人応援してくれる人が出て来る。親父さんの繋がりで応援するのではなくて「淳さんが好きだから、淳さんに政治家になって貰いたいから」という事で応援してくる人がドンドン増えて来た。そういう事を感じている事をグラフ(「幸せ度数年表」)にこう、上がって来たところ。(それでピークが2012年初当選)―初当選までの間ずっとどん底であったかと…「幸せ度数」のマインドの部分…そうでもなくて、色々な人に支えられていて、確かに浪人で口惜しい思いもするし、国会議員として自分だって政治家目指して色々ものを言いたい事があるが、それがなかなか言う場所も無い、言う機会が無いという口惜しさもありながら自分でもうどうにもならないとか悩む様な事は全く無くてただ歩いていた。(青森1区もちょっと行くと家の間隔が離れていて大変?)―間隔が離れているから笑)。(有権者を見つけるのが大変)―何処にいるか、普段の住所が何処なのか。(ネクタイの人ではなく買い物袋を下げている人を捕まえるのが大変)―そういうところは無いが、隣近所皆顔が分かっているとか…確かに郡部の方に行けば家と家の間隔が開いている処もあるが、その辺は北海道の方がもっと凄いと思う(笑)。(47歳で第一子誕生)―昨年。(会場拍手)有難うございます。(奥様はいくつ?)―7つ下で40歳。(結構高齢で)―高齢。(結婚したのは何時だったか)―落選前、平成16年、2008年。遅かった。(丙午はなかなかご縁に恵まれない、その通りになったが(笑))―迷信だが。その通りになりました?(笑)。(女の子か男の子か)―男の子。(太宰の血を脈々と)―継いでいる。ひ孫になる。(治という?)―(笑)違う。皆さん期待したみたいだが(笑)。「ゆうた」という。(どうして文学ではなくて政治の世界に?)―政治家になってやりたい事は沢山出て来た、一方文学で飯食っていくのは大変な事。(日本では50人もいない?)―なかなかこれは大変。(太宰治の印税も停止になったらしい)―印税は死後50年まで。(印税は凄かった?)―額は知らないがそれなりには入った。それだけ長くあらゆる年代で…(それは津島家が継承していたか)―継承して…斜陽館に…。

●最近の政治トピックス

(国会議員になってやりたい事は何か)―青森に居て活動している中、地域の実情を肌で感じる事があった。まず経済的に活性化しなくてはいけないな、と。それから人口がドンドン減っているな、と。子供の数が少なくなっているという話も聞くし、話を聞いて見てみれば確かにそうだと。これからその中で青森含めて地方はどうなっていくのかと。今手を打たないと大変な事になるのではないかという事で、それを色々出来る場所は何処なんだろうと言ったら、やはり政治の世界で色々な制度を作る、法律を作る処でまず道筋をつけていかなくては。そういう道筋をつけた処に多くの民間企業だとか自治体だとかが一体となって進むべき道を作っていかなければいけない。(まず産み易い環境とか法整備から?)―そう、産み易い環境作るのにどうしたら良いのだろうと。(それにはまず経済も潤っていないとだめ)―そう。そもそも子供を増やしましょうという場合に、産んで貰う、結婚して貰わなければいけない。色々な形が今あるからそういう部分を認めるとしても、まずベースにあるのは結婚。結婚するには財力が必要、経済力は重視されるし…(そんなに青森1区の人口は減っている?)―まぁ減っている、青森県としても減っていて…(都心に流出している?)―その傾向がある。高校卒業して大学に行くがまずそこで地元を離れる。地元の大学を目指すのではなく東京或は仙台に行ってしまう。大学を卒業したらそのまま東京、仙台で就職してしまう。戻って来たくてもなかなか受け皿が無い、そういう仕組みも無い。それで長い間10年も勤めていると、それぞれ自分が責任ある立場になってくるとなかなか決断し辛い。ましてや東京で所帯を持ったら、お子さんの教育の事だったり奥さんが青森に行く事に対しどういう意見を持つのか分からない。色々な業種でも言ええると思う。医師不足の問題でもそういう事があって、地方勤務を本人は良いと思っていても奥さんが反対するというパターンがある。(家族がいると自分の意思とは別になってしまう)―そう。地方から一旦出ても自分は良いと思う、他所の地域から生まれた故郷を見てみる、そういう視点というのは重要だしそこで得た経験なり、そういうのを故郷に戻って活かして貰えればより故郷にとっても良い事なので、戻って来る、Uターンというのをもっとし易い環境を作る。その為にはどうしたらいいんだろう…受け皿である青森だったら青森の企業にそれなりのゆとりが無いといけない。企業誘致もそうだし、地元の企業の皆さんもある程度2~3年東京で修行して来い、位の余裕を持って人材を育成できる余力が無い。(アベノミクスはまだまだ青森1区には到達してない?)―到達してない、これから。そういう意味では今年は大事だと思う。(八王子は人が増えているが、シャッター街など同じ問題を抱えている)―八王子もそうだと思うが、商業でいえば都心に買い物に行ってしまう。(青森1区は成長しようと思うと大変)―県庁所在地で人口30万の都市とその周辺の過疎が深刻な地域とそういう二つの性格を持った地域が自分の選挙区なので夫々の対策というのを考えなくてはいけないし、その選挙区というか青森県内でもより青森市内に人口が集中しているという傾向がある。それで全体として住民の方の年齢が上がっていく、高齢化していく…その中で今までの地方都市の様に、今までの地方都市の街づくりで良いのだろうか、街の機能をあちこちに分散して造るよりもある程度は集約はしていった方が良いのではないか、そしてそれを公共交通、バスとか電車とか、それで結ぶ事で車に乗らなくても生活の用が足せる様な街にしていかなければいけないのではないかという。お金はかかるが最小限の投資で最大限の効果を生み出す為にはどうしたら良いか。色々な力が必要。(そういうのは委員会などで?)―今農林水産委員会なので、農業が地域の主力の産業なので、例えば日本一のリンゴをもっと多くの日本の隅々の人に食べて貰いたいし世界に発信できると思う。(他の世界に特に無い?)―無い。特に今発展著しい東南アジア、そもそもあそこには出来ない…気候がある程度寒い処でないと、それから寒暖の差があると甘味が増すと言われている。(今標準語喋っているが大丈夫か)―会話は大丈夫。最初は正直言って何言っているか分からない時があった。津軽弁で「どさゆさ」は「どさ」が「どこさ行く」で、「ゆさ」は「湯さ(温泉)行く」。津軽弁の難しさの例として「?????」(聞き取り不可)。分かりますか?(会場:分かります。「お金上げるから髪の毛切ってきなさい」)(笑)。(津軽弁すごい、麹町中学校が(笑))―地元の人にしてみるとまだ違う。(バイリンガル、外国語みたい)―第二外国語に津軽弁とかあると良いのに(笑)。だったらフランス語とらないで津軽弁とれば留年しなかったかも知れない(笑)。(お年寄が居なくなって継承できなくなると困るからドンドン喋ってください)―ドンドン喋る。(委員会とかで津軽弁で質問しては?)―「質問の趣旨が分かりません」と(笑)。ほどほどにちょっと入れて。何事もほどほどが良い。

●今だから言えるあの日のあの出来事

色々考えて来たが、まず初登院の時の話。2012年12月に初登院の時。国会は総選挙が終わった後、初登院の時に正門が開いて、新人議員がそこから入って行くというのがだいたい初登院のニュースの映像がパターン。自分も念願叶って国会議員になって「正門から初登院を開門と同時に入りたいな」という風に思っていた。例年から一番乗りを争って早くから待っているという状況…(いつも民主党の人が取っている)―そう。(福男みたい)―一番乗りを目指すという様な事は慎みなさいと自民党からお達しが出ていた。自民党としてはそう、一番乗りを目指す為に国会議員になった訳ではないだろうと(笑)。自分も一番乗りを目指すつもりは全く無かった。だけど8時の開門に行くには7時半位には着いていればその時はもうある程度の人が集まっているだろうと。行ったら馴染みの地元の新聞記者が教えてくれた「津島さん新人で一番ですよ」。一番乗り。本当の一番乗りは…(さすが東北人)―朝早起きなので。(津軽タイム)―お陰で一番乗りになってしまった、新人で。ただ二期目の、やはり民主党の人が全体の一番乗り。新人では一番乗りと言われて「そうなんですか~」と言って「津島さんちょっとインタビューいいですか?」と地元紙のマスコミは大事にしなくてはと思って色々答えていた。向こうから歩いて来るところを写真を撮りたいと。そういう事をやっていて気がついたら門が開いている。一番自分が絵として国会議事堂に向かって行く背中をテレビに撮って貰おうと思ったのにもう皆入って行っちゃった。やられちゃった。(そういうところが津島さんを表している。有権者としては応援したくなる)―そうなんですかね。(目から鼻に抜けてないと言うか)―(笑)(そういうところが愛すべきキャラクター)―その辺のキャラクターは赤沢先生に言わせると「なごみキャラ」だと。(それで一番乗りではなくなった?)―八番乗り位か(笑)。マスコミがもう人垣を作っている、カメラの行列で。入るに入れなくなってしまった。マスコミも撮るのに一生懸命で「ちょっとすみません」と言っても「なんだこいつ」みたいに。「すみません国会議員なんですけど、今から当院したいんですけど、すみませんすみません」と言いながら。(太宰治と書いておけば良かった)―(笑)タスキに書いて…そうやっておけば良かった(笑)。(青森1区に性格が合っている)―どんな感じがするか青森は?(東北だから時間に正確だとか勤勉だとか思うが1区は玄関口だから皆さん気位が高いという気がする(笑))―それは一度青森に来て頂いてそうではないところを感じて頂いて。気位は高くない。自分が思う青森の人は、まず勤勉である事。それから寡黙な人が多い。いざという時はとてもフレンドリー。いざという時というか本当に腹を割って一度垣根が取れるとものすごくフレンドリーになるし…(心を開くのに外の人から見ると時間がかかると?)―最初は寡黙でつっけんどんな感じがするし津軽弁て怒っている様な口調なので、早口で喋るし怒られている様な感じを受けるがそうではなく、それが普通の喋り方で。おもてなしに関してはものすごいこれでもかこれでもかと。お客さんには腹一杯になって貰って「食いきれない」というのが最高の「オモテナシ」(笑)。太宰治の作品の「津軽」にそういう描写がある…友人の家に行って「あれもってこい、これもってこい」「いやそうじゃない酒だ」と。是非青森においでください。(行きます1区に)(会場:公約)―公約(笑)。是非夏のねぶた祭とか。(昨年も盛り上がったか)―昨年も盛り上がった。自分も盛り上がった。(神の祭という感じで神々しい)―神々しい祭りに参加できるというのが他の地域の祭にない、日本全国。衣装着れば誰でも参加できる。パスポートも要らない。(バッヂをつけて一年間経ってどうか)―一年間アッと言う間に過ぎて無我夢中で過ごした。これ程忙しく…(青森タイムと永田町と違う?)―違う面がある。青森だとある程度先の日程が決まっているが国会は突然明日の日程だって変わる。本会議ですら前日、前々日にならないと予定が決まらない。ある意味日本の政治の特長的なところかも知れないが、日程が政治の材料にされているというところがある。(とにかく忙しい?)―忙しいし非常にバタバタする時が多い。特に去年の12月初当選してからは、国会の日程もタイト。まず予算を通さなくてはいけない。予算も一旦組んでいたから前の政権で、それを組み替えて自民党としての、安倍政権としての予算を組んでいった訳で非常に忙しかった。これは先輩に聞いても「これは本当に今までに無い忙しさ」だったと。(安倍さんの特長を出したかった?)―まぁ安倍さんの特長を出したかったし、アベノミクス三本の矢を具現化した予算にしたいという事だったから。その効果がちゃんと青森含めて全国津々浦々まで行きわたらせられるかどうかというのが本当にこれからの課題。地方にとって切実。その予算によって将来に渡ってどういう効果を生み出していくかという事も見ていかなくてはいけないので、単に建物が一杯増えた、道路が一杯できただけではなくて、その建物や道路がどういう風に活用されてどの様に地域の活性化に繋がったかというのが大事だし、そういった部分を考えて予算をつけているというのが今までと違う。私は一年生で言うのも生意気だが、それは今までと違うというのはハッキリ言える。(青森県にとってもメリットが?)―メリットはあるし、そのメリットを受け取るには地方の皆さん、青森の人もそうだがやはりアイデアを出していかなくてはいけない。アイデアに対して国はお金をつける。(ただ待っていても予算は来ない)―はっきり言ってしまえばそう。待っていてもその果実は落ちて来ない。最初の種となるものは国から出すとしてもそれを育てるのは夫々地方の皆さんだから、やはり待ちの姿勢ではなくて果実を取りに行く働きかけが大事だと思う。(だから「おらが先生」が変わってしまうと困る)―(笑)おらが先生の役割は変わってきたと思う。何か持って来れば「おらが先生」だった…「高速できました」「新幹線できました」でも一通り出来てきたらアイデアを夫々地域で聞いて、そのアイデアが具体化するまでの手助けをする。そういう役割がこれから高まっていくと思う。地元回って色々アイデアを聞いて相談にのる、それを永田町の役所に行って「こういう事をやりたい人がいるが何か手助け出来るものない?」と。それを地元に持って帰って来て「こういうの使えるけどやってみないか」と言って、地元と国を繋げて行く橋渡しをして色々な試みをキックオフできる様な。よりきめ細かく地元を周って行かないといけないし…(意見の集約もできないし)―役所にもただただ要求するのではなくて具体例を出して役所の意見というものをちゃんと地元にも返していくという事。(日々その繰り返し)―繰り返しになる。(またお父様の政治姿勢と違って良い)―父親の時代と時代が変わってきたので…(お父様は元気?)―元気。(じゃあ淳さんの秘書(笑)。怒られちゃうが)―(笑)秘書で鼻で扱う様に…(そんな方が家族ブレーンにいたら最高)―ブレーンというか、身近に相談出来る相手がいるというのは心強い。

●質問コーナー
Q: 海外に向けて強い農業にしていく為のポイントは?
A: 生産者の方は良い物を作っているという自負があるし、実際品質においては青森のリンゴにしろ長芋にしろ品質は間違い無いが、問題はそれを発信する術が分からない。何処に売り込んでいいかという事が分からない。つまり販売という事にあまり重きを置いていなかったしそのノウハウが無い。県とか民間でもあちこちまず知って貰う機会…県産品フェアとかそういう事をやったらそのフォローアップをして常にバイヤーさんに取り扱って貰う様に働きかけをしていく。そして売り込む際にどの様に売り込んでいくか戦略が必要。どういう客層に、どういう年代層に、どういう形で売り込むか。そのまま丸ごと食べるのが美味しいが、こういう食べ方もありますよという具体的な提案もしながら、そういう戦略を立てる言わばプロデューサー役というのがなかなか地方で今育っていないという現状で、ポイントはそこにあると思う。マンパワーによるのだと思う。(青森に一杯人が集まっちゃったらどうするか)―それは有難い。確かに雪が多くて大変だが年間通じて青森は住み良い処だと思っている。
Q:青森県の少子化が大変だという事だが41歳独身で貢献できていないがどうしたら貢献できるか。
A: 出会いの場という…自分の経験から…自分が女房と知り合ったのが、友人の結婚式で受付をやったのが縁。(普通じゃないか(笑))―特別なものでないし、そこで知り合って互いに自己紹介して…関電工に勤めている時…(奥様は何をやっていたか)―フリーで今仕事をやっているが丁度独立したばかり…(何の仕事?)―影像法の翻訳。(やっぱり違う、出会いは普通だけど(笑))―そういった話をしながら、ポイントはやはり…彼女は石巻出身、宮城県の…同じ東北で、住んでいる所が同じ都営三田線の一駅違いの近い所だった。(レールが繋がっていた)―どうやってまずその出会いの場を、色々な機会で出会った時にどういう会話をするかというと、相手の共通項というのがあると親しみが湧くのだと思う。(そうですか?)―そうじゃないですか?((質問者に)これから深刻だと思う。男性は平気、女性の方が大変。10歳位下の人を貰ったら?)―20歳位離れても大丈夫。(笑)(そういう問題は深刻)―深刻。出会いの場を作る、街コンとか色々やって…(青森1区で街コン)―街コン結構やっている。(行政主導で?)―行政主導で、出会って結婚に至って欲しい。そういう思いがあるのでより多くの人に会って、必ず自分に合う人がいるという、自分の事を好きになってくれる人がいるのだと諦めずに地道な努力につきるのではないかと思う(笑)。これやれば絶対結婚できるというものがあれば…(淳さんも遅い?)―遅い。(いくつだったか)―結婚したのが38か。(津島雄二さん心配して大変だった?)―心配かけたと思う。(オタクなんじゃないかとか(笑))―女性に興味無いのではないかとか(笑)。そういう心配もしたりとか。(お父さんとしては大蔵官僚だから言えない)―(笑)言ったらこっちがビックリする。(津島家でそういう会話は無かった?)―無い。ようやく親孝行できたなと。(SNS:太宰さんの作品で一番好きなのは?)―「津軽」が一番好き。(描写があるから?)―描写があるし、「津軽」を読んで実際青森に来て、その「津軽」の舞台の所を訪ねて頂ければと、そういうのも面白いと思う。自分もやってみたいと思うし、なかなか今時間が取れないが時間が取れたら本当にスーツとかも脱いで歩いてみたいなと思っている。(こういう人が魑魅魍魎の永田町に居る。派閥闘争などに絡めない?)―(笑)いつの間にか周りでそういう事が起こっていたりとか(笑)。(間違っても中心で火をつけたりは無い?)―そうですね(笑)。(本当に良い代議士を選出されて良かったですね)―有難うございます。地元の人に感謝感謝。