浜田 靖一
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第102回
2013年12月18日 放送

自民党 浜田 靖一 衆議院議員

ムスコーさん、ついに登場して頂きました。お父様のハマコーさんのお話も満載です。浜田靖一衆議員は「クジラ君」。木更津魚市場勤務の経験もあり、日本の漁業水産業にかける思いは自民党1でしょう。「政治家にはミステリアスさも必要」と言う言葉には重みがありました。

(以下動画より文字おこし)

自民党 千葉12区 7期目

(Facebookに浜田さんの告知を載せたら、浜田さんは「ムスコ―さん」と呼ばれているそう)―あ、そうなんですか。(ハマコーでムスコ―、ムスコ―はネットで言われているのが初めて音声化する)―いやいや(笑)なかなか有名なお父さんなのでこれは払拭するのが大変。ようやく去年お隠れになったのに。(まだ生きている、この辺に)―怖いですね(笑)。記憶に残るかた。意外と会ってみると何となく親しみの湧く人。(ハマコーさんの「YUIGON」という本に語録が載っている)―読んでないのでスミマセン(笑)。反面教師なので改めて読むと重い。どちらかというと否定しながら来ていたところがあるのでしょうがない。

●幸せ度数年表

(ダブルクリックで拡大)

第102回浜田靖一

(生まれは)―千葉県富津市。(当時はまだ合併していない?)―まだ。(ハマコーさんが何歳の時のご子息さんか)―27歳。(厳しく育てられたか)―親はいなくても子は育つみたいな感じ。一緒に居る事はあまりなかったので。(若い頃は児玉誉士夫さんのところに行っていた?)―若い頃はそういう方面に行っていた。(そういう方面に関係なく育ってきた?)―そう。全然別。(お父様から何て呼ばれていたか)―靖一。(怒られた事はあるか)―あまり無い。国会議員になってから怒られた。まず小選挙区法案を造反して賛成した。あの時は政治改革の絶頂の頃だったので。その上に居たのが石破さんだったり笹川さんだったり…賛成の方だった。小選挙区導入に一緒に賛成。法律に賛成した。(お父様としては?)―党の決定に反するのであるならば党を離党するなり、もっと酷いのは議員を辞めろと言われた(笑)。(結局主流派になった?)―主流派なのかよく分からないが、その時その時に丁度流れがそういう流れだった。(今また中選挙区がスポットライトを浴びて小選挙区は日本に馴染まなかったと言われているが)―その時その時の現象、実験期間ではないが、それによって地方分権が進んだりとか、色々なお題目があったのは事実。そういう意味では中選挙区と言っているが、経験されているかたが…僕らは中選挙区の最後、平成5年の選挙だったので、自民党が丁度小沢さん達が出て行った…自民党が野党になった。初めて野党になった時に当選した。(同期が安倍晋三さんとか)―2回も総理をやられてしまった。我々としてはもうないなと思っている(笑)。安倍総理の1回目の選挙、総裁の時と総理の時と今回、やはり覚悟が違う。よくそれを我慢しきって、今回自分自身の全てかけてやっているのはすごい。同期として見ても覚悟の程が分かる。(他に同期は?)―今の総務会長・野田聖子、外務大臣・岸田さん、あの辺が皆同期。28人しかいなかった、野党だったので。分裂選挙の時なので。その時は田中眞紀子さんとか皆いらっしゃったので。(気がついてみれば自分達が上になって)―もう20年。(今回119人入って来て更に上になった)―でも難しい。DNAが繋がっていくにはあまり振れると…人数が多くなったり少なくなったりは良くない。麻生内閣の終わった時の選挙で1年生4人しか当選していない。4人…名前全部言える…小泉進次郎、伊東良孝…釧路の元市長さん、橘先生、齋藤健、この4人。いきなり4人。その時は自分は当選している。本当にそういう意味では一気に振れた。(今は中選挙区に戻っても良いと感じるか)―どうか。(そもそも派閥の争いを解消させる為だったが)―全く同じ形にはならない。やるなら色々な選択肢があって、人数が少なくなったり定数が少なくなったりして前は5議席あってそれが全部3議席なるとかいう事の議論というのは、諸先輩方が議連を作って議論しているのも事実だった。なかなか馴染みの無いやり方になってしまうので。もう20年前。(今何期目か)―7期目。中選挙区は一番最初平成5年にやったきり。(6回はみな小選挙区で勝っている)―仰る通り。後から出て来た人達は皆経験が無い。(25歳、渡辺美智雄さんの事務所に入所)―秘書で入ってお世話になっている。丁度親父が「ラスベガス」で辞めている(笑)。(ラスベガスで4億6千万円負けた事件、本にはお酒もタバコもギャンブルも好きではない、ロッキードの為に行ったと書いてある)―(笑)何とも過去の話。話をしないまま終わってしまった。その当時の話は殆ど話してない。(ギャンブルなどはしない?)―しゃれにならないでしょう(笑)。(昭和で4億6千万円)―ホントによく分からないが。それでも地方の方々は再選させてくれたわけだから。有難い。良い時に傍にいる人はいくらでもいるが、悪くなった時にその本質が分かる。(靖一さんは落選された事はない?)―お陰様で。足らない候補者だと皆が応援してくれる。本当にそういう意味では地元のかたにお世話になってここまで来た。(お父様がああいうキャラだったので得している?)―普通にしていれば褒められる。余分な事は言わなくて良い。野次はちょっとDNAがあるかも知れない。出てしまう。(ハマコーさんは野次もセンスがあった)―まぁ、超えられない親。(渡辺美智雄さんの所には)―同じ感じよりは違う感じの先生の方が良いという事でお袋の推薦でそこへ行った。(この時は渡辺喜美さんはいたか)―自分が入って辞める頃に秘書さんで戻って来られた。3年お世話になって最後の時に戻って来られた。自分が辞めた後。(そしてハマコーさんの秘書にもなられた。その頃か、前から政界に行こうと固められた?)―ようするに意思表示というか、渡辺先生の所にお世話になったのが一つあったかも知れない。(何か秘書時代の思い出はあるか)―渡辺先生という先生がとても合理的で合理主義者。その中にあって合理的でありながらそこに何か優しさがあった。すごく温かい先生で数字も強いし色々な事に強い先生だったので…丁度大蔵大臣をやられている頃だった。今の議長が秘書さんでいられたりして、政策秘書で。大蔵大臣の時の秘書官を今の議長さんもされていて…今の伊吹さん。政務秘書官でやられていて。すごい繋がりがある。渡辺先生が25歳過ぎたら早く代われとずっと言い続けていた。早くうちの親父と僕と代われというのはずっと言っていた、嫌味の様に。(裏の事とか言ってしまいそうだったから?)―でもそこはうまくやっていたのではないか。あの当時(父は)無派閥。(派閥に入らないという事は出世もできないしお金にもならないとう事がよく分かった、と書いてあった)―なかなか入れて貰えなかったというのもあるでしょうけど。(青嵐会?)―そう。田中角栄先生も派閥に入れても良いが、そうすると何人か出て行ってしまうという世界だと言っていた。だから仕方が無い。(青嵐会の時に血判状で署名をして政策グループをつくった時の話はすごい)―しょうがないでしょうね、そういう性格なので。色々な場面場面で色々な発言が問題になったりとかあったので鍛えられた、そういう意味では。そういう中でも思い切ってよく言うもんだと思いながら見ていた。謝りに行くのはこっちなので。(秘書さんとして行かれる?)―それもある。うちの親父が本当にラッキーだったと思うのは、うちのお祖父さん、親父の親父が居た(助役をやられていた)―それがずっと代理をやっていた。このお祖父さんが使えなくなったら今度僕を使って自分は地元を回らなくなって。(家族に助けられていた)―そうだったと思う。そんなこんなで。(ハマコーさんは青嵐会の頃が一番お元気だった?)―どうなんでしょうか。(引退されてからも執筆や出演等でお元気だった)―そう。65で辞めた。65で辞めてそこから19年間。(80過ぎで逮捕された)―静かにしてたのに…お願いします(笑)。困ったもの(笑)。(「幸せ度数年表」:衆議院に初当選した時はお父様は引退されていたか)―丁度変わったところ。(中選挙区で当選されたがどうだったか)―後援会なり何なりが皆残っていたのでお陰様で。うちの親父の後援会というのは熱狂的な信者が凄いので(自分では)足りない。基準が高いから。自分はおとなし過ぎてしまって、親父の個性が嫌だという人は少しマイルドになった方が来易いが、根っからの人はそうはいかない。(昭和3年生まれのハマコーさんの様なかたには戦後生まれは敵わない)―そうでないと生きて来れなかった時代というのがあるのではないか。いいんだか悪いんだかよく分からないが(笑)。(本には野次も前の日から考えていたというのもいくつかあったが、そんなところがお茶目。お茶目な面も見せていたか)―そこは何となくそんな感じはする。あまりうちに居ない人だったのでうちでそういうところを見せるというのは無かった。(女性の話とかは男同士したか)―あまりしない、両方とも酒を飲まないので。大下戸グループなので。(タバコは?)―止めた。親父も前は缶ピースを吸っていた。自分は根性無いので1ミリを吸っていたが止めた。(親子で腹を割って話さないで終わった?)―それでも成立する。やはり見ていればいいのではないか。「あんまり会話は要らないな」みたいな。(第5期位で防衛大臣?)―5回。麻生総理にすごくお世話になった、大臣にしてくれたので。周りの石破さん、笹川さんにもお世話になって。ずっと20年間国防部会に居て、その前までは政務副長官をやって流れがあったのも事実だと思う。(鼓笛隊の様なものがある?)―栄誉礼、儀仗というのがある。儀仗隊が出迎えをしてくれる。(天下をとった様な気持ちになるか)―そういう風に思われるが、そうは言いながらもこの人達を使う立場というか、その上に立った訳で責任の重さがある。常に彼らは宣誓で入って来ている。宣誓というのが「事があったら自分の身の危険も顧みず自分の任務を遂行します」という事を言って入って来る自衛官の皆さんがた。一番それを経験したのは、イラクに派遣する時、激励というか送り出しには自分は行っていた、石破さんの時の副長官なので。その時に出て行く時の緊張感…お互いに石破さんも緊張感を持っていたし、そういう中でトップに立っている事の責任の重さ。だから嘘…トップになって気持ち良くて何かするのではないかと言われるが逆。逆にその人達の思いを遂げさせる為にはどうしたらいいのかという責任感の方が重いので、この「幸せ度数年表」もそうだが段々下がっているのは色々な経験をしていくうちにその重さが出て来ると充実感あるがやはりどこかで削っていかないと(破天荒には)なかなかいかないと思う。いい勉強をさせて貰った、そういう意味では。そんなに簡単ではない。感情で防衛だとかそういうのを語ると良くないなと。常に冷静であって何をするにしても必ず納めなくてはいけない事がある。いつまでも喧嘩ばかりしても誰もその先が読めない状況を作ってしまうのは良くないので、となれば先を見て、という話を政治をやる上でそこは見据えながら常にそういった止めを持っていないで何となく突っ込んで行ってしまうのは良くない。感情のままに突っ込んで行くというのはあまり良い事ではない。感情ではないと思う。政治・外交というのはやはり冷静さが必要だと思う。(お父様も大臣になれなかったが、誰々に委員長に指名されたとか…)―こらえ性がないので我慢しきれなくて。(すぐ首になってしまい、金丸信さんの奥さんに謝りに行って激昂されたとか…)―付け加えると、うちのお袋と謝りに行った、自宅まで。僕らは行って門前払いだった。会ってもらえなかった(笑)。当時は色々な特質がある。派閥の中に居なくて外に居る人間が色々なポストを得る為に努力している訳で色々な事をやる…分からないが、そういった事の積み重ねの中で、そこまでやってあげたのに何?と言われてしまうと…暴言を予算委員長が吐いてしまって辞めるはめになった(笑)。(10日でそうなるとは張り切り具合も凄い)―何とも言えない。凄いかどうか分からないが疲れるお父さんだった。(「幸せ度数年表」のテンションが段々下がっている)―そんなものではないか、大人になると(笑)。何でもハッピーという訳にはいかない。(ムスコ―なんて呼ばないで)―別の人格なので(笑)。(ムスコ―さんと呼ばれているのは知っていたか)―知らない。(今、幹事長代理をやっている。また石破さんの下に居るという事)―そう。自分もずっと安全保障、国防をやって来て、そういう意味では本当に安全保障を知っている人に総理になって欲しいと思っているところもあり、そういう感じ。色々な批判はああるが。基本的にはそういう事だが、そう思った。(石破さんとは長い?)―長い。基本的には政治改革の1年生の時からなのでもう20年位になるか。途中で他所に出てられたりしたので「早く帰っておいで」とずっと言っていた。(浜田家ではそういう事は許されなかった?)―どうか分からない。それだけの環境が無かったのではないか自分らも。そこはそうでは無いという部分と、どうなんだというせめぎ合い。(石破さんも無派閥だが時代も大きく変わったという事か)―それは大きく変わったと思う。自民党が変わったのがどこなのかと言えば、派閥は関係なく…でもグループは必要だと思う。すごく必要だと思うが、一つ一つ積み重ねて来た分野がある。それに対する評価というもので選ばれる時代が来たのかなという気がする。順番ではないし、その能力というのは必要だし、それとやはり「族」はいけないとよく言われるが専門分野は絶対あるべきだと思うし、そのスペシャリストになるというのは当たり前の事だと思うので、それが無ければ大臣としての職責を果たせないのではないかと思う。防衛にずっと出ているが本当に水産の方が得意。鯨の種類とか、そういう方が。捕鯨議員連盟の会長もやらせて貰っていたので…捕鯨はすごい、哲学的になってしまって…アングロサクソンとの闘いになるので大変。(本にはアメリカを敵にまわしてはいけないと書いてある)―それは安全保障上。(捕鯨はまた違う?)―違う。ダブルスタンダードなのでアメリカは。アメリカも捕鯨禁止を叫んでいるが原住民生存捕鯨という、アラスカのエスキモーが鯨を獲っているが、それは認めろと言っているところがあり、そこは非常にダブルスタンダードなところがある。一番の狂信的なところはオーストラリアとニュージーランドか。絶対獲ってはダメと言う。では何故牛は良いのか。「牛は家畜だ」と言う。では何故うさぎを間引くのかと。「間引かないと大変だから」と。アメリカなんかでも鹿を間引いている。そうなってくると何故鯨は間引かないの?と。などという話をやっている。大変。(それはお父様と違う話?)―これはちょっとまた違う。

●最近の政治トピックス

(幹事長代理なので一つの事に特化してやるよりも色々な調整役をやられているという事か)―どちらかというとそう。石破幹事長の精神安定を図る為に努力をしていると思う。(石破さんはブレるか?いつも一定の感じだが)―人間だから、疲れて来るとたまに間違ってボールを打ってしまったり…間違ってないのだが。発言もそうだし。総じて時間をゆったりめでやればそんなに外れる事は無いと思う。ただそういった事もある。やはり日中韓米のバランス。やはりアメリカとの関係というのは非常に重要ではないか。これが崩れると(お父様が植民地だと仰っている)―それは無いと(笑)。それは言い過ぎになってしまう。そうは言いながらも今の同盟関係だとか何だとかが揺らぐと色々な問題が一杯起きて来ると思う。その関係の影響で中国韓国とのバランスというのが…韓国とは本来日米韓で一緒にやろうとしていた時代があるわけで、今もそうだが。それがちょっと崩れ始めた。中国がああいった形になって来た。日本の動向が変わるよりも日米関係がちょっと揺らいで来るとそうなってしまうのかという感じがする。そこがこれから、話をしてくれない中国だったりとか韓国の大統領というのはあるが、もう一回基本に立ち返って日米同盟の重要性だとかいう事をアメリカとよく話し合って意見交換をしていく事の方がより重きをなすのではないかと思う。(アメリカもオバマ政権で揺らいでいる)―トップまでいくのが難しければ、もっと知日派と言われている人たちを増やしていかないといけないのではないかと思う。そこが今なんとなく…(日本のどこがやれば良いか)―それは全部だと思う。外務省であり、それだけではなくて経済産業省もそうでしょうし、防衛省もそうでしょうし、そういったところのものが知日派を育てる努力というものを…(防衛外務が先導して?)―それもそうでしょうし、経済的な部分でもそうだと思う。そういった事によって繋がりを深めていくのがとても大事な事ではないか。(日本も政権交代で足元が揺らいでいたのでそこまで出来なかった)―どうしてもそれが内政に特化してしまったりして、外の関係が今まで継続性があったものが変わってしまった。何だかんだ言っても外交は継続なんでしょう。国同士の関係は繋がっていくし、だけど党が変わったからと言ってそれが変わられたら困ってしまう。根底にあるところはしっかりしないと。(事務方は変わらなくても表向きが変わるとブレてしまう)―だから新しい事をやろうとすると時間がかかってしまう。一つの処を一気に変えるのではなくて表層部分の流れは変わらずにゆっくり時間をかけて変えないとついていけない皆。表面上で変えると言うのは簡単だが、地方まで巻き込むという事になったら、いきなり変えたら限界が出て来ると思う。そこはやはり民主党さんもやり方を間違えたかも知れないし、と思う。(お父様に永田町の今の繁栄を見せたかった?)―長きにわたって付き合っているのでこれを消すのは大変(笑)。

●今だから言えるあの日のあの出来事

びっくりした。さっき仰った(父の)逮捕とか…よく説明したくない。自分の知らない処で起こっている事なので。「やっちゃったな」とこの時は思った。というのもあったし(予算委員会の)委員長を辞めた時も「あらま!」みたいな世界。(予算委員会の事は本によるとかなり反省している)―反省して貰わないと困る。とんでもない、本当に(笑)。さはさりながら親父のお陰で政治の世界に出て行って何とか反面教師で来られたのは幸せな事。だから大丈夫、親がしっかりしなくても子はしっかり育つ。中途半端はいけない。(あれ位やってくれないと?)―いや~やらなくてもいい。でも色々な事にびっくりしなくなる、慣れてしまって。子供の頃から…県会議員をやっている頃だって普通の家庭とは違って裕福だったり…裕福っていうよりも、よく分からないが「県会議員の先生のせがれが」と、何となく違う様な。あまりそんな感じは無いのだがそういう風に言われがち。(お父様はビジネスにも長けて引っ張って来る力が大きい)―大きい絵を描くのは良いが細かいところにいくと大雑把。(風呂敷をどこまでも大きく広げるところが素敵、そういう人はいない)―まぁ戦前戦中戦後…やはり戦後生きたというのがある。(本によると地元でも凄くワルかったと)―らしい。よく言われた。(人を刺したり、色々あったと書いてある)―(笑)大変…書いてある。困ったもの。(新聞にも載った)―それを受け入れて更生させて政治家にまでするという地元の温かさがあればこそ。その温かさがあって更生出来たのだと思う。そうでなければなかなかそこまでいかないと思う。(小沢さんの事は辞めるべきだと言っていたが?)―まぁね(笑)それこそ当選同期。昭和44年に初当選。(前回ゲストの中山泰秀議員のお父様、中山正暉さんや錚々たる方が出ている)―森総理もそう。(森さんもその頃はペーペーだった?)―若かった、年齢が。そういう順番になったというか。大変、自分が出て来て喋ると親父の話になる。そうやって喋って流れると地元で「おまえは何なんだ、親父をもっと有難く思わないとダメだ」とかなり言われる。大変。(鯨の話では目が違う。お父様と違う独自の政策路線)―色々な文化だとか、食文化だとかそういうものをお互いに認め合わないと共生できないという話があって、例えばオーストラリアでは鰐の肉を食べカンガルーの肉も食べる。それを僕らは「やめろ」とは言えない。なんで鯨だけダメなのかという話になる訳でとても不思議。我々はそういった文化の継承をしてきている訳でそれをいきなり「やめろ」と言われて食べられなくなるという事を「他に食べる物があるからいいじゃないか」と言う人はいるが、人に言われて止めるものではないと思うし、美味しく食べられればそれで良いと思うし、それで科学的な根拠で頭数を減らさずに持続的に利用していくという事が何故いけないのかよく分からない。そこを管理しながらやっていくのが重要な事であって、黒鮪に関しても皆で規制していったから黒鮪は回復傾向にある。来年からも割り当ては変わらない。増やしていく様な感じになっている。ただメバチだとかキハダ鮪だとかいうのは数が減っているのでもっと減らさなくてはいけないかも知れない、という事になりかねない。(農水省の役人と話しているみたい)―でも実際はそう。でも鮪はずっと泳ぎ続けないといけない。黒鮪は止まれないので一生懸命泳いでいるしかない、ずっとそういう様な心臓になっているので、こんなに小さい子供の頃から一定速度でドーンと泳いでいる、養殖しているものは。その位のものだから、石破茂さんと同じで仕事してダーンと周っているのがちょっと黒鮪症候群かなみたいな(笑)。(防衛オタクではなく水産オタク?)―同じ事が言える。皆で協調し合って抑えていくというのは、調整していくというのは水産も一緒。防衛だって皆で一緒に守っていけばより少ない負担で効率良く守れるかも知れない。それはNATOだとかああいうところは皆そういう風にやっている。日本だってこれから色々な国とやっていく上で「色々な国々の間の中でお互い助け合っていきましょう」と言った時に集団的自衛権の話が出て来たりという事になる。だから防衛の事を特別だと思わない方がいいかも知れない。どこでも同じ様に話し合っていかないといけないし、その中で世界のスタンダードでない事をする国に対して多くの国で「いけないよ、そんな事やったら緊張たかまっちゃうからそんな事止めた方がいいですよね」と言わないと良くない。(政治、防衛というと難しいが基本は人と人という事?)―そう。人と人との関係を繋ぐ時に、本当にお世話になった人をないがしろにするというのは人としてあってはいけない事ではないか。それは国同士でも同じ事が言える訳だと思う。
(SNS:ベテラン議員さんの話は面白いな)
(SNS:ムスコ―議員)
(SNS:悪党党首)
(SNS:来週は石破さんでお願いします)―(笑)
(SNS:ミッチーも青嵐会)―そう、仰る通り。

●質問コーナー

Q: 北朝鮮のナンバー2が処刑されたり暴発するのではないか等の噂もあり緊張状態にあるが、今後どう対応していけば良いか。
A: 基本的に北朝鮮の暴発をどこも望んでいる国は無いので、そこを米中ロシア中心に六か国協議をやっていく事というのはすごく重要だと思う。やはり孤立感を感じさせるというのはあまり良い事ではないと思うし、冷静に見守りながら情報収集をして、その中で「アメリカとは話をするが日本とはしない」と言っているわけで、そこを我々冷静に議論してその関係を重視しながら六か国協議の開催を求めていくという事だと思う。あまり一つ一つに過剰反応する事なく冷静に見ておく事がとても重要かなと思う。
Q: ミサイルの不安もあるが。
A:その為に、では一体どうするのかと言えば、よく見ておく事だと思う。今のところはのっけてあるやつが飛んで来る、それがそうではない物が出て来るんだったらまたちょっと違うと。よく見ておく事だと思う。
Q:イルカの話は?
A: 地域によってはイルカを食する地域もあるし、追い込み漁というのもある。太地のイルカの追い込み漁というのは有名だが、それは別に急に始まった事ではなくて、昔から動物性蛋白質を摂るのに営々としてやって来た訳で、その文化というのをいきなり止めさせるというのはちょっと問題で、太地町にも保護団体の方々が来られて住民の方々と揉めている…警察官が間に入って非常にうまく収めているが、そういう意味では過激、活動は。そういった事をやるというのは如何なものかなと。(さかなクン?)―まぁそう、色々ある。トドの問題だとかアザラシの問題だとか北海道の人達はそれで困っている。(防衛のイメージだったが水産の関係の説得力が凄い。全国でやって欲しい)―日本の周りは海。海に目を転じて色々な水産物を食べて貰いたいと思うし、目の前で獲れるのが一番安全。港で一番水揚げの多い港は何処かと言うと、小名浜だとか銚子だとか気仙沼だとかいう時代はあった。だけど今は成田空港。洒落にならない。それだけ海外から入って来ている。成田に水揚げが入って来る、みなまとまって。水産は結構門戸を開いてしまっているところはある。(TPPとかも?)―そうだが我々は漁業補助金というものに対してTPPで話し合われるという事になるのはちょっと問題がある。基本的には税金を掛けている物は数多く無い。意外とそんな事。
Q:何故メディアに出ないか。
A:マスコミの怖さというのがある、正直な話。その中で言ってしまったりやってしまったりというと色々なものが面倒くさくなってしまって「政治家なんだから表に出て喋れ」と言うが、そこは慎重さが必要でどうしてもブレーキをかけがち。たまに出るからいいでしょ?しょっちゅう出ると…(もったいない。ハマコーさんで慣れているから、感じが良くなったと誰もが思う)―いやいや政治家ですから分からない。本当のところは分からない(笑)。やはりミステリアスさが無いと良くない。女性もそうだが政治家もミステリアスな部分が無いと何もかも全部フルオープンで、などというのは。取材を受けたらオープンにしないといけないが、そこのバランスはとっても重要ではないか。見て頂く自分のそういう部分とそうじゃない部分とあって然るべきではないか。(ミステリアスに見せれば良いのでは?)―なかなかそこのコーディネートは難しい。やられたらどうですか?(魚の話がすごい)―実は渡辺美智雄先生の処を辞めてうちの親父の処に来る間、魚市場の役員をやっていて魚を運んでいた。木更津魚市場で並べていた。天職だと思った、長靴履いて。(魚に癒された?)―いや~このまま行っちゃった方が良かったかなと思った。(何が楽しかったか?)―働く時間が全然違う。朝5時位から昼位までで終わってしまう。そうすると自分の時間が一杯作れる。天職かと思ってしまった。だって革靴を履かなくても良い、長靴を履いている(笑)。(国会議員の魚市場視察とか)―羨ましい。それはつくづく思う。いい経験をさせて頂いている、本当に。(ネットでも知られていない、これは「みわちゃんねる」発掘)―面白いです。有難うございました。

●その他

(この番組はどうだったか)―だいたい想像がつく方向に流れて行ったなという気がして…だろうなと思いつつ。あんまり親父の件で喋るというのは無い。(話したくない?)―隠れちゃうので、自分が。難しい。(「父親はハマコーだった」という本は書かないのか)―ちょっと無理でしょうね。無いなぁ。親父の本より北方謙三の本を読む。「男は!」みたいな。(お父様の戒名は?)―覚えてない。僕すごい冷たい男ですみません(笑)。