牧山 ひろえ
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第53回
2012年11月01日 放送

民主党 牧山 ひろえ 参議院議員

牧山ひろえ 参議議員

民主党 神奈川選挙区 1期目(2012年 11月 1日 収録当時)

(動画より文字おこし)

[久々の女性ということで嬉しいですよね。ハロウインということで、私はオレンジを着てきましたが、牧山さんはグリーンということすが] ― そうなんです。いつもグリーンなんです。私のシンボルカラーというか、いつも緑を着ております。[なぜ、イメージカラーがグリーンなんですか?] ― 私、二人の子供がおりまして、娘と息子が、9歳と10歳なんですけれど、子供たちの将来を考えて、いい環境を残したい、緑がいっぱいあるような環境を残したいというメッセージ性を何か現わしたいということで。オリーブカラーなので、オリーブは平和の象徴で、やっぱり平和な世の中を作っていきたいし、明るい未来を子供たちにプレゼントしたいという私からのメッセージです。[毎日、緑の服はなかなか大変じゃないですか?] ― (笑)なかなか探せない。[民主党の議員の方はイメージカラを決めている方が多くて前に「みわちゃんねる」に出て頂いた植松恵美子さんはオレンジで菊田真紀子さんはイエローということで、皆さんずーっとその色を着てるんですよね。お似合いですね]

●幸せ度数年表(ダブルクリックで拡大)

第53回牧山弘恵

[生まれてから直ぐに下がりましたね。こういうの野党体質なんです] ― 四人家族の長女でひとつ年下の妹がいますけれども、7歳ぐらいの時に親が別居しまして、母の方に付いたんですけど。母と妹の三人暮らしで、母が働き始めて。当時は離婚は今ほどはなかったので、それがきっかけで凄いいじめに合いまして、病院通いするぐらいのいじめだったんですね。深刻ないじめを経験してそれを苦に祖父母のいる群馬に転向いたしました。[当時はいじめとかあってもそれは子供同士のことで親は入っちゃいけないというのがありましたからね] ― 本当は大昔からクローズアップされるべき問題だったと思います。[ずっと群馬で暮されて] ― いいえ、群馬ですとか、外国ですとか。外国に父が暮らしていまして、時々父の方に行って暮していまして、そういった所で私が見た光景が私の人生を変えたんですね。アジアの貧困地域とか本当に貧しい地域、自分と同じ年くらいの子供が飢えている場面を見まして、それまでは自分中心だったんです。16歳ぐらいの時から人のことまで出来る余裕が出来てきて、ボランティアなどをはじめました。[何のボランティアですか?]

 

アムネスティとかユニセフとかそういった国連機関のお手伝いですとか。母がめでたく再婚することができまして、それからISUという大学に入学しました。実は私子供のころからずーっとTBSに入りたかったんです。金高かおるさんという方に憧れて。彼女に憧れて、あの番組にも憧れて、ずーっとTBSに入りたいなあと子供の時から考えていて。金高かおるさんは魅力的な方で、世界のいろんな異文化を紹介して、いろんな変わった物を食べて「美味しいですね」とゆっくり言う姿を今でも忘れられません。[TBSに入社されて、すごい倍率だったですよね] ― そうですね。当時は7千人位受けて。同期は技術の方とかアナウンサー含め40人位だったかと。[同期のアナウンサーの方、どなたかいらっしゃるんですか?] ― 戸田恵美子さん、長峰由紀さん、木場弘子さんです。[皆さん今も、大活躍されていますね。難関のTBSを何年で辞められたんですか?] ― 二年位で。実は本当は辞めたくなかったんです。何か専門性を身につけてまたTBSで働きたかったので、出来ればアメリカのロースクールに行こうと思いたって、TBSにずうずうしく聞きました。「私をロースクールに送って下さい」と。そうしたら自分のお金で行くのはいいけど、TBSのお金で行くのは駄目と。[TBSの二年間ではどんなお仕事をされていたんですか?] ― 朝のワイドシューのディレクターをやっていまして、「モーニングアイ」という番組で。[森本毅郎さんと池田裕子さんがパーソナリティでしたね] ― 途中から山本文郎さんと長峰由紀さんに変わりました。本当に厳しかったですね。当時はテロップが全部、手書きだったんですね。それを取りに二階の部屋と一階を上がったり、下がったり、一日100回くらい。(笑)というのは冗談ですけど。(笑)ADというのは走る仕事だなあと思いました。[ADの仕事が嫌だから辞めたのではなく、もっと前向きに勉強したいから辞めたんですよね] ― そうです。[TBS顔ですよね。竹内香苗さんとか、エキゾチックなお顔をされていますよね] ― ロースクールに行っている間はとにかく大変でした。3年のコースを2年で、節約のためにですね。生活費も自分で払っていたので。[どちらのロースクールに行かれていたのですか?] ― ミシガン州のトマスクリーという小さいロースクールです。卒業後に司法試験を失敗しました。次の次の年に合格しました。[晴れて米国の弁護士資格を取ったということですよね] ― 当時はアメリカの法律事務所に勤めていました。

 

それから日本に戻ってきてエンターテイメント企業で法務を担当していました。[どちらの会社ですか?] ― 松竹とかユーニバーサルミュージック、当時はポリグラムという会社でした。[思い出深いこととかございましたか?] ― 松竹に居た時は「黄色いハンカチ」のリメイクを作ろうということで、アメリカの大手のハリウッドのスタジオと合作映画を作るということで、契約書を担当しました。膨大な量で。本当に細かく規定するので、日本の契約とは全然違うんです。合作映画となるとアメリカの考え方を盛りたいで、いろんな細かい事まで規定した方が安全ということで、こんなこと入れなくていいんじゃないかということも、万が一のことを考えて。さすが契約社会ですね。司法試験に合格したと思ったら、母がまた離婚。(笑) そのあと、29歳11カ月3週間、あと1週間で30歳という時に主人と知り合って。お互いに焦っていたんです。[御主人はどんな方ですか?] ― のんびりした人です。(笑) [ご職業とか聞いていいですか?] ― 主人は弁護士です。[何のご担当の弁護士さんなんですか?] ― 知的財産権です。エンターテイメントとか。でも日本の弁護士ですから一般的にいろんなことをやっています。(佐野が幸せ同数年表を指さし)[お母様とマッキーさんと妹さんとほぼ同時に結婚ということですね。おめでとうございます!] ― 母は三度目の正直というか三回目です。妹も私もほぼ同時位に結婚したんです。[お母様、たいしたものですね。お会いしたいですね] ― その時にフェイッシャルのセットを母が買って、24回払いかなにかで、それは私のためじゃなくて母のためだったんです。(笑)[あ、お母さんの花嫁道具ね] ― 37歳一人目の男の子、39歳二人目の女の子を出産しました。結構高齢の出産だったんで、危うい出産だったんです。流産しかかって何度も気持ち悪くなったりして、でも二人目出産出来たんです。流産しそうだった時期は自宅でいろんな仕事をしていまいましたね。[弁護士さんの資格もあられて、どうして出馬に至るんですか?] ― 子供たちのことを考えたら、今のままではいけないということで、子供たちに明るい未来をプレゼントしたい、夢が持てるような未来をプレゼントしたいなあと思いまして、新聞の公募に応募させて頂きました。[どの点が危機感があったのですか?] ― この時は民主党は野党でしたので、同じ政党が政権を55年も握るというのは政管の癒着がこちこちに出来上がってしまっている、やっぱり政権交代が必要じゃないかと。自民党の公募の記事も見かけたんです。でも私は民主党にだけ応募しました。[2007年から現在に至るということですよね] ― 2005年に神奈川県の参議院補欠選挙に当時は元外務大臣の川口順子さんと戦いまして負けました。[初めての選挙はいかがでしたか?] ― 私が出馬すると決まってから3日しか時間がなくて。選挙のやり方もわからないし。[民主党は手取り足とり教えてくれる訳ではないんですよね] ― いろんな地域で手伝って頂きました。皆さんのお陰である程度の票が取れたの出馬出来るということになりまして、私が41歳ぐらいの時だったと思うんですけど、[トップ当選ですよ!神奈川県エリアのトップ当選です。どれくらいの票を取るんですか?] ― 101万票。重く受け止めております。[ご家族の反応はいかがですか?] ― 家族もびっくりしてましたね。どういう世界が待っているか私たちも想像がつかなかったので。[キャリアウーマンでいらっしゃいますが、主婦から政界に出られてバッジをつけていかがですか?] ― 選挙区が近いですから神奈川県ですから、行ったり来たりの生活で、今日は一往復ですが、二往復、三往復するのも珍しくないんですね。地元の声を国政に反映するというのが私達の仕事なので、それはしょうがないかなと思います。行ったり来たりする時間も大事だなあと思って異動の中で秘書と今日の出来事について、頂いた意見について話が出来ますし、また折り返しの電話も出来ますし、いろんな物を読んだり。[熱心なんですよね。この「みわちゃんねる」の打合せでさえ、どれ位させて頂いたか。ありがとうございます。いつもぜんぜんしないんですよ。(笑)今日は緊張してまいりました(笑)お陰で楽しい番組になりました]

 

 

 

●最近の政治トピックス

 

 

 

[厚生労働委員会の委員でいらっしゃるということで、現在厚生労働委員会ではどんな議論をされているのですか?] ― 前も厚生労働委員会でして、そこでどんな法律が通ったか、二つだけ。厚生労働委員会は名前の通り、厚生と労働、医療と雇用ですよね。まず労働の方でいうと、高齢者雇用安定法というのが通りまして。これは何かというと65歳まで高齢の方々が働くように出来る法律で、必ずその企業が65歳まで雇わなきゃいけないという法律ではないんです。会社によって条件があると思うんですけれど、元気なお年寄りの方が多いですし、まだまだ働きたいといういろんなキャリアを積んだ方々がいらっしゃるので。

 

元気でやる気のあるいろいろなキャリアを積んだ高齢者の方々が働ける環境作りという意味では大きなステップだったと思います。これは8月29日に通りまして、来年の4月からさっそく施行されますので、この場を借りてPRしたいと思います。[もうひとつあるんですよね] ― 造血管細胞移植を促進する法律、これは何かというと、骨髄の中に入っている細胞、へその尾の中の細胞とか、胎盤の中にある細胞とか、この細胞は血液の元となる細胞なんです。これを移植することによって克服できる病気がこんなにもあるんです。[白血病、多発性骨髄腫、悪性リンパ腫などが治り易くなるんですね] ― こういった重い病気が治り易くなるんですね。[今までは造血管細胞の移植は禁止されていたんですか?] ―

 

この法律が施行されて何が違うかというと、今までは個々のお医者さんがこういった移植の方法があるんですけど、その方にお任せしていたんです。この法律が通ったことによって、データを集約してもっと正確に特定の患者さんにはこの方法があるとか、正確なことがなされるようになるんですね。そういったルール作りを国と地方がやらなくてはならないと。これからは国と地方がルール作りをして、きちんとデータを集約して。それから骨髄バンクのような提供関係事業者のしっかりした安全基準というのをこれから作っていかなくてはいけなくなるんです。患者さんにとっては安心です。それからバンクを安定的に運営していかなくてはいけないので国から費用の一部が補助出来るようにしたんです。地味なことなので、時間かけて説明しないと(笑)こういった病気の方々がこれから安心して治療に臨めるということになるので、医学の面でもものすごく成果があったのだと思います。[最近のトピックスに戻るんですが、石原新党とか立ちあがって、入るつもりはないんですか?] ― いえ、私は責任与党の中に残って、責任与党にしか出来ないことをやっていきたなあと思っておりますし。石原新党が出来たり、いろんな政党がどんどん誕生していますけれども、日本人といえども十人十色ですから民意がいろんな形で反映されるということはいいことではないかなあと思います。切磋琢磨してどんどんいい政治を実現していきたいなあと思います。[でも大変ですよね。今、有権者の方に会うと民主党、何やってんだ必ずお叱りから入るわけじゃないですか] ― そうですよね。ですから、こういった「みわちゃんねる」のような、私の政策とか、民主党がこんなにいいことをやっているんだとアピールできる場が欲しかったんです。呼んで頂いて有難うございます。(会場から拍手が起こる)

 

[昨日から臨時国会が始まりました。異例の所信表明演説と新聞の見出しには書いてあったんですが、何かあったのですか?] ― 将来のことを考えた所信表明演説だと思いますし、責任与党として、所信表明演説をさせて頂いて、どんどん委員会も開いて物事は前に進めて行かなきゃいけないので、やっぱりいろいろ野党のご意見もあると思うんですけど、どんどん前に進めていかないと。このままストップしたままだと国民の理解は得られないと思います。[増税なんかも反対の人が多いんじゃないんですか?] ― 国民の中にはそういう方がいらっしゃいますけど、意外と私の選挙区を歩いてみると、増税に理解を示す方、特にお子さんやお孫さんのことを考えると、子供も年金をもらえるようにした、それから自分たちも将来ずっと年金が続くようにしたい、社会保障が続くような社会をずっと継続してもらいたいと理解を示す方が意外と多いです。

 

 

 

●今だから言えるあの日のあの出来事

 

2005年の神奈川県知事選挙の時の話なんです。神奈川県は広いんですけど、箱根の山のてっぺんから川崎まであるんですね。全部で400駅くらいあるんです。その駅全部で演説をしようと自分で勝手に目標を決めたんです。子供が2歳と3歳だったので、一人はおんぶ、一人はベビーカーに乗せて、ビラも小さく切ってポスターを丸めてリュックサックの中に入れて、各駅全部制覇しました。(会場から拍手が起こる) 神奈川県といっても横浜や川崎のように何分に1本電車が来る駅だけではなく、御殿場線もあれば、箱根登山鉄道もあるんですね。そういうところは横浜や川崎と比べると、全然人が少ないんですよ。そこで通りかかる数人の方に演説をして、自分で写メ撮ってホームページにアップしました。そうしたら、そういった地域の方々から反応があったんです。「良く来てくれましたね」と。そんなに見ている人はいなかったんですけれど。お手紙下さった方、メールを下さった方は家の中で聞いていたり。カーテンが閉まっていたりしてわからないんですよね。また、400駅チャレンジしているところです。もうひとつはですね、主人と出逢った時に結婚にいたるまで1年かかったんですけど、その中で私の心が動いた時がありまして。[それは何ですか?] ― 200本バラをもらったんです。[それは、凄いです!!] ― ところがおちがありまして、夫はいろいろまめに取っとく人なんですけれど、入籍した後、掃除をしていましたら、バラの広告がクリアファイルの中に入っていまして、なんと驚きのプライス!○千○百○円!!と書いてありまして。(笑)[いいじゃないですか!その行為が素敵じゃないですか!] ― でも、そんな物取っておく人がいますか?(笑)

 

 

 

●質問コーナー

 

Q;海外生活のおありのようなんでけれど、海外に向けての政策とかありますか?

 

A;参議院議員になってからフランスに出張に行ったことがありまして、フランスで開かれた会議にグローバルゼロという会議があって、これは核廃絶の運動の一環なんですね。世界中の元議員とかもと防衛大臣とか、そういう方々が集まりまして、私は唯一の被爆国の一人として平和を訴えてまいりました。そういった平和を訴える活動をこれからもしていきたいですし、私、定期的にアメリカの国会議員と韓国の国会議員とは年に何回かお会いしています。アメリカに行ったり、韓国に行ったり、日本でお会いしたりしているんですけど、お互いの国内情勢、安全保障、防衛、いろんなトピックスに至るまで、いろいろ話し合って。だいぶん親しくなりましたね。年に何回も会っているので。そういう草の根外交をこれからも続けていって、竹島とか尖閣諸島とかいろいろな問題がありますけれど、過激なことをやろうとしている人は一部に過ぎないと思うんです。その国の人たちもほとんどの人は平和的な解決を望んでいるので、国益を守るためには毅然とした態度で接するというのは言うまでもないんですけど、草の根外交はやっていかなきゃいけないと思いますね。[メディアによると、中国とかは国をあげて反日本活動をやっているようなイメージじゃないですか。でも日本人はことなかれというか大人の対応をしている、その温度差はありますよね] ― ただ、実際はどうなのかはわからないですよね。私たちもメディアを通してしかわからないし。私も中国や韓国に何度も行ったことがありますけれども、一般の方々、とっても暖かいですし、親日の方が多いです。日本に住んでおられる中国人の方、観光で来られる方も多いですけど親日の方、多いです。

 

 

 

●今後の政治に対する意気込み

 

私は自分の幼児体験、いろんなアジアで見た貧困、そういった体験がきっかけで、どうしても命を守りたいという思いがありまして。自分のボラインティア活動の会を20代で始めて、15年以上続けていたんですけれど。世界の紛争地域や貧困地域で働く医療スタッフの薬代の募金集めをやっていたんですけど。それをもっと大きい形でやりたかったというのが私の夢で、大きい形でというのはODAなんですけど、命を守ることの一環として雇用を守らなければいけないんです。もちろん医療とか防災ですとかそういったことも重要ですけど、雇用を守らなければいけないと思いますね。雇用といえば、私の選挙区は横浜、港があります。港を元気にしていくことが非常に重要です。たとえば、コンテナ船は大きいのがあるんですけど、バルク船といってコンテナを置かないでそのまま直接物を入れてしまうバルク船という船なんですけど、バルク船を大型にして、大型にすることによってエネルギー源となる石炭ですね、小さい船で何往復しますと単価が高くなります。でもバルクで大きな船で運べばもっと単価が安くなって、エネルギーの供給できますし、石炭以外のいろんな物も安く手に入るようになると思うんですね。大きな船を入れるためには、港を深く掘らなきゃいけないんです。そうしないと船が入れないんです。コストは結構かかるんですけれども、港を元気にするということは、雇用を創出していくことです。[港の問題も国会議員がやるんですか?] ― 横浜は私の選挙区でもありますし、日本の国の入口出口ですからね。また、どんどん貿易とか国際化が進んでますけれども、その中で私が是非、実現したいなあと思うのは、コミュニケーションスキルを英語力をもっとアップしなきゃいけないと思って。海外の方々と交流で出来る生きた英語を話せるように。お隣の韓国とか国をあげて急ピッチでやっているので日本ももっと頑張らなきゃいけないなあと思います。ITが普及していますので、こういったものを活用して、海外にいる人たちともコミュニケーションするとか、海外の教材をいろんなツールとして使うとか、いくらでもITを使って教室の中に限定しないで、いろんなものをグローバルに使っていろんな方とコミュニケーションを取って。ビジネスもどんどん国際化しているので、子供たちに英語をコミュニケーションツールとして、何も英語圏の人とコミュニケーション取るのではなくアジアの近隣諸国とコミュニケーションを図るために英語を身につけてもらいたいんです。三つめなんですけれど、四回目のアフリカサミットが横浜で行われたんですよ。ティカット4というんですけど、そこで是非私が話題にしたかったのは、母子手帳の普及なんです。母子手帳というのは日本発祥なんです。日本発祥の母子手帳を今までの例でいうとインドネシアとかパレシチナで普及したことがありまして、乳幼児と妊産婦の死亡率が下がったという事例があったので、母子の保険を向上させるために、アフリカもいろんな国がありますけれど、母子の保険向上を図って欲しいなあと母親としてもそういった提案をさせて頂きまして、横浜宣言に入れて頂いたんです。[日本が母子手帳をあっせんするんですか?] ― 国によって助け方が違うと思うので、正確に言えば情報交換ですね。

 

[このような番組はいかがだったですか?] ― 楽しかったです。民主党がやっているいいことも結構紹介出来たので。民主党、いいとこたくさんあるんです。是非、アピールの場を他の民主党の議員にも頂けたらと思います。私、民主党の広報担当でプレス民主という

 

民主党のマガジンを担当していまして、この中に民主党がこんないいことをやっていると

 

どんどん発信はしているんですよ。でもなかなか報道されないので。みんながみんなプレス民主を見ないかもしれないですけど、是非、プレス民主をお持ちでない方は民主党のホームページにアクセスして頂いて、新聞とかテレビで報道されていないいろんないいこともたくさんありますので、是非、ご覧頂ければと思います。