田名部 匡代
田名部バスト
第210回
2017年08月24日 放送

民進党 田名部 匡代 参議院議員

みわちゃんねるに10年ぶりで再出演してくれました。

昔からのお友達に再会できたような気分にさせてくれるのが、田名部匡代さんの魅力。

しかしその歳月には、長きにわたる浪人生活や衆議院から参議院への鞍替えなど、様々な事があったようです。

農林水産業についてや、女性議員の活躍についても田名部氏ならではの目線で語ってくれました。

10年まえから思う事なのですが、田名部議員という人は秘書さんやスタッフにすごく好かれる人なんです。

(豊田議員とは真逆な?)秘訣は、スタッフの皆さんとのブリーフィング!?

事務所で様々な忌たんのない会話をして、秘書さんたちとの考え方の違いなどを知るそうです。

撮影中は気づきませんでしたが、画像を見ると田名部さんが以前よりもグッとエレガントになっていらっしゃいました♡

(動画より文字おこし)

民進党 (衆議院3期) 青森県選挙区 1期目(2017年8月24日収録時点)

[ご無沙汰しております]―お久しぶりでございます。[「みわちゃんねる」16年の歴史で、2000…何年に出ていただいたんでしょうか?]―…10年前なので、2006年とか2007年とか。[そうですね~。かつての「みわちゃんねる」のスタッフは、もうイチ押しだったんですよ。大好きだったんですよ]―嬉しいです! 仲良くお付き合いさせていただいて。[そうでしたよね。そしてその後落選も経験されて。その当時は衆議院議員だったんですよね? 今は参議院議員で、驚きました。あの、一応二世議員ということで。お父様お元気ですか?]―はい、元気です。[皆さん、お父さん昭和9年生まれですってよ? すごいですよね]―(笑)。12月で83歳になります。[そんな元気でいらっしゃるなんて、さすが青森ですね]―でも青森は短命県なんですよね。短命県返上ということで、塩分を摂り過ぎないとか、色々県も総力をあげて頑張っています。[カップラーメンをよく食べてる]―そうなの、よくご存知ですね。カップラーメン消費率が全国一位という。[(笑)田名部匡代さんも食べるんですか?]―結構食べますね。[何がお好きなんですか?]―あの~、焼きそばも好きですし。よくコンビニなんかに行くと新しいカップラーメンが出てるの。新商品をチェックして「お、これ美味しそうだな」と思うと、こう、ね、食べちゃったりしますね。[お父様は田名部匡省さん。農林水産大臣だったんですね、昔ね。有名な方なんですけれども。今も政治活動というか、田名部匡代さんを支えるためにやってらっしゃるんですか?]―いや、ほとんど政治活動はしておらず、でも昨年の私の参議院選挙の時は、私もやはり初めての全県選挙なので、父のつながりを頼りにご挨拶に行ったりしまして。父も自分の昔のつながりの方々に電話をして「娘を頼む」と言ってくれて。親馬鹿してもらってます。[そのお父様は大島(理森)さんと戦っていらっしゃって。「八戸戦争」って言われてたんですね]―そうなんですね。大島・田名部戦争、八戸戦争と。40年ぐらいずっとその構図が続いてきたので、父が衆議院から参議院に鞍替えをして私に出馬の要請があったときに、やっぱりそこは非常に考えたんですね。そういう構図を続けることは、有権者の皆さんにとってどうなんだろうか、と。何かこう、個人対個人のですね…[まだ20代ぐらいでしたよね?]―30歳でしたね、31歳になる年。[あの老獪そうな大島さんと戦うわけですからね。お父様がずっと戦ってきたというわけで、今でも色んな問題があるんですか?]―いや、ないですね。多分皆さんが思うよりも、地元でお会いすると、大島先生は大先輩ですしご経験も豊かで…色々会合でお会いしても声をかけていただいたり。個人的にはそうなんですが、いざ選挙となれば、それはお互いに。[ご本人同士が友好関係でも、支持者同士が戦ったりとか、色んなことがありますからね]―そうですね。[すみません、あまりにも戦いが激しそうなので、聞いてみたかったんです(笑)。大島さんと戦うって本当に大変なことだなって。まず顔で負けちゃいますよね]―(笑)。迫力という意味ですね、なるほど。今、議長でいらっしゃいますからね。

 

●「幸せ度数年表」

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[懐かしいでしょ?昔も書いてもらいましたっけ?]―昔も書いたんですけど、昔のを見たら常に(幸せ度数が)80%以上の「どんだけ幸せなんだ」というようなつまらないグラフだったので(笑)。この年になって、よーく人生を冷静に振り返ってみました。[すいません、今、ご結婚されているんですか?]―あら、まだなんです~。皆さん、その辺もどうぞ宜しくお願いします(笑)。[私も独身ですから大丈夫ですよ。こんなところにこんな独身が二人もいるなんて(笑)]―こんな独身がね、二人そろって(笑)。[ちょっと聞きたかったんです。ご結婚されてるのかなあ、と思って]―まだだったんですね~。[そうですか…まあ、それどころじゃないですよね?]―そういうわけでもないんですけどね。何でですかねえ、本当に。何が駄目なのかな。そこがわかってないところが駄目なんでしょうね。さ、いきますか(笑)。「はい(笑)…「プチ不登校」ということですが」―小学校の時に、親が国会議員だということで、何かこう…今考えてみればそんなに悪質なイジメではなかったと思うけれども、当時は小学生だったし、まあちょっと傷ついたというか。で、父親の選挙違反なんかもあったりして(笑)、学校内では「お前のお父さんは」っていう…なんか私自身も親のせいでというか、非常にだから政治家をやっている親のことが嫌でしょうがなかった。[この当時はまだテレビで議員さんのことをやる、という時代じゃなかったので、まあ大丈夫だったと思うんですけど、今はワイドショーで全国で、議員さんの不倫問題から始まって色んなネタをやっているじゃないですか。そうすると与野党問わずご家族は気の毒だと思っているんじゃないですか?]―そうですね。子供の頃から、父は自分で好きで政治家をやって留守にする。その分今度は母が地元を守らなければいけないので、常に母も夜の会合で家を空けていたし、東京と地元を行ったり来たりということで、まあちょっと寂しい、甘えたことを言えば寂しい思いをした。もっともっと視野を広げると、もっと辛い大変な思いをされてる方がいらっしゃると思うんですけど、当時の私はやっぱり寂しかったですし、父が政治家でいることが本当に嫌でしょうがなかった。[皆さん、異口同音におっしゃいますね]―本当ですか?[大体親が政治家だと自慢する子供のほうがロクな子じゃない]―そうですか(笑)。「プチ不登校」っていうのは、朝熱が出ちゃって。[行きたくないから?]―行きたくないから(笑)。たまにね、体温計こすって上げたりしたこともあったんですけど。でも母は黙って、「何かあるんだな」って察してたんでしょうね。「一日行かないとまた明日行きにくくなるから、ちょっとでもいいから顔出しておいで。すぐ帰ってきてもいいんだから」っていう感じで。[道徳の教科書に出てきそうなお母様。すごいですね]―とりあえず顔だけ出して帰っておいで、っていう感じで、「プチ」で済んだ(笑)[「花の女子大生」って、どちらでですか?]―東京で。私、高校を卒業したら地元で就職したいと言っておりまして。東京に行きたくなかったんですね。東京は恐い所だ、何があるかわからないって。[大丈夫ですよ、この明るさがあれば(笑)]―そうですね(笑)。まあそれでも行くことに決めて出て来たんですけど。いやいやいや、もうね。[楽しかったですか?]―いや~、もう一番社会勉強させていただいた。私は青森から出ているので、同級生の友達なんかは「あら田名部さん、青森にはディスコはないでしょ? ディスコに連れてってあげる!」。[まだ田名部さんの頃も、ディスコ時代だったんですね]―ディスコ時代。まあ青森にもディスコありましたけどね。青森のイメージがね、何もないという感じだったんでしょうね。「田名部さんのお家では、何を作っていらっしゃるの?」って言われて「何も作ってない」って言ったら、「あら、じゃあどうやって生活されているのかしら?」って。多分、青森の人はみんな農家だという印象だったんじゃないでしょうかね。ああ、青森ってそういう風に思われてるんだな~、って知ったのがこの時代ですね。[紹介していただいた升田世喜男さんも、お家が地域で初めてバーを経営したって。すごい飛んでる家だな、と。ご両親働き者でご本人も働き者で、すごいなっていう話をしていたんですけど。なかなかそういうサービス業がない所だったんですか?…って言う風におっしゃってました(笑)]―升田先生の所はですね、またちょっと私の地元と違って、もうちょっとあの…村の出身の方なので…[信号が出来た時は大騒ぎだったって(幸せ度数)年表に書いてありました。あと、コンビニが出来た時(笑)。…そして、花の女子大生を謳歌した、ということですね。初出馬は30歳の時とおっしゃっていましたけど、この7年間は何をされていたんですか?]―短大を終わった後専門学校に行って、花嫁修業をいたしまして。[へー!何人姉妹なんですか?]―二人姉妹で、8つ上の姉がいます。そのあと父の秘書を何年かやって、そのあと地元に帰り、まあそこでも父の秘書をやっていたんですが、途中でもうどうしても外に出たくて。父の場合衆議員になったので、いつ選挙があるかわからない。仕事に就いてしまうと、親の選挙の時にどうするんだとか色んな家庭内事情があり、知り合いのやっているスケートリンクに。[あ、お父様スケートの選手でしょ?]―アイスホッケーのオリンピック選手なんですよ。札幌オリンピックで全日本の監督をして、あと西武(鉄道)の監督をしたり。[そういう関係もなきにしもあらず、ってことですね]―そうなんですね。スケートの靴貸したりレジ打ちしたり。[靴、臭い人とかいたんでしょうね]―(爆笑)それはわかんないですけど。アイスホッケーとかやっている子供たちが多かったので、小学校の子供とかが来て。[アイスホッケーって、すごいスポーツなんですよね、実際に見るとね]―ご覧になったことありますか?[あります、びっくりしちゃいました。こんな激しいんだ~って]―そうなんですよね。今、女子のアイスホッケーが非常に頑張っておりまして。[青森って言うと、カーリングのイメージが先行します]―あ~、なるほどね。「氷都八戸」と言われていて、スケートやアイスホッケーの選手がたくさん出ています。[さあ、そして30歳から今に至るまでずっと永田町歴があるんですよね。今は参議員として出られてますけど、何年浪人生活されてたんですか?]―トータルで7年ぐらいじゃないですかね。[7年間もいなかったんですか!]―そうですね…もっとかな? 最後の5年間合わせると。[長いですね]―最初繰り上げ当選で、それ一期目のカウントなんですけど…本当に2ヶ月とか3ヶ月で選挙になって。で、そこでまた落選をして、次は比例復活、比例復活、落選。その間で、やっているうちの半分当選半分落選みたいな感じ。[永田町変わりました? 久々に来て]―…。[安倍政権で又復活してきたわけですから。よくぞ…まあ当時民主党で這い上がってきましたね]―そうですね~。まあ特に衆議院時代は色々アレでしたけど、参議院の選挙は、私のお相手は現職の自民党議員でしたし、非常に厳しい選挙区だという風に…[参議院は比例復活とかないわけですから。トップの人が勝ちで、あとは全員落選なわけですからね。それも辛かったですよね]―まあでもそこはあまり…決断するまでがちょっと。決断を迫られる状況の中で、私ももう2度続けて落選して、最後の衆議院の落選が2011年ですから、そこから5年。次の選挙がどっちにしても最後だな、と思っていたので。これ以上の落選は、支持して下さる方々にも許されないだろう、と。もしそこで負ければ、私では駄目なんだな、ということだろうから。最後の覚悟と思っていたので、なおさらそれを参議院で、という決断をしなければならないことが非常に重かった。[後悔をされたんじゃないですか? 政治家の道を選んだということで]―後悔はないですね。こういう場を与えてもらえなかったら…それはある意味二世だからこそこういうチャンスをもらえたわけで、このチャンスがなければこんなにたくさんの人たちに支えていただけるという、こんな感謝の気持ちを人生の中で持てたのかな、と。本当に狭い視野の中で生きてきて、これが選挙に出たことによって、色んな苦しみや悲しみを抱えて生きている人たちがこんなに身近にいたんだ、と知ることが出来た。何が出来るのか、何をしなければならないのか、ということを考えられたのが選挙を通じてだったので。そういう意味では、初出馬から「幸せ度数」が落ちてないというのは、やるたびに強くなってきたし、その度に出会いに幸せをもたらしていただいたので、ここは感謝を込めてどんどん幸せに。[そんな中で、東日本大震災で被災してしまう]―そうですね。当時私は農林水産大臣政務官だったんですね。私の地元も被災しまして、結構大きな被害だったんですけれども、当然地元のことだけではなく全体のことをやらなければならないので、すぐに地元に帰ることは出来なかったんです。[そうでしたね。政権は民主党でしたもんね]―菅政権の時ですね。この時の対応は大変なこともあったんですけれども、当時の私がお仕えした大臣が、山形の鹿野大臣、鹿野道彦さんという方で、本当に私の尊敬する政治家で「とにかく現場だ」と。現場の皆さんがどんな辛い思いをしているか、足を運んでみんなでそのことを受け止めてこい、と官僚の皆さんにもそういう指示を出され、とにかく自分の身内が辛い目に遭っているという気持ちでやれ、他人事ではないんだ、と。当時どこに被災者の方がいらっしゃるかわからずに、食料が届かないということが連日報道されていて。その情報がなかなか把握できずに、どこに届いていないのか、どのぐらい足りないのか、情報が混乱してしまってうまく対応が出来なかったんですね。で、改めて体制を整えて、その時に大臣が「この苦しい時に国民にまともに食料を届けられないような農林水産省なら、なくてもいい!」と気合を入れまして(笑)。[ゲキをとばした]―はい、本当にピリッと引き締まり。[すごい国民は不安だったわけで、その時に菅さんが被災地に飛んで行った、というインタビューがあったわけですけど、私は、日本のメディアが出来た中であれがワーストのインタビューだと思っているんです。何故かと言うと、菅さんがインタビューをされたことによって余計に不安になってしまった(笑)]―あの、何と言うか、そこは慎重に言葉を選ぶべきだったと思うし、出来るだけ不安を与えないように、しかしながら正確な情報をきちんと冷静に伝えるということが大事だったんだろうと思うんです。ここで(幸せ度数が)グッと落ちたのは、実は大変だったというだけではなくて、これだけ被災地の皆さんが苦しんでいる時に、国会は他のことでお互いの足の引っ張り合いで、非常に混乱したんですね。[例えば?]―例えば、子供手当てのこともそうでしたし、菅さんの間はこの予算を通すとか通さないとかいうことがあったんですね。[一致団結出来なかった]―被災関連の策についても、それはいいとか悪いとか。一刻も早く予算づけをして対応しなければならないような時でも、非常に混乱をしていた。[内部から見る混乱というのは、全員が同じベクトルじゃない、ということですか?]―そうですね。出来ることまで足を引っ張る、与野党の協力体制が上手くいかない。まあ当然、どちらが与党でも野党でも同じような事が起こり得るんだと思うんですけれど、あれだけの大きな震災の直後で…あの国会の在り方を見た時に、私初めて国会議員を続けるかどうか迷ったんですよね。[内部の在りようを見て]―被災者の方がね、政治によってより苦しめられる。ただでさえ、どうやって生きていっていいのかわからない、明日に希望が持てない、本当に助けて欲しいと思っているときに、テレビをつけて国会見たらどうでもいいことで揉めてるわけですよ。こんな政治って何なんだろうか、何のために政治家になったのかな、自分もその中の一人だと思った時に本当に情けなくて恥ずかしくて。被災地の皆さんに「頑張ろう」って思いを感じさせられないような政治の場にいるんだったらやっている意味あるのかなって。初めて、政治家じゃなくても人を助けることが出来るんじゃないかな、とちょっと迷った時期ですね。[悩みますよね]―悩みましたね。我が党のこともそうだったし、全体ですよね。こんな時にでも党利党略、何て言うか、自分たちのことが優先なのかと思った時に、本当に情けないな、と思った時期ですね。[また自民党がね、そういうのをうまく一致団結させるように見せるのが上手いですから。55年以上培ってきたお家芸ですからね。民主党がまだまだ若かった、というのが露呈してしまったということなんでしょうね。辛いですよね、自分の県が被災しているわけですから]―そうですね、直接あちこちの被災地に足を運ばせていただいて、現場の状況を見てますし。…で、その後の選挙で(幸せ度数が)グッと下がったのは…まあ落選したんですけど。[いわゆる安倍さんの二期生という人が出た時の選挙ですね]―そうですね。あの時、落選した辛さではなくて、国民の皆さんの、有権者の皆さんの期待に応えられなかった、当時の民主党。あれだけ期待を受けて政権を取って3年。嘘つきと言われたし…何と言うか、裏切者というようなね。[特に有権者の皆さんと接する時はね、矢のようにそういう言葉は降ってきますからね]―自分たちでバラバラになって壊れちゃって政権を投げ出しちゃったわけですから、ある意味。それは有権者の皆さんの判断というだけではなくて。当時、民主党がバラけてしまったという不甲斐なさに自分自身も嘆いたし、期待に応えられなかったということの責任で押しつぶされそうになるぐらい、この当時が一番辛かったですね。

 

●最近の政治トピックス

 

―私、今農林水産委員会に所属をさせていただいてまして。まあトピックスというか、最近ちょっと問題だな、と思うのは、出て来る法案が総理をリーダーとする規制改革推進会議なる、一部の唯識者の皆さんの提言に沿った法律なんかが出てくる。ある意味、与党の方々の議論もきちんとなされたのかな~、と。そこも物申せぬまま、そういう法案が出てきているのではないかな、とちょっとそこは懸念しているんです。[加計学園、森友学園じゃないですけども、官邸意向のものが出てきているんじゃないかな、ということですね?]―そうそう。与党も野党も議員さん達は地元を歩かれているはずなので、色んな現場の声を聞いていると思うんですね。法律を作るとか制度を作るというのは、現場がどういう状況かというのをきちんと把握した上で、必要な法律を作っていくのが私たちの役目だと思うので。何て言うのかな、現場をわからないまま、農業とは全く関係のない業界の唯識者の皆さんが…まあその中には何か利害関係があるかもしれないし、自分たちの損得も出てくるかもしれないし。経済界が豊かであれば国が全部上手くいく、というわけではないと思うので。地方にとっては、農林水産業は地方経済を動かす大きな力になってくるので、どうやって農林水産業を発展させていくか、守るだけではなくどういう強さを持たせるのかをちゃんと考えていかなきゃいけないと思うんですけど、現場の声があまりにも届いていないとか無視されているという様な状況は、非常に問題だなと思っています。[安倍さんも、今でこそ支持率が20%台ですけど、ずっと50%近くを誇ってきましたから。個別の農林の、各県のお話よりも、やはり経済界を中心とした大きな考え方で「どうだ!」という風にずっときましたからね。まあそれは逆に民進党さんに言われてしまうと辛いな、っていうことも今まであったんじゃないでしょうかね]―そうですね、あったかもしれない。去年の参議院選挙なんか、東北で民進党が結構皆さん勝たれてたんですけど、アベノミクスというようなことが実感として…全然暮らしが豊かになってないよね、ということや、農林水産業の関係者の方々も、これからどうなっていくんだろう、自分たちはこれで生きていけるんだろうか、という不安を抱えていた。高齢者の方々も、「長生きはしたけれどもね、辛いよ」と。そういう思いが、選挙で結果として形になって表れたのかな、と思っているんですけど。やっぱりそういう現場の苦しみだとか課題は、もう少し政治が受け入れるべきではないかな、と。[この間初めて私、「アベノミクスで儲かった」という人にあったんですよね。設計会社で公共事業をやっている会社だったんですけど(笑)。実感がないというか、何も変わらなかった感じはしますけどね]―まあね、一部そういう利益を出した人もいると思うし、潤った人たちがいると思うんです。それは決して悪いことではないし、それで全体が潤うんであれば、このままその政策を推し進めていっていただければいいけれども。もうすでに、やり始めて5年? 6年になるわけですよ。そうするとね、やっぱり一部なんですね、大企業や大都会みたいな。地方が元気になっていって国全体を元気にしていってもらいたいので、ここはやっぱり民進党。「地方の声を」と言ってきたので、しっかりと届けて行きたい。[どうですか? 民進党内部。色々言われてますけれども。女性が党首ですけども…]―安倍総理もおっしゃってますけども、女性議員はもっともっと増えて欲しいな、と。(佐野に向かって)いかがですか?[いや、増えましたよね。「都民ファースト」もありますし]―今、うま~くかわしましたね(笑)。どうですか? 政治家なんか。[もう全然ないですから。絶対無理です]―全然ないですか。でもね、女性ならではの視点っていうのがありますし、女性の抱えている課題、介護の問題も子育ての問題も色々ありますし。そういうことも含めてもっと女性議員が増えてくれるといいな、というのと、超党派で色んな議連があるんですけど、女性が多い与野党を超えた議連というのはすごい勢いがありますし。[そうでしょうね~]―本当に「やろう」と決めたらみんな足並みそろえて「これ、やるんだ」と、党に対してもそれぞれ強い働きかけが出来るというのは、女性のパワーだな、と思って。[昔から言われてますけど、永田町というのは男性の嫉妬で成り立っているところですから、女性同士のほうが意外とサバサバして割り切れる。男性のジェラシーっていうのは半端じゃないですからね。その中で毎日戦っているわけですからね(笑)]―(笑)あまりね、ジェラシーに巻き込まれないタイプの人間なので。[もう永田町のジェラシーっていうのは、凄いものがありますよね、男性同士のね。隠してますけど、垣間見るジェラシー、恐ろしいなと思います]―意外と私のほほーんとしているのでね、あまり見えない。[私なんか、そこばっかり見えちゃって。代表はもちろん応援しているんですよね]―はい、応援してますよ。本当に頑張って欲しいですし、女性の代表だからこそ発信できるメッセージってたくさんあると思うんです。昨日も会見されてましたけど…。[してましたね、国籍のね]―非常に堂々とされてましたし、おっしゃっていることは私は本当にもっともだと思って。「多様性を認め合える共生社会を作るんだ」という民主党の基本理念を堂々と打ち出して。本当に頑張ってほしいな、と思います。[辞めてく議員も、役職を自分から投げ捨てる議員もいらっしゃいますけど、その件に関してはどうでしょうか?]―そこきますか。そうですね、まあでも一度ね、深く大きく反省しているので、民進党もだいぶ変わってきたな、私が言うのもアレですけど成長してきたのではないかと(笑)。色んな思いを抱えていても、「とにかく結束して頑張ろう」という気持ちをみんなで持ってるな、とは感じますね。ここが踏ん張りどころだと思うんですよ。何やっても駄目な時もあるし。[だって皆さん、自民党が野党時代を思い出してくださいよ。みんな谷垣さんのことを嫌いだった。でも枝野さんに聞くと、あれが正しい野党のやり方なんですってね。攻めていく、という。「だから今の自民党がある」って。さすが枝野さん、何でも理論づけて物語にしちゃう]―(笑)。[まあ、良い人材もいらっしゃるしね]―そうですね。そこがね、一度政権取ってなかなか昔の野党になり切れない民進党の、そういうところが可愛らしいな、って思うんですね。もっとバンバンいけばいいのに、一度与党を経験して、色々政権の苦しみや事情もわかったりするし、そこがちょっとお利口さんにさせてるのかな、という気もしますけど。色んな人材がいるので、政策的にも良い政策を積み上げていると思いますし、ここは一人でも多くの仲間にもう一回国会に戻ってきてもらうために…[本当に政治って何があるかわからない。皆さん、今だって未来永劫自民党が続くような気がしますでしょ? ドラスティックに変わりますからね]―そうですね。都議選の結果なんか見ても、新しい動きがあるのかもしれないし。

 

●今だから言える、あの日のあの出来事

 

―そうですね~…初めての出馬の、初めての街頭演説。第一声ですね、いわゆる。あの時に実は、第一声に行く前に選挙事務所の小さな個室で、ひとしきり大泣きしてから…[どうして泣いたんですか?]―緊張してたんですかね、何かわからないけど。[かわいい時代もあったんですね~]―今もかわいい時代は続いていると思ってるわけですけれど(笑)。気気持ちが昂って緊張してきて、いつも一緒に選挙活動をしてくれてた女の子に「やばい、泣きたくなってきた…」って言ったら、「駄目に決まってるじゃん、みんなの前で泣いたら~! ちょっと来て来て!」って言われて小さい部屋に行って、「いいよ」って言われて、うわーん!ってひとしきり泣いて。「あ~すっきりした!」ってものすごい笑顔で、「皆さーん!」とかやったんですよね。あのビデオ録ってあるんですけど、恥ずかしくて観られない。もうね、演説になってないです。よくあれで「田名部匡代」って書いてくれた人がいらした。本当にあの演説は中身もたいしたことないし、ただただ叫んでましたね。「皆さーん! 今の政治でいいんですか!?」みたいな。何なんだっていう(笑)。[この通り、女は泣くとすっきりするんですよ]―本当ね(笑)。何なんですかね、涙には不思議な力がある。[お父さんがプロですから、原稿とか「これぐらい喋れ」とか教えてくれるものじゃないんですか?]―教えてくれないし原稿もなかったし、あの~、父は本当に放ったらかしでしたね。[そんなもんなんですかね]―もう全然。父の選挙の応援で何か言ったりすることはあっても、それはね。「父を宜しくお願いしまあす!」とか言ってればよかったですからね、まだ若かったですし。[若いというだけでね、選挙カーにのぼっただけで値千金ですよ]―ね~。若い娘が必死で頼んだ、というだけで良かった時代と、まあちょっとね、三十を超えて自分も選挙に出るとなったら。[「何が言いたいんだ」とか言われちゃう時代になっちゃう(笑)。一般的にはね]―そうですね~。[女の一生を選挙と共に走ってるわけですから、本当に大変ですよね(笑)]―はい(笑)。まあできればね、恋もしながら。[恋、してるんですか?]―あら。…してないですよ![また~(笑)]―(笑)してないですよ![この番組に出た中川(俊直)さんだって、何もしてないような顔して不倫してたじゃないですか]―ほんと~、ね~(笑)。10年前も恋バナコーナー、女子トークとかやってましたよ。[それで何て答えてたんですか?]―いや、「恋してないです」って(笑)。何年前まで彼氏がいたんです、って素直に答えちゃってましてね。[いたんですか? その時は]―いや、「もう別れました」って話をしてましたね。…ここからどうつなげたらいいかわかんないですね(笑)。いや、本当に何もなく。[でも田名部さんって本当にスタッフからの信頼が厚いし、本当に良い関係を築いているというのが、私も色んな国会議員の事務所の方とお付き合いがあるので、よーくわかるんですけども。たまにキレることないんですか? 豊田議員みたいに]―(秘書の方に)…ある? どうだろ、あんまりないと思います。黙ることはあっても。政策的なこととか色々社会問題をちょっと議論することはあるんですけど。全く意見が合わなかったりするんですよ、考え方が真逆。それが、非常に私にとっては役に立つというか。「なるほど、そういう考え方もあるな~」と思わせてくれるし、何とか私の考えを押し付けよう、説き伏せようと説得を始めるんだけど、「この話し方では全然説得できないんだな」とか、議論を通して学ぶこともあって、面白いんですよね。意外に私はだらしがないというか、忘れ物大魔王でいつも忘れ物をするし、秘書から見ても「頼りないな」と思うところもあると思うんですよね。「面倒見なきゃ」とか「私がしっかりしなきゃ」と思いながらみんな支えてくれていると思うので。どっちかというと「ついて来い!」みたいなタイプじゃないかもしれない。[そんなもんなんですね~]―(笑)いや、他の人は違うと…皆さん強いリーダーシップで。[お互い緊張がほどけて。ある種の緊張がほどけてるんでしょうね]―そうですね。本当に色んな話をしますよ、ご飯も一緒によく行くし。クリスマスもね、「どうせ何もないでしょ?」と声をかけ、二人淋しく女同士でクリスマスを過ごしたりしてます。[それ、ネタなんじゃないですか? 本当は違うとか]―ネタじゃないですよ(笑)。「仲いいね」って言われます、他の事務所からも。[それはSNS見ててもよくわかります。でも変わったといえば、永田町が国会内での恋愛が多くなったじゃないですか。結婚されたりとか。(田名部議員に対して、相手が)いっぱい…いますよね?]―いや~、ないし! 国会議員とって、嫌かも! 国会議員と結婚。やだ(笑)。[昔飲み仲間だった森本哲生さんとか]―(笑)結婚しておじさん![こういう人と飲んでちゃ駄目ですよ。もっと若い人と(笑)]―そうですね(笑)。でも独身ってあまりいなかったですよね?[だって党派を越えて今結婚しちゃってるんですよ? 林久美子さんと、世耕大臣。信じられなかったですね]―林久美子ちゃんとは仲良しで、今も時々一緒に食事をさせていただいて。[じゃあ旦那の話とか出るんですね]―あまり出ない、ということにしておこうかな。[いつもすみません、こんな話で。10年前と変わらず]―10年前と変わらない報告で申し訳ない(笑)。何かいい報告が出来ればよかったんですけど。[願ってますよ、地元のすごい青年と結婚するのを]―あの、全然すごくなくていいので。「このままの田名部匡代でいいよ」って言ってくれる、心の広い方がいれば。[いっぱいいますよ。だって妻が国会議員ですよ?]―だからこそ嫌なんじゃないですかね。いつ何時どうなるかわからないですからね、国会議員といってもね。[ま、ご自身がその気がない、ということで、今日は総括させていただきます]

(次の議員さんの電話を終えて)[ガラケー、久々に見ました。永田町の国会議員の方、結構いらっしゃるんですよね。流出が恐いって言ってますよ]―電話と簡単なメールだけなので、片手でピピピっと出来るじゃないですか。ちっちゃいしポッケにポンと入るし。[最後にもう一度聞きたいんですけど、永田町変わりました?久々にいらっしゃって]―うん、ちょっと変わりましたかね。物言えぬ永田町になってる気がします。[やはり安倍一強ということでしょうか]―そうですね。今までの自民党も多分、自民党の中で色んな議論があって、それで最後まとまってきたと思うんですけど、物言わぬ、言えぬように見えてるし、我が党もあまりにも批判を恐れて、揉めてると思われないように口をつぐむみたいなことがあるのかもしれないけど、私は議論は議論として活発な議論をすればいいと思っているので。最後にしっかりとまとまっていければいいだけなので。[これからの政治体制だと、小泉さんみたいな強烈なリーダーがいて、あとは皆さん普通の企業みたいな位置づけになってしまうんでしょうか、物言えぬ?]―そうですね。強いリーダーシップを発揮する小泉さんみたいなああいうタイプがいてもいいと思うし。ただ、その周りですよね、自分を囲む周りの中の、批判的な人を省いてみたり遠ざけてみたりするのではなくて、色々な見方の出来る人たちを傍において、批判的なことも真摯に受け止めながら、政策的な事も「これが正しい」ということではなくて…まあ色んな立場になれば色んな考え方の人がいるわけなので、それを総合的に判断して、より多くの幸せや豊かさをもたらすためにどういう政策や法律を作るのか。最終的なそういう判断をするというのが、政治のリーダーシップの強さだと思うので。何でもかんでも自分のやりたいことだけをやるとか、自分は正しいと思いこむというのは、私は何か誤った方向に行くのではないかな、と。[難しい判断ですね。選挙の時は突き進まなくちゃいけない、でも議会制民主主義だとそういう謙虚な考え方も持たなくちゃいけないということですね]―そうですね、謙虚さは大事ですよね。[勉強になりました、すごい(笑)。ありがとうございました]