田野瀬 太道
arc29
第103回
2014年01月29日 放送

自民党 田野瀬 太道 衆議院議員

奈良4区の田野瀬代議士。お父様は田野瀬良太郎衆議院議員。
世襲批判も世間で強かった中、自身の真摯な訴えで公認を勝ち取り、バッジを付ける現在に至ります。
芯の強さを持っていますが、とても優しさの溢れる国会議員。
日本の林業に強い危機感を持っています。
「木こり君」と命名しましょう!笑
これからが期待されます。

(以下動画より文字おこし)

自民党 奈良4区 一期目

(前回ご出演の浜田靖一議員とは?)―父親の代からお世話になっていた。事務所が単純に隣という、そういうご近所付き合いをさせて頂いている。(奈良4区はどんな所か)―「大和は国のまほろば」と言うので山深く緑が多く自然豊かな素晴らしい所。(何年か前、天河神社に行った事がある)―うちの選挙区のど真ん中。(国会も遠くて大変?)―もう慣れた。そんなに遠くない、新幹線で。(都知事選では自民党はやや割れているが一年生議員としてどうか)―父親の秘書をやっていた時代の色々ないきさつを見ているので、腹の中に色々思うものはあるが…谷垣総裁で父親が総務会長をやっている時、野党で大変だった時に「オッと」みたいになった方が今自民党…都連が決めてこれを党本部が決めたという事に関してはグッとこらえて応援するスタンスではおる。(都連も、当選すれば問題無いがそうでない場合いはしこりが残る)―色々な責任問題が出て来るかも知れない。気を許せば具合い悪い。(小泉純一郎さんはどう思うか)―もうコメントを差し控えさせて頂きます(笑)。(進次郎さんには会うか)―青年局に入っているので…局長は辞められているが懇意にさせて頂いている。(この話については何も?)―してない(笑)。

●幸せ度数年表

(ダブルクリックで拡大)

第103回田野瀬太道

(74年生まれという事で今は何歳か)―39。(元々政治家の家に生まれた?)―(父は)田野瀬良太郎といって私が生まれた時は地元の市会議員をやっていた。市会議員から県議になって国会議員になった。(最後は谷垣総裁の時に総務会長をやっていた、野党になって一番辛い時期の自民党で)―そう。(それでバトンをご子息さんに渡した)―まあそうなるか。(幼少の頃からずっと奈良か)―ずっと奈良。(どんな学生時代だったか)―多感な学生時代だったと思う、自意識過剰な。面倒くさい。ただ面白い幼少期ではあったと思う。小学校で授業を受けていると父親の街宣車がパーッと通る。先生から「おい田野瀬、あれ静かにさせろ」とか(笑)そういう事を言われながらの小学生中学生だった。(地元では有名だったか)―まぁ一応議員だったという事で。(お父様は落選経験はあるか)―ある。市会議員二期やって県会議員に出る時に落選して4年間浪人した。満を持して県会議員に当選して二期やって次、衆議院に出る時も落選して4年間。(2回あった)―2回あった。(その度ご家族も大変だと聞くが)―正月一日から白装束の人達がうちの実家を囲んで「ワーッ」と叩いたりしていた。何だろうと小さいからまだ分からなかったが、正月なのに寒いのに大変だと思いながら見ていた。それは現職の時。言いたい人が実家を囲んでいたという。(落選中家族への影響は?)―無かった。(逆にお父様と居られるとか)―父親と全然居られなかった。赤貧生活になったとか継ぎはぎの服が破れたというのは無かった。(「幸せ度数年表」の「日本ほぼ縦断」というのは?)―大学三年の時に一年休学して…早稲田大学の第二文学部という夜間の大学に行っていた…一浪したので入学したのが19歳。夜間なので日中はずっと父親の永田町の事務所で秘書をやっていた。学生の頃から。19から都合20年程。(インターンみたいなもの)―やっていた。(報酬を貰っていたか)―仕送りだった。学生だったので。「働かん奴には渡さんから来い」という事で。(当時の永田町と比べて今どう違うか)―なんと美しい事務所になった事だろうかと思う。素晴らしい。議員会館が近現代的になった。それはそれで味はあったが。(国会議員の在事務所率が高くなった。居心地が良いので)―(笑)居心地良い。19の頃、秘書しながら学生しながらという事をやったが3回生の時に1年休学して、これはちょっと一回日本を見ようという事で自転車でほぼ縦断した。たしか23歳だったと思う。楽しかった。それはすごく良い経験になった。優しい人ばかりに会った、行く先々で。(卒業されてからは?)―卒業してそのままずっと秘書として正式に採用して頂いて、ひたすら秘書。(お父様の)―はい。(将来いずれバッヂを付けたいという事があった?)―当時は全然そんな事を思っていなかった。周りの地元の人だって血も繋がっていないのに何でここまで応援して頂けるのだろうという人を一杯見てたので、母親もそうだが親族ひとり位…兄弟いるが…三人兄弟の一番下…親族でひとり位父親の仕事を手伝うというのがあってもいいだろうという位の思いだった。
(SNS:田野瀬さんだいたいこんな雰囲気ですよ)
(他に働いてみたい処はあったか)―あった。10年程秘書をやっていてこれはおかしい大人になってしまうと思った、このままいけば。ずっと永田町でいけば(特別な空間)―そう。息子だったので、秘書の中でも。色々すごい人が来て「お父様にこれ渡してください」となる。秘書として受け取っていて、これを続けていたらおかしな大人になるだろうと思った時に「2年程おれ秘書辞める、他の釜の飯食いたい」と言って秘書を辞めていた時が2年程(「幸せ度数年表」29歳結婚前)ある。住所不定、無職をしていた(笑)。どこか定職に就くというのは秘書しか知らなかったので色々な仕事を見てみたかった。土方もやったし警備員とか色々な事をアルバイトで3カ月毎に色々な仕事を見てみようと思ってやった。今で言ったらフリーターで昔だったら住所不定無職で。友達の家に転がり込んでやっていた、お金が無いので。この時にお付き合いしていた今の嫁さんと29で秘書に戻って結婚した。(どちらで知り合ったのか)―元々昔からの遊び友達というか、高校の時の同級生の妹だった。奈良の人。その同級生というのも男ではなくて女の人だった。(SMSでイケメンだというのが一杯来ている)―いやいやそんな事はない。(お父様もハンサムだった)―そうですか、ありがとうございます。(フリーターは)10個以上やった。(永田町がやはり良いと戻った?)―戻る時にいよいよ選挙で…選挙が終わって辞めて2年程うろうろしていたがまたそろそろ選挙だという事で強烈に呼び戻された。(田野瀬さんはバリバリ関西系だと思うが今日はよそ行きの言葉で話されている?)―そう、ちょっと標準語にしている。(お父様の何期目で戻されたか)―4期目。(何期までやられたか)―6期やった。19からずっと永田町に居たが結婚して秘書に戻ったのを皮切りに地元の秘書になった。(お父様が2009年に当選されて2012年に引退して引き継がれたのはどういう経緯あったのか)―当時の選挙では世襲批判という嵐が吹き荒れていた。結構色々な手続きは取らせてもらった。「世襲」って当時大辞林とか広辞苑とかで調べたが、親の権限とか立場を自動的に子に付与する事が世襲であるとするならば、このバッヂというのは親父に貰ったわけではない。選挙で有権者の皆さまに選ばれたという事なので、選挙期間もずっと言っていたのだが「私は世襲ではない。二代目」と言っていた。自民党の奈良県第4選挙区支部の支部長が次の公認候補者に選ばれるのだが、その自民党の第4選挙区支部長になる為のまず選挙があった、党内で。全国初の党員投票で私と他にも第4選挙区の支部長になりたいという人と党員によって支部長に選んで頂いて、それが次の公認候補者になって、また選挙になって選んで頂いたという事になった。(選挙に出る前の選挙が大変。それだけ自民党は厳しい。他の党のポッと出の議員と違う)―結構厳格な党内手続きで「きちっとした手続きで、まずは支部長を選びなさい」というお達しがあった。(日本人は世襲大好きだから興奮する)―興奮(笑)。(結婚の後にちょっと「幸せ度数年表」が下がっているが)―通常に波をうってたまたまここ(結婚後)に当たった(笑)。(お子さん何人か)―子供今が三人。3月にもう一人四人目が出て来る。三人今いるのが男の子で次出て来るのが女の子らしい。(秘書さんから今バッヂをつけてどう変わったか)―毎日、これは不謹慎かも知れないが楽しい。何を楽しんでるねんと言われるかも。毎日苦痛で苦痛で仕方ないの逆で毎日本当に楽しく、こんな事もあるのか、こんな事もあるのかと…例えば秘書の時だったらここから先は議員しか入れない先がある、秘書は入りたくても入れない。「その先ってこうなってたんか」みたいな。それは色々な入れない処が一杯ある。色々な会食とか会合とかも、この部屋の中にこの議員とこの議員とうちの親父と色々喋っていて横で聴きたいのにな、とか思っていても入れない。「どんな話やったろ」とか。そんなのがこの先はこうなっていたというのが毎日楽しい。(テレビで見ていた様な議員とかに「田野瀬君」と呼ばれてどうか)―色々な国会議員さんと会うというのは秘書の時も会っていた。(尊敬できる政治家はいるか)―いちおううちの親父を尊敬する政治家だなと思っている。(派閥はどちらか)―政策グループとしては石原伸晃、厳密に言ったら前後するが15~6名いる。(どうして石原派閥か。勧誘されたのか)―自動的にそうなっていた。うちの親父がそうだった。元々山崎拓さんの、という事。(派閥の集まりはあるか)―ある。(15人だと下の方?)―下の方。(木曜日にお弁当を食べるグループ会がある)

●最近の政治トピックス

金曜日に国会が始まった。今日も代表質問があった。(ヤジ将軍は誰か。ここに出た人では橋本岳さんとか)―橋本岳さんは面白いヤジを飛ばされる。センスがいい。一回生議員も活発に言っていた。あんまりにも品が無かったりすると注意を受けるし、あんまりうるさいと議長も止める。昨日の議長の途中静止して、海江田先生の時、ヤジというより不規則発言は控えてくださいという事は言うが、発言者が何て言っているか、正しい事が聞こえない、不規則発言がうるさ過ぎると。海江田さんの言っている事が分からない。「正しいかどうかをちゃんと分かる為にも不規則発言は控えるように」という言い方で議長が仰った。(議長は)―伊吹文明さん。愛称を敬意をこめて「イブキング」と呼んでいる。自分は今委員会が議院運営委員会で、去年議長招待で議運の委員会メンバーが議長公邸に行かせて頂いて食事させて頂いた。(その時はコックが作る?)―そう。議長公邸、広い。(議長公邸に招待されて行った事がある)―ホンマですか?で、その時にキャビアで思い出したがボジョレーが解禁の日だった。キャビアとかワイン、そういう事にお詳しいのでしょう、初めて知った伊吹議長。(何人位呼ばれたか)―すごい人数だった。4~50人。(料理人の作った料理は美味しかったか)―あんまり味は覚えていない(笑)。(あまり食べ物は?)―頓着しないほう。(毎日牛丼で良かったり?)―全然OK。(国会内の牛丼食べたか?)―食べてない。今度行ってみる。(国会が始まってヤジの応酬で論戦が活発で、新聞によると安倍さんは丁寧な対応をしていかないと暴走するのではないかと警戒している。みんなの党とか維新の会には秋波を送っている)―秋波を(笑)。きちっとした国会で建設的に議論していこうという事。総理曰く「好循環の経済を実現する為の国会である」と。(アベノミクスで景気が上向いたものを固めて消費税アップ後の日本の経済も引っ張っていくという事を宣言した国会になるという事か)―それは絶対実現させるのだという国会になる。一義的には補正予算と当初予算をきちっと議論の上で早期に通すという事が経済政策のまずは皮切りになる。(一強、119人の新人議員がいる中で目を向けるのは野党ではなく、党内の事か)―いみじくも議運なのでその法案を通す為に○○委員会でどれだけ審議してどう出て来るというところを決めているのが議運なのでそんなに別に巨大与党が数の横暴でやっているという事ではない。(お父様が総務会長をやられていた時は本当に少なかった。あれに比べれば違う。たまたま一回生の今、自民党バブルになっている)―昨日も総理が言っている「議論をきちんとやった上で」というスタンスは逸脱しない様に。(選挙区では特定秘密保護法案について言われるか)―年末の時はよく言われた、どうなっているか詳しく教えてくれと。「一般の国民の皆さんを捕まえる為の法律ではない」という事をまずポンと言うと「あ、そうなんだ」と。秘密にした方が絶対に国益の為になるというものを決めて、それを漏らさない様にしようというルールを作ったという事だと言って説明している。こちらから見たら反論あるでしょうが、衆参あわせて82時間…まだ自分が国会議員ではない時の話で、今までで一番法案の審議時間で長いのは200時間で、日米安保条約…おそらく。すみません、ちょっとずれるかも知れない、数字はちょっと確証持てないがだいたいそんなもの。重要法案で言うと100時間とか100時間前後位審議すると「結構審議したね」という風になる。だから80数時間というのは決して少なくない。12項目にわたって野党の意見を取り入れて修正している。野党の言い分を全く聞かずとか時間も全くかけずとか、そういう事とはちょっと違うのではないかと言いたい。(田野瀬さんの政策は進化と継承という二本柱があるが)―継承するべきところはちゃんと継承した上で進化させるところは進化させる、まぁ当たり前の事だが。選挙の時、一昨年の年末、ずっと言っていたのが「この日本そんなに悪い国ではない」ではない、「素晴らしい国」だと思う。安全だし豊かだし、こういう日本をつくってきて頂いた先人達に感謝の気持ちを持っているし、我々今38、39、40前後は子供を産んだりする年代だが、その先人につくって頂いた素晴らしい日本を次に繋げる責任がある世代、責任世代だと思っている。それを未来に繋げる、過去と未来を繋げる役目の年代だろうなと。それで進化と継承という分かり易い、ひと言で言ったらそういうスローガンをあげさせて頂こうと。(ご自身の政策は何を特化されているか)―大きな国の切り口で言うと教育。今国会では教育委員会制度に関する大きな法案を…文科省提出の法案になるが出て来る。今の既存の教育委員会を粋のいいというか、粋に使われましょうね、と、非常勤の教育委員会のメンバーで、また色々教育現場で問題ある、自殺だったり不登校だったり、それを非常勤の教育委員会が全て今責任を持っているが、果たしてそれで地方教育行政で守られるのだろうかという様な問題点から始まり、教育委員会制度をもっと見直していきましょうという事。(ご紹介頂いた前回の浜田靖一議員は…「くじら君」と呼ぶ事にしたが…日本の水産でも引っ張っていくという決意があったが、そういうのはあるか)―教育。国家百年の計で教育したい。あと一つはマイナーだが山の事とか木の事に是非取り組んでいきたいと思っている。エネルギー政策の話に感じられる方が多いかも知れないが、それとは密接に関わる部分もあるが、今森林資源というのがドンドン増えていっている。森林資源というのは木の事だが、植えて増やそうとしていたのが50~60年前に政策として打っている。その木を一気に使いましょうという事。ただ木材の価格がドンドン下落していて売れない。なんとか木材利用を促進したいし木質バイオマスとか色々な使い方の裾野を拡げて今余ろうとしてきているこの森林の資源を色々な分野、ジャンルで使える様にしていきたい、というのが私の思い。(この番組で初めて。木の事に特化するのは)―木は重要だと思う。(木材産業をけん引して頂きたい)―やっていきたい。山とか森とかって普通にほったらかしにしておいたら良い森になるかと言ったらそうではない。人間の手を入れないと。一回人間の手で植林した山というのはちゃんと最後の最後まで人間が管理しないといけない。枝打ちしたり、下刈りしたり。それが木が売れなくなったので山の事に手をつけなくなって荒れ放題になって、全国の山がそう。そうすると木もちゃんと育たないし、鬱蒼として枝打ちしていないから暗い、山自体が。下草生えなくて保湿力が落ちていて、一時雨が降ったら山崩れ起こすというのが全国各地で発生している。山崩れが起こってから被害対策だとかやるが、それだったらもっと事前に山にお金を入れておいて健全な森林を作っていくというのが、そちらの方が安く済むと思っている。(ネガティブな話だが、50~60年前に植えた杉がスギ花粉の原因になっているか)―そう。杉とか檜とか。当時はとにかく木が重要だった。林業頑張りたい。選挙区事情がそうだからかも知れない…奈良4区と言ったら山ばかりで。(SNS:太道は本名か)―本名です。名前だけちょっと仰々しい。

●今だから言えるあの日のあの出来事

さっきもチラッと申し上げた…秘書をやっていてこのままだったらおかしな大人に成長してしまうと思って、辞める時に親子の色々な戦いがあった。「あの日のあの出来事」って、その当時を振り返って申し訳無かったなと。親父の反対を振り切って飛び出したという事。そんな事をするんじゃなくて秘書をずっと続けるというのが親父の主張だった。自分はいい人生だった、プラスになったと思う、嫁さんもできたし。ただその時の…(お父様の事を考えると悪い事をしてしまったなと)―そうですね。「息子が俺の意に反して」と。(ご自分が父になって)―思った時に、それは親父は悲しかったんだろうなと。(ずっと秘書さんで50まで順風満帆で来たらグレる)―(笑)50でグレる…(笑)…それをちょっと懺悔したかった。親父にこんな事言った事ない。仕事の話しかしない(笑)。(国政報告を親にするのはひと仕事でしょう)―そんなのはした事が無い。そんなもの。何かのルートで情報は入っていると思う。こちらから敢えて「今日はこうやって」という事はない。(もう一つ位何かあるか)―それだけだと思う…あともう一つ…今から考えるが(胸のつかえを取ってください)―(笑)えー…また懺悔です(笑)。そのまた大学の時に休学をするしないで親子で…「休学なんかするな、なんで1年棒に振るんだ」というのが親父の反対だった。ごめんなさい。(自転車で日本縦断したくて)―そうでした、それも懺悔したい。(かわいいもの)―今親の立場になったら息子を見ているとどうなんだろうと思う。良い人生。幸せ度数年表はもう少し上の方に線を引いておけば良かった(笑)。(変わってないところが良い。10年後は変わっちゃったり?(笑))―(笑)そうならないように。

●質問コーナー

学生インターンに質問
(事務所の学生インターン):僕ら目線で話をして下さって、なかなかそういう方と接する機会が無い。色々な話をしてくださる…プライベートな話もしてくれる。(イライラしている時もある?)―そういうのは本当に無い。

Q:もし国会議員でなければ何をやっていたか。
A:せっかく仕事するならばそのお客さんが笑ってくれる仕事がいいなと思っていた時が
あった。笑ってくれる仕事って何だと…例えば花屋さんだとか結婚式場屋さんとか、何
しても笑ってくれる仕事は何だろうという事は考えた事がある。芸人さんは考えた事
なかた(笑)。(国会議員で花屋とか結婚式場っていうのは初めて聞いた。優しいですね)
―せっかく仕事するのにしかめっ面のお客さんが多い仕事だとへこむ。笑ってくれる
職業だと何だろうなと。(次世代議員だからこそ。お父様の世代ではない、女性が言う
ならまだしも男性が言うというのが良い。あっている)―やりがいにお客さんの満足と
いうところでそんな感じになったのか。(国会議員は選挙でも法案通すにも必ず敵対す
る相手がいるが全然違う)-全然違う。でもそれは私らがやる事で一人でも笑顔繋がり
で拡がったらいいなと思っている。
Q:お父様に懺悔されていたが自分の息子に政治家に成りたいと言われたらどうか。
A:「やりたい」となったらば本気度をその年代なりに確かめて「やるならやれよ」と言う
かも知れない。
Q:自由に?
A:そうですね、こっちから「お前は次やるんやで」と言うつもりも全くない。(4人いるから4人で攻防させて)―(笑)。(上の男の子3人が心優しくて4人目の女の子がきつくなってお父さんの後を継ぐ、みたいな?)―自由奔放になるんでしょうかね。確かにそうなるかも知れない。(次の女の子が生まれた時は選挙になっても大丈夫な名前にするとか(笑))―そのあたりはちゃんと考えて名前をつけます(笑) 。
Q:住所不定のフリーターの経験が政治の仕事でどう活きているか。
A:それはもう、こんな仕事があるのだという事が経験できたのがあるし、多分いつかは秘書に戻ると思っていたので、戻る時にプラスになる職種を選んでいたんだろうなと、後で考えるが、バイトバイトでやっていたが、一番長く続いたのがイベント企画の処でやっていた、大阪で。何か企画を立てて物事を周りを巻き込んでワーッと実現する為にというプロセスについては大分イベント屋さんやっている時に勉強になった。予算の事とか。それはプラスになった。
Q:笑顔があった?
A:それにからめて言ったら良かったですね、すみません(笑)。花屋はやらなかった(笑)議員やってなかったら何やっていたんだろうと思うと、最近の事なので…当時は秘書に戻った時にどうなるのだろうと考えた時にプラスになる仕事を一回しておこうかという事で、父親がドンドン予算をつけて道とか橋を作っているが、その工事の現場の最前線はどうなっているのかと、普通に率直に思っていた疑問を「ま、土方やってみたれ」と現場見に行ったり、そういう事をやってた。勉強になった。
Q(SNS):夫婦円満の秘訣は何ですか。
A:何事もよく喋る事だと思う。特殊な仕事をしているので「何をしているのだろう」という風に意味が分からない事が増えると変に違う事を勘ぐったりするので、私が地元に帰って家に帰ったら、まず嫁は私の携帯を取って、誰にどう、と普通にやる。「○○社長に電話入れているんだ」とか「○○議員とどんな話をしたの?」とか私が日中どんな仕事をしたのかというのはほぼ共有している。(それは良い!やましい事は無いから。仕事の確認ができる)―どんな仕事をして、日中どんな人と会ってというのは出来るだけ言うようにしている。それが円満の秘訣でしょうか。(話すという事)―そうです。何でも話す。